前頭葉症候群から見たアパシー(意欲減退症候群)

神経心理学による前頭葉症候群の研究

前頭葉の構造とアパシーの発症機序

神経心理学による前頭葉症候群の研究

神経心理学(neuropsychology)とは、脳損傷によって発生する『性格行動パターンの変化』を記述する応用心理学です。CT(Computed Tomography:コンピュータ断層撮影)やMRI(Magnetic Resonance Imaging system:核磁気共鳴画像診断法)、PET(Positron Emission Tomography:ポジトロン断層法)といった高度な画像診断技術を用いて、脳の損傷部位と脳機能との相関を特定していくことで、脳の仕組みをより的確に理解することができます。

ここでは、大脳皮質の前頭葉(前頭前葉)の損傷をメインにして解説しますが、前頭葉は『人間らしい精神機能(行動と欲求の制御)』を司る部位であり、理性的な思考や計画的な行動の遂行、感情の制御などを行っています。人間らしい複雑な思考・学習や精緻な細かい運動などの高次脳機能を司るのが『大脳新皮質』であり、動物的な快・不快の情動や本能的な防衛反応などを司るのが『大脳辺縁系(古皮質)』です。

大脳皮質の前頭葉は交通事故や転落事故、暴力行為などによって損傷を受けることがありますが、前頭葉の脳損傷によって『精神機能・行動パターン・人格特性』にさまざまな変化が起こる可能性があります。神経心理学では多くの頭部損傷(前頭葉損傷)の症例の蓄積によって、どういった精神機能の低下や人格の変化が起こりやすいのかが分かっていますが、前頭葉損傷によって発生する各種の性格行動パターンの変化をまとめて『前頭葉症候群』と呼んでいます。前頭葉(前頭前葉)は広大な領域を包摂しているので、前頭葉の損傷部位の僅かなズレ・違いによって実にさまざまな症状や問題が発生する可能性があります。

前頭葉症候群のもっとも典型的な症状は『意欲・活動性・社会的能力の低下』であり、計算能力や社会的能力の低下によって『金銭管理(財産管理)』ができなくなり、自立的な生活に大きな支障を来たしてしまうこともあります。思考力や判断力が低下することで社会生活に必要な意志決定ができなくなることもありますが、前頭葉症候群では『知能・記憶・学習能力』を測定する心理検査(心理テスト)では異常な数値がでないことも多く、それまでしていた仕事に何とか適応できることも少なくありません。行動的だった人がひきこもりがちになるなど、性格傾向や人格特性にかなりの変化がでることもありますが、仕事や職業への適応性が残っているケースでは前頭葉症候群の発見・診断が遅れることもあります。

前頭葉の構造とアパシーの発症機序

“理性・判断・計画(遂行機能)・記憶・学習”などと関連する前頭葉(前頭前野)は、解剖学的には『背外側前頭前皮質(DLPFC:Dorsolateral Prefrontal Cortex)』『内側前頭前皮質(MPFC:Medial Prefrontal Cortex)』『眼窩前頭皮質(OFC:Orbitofrontal Cortex)』の3つの領域に分類することができます。前頭葉の近くにある前帯状皮質(ACC:Anterior Cingulate Cortex)は、内側前頭皮質の一部と見なされることもあります。前頭葉にもそれぞれの部位によって担当する機能が違うという『機能局在性』が認められ、『背外側前頭前皮質(DLPFC:Dorsolateral Prefrontal Cortex)』は物事を計画的に筋道立てて遂行していく“遂行機能”や短期記憶の“ワーキングメモリー(作業記憶)”などを司っています。

『内側前頭前皮質(MPFC:Medial Prefrontal Cortex)』は物事をやろうとする“意欲・動機づけ”や他者の気持ちや考えを推測する“心の理論(広汎性発達障害で低下する能力)”と関係しています。『眼窩前頭皮質(OFC:Orbitofrontal Cortex)』は適応的な社会行動や意志決定と相関しており、他者(社会)と協調しながら社会生活を送るために必要な機能を担っているのです。しかし、前頭葉の機能局在は厳格に特定されるものではなく、僅かな損傷部位のズレによって異なる症状・問題がでてくるので、損傷部位から具体的な性格行動パターンの変化を予測することは現在の技術レベルでは困難です。

前頭葉症候群では、うつ病(気分障害)にも似た『意欲低下・やる気の低下・興味や喜びの喪失』が見られることがありますが、これらの意欲低下に抑うつ感・悲観的認知が伴っていない場合には、心因性のうつ病と相関しない『前頭葉損傷によるアパシー(意欲減退症候群)』の可能性がでてきます。

前頭葉症候群によるアパシー(apathy)『無為・感情鈍麻・コミュニケーション(対人関係)の回避』を伴っていることが多いのですが、自分の意欲・やる気・活動性が低下していることに対しては“主観的な苦悩・もどかしさ”はほとんど感じていなかったりします。神経心理学的なアパシー(意欲減退症候群)とは、『うつ病的な抑うつ感・気分の落ち込み』が無いにも関わらず、『自発的な行動・社会参加の減少』が著しい状態のことを意味しています。

前頭葉が損傷するとどうして自発的な社会行動やコミュニケーションが減ってくるのかというと、物事を計画的に順序立てて行っていく『背外側前頭前皮質(DLPFC:Dorsolateral Prefrontal Cortex)』の遂行機能が障害されていたり、適応的な社会活動を規定する『眼窩前頭皮質(OFC:Orbitofrontal Cortex)』に損傷があったりするからです。前頭葉症候群のアパシーでは、以下の3つの情報処理過程が障害されているというLevyとDuboisの仮説があります(Levy&Dubois, 2006)。

前頭葉症候群の社会生活を困難にする大きな問題点として、『目的達成のための自発的な行動能力』が障害されるということがありますが、この問題には上記したような前頭葉(前頭前野)の各部位の損傷が関係していると推測されます。アパシーの問題では特に『報酬-罰の感情的記憶』と関係する“眼窩前頭皮質(OFC)”の損傷が推定されると同時に、物事を計画的に順番どおりにこなしていく遂行能力と関係した“背外側前頭前皮質(DLPFC)”の損傷も考えることができます。

Copyright(C) 2009- Es Discovery All Rights Reserved