日本の経済格差と財の再分配の問題:格差社会の考察

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日本の所得格差の拡大と格差社会の意識化

株価・地価が高騰するバブル景気に日本国中が沸いた1990年代初めまでは、『日本は貧富の格差が少ない平等な社会』と信じられていました。アメリカの経済学者が、『日本は世界で最も成功した社会主義国だ』という皮肉をつぶやかざるを得ないほどに、『日本の中流階層』を形成する一般労働者の層は分厚かったのです。少なくとも1980年代までに限れば、日本は世界の先進国の中でも最も経済格差の小さな国であり、ホワイトカラーとブルーカラーを合わせた国民の大部分が『中流階層としてのアイデンティティ』を持っている国でした。正に『結果の平等』に近い形で一億総中流社会がつくられていたわけですが、『分厚い中流層の存在』を可能にしたのは日本の高度経済成長と終身雇用・年功序列賃金といった日本の雇用慣行でした。

しかし、1991年のバブル崩壊の頃から日本国民の中流階層は緩やかに崩壊し始め、かつてのような横並びの所得水準(賃金体系)に支えられた中流社会を実現できる良好な経済環境も失われていきました。企業の業績が急激に落ち込んだ1990年代に、高校・大学を卒業して新卒の労働市場に臨んだ世代は『氷河期世代(ロスト・ジェネレーション)』と呼ばれ、低賃金の非正規雇用者層の割合が多くなっています。2007年9月の現時点において、ワーキングプア(働く貧困層)やネットカフェ難民などのキーワードに象徴される『生活が苦しい低所得者層の増大』が問題となっていますが、格差社会が始まる遠因となったのが、正規雇用者を減らしてアルバイトやパート・派遣労働者を増やすという企業のコストカット(経費削減)戦略でした。

バブル崩壊後の日本経済の不況期には、大企業・大銀行の経営難や中小企業の倒産増加などがあり、『新卒者の採用枠の縮小』や『財務的なコストカット』など大幅な経営改革をせざるを得ない状況が生まれていましたが、格差社会が進展した最も基本的な要素は『正規雇用者と非正規雇用者の所得格差』にあると言えるでしょう。そして、2007年現在は、バブル崩壊後の平成不況を乗り越えて『戦後最長の好景気』を謳歌していると言われていますが、生活の苦しい非正規雇用者の待遇改善や正社員としての採用は殆ど進んでいません。大企業やメガバンクの業界再編が進み『史上最高額の営業利益』を上げている企業(銀行)も少なくないわけですが、幾ら巨額の利益を上げても、それらの大手企業が『新卒段階で正社員になれなかった人(20代後半~30代)』を再度雇用しようという動きもありません。

一度、新卒で入社したら定年するまで生活所得の保障を与えるという『終身雇用制・年功序列賃金の雇用慣行』が崩壊しつつある中でも、大企業・官公庁における『新卒者至上主義』は変化しておらず、就職氷河期などで就職の機会を逃した若者たち(フリーター・派遣労働者・一時的な無職者)はまともな給与の貰える職業に就くことが難しくなっています。まともな給与というのは、結婚して家族を養いある程度の文化的娯楽を楽しめる程度の給与であり“年収300万円以上”程度を想定していますが、バイトなど非正規雇用ではボーナス無しで月収が20万円もあればいいほうで、年収100万円以下という人も少なくないでしょう。大企業における新卒者至上主義というのは、大学の新卒者でないと新規採用しないという伝統的な考え方であり、中途採用市場においても新卒入社者が圧倒的に有利な待遇を受ける雇用制度となっています。

つまり、現在の日本では、よほど特別な才能や有力な資格を持っていない限り、新卒市場から漏れ出た若者が『正規の職業キャリア』に戻れないような労働市場が形成されているという問題があるわけです。一流大学を卒業していたり有力な資格を取得していても『正社員としての履歴書の空白』があれば大手企業への就職はかなり難しくなりますし、学歴の付加価値の無い高卒者・大卒者ではそれほど労働条件の良くない中小企業への就職も難しいことがあります。日本はかつて受験競争の厳しい『学歴社会』であるというイメージを持たれていましたが、実質的には、新卒採用者以外が正規のキャリアパスを得ることが難しい『新卒優遇社会』であると言えます。

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日本の雇用市場や企業文化は『高度な学歴のプレミアム』さえあれば採用や昇進が有利になるという意味での『学歴社会』ではありませんし、誰もが気軽に参加できる『転職市場・再チャレンジ環境』が成熟していないので、『新卒採用者をメインとした終身雇用制』の風土が多くの企業に残っています。現実的には、学歴の高低よりも『人脈のコネクション』や『新卒採用による職務経験』のほうが企業の採用面接で評価されやすいのです。アメリカやイギリスは成果主義・実力主義の国で『学歴の内容』はあまり関係ないように思われていますが、アメリカやイギリスの転職市場で『キャリアアップにつながる仕事』を見つけるためには、国際的な評価のある学歴やMBA(経営学修士号)が非常に有効なものになっています。世界的なアメリカ資本の大企業では、専門的な学位や高度な資格(MBA)、特定分野の博士号が必須条件になっていることも多く、日本企業よりも学歴によるふるいわけが厳しいという意味で本格的な『学歴社会』であると言えます。

日本の格差社会が深刻化してワーキングプアや非自発的フリーターが増大した背景には、上記した『新卒優遇主義』と1990年代後半に小泉政権下で推進された『新自由主義改革(競争原理に基づく経営効率化と財政再建のための構造改革)』とがあります。小泉純一郎元首相は、『小さな政府』を目指すために郵政民営化を中心とする構造改革(行財政改革)を行い、経済のグローバリゼーションに適応するための規制緩和を進めましたが、その構造改革によって富裕層(経営者・起業家・投資家)に有利な税制や経済環境が生まれました。小泉政権による構造改革には、日本の景気回復(経済成長)と規制緩和を進めて無駄な財政支出を削減するという『光の側面』もありましたが、『高額所得者(富裕層)の減税』と『社会保障の削減』で所得の再分配効果を弱め、個別的事情を無視した『自己責任の原理』を押し付けて経済格差を拡大するという『負の側面』もありました。

小泉元首相や竹中平蔵元総務相が推進したアメリカ的な新自由主義改革とは、政府はできるだけ市場経済や社会福祉(国民生活)に干渉せず、『市場原理(競争原理)による財の分配』と『金融市場による富の拡大』を信頼して国民の経済生活を運営していこうというものです。新自由主義経済とは『経済の効率性と成長性』を最優先する経済であり、その結果として『経済の平等性と公平性』が侵害されやすくなり、富裕層と中間層の格差が拡大していきます。

政府による財の再分配がほとんど行われず、生産性の高い富裕層や効率的な経営をする企業に富が集中するので、『非正規雇用者と代替可能な中間層』の中から貧困層(ワーキングプア・フリーター・ネットカフェ難民)へと脱落していく人口が増えていきます。小泉改革の進展する中で、一億総中流社会の崩壊を象徴する『勝ち組・負け組』というキーワードが流行し、新興富裕層(ニューリッチ)であるベンチャー企業の経営者が持てはやされ、六本木ヒルズで働くヒルズ族(起業家・投資家・ファンド)に注目が集まった時期もありました。

日本の格差社会では、勝ち組・負け組・ヒルズ族・金融ファンドなどの言葉に象徴される『資産レベルの所得格差(富裕階層への富の偏り)』と正規雇用者・非正規雇用者の間に横たわる『所得レベルの所得格差(雇用形態によるキャッシュフローの偏り)』とが広がりつつあります。更に、グッドウィルやフルキャストなど大手派遣会社による派遣労働者の給与のピンハネ率の問題が指摘され始め、一部では、派遣会社が派遣労働者から徴集した手数料・データ管理料の返還を求める民事訴訟も提訴されています。

日本では、『結果の不平等』に合わせて『機会の不平等』も進行するような負のスパイラル(経済階層の固定化傾向)が生まれつつあり、『格差社会の存在』が一般国民に意識化され始めています。つまり、単純に一生懸命働くだけでは、衣食住が整った最低限の生活を送ることさえ難しい労働環境が一部にあり、『アメリカ的な格差社会への突入・成長最優先のグローバル経済への適応』を危惧する声も出始めているということです。

日本の平等社会神話の崩壊と所得分配(ジニ係数)の不平等化

1990年代以降、構造改革の進む日本社会から急速に経済的平等が失われ、再チャレンジの困難な雇用格差・所得格差の拡大が進んでいますが、『企業の国際競争力を高めて日本経済を成長させなければ、日本全体が衰退してしまう』などとする格差社会を必要悪として容認する立場もあります。経済格差の不利益を余り受けない一部の国民(資産のある高齢者・所得の多い高所得者)の中には、『まだ日本は、先進国の中で最も貧富の格差が少ない平等な国だ』というかつての平等社会神話を信じ続けている人もおり、ワーキングプアやネットカフェ難民、若年ホームレスなどの問題は統計上の誤差として切り捨てても問題がないと考えている人もいます。

また、たとえ大きな経済格差があるとしても、資本主義国では経済格差があるのが当たり前なのだから、『総中流社会だった今までの日本』が非効率的で特殊な状態だっただけだという意見もあります。ある程度裕福な家庭に生まれてそれなりに順調な人生を送ってきた人の中には、『なぜ、格差社会が存在することが問題なのだろう?』という根本的な疑問を抱く人もいるかもしれません。

まず、『日本は、世界の先進国で最も平等な国だ』という平等神話ですが、これは各種の国際的な統計資料のデータやOECD(経済協力開発機構)の統計データによって否定することができ、所得分配の不平等度を測定するジニ係数を見る限り、日本の経済格差は1980年代後半から一貫して拡大し続けています。ジニ係数は、“0”で完全な平等状態(みんなで均等に分配)、“1”で完全な不平等状態(1人が全体の財を独占)を示しますが、日本の再分配後所得のジニ係数は0.314(1972年)から0.381(1999年)へと段階的に上昇を続けており、特に1990年代半ばからジニ係数が大きく上がってきました。経済的な不平等度では、ドイツやフランスと殆ど同じであり、市場原理を最優先するイギリスに並ぶほどのレベルになってきています。このまま新自由主義的な改革路線を継続すれば、貧困層への社会福祉を切り捨てて富裕層が富を寡占してしまうアメリカ型格差社会に近づいていく可能性があります。

ジニ係数の上昇以上に深刻で心配なのは、『日本の貧困率の上昇』『日本の自殺者数の多さ』であり、諸外国と比べた場合に極端に低い『日本人の幸福実感度や社会的成功への意欲』です。経済的な将来不安によって子どもをつくらないというカップルも増えており、大人自身が生きていくことが苦しく人生を楽しめない格差社会の悪化は少子高齢化の進行とも関連しています。

名目的な経済先進国が加盟するOECDが2005年2月に発表した『OECD諸国における所得分配と貧困』のレポートによると、日本の等価可処分所得によるジニ係数(100倍した%表示,2000年)は、日本(31.4%)であり、経済格差の大きいアメリカ(35.7%)、イタリア(34.7%)、ニュージーランド(33.7%)、英国(32.6%)とほぼ同じになっています。ジニ係数が低いのは、高負担・高福祉の福祉国家として知られるスウェーデンやノルウェー、デンマークなどの北欧諸国ですが、日本はいつの間にか、中位水準(27%~30.5%)グループに分類されているフランスやドイツなどのヨーロッパ諸国よりも所得格差の大きな国になっていたのです。

更に深刻なのは『日本の貧困率の高さ』であり、中位者の等価可処分所得の50%以下しかない貧困者が日本には人口比で15.3%もいるのです。確かに、その中の何割かは、所得の高い夫を持つ主婦のパートや余裕のある世帯のアルバイト(非正規雇用)かもしれませんが、日本は最低賃金レベルが極端に低く、企業が簡単に安価な労働力を利用できる『派遣労働市場』が充実していることで、ワーキングプア(働く貧困層)と呼ばれる階層が増大しているという大きな問題があります。

一見して豊かに見える日本の華やかな経済社会の中で、実際には、少なくとも10人に1人が貧困層に分類されるだけの少ない所得しか貰えていないのです。日本の貧困率(15.3%)は、メキシコ(20.3%)、米国(17.1%)、トルコ(15.9%)、アイルランド(15.4%)に次ぐ世界第5位であり、この貧困率の高さは『将来における無年金者(生活保護者)や自殺件数の増大』のリスクにつながっています。更に、経済的理由によって『子どもを産めないカップル』『結婚できない独身者』が増え、未婚化や少子高齢化を推進する要因にもなってきます。

教育水準の低い開発途上国であれば『貧乏の子沢山(子どもは直接的な労働資源)』というような状況も期待できますが、平均して教育水準の高い日本では『子どもを幸せに出来る可能性が低く、高等教育を与えてやれない貧困状態』では、かなりの人が子どもを産むことを断念します。親の教育水準の向上で未来への客観的な想像力が強まり、子どもの教育投資コストが大きくなった社会では、『貧困率の上昇』と『合計特殊出生率の低下』に相関が見られやすくなり、貧困者が増えると社会全体の活力が低下していきます。

現在の日本では、数億円もする高級マンションがすぐに完売して、数千万円もする高級外車が数多く売れ、世界各地の高級ホテルに泊まる豪華な海外旅行に人気が集まるなど『富裕層マーケット』が活況を呈しています。その一方で、一生懸命に働いても生きていくだけが精一杯という貧困層が現れ、政府の再分配政策(社会保障と累進課税)が弱められた日本の格差社会は深刻化の度合いを深めています。

『なぜ、格差社会が存在することが問題なのだろう?』という根本的な問題に対する答えは、『社会治安の悪化・少子高齢化や未婚化の進展・社会保障制度の崩壊・地域社会の衰退』などを考えることができますが、より本質的な問題としては『行き過ぎた結果の不平等が機会の平等を骨抜きにして、固定的な階層社会が生まれてくる』ということがあります。つまり、『親の所得・地位・職業・資産・コネクション』などの要因によって、『子の人生の大まかなプロセス』が規定されてしまうという状態が出てくるわけです。これは今現在でも、親の社会的地位や所得水準が高いほど一流大学(一流企業)に入学(就職)しやすいという問題が指摘されています。所得分配の不平等が拡大すると、『各種ステイタスの世襲化(機会の不平等)』が生まれてしまうというところに格差社会の原理的な問題があり、『機会の平等』と『結果の平等』を完全に切り離して考えることは出来ないのです。

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