自己愛性パーソナリティー障害(Narcissistic Personality Disorder)と精神分析の理論による自己愛の解釈・治療方針

[目次]
DSM-5による自己愛性パーソナリティー障害の診断基準

自己愛性パーソナリティー障害の3大特徴と精神医学的に診断される状況

ジークムント・フロイトの精神分析とナルシシズム

ハインツ・コフートの自己心理学と自己愛理論

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自己愛性パーソナリティー障害(Narcissistic Personality Disorder)の総合的な解説(別ページ)

DSM-5による自己愛性パーソナリティー障害の診断基準

アメリカ精神医学会(APA)が作成した“精神障害の統計・診断マニュアル”であるDSM‐5とDSM‐Ⅳ‐TR(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersの第5版,第4版の改訂版)は、世界保健機関(WHO)が定めたICD‐10(International Classification of Diseases:国際疾病分類)と並ぶ精神医学的な疾病分類と診断基準の国際的なスタンダードとなっていますが、DSM‐5によると『自己愛性パーソナリティー障害(旧自己愛性人格障害)』の診断基準は以下のようなものとなっています。

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DSM-Ⅳ‐TRとDSM‐5の自己愛性パーソナリティー障害の診断基準は大枠において目立った変更はありません。2010年代から“personality disorder”の直接の日本語訳である『人格障害』は、『人格・人柄・人間性』が病的な異常を来たしていて問題があるという差別的ニュアンスで受け取られやすいことから、日本語による記述が意味的に中立に受け取れる『パーソナリティー障害』に移行してきています。

DSM‐5による自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)の診断基準

誇大性(空想または行動における)賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、5つ(またはそれ以上)で示される。

1. 自己の重要性に関する誇大な感覚。自分の業績や才能を誇張するが、十分な内容を伴っていない。

2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

3. 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人(権威的な機関)にしか理解されない、または関係があるべきだと信じている。

4. 過剰な賞賛を求める。

5. 特権意識、つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

7. 共感の欠如。他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

9. 尊大で傲慢な行動、または態度。

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自己愛性パーソナリティー障害の3大特徴と精神医学的に診断される状況

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の3大特徴として、DSM‐5の診断基準にも含まれている以下の3つのポイントを上げることができます。

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)の人の第一印象は『自分が大好き・自信満々・目立ちたがり屋で派手な感じ・自己中心的で押しが強い・テキパキしていて仕事がデキる』といったもので、自己肯定的な自信に満ち溢れたパーソナリティー構造を持っているように感じられるのですが、一方で『批判・反対・失敗・挫折』に対して非常に弱く、少しバランスが乱れてダメになると一気に崩れ落ちてしまう『自我・ストレス耐性の脆さ』という特徴も併せ持っています。

自己愛性パーソナリティー障害(NPD)は元々『現実的な自己像』を無意識に否定して『誇大的な自己像』をあたかも現実の自分であるかのように思い込むことで、『強気・傲慢・自信家・攻撃的』などの特徴が出ているだけですから、いったん誇大的な自己像が崩れて虚像化して消えてしまうと『ありのままの自分』では他者・社会の否定的なプレッシャーに対抗することが難しくなってしまうことも多いのです。

自己愛性パーソナリティ障害の人の強気で自信満々な印象の多くは『誇大的自己に基づく虚勢・見せかけ』ですから、そういった自己肯定的でパワフルな態度の背後に『現実の自分と向き合えない臆病さ・自信の無さ』が抑圧されていることも少なくなく、その意味では自己愛性パーソナリティー障害は『ありのままの自分(現実の自己)を愛せない障害』としての側面を持っていると言えるでしょう。

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これらのNPDの特徴を踏まえて、自己愛性パーソナリティー障害はどのような人物や場合に対して精神医学的に診断されるのでしょうか?自己中心的でわがままな性格で周囲にいる人を振り回す、大風呂敷を広げてあれこれ自慢したり、自分を特別な人間のように勘違いしているような言動が多いというだけでは、『自己愛の強い人』であっても『自己愛性パーソナリティー障害の人』とまでは診断できません。

自己愛性パーソナリティー障害と精神医学的に診断されるためには、『本人の主観的な苦しみ・本人の社会的職業的な障害や不利益』『周囲にいる他者に対して危害や迷惑を加える行為・日常生活や対人関係における頻繁なトラブル』がなければならないとされています。日常生活・職業活動で本人や周囲の人たちが苦痛・支障を感じていたり危害・迷惑を蒙っていなければ、自己愛の強そうなパーソナリティー特徴が見られてもまだ『パーソナリティー障害』ではなく『性格・個性の特徴の範囲』と見なされるということです。

特定の人物に対して自己愛性パーソナリティー障害であると精神科医が診断できる時というのは、日常生活や対人関係の中で具体的かつ持続的(頻繁)なトラブルが起きていて、本人や周囲の人たちが苦しんでいたり実際的な支障による不利益(不都合)が生じている時なのです。自己愛性パーソナリティー障害の人は『表面的(外見的)な強さ』『本質的(内面的)な弱さ』を併せ持っていますから、他者からの批判・欠点の指摘に弱い所があります。

他者から批判・否定されるとそれに過剰反応して怒ったり攻撃したりしますが、それでも相手のほうが優位で自分が打ち負かされてしまった時には、『抑うつ・無気力・気分の落ち込み』といったうつ病的な状態に陥る人も出てきます。こういった表面的な強さ・自信・攻撃性が崩れて、誇大妄想で支えていた自己愛が著しく傷つけられた時にも、(本人の主観的な苦痛・症状がでているので)自己愛性パーソナリティー障害の診断を受ける可能性が出てきます。

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ジークムント・フロイトの精神分析とナルシシズム

古代のギリシア神話に登場するナルキッソス(Narcissus)は、卓越した美貌を誇る美青年でしたが、エコー(Echo)というニンフ(妖精)の求愛を無残に断った為、オリンポスの神々の怒りに触れて「死ぬまで、自分自身の美貌に恋焦がれる」という呪いを科されました。

自分以外の誰も愛せなくなったナルキッソス(ナルシス)は、来る日も来る日も、池の水に映る自分の美しい顔や完全なスタイルに見とれて胸を焦がしますが、自分で自分の性的身体を手に入れようとする『フロイト的な自己愛(ナルシシズム)』は決して満足させることが出来ません。食事も喉を通らないほどに自分の美貌に陶酔してしまったナルキッソスは、遂に池の岸辺で力が尽き果てて、その姿を、清楚に咲く一輪の水仙(narcissus)の花へと変えてしまいました。

このように、ナルシシズム(自己愛)ナルシスト(自己陶酔者)の語源は、古代ギリシア神話の美青年ナルキッソスの逸話(エピソード)にありますが、精神医学分野で『自己愛(narcissism, self-love)』という用語を始めて使用したのは分析家のヘイベロック・エリス(Havelock Ellis)だと言われています。精神分析学の始祖であるジークムント・フロイト(S.Freud, 1856-1939)は、性的精神発達理論(リビドー発達論)の見地から、ナルシシズムを『乳幼児期の正常な自己愛』『思春期以降の異常な自己愛』に分けて考えました。

S.フロイトの一次性ナルシシズムと二次性ナルシシズム

“母子一体感に基づく幻想的万能感”が強い男根期(4~5歳)以前の一次性ナルシシズムは、発達過程で生じる必然的なものです。一次性ナルシシズムは、母親と自分とが物理的にも精神的にも異なる人間であることを認める時に生まれる『母子分離不安』を弱めようとする防衛機制の一つですが、母子分離不安を完全に脱却するには児童期(6~12歳)の終結を迎える必要があると考えられています。

対象関係や社会的要因を伴わない一次性ナルシシズムは、自分の性的身体そのものを愛する『自体愛』としての特徴を強くもっています。マーガレット・S・マーラー(1897-1985)の乳幼児期パーソナリティ発達理論では、『分離・個体化期(separation-individuation)』は生後5~36ヶ月(3歳頃)と定義されているので、母子分離不安が高まりやすいこの時期に一次性ナルシシズムが芽生えてきます。

S.フロイトは、正常なリビドー(性的欲動)の充足対象の変遷として『自体愛→自己愛→対象愛の発達ライン』を考えていたので、異性に性的な関心が芽生えてくる思春期以降の二次性ナルシシズム『病的な性倒錯』であると主張しました。思春期や成人期にある男女が、自分の持つ魅力(属性)に自己愛的に陶酔したり、自己の性的身体を自体愛的に欲望するのは、リビドー発達が障害された結果としての性倒錯であり、成人の持つべき生殖能力を失わせる『幼児的な部分性欲への退行』であると言うのです。

フロイトは正常なリビドーの発達過程として『自己愛から対象愛への移行』を仮定し、そのリビドーのベクトルの移行過程を『本能変遷』と呼びました。本能変遷とは、誰かと関係を持ちたいという人間の本性的欲求のベクトルが『自己→自己外部の家族→家族外部の他者(異性)』へと移行していくことを言います。人間は本能変遷によって、『閉ざされた家族関係』から『開かれた社会関係』へと行動範囲を拡大し、人間関係の発展と社会参加(責任の履行)によって心理社会的な自立を達成していくのです。

思春期から成人期にかけて生起する病的な二次性ナルシシズムは、自己の才能に耽溺し、他者の魅力に関心を抱かないだけでなく、自分の能力や実績を賞賛しない他者を排除する不適応行動へとつながっていきます。フロイトは、他者と対等な人間関係を結ぶことができない二次性ナルシシズムの成立を、早期発達段階(心的外傷を受けた年齢)へ幼児的な逆戻りをする退行(regression)固着(fixation)の防衛機制の働きで説明しました。

二次性ナルシシズムは、正常な男女の性愛と心理社会的自立を阻害する発達上の病理であるというのが正統派精神分析の見方であると言えます。二次性ナルシシズムは、自己愛性人格障害の主要原因の一つと考えることもでき、二次性ナルシシズムの原因としては『過保護・過干渉・甘やかし(他者依存を強化するアプローチ)』『無視・拒絶・暴力(自己否定を強化するアプローチ)』という正反対の原因が想定されていますが、どちらも子どもの精神的自立を障害する作用を持つという点では共通しています。

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ハインツ・コフートの自己心理学と自己愛理論

ジークムント・フロイトは、自己愛(ナルシシズム)を病理的な性倒錯の一種であると考えましたが、自己心理学を創始したハインツ・コフート(Heinz Kohut, 1913)は、自己肯定的な自尊心と活動性の原動力となる『自己愛の発達』を正常な精神発達ラインの一つとしました。フロイトは、自他未分離な状態にある『乳幼児期の自体愛(一次性ナルシシズム)』は未熟で無力なものと考え、異性を愛すべき『成人期の自己愛(二次性ナルシシズム)』は病理的な性倒錯であり、生殖活動(性器統裁)と社会適応を抑止するので有害だとしました。

ハインツ・コフートの自己心理学では、乳幼児期の攻撃性や破壊性にまつわるメラニー・クラインの原始的防衛機制(分裂・否認・投影性同一視)やフロイトの死の本能(タナトス)説を否定して、乳幼児の攻撃行動や破壊衝動は、生理学的な欠乏や不満を訴える生の本能(エロス)の現れであるとします。

また、コフートはフロイトが精神の健康性(病理性)に最も大きな影響を与えるとした、男根期のエディプス・コンプレックス(去勢不安・男根羨望・罪悪感)も重視せず、一生涯、母親への愛着の克服に呪縛されるエディプス的な人間観を捨象しました。コフートの自己愛を前提とする人間観は、基本的に肯定的で楽観的なものであり、『健全な自己愛(self-love)』の成長を促進することで、他者を共感的に思いやる対象愛(object-love)も発達し、社会活動に積極的に参加しようとする適応性も高まるというものです。

H.コフートの自己愛とは、『自己存在の積極的な肯定』であり『理想化と関係する自尊心(自信)の基盤』ですが、コフートの自己心理学には『自己愛と対象愛は表裏一体である(自己愛がなければ他者を愛せない)』という信念があります。フロイトにとって、自己愛は『自己愛から対象愛への正常な移行(本能変遷)』を成し遂げられなかった病理的状態ですが、コフートにとっての自己愛は『誰もが持つべき自己肯定感(自尊心)の基盤』であり、苛酷な人生を乗り切る為に必要な“生のエネルギー”の源泉でした。

コフートとフロイトの自己愛理論を比較した場合に、現実の対人関係や社会活動で見られる状況や心理をより良く説明しているのはコフートの自己愛理論だと言えます。自己愛を完全に捨て去って自己の外部にある対象(他者)だけに欲求(関心)を注いでいる人間がいないように、人間は他者と向き合ってコミュニケーションする為に、自尊心や自己肯定感情の基盤となる自己愛を必要としています。コフートは自己愛の定義として、『自分自身を愛する自己愛』『自己対象を愛する自己愛』を挙げています。つまり、コフートの言う自己愛とは、自分にとって大切な他者である“自己対象(self-object)”を含むものであり、単純に、内向的かつ排他的な自己愛ではないのです。

意欲的な創造性や適度な自尊心を生み出す『健全な自己愛』に対して、自己愛性人格障害の原因となる『病的な自己愛』というのは、自分自身の権力や幸福、名声、成功のみに固執し、自己顕示欲求と誇大妄想的な自己陶酔を満たす為に、他人を不当に攻撃したり身勝手に利用したりする“過剰な自己愛”です。過剰な自己愛は、『尊大さ・傲慢さ・横柄さ』といった言葉で表現される他者を侮蔑して否定する行動(発言・態度)となって現れます。

実際の自分以上に自分に価値があると妄想的に思い込み、『自分は凡人とは違う特別な人間だから、もっと丁重に敬意を持って扱われるべきだ』といった要求を明示的・暗示的に主張し、『私の実力や魅力、価値を評価できない人間は、物事の価値が分からない無能な人間であり付き合う価値がない(私の実力を高く評価できる人間は、私には及ばないもののなかなか優秀な人間である)』といった排他的かつ独善的な態度を示すこともあります。他者に自分への賞賛と従属、関心を強制して、自分の力を認めない人や自分に従わない人たちを遠ざけることで(お世辞やご追従を言うご機嫌取りを周囲に集めることで)、外部の現実原則から自分を守ろうとします。

自己愛が過剰に強くなることで、自己愛性人格障害や演技性人格障害といった病理的な人格構造が形成されてくると、現実的な自己評価を逸脱する誇大自己の拡大が起こり、その結果として特異的な行動パターンを示してきます。即ち、尊大(横柄)な態度や傲慢な発言が多くなり、自己顕示欲(エゴイズム)を満たす為に他人を利用しようとするのですが、本人は『自分には他人を利用して満足を得る当然の権利と能力がある』と思い込んでいるので反省する素振りも見せません。

自分を批判する者や自分の価値を引き下げる対応をする者は許すことが出来ないので、衝動的に激しく攻撃したり、防衛的に無視して距離を取ろうとしたりします。病的な自己愛の持ち主と一緒に居る相手は、独特な不快感や違和感を味わわされることになり、自己愛性人格障害の人は、一般的にわがままで自己顕示欲が強い人、傲慢不遜で非常識な性格の持ち主といった形で認知されています。

上記したような『病的な自己愛=自己愛性人格障害の原因となる自己愛』もあるものの、自己心理学の自己愛理論では、適切に自己愛の強度と内容を調整できるのであれば、自己愛性人格障害のような人格構造の歪曲の問題は起きないと考えます。『良い自己評価を伴う正常な心理構造』の一部である自己愛や承認欲求(社会的欲求)は誰もが持っているものであり、自己愛そのものが病理的な悪影響をもたらすのではなく、自己愛のバランスの崩れや調節障害が自己愛性人格障害の苦悩や被害を生み出すのです。

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コフートの自己心理学における自己愛理論の学術的な説明も簡単にしておきたいと思いますが、コフートは、人間は誰もが発達早期に受けた心理的な傷つき(欲求充足の欠如)を抱えているという『欠損モデル』を前提にしています。生まれて間もない自他未分離の状態にある乳幼児は、母親・父親からの保護と世話を必要としており、その生存を全面的に自己表象である養育者に依拠しています。発達早期(0~2歳くらい)の乳幼児と母親は、二人の間にある境界線を意識しておらず、『幻想的な母子一体感』に浸った状態にあります。

しかし、実際には母親も不完全な人間ですから、子どもにミルクを与える時間が遅れたり、離れた場所にいて子どもの泣き声が聴こえなかったり、子どもが我がままを言って母親が怒ったりすることがあります。そういった瞬間に幻想的な母子一体感が破られて、乳児は『幼児的な全能感』が通用しない欲求不満を感じ、『欠損モデル(defect model)』でいう心(自己愛)の傷つきや欠損を体験します。こういった欠損の存在は全ての人間にあるものであり、発達早期に欠損を感じた経験が自己の不完全さや欲求不満につながり、理想化や誇大性を求める『自己愛の起源』になっていくのです。

H.コフートは、自己愛の発達を対象愛の発達と同様に『正常な精神発達過程の一つ』と考えましたが、中核自己(nuclear self, 私が私であるという自意識)の自己愛の発達過程には、『誇大自己(grandiose self)』『理想化された親イマーゴ(idealized parent imago)』という二つのラインがあります。欠損モデルに基づく中核自己(自我意識)は、向上心と理想という二つの極(方向性)を持つので双極自己(bipolar self)とも呼ばれますが、誇大自己(grandiose self)は「向上心」の極で発達していき、理想化された親イマーゴ(idealized parent imago)は「理想」の極で発達していきます。

共感的な親(反応性の良い温かい母親)の元で、「誇大自己(grandiose self)」の自己愛の発達に成功すると、現実原則に適応できる成熟した誇大自己(自尊心や向上心の基盤)が成長しますが、非共感的な親(反応性の乏しい冷たい母親)の元で誇大自己ラインの自己愛の発達に失敗すると、幼稚な快楽原則に支配された未成熟な誇大自己(自己顕示欲の強い傲慢さや横柄さ)が強くなってしまいます。発達早期の母子関係を重視したコフートは、非共感的な親が乳児の心的構造の欠損(心的な外傷)を大きくして、乳児の精神内界に自己表象の「断片化(fragmentation)」を引き起こし、自己愛の病理の発症リスクを高めると考えていました。

「理想化された親イマーゴ(idealized parent imago)」では、親という表象(イマーゴ)や自己対象を理想化して同一化しようとします。その為、発達早期の親が非共感的な反応を示して乳児を無視したり拒絶したりすると、乳児は「最適な欲求不満(optimal frustration)」を経験することが出来なくなり、自己対象である親を理想化する契機(チャンス)を失います。「理想化された親イマーゴ」の形成に失敗するということは、心理内面に安定的に存在して自己愛の支えとなる「対象恒常性」の確立に失敗するということと同義ですから、外界に対応する為の心理構造が非常に不安定になります。

共感的な親の元で、「理想化された親イマーゴ」の自己愛の発達に成功すると、自己愛性人格障害の原因となる『不適応な誇大自己』の発達を抑制することが出来ますが、それは、精神内界に安定した「自己対象の恒常性」が確立することで「過剰防衛を行う誇大な自己」を強調する必要性がなくなるからです。子どもは自分に価値があるという実感や自分が評価されているという満足の原初的体験を親子関係の中でしていきますが、そういった共感的な被承認体験が出来ないと、自己愛的な賞賛と評価を必死に求める誇大自己の拡大が見られるようになります。

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子どもに対して完全に無関心だったり拒絶的だったりする“冷たい母親”の元では、「理想化された親イマーゴ」の形成に必然的に失敗するので、理想化の自己対象を見失って衝動的な行動や抑うつ的な反応が目立ってくることになります。親の子どもに対する徹底的な無視や冷たい対応というのは、精神分析的な心因論では、うつ病や統合失調症、ボーダーライン(境界例)、境界性人格障害、自己愛性人格障害、反社会性人格障害などの原因になると考えられていますが、実証的な統計学的研究(疫学的研究)のエビデンスが十分に積み重ねられていないので、「愛情不足の親子関係」だけがそれらの精神疾患(人格障害)の危険因子になるわけではありません。

向上心を伴う『誇大自己(grandiose self)』と理想を構築する『理想化された親イマーゴ(idealized parent imago)』が相互作用することで進む心的構造の形成過程を『変容性内在化(transmuting internalization)』といいます。コフートの自己心理学に基づくと、自己愛性人格障害の人格形成過程とは、変容性内在化(transmuting internalization)の不適切な進行であり、もっと正確に言うならば、自己成熟へと向かう『誇大自己』と『理想化された親イマーゴ』のバランスの取れた統合的発展の失敗であると言うことが出来ます。

誇大自己は、自分自身の鏡像を自己対象とする『鏡面化』の発達過程をたどる最も純粋な自己愛のルーツ(起源)ですが、乳幼児は鏡に写った自分の鏡像を見てナルシシスティックに自己の強力な力や有能性を確信します。露出的で誇大妄想的な誇大自己が強くなりすぎると、自己顕示や支配的野心の抑制を欠いて自己愛性人格障害の原因となっていきます。理想化された親イマーゴは、自分の両親(養育者)を自己対象とする『理想化』の発達過程を形成しますが、発達早期の母子関係に問題があると、「過剰な誇大自己の発達水準」に固着が起こってしまいます。「過剰な誇大自己の発達水準」へと防衛的に退行することで、誇大な自己顕示性と利己主義を特徴とする自己愛性人格障害の行動パターンが生まれてしまうのです。

自己愛性人格障害に見られる傲慢不遜な態度や過度の自己顕示欲を精神分析的に分析すると、『正常な自己イメージと対象恒常性』の形成に失敗した子どもが、不適応な誇大自己の発達地点で発達停止を起こしている状態と言えます。つまり、傲慢な態度や自信過剰な発言は『危険な世界』や『信頼できない他者』に対する防衛機制(過剰防衛)の現れであり、幼児的な全能感を抑制して現実的な野心(理想)を持たせるためには、統合された自己イメージと安定した心理構造の再構築を行う必要があるということです。

ここまでの話をまとめると、自己愛性人格障害を予防する『自己の健全な発達』を実現する為には、『誇大自己の鏡面的自己対象』のプロセスと『理想化された親イマーゴの自己対象の理想化』のプロセスが、共感的に相互作用して、『誇大自己の向上心(野心的願望・自尊心)』を現実的なレベルに調整しなければならないという事です。

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