精神分析学の確立者であるシグムンド・フロイト(S.Freud, 1856-1939)は、性的精神発達論(リビドー発達論)を提起したが、フロイトの発達論は、現実原則の獲得と性的成熟を完成する性器期(genital stage, 12歳以降)で終わっている。その為、思春期のアイデンティティ確立の苦悩や成人期以降の精神発達(人格の成熟)については殆ど触れられておらず、中年期を精神的危機の時代と見るような発想もなかった。
分析心理学(ユング心理学)の創始者であるカール・グスタフ・ユング(C.G.Jung, 1875-1961)は、30代後半以降の中年期を『人生の正午』と呼び、精神の発達過程において重要な意義を持つ時期であると考えた。ユングは心理学史の初期に、『人生の正午』としての中年期の発達段階とその発達課題に着目したが、その背景にはユング自身の中年期の危機的体験があった。
フロイトは、優秀な精神科医であり、ユダヤ民族への偏見を免れることが出来る非ユダヤ人であった新進気鋭のユングを自身の精神分析学の後継者として厚遇していた。しかし、フロイトとユングの師弟は、無意識領域や夢分析に関する理論的対立と個人的な感情のぶつかり合いから、1914年頃に決定的な訣別の時期を迎える事となる。
理論的な対立から生涯の訣別を迎える1914年以前にも、フロイトとユングの間には幾つかの情緒的葛藤や些細な諍いがあった。1909年、フロイトとユングは、クラーク大学学長の心理学者スタンレー・ホールから講演旅行に招かれた。しかし、その旅行中に、フロイトは、ユングらが興味深く交わしていた北ドイツのミイラにまつわる話題に不快感を示し、失神するほどの強いヒステリー発作を起こした。更に、フロイトはユングの見た夢の分析を行う過程で、古色蒼然とした家屋の地下室に横たわる2つの頭蓋骨に、ユングの持つ『無意識的な死の願望』を読み取って不安な落ち着かない感情を抱いたとも言われている。
『リビドーの変遷と象徴』の論文でフロイトのエディプス・コンプレックスを起点に置く性決定論に抵抗したユングは、1914年冬に刊行された『精神分析史』で、フロイトの側近であるアーネスト・ジョーンズやフェレンツィ、アブラハムらから正統派の精神分析にはない逸脱した考え方であるとして厳しく非難され、国際的な精神分析運動から離脱する事となる。
ユングは、人類に共通する普遍的無意識(集合無意識)を前提とした独自の分析心理学を成立させ、夢やファンタジー、想像の世界を能動的に分析するアクティブ・イマジネーションの技法によって『個性化の過程(自己実現)』を促進しようとした。無意識領域に生起するイメージや物語を探索する創造的な心理療法を提唱したユングだが、フロイトと別離して以後の中年期は、精神分析家としてのアイデンティティを喪失し、社会的な対人関係からも孤立して危機的状況に陥った。
フロイトと訣別した孤立無援のユングは、精神病理に対峙する体系的な精神分析理論を失い、国際精神分析協会という所属先を無くし、精神分析医やフロイトの後継者としてのアイデンティティも拡散してしまった。『私は何者であるのか?』『私は何者になることが出来るのか?』という自我同一性(アイデンティティ)が拡散したユングは、どのような目標や生き甲斐を持って生きれば良いのか分からない方向喪失感を体験し『内的な危機』に沈潜していく事になった。
『自分が何者であるのか?自分は何を為すべきなのか?』という自己認識である自我同一性は、社会的役割や責任とも密接に関係していて、周囲の対人関係(家族関係)や日常のコミュニケーションに基づく自己評価に支えられている。ユングは、フロイトの精神分析療法を行う精神科医という社会的役割と精神分析学会での親密な人間関係と専門的な研究活動を喪失した。更に、精神分析運動を世界に拡大していくという人生の方向感覚も曖昧となり、夢やファンタジーとなって表現される集合無意識の内容に耽溺して現実適応能力も減退していったのである。
ユングの人生の方向喪失感による『内的な危機』は、精神病水準の幻覚のイメージをも伴うものであったが、同時に、独自の理論を構築する『創造の病』でもあった。フロイトの一番弟子の精神分析家としてのアイデンティティを喪失したユングは、『創造の病』による内的な危機を克服して、再び自分自身に関する自我同一性を再構築することに成功した。中年期に至るまで積み重ねてきた精神科医としての経験(キャリア)と社会経済的基盤をいったん全て失ったユングは、絶望的な混迷と苦悩を体験したが、過去の価値観や人間関係を新たな学問的探求と臨床的関与で乗り越えてアイデンティティを取り戻した。
中年期の精神的危機を体験したユングは、『人生の正午』である中年期を人生の前半と後半の境界線であると考えた。それ以前の人生の前半期を『外向的適応の精神発達期』と定義し、それ以後の人生の後半期を『内向的適応の精神発達期』としたわけだが、これは現代のライフサイクルと照らし合わせると必ずしも妥当なものではない。人生の後半期においても外部環境へ自己の言動を適応していくことは必要となるし、人生の前半期においても内省的な思考や無意識的な願望のバランスを適応的に考えていく必要がある。自分の外部にある社会や他者への適応と自分の内面の欲求や価値観への配慮とのバランスを取っていけること、失った青年期のアイデンティティを再び新たな中年期のアイデンティティで補っていけることが中年期の発達課題でもある。
19世紀から20世紀初頭の発達心理学が対象としていたのは、乳幼児から大人(成人)に至るまでの心身の発達過程であり、成人期以降の中年期や老年期の発達論研究は余り盛んではなかった。フロイトのリビドー発達論など古典的な発達心理学は、『未熟から成熟・不可能から可能・拙劣から巧緻・不足から充足』といった上昇的な一方向の成長的発達観によって支えられていた。
その為、ライフサイクル論を確立したエリク・エリクソンが、発達課題達成の失敗による『発達的危機』の概念を提唱する以前には、発達過程の退行や停滞の要素は発達論に取り込まれることが殆どなかった。トラウマ的な心理体験や重要な人物・生き甲斐を失う喪失体験による病理的方向への発達については、精神病理学のカテゴリーで取り扱われることが多かった。
しかし、人間の心身の発達過程(身体と精神の変化の過程)は、成人期の到来を持って終結するわけでは勿論ない。成人期以降の中年期(壮年期)や老年期にも、年齢の持つ社会的役割や社会的関係性に基づく発達課題があり、克服困難な発達的危機に襲われて心理臨床的援助を必要とすることもある。
現代の発達心理学では、発達(development)とは、生命の誕生から死の到来まで一生涯の『質的・量的な変化の過程』と定義されており、成人期以降の中年期や老年期の発達変化も研究調査の対象とされている。人間は、一生涯、絶える事なく多種多様な変化をし続けるのだから、子どもから大人になっても発達的危機やパーソナリティの変化が終わるわけではないのである。
30代から50代の中年期を確定的に『危機の時代・決定的な転換期』と定義することは出来ないが、中年期は、体力や気力の減退・結婚と離婚・子どもの成長と自立・夫婦関係の変化・親の老化と介護・男性性や女性性の意識・社会的地位と責任の変化など多くのライフイベントが発生する心理的変容の激しい時期である。また、社会環境や経済情勢の変化が大きい現代社会では、青年期に獲得した社会的アイデンティティを中年期の終焉まで維持することが困難なことも少なくない。
高度経済成長期を支えた日本企業には、終身雇用制や年功序列賃金といった『中年期(中高年世代)の安定と充足』を保障する企業制度があったので、中高年の発達的危機が前面に出てくることは少なかった。しかし、現在では、グローバリズムによる企業間の競争激化や人材活用の為の成果主義の導入、30代以降のフリーターや無職の層の増加によって、中年期の心理的・経済的な安定を保証する社会システムが上手く機能しないケースが多くなっている。
中年期のアイデンティティ・クライシス(アイデンティティの危機)は、青年期に築いた社会/家庭の一員としてのアイデンティティが崩壊した時、あるいは、青年期にモラトリアムが遷延して職業選択(社会参加)ができずアイデンティティ拡散(精神的・経済的な自立の挫折)が長期化した場合に発生してくる。『私はこの世界において何者であるのか?』という切実で深刻なアイデンティティの疑問に対して、社会的・家庭的・対人的・実存的な根拠をもとにアイデンティティを確立できない時にアイデンティティ・クライシスの問題が立ち上がってくるのである。
1970年代、レヴィンソン(Levinson)らの実証主義的な発達心理学研究では、中年期の心理的苦悩にまつわる二項対立的な葛藤(力動)の図式を取り出しているが、その葛藤感情や自己認識の対立図式とは以下のようなものである。
心身の変調や環境の変化、重大なライフイベントの発生が多い中年期の発達過程では、それまでに築き上げてきた家族アイデンティティや社会的アイデンティティが崩壊して、アイデンティティ拡散の精神的危機を迎えることがある。エリクソンのライフサイクル理論では、アイデンティティ確立が青年期の発達段階固有の発達課題として定義され、青年期の心理臨床的問題としてモラトリアム(職業選択や進路決断の猶予期間)遷延やアイデンティティ拡散が言及されていた。
しかし、中年期にも、失業・解雇(リストラ)・降格による経済的損失と自尊心低下、離婚や不倫による家族関係の破綻、心身の病気による健康の喪失、男性性・女性性に関する自信の低下、子どもの経済的自立による空虚感や孤独感を感じ抑うつ的になる空の巣症候群など、精神的な危機をもたらすライフイベントが多く存在している。
それまで築き上げてきたアイデンティティが拡散して、『生きる意味や価値』を見失い人生の方向感覚を喪失してしまう『内的な危機』が中年期の発達段階では起こりやすいのである。特に、人生の柔軟な軌道修正や適応的な価値観の転換が上手くできない中年期の人が、失業・離婚・深刻な病気・子どもの自立・会社や家庭での役割減少を経験すると、急激な抑うつ状態や倦怠感、無力感を感じて社会的不適応の状態にはまり込んでしまうことが少なくない。
マースィア(J.E.Marcia)が定義したアイデンティティ・ステイタスでは、社会的役割や所属関係(家族・恋人・企業)を喪失して感じる危機感(クライシス, crisis)によってアイデンティティ確立を志向する探索行動が起こる。その試行錯誤を伴う探索行動が具体的な『役割・帰属の獲得』や『アイデンティティの確立』に向かう時に、自己参画行動としてのコミットメント(committment)が起こってくるのである。中年期では、社会的条件(採用年齢の上限や年齢相応の待遇、世間の偏見や世論の圧力など)や能力的限界、心身機能の衰えを自覚することによって、アイデンティティを再構築しようとする具体的なコミットメントのアイデンティティ・ステイタスが起こり難くなってくるという問題がある。
中年期において一度喪失してしまったアイデンティティを取り戻そうとする時、あるいは、青年期においてモラトリアム(社会的責任遂行の猶予期間)が遷延して中年期においてもアイデンティティ拡散が続いている時には、自己アイデンティティ再体制化のコミットメントが必要となってくる。アイデンティティ体制化の過程を一般モデル化すると以下のようになる。
1.心身感覚・社会的役割の変化を意識化して自覚化する過程。アイデンティティ再構築を志向するクライシス(危機)の生起。
体力・気力・バイタリティの衰えの認知。生活習慣病・不定愁訴・更年期障害・中年期(更年期)うつ病・仮面うつ病など心身の異常の発見。
2.中年期以前の人生のライフレビューとアイデンティティ立て直しへの探索行動の開始。
中年期を『人生の正午』と見た場合の自分の前半生の回顧と反省。前半生の価値や感動の問い直しと、後半生に向けた人生の指針や目標の立て直しと探索行動。
3.現実的な人生の軌道修正と価値観・人生観の適応的転換に向けたコミットメント(実際的行動)
後半生の生活状況や職場環境、人間関係に適応する為の人生の価値観や人間観の柔軟な軌道修正。アイデンティティの拡散や混乱に陥った場合には、生活環境への再適応と認知の再体制化に向けた積極的コミットメントを行う。
4.アイデンティティ再確立と心身適応の再体制化。
中年期後半から老年期を楽しく活動的に生きる為の新たなアイデンティティの再獲得。自己安定感を増大させ、人生の肯定感と充実感を高める認知機能の再体制化。
中年期の内的な危機やアイデンティティ拡散、方向感覚の喪失についてここまで説明してきたが、中年期の発達課題についてまとめると『生活環境・対人関係(家族関係)・社会的役割・経済的状況の急激な変化に適切に対応できるアイデンティティの再確立と認知の再体制化』という事が出来るだろう。つまり、青年期に確立したアイデンティティは生涯にわたって継続するものではないということを自覚して、心身共に変化に対応できるタフネスと柔軟性を身につけることである。
自然に進行する加齢現象と共に心身の状態や生活の状況、社会での役割が変化してくる以上、青年期から築き上げてきたアイデンティティは必然的に危機に晒される事になりやすい。しかし、中年期までに、個々人が社会経験や学習活動を通して蓄積してきた生きる為の知恵と経験、対人スキル、社会的な人脈(人的ネットワーク)は膨大なものである。それらの後天的な資源と技術を臨機応変に駆使して楽しみながら自分の人生の変化にコミット(関与)することによって、より少ない精神的負担と身体的損耗で、中年期の危機を乗り越えることが出来るのではないかと思う。
中年期は、精神的な停滞や人生の閉塞を予感する諦めの発達段階では決してない。長いようで短い一炊の夢のような人生の過程を統合して生の余韻を味わえるような健やかな老齢期に向けた更なる成熟と発達の時期として中年期を送りたいものである。自分の外的・内的変化を恐れるのではなく、その時間的変化を自分の人生の必然的な一部として受容すること、新たなる価値創造や状況展開のチャンスとして認知することが『中年期の精神的危機』を回避する為に重要である。自己の人生を絶えず問い直し、新たなる成長や幸福の可能性を発見して、より創造的で適応的なアイデンティティを再構築していくこと、これが老齢期へと続く中年期の発達課題となるのではないだろうか。