マクロ経済学とミクロ経済学とは何か?

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基礎経済学には、国家や国民、市場といった大きな視点から経済のメカニズムを研究する『マクロ経済学』と個人や企業などの個別的な経済活動から市場のメカニズムと景況を分析する『ミクロ経済学』があります。“マクロ(macro)”とは“巨視的”という意味であり、“ミクロ(micro)”とは微視的の意味です。

マクロ経済学は、「政府・企業・個人という経済主体」の行為を、大きな観点から総合的に分析する学問であり、「GDP・国民所得・物価・貯蓄・消費・投資・国際収支・景気指数などの集計概念(集計データ)」を元にして研究が進められます。

マクロ経済学の目的を簡単に言ってしまえば、『将来の経済状況(景気変動,デフレ,インフレ,バブル)の予測』であり『有効な経済政策(政府の財政・金融政策)の実行のための理論構築』です。マクロ経済学は、国民の自由な経済活動のみに基づく市場原理(競争原理)を完全に信頼することは出来ないというケインズ経済学の前提に立っています。

ケインズは、失業率を低い水準で保ち、好景気の状態を維持するには、政府による適切な市場介入(経済政策)が必要だと考えましたが、マクロ経済学は景気調整の為の適切な経済政策を考えるという目的を持っています。修正資本主義とも呼ばれるケインズ経済学(マクロ経済学の原点)を創始したジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes,1883-1946)は、20世紀最大の経済学者と言われ経済学史を語る上で欠かすことの出来ない偉大な人物です。

マクロ経済学では、景気変動による不況や失業を前提として政府の経済政策を考えるのですが、ミクロ経済学では、全ての人が職業に就き需要と供給が絶えず均衡する『完全雇用・完全競争・市場均衡』というモデルをもとにして経済を考えます。その為、ミクロ経済学では不況や失業を上手く説明して対処することが出来ず、そのミクロ経済学の不十分な点をマクロ経済学(特にケインズ経済学)は集計データを元に補っているという見方をすることが出来ます。

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ミクロ経済学は、財の価格(物価)の変化のメカニズムとその影響を受ける市場のプレイヤー(生産者・企業・消費者・個人)の経済行為を分析する学問分野です。ミクロ経済学の市場における需要は絶えず均衡していて完全雇用を実現していると仮定しているので、景気変動による不況や失業を考えずに経済活動を分析するという特徴があります。その意味で、マクロ経済学と比較するとミクロ経済学は、理想的なモデルに準拠した形式から逸脱しない学問であるという事が出来ます。

ミクロ経済学の市場で景気変動が存在しないのは、市場では供給が需要を生み出し、売れない商品でも値下げし続ければ何処かで必ず売れる(需要と均衡する)という前提があるからです。資本家と労働者の関係においても、労働者が希望する賃金をどんどん低くしていけば必ず雇ってくれる企業があるという完全雇用の前提を置いています。その意味では、現実社会で起きる不況の経済現象や仕事をしたくてもできない非自発的失業者の存在を十分に説明し尽くすことが出来ない部分があります。

全体的な視点から経済を眺めるマクロ経済学に対して、ミクロ経済学は個々の個人や企業の経済行為を中心にして経済事象を分析していきます。ミクロ経済学は、具体的な経済生活や売買行為でどのように価格が決定されていくのかといった市場メカニズム(価格メカニズム)を中心に理論を形成していきます。インフレ(物価上昇)・デフレ(物価下落)が、企業の生産活動や個人の消費活動にどのような影響を与えるのかを考えたり、利潤を最大化させようとするホモ・エコノミクス(経済人)の行動を予測するゲーム理論の分野もミクロ経済学に含まれます。

商品に関する情報や契約についての説明を十分に得ることが出来ない「不完全情報」の事態や自分以外の他者や問題が自分の利害に影響を与える「外部経済」などの悪条件がない限りは、市場の需給はいつも均衡して完全雇用も実現されるというのがミクロ経済学の原則です。

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コラム:ジョン・メイナード・ケインズの華麗なる経歴と功績

1883年、イギリスのケンブリッジに生まれたケインズは、ケンブリッジ大学の教官である父ジョン・ネヴィル・ケインズと社会事業家でありケンブリッジ市長にもなった母フローレンス・エイダ・ケインズの間に生まれました。妹と弟もそれぞれ優秀な才能を持ち、妹は社会福祉活動を積極的に行って老人ホーム建設などに尽力して、弟も外科医師としての職務を果たしたようです。

1883年という同年に、もう一人の経済学史の俊英であるジョセフ・シュンペーター(1883-1950)も生まれました。シュンペーターは、景気変動の周期性(コンドラチェフ長期波動・ジュグラー中期波動・キチン短期波動)などを詳細に研究した人物ですが、1942年の『資本主義・社会主義・民主主義』という著作の中では資本主義の歴史的終焉を予告したりもしています。

このように、ケインズはイギリスのインテリジェンスの高い上流家庭に生まれ、自身も幼少期から天才の片鱗を見せて順調にその才能を開花させていきます。ケンブリッジ大学キングズ・カレッジへと進学して典型的なエリート街道を歩むこととなるケインズですが、大学では『ザ・ソサエティ』というエリート色の強いサークルに加入して、文学者ヴァージニア・ウルフらと出会ったりしています。ウィーン学団に強烈なインパクトを与えた分析哲学(言語哲学)の創始者であるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインとも深い交流があり、ケインズは彼に教職を紹介したりもしています。

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経済学者ケインズとしての本格的な開眼は、経済学の師であるアルフレッド・マーシャル(1842-1924)との出会いを通してでした。マーシャルは新古典派経済学の基盤を理論化した経済学者であり、ケインズだけでなく厚生経済学を創始したアーサー・セシル・ピグー(1842-1924)も教えています。

ケインズは、財務省の官僚として活躍した時期もあり、第一次世界大戦後には、敗戦国であるドイツが幾らの賠償金を負担する能力があるのかを試算したりもしましたが、イギリス首相のロイド・ジョージはケインズの試算は余りに安すぎるということでドイツに支払い不可能なほどの多額な賠償金を請求しました。過大な賠償金はドイツ経済を破綻に導き、ヨーロッパ経済全体も停滞することになります。そして、このヴェルサイユ条約締結後のヴェルサイユ体制と1929年の世界恐慌が、後に、ドイツにおけるナチス党の総統ヒトラーの台頭と悲惨な第二次世界大戦を導いていくことになります。

ケインズは、先物取引や為替・株式などの実利的な投機活動も旺盛に行い、一度は破産の憂き目も経験するのですが、その後は順調に投資による利益を積み重ね、著作の売上も伸ばしていきました。また、彼は多趣味な好事家としても知られています。作家のヴァージニア・ウルフと友好を深めた時期があったように、ケインズは文学や古書の収集癖がありました。それ以外の趣味として、美術品や骨董品にも強い興味を持っていて、それらの作品や道具に対する深い造詣と鋭い鑑識眼を持っていたそうです。

ケインズは、1930年に、貨幣経済をあらゆる角度から研究した『貨幣論』という大著を上梓するのですが、この著作の中で、現代の金融政策においても重要な意味を持つ『政府の貨幣供給量が物価を規定するという考え』を述べます。とはいえ、ケインズの代表作を一冊だけ選べと言われれば、誰もがマクミラン社から1936年に出版された『雇用・利子及び貨幣の一般理論』を選ぶでしょう。この著作は、経済学の世界に歴史的意義のあるパラダイム・シフト(理論枠組みの転換)をもたらしたのです。

ケインズ経済学の景気回復策(不況回避策)は、政府の財政支出(公共投資・公共事業)と減税という市場への介入によって、有効需要を創出して、個人の所得や企業のマインドを高めようとするものです。このケインズ的な公共事業による景気回復の典型例が、世界恐慌を克服しようとしたフランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領のニューディール政策といわれますが、その景気回復効果については現在でも賛否両論あります。現在の日本では、財政支出を最小化するネオリベラリズムの財政構造改革が進められていますので、公共事業を重視するケインズ主義政策に対して批判的な流れが強くなっているとはいえるでしょう。

ケインズ革命とは、供給が需要を生み出すから絶えず市場は均衡し、完全雇用が実現されるというセイの法則『有効需要の原理』で否定し、非自発的失業者(働く意志と能力があるのに働けない人)の存在を認めない古典派経済学へのアンチテーゼを提示しました。つまり、自由市場の競争原理は、自律的に理想的な需要と供給の均衡と完全雇用を導くわけではないという事です。市場に『神の見えざる手』は存在しないのだから、失業率や景気変動に合わせて政府が適切な市場介入(公共投資・金融政策)を行わなければならないとするのがケインズ革命が示唆する経済政策なのです。

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