伊勢信仰・伊勢神宮

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伊勢神宮の信仰・歴史

伊勢神宮125社と伊勢信仰の庶民化

伊勢神宮の信仰・歴史

三重県伊勢市にある『伊勢神宮(いせじんぐう)』は、日本の神社の中で歴史的・権威的に別格とされる特別な神社であり、神社本庁の本宗(ほんそう)とされており、古代期には九州の宇佐神宮(うさじんぐう)、中世期には京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)と並ぶ『二所宗廟(にしょそうびょう)』の一つとして認識されていました。江戸時代には『お蔭参り・お伊勢参り』と呼ばれる伊勢神宮への徒歩での集団参詣が流行となり、年間数百万人規模の参拝者で溢れるようになっていきますが、この時代の伊勢神宮へのお蔭参りは『信仰・巡礼目的(現世利益・来世救済)のお参り』『観光旅行(物見遊山)目的のお参り』とが混合したものでした。

伊勢神宮は別格の神社(神社の起源的性格も持つ)であることから、正式名称は何も前に地名がつかない『神宮(じんぐう)』であり、ただ神宮というだけで伊勢神宮のことを指すようになっています。明治時代から昭和初期(戦時中)における国家神道の『近代社格制度』でも、伊勢神宮はその歴史的・信仰的な重要性と天皇家の皇祖神との結びつきから『社格の対象外』とされていました。伊勢神宮は和歌山県和歌山市にある紀伊国一宮である『日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)』と並んで、神社の位階(格付け)である神階が授与されたことのない特別な神宮になっていて、その創建年代も内宮の垂仁天皇26年(紀元前4年頃)、外宮の雄略天皇22年(477年頃)と相当に古いものになっています。

伊勢神宮は、太陽を神格化した女神とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀っている『皇大神宮(内宮)』と、衣食住(神饌)の守り神である豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)を祀っている『豊受大神宮(外宮)』の二つの正宮から構成されています。一般的には、皇祖神とされるアマテラスオオミカミは『天照大御神』と漢字表記されますが、伊勢神宮では内宮の主神は『天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)』と呼ばれています。皇大神宮(大神宮)を『内宮(ないくう)』といい、豊受大神宮を『外宮(げくう)』といっていますが、内宮と外宮は地理的に離れた場所にあり、その起源も異なる説話に基づいています。

伊勢神宮は元々『皇室の氏神』であり『皇室・朝廷の権威・正統性』と強い結びつきがありますが、『国家鎮護の最高神』として日本全国の人々からの参拝・崇敬を受けています。古代期には皇室の氏神として、天皇・皇后・皇太子以外の奉幣が禁止されるほどの特別の権威を持っていたと伝えられ、天武天皇の時代に『斎宮(さいぐう・いつきのみや)・斎王(神の意志を承る拠り代となる斎女)』が制度化されて、南北朝時代まで続きました。平安時代の私撰歴史書(僧皇円の著作とされる)である『扶桑略記(ふそうりゃっき)』という書物では、天武天皇の皇女である大伯皇女・大来皇女(おおくのひめみこ)が初代の斎王とされています。

伊勢神宮とは正確には内宮・外宮との関係が深く格式の高い『別宮(べつぐう)・摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)・所管社(しょかんしゃ)』を含めた、合計で125の社宮をまとめたものです。この神宮の125の社宮の所在地は、三重県内の4市2郡にわたって分布しています。中世期には神仏習合・本地垂迹説の教義の上で伊勢神宮は『神道の最高神・最高権威』とされ、朝廷・天皇への崇拝もあって皇室だけの氏神の存在から、日本全国の国家鎮護を司る神として崇拝されるようになり、全国の武士・庶民の信仰も集め始めました。

しかし南北朝の戦乱期には、神宮領が侵略・焼討される被害を受けて経済的基盤を失ったため、神宮は『式年遷宮(しきねんせんぐう=20年ごとに諸神社の正殿を新しく造替して神座を遷す行事)』をする資金的余裕も無くなってしまい、その資金を獲得するために神宮の信者を宣伝活動によって庶民にまで増やしました。更に、各地の講を組織化して参拝客を案内してあげる『御師(おんし)』が出現しました。近世江戸期には、『お蔭参り(お伊勢参り)』が大流行して信仰・巡礼のための参拝だけではなく、いわゆる観光旅行(レジャー)としての参拝も増えました。江戸時代には庶民的な響きのある『お伊勢さん』という愛称も定着していき、弥次さん・喜多さんの『東海道中膝栗毛』の旅の記述でもお蔭参りの盛況ぶりに触れています。

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伊勢神宮125社と伊勢信仰の庶民化

伊勢神宮で祭られている天照座皇大御神(天照大御神)は、神道の八百万の神々の中でも皇祖神とされる別格の女神であり、至高至尊の太陽神、国家鎮護の最高神とされています。天照大御神は『皇室の氏神』であると同時に『日本人の総氏神』でもありますが、元々は天皇以外の幣帛(神前へ供物を捧げること)が厳しく禁止(私幣禁断)されていた権威的な神社であり、それが時代が下るにつれて次第に庶民化していったという流れがあります。

伊勢信仰の庶民化の契機となった一つの要因は、前述したように南北朝の戦乱によって神宮領が侵略されて収入源の多くが失われたことであり、伊勢神宮は年中行事や式年遷宮に必要な資金を集めるために、寄付・投げ銭をしてくれる信者の数を増やさなければならなくなりました。また平安時代末期には、既に伊勢参拝の客を案内したり宿泊の世話をしたりする『御師(おんし)』が登場しており、伊勢信仰が日本各地に広まっていき伊勢参りをしたいという庶民も増大していきました。信者を組織化して神道の教えを説いたり伊勢参りを計画したりする『伊勢講』という集まりも作られるようになっていきます。江戸時代に『お蔭参り・お伊勢参り』が大ブームとなり、伊勢音頭という民謡では『伊勢へ行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも』と歌われるようにもなっていきました。

伊勢神宮は皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)を『正宮』として、全部で125の社宮によって構成されていることから『神宮125社』と呼ばれますが、その主要な社宮(別宮・摂社)は以下のようになります。摂社とは、『延喜式神名帳』に記載されている正宮・別宮以外の神社のことです。

伊勢信仰と関連している神社は日本各地に分布しており、その代表的な神社には以下のようなものがあります。

伊勢信仰と関連がある神社
神社名所在地
芝大神宮(芝神明宮)東京都港区芝大門
伊勢山皇大神宮神奈川県横浜市西区
金沢神明宮石川県金沢市野町
安久美神戸神明社愛知県豊橋市八町通
朝日神明宮京都府京都市下京区
日向大神宮京都府京都市山科区
露天神社(難波神明宮)大阪府大阪市北区
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