行動経済学と心の会計:ポジティブフレーム・ネガティブフレーム

行動経済学では人間の意思決定・選択に影響を与える『フレーミング』を研究対象にしているが、有力なフレームの一つとしてお金やお金の使い道を心理的に分類整理してしまう『心の会計』というものがある。どんな稼ぎ方・貯め方をしてもどんな使い方をしても、1万円は1万円、お金はお金という客観的な考え方がある一方で、人間の大多数は『お金の出所・使い道・貯め方』という心の会計によってお金を無意識的に分類してそれぞれの扱い方を変えている。

例えば、ギャンブルや一時金などで稼いだお金は、心の会計で『あぶく銭(泡銭)』に分類されて、あまり慎重(大切)には使われない傾向がある。初めから無かったお金と見なされることで、そのお金を使ってしまっても『損失』とは見なされにくくなるからである。反対に、一生懸命に働いて稼いだお金(給料)や苦労して長い時間をかけて貯めたお金(貯金)は、心の会計で『自分の労力や時間と交換して稼いだお金』に分類されて、無駄遣いをせずに慎重(大切)に使おうとする傾向が生まれる。

ボーナス(賞与)についても、心の会計で『臨時的な収入(本来なかったはずのお金)』に分類する人はパッと旅行・高額商品・車の購入などで派手に使う傾向が出るが、『苦労して稼いだ給料の一部』に分類する人はボーナスの大部分を貯金するなどして慎重に使う傾向がある。

お金をその『出所(獲得した手段)・使途・項目・貯めた期間』などによって分類整理するのが『心の会計』であり、心の会計を示す典型的な事例として『預貯金があるのに分割払い(ローン)をする事例』『株式投資でキャピタルゲイン(売却益)よりもインカムゲイン(配当金)を重視する傾向』などがある。

十分な金額の預貯金があれば、数万円程度の商品を購入する場合には、金利がつかない現金一括払いが一番損失が少ないが、人間は心の会計によって『預貯金(預貯金用の別口座)は使ってはいけない別枠のお金』に分類してしまうので、安くはない金利のつく分割払い・リボルビング払いという不合理な選択をしてしまう事は多い。『毎月の少額のローン支払い』が『(支払って当たり前の)固定費』のように見なされることで、一括で数万円以上の大きなお金を払うよりも『主観的な負担感』が和らぐ(毎月の給料がどうせ入ってくるのだからそこから少しくらい引き落とされても大丈夫と感じやすい)ということもある。

ただし、一括払いでギリギリ買える預貯金があっても、購入しようとしているものが非常に高額な物の場合には、『購入した後の自由に使える手元資金(臨時出費に対応できる生活の予備資金)』が殆どなくなるので、分割払い(リボルビング払い)が『合理的な選択』に成り得ることもある。

株式投資で“キャピタルゲイン(株価売却益)”よりも“インカムゲイン(配当金)”を重視する傾向、あるいはインカムゲインをキャピタルゲインよりも安定している収益と考える傾向は、『元本保証のフレーミング』と非常に深く関係している。リスクを嫌って一切投資をしない人が良く言うセリフに、『儲かるかもしれないと言うけど元本は保証されないんでしょう?なら、やめておきます』という人がいるが、これが元本(元手の初めにある資金)を1円でも減らしたくないという元本保証のフレーミングである。

元本保証の金融取引(預貯金・定期など)しかしないと言うと、一般的には手堅くて無難で騙されにくいと考えられるが、反対に『投資詐欺に騙されやすい性格傾向』を生み出すこともある。投資というのは元来必ず『リスク対リターン(効果)』で考えなければならないものであり、大きなリターンを短期で得ようと思えば大きなリスクが伴うことになる。だが、元本保証にこだわる人の中には『ノーリスク・ハイリターン(元本保証で利回りが良い商品)』を謳う詐欺師の美味しい話にまんまと乗せられてしまう人も出てきてしまう。

投資の常識である『リスク対リターン(効果)』を経験的かつ理論的に知っている人であれば、『元本保証で高い利回りが必ず得られる金融商品です』と怪しげのファンドのサラリーマンから説明されれば、まず『投資詐欺の可能性』を疑う。しかし、元本保証にこだわる投資経験・知識がない人の中には『元本保証だから安心(リスク投資ではないから大丈夫)』と反射的に思い込んでしまう人も出てくるのである。

株式投資の“キャピタルゲイン(株価売却益)”と“インカムゲイン(配当金)”の話に戻ると、インカムゲインは『元本を崩さずにつまり株そのものを売却せずに得られるお得な収益(定期収入)』という心の会計の分類が為されることで、株価が常に変動している中での一回限りのキャピタルゲインよりも好まれて重視されるのである。投資経験が長いあるいは十分な保有株数のある投資家には、キャピタルゲインを短期で狙う投資はギャンブルだが、インカムゲインに期待する長期の投資はローリスクの安定的な投資であると考えている人が多い。

しかし、客観的に考えれば株式保有によるインカムゲイン(配当金)は、無から生まれた臨時収入ではなく、自分が保有している株式会社の利益の一部を取り崩して配当金にしているだけであり、配当金のない無配であればファンダメンタルの観点から更に株価が上昇していた可能性もある。

同じことは投資信託の金融商品にも言うことができるのだが、『定期的な配当金収入』のほうが安定していて元本が崩れないから好きという投資家は多いので、実際には『毎月分配型の投資信託(投信の基準価額そのものは上がりにくい)』のほうが『分配金のない投資信託(投信の基準価額そのものは上がりやすい)』よりもかなり売れ行きが良くなりやすいと言われている。

だから、単位株以上の複数単元の株を保有している株主であれば、本来は『保有している株の一部を売却して得る利益(キャピタルゲイン)』『保有している株式会社の利益を取り崩して得る配当金の利益(インカムゲイン)』に違いはないということになる。

配当金にかかる税率が、売却益にかかる税率よりも高い場合には、むしろ保有株の一部を売却して利益を得るほうが合理的な選択ということになるだろう。株式の配当金も投信の分配金も客観的には『元本の一部の取り崩し(元本の価値の微減)』なのだが、殆どの人は『元本保証(株・投信を売らなくても良い)の臨時収入』といった形で心の会計上の分類をしているので、配当金や分配金は非常に好まれるのである。

ついでだから保険に加入する、せっかくだから一緒に買っておくという『心の会計』の性質も、様々な付加価値を提供するタイプのビジネスに活用されている。典型的なものとしては、『テレビ・スマホ(携帯電話)・家電製品の修理保証延長の保険』『新車を購入する際のオプションやアクセサリー』があり、その大半は実際には使われることがなかったり便利さを実感することもなかったりする。

人間の多くは予想(予測)と現実(結果)が異なる可能性がある『リスク』を嫌う傾向があるが、行動経済学でいうリスクには『予想から外れる損失』だけではなく『予想から外れる利益』も含まれている。しかし、以下のような賭けの意思決定では、必ずしも結果が不確実なリスクが避けられるとは限らない。

B損失の選択:資金10000円を持っている時に、次のどちらのくじ(損失が決まるくじ)を選ぶか。

1.50%の確率で5000円を損するが、50%の確率で何も損しない。

2.100%確実に2500円を失う。

結果が不確実なリスクを回避するのであれば、100%確実に2500円しか損をしない2を選ぶはずであるが、実際には過半数の人が『半分の確率50%で1円も損しないかもしれない1』の選択肢を選ぶのである。このことは、人間は厳密には『リスク回避的(不確実性の回避)』というよりも『損失回避的(わずかでも損失を減らしたい)』な本性を持っていることを示唆している。

確率50%で勝ち負けが決まるコイン投げの賭けであっても、大半の人は『勝った時の利益の金額』と『負けた時の損失の金額』が同じであればその賭けをしたいとは思わず、『勝った時の利益が負けた時の損失の2倍以上の金額』に設定されていないとその賭けが割に合うものだとは思えないのである。

A利得の選択:資金5000円を持っている時に、次のどちらのくじ(利得が決まるくじ)を選ぶか。

1.50%の確率で5000円が得られるが、50%の確率で何も貰えない。

2.100%確実に2500円が得られる。

上のように、利益を得られることがほぼ確実な状況で採用されやすいフレーム(枠組み)のことを『ポジティブフレーム』といい、上記のB損失の選択のように損失を被ることがほぼ確実な状況で採用されやすいフレームのことを『ネガティブフレーム』という。

ポジティブフレームでは、結果が不確実である賭けのリスクが嫌われて、確実に利益が得られるノーリスクの選択肢が選ばれやすくなる。反対にネガティブフレームでは、結果が不確実でも損失がゼロになる可能性がある賭けのリスクが選ばれて、確実に損失を被ることになるノーリスクの選択肢は嫌われやすくなるのである。

人間は損益を計算する基準として『参照点(10000円なら10000円)』を設定するが、この参照点から増えたか減ったかの相対的変化によって利益・損失の実感が変わってくる。つまり、『最終的に手元に残るもの(絶対的・客観的な数字)』よりも『参照点からの相対的変化(参照点と比べて増えたか減ったか)』のほうを重要視しやすいのである。

これは言い換えると、参照点と比較して利益がほぼ確実に増える場合には『ポジティブフレーム』が採用されて『リスク回避(確実な利益の確定)』が選ばれるが、参照点と比較して損失がほぼ確実に増える場合には『ネガティブフレーム』が採用されて『リスク追求(確率的な損失の回避)』が選ばれるということを意味している。

人間のフレーミング(フレームを介在した認知)は、損失回避の本性的傾向を持っているため、普通に意思決定をすれば『100%確実に損失を受ける選択』はその損失がそれほど深刻で大きなものでなくてもしづらいのである。株式投資において『損切り(損失額の確定)』がなかなかできない心理(株を売却して損益を確定しない限りは損失は現実のものではない)も、この損失回避のフレームから説明されるが、損失額の確定を先送りにすることでますます『含み損』が拡大してしまう副作用が生じることも少なくない。

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