古代ギリシアの7賢人・ペリアンドロス,ピッタコス,ビアス

コリントスの背徳の僭主ペリアンドロス

ペリアンドロスは、古代ギリシアの7賢人に数えられることが多いが、現代的な倫理判断や人物評価から考えると、彼を賢人と呼ぶことが出来るかどうかは微妙なところである。ペリアンドロスはヘラクレスの子孫の家系に属するコリントス人であり、父キュプセロスの子であった。

彼は偉大な父と兄を持つリュシデという娘を妻に迎えて、兄弟2人の子を為した。リュシデの父親は、エピダウロスという国を独裁する僭主プロクレスであり、母親は哲学者アリストデモスの妹のエリステネイアであった。リュシデの家柄は、当時のアルカディア全体を支配するほどに強大な権力を持っており、彼女と結婚したペリアンドロスもその恩恵を受けることが出来た。彼はリュシデとの間に、長男のキュプセロスと次男のリュコプロンを設けたが、弟は頭脳明晰で優秀であるのに対して、兄は愚鈍で才気に乏しい人物であった。

しかし、ペリアンドロスは人間的に残酷非道な逸話が多く残されており、前述したように必ずしも賢人らしい事跡を歩んできたとは言えない部分がある。ある日、妊娠中の妻リュシデが、ペリアンドロスを愚弄しているという噂や中傷を側室が流したのだが、それを本当のことだと信じたペリアンドロスはリュシデを蹴り殺してしまった。後になって、それが事実ではない側室の誹謗中傷だと知ったペリアンドロスは、その側室達も全員焼き殺してしまったのである。

妻を無実の罪で殺害し、側室達を無慈悲に焼き殺したペリアンドロスは、明らかに人の遵守すべき倫理規範に違背してしまっている。更に、ペリアンドロスは、母親を殺した自分を責めて母親の死を嘆き悲しむ息子のリュコプロンを国外のケルキュラという国に追放したのである。それまで散々、残忍な仕打ちや背徳的な行為を取ってきた報いであるかは分からないが、ペリアンドロスは後年になって息子のリュコプロンをケルキュラから呼び戻そうとした時に、ケルキュラ人達によって息子を殺されてしまうのである。

ペリアンドロスの不道徳な振る舞いに対する記録は、アリスティッポスの『古人の奢侈について』という書物の中にも残っていて、その中ではペリアンドロスは母のクラテイアと不義密通の近親相姦を重ねる関係にあったと記述されている。オリンピックの馬車競技の勝者に、黄金の像を献納するという約束をしていたペリアンドロスは、像を作る為の黄金が不足していることに気づいた。それで、足りない黄金を調達する為に、田舎の祭儀に参加していた晴れ着姿の女性から金の装身具を身ぐるみ奪い取ったというのである。

コリントスの僭主ペリアンドロスは、国家を統治する有能な知性や厳格な威厳を持っていたために、ギリシア初の僭主になれたのかもしれないが、その行動や思考にはなかなか優れた知性の片鱗を感じ取ることが出来ない。しかし、彼は自分自身が吝嗇(ケチ)な態度を取っていながら、『どんなこともお金のために行ってはならぬ、儲けてもよいところから儲けるべきだから』といった言葉を残している。

また、彼は王(僭主)の近辺に護衛兵を初めて配置して、『僭主の地位にあって安全でいようとする者は、護衛兵の武器によってではなく、その忠誠心によって守らねばならない』と述べている。あなたは何故、僭主の地位にあるのかと問われると、『自分から進んでその地位を退くのも、またその地位を奪われるのも、両方ともに危険なことだから』と答えているのである。

ペリアンドロスの残存している断片的な言葉からは、彼の思慮深い態度や賢明な判断力を伺い知ることが出来るので、コリントスで初めて僭主制を確立したという実務的な優越性と合わせて古代ギリシアの7賢人の一人に数えられているのかもしれない。彼は、以下のような言葉を残している。

順境にある時には適度を守り、逆境の中では思慮深くあること。友人達に対しては、彼らが順境にある場合にも、逆境にある場合にも、いつも同じ者として接すること。

約束したことは何であれ守ること。秘密は漏らさぬこと。

過ちを犯したものだけなく、犯そうとしているものも懲らしめること。

法治国家の理想を持ち寛容さを愛したピッタコス

ピッタコスは、ヒュラディオスの子で、勇敢なミュティレネ人であり、レスボス島の僭主メランクロスをアルカイオスの兄弟の支援を受けて打倒した。普段は温容優雅な気品を漂わしていて、不要な対立や諍いを避けようとする穏やかな性格であったが、いったん戦争を覚悟すれば毅然とした態度で戦いに臨んだ。

アテナイ人との間で、アキレイティスの土地の所有権を巡ってミュティレネが戦争になったときも、ピッタコスはアテナイの勇者でオリンピックのパンクラティオン競技の優勝経験があるプリュノンとの一騎打ちに応じた。その時は、盾の後ろにプリュノンを絡め取る網を隠し持っていて、それを投げつけて動きを封じて討ち取る奇策を用いてピッタコスが勝利した。

ピッタコスは、ミュティレネの民衆の絶大なる支持と尊敬を受けて、10年間僭主の地位に就いていたが、国家の政治を安定軌道に乗せてから僭主の地位を辞去した。ミュティレネ人達は、彼が僭主であった時期の素晴らしい善政に対する報酬として、一区画の土地を献上したが、ピッタコスはその土地を再び神へと献上してしまった。その土地は、神聖なものとしてピッタコスの土地と呼ばれることとなった。

彼は兄弟の死により十分な額の遺産を手にしていたとされ、その為もあって金銭や土地の私有に対する欲求はあまり強くなくどちらかといえば禁欲的で節制のある人物であった。彼は政治家であると同時に立法家でもあって、ミュティレネに様々な法律を制定した。ミュティレネは、美味しいワインの取れる名産地であったので、ワイン(ぶどう酒)に深酔いして暴行や悪事を働くものが後を絶たなかった。そこで、ピッタコスは、飲酒して酩酊した者が、犯罪を犯した場合には、罰則を2倍に加重するという法を定めたのである。

しかし、ピッタコスは一般に罪人に対しても寛容であり、『素晴らしき人であることは難しい』『許してあげるほうが、報復するよりも善い』と語って、それほど厳しい取締りや行き過ぎた処罰をすることはなかったという。

とはいえ、彼は法による社会秩序の維持を最善であると考えていて、プラトン『プロタゴラス』という書物の中で、クロイソスから最良の支配とはどのようなものであるかと問われ、『多種多様な木材(法律)による支配である』と答えている。

ピッタコスの古代社会におけるアフォリズム(格言)

ピッタコスは、一番有り難いものとして『時間』を挙げ、不確かなものとして『未来』を考えた。彼は、謙譲と寛容の精神を美徳として、バランスの良い人生を歩むことを推奨するアフォリズムを幾つか残している。

困った事態が起こる前に、それが起こらないようにあらかじめ考えておくのが分別のある人間のすることである。しかし、起こってしまったなら、うまく処理するのが勇気のある人のすることだ。

これからしようと思っていることを、前もって人に告げることはない、失敗すれば笑われるだろうから。人の不運を咎めないこと、報復は恐ろしいから。預かったものは返すこと。友人を悪く言わないこと、いや、敵でさえも悪く言わないこと。敬神に励むこと。節制の徳を愛すること。正直、誠実、経験、器用さ、友情、親切心を養うこと。

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝・上』より引用

今まで述べたのとは反対の人物像が伝えられていることもあり、ピッタコスは自慢ばかりしていて『ほら吹き』と呼ばれたとか、倹約が行き過ぎてランプをつけることも出来ず『暗闇の中で夕食をとる人』と渾名されたとか、不潔でだらしのない無精者だったとする記録も残っている。

法廷論争に秀でていた頭脳明晰なビアス

ビアスは、テウタメスの子でプリエネの人であり、時に7賢人の筆頭として名前を挙げられるほどの俊英であった。彼の頭脳は、弁論術や修辞学、論理学などの分野で優れた能力を発揮し、特に訴訟の弁護において非常に強力な才能を持っていたといわれる。

ビアスは、心身共に衰えた高齢の時に、法廷における弁護演説を依頼されたが、それを快く引き受けて、相手側の弁護人の演説が終わり、裁判官がビアスの依頼人に有利な判決を下したときに、愛する孫の胸の中で息を引き取ったという。

彼はイオニア植民市の繁栄を考え、人間が踏み行うべき倫理について思索を巡らしたが、以下のような言葉を後世に残している。

力の強い者となるのは自然(生まれつき)の業であるが、祖国の利益を語ることの出来る能力は、魂と思慮だけに属することである。

偶然によっても多くの人々に豊かな財産は備わるものだ。

不幸に耐えることが出来ない人こそが本当に不幸な人である。

不可能なことを欲求するのは魂の病気である。

人生における困難なこととは、事態がより悪い方向へと変化していくときに気高く耐えることである。

大抵の人間は劣悪である。

現代に生きる私達にとって金言となるほど重要な含意のある言葉は少ないし、弁護に長けた法律家らしい性悪説も顔を覗かせているが、『不幸・困難・苦境を諦めてしまわずに気高く耐え忍び乗り越えることの重要性』は現代にも通じるアフォリズム(格言)ではないかと思う。

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