トール(Tor)は巨人族と対決する荒ぶる戦神・雷神であり、北欧神話ではオーディンの息子という設定になっている事が多いが、更に昔の古代の神話ではオーディンと同格以上の権威を持つ神であったという。英語ではトールは“Thor”と表記するが、英語読みする場合にはトールではなくソーやソアと呼ばれることも多い。雷神・戦神であるトール(ソー)を主役にしてストーリーを創作したハリウッド映画に、クリス・ヘムズワース主演の『マイティ・ソー』がある。
北欧神話最強の戦神・雷神とされるトールは、金髪の頭に赤毛の髭を蓄えた巨漢であり、雄牛を丸ごと飲み込んでしまうほどの豪快な大食漢でもあった。侵略主義のヴァイキングの全盛期が終わると、農民階級からの信仰を集める『農耕神』としての属性も持つようになっていった。スウェーデンにかつて存在していた『ウプサラ神殿』には、トール、オーディン、フレイの3神の像が並べて立てられ、最も大きなトールの神像が真ん中に配置されていたという。スウェーデンやノルウェーといった北欧だけではなく、広くゲルマン民族の国全般でもトールは信仰の対象にされていた。
雷神であるトールは、雷の属性を持つギリシア神話のゼウスやローマ神話のユピテルと同一起源を持つ神と考えられている。巨人族と戦う武勇に優れた豪胆・粗暴な英雄神というのがトールの持つイメージである。トールの豪胆さや粗暴さの原因は、頭の中に砥石(火打石の欠けら)が入っているためとされるが、単純な乱暴さはあるものの、自分よりも弱いものを敢えて虐待するような事はない。
アースガルドにいる他の全ての神々の力を合わせても、トールの途轍もない怪力には敵わないとされた。トールの妻は美しく豊かな金髪を持ったシヴであり、北欧の人々がヴァイキングから転向して定住の農耕を始めると、トールとシヴは豊かな穀物の実りを約束してくれる『農耕神』として信仰されるようになった。最強の戦神であるトールは、鉄の手袋をはめて力が倍増する鉄の太いベルト(メギンギョルズ)を締めて巨人たちと戦ったが、トールの使いこなす武器は魔法の戦鎚(ウォーハンマー)の『ミョルニル(ムジョルニア)』である。
ミョルニル(ムジョルニア)という雷を象徴する武器は日本では聞きなれないものであるが、古ノルド語で『粉砕するもの』を意味する強力無比なハンマー(戦鎚)である。幾ら怪力で敵や物に打ちつけても壊れる事がなく、投げつければ的に必ず命中して再び手に戻ってくる特長を持っている。
ミョルニルは、雷電と共に敵に振り下ろすことができ、大地に叩きつければ地震が発生して地面が崩落するほどの威力を持っている。ミョルニルは自由自在に大きさを変えて持ち運べるが、神話によっては真っ赤に焼けている戦鎚なので素手で持つことができず、ヤールングレイプルという鉄製の手袋を嵌めて持たなければならなかった。
ミョルニルという魔法の戦鎚(ウォーハンマー)は、ドワーフの兄弟ブロックとエイトリ(シンドリ)と鍛冶屋のグリンブルスティとドラウプニルが、イールヴァルディの息子たちより優れた武器を作ろうとして作り出し、トールへと献上されたものである。トールはこのミョルニル(ムジョルニア)によって、霜の巨人や山の巨人をはじめとする多くの敵対的な巨人を打ち殺した戦績を持っている。ミョルニルの一撃を受けても死亡しなかった生物は、世界蛇のヨルムンガンドだけとされている。
トールの2頭の山羊(タングリスニとタングニョースト)に戦車を引かせていたが、戦車が疾走する時には、激しく稲妻が光って雷鳴が大音量で轟いたといわれる。2頭の山羊は空腹時に食料として屠られることもあったが、魔法の鎚であるミョルニルを振るうと、一度死んだ山羊が再び蘇ったとされる。バルドルの葬儀の際には、ミョルニルが儀式を聖別するための道具として用いられた。
トールは霜の巨人スリュムから大事な魔法の武器であるミョルニルを盗まれてしまったことがある。霜の巨人スリュムは美の女神フレイヤを妻にしたいと願っており、フレイヤを連れてくればミョルニルを返してやるとトールに交渉を持ちかけてきた。しかし、美の女神フレイヤが霜の巨人スリュムを気に入るはずもなく、トールの願いはフレイヤからあっさりと拒絶されてしまった。仕方なくトールは自分自身が花嫁姿のフレイヤに変装し、弟のロキを侍女に変身させて、巨人の国ヨツンヘイムへと向かった。
花嫁のフレイヤに変装したトールは異様なオーラを発して周囲を威圧していたが、巨人スリュムがフレイヤを聖別するために、隠していたミョルニルをフレイヤ(に変装しているトール)の膝の上に置いた。すると即座にミョルニルを取り返したトールによって、スリュムはあっという間に頭を打ち砕かれてしまった。トールは短気で粗暴なところはあるが、基本的には単純明快で正直者、お人好しといった性格特徴を持った神である。
魔法の戦鎚ミョルニルを象ったモチーフやレプリカは、スカンディナヴィア半島の広い北欧の地域でポピュラーなものとされており、結婚式をはじめ北欧諸国の祭典ではアクセサリーや衣装のモチーフに採用されたりもする。北欧神話では、主神オーディン以上に人気・知名度のある神であるトールは、キリスト教におけるイエス・キリストに近いインパクトと影響力を持っているが、ミョルニルのデザインは北欧諸国ではネックレスや指輪などアクセサリーに応用されることも多い。
トールはフルングニル、スリュム、ゲイルロズといった強大な霜の巨人たちを打ち殺した英雄神であり、アースガルドの神々とミッドガルドの人間を巨人から守る働きをして、『エッダ』の神話にもトールの武勇と怪力を賞賛するエピソードが多数収載されている。