PTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)

トラウマとは、その人の耐久力や対処能力を超えた激しい苦痛や悲しみを伴う経験をする事によって心に受けた深い傷のことです。トラウマを負うような非常につらい耐え難い経験として、代表的なものに、いじめ、幼児期の虐待体験(身体的・精神的・性的な虐待)、犯罪の被害(脅迫や暴力・レイプ・殺傷の現場を目撃するなど)、近親者の死去、生命の危険がある自然災害(地震・火災)などがあります。

『PTSD(心的外傷後ストレス障害)』とは、日常とはかけ離れた強烈なストレスによって、心に深いトラウマ(心的外傷)を負った後に発症する心の病気です。過去の耐え難い苦痛な体験で受けたトラウマの後遺症として、日常生活に支障を来たすような様々な障害が現れてきます。

どういった経験が深い心の傷であるトラウマになるのかは、ストレスへの耐性や環境への適応力、物事の受け止め方、性格などの個人差があるので一概には言えません。他人からの批判や攻撃に弱い、繊細で傷つきやすい心の持ち主の場合には、先生や上司に皆の前で大声で怒鳴りつけられたりしただけでトラウマになる事もありますし、友人や恋人から少し性格の難点を指摘されただけで、自分の全てを否定されたと受け取ってしまってトラウマになる事があります。

しかし、一般的にPTSDと言う場合には、そうした日常生活で誰もが経験するような出来事による心の傷をPTSDには含めない事が多いのです。つまり、PTSDにおけるトラウマとは、日常的なストレスを受ける経験とはかけ離れた出来事によって受ける深い心の傷を指すことになります。

代表的なものを挙げると、『地震・火事・交通事故などの事故・災害場面』、『暴行・レイプといった犯罪場面』、『戦争やテロの体験』、『殺傷など残酷な場面の目撃』、『児童虐待』などの非日常的な体験がなかなか癒されない深い深いトラウマを刻み、そのトラウマが原因となって『PTSD』という一連の苦痛で不快な後遺症群を生み出すのです。

元々、PTSDの病理研究は、ベトナム戦争に参加したアメリカ人兵士の悲惨で残虐な戦争体験による後遺症の研究によって始まりました。ベトナム戦争から無事帰還したアメリカ兵の中に、不安や恐怖、睡眠障害、幻覚様症状、フラッシュバック(過去の外傷体験を生々しく思い出す事)といった精神症状の苦痛を訴える人が大勢現れたのです。その事実から、生きるか死ぬかといった生命の危険がある強いストレスにさらされると、心の深い傷・トラウマが形成され、その後遺症である様々な精神症状によって日常生活に支障をきたすようになってしまうPTSDの存在が明らかにされました。

PTSDの発症率は、ベトナム帰還兵の約30%にも上ったと言われますから、ベトナム戦争がどれだけ過酷で悲惨な戦闘の続く消耗戦だったかが想像されます。

日本でも、阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件などの被害者にPTSDが多数発症して、そのことによって、日本でもPTSDという精神疾患名が一躍、人口に膾炙するところとなりました。

PTSDとは、戦争、テロリズム、自然災害、事故経験、犯罪被害などの非日常的な激しく衝撃的な出来事に遭遇することで発症する心の病気だと考えられます。PTSDの精神障害には、強烈な恐怖体験によって脳そのものに何らかの神経学的なダメージを負っているのではないかと主張する説もありますが、この点についてはまだ詳細な実証的研究は進められていません。

PTSDに罹患しやすい性格傾向というのも、まだ明らかにはなっていませんし、PTSD発症の有意な男女差も確認されていません。レイプといった卑劣で苦痛な性的犯罪の被害によるPTSDは勿論、女性に多く発症しますが、全体的な統計では有意な男女差はないようです。これらの事から、強烈な生命の危険に関わるような衝撃的なストレスにさらされると、男女を問わず、精神が強いとか弱いとかいった性格的な側面ともそれほど関係なく、誰もがPTSDに罹る可能性があると言えます。

PTSDが発症すると、自分の力ではコントロール出来ないような激しい恐怖や不安が襲いかかってきます。地下鉄サリン事件など正に予期しないパニック的な恐怖体験をしたり、生命を奪われるような恐ろしい事態に巻き込まれた人の中には、外出しようとするとパニック障害のような状態になってしまって、どうしても外に出られなくなってしまった人もいると言います。こういった悲惨な犯罪の被害に遭われた方達もPTSDの状態にあると言えるでしょう。人気の少ない暗い夜道でレイプ被害にあった女性が、暗い夜道を目にするだけで、その犯罪にあってしまった時の耐え難い屈辱や恐怖、パニックを思い出したり、その犯罪の恐ろしい光景をまざまざとフラッシュバックしてしまったりするのもPTSDの症状の現れと考えられます。

PTSDで湧き上がってくる恐怖や混乱というのは、通常の理性や意志では制御できないほどに強烈なものである事が特徴的です。実際には何の危険も差し迫っていないのに、何かを恐れて逃げたり隠れたりする必要はないのに、どうしても湧き上がる強烈な恐怖や混乱から逃れることが出来ず、部屋の中からなかなか外に出られないといった状態になってしまうのです。

当然、本人はそんなつらくて苦痛な過去の出来事は綺麗に忘れ去ってしまいたいと思っていますし、絶対にその時のことは思い出したくないと考えています。家族や友人との間でも、外傷の経験に関する話題は避けようとするのが一般的で、その出来事を思い出させるような場所や人物を避けて生活するようになります。

PTSDの最も特徴的な症状として、『フラッシュバック』という症状があります。これは深刻なトラウマを負うきっかけになった衝撃的な出来事や苦痛を感じる光景が、突然、目の前にリアリティを持って甦ってくるもので、白昼夢に近い感覚のものです。フラッシュバックや夢の中で、PTSDを引き起こしているトラウマの体験が甦ると、本人は強い恐怖や不安を感じて、混乱を起こしパニック状態に陥ってしまい何をどうすれば良いのか分からなくなってしゃがみ込んでしまったりします。

パニック状態になると、息苦しくなって、呼吸困難を起こしたり、心臓がドキドキと激しく脈打って動悸を起こしたりします。それに伴って冷や汗のような不快な汗を大量にかいてしまう事もあります。

その他の症状としては、周囲の事にまるで興味関心が湧かなくなり、自分の殻の中に閉じこもって、感情表現も少なくなり、外部との接触を経つといった無気力・無関心な抑鬱状態に陥ってしまうケースも考えられます。また、些細な出来事にもすぐ驚いてドキっとしてしまったり、周囲の環境の変化や他者の言動に対して敏感になり、時に神経質で不安定な心理状態になります。

自分がトラウマを受けるような事件や事故に巻き込まれてしまったのは、自分に落ち度や悪い点があったからだという『不合理な歪んだ認知(物事の受け止め方)』をしてしまい、強い自責感や無力感に駆られて落ち込んでしまうといった状態も考えられますし、自分に被害を与えた相手や状況に対する抑え難い激しい怒りや憤りを覚える事もあります。

自責感という間違った物事の認識をしていると、PTSDからの回復に時間がかかることもありますから、客観的で合理的な認知が出来るように意識的に外傷体験を整理するといった認知療法的なアプローチが有効になる場合もあります。

悲惨な犯罪被害に合った場合には、どのようなケースであろうとも、自分の方が悪いと考えるのは不合理な自虐的な考え方です。悪いのは飽くまでも自らの利益や欲望の為に他人の自由や権利を侵害した加害者の方なのですから、自分を強く責め続けるといった自責の念からゆっくりと自分を解放して上げる事が大切になってきます。自然災害や偶発的な事故の場合には、勿論、その当事者の意志や能力によっては回避できない自然の摂理や偶然的な運命が関与していたと考えるのが妥当だと思います。自分が悪い事をしたから、地震や交通事故の被害に合ったという考え方は、正しく筋の通った考え方とは言えないでしょう。

PTSDの人の治療に際して、もっとも大切になってくるのは、衝撃的な苦痛なトラウマを引き起こした出来事を経験した後に、周囲の家族や配偶者、恋人、友人などがどのようにして自虐的な罪悪感や絶望感、無力感といったマイナスの感情に陥らないように精神的にサポートして上げられるかという事です。

家族や恋人といった本人が日常から気を許している人たちの支持的な話しかけや思いやりのある態度によって、本人の深い傷やそれに伴う過大なストレスと症状を少しずつ焦らずに回復させていくことが重要になってきます。そして、周囲の人たちが、その外傷体験に無遠慮に踏み込んで、本人の気持ちを更に傷つけるような言葉や態度を取らないという事にもっとも気をつけなければなりません。トラウマの完全な回復にはとても長い時間と努力が必要ですが、今受けている傷以上に傷を深めるような接触を持たないという事も大切になってくるのだと思います。

本人が心身共に安心して生活できるような環境、そして、外部の危険から守られている事が実感できる安全な落ち着ける環境をしっかりと整えてあげる事も有効な方法だと言えるでしょう。

PTSDの治療に当たっての環境作りで重視すべきことは、『もう、かつて起こったような恐ろしい衝撃的な出来事は起こらない』と確信できるような安全な安心できる環境を作るように周囲の人が配慮することです。

勿論、周囲の家族や恋人、友人の努力や思いやりによる心理的サポートだけでは限界がありますから、法的サポート、社会的サポート、経済的サポートも充実させていく必要があるでしょう。それは今後の政治や社会保障政策の課題となっていくのではないでしょうか。

PTSDの回復にあたっては、過去の外傷体験(トラウマ)を慎重に焦らずに見つめ直し、現実認識や自分の責任について誤った不合理な認知があるならばそれを矯正していく認知療法的なカウンセリングが有効であるとされています。自分にあったペースと方法で、過去のトラウマになった出来事を受け入れていくのですが、その過程は非常につらく苦しいものです。

カウンセラー、そして周囲の人たちの温かい支援の中で、少しずつ勇気を出しながら今までとは違った『広い視野』と『柔軟性のある認知』を獲得していきます。

フラッシュバックが起こった時の混乱状況にどのように対処すればいいのかという事も認知療法的アプローチで学習していくことが出来ます。そして、自分の身体状態の変化に対する反応をどのように受け止めるかによって、症状の苦しみがまるで違って楽になってくるという事を実感して貰う事が非常に役立ってきます。

最終的には、過去の衝撃的な経験も自分の一部として受け入れ、乗り越えていくという作業を焦らずに達成していかなければなりません。

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