カール・E・N・ハウスホーファーのパン・リージョン理論

第一次世界大戦のドイツの敗戦とナチスドイツに影響を与えたカール・ハウスホーファー
カール・ハウスホーファーのパン・リージョン理論

第一次世界大戦のドイツの敗戦とナチスドイツに影響を与えたカール・ハウスホーファー

第一次世界大戦(1914-1918年)は、歴史あるヨーロッパの王家が帝国的な領域支配を維持するという『旧世界秩序』を崩壊させ、ドイツ帝国(ホーエンツォレルン家)、オーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク家)、オスマン帝国(オスマン家)、ロシア帝国(ロマノフ家)という4つの帝国(王家)が衰退して分解する結果をもたらした。1919年のパリ講和会議では、敗戦国であるドイツに莫大な巨額の賠償金が課せられ、フランスにルール地方やズデーテン地方を奪われるというドイツにとって屈辱的な戦後処理が為された。更に、賠償金の支払いのために国家財政が悪化してインフレが加速し、ドイツ人の生活は非常に苦しいものとなった。

第一次世界大戦後のベルサイユ体制下では、悲惨な世界大戦の犠牲や残酷さを反省して、戦争を回避するための平和協調・軍縮の路線が推進されていき、1919年にアメリカのウィルソン大統領の提唱で人類史上初の国際平和組織である『国際連盟』も発足した。戦争そのものを否定しようとする条約として、1925年に『ロカルノ条約』、1928年に『不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)』が締結され、ワシントン海軍軍縮条約やロンドン海軍軍縮条約によって列強諸国の格差のある軍縮が進められたりもした。

しかし、こういった国際協調の戦争回避(平和主義)路線は、ドイツ人にとっては『不公正・不名誉なヴェルサイユ体制(敗戦体制)の永続化』のようなものに感じられており、莫大な賠償金の支払いと国民生活の困窮、領土割譲の自尊心の傷つきに対するドイツ人の不満・憤りは次第に高まっていた。世界恐慌(1929年)の経済崩壊の影響や反ユダヤ主義の流行、カリスマ的なアドルフ・ヒトラーの扇動的な演説などもあって、次第に反共・反ユダヤ人・軍国主義の『ナチズム』がドイツ国中に広まるようになり、ドイツの領土と名誉、利権、国民生活の回復のためには戦争も辞さないという好戦的な国内世論が支配的になっていった。

アドルフ・ヒトラー総統が率いるナチスドイツ(第三帝国)の軍事思想や世界戦略に大きな影響を与えたとされる人物が、第一次世界大戦に陸軍少将として従軍した経験のあるミュンヘン大学の地政学者カール・E・N・ハウスホーファー(Karl Ernst Haushofer, 1869-1946)である。ハウスホーファーは1908年からの日本滞在時には『禅宗』の研究を行ったが、インドやチベットでも密教系の仏教(チベット仏教)を研究したり修行したりして、ラマ僧から奥義を授けられたと語るなど『神秘主義思想』にかなり影響を受けていたという。

ハウスホーファーは、優秀なアーリア人種の歴史的根源を研究して、ヒンズー教のクンダリニー・エネルギーである“ヴリル”の気力を高める精神訓練を行うための秘密結社である『ヴリル協会』をベルリンに設立するなどしており、オカルティズムや神秘主義に興味のあったアドルフ・ヒトラーとの気質的な相性の良さもあったと言われる。1919年、ハウスホーファーは地政学を講義していたが、その生徒であるルドルフ・ヘスと知り合うことになり、1921年にはその仲介でアドルフ・ヒトラーとも知己を得ることになった。

1923年の『ミュンヘン一揆(ビアホール暴動)』では、逃亡していたヘスを一時的に匿うなど協力をして、ランツベルク刑務所に収監されていたヒトラーとも面会を果たしているが、地政学を講義するハウスホーファーのヒトラーに対する評価は『正規の学問の理解』に対しては低かったが、『稀代の政治家・思想家』としては極めて高かったようである。1920年代にヒトラーの政治顧問を務めたハウスホーファーは、『トゥーレ協会』の黒幕ディートリヒ・エッカルトに続くアドルフ・ヒトラーの『第二の神秘主義的助言者』としての地位を占めるようになり、ナチスが政権を掌握した1933年にはミュンヘン大学の正教授に就任している。

カール・ハウスホーファーのパン・リージョン理論

ハウスホーファーは、駐ドイツ大使館付武官の大島浩(おおしまひろし)と会談してドイツと日本の政治的軍事的連携にも寄与した。『日独伊の三国軍事同盟』を結ぶことになる日本に、ヨーロッパにおけるドイツの影響力の大きさを知らしめした著作『太平洋の地政学』(Geopolitik des pazifischen Ozeans) を書いたりもしており、大日本帝国の世界戦略にも一定の影響をおよぼした。

しかし、ナチス政権末期には『ドイツとソビエト連邦の同盟の必要性(シーパワーの連合国に対抗するハートランドの団結)』を主張していたハウスホーファーは、反共戦線のためにソ連との戦争も辞さないとするアドルフ・ヒトラー総統と意見が対立することが多くなり、息子のアルブレヒト・ハウスホーファーが1944年に『ヒトラー暗殺計画』に関与したことで父のハウスホーファーも政治的に失脚することになった。ハウスホーファーは、息子アルブレヒトのヒトラー暗殺計画参加の罪と妻がユダヤ系の女性であることの二つの問題によって、すべての公的な地位・権限を剥奪されてしまい、ナチス当局から監視される監禁状態の生活を送らなければならなかった。

ドイツ敗戦で終わった第二次世界大戦後の『ニュルンベルク裁判』では、ハウスホーファーをナチスドイツの軍事戦略に理論的に貢献した戦争犯罪人として処刑すべきという意見もでていたが、ハウスホーファーが既に高齢で病気であったこと、アドルフ・ヒトラーの独裁政治や戦争行為へ関与したという直接の証拠がないことなどの理由から処罰・処刑は免れることになった。しかし、ハウスホーファーは1946年に妻と一緒にヒ素を飲んで服毒自殺を図り(自殺の理由を示す遺書などは残されておらずその理由は不明である)、ヒ素だけで死にきれなかったハウスホーファーは更に割腹自殺をして死亡するという凄惨な最期を迎えたのである。

カール・ハウスホーファーはフリードリヒ・ラッツェルの『生存圏(レーベンスラウム)の理論』ルドルフ・チェレン『経済自足論(アウタルキー)の理論』に影響を受けていたが、国家の持続的な生存と発展のためには軍事力によって一定以上の大きさのある生存圏(レーベンスラウム)を確保して、重要資源と産業活動を経済的に支配することで外国(仮想敵国)に頼らなくて良い自給自足を可能にしなければならないと主張した。

ハウスホーファーはハルフォード・マッキンダーの地政学も参照しており、ランドパワー(大陸国家)とシーパワー(海洋国家)の対立図式を前提として、ドイツは『ランドパワーの大国であるソ連との同盟』によって世界支配が可能な力を持つことができるとした。マッキンダーの『東欧を制するものがハートランドを制し、世界島(ユーラシア大陸)を制する』というテーゼにも依拠しており、ドイツが生存圏を確保して拡大していくためには『東欧』を手に入れることが何よりも重要であると考えていた。ドイツの工業生産力・技術力とソ連の労働力・重要資源を結びつけて協調することができれば『強大なランドパワーの大勢力』を結成することができ、アメリカとイギリスを中心とする連合軍のシーパワーを打ち負かすことが可能になると考えたわけである。

カール・ハウスホーファーの『パン・リージョン理論(統合地域理論)』というのは、世界を幾つかの経済ブロックに分けて軍事戦略と勢力均衡の方針を立てようとするものであり、世界をアメリカが支配する『汎アメリカ』、日本が支配する『汎アジア』、ドイツが支配する『汎ユーラアフリカ』、ソ連が支配する『汎ロシア』に分けて、各ブロックで最強の国家である『アメリカ・日本・ドイツ・ロシア』が世界の主導的な地位を占めることになるとした。

パン・リージョン理論では、『汎アメリカ・汎アジア・汎ユーラアフリカ・汎ロシア』の4つの経済ブロックの間で勢力均衡が成り立っていれば世界の平和秩序が維持されると考えたが、ドイツ人であるハウスホーファーの身内贔屓として、4つのブロックを一つの世界へと統合して盟主的役割を果たすようになるのが、汎ユーラアフリカを支配するドイツなのだとした。ハウスホーファーはドイツの特権的性格として、シーパワーであるアメリカ、イギリスは陸軍力の増強に限界があり、ランドパワーであるソ連は海軍力の増強に限界があるが、地政学的な諸条件から考えてドイツだけが『強大な陸軍力と海軍力の両方』を充実させることができるのだと主張した。

しかし、アルフレッド・T・マハンが『いかなる国もランドパワー(大陸国家)であると同時にシーパワー(海洋国家)であることはできない』という原則を提示したように、ドイツもランドパワーとシーパワーの両方において最強の国家になることはできず、結局、第二次世界大戦ではシーパワーの連合軍を結成したアメリカとイギリスに敗れることになった。

ハウスホーファーが強く主張していたように『ドイツとソ連との軍事同盟(ハートランドを拠点とするランドパワーの大同団結)』が成り立っていれば、アメリカとイギリスの連合軍も相当な苦戦を強いられていただろう。あるいは日独伊の三国軍事同盟が『ソ連を加えた四国軍事同盟』になっていれば、英米のほうが戦争に負けていた可能性があったかもしれない。ドイツは『ハートランドを制覇するものが世界を制覇することになる』としたマッキンダーのテーゼを踏襲しなかったことにより、東欧から東のハートランドをソ連と直接的に奪い合って兵力を損耗することになり、最終的にはランドパワーの大国ソ連を巧みに取り込んだ英米主導の連合軍に完膚なきまでの敗北を喫することになったのである。

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