清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく、山際(やまぎわ)すこし明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢(ほたる)の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
秋は夕暮(ゆうぐれ)。夕日のさして、山の端(やまのは)いと近うなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音(おと)、虫の音(ね)など、はた、言ふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の火も白き灰がちになりて、わろし。
[現代語訳]
春は曙(の時間帯が良い)。ようやく辺りが白んでゆく、山の上にある空がほのかに明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている。
夏は夜。月のある夜は勿論ですが、月のない闇夜でもやはり、蛍が多く飛び交っているのは良いものだ。また、一つか二つ、蛍がほのかに光って飛んでいくのも情趣がある。雨など降るのもしみじみとする。
秋は夕暮れ。夕日が差して、山の端に太陽が近づく頃、カラスがねぐらに帰ろうとして、三つ四つ二つと飛び急いでいる姿も情趣がある。まして、雁などが連なって、とても小さく見えるまで飛んでいく姿は、非常にしみじみとした情感を誘う。日が落ちてからの風の音、虫の声などは、もう言うまでもなく良いものだ。
冬は早朝。雪が降っている情景は言うまでもない。霜が真っ白に下りているのも、またそうでなくても、とても寒い朝に、火などを急いで起こして、炭を持って御殿を渡るのも、冬の朝にとても似合っていてふさわしい。昼になって、気温が上がって暖かくなると、炭櫃・火桶の火も白く灰をかぶってしまって、これは良くない。
[古文・原文]
頃は、正月、三月、四月、五月、七・八・九月、十一、二月。すべて、をりにつけつつ、一年ながら、をかし。
正月一日は、まいて空の景色もうらうらと珍しう、霞みこめたるに、世にありとある人は皆、姿、かたち、心異(こと)につくろひ、君をも我をも祝ひなどしたるさま、異(こと)にをかし。
七日、雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの目近からぬ所にもて騒ぎたるこそ、をかしけれ。白馬見んとて、里人は、車きよげにしたてて見に行く。中の御門の閾(とじきみ)引き過ぐるほど、頭、一所にゆるぎあひ、刺櫛(さしぐし)も落ち、用意せねば折れなどして笑ふも、またをかし。左衛門の陣のもとに、殿上人などあまた立ちて、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かし笑ふを、僅(はつか)に見入れたれば、立蔀(たてじとみ)などの見ゆるに、主殿司(とのもりづか)、女官などの行き違ひたるこそ、をかしけれ。
いかばかりなる人、九重(ここのえ)をならすらんなど、思ひやらるるに、内裏(うち)にも見るは、いと狭きほどにて、舎人が顔のきぬもあらはれ、誠に黒きに、白きものいきつかぬ所は、雪のむらむら消え残りたる心地して、いと見ぐるしく、馬のあがり騒ぎなどもいと恐しう見ゆれば、引き入られてよくも見えず。
八日、人のよろこびして走らする車の音、異(こと)に聞こえて、をかし。
[現代語訳]
時期は、正月、三月、四月、五月、七・八・九月、十一月、二月、結局はすべて、その時々に応じて、一年中にわたってみんな情趣があるものである。
正月一日は、空の景色も珍しいほどにうららかで、一面に霞が出ているのに、世間にいる人たちはみんな、衣装・外見・化粧で特別に美しくして、主君も自分も末永くとお祝いしているのは、いつもと違った様子で面白い。
七日、雪の間で若菜を摘んできて、青々とした若菜を普段はそんなものを近くで見ることもない御殿の中で見て騒いでいるのが、とても面白い。白馬を見ようとして、里に住んでいる一般の女たちは、車を綺麗に飾り立てて宮中にやってくる。待賢門の敷居を通過する時、車が揺れて乗っている人たちの頭がぶつかり、飾り櫛も落ちて気をつけていないと櫛が折れたりもして、みんなで笑う光景もまた趣きがある。建春門の左衛門府のあたりに殿上人などが大勢立っていて、舎人の弓を取り上げて馬を驚かせて笑う様子を、車の中から少し覗き見ると、奥の宣陽門の向こうに立蔀が見えて、そこを主殿司や女官などが行ったり来たりしているのも面白い。
いったいどのような幸運な人が、宮中の中で権勢を振るっていられるのだろうかと思っていたが、宮中でもこうして見ているのはごく狭い範囲であり、舎人の顔が肌理もあらわになっているが、本当に黒くて白粉(おしろい)が足りない所は、雪がまだらに消え残っている感じで見苦しく、馬が跳ねて騒いでいる姿も非常に恐ろしく見えるので、車の奥に入ってしまい外が良く見えない。
8日、昇進した人々が喜んで挨拶回りに走らせている車の音、いつもとは違った弾んだ感じがあって趣きがある。
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