交流分析のゲームの分類とゲーム分析

交流分析のゲームとは何か?

交流分析の創始者であるエリック・バーンは、こじれた人間関係やパターン化された対人トラブルを引き起こす自滅的なコミュニケーションのことを『ゲーム(game)』と定義した。交流分析におけるゲームとは、相手を自分の都合の良いように操作したり利用しようとしたりすることで始まるコミュニケーションであり、その最後はドラマチック(感情的)だが紋切り型の不幸な結末となる。

ゲーム分析では幼少期から継続している『悪循環に陥った対人関係のパターン』を分析していくが、後味の悪い不快な感情を経験するゲームを繰り返すようになった原因には、幼少期の親からのストローク剥奪(長期の孤立感・抑うつ感)が関係していることが多い。過去に激しい対立や喧嘩(言い争い)といったトラブルを起こした人は、同じような相手・状況で同種のトラブルを起こすことが多いが、この『パターン化した対人関係』にはゲームの仕掛けが影響しているのである。

人間がゲームをする目的は何なのかという疑問があるが、これは過去のトラウマや自己否定的な認知によって『陽性のストローク』を受け取りにくくなっている人が、相手を悪循環のコミュニケーションに引き入れることで『陰性のストローク』を手に入れることにある。エリック・バーンは、対人関係のトラブルや不快な感情体験が繰り返される『ゲームの交流パターン』は、以下のような公式に従って展開していくと考えた。

仕掛け人+弱者(カモに見える者)→反応→入れ替え→混乱→結末

仕掛け人によってゲームのカモにされやすい人というのは、攻撃的な嫌味や挑発に反応しやすいCP(批判的な親)の強い人、苦しみや悩みに対して同情して助けてくれやすいNP(擁護的な親)の強い人、愛情不足によって拗ねたりいじけたりしやすいAC(従順な子ども)の強い人であるが、『エゴグラム』における自我状態のバランスが崩れている人がカモとして狙われやすい。

ゲーム分析におけるゲームの分類

交流分析における主要な『ゲーム』には、以下のような種類のゲームが想定されている。

はい、でも……相手に対して指示・援助を求めつつも、相手がアドバイスや助言をしてくると、『はい、でも』という反対意見や不同意を述べるゲーム。相手がどんな意見や提案を出しても、それに従わない反論や言い訳をしてくるので、相手はうんざりしたり無力感にとらわれたり感情的に怒ってしまったりする。

キック・ミー(私を嫌ってくれ)……挑発的な言動をして、相手の拒絶や嫌悪、怒りを無意識的に誘発するゲームで、『私はOKでない・他者はOKである(自己否定・他者肯定)』の基本的な構えを確認しようとしている。自分に対する自信や肯定感がないので、『自分が拒絶されて処罰されるべき人間』であることを自己証明するかのように、他者に対して挑発的な発言をしたり、他者から否定されるような行動を取ったりしてしまうのである。

仲間割れ……複数の他人に矛盾した情報を与えたり、仲違いするような悪口を伝達することで、それらの他人を対立させ喧嘩させようとするゲーム。自分以外の複数の他者の間に仲間割れ(喧嘩・対立・嫌悪)を引き起こすことで、『自己肯定・他者否定』の基本的な構えを確認しようとしているのである。他人同士の仲が悪くなるような情報や悪口を吹き込んだり、誰かの悪口を言っている人の嫌悪感を煽り立てるような告げ口をしたりするのが『仲間割れ』のゲームであり、このゲームを仕掛ける人は他人が醜く争い合う姿を見て『人間関係や友情には大した価値がない』という自らのネガティブな信念を補強しようとしている。

あなたのせい……自分の行動やミスに対する責任を取らずに、何か問題が起こったり上手くいかないことがあると、それらを全て他人や環境のせいにしてしまうゲームである。『あなたのせい』のゲームの特徴は、自分の行動・選択に対して無責任な対応をする『責任転嫁(責任回避)』と、自分のミスや短所を棚に挙げて他人を厳しく非難する『他罰主義』にある。無責任な言動や他罰的な振る舞いによって、最終的には他人に嫌われることが多くなり孤立しやすくなる。

大騒ぎ(ひどいもんだ)……自分の不幸や苦痛を『こんなにひどい状況だ』と大袈裟にアピールすることで、他人の同情や関心を集めようとするゲームである。自分の不幸や苦痛を派手に嘆いて悲しみながらも、それらの問題状況を具体的に解決する行動は取らずに、『自分がどれだけ酷い状況にあるか』を訴えて大騒ぎすることになる。病気の症状や苦しみを利用して『社会的な責任』を逃れたり、自分の不幸や問題を強くアピールすることで『他者の支援・同情』を引き出したりするが、最終的には『大袈裟な人・狼少年』といった認知を持たれて誰からも相手にされなくなることも多い。

決裂……他人と激しく口論や争いをした後に、説得・相互理解の可能性を諦めて、『決裂のポーズ』を取って相手を無視するというゲームである。お互いに『自分はOKでない・相手もOKではない(自他否定)』の基本的な構えを確認するために行うゲームであり、相手との個人的な親密な関係に入ることへの恐怖感が影響していることも多い。決裂のゲームは、相手を過小評価して批判したり、相手の人格を揶揄したりすることによって始められることが多いが、『決裂と関係の修復』を延々と繰り返すケースも見られる。

粗探し……どうでもいいような相手の些細なミスや失敗、欠点を探し出して非難しようとするゲーム。上司の部下に対する陰湿ないじめ、姑の嫁の家事のやり方に対する細々とした非難、先輩の後輩に対するしごき、不満の多い客の店へのクレームなどで、『粗探し』のゲームが繰り返されることが多い。『粗探し』は、『他人はOKではない』という他者否定の構えを確認することで、自分を肯定しようとする動機づけによって行われるゲームである。

苦労性……無理をして過大な責任を背負い込んだり、複数の役割や仕事を引き受けたりすることで、自分を追い込みいつも疲労困憊してしまうというゲームである。幼少期の要求水準(期待度)の高い親子関係によって形成された『完全主義・強迫観念』が影響しているゲームだが、自分の能力・体力の限界を考えずにあれもこれも完璧にやろうとした挙句、心身の疲労が蓄積して倒れてしまうことも多い。物事に熱中し過ぎる凝り性の人に多いが、自分の体力の限界に配慮しないため、結局、生産的な結果を出せずに終わってしまうことも多い。

あなたのため……治療熱心な医師と医師の無能さを証明したがっている患者との間で起こりやすいゲームが『あなたのため』である。医師は『あなたのため(患者のため)』という大義名分を持って患者の疾患を治すために様々な検査・治療・投薬を行うが、患者は『効果が見られない』という抵抗を示して、それで自信が揺らいだ医師がますます『あなたのため』ということで無意味な治療法や検査を追加し続ける悪循環を示す。

精神療法……『あなたのため』にと類似したゲームであり、医師が『自分の臨床家としての有能性』を証明しようとし、患者が『医師の無能さ・役に立たないこと』を証明しようとして、お互いを否定しようとする悪循環にはまり込んでいく。精神療法のゲームをしている人は、自分の病気を治せないという挫折感を医師・看護師に与えるためにドクターショッピングをしていたりするが、そのゲームの根底にある心理は『親に対する怒り・不満・復讐心』であると考えられている。

Copyright(C) 2014- Es Discovery All Rights Reserved