恋愛と結婚(婚姻)の違いとは何か?

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法治国家の文明社会に生きる人にとっても公権力(法秩序)のない未開社会に生きる人にとっても、『結婚・婚姻』というのは非常に大きなライフ・イベントです。結婚と婚姻の厳密な定義は必ずしも意識する必要はありませんが、一般的には、結婚とは『男女が社会的に認知された夫婦になること』であり、婚姻とは『夫婦としての男女の関係性を行政機関への婚姻届によって公的に承認されること。夫婦関係にある者は、婚姻に関する法律(民法)による制限と責務を負うこと』を意味します。英語など日本語以外の言語ではその区別がないこともありますが、法秩序を持つ国家では結婚とはイコール婚姻であり、結婚関係にある男女(両性)は独身時代にはない法的な権利や責任を有することになります。

法的な権利や責任というと重々しいですが、その多くは、その共同体で生活する人たちが一般常識として理解しているものです。一夫一婦制(近代国家の標準的な婚姻形態)であるか一夫多妻制(イスラム教圏や一部の王族で採用)、一妻多夫制(現代の正式な婚姻制度としては存在しない)であるかという文化的な差異や同性の結婚を認めるかというジェンダー・マイノリティの婚姻問題がありますが、ここでは日本の一般的な婚姻を中心に考えるので一夫一婦制を前提とします。例えば、結婚をした夫婦は「他の異性(同性)」と性的関係を持ってはいけない貞操義務を負うとか、二人以上の人と同時に結婚する重婚をしてはいけないとか、子どもの養育の権利と義務を夫婦で負い子どもに普通教育を受けさせなければならないとか言ったことです。

恋愛関係と結婚関係の最大の違いは、恋愛が原則として『個人(男性)対個人(女性)のプライベートな情緒的関係』であるのに対して、結婚は両性の合意や愛情という情緒的関係の側面を持ちながらも、『家族親族や夫婦の子どもまで含んだパブリックな法的関係』の側面を強く持つという事です。結婚は共働きの家庭にせよ専業主婦(主夫)がいる家庭にせよ、家計を支える収入と支出を必要とする経済共同体としての意味合いを持っています。婚姻を結んだ夫婦は、心情的に支えあうだけでなく経済的にも助け合う相互的な協力扶助の義務、子や配偶者に対する扶養の義務を持っていることも恋愛関係とは大きく違います。

また、一般的な恋愛関係には『生涯を相手と一緒に過ごす共同生活の前提』がありませんから、二人の関係を規定しているのは『お互いを好きと思う気持ちに基づく恋人であるという共通認識』という事になります。言い換えれば、恋愛関係を始めるのも終えるのも個人の気持ちのあり方次第ということです。恋愛は、個人対個人の間にある『恋愛感情(性愛感情)の強弱や信頼感の大小』に依拠していて、どちらかが恋愛関係を解消したいと思えば特別な責任や義務を負うことなくその場で解消することが出来るということでもあります。もちろん、人間の複雑な感情が絡む出来事ですから恋愛関係の解消であっても、恋人への未練や別離への抵抗があって、簡単には関係を解消できないケースも多くあります。

しかし、感情的な葛藤や復縁を巡るトラブルはあっても、自分の都合で恋愛関係を終了させる場合に法的な認可や司法の判断が必要なわけではないところが婚姻とは決定的に違います。失恋の現実を受け止められず恋人への未練が昂じた末のストーカー行為や復縁を強硬に迫って脅迫に出る行為、相手の恋愛感情を意図的にコントロールして経済的利得などを引き出す詐欺行為などの問題は、結婚のテーマから逸れるのでここでは取り扱いません。

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結婚関係(婚姻関係)には、両性の愛情や信頼だけではなく法的責任が伴うと言いましたが、それは『婚姻は、両性の終身的な結合を前提としている』ことに由来します。結婚関係は、個人的な愛情や信頼、欲求という心理的関係の部分がないわけではありませんが、基本的には法律によって規定される社会的関係としての意味合いを持ち、個人の都合によって結婚関係を解消したいからといって即座に解消できるものではありません。

夫も妻も双方が、『即座に離婚したい』という同意が成り立ち、財産分与や親権の問題がなく、離婚原因に対する慰謝料などに関しても対立点がないのであれば離婚届を出すだけで協議離婚が成立することもあります。しかし、通常は、両性が何の要求や不満もなく同時に離婚を決断することは稀なので、結婚関係を解消するまでには協議や調停・裁判の時間がかかります。夫婦の一方が不倫をして、一夫一婦制の貞操義務に違反していたり、生活費を入れずに家計を破綻させたり、物理的精神的暴力を振るうなど協力的な相互扶助の義務に違背していたりする場合には、それらの離婚原因に責任がある配偶者は慰謝料などの損害賠償を請求される可能性もあります。

法律から見た結婚(婚姻)と恋愛の違いは、恋愛が一時的な情緒的結合(性的結合)としての『個人間の約束』であるのに対して、結婚は永続的な夫婦関係(家族関係)を前提とする情緒的・性的・経済的結合としての『社会的(法的)な契約』であるという事です。恋愛関係でも永続的な男女関係となる場合はありますが、恋愛はあくまでも『個人間の情緒関係・性愛関係』であり、『社会的な認知・承認』の為された結婚とは異なります。恋愛関係には、婚姻制度のような法的根拠がなく『関係の始まりと終わりに社会的承認(行政手続)』を必要としないこと、そして、経済的な相互扶助や育児の義務を負わないことなどが結婚との最大の違いだと考えられます。

個人と個人の恣意的な結びつきである恋人と比較した場合に、夫婦あるいは子を含めた家族とは『社会の最小構成単位』としての特徴を持ち、夫婦は排他的な性的結合であるだけでなく、(離婚しない限りは)終生継続する『身体的・精神的・経済的な家族共同体』を構成していることになります。社会の最小構成単位としての意味合いが最も顕著に現れるのは、所得税の配偶者特別控除や公的年金制度・社会保険制度の優遇(保険料の減額・免除)、育児手当の給付などですが、配偶者特別控除に関しては廃止の流れもあり、結婚することの経済面でのメリットが今後どうなるかは定かではありません。

ただ、少子高齢化と関係する未婚・晩婚化の問題への対策としては、結婚する事による何らかの経済的メリットをインセンティブとして働かせる必要があるともいえます。反対に、結婚しないことによる経済的デメリットを法制化しようという動きもあるようですが、これは、結婚したくても配偶者が居なくて出来ない人に対して不公正な政策であるだけでなく、経済的な問題があって結婚していない人に不当な負担を掛けることになるなど問題の多い政策となるでしょう。

また、『両性の自由な選択と選択に基づく責任の遂行』によって婚姻関係は結ばれるべきものであって、『結婚することが利益になるから(結婚しないとペナルティを受けるから)仕方なく形式的に結婚する』というような婚姻関係は、『両性の愛情・信頼・決断をベースとした同意』に基づく継続的な夫婦関係を確認する『近代的な結婚制度』の本義から外れます。個人が結婚をするかしないかという選択の自由は基本的人権の一部ですから、政府が結婚して子供を育てる20~30代の人たちを増やしたいのであれば、結婚しないことにペナルティ(経済的罰則)を与えるという後ろ向きな政策ではなく、結婚することに魅力や希望を感じるような積極的な政策を行っていく必要があるのではないかと思います。

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