ハルフォード・マッキンダーの地政学の創設:シーパワーとランドパワー

ハルフォード・マッキンダーの地政学(geopolitics):シーパワーとランドパワーの戦争史観
ヨーロッパ・ロシアにとってのハートランドの地政学的重要性

ハルフォード・マッキンダーの地政学(geopolitics):シーパワーとランドパワーの戦争史観

イギリスの政治家・地理学者のハルフォード・マッキンダー(Sir Halford John Mackinder,1861-1947)は、地理的な位置・概念を基礎として国際情勢(特に軍事戦略)の全体動向を推測し、現在及び将来の国家戦略(国防・侵攻の指針)となる大戦略を確立しようとする『地政学』の創設者として知られるが、マッキンダー本人は『地政学』という言葉そのものを用いたことはない。地政学の普遍性を持つ大前提は、『各国の地球上における地理的物理的な位置は変わらない』という要素であり、物資の輸送(兵站)を陸路に頼るか海路に頼るかの主要交通手段も概ね地理的位置によって決まってくるということである。

ハルフォード・マッキンダーは1899年にオックスフォード大学地理学院の初代院長に選任され、1904年にはロンドン大学の政治経済学院院長に就任して、イギリスの政官界に数多くの能力のある俊英を送り出していったが、元々は自然科学分野や自然の調査にも強い興味があり、1899年9月13日にアフリカ大陸第2位の高山であるケニア山に初登頂したという特異なエピソードも残されている。

マッキンダーはロンドン大学政治経済学院において、約20年にわたって経済地理の講義を行ったが、そのユーラシア大陸を重要視する地政学の前提となっている主な理論・世界観は以下のようなものである。

1.世界(地球)は有限の閉鎖空間である。

2.人類の歴史はランドパワー(大陸国家)とシーパワー(海洋国家)の戦いの歴史である。

3.20世紀から(これから)はランドパワー優位の時代に入る。

4.東欧(ユーラシアの心臓部のハートランド)を支配するものが世界を制することになる。

大陸国家の“ランドパワー(陸上勢力)”というのは、大陸内部に拠点を置いて『土地と人民の支配の拡大』を重視する勢力であり、陸上交通の発達・安全によって物資輸送の拡大(物質的な豊かさの増大)を図ろうとする勢力のことである。ロシア(旧ソ連)やドイツ、フランスが有力なランドパワーとして想定されていた。海洋国家の“シーパワー(海上勢力)”というのは、島国や海洋に面する土地に拠点を置いて『制海権・海上貿易の拡大』を重視する勢力のことであり、海上交通の発達・安全によって物資輸送の拡大(物質的な豊かさの増大)を図ろうとする勢力のことである。イギリスやアメリカ、日本が有力なシーパワーとして想定されていた。

ランドパワーの大陸国家とシーパワーの海洋国家はその行動原理から考えて相性(外交関係)が悪くなりやすく、『大陸国家の領土拡大の野心』『海洋国家の封じ込め作戦』がぶつかり合う時に大きな戦争が起こりやすいという仮説が立てられました。マッキンダーの歴史観は『シーパワーとランドパワーの闘争史観』とでも呼ぶべきものであり、ヨーロッパ(西欧)の歴史はユーラシア大陸からの軍事的圧力と双方のパワーバランスによって形成されてきたと考えた。

マッキンダーは『モンゴル帝国の強力な騎馬民族からヨーロッパが侵略されたランドパワー優位の時代』から『大航海時代・新大陸発見・海軍強化によってヨーロッパが富を蓄えたシーパワー優位の時代』を経て、『長距離鉄道建設(陸上交通の効率化)と陸軍強化(人口・兵員の多さ)によるランドパワー優位の時代』が再び迫ってきている、シーパワーであるイギリスの安全・繁栄に陰りが見えようとしているという危機感を訴えた。

マッキンダーの認識していた20世紀初頭の欧州の国際情勢の図式は、シーパワーの大英帝国(イギリス)をランドパワーの新興国であるドイツ・ロシアが追い上げているという図式である。イギリスの軍事的危機となる『大陸国家の国力増強・鉄道整備・領土拡大・兵員増加』から、どのようにしてイギリスを守ることができるかという国家戦略の立案を地理研究の目的にしていたのであり、そこには衰退の予兆を見せ始めた『イギリスの世界覇権の延命策』の考察が含まれていた。

マッキンダーが20世紀初頭を『ランドパワー優位の時代(ロシア・ドイツが急成長して台頭してくる時代)』になると予言した根拠には、以下のような実際の歴史の展開とイギリスの制海権衰退の兆候があった。

1.普仏戦争(1870年)で、新興ランドパワーのプロシア(ドイツ連邦の主要地域)がそれまで強国と見られていたフランスを容易に破ったこと。

2.南アフリカのボーア戦争(1899~1902年)で、イギリスがボーア人国家のオレンジ自由国とトランスヴァール共和国と戦ったが想定以上の苦戦を強いられ、長期戦を戦ったことでイギリスの国力が疲弊したこと。

3.日露戦争(1904年)で、帝政ロシアは新興シーパワーの日本に形式的には負けたが、『シベリア鉄道開通』によって、ロシアは極東地域に50万以上もの大兵力を短期間で輸送できるだけの陸上交通手段を持ったという事実(広大なロシア国内で近代的な鉄道を用いた迅速な兵力移動がしやすくなったことの脅威)。

4.イギリスが、偉大な大英帝国時代の『圧倒的な海軍力・制海権の優位』を失いつつあること。イギリスはヨーロッパから極東地域・アジアにかけての海上輸送路を、既に英国単独では維持できなくなっており、1902年に『日英同盟』を結んで日本のシーパワーを補完勢力として活用せざるを得なくなったこと。

ヨーロッパ・ロシアにとってのハートランドの地政学的重要性

マッキンダーは1900年代初頭の世界地図の軍事戦略的な領域区分を考えて、東欧とそこに接するユーラシア内陸部を『ハートランド(中軸地帯)』と名づけ、その内側の三日月地帯と外側の三日月地帯とを戦略的な重要拠点として区分した。これまでのユーラシア大陸からヨーロッパ半島への侵略経路を考えると、ユーラシア大陸のランドパワーは常にハートランドの中軸地帯と東欧を通過して、ヨーロッパ半島のシーパワーに侵略・支配の圧力を掛けてきたのであり、ヨーロッパ防衛のためにはバルト海及び黒海に挟まれた『ハートランド(中軸地帯+東欧)』の防衛が非常に重要になるという理論である。

東欧を含むハートランドの地政学的な重要性を強調したマッキンダーの有名なテーゼ(命題)が、『東欧を支配するものがハートランドを支配し、ハートランドを支配するものが世界島を支配し、世界島を支配するものが世界を支配する』というものである。ここでいう『世界島』というのは、ヨーロッパまで含んだユーラシア大陸の全体を指している。マッキンダーはヨーロッパ防衛(イギリス防衛)の生命線となる『ハートランド』を侵略しようとするランドパワーとして、ロシア(その後の旧ソ連)とドイツを想定しており、ロシアとドイツの軍事同盟をイギリスの脅威として非常に恐れたため、英国外交の優先課題は『ロシアとドイツの分断工作・イギリスとフランスの協調外交』になっていった。

イギリスやアメリカを中心としたシーパワー連合が、ハートランドを奪い取ろうとするロシアやドイツのランドパワーに対抗して、『ランドパワーによる世界島支配』を阻止しなければならないというのがマッキンダーの地政学的な国際情勢・軍事戦略の見立てであり、第一次世界大戦は正にそのマッキンダーの見立てをなぞるような形で進行したのである。第一次世界大戦では、ユーラシア大陸へ進行するための重要拠点であるハートランドを奪おうとする新興の大陸国家ドイツを、海洋国家イギリスと大陸国家フランスが中心になった『ミッドランド・オーシャン連合』が包囲して殲滅するという戦略が奏功したが、1917年のロシア革命発生後には海洋国家のアメリカまでイギリス側に加わってランドパワー(ドイツ)を激しく叩いた。

世界の平和と安全の秩序を維持するためには、『世界島支配(ユーラシア大陸全域の支配)の野心につながるハートランド制覇』をどの国にも許してはならないというのがマッキンダーの基本軍事方針であり、ヴェルサイユ体制を打ち破ったナチスドイツと戦った第二次世界大戦においても『ナチス・ドイツのユーラシア大陸支配(ハートランド制覇)』を阻止することが至上命題となっていた。イギリスはアメリカとフランスと結んでシーパワーの連合軍を結成し、ランドパワーとしてのナチス・ドイツに立ち向かったが、ナチス・ドイツのユーラシア支配の野心を強調してソ連のスターリンの『対ドイツの戦争方針』を維持すること(ドイツとソ連の外交関係を改善させないこと)にも努力した。

ドイツは、イギリスがヨーロッパ本土に上陸してくる際の『橋頭堡』となるフランスを早い段階で制圧することにいったんは成功したが、バルト海と黒海に囲まれた東欧の大部分を支配した後に、ドイツよりも巨大なランドパワーであるソ連と衝突することで『敗戦への道筋』を歩むことになってしまった。マッキンダーの地政学的な軍事戦略が示唆するイギリスの基本方針は、『ハートランド・東欧・世界島(ユーラシア大陸+ヨーロッパ)を独占するランドパワーの大陸国家』の存在や成長を許さないということであり、そこまで支配領域を拡大する前にアメリカやフランス、オーストラリア、日本などと『シーパワー連合(海洋国家連合)』を結成して制海権を強固なものとし、ハートランドを越えて伸長しようとする大陸国家を早い段階で包囲して弱らせるということである。

マッキンダーの地理に基づく理論やハートランドを重視する世界図式は、その後の地政学の理論的発展・基本認識に非常に大きな影響を与えたが、『海軍力(大艦巨砲主義)』から『空軍力(空母展開による空爆)』へと戦争の主要戦略が転換するにつれて、次第に現状に適合しない時代遅れな部分も目立ち始めた。

第二次世界大戦後に、ヨーロッパ諸国間の国家戦争を決定的に抑制する『EU(ヨーロッパ共同体)』が結成されたこともあり、イギリスがドイツのランドパワー伸長を警戒する基本図式も殆ど崩れている。2014年3月現在では、ウクライナ領内のクリミア半島(ロシア人が多い地域)に軍事力を展開しているロシア・プーチン政権の軍事的な拡大志向が警戒されやすい図式があるが、イギリスを含むヨーロッパ全域にとって『世界島支配の橋頭堡・前線基地』として利用されやすいハートランドは依然として軍事的・政治的に重要な地域ではある。

大西洋を挟んだイギリスとアメリカ、フランスの連携こそが、イギリスにとって最高の国家安全保障体制につながるという発想が、『NATO(北大西洋条約機構)』という集団安全保障体制を生んだりもしたが、現在では軍事的な仮想敵としてのドイツという考え方は、EUの政治経済的な協調主義(ヨーロッパ諸国の同質性・互助性)の影響によって殆ど見られなくなっている。

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