『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』や『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。
『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『世界の男、あてなるもいやしきも~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。
参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)
[古文・原文]
世界の男(をのこ)、あて(貴)なるも卑しきも、いかで、このかぐや姫を得てしかな、見てしかなと、音に聞きめでて惑ふ。そのあたりの垣にも、家の門(と)にも、居る人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安き寝(い)も寝ず、闇(やみ)の夜に出でても、穴をくじり、垣間見(かいまみ)、惑ひ合へり。
さる時よりなむ、『よばひ』とは言ひける。
人の物ともせぬ所に惑ひ歩(あり)けれども、何の験(しるし)あるべくも見えず。家の人どもにものをだに言はむとて、言ひかくれども、事ともせず。
あたりを離れぬ公達(きんだち)、夜を明かし日を暮らす、多かり。おろかなる人は、『やうなき歩きはよしなかりけり』とて、来ずなりにけり。
[現代語訳]
世の中の男はみんな、身分が高いものも低いものも、何とかしてこのかぐや姫を手に入れたい、妻にしたいと思い、彼女の噂話を聞いては恋心を募らせていた。翁の家の垣・門からも見えず、屋敷に仕えている人でもその姿を簡単には見ることが出来ないのに、男たちは夜もほとんど眠らずに出歩いて、屋敷の周囲の垣根や門に穴をこじ開け、中を覗き見してはうろうろとしていた。
この時から、このような行動を『よばい(夜這い・求婚)』というようになった。
男たちは人が思いもつかないような場所まで歩いて回っているが、何の効果もない(かぐや姫の姿を見ることはできない)。屋敷の人たちに話しかけてみようとするが、話しかけてみても相手にされない。
屋敷の周りを離れない貴族の若者たちは、そこで夜を明かして昼間もうろつく者が多かった。求婚の意志が弱かった者は、『無意味に歩いて回っただけで何も得るものは無かったな』といって来なくなった。
[古文・原文]
その中に、なほ言ひけるは、色好みと言はるる限り五人、思ひやむ時なく夜昼来ける。その名ども、石作の皇子(いしつくりのみこ)・庫持の皇子(くらもちのみこ)・右大臣阿部御主人(あべのみうし)・大納言大伴御行(おおとものみゆき)・中納言石上麻呂足(いそのかみのまろたり)、この人々なりけり。
世の中に多かる人をだに少しもかたちよしと聞きては、見まほしうする人どもなりければ、かぐや姫を見まほしうて、物も食はず思ひつつ、かの家に行きて、たたずみ歩きけれど、かひあるべくもあらず。文を書きてやれども、返事もせず、わび歌など書きておこすれども、かひなしと思へど、霜月・師走の降りこほり、水無月の照りはたたくにも、障らず来たり。
この人々、ある時は、竹取を呼び出でて、『むすめを我に賜べ(たべ)』と伏し拝み、手をすりのたまへど、『おのがなさぬ子なれば、心にも従はずなむある』と言ひて、月日過ぐす。
かかれば、この人々家に帰りて、ものを思ひ、祈りをし、願を立つ。思ひやむべくもあらず。『さりとも遂に男合はせざらむやは』と思ひて、頼みをかけたり。あながちに心ざしを見え歩く。
[現代語訳]
求婚者の中でも、言い寄り続けたのは、恋愛上手(女性好き)と評される五人の貴公子で、諦めずに夜も昼も屋敷へとやって来た。その五人の名前は、石作の皇子、庫持の皇子、右大臣阿部御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂足といった人たちである。
彼らは世の中に多くいるような感じの女性でも、少し美人であるという噂を聞けば、付き合ってみたいと思う色好みの人たちであり、かぐや姫に逢いたいと思って、食事もせずに思い続け、屋敷を訪ねてうろうろ歩いていたが、やはり逢うことはできなかった。手紙を書いて送っても返事がない、嘆きの歌を詠んで贈っても返歌はないという感じで、男たちはどうせ無駄なことだとは思っていたのだが諦められず、十一月・十二月の雪が降って氷が張る季節にも、六月の日差しが厳しくて雷が鳴り響く季節にも、それらを物ともせずに通い続けた。
貴公子たちは竹取のおじいさんを呼んで、『姫を私に下さい』と伏してお願いしたり手を合わせたりしたが、おじいさんは『私たちの本当の子ではないので、私の思い通りにはならないのです。』と答えるばかりで、月日が流れていった。
こういった感じで、五人は自宅に帰っても、かぐや姫の事を思うばかりで、祈ったり願を掛けたりしている。『そうは言ってもいつかは誰かと結婚させるはずだ。』と思って、求婚の願いをつないでいる。自分の気持ちの強さを示すために、頻繁に屋敷の周りを歩いていた。
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