リカードの比較優位の原理と自由貿易の効率性
デヴィッド・リカードの思想と生涯
イギリスの経済学者デヴィッド・リカード(David Ricardo,1772-1823)は、『比較優位の原理』を提唱することで、自給自足ではない『自由貿易(国際貿易)による生産性・効率性の向上』を支持しました。比較優位というのは、それぞれの国が相対的に生産性の高い分野(生産物)という意味である。例えば、ある国が自動車よりも綿花を生産することのほうが相対的に得意であれば(相対的に労力・コスト・時間がかからないのであれば)、綿花の生産分野が比較優位ということになり、自動車よりも綿花に特化した生産を行って、外国(自動車生産が得意な国)と貿易をして自動車を輸入したほうが効率的ということになる。
各国が『比較優位な分野(生産物)』にだけ特化して重点的な生産活動を行い、余剰な生産物を輸出する事ができれば、それぞれの国の生産コストは低くなり生産効率性は高まるというのが、デヴィッド・リカードの『比較生産費説』と呼ばれる古典的な経済理論です。リカードは経済学を数量的なモデル化を通して構築していくアプローチを初めて採用した経済学者であり、『国富論』のアダム・スミスとデヴィッド・リカードは古典派経済学の思想的・モデル的な二大源流になっています。
比較生産費説における比較優位のモデルは、二国間貿易を題材にして簡単に説明すると以下のようになります。日本とアメリカで『自動車・牛肉』を生産しているが、それぞれの生産に必要なコストが以下のようになっている時、日本では自動車が比較優位な商品であり、アメリカでは牛肉が比較優位な商品となります。日本では、10人の労働者で自動車を10台生産することができ、20人の労働者で牛肉を10トン生産できる。アメリカでは、20人の労働者で自動車を10台生産することができ、15人の労働者で牛肉を10トン生産できる。
日本 | アメリカ | 全体の生産量と労働コスト | |
---|---|---|---|
自動車 | 10台 | 10台 | 20台 |
牛肉 | 10トン | 10トン | 20トン |
労働コスト | 30人の労働コスト | 35人の労働コスト | 65人の労働コスト |
日本が自国内で比較優位な『自動車』だけを生産して、アメリカが自国内で比較優位な『牛肉』だけを生産すると、同じ労働力のコストを費やしても『全体の生産量』は多くなることが分かります。
日本 | アメリカ | 全体の生産量と労働コスト | |
---|---|---|---|
自動車 | 30台 | 0台 | 30台 |
牛肉 | 0トン | 約23.3トン | 約23.3トン |
労働コスト | 30人の労働コスト | 35人の労働コスト | 65人の労働コスト |
これは極めて簡略化したモデルなので、実際には『自動車を生産する諸コスト』と『牛肉を生産する諸コスト』の計算はもっとずっと複雑なものになります。また、比較優位の原理に基づく自由貿易(二国間貿易・国際貿易)によって、いくら全体の生産量が増加しても、『自国内の産業・雇用』が衰退したり崩壊してしまうという激しい副作用が生じる恐れももちろんあります。
デヴィッド・リカードの『比較生産費説(比較優位の原理)』では、各国が比較優位な生産物だけに特化して重点的な生産活動を行えば、全体の生産量が増加して『余剰な生産物』をそれぞれの国が輸出することで利益を上げることができるとして、自由貿易(国際貿易)を擁護しています。
しかし、実際のグローバリゼーション(国際ビジネス)には、『生産コストの安い途上国への製造業の移転・人件費の高い先進国の製造業の空洞化・途上国の安価な労働力や地下資源の搾取的な活用や取引・途上国への投資や開発の活発化による伝統的産業やライフスタイルの崩壊・グローバル競争の激化と国内の所得格差の拡大』などのデメリットも伴ってくる可能性があります。
デヴィッド・リカードは『経済学および課税の原理』の第7章で比較優位の原理による自由貿易(国際貿易)の利益・生産性の上昇を論証しています。第3版の第31章『機械について』の項目では、それまでの意見(機械導入による労働者の失業リスクはなく、むしろ労働負担軽減のメリットがある)を変更して、企業に固定資本(製造業の機械)が導入されることによって労働者が短期的に失業する可能性があると指摘しています。
デヴィッド・リカード(David Ricardo,1772-1823)は、ロンドン証券取引所に勤める父エイブラハム・リカード(オランダ系移民・ユダヤ人)の息子として生まれましたが、リカードの生まれ育った家庭は“17人兄弟・姉妹”という大家族でした。リカードは17人きょうだいの3番目として生まれましたが、経済学に強い関心を抱くようになったきっかけは1799年にアダム・スミスの『国富論(諸国民の富)』を読んだことだったと言います。
ロンドン証券取引所でトレーダーのような仕事をしていた父エイブラハム・リカードを手伝っていたデヴィッド・リカードですが、ユダヤ系の家族の宗教であるユダヤ教の信仰を捨てて、クエーカー教徒のプリシラ・アン・ウィルキンソンと駆け落ちして結婚したために父親から絶縁を言い渡されます。しかし、リカードはトレーダー(株式仲買人)として独立し大きな経済的成功を収めることになります。1814年42歳の時にトレーダーの仕事を辞めて、今でいうアーリーリタイヤを果たし、グロスター州のギャトコム・パークに終の棲家となる邸宅を構えました。
アダム・スミスの自由経済の思想と遭遇した後の1810年には、インフレ抑止のために金本位制の復活を唱える『地金の価格高騰について――紙幣暴落の証明』という論文を発表しています。この論文は、1797年にイングランド銀行が金本位制を廃止して不換紙幣を増発した結果、市民の経済生活を圧迫するインフレーションが起こったことを受けて書かれたもので、デヴィッド・リカードは当時の経済において『金本位制による紙幣価値の裏づけ・保証』を支持していました。
1819年には、リカードは持論の経済政策の実現のための政界進出を目指して、アイルランドの都市選挙区ポーターリングトンから下院(庶民院)に出馬し、代議士(議員)に選出されています。政治家になったリカードが主張したのは、『自由貿易(国際貿易)の促進』と『穀物法(保護主義的政策)の廃止』であり、現在でいうグローバリゼーション(経済のグローバル化)の推進者としての顔を持っていました。
1821年に、経済学者のトーマス・トゥックやジェームズ・ミル、トマス・ロバート・マルサス(人口論)や哲学者のジェレミー・ベンサム(功利主義)などと連携して、学術的な研究や経済政策の提言を行う『政治経済クラブ』を設立しました。
デヴィッド・リカードとトマス・ロバート・マルサスの間では『穀物法を巡る論争』が起こったこともありました。その論争は、食糧は輸入に頼れば良く自国では比較優位な工業製品を集中的に生産すべきだから、穀物法(国内農業の保護法)は廃止しても良いとするリカードに対して、マルサスは幾何級数的に増大を続ける人口を養うために国内の農業生産を保護しておくべきだから穀物法は維持したほうが良いと反対していました。
リカードの『経済学および課税の原理』では、自由貿易によって利潤が増大・蓄積されていくが、その反動として労働価値説に基づく収穫逓減(次第に労働の生産性・利益が減っていく)が起こり、『地代』が形成されていくという仮説が出されています。『リカード=バローの中立命題(等価命題・等価原理)』では、国債発行による公共投資(財政政策)では本当の意味で景気や所得を改善することはできず、『将来の国債償還のための増税』を織り込んだ国民が消費をいつか抑制するようになること(最終的に現在の安易な財政支出は将来の増税と等価であるという原理)を指摘しました。
デヴィッド・リカードの比較優位の原理は、『多角経営(あれもこれも)』を批判する企業経営の戦略方針として応用されることになり、一つの企業内で比較優位な事業部門だけに経営資源と労働力を集中的に投下する『選択と集中』の戦略を生み出しました。経営が悪化の一途を辿っていたGE(ゼネラル・エレクトロニクス)を立て直した辣腕経営者(CEO)だったジャック・ウェルチも、『業界トップになれる分野』だけに経営資源を集中投下して、『業界で三番手以下になっている分野』をすべて売却するという、『ラディカルな選択と集中』を断行して低迷していたGEの経営を再建しました。