アボリジニーの創造神話とオセアニアの歴史・島

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オセアニアの島・歴史・宗教と航海による移動

オセアニア(Oceania)は南太平洋にある無数の島々で構成された六大州の一つであり、オーストラリアとニュージーランドの国を含んだ地域である。オセアニアは日本語で『大洋州(たいようしゅう)』と訳されることもあるが、大きく『ポリネシア・メラネシア・ミクロネシア』の3つの区域(海域)に分類することができる。

ポリネシアはミッドウェー諸島、ニュージーランド、イースター島を結んだ三角形(ポリネシアン・トライアングル)の内部の地域である。メラネシアはパプアニューギニア、フィジー、ソロモン諸島、バヌアツなどを含む地域である。ミクロネシアはマーシャル諸島、マリアナ諸島、サイパン、グアムを含む小さな島々で構成された地域である。

オセアニアを3つの島々の区域(海域)に分類する時には、オーストラリアを含まないが、オセアニア最大の大陸(島)であるオーストラリアはオセアニアの陸地面積の“約86%”を占めている。オーストラリアとニューギニア島とニュージーランドを合わせると、陸地面積の約98%までを占めることになり、それ以外の無数の島々の面積が如何に小さいかが分かる。オセアニアの島々には、マレー・ポリネシア系民族がカヌーを改良した航海術を用いてほぼすべての海に移動して植民しており、独自の海洋文明と宗教信仰・神話体系を築いていった。

ポリネシアとミクロネシアには宇宙の起源について説明する神話が残されているが、オーストラリアやメラネシアにはそういった宇宙起源神話は存在しない。約4万年以上前からオセアニアの島に人類が住み始めたとされるが、その時にはオーストラリア大陸とニューギニア島は地続きで大オーストラリア大陸を形成していたと推測されている。大オーストラリア大陸には、オーストラロイドの狩猟採集民が居住しており、そこからオセアニアの様々な島嶼部に新天地を求めて移住が始まったのである。

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約4万年前から暫く経つと大オーストラリア大陸は、海面水位の上昇によってオーストラリアとニューギニア島が分離し、約3500年前にオーストラロイド(モンゴロイド系でオーストロネシア語を話す人々)がカヌーに乗って海を渡りオセアニアの島々に移住を開始した。原住民であったモンゴロイド系のオーストラロイドは、カヌーを製作して土器と磨製石器を用い、バナナやタロイモ、サトウキビを栽培して、豚・犬・野鳥などを家畜化して飼っていたと考えられている。

カヌーに様々な生活用具や食料品・家畜を積み込んで、勇敢にオセアニアの海に乗り出していったが、紀元前1300年頃には東部のサモアやトンガに達し、その後、約2000年程度の歳月をかけてハワイやイースター島、マルケサス諸島に移り住んだようである。ニュージーランドにも西暦1000年頃に到達したが、オーストラロイドの造船技術・航海技術は、二台のカヌーを横に並べて甲板とキャビンを作ったダブルカヌーの大型船によって急速に発達していった。外洋航海に適したダブルカヌーには沢山の食糧・道具を積み込むことができたので、比較的遠方の海域・島々にまで航海をしやすかったのである。

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オセアニアの古代の航海技術も『風向き・潮流・雲の動き』で方角を定位できるほど発達しており、『太陽の運行・星座や月の動き・海鳥の飛来』などを羅針盤のように見て方角を定めることが出来たという。時代を下るにつれて、船やカヌーの技術は高度化されて航海技術も発達したが、それと合わせてカヌーの船首・船尾に木彫りの神像が飾られるといった宗教(海神の保護と航海の安全を願う)の影響も見られるようになる。

1976年には、古代のオセアニアのオーストラロイドのダブルカヌーの航海技術・船の性能の実証実験が行われている。羅針盤やエンジンを搭載していないダブルカヌーに、食糧と家畜を積み込んで、ハワイのマウイ島からタヒチまでの約5000キロを約35日間で移動することに成功したのである。

アボリジニーの創造神話

オセアニアの原住民の宗教信仰の基本は、森羅万象のあらゆるものに神性や生命力が宿っているとするアニミズム(精霊信仰)であり、『祖先・自然・動物の崇拝』を非言語的文化の神話物語の口承(口伝え)によって子孫へと継承していた。部族の長老や語り部、神話・物語の口承の専門職によって、それらの宗教・神話の物語が後世へと伝えられていったのである。動物崇拝の現れとして、動物の牙・骨を使って繊細な装飾品・美術工芸品を製作しているが、イースター島の巨大・無数のモアイ像のようにその宗教信仰の意図が推測しづらい謎のモニュメント(遺跡群)も残されていたりする。

オーストラリアの先住民であるアボリジニーは、ユーラシア大陸のモンゴル草原を故郷とするモンゴロイド系人種だが、侵略してきた白人に大量虐殺されたこともあり現在のオーストラリアの人口の約1%未満を占めるに過ぎない。ヨーロッパ人がオセアニアの島々の存在を知るきっかけになったのは、マゼランの世界一周であり、1521年にグアム島に上陸している。

その後、1768年~1779年にかけてイギリスの海軍士官・海洋探検家のキャプテン・クック(1728-1779)の太平洋航海によって、ヨーロッパ諸国がオセアニアの島々を植民地化するようになる。西欧列強の帝国主義によって、オセアニアの現地の文化・歴史・宗教・神話は破壊されることになり、次第にキリスト教に改宗させられてオーストラリアやニュージーランドは西洋文明に適応していったのである。

アボリジニーは約3万5千年前に海を渡って南下し、ニューギニアを経由してオーストラリアに渡ってきたと推測されている。アボリジニーが独自の文化的な生活様式を確立したのは約3000~4000年前と考えられているが、彼らは『トーテム信仰』『通過儀礼(イニシエーション)』で自然・動物・植物を神聖視して崇めていた。

アボリジニーのアニミズム(精霊崇拝)を前提とする神話物語の主人公は、さまざまな種類の鳥やコウモリ、蛇、月・太陽などの『動植物・自然』であり、更に人間もまた動植物・昆虫の一種のように捉えられていた。アボリジニーの創造神話では、キリスト教やイスラム教のように人間は他の動植物・昆虫と区別される特別な存在ではなく、『動物・昆虫』から自然生成的に人間が創造されたという物語が伝えられていたのである。

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木の根元で長期間眠っていた虫の幼虫の腋の部分から人間が生み出されたり、砂漠の太陽に照らされた何か不完全な動物が、砂漠でバタバタと手足を伸ばしているうちに体が巨大化して人間へと変化したなど、アボリジニーの人間創造の神話は他の地域・民族の神話よりもユニークで自然と調和的な内容(人間も動植物の一種に過ぎないという内容)になっている。

アボリジニーは『洞窟壁画(岩絵)』を数多く残しており、その岩絵に描かれているのは『人間・動物・生活用具』などの様々なものであり、これらは多産・豊穣を願うアボリジニーの宗教儀礼にも活用されたのではないかと考えられている。アボリジニーの神話物語、創造神話は他の宗教の神話と比較して『素朴なファンタジー性』が強くて『自然と動物・ヒトを一体化するような想像力の強さ』が見られるのが特徴である。

アボリジニーの神話物語には今はオーストラリアの観光スポットとして有名な『エアーズ・ロック』も登場するが、彼らはこの土地・地形を『ウルル』と呼び、平坦な大地から突然岩が盛り上がってきてウルルが形成されたと伝承している。夢と現実が入り混じった世界観が、アボリジニーの神話には見られるが、エアーズ・ロック(ウルル)は彼らの『イニシエーション(通過儀礼)』が執り行われる象徴的な聖地でもあった。

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