神社の建築物(施設)と境内の造り
神社の建築様式と摂社・末社
神社の古代(上代)における歴史的な原型は、『神社・神道とは何か?』の項目で説明したように、神々が宿っている“依り代(よりしろ)”と見なされた『神奈備(かんなび)』にありました。神奈備は大きく分けると、鎮守の森で神と見なされた巨木の周囲に玉垣をめぐらして注連縄で囲った『神籬(ひもろぎ)』と神が宿っていると考えられていた巨岩・巨石の『磐座(いわくら)』とに分けることができます。
臨時に神を迎えるために、『八脚台』という木の台の上に枠を組んで作り、その中央に榊の枝を立てて紙垂と木綿(ゆう)を取り付けたもののことも『神籬(ひもろぎ)』といいますが、その原義は『(石などで作られた)垣根』です。また、建物の中に玉垣を設けて常盤木を神と見なしていた時代の神社では、その常盤木(常緑樹の榊など)のことを神籬と呼んだりもしていました。
『山岳信仰』の影響で山が神そのものとされることもあり、その山は立入り禁止の『禁足地(きんそくち)』とされたり『神体山(しんたいざん)』と呼ばれたりしました。上代から時代が下るとその神奈備の跡地や鎮守の森に囲まれた神聖な地域に、『神社の社殿』が建設されるようになり、その神社の周囲の領地(神領)が『境内(けいだい)』になっていきました。
鎮守の森に囲まれていることが多い神社の入口には、境内(聖域・神域)と俗界の境界を示している『鳥居』の門があり、その奥の社殿にまで『参道』が長く通じています。鳥居には入り口の正門に当たる『第一鳥居』だけではなく、それに続く『第二鳥居』がある神社もあります。鳥居の周囲から広がって神社の境内を広く囲い込んでいる柵のことを『玉垣(たまがき)』といい、参道の途中には手と口をすすいで清めるために湧き水を溜めた『手水舎(てみずや,ちょうずや)』があります。
神社の境内の最奥にある最も重要とされる建築物が、祭神が宿っているとされる御神体(ごしんたい)を安置している『本殿(ほんでん)』ですが、神社によっては神社の背後にある山や岩、森などが神そのものとされていて本殿が設置されていない神社もあります。大きな神社では本殿の前に、『幣殿(へいでん)』と『拝殿(はいでん)』と呼ばれる建築物があることが多いのですが、『幣殿』というのは『幣帛(へいはく,麻や絹などの織物の意味)』という神への供物をお供えするための建物のことです。本殿と幣殿の手前にある『拝殿』というのは、一般の参拝客が本殿にいらっしゃる神様をお参りするための建物であり、浄財をお布施するための『賽銭箱』が置かれていたりします。
社殿が建設される前の古代の神社では、上記した『神籬(ひもろぎ)』の台を組み立ててから、神籬を神の依り代として祭祀を行っていましたが、その後に神籬を設置していた空間に社殿(本殿)が建てられ始めました。しかし、古代から神々が宿るとされた御神体山(禁足地)や巨岩などを崇拝していた神域では、そのまま本殿を建てずに御山を崇拝するという信仰が残ることになり、御山の麓に供物を奉献する『幣殿』や拝礼をする『拝殿』が建設されたのです。奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)や長野県の諏訪大社(すわたいしゃ)に本殿がない理由は、この『山岳信仰・御神体山(神奈備)の信仰の残存』に拠っています。大神神社は日本最古の神社の一つであり、本殿が無いからといってその宗教的権威が劣るなどという事は全くなく、大神神社には幣殿の最古の形式とされる神に神饌(しんせん)を献上するための『御棚(おたな)』が設けられています。
主神と一緒に主神と由縁のある相殿神を祀っている場合には、本殿の内部に『相殿(そうでん)』という空間が準備されていることもあります。神に供物を供えるための『幣殿(へいでん)』には常時、神の食事となる御幣(ごへい)が立てかけられていることが多く、内部には『神饌案(しんせんあん)』という供物を上に載せて置くための台・机があります。幣殿では神職が祝詞(のりと)を上げることも多いので、『祝詞殿(のりとでん)』と呼ばれることもあります。幣殿の前にある神様の参拝のための『拝殿(はいでん)』は、神仏習合(シンクレティズム)で権現思想が一般的だった時代には、護摩壇のようなお札・木材を燃やす炉が置かれていて、『参籠(おこもり)』と呼ばれる泊まりがけの礼拝が行われていたりもしました。
神社の境内には神社の各種の業務を司ったり神職・巫女が待機するための『社務所』も置かれており、絵馬やおみくじ、お守りを括りつけるための『授与所・御神木』が設けられていたりもします。
神霊が宿っているとされる御神体が安置されている神殿(本殿)の建築様式にはさまざまなものがありますが、以下に代表的な建築様式を示します。
神社(神殿)の屋根の先端に当たる破風(はぶ)は、十字に交差して突き出ている事が多いのですが、この交差した部分は神殿の神聖さ・特別性を象徴する装飾で『千木(ちぎ)』と呼ばれています。千木は『鎮木・知木』と表記されることもあり、『古事記』の表記では『氷木(ひぎ)・氷橡(ひき)』となっており、古語では『ひ』と『ち』という言葉には神聖な霊力が言霊(ことだま)によって宿っていると考えられていたようです。千木の先端が垂直に切ってあるものを『外削(そとそぎ)』、水平に切ってあるものを『内削(うちそぎ)』と呼んでいます。
千木と同様に神殿の神聖さ・威厳を象徴する装飾として『鰹木(かつおぎ)』と呼ばれるものがあり、これは本殿の屋根の上に棟木と直交する形で並べて置かれている木材です。鰹木はその形態が鰹節(かつおぶし)に似ていることからそのように呼ばれるようになったと考えられていますが、『賢魚木・勝男木・葛緒木・鰹』という風に表記されることもあります。
大規模な神社になるとその境内の内部や外部に『小さな神社』を建てていることがありますが、ある神社の系列に連なっていてその管理下にある小さな神社のことを『摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)』といいます。両者を合わせて『摂末社(せつまっしゃ)』と呼ぶこともありますが、摂末社で祀られている神(=末社神)は、上位の神社(=本社)で祀られている主祭神と縁故関係にあるものが多くなっています。神社の格式の序列では『本社・摂社・末社』の順番になっていますが、その歴史的な古さや由来の権威性では、必ずしも本社が摂末社を上回っているわけではない神社もあります。
神社の境内の内と外を区切っている『玉垣(たまがき)』は、『斎垣(いんがき)・瑞垣(みずかき)』と呼ばれることもありますが、この玉垣は非日常的な聖域(神域)と日常的な世俗世界との境界線として機能しており、鳥居と玉垣が一帯となって特別な神社の聖域を区切っているのです。
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