J.ケーガンの生理的反応を用いた気質研究

J.ケーガンの行動的抑制の気質研究

子どもの先天的な気質と後天的な性格

発達心理学のコンテンツ

J.ケーガンの行動的抑制の気質研究

気質の測定方法には観察法や質問紙法などさまざまな方法があるが、アメリカの発達心理学者J.ケーガン(J.Kagan)はその中でも最も科学的な客観性・中立性が高い方法とされる『生物学的指標(生理的反応)を用いる方法』を採用して、子どもの気質を縦断的(追跡的)に研究した。自律神経系の反応や生体ホルモンの分泌といった生物学的指標を用いる方法であれば、『観察できない内的状態・情動やストレス状態の変化』を合理的に推測することが可能であり、気質を規定している生物学的な基本条件をも認識・確認することができるからである。

J.ケーガンは、新規な状況や人物、物事に対する適応性(馴染みやすさ)と関係する気質特徴である『行動的抑制・非行動的抑制』に注目した。『行動的抑制』というのは、新しい環境や人物、事物に遭遇すると行動を控えて回避的に振る舞う傾向がある気質特徴であり、一般的には『内気・慎重・内向的・非社交的(人見知り)・臆病(怖がり)』といった表現が為されることが多い。『行動的抑制』の気質を持つ子どもは、幼児期には見知らぬ人物や新しい環境に強い不安感(恐怖感)を感じて回避することが多い。児童期には冒険心や行動力に極端に欠けていたり、危険な状況には絶対に参加しなかったり、親の言うことには絶対逆らわなかったりといった行動傾向が見られる。

『非行動的抑制』とは、新しい環境や人物、事物に遭遇すると好奇心を刺激されて生き生きと振る舞う傾向がある気質特徴であり、一般的には『活動的・社交的・大胆・チャレンジ精神が強い・好奇心旺盛』といった表現が為される。『非行動的抑制』の気質を持つ子どもは、幼児期には人見知りせずにいろいろな他者に話しかけたり新たな環境を経験することを好んだりすることが多い。児童期には先生・親の言うことを聞かずに危険な行為に敢えてチャレンジしたり、知らない遠くの場所に行こうとしたり、やった事のない新しい経験をしようとしたりといった積極的な行動傾向が見られる。

J.ケーガンらは1歳9ヶ月(乳児)から7歳6ヶ月(児童)に至るまで、米国の白人の子どもを縦断的(追跡的)に調査して、見知らぬ人と接したり初めての場所で行動したりといったさまざまなシチュエーション(新規な状況・相手との遭遇場面)で子ども達の行動を観察して、行動的抑制が見られるかどうかを確認した。更に、新規な状況・相手と遭遇した時の行動傾向を観察するだけではなく、その時の『心拍数の変化・瞳孔拡張の程度・唾液中のコルチゾール分泌量・筋緊張の程度』といった生物学的指標(生理的反応)を測定して記録していった。

つまり、新しい環境や見知らぬ相手に対して、不安感・緊張感・恐怖感を感じやすい『行動的抑制』が起こっていれば、『心拍数が増加する・瞳孔が拡張する・コルチゾール分泌量が増加する・筋肉が緊張する』といった生理的変化が見られるという合理的・科学的な予測ができるのである。そして、実際に行動的抑制の気質特徴が確認された子ども達には、上記したような交感神経が興奮して、抗ストレスホルモン(=コルチゾール)の分泌が活発化するという生理的反応が見られたのである。極端に“行動的抑制(新規さへの回避傾向)”が強い子どもと極端に“非行動的抑制(新規さへの接近傾向)”が強い子どもとの間には、『生理的反応のレベル』で明らかな差が確認されたのである。この事は、乳幼児期の気質特徴に、『生物学的な基本条件あるいは基礎的な部分』が存在している事を示している。

子どもの先天的な気質と後天的な性格

J.ケーガン(J.Kagan)のアメリカの子ども達を対象にした気質研究では、1歳9ヶ月から7歳6ヶ月まで縦断研究が行われたが、初期に行動的抑制の気質特徴を持つ子どもは全体の“約15~20%”、非行動的抑制の特徴を持つ子どもは全体の“約30~35%”であった。しかし、この生得的な気質特徴と思われる行動的抑制あるいは非行動的抑制はずっとその後もそのままの傾向が続くわけではなく、J.Kaganの縦断的な追跡調査では7歳半になると約25%の子ども達が、初期の行動的抑制(控えめ・慎重・臆病)の傾向を持たなくなっていたのである。約4人に1人の子どもが、乳幼児期から児童期に至るまでの時間の経過の中で、初期にあった行動的抑制の気質特徴を変化させていた事から、気質(temperament)にも『経験的(後天的)な可塑性・可変性』があることが分かった。

J.ケーガンは乳幼児期には見られていた『行動的抑制の気質特徴』が長く持続しなかった原因について、『内向性・臆病(弱気)・慎重・非社交性』をネガティブな態度であり好ましくないものとするアメリカの社会的価値観や、その価値観に従った教育(しつけ)をしようとする親の育て方の影響ではないかと考えている。

『非行動的抑制の気質・性格』をポジティブであり好ましいものとするアメリカの価値観を受け入れた親たちは、子どもに対して『もっと積極的に振る舞いなさい・もっとしっかり自己主張をしなさい・人と関わりを持って社交的になりなさい・新しい物事や環境にチャレンジしなさい』といった方向性の教育をしやすく、その教育や言動の影響によって子どもの行動的抑制が段階的に修正されていくというのである。

A.トマスらの研究(Thomas et al., 1963)では生後数ヶ月の乳児の段階から気質特徴の個人差が見られることが指摘されており、J.ケーガンの生物学的指標(生理的反応)を用いた研究でも、1歳9ヶ月という幼児の段階からさまざまな新しいシチュエーションに対する生理的反応の違いが見られることが明らかにされている。生まれて間もない生後数ヶ月~1歳9ヶ月の時期には、『後天的な学習・経験的な要因』は気質や性格に殆ど大きな影響を与えることができないと合理的に推測される。その事から、J.ケーガンが確認した『新規な状況・人物に対する乳児の生理的反応』というのは、生得的で遺伝的な反応であると解釈することができ、この生得的で遺伝的な行動・感情表現のパターンがそのまま『気質(temperament)の特徴』になっているのである。

J.ケーガンの気質に関する縦断研究の価値は、1歳9ヶ月~3、4歳の頃には見られていた行動的抑制の気質特徴(それを裏付ける生理学的反応)が、その後の『文化的・教育的・社会的な環境要因』の影響によって見られなくなる事があるのを証明した事にある。性格の基盤にある『気質』は、生得的な遺伝要因によって規定される割合が大きく、従来は生まれながらの気質は後天的に変化しないものと考えられていた。しかし、J.ケーガンの生理学的反応を用いた気質の縦断研究によって、『行動的抑制(慎重・臆病・内向性)の気質特徴』も親の教育や養育態度、社会の文化的な価値観などの後天的要因(経験的要因)の影響を受けている事が明らかにされたのである。

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