古代ギリシアの7賢人・ターレス

古代ギリシア世界には7人の卓越した賢者がいたといわれるが、その7人が誰であるのかについては諸説あり統一的な見解は得られていない。古代ギリシアの7賢人として一般的に知られている人物は、ターレス(タレス)、ソロン、ペリアンドロス、ビアス、ピッタコス、クレオブゥロス、ケイロンである。

この7人以外にも、古代ギリシアのアテナイで僭主政治を行ったペイシストラトス(B.C.6世紀-B.C.528頃)、スキュティア人のアナカルシス、ピュタゴラスの師とも言われるシュロスの人ペレキュデス、ケーンの人ミュソン、クレタ人のエピメニデスを加えることもあり、7賢人といっても特定の7人だけを指すというものではない。

しかし、古代ギリシア世界には、このように固有名によって名指される才能ある哲学者や有能な政治家が存在して、数々の興味深いエピソードやアフォリズム(格言)を残しているのである。

ターレス(タレス)

古代ギリシアの博覧強記の歴史家ヘロドトスは、ハリカルナッソスの名家に産まれ、ペルシア戦争に至るまでの歴史を世界各地の風土や説話と合わせて詳細に記録した。ヘロドトスは、世界各地を旅行して調査研究を重ね、地中海世界から当時の先進国エジプト、イオニア地方を含む小アジアまで『古代の文明世界の歴史』を後世に残す仕事をした。

ヘロドトスは自身が異民族の血を引いていることもあり、バルバロイに対する差別感情や偏見の念が少なかったと言われる。その影響もあってか彼の著作『歴史』には、エジプトやペルシアなど非ギリシア地域の神話や伝説、風俗文化などの雑多な記述が収載されている。ヘロドトスは、客観的な歴史事実の記述だけではなく、デルポイの神託に通底する因果応報や託宣(神意)による決定論の世界観を持って自分が見聞したものを記録していった。

そのヘロドトスや多分野に精通していた哲学者のデモクリトスによると、哲学の始祖とされるイオニア地方のターレスは、父エクサミュアス、母クレオブゥリネの子供であり、フェニキア人の名門テリダイ一族に属していたという。ターレスは7賢人の一人であるが、ギリシア世界で7賢人が意識されるようになったのは、アテナイのアルコン(執政官)がダマシアスであった時代(B.C.582頃)であるらしい。

ターレス(B.C.624-546)は、名門出身だったので、初め政治家としての道を志すが、その後天文学など自然学の研究に熱意を燃やし、万物の根源(アルケー)を探求する自然哲学の祖としての思索を行った。フェニキア人は、アルファベットの文字を考案したことでも有名だが、貿易民族として豊かな経済力を誇り、船を操縦する海運の技術に優れていた。そして、古代文明社会で、安全な船の航行をする為には、船の現在位置と進路を示す星の運行の規則を理解することが重要であった。その為、貿易と海運で隆盛したフェニキア人は、星の動きに規則性を見出そうとする天文学を研究するようになり、ターレスも天体の運動や規則を研究する天文学に強い興味を示したという。

ターレスの著作は現存していないが、地方に残っていた伝承では、『太陽の至点について』『昼夜平分時について(春分と秋分について)』という天文学の著作を書いたと伝えられている。ターレスは、太陽の光が消えて昼間に暗闇が訪れる日蝕について初めて予言をした人物であり、夏至・冬至・春分・秋分など昼夜の長さが季節によって変わる事に初めて気づいた人物とされる。

ターレスは、優秀な政治家としてのキャリアも積み、財を為す経営の才覚にも恵まれていたが、後年に至って政治や家族など世俗的な事柄への関心を余り示さなくなったという。ターレスが結婚して子供を為したという説もあるが、結婚を勧める母親に対して冷然としたシニカルな返答を返して結婚を拒み続けたという説もある。母親の結婚の勧めを断ったエピソードでは、青年だった頃の適齢期に結婚を勧められると『まだ、結婚する時期ではない』と言い、年齢を重ねてから結婚するように言われると『もはや結婚するような時期ではない』と言い放ったという。

彼の優れた経営の手腕を示すエピソードとしては、オリーブの豊作を事前に予測して、収穫時期の前に町にある全てのオリーブ油の搾油機械を借りきっておくことで財産を築いたという説話が残っている。

ターレスが数少ない偉大な賢人であることを示す逸話として、ミレトスの漁港で引き上げられた鼎(かなえ)の話がある。この珍奇な価値のある鼎の所有権を巡って若者達が争っていたところ、アポロン神を祭るデルフォイ神殿で『誰であれ、知恵において万人に勝る第一の者、その者にこそ鼎は授けられるべきだと言おう』『賢者たちの内で、最も役に立った者にその鼎を与えるように』という神託が下り、ターレスの元へ送り届けられたというのである。一説には、同じ7賢人の一人である民主的な政治改革(ソロンの改革)を推進したソロンに送られ、ソロンがデルフォイ神殿に返却したという話もある。

アルケーを考究するターレスの自然哲学『万物の根源は水である』

ターレスの哲学的思索は、政治的問題や社会的事象よりも自然世界の成り立ちや構造に向けられた。イオニア学派やミレトス学派と呼ばれるターレスを初めとする自然哲学者達は、この生々流転する世界は、何から成り立ち、何から発生しているのかという問題意識を持っていた。その世界を構成する根本物質や基本原理のことをアルケーという。

ミレトス学派の哲学者達は、生成変化を繰り返す“運動の原因”と世界を構成する“根本物質”とを切り離して考えずに、一体不可分のものだと考えていた。ターレスやアナクシマンドロスは、根本物質であるアルケーを単純な世界を構成する質料であると考えずに、自ら運動する生命力を内在したものだと考えていた。物質が生命を所有しているというと現代では奇妙な感じを受けるが、古代ギリシアの自然哲学者達は、アルケー(万物の根源)は、単なる物質ではなく運動の原因としての生命を内在した物質だと考えていた。こういった、物質の内部に生命力の存在を認める思考を『物活論(hylozoism)』と呼ぶが、ミレトス学派の哲学者達は物活論を前提として自然界を眺めていたのである。

ターレスが、何故、『万物の根源は水である』というアルケーの洞察を得たのかの根拠は明らかではないが、根本原理の中に生命の存在を見て取るイオニア学派であった彼は、生命体の最も根本的な要素を『水(hydor)』だと理解していたのであろう。そして、世界に存在する全てのものは、水が生成変化することによって生じると考えたのである。

ターレスは水という単一のアルケーによって万物の存在と運動を説明しようとしたが、ターレスの弟子のアナクシマンドロスは、世界を『熱・冷・湿・乾の四元素』が闘争的流動をする場と考え、水のような単一のアルケーで万物の生成変化を説明することは出来ないと考えた。アナクシマンドロスは、それら四元素が未分化の原初状態をアルケーであると想定して、四元素が分化していない原初状態は『無限の質料と永遠の運動がある状態』ではないかと想像した。そして、その『無限なるもの(ト・アペイロン)』こそが万物の根源(アルケー)であると考えたのである。

ターレスの古代社会におけるアフォリズム(格言)

人間は悪事を働いて、神に気づかれずに済ましてしまうことが出来るかという問いに対して、『いや、悪い事を心の中で企図していても、神はそれに気づいてしまうだろう』と答えた。『天網恢恢疎にして漏らさず』といった現代の道徳規範にも通じるアフォリズムである。

不倫をして姦通罪を犯した男が、自分は姦通していないと虚偽の誓いをしてもよいかどうかと尋ねたところ、『偽誓は姦通より悪くはない』と答えた。不倫をしても虚偽の誓いをして隠し通したほうが良いという意味では、実利的だが道徳的ではないように思える言葉である。

人生において困難なことは何かという問いに対して、『自分自身を知ることだ』と答えた。このデルフォイ神殿にも掲げられたアフォリズム『汝自身を知れ』は、ターレスの言葉にその起源があるという説もあるようである。私という存在が何であるのか、この人生とは何であるのかという自分自身の存在に対する根源的な問いは、時代を問わず普遍的な意義を持っているように感じる。

神聖なものとは何かという問いに対して、『始めも終わりも持たないもの』と答え、今までに見たもので珍しいものは何かという問いに対して、『年老いた独裁者』と答えた。神聖なものに対する答えは、ターレスの宗教的信念に関係したもので、彼は古代エジプトで信じられた永遠不滅の霊魂の存在を信じていたのである。古代ギリシアの独裁者である為には、戦士としての責務を勇敢に果たせる強靭な肉体が必要とされた為、高齢になって独裁者として君臨することは難しかったと考えられる。

人はどのようにすれば、逆境を耐え抜くことが出来るかという問いに対しては、『敵のほうがもっと苦境にあることを知るならば』と答え、どうすれば我々は最も善なる人生、最も正しい人生を歩めるのかという問いに対しては、『他人に対して非難するような事を、我々自身が行わないようにするならば正しくて善なる人生を歩めるだろう』と答えた。自分自身の欲望や感情をより良く理解して、他人が不正であると判断するような行動を取らず、社会から悪であると指弾されるような言動を取らないならば、正しい人生を送れるのではないかとターレスは考えた。

幸福な人間とはどのような人間であるのかという問いに対しては、『身体が健康で、精神は機知に富み、性質が素直な人が幸福である。自分の事を大切に思ってくれる友人は近くにいるときも、遠く離れているときも忘れないようにしなさい』と答えた。幸福を実現する最低限の条件は、身体の健康であり、病気による苦痛や身体の不調による不快感がある限り、なかなか幸福を実感できない。それに加えて、他者と共感的な協力関係を持てる素直さやユーモアを発揮して場を和ませる機知があれば、より一層幸せで充実した生活を送れるだろうということである。

更に、ターレスは、『外見の美しさのみを競って自慢するのではなく、日々の生活の中で行動実践においても美しい者となりなさい』と述べていて、『悪しき手段で富を手に入れてはならないし、根も葉もない流言に欺かれて、君が信頼し信頼されている人たちの悪口を言ってはならない』と語っている。他人を簡単に誹謗中傷する事によって、自らの信頼や魅力を喪失し、他人から憎悪されたり攻撃されたりする危険性を生むからである。また、いずれ年老いていく人間は、表面的な外見の美しさのみでは、継続的な他者に対する魅力や存在感を維持することは出来ない、内面的な美しさや素晴らしい行動を洗練させることでより幸福な人生に近づけるのである。

ターレスは、儒教的な両親への忠孝の大切さと子供から尽くしてもらう権利についても述べているようだ。『あなたが両親に対してどんな世話をしたとしても、それと同じものを子供たちから受け取らねばならない』というターレスの言葉は、儒教道徳の長幼の序や家父長制を思わせる言葉である。自分が親に奉仕して上げたのだから、それと同等の親孝行を子供からして貰う権利があるという言い方は、子に対する無償の愛を道徳的とする現代ではやや違和感を感じる部分もある。しかし、自分が子供の立場にたった場合に、両親から愛情や恩恵を受けたのであれば、相応の孝行や支援をして上げるのは大切なことだし、人として踏み行うべき道の一つでもあるだろう。

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