ジャン・ピアジェの思考発達論とアンリ・ワロンの関係論的視点

ジャン・ピアジェの思考発達論と知能優位・個人主義の発達観

ピアジェ―ワロン論争

ジャン・ピアジェの思考発達論と知能優位・個人主義の発達観

スイスの心理学者ジャン・ピアジェ(Jean Piaget, 1896-1980)は、人間の思考(認知)の発達段階を観察することで、知的な思考能力(認知能力)を中心とした人間の発達観を確立しました。J.ピアジェの思考発達論では、『シェマ(schema,スキーマ)』という知的枠組みを想定して、『人間の思考・知能』が外部世界を認識したり操作したりする方法の枠組み(シェマ)が段階的に発達していくと考えました。

J.ピアジェの『個体主義的な発達観』の特徴は、誰もが持っている思考・認知能力の生得的な遺伝要因が段階的に出現してくるというもので、『知能』に裏付けられた思考(認知)に発達上の『特権的な役割・重要性』を与えています。特別な器質的障害や発達の遅滞が無い限りは、以下のように『感覚運動期→前操作期→具体的操作期→形式的操作期』という発達段階で思考が発達していきますが、J・ピアジェの発達論は『個人主義的・知能至上主義的』な色彩が濃くなっています。

感覚運動期(sensory-moter period, 0~2歳)……心の内面に心的イメージである“表象”を作り上げる能力のない未熟な段階で、五感の感覚情報とそれに対する反射行動(運動)が結びついている。自分と他人を区別する能力も発達しておらず、自他未分離な『自己中心性』を持っており、その後の発達段階において『脱中心化』という自己と他者の識別能力の獲得が発達課題になる。身体感覚と反射行動による生理的な知覚がメインになっていて、外部の事物や出来事を内面化できない。『内面心理のイメージ・心像・概念』を利用した認識をするための準備段階でもある。

前操作期(preoperational period, 2-7歳)……心の内面に心的イメージ(心像)である“表象”を作り上げることができるようになるが、その表象を論理的・一般的な思考の道具として使いこなすことはできない。『表象形成能力』により、実際に目の前にはない対象を記憶したり関係性を意識したり、言語的な表現を行ったりするようになるが、自他未分離な自己中心性を脱しきれていない段階である。表象・概念の操作をすることはできないので『前操作期』と呼ばれるが、表象の社会的イメージの記憶・同一化の心理機制を活用して『ごっこ遊び(ままごと・お医者さんごっこ・買い物ごっこ)』ができるようになる。事物や状況に即応した心理機能の発達が起こってくるが、内面操作はシンボル(イメージ)の再現や真似ごとに限定されており、その後の『操作期』において一般性・論理性を有するシェマ(認知的枠組み)が形成されてくる。

具体的操作期(concrete operational period, 7-12歳)……表象を具体的な事物・状況を利用しながら操作できるようになる発達段階であり、『数・量の保存概念』を理解できるようになったり『自己中心性の離脱(自他の分化・相互作用)』が起こってきたりする。物事を考えたり、考えることをやめたりといった『思考の可逆性』も生まれてくる。心像や記憶、イメージなどの表象を操作することで思考内容が高度になってくるが、外部の事物の助けを借りずに『頭の中だけで行う論理的(数理的)あるいは抽象的な思考』は十分に発達しておらず、複雑な抽象思考や概念の操作を行うことは難しい。

形式的操作期(formal operational period, 12歳以降)……“表象・概念・記憶”を自由かつ論理的に操作することが可能になる発達段階で、他者と共通理解可能な形式的操作と抽象的・論理的な思考の操作によって『科学的思考(仮説演繹思考)』ができるようになる。J.ピアジェの発生構造論で仮定される人間の思考・知能の到達地点であり、目の前に存在しない抽象的な概念や観念的なイメージを、論理的かつ一般的な方法で操作してコミュニケーションすることが可能になる。科学的思考方法がどこまで獲得できるかには個人差もあるが、『仮説を立てて、それを現実の出来事や結果に当てはめて検証する』という仮説演繹法と『現実の個別の出来事を経験しながら、そこに共通する特徴を抽出して法則性を発見する』という帰納推測法とがある。

ピアジェ―ワロン論争

J.ピアジェの思考発達論及び発達観の特徴は上記したように『個人主義・知能優位』にあり、そこには現実的でダイナミックな『他者・社会との相互作用の観点』が乏しいという問題もあります。J.ピアジェはM.フーコーF.ソシュールと並ぶ構造主義者に分類されますが、それはJ.ピアジェが全ての人に共通する普遍的かつ必然的な発達構造としての『思考・認知のシェマ(枠組み)』を想定して発達理論を考えたからです。

一般的な教育環境を与えられると、人間は必然的に『数概念・空間概念・時間概念・主体と客体の認識機能』などの認識構造(思考のシェマ)を獲得できるというのがJ.ピアジェの人間観ですが、これは個人の内在的な知能・思考が発達するという『個人主義的な発達観』をも同時に意味しています。この個人主義的なピアジェの発達観に対して、人間の精神発達の『社会的・対人的・歴史的な相互作用』を強調し、パーソナリティとしての全体的・社会的な発達を論じたのがフランスの精神科医アンリ・ワロン(Henri Wallon, 1879-1962)でした。

J.ピアジェの発達観は『認識論的な個体主義』と呼ばれるように、個人としての知能・思考のシェマ(スキーマ)の必然的な発達に依拠していますが、H.ワロンの発達観は『関係論的なホーリズム(全体性)』を重視しており、個人と環境・他者を切り離さずに相互作用によってパーソナリティ全体の一進一退の発達を説明しようとします。このピアジェとワロンの人間観及び発達観を巡る論争を『ピアジェ―ワロン論争』と呼びますが、この論争でより科学的かつ説得的な視点を提示しているのは、ホーリズム(全体論)の立場からパーソナリティ全体の個別的変化を説いたワロンでしょう。

J.ピアジェの思考(認知)発達論は、知能・思考の段階的かつ必然的な発達プロセスを分かりやすく説明していますが、ピアジェは人間性・精神活動の中心を『知能・思考のシェマ』という部分に求めており、これは要素還元主義によって人間性の全体が短絡化されやすいという問題を含んでいます。H.ワロンは『身体性・自我意識・社会環境(他者性)』を分離することは不可能であるとし、精神発達もそれらの相互作用の不断の影響を受けることになると説きましたが、ワロンのほうがパーソナリティを構成する要素の全体性(知能のみを優位に置かない人間性・全体性)を的確に把握していたように思います。

『ピアジェ―ワロン論争』は、個人要因と他者・環境要因の相互作用を重視する結論に落ち着くという意味では、発達心理学で長年にわたって論争が続いていた『生得説―環境説(経験説)論争』とも重なる部分が多くあります。『生得説(遺伝説)―環境説(経験説)論争』は、『氏か育ちか論争』と呼ばれることもありますが、真理の単一的(静態的)な実在主義に基づいて『人間の発達を規定するのは遺伝か環境か』という論争が行われた事例を指します。

生得的な遺伝要因によって人間の発達・能力が規定されるというのが『生得説・遺伝説』ですが、この立場を取ると生物学的な研究方法が中心になり、『静態的(スタティック)な遺伝子情報』を解明すれば発達の結果を予測できるということになります。近代的科学主義の影響もあって、長らくこの生得説・遺伝説が優位な立場にありましたが、現在では遺伝要因と環境要因(経験・学習要因)が相互作用することによってダイナミック(動態的)な発達プロセスが進んでいくという『相互作用説』が主流になっています。しかし、今でも人間の発達や精神状態(精神病理)に関係する『静態的な要因・構造』を明らかにしようとする生物学的・医学的研究は盛んに行われており、臨床医学・薬理生理学などでは一定以上の成果を上げ続けています。

そのため、研究の方法論や基本思想として『生得説』を採用するか『環境説(経験説)』を採用するかは、その研究の目的や研究者の興味関心(専門性)に依拠することになります。発達心理学の分野に限定していえば、『発達プロセスのダイナミクス(動態)』を研究調査するという前提があることから、どちらかといえば環境・学習などの経験要因を重視する『経験説・環境説』の立場に立っていると言えるでしょう。

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