アレキサンダー・ハミルトン、ジョン・ジェイらの『ザ・フェデラリスト』と近代立憲主義

『ザ・フェデラリスト』に見る立憲主義・連邦制
連邦国家の建設:個人の自由と多様性の保障

『ザ・フェデラリスト』に見る立憲主義・連邦制

2014年7月1日に、自民・公明の安倍晋三政権が憲法9条の解釈改憲を行って、日本国は同盟国(親密な関係にある国)が攻撃された場合に戦闘に参加できる『集団的自衛権』を行使できるということになった。内閣が閣議決定と独自の解釈で憲法の原則的な趣旨を大幅に変更したことに対して、『立憲主義の危機』が叫ばれることもあるが、立憲主義とはどういった思想や制度のことを意味するのだろうか。

立憲主義(constitutionalism)とは、端的に『憲法(constitution)』に従って国家権力の恣意的な濫用や専制政治への傾斜を防ごうとする政治思想・政治形態のことである。その原理的な思想性の淵源は、『人・武力の支配』ではなく『法・理性の支配』につながっている。立憲主義とは専制君主(国王・皇帝)や権力者・官僚組織によって、一方的かつ恣意的に人民が支配されないようにするための『法の支配(rule of law)』のことであり、憲法を意味する“constitution”は憲法以外にも『国制・最高法規・統治構造・基本法』と翻訳することができるものである。

立憲主義とは簡単に言えば最高権力者や軍隊(実力組織)であっても『憲法(最高法規の原理原則)』に逆らった命令や支配をすることが許されないという思想や制度設計のことであり、世界史において最も典型的な立憲主義の嚆矢としてイギリスのジョン王の権力・権限を制約した『マグナ・カルタ(大憲章,1215年)』がよく知られている。アメリカ合衆国の建国史や近代立憲主義と深い関わりのある古典的な政治論の著作『ザ・フェデラリスト(The Federalist, 1788年)』は、連邦制や国民の権利を定めたアメリカ合衆国憲法の制定にも大きな影響を与えた。

『ザ・フェデラリスト』は18世紀後半のアメリカ建国の時代に政治家をしていたアレキサンダー・ハミルトン(1757-1804)ジョン・ジェイ(1745-1829)ジェイムズ・マディソン(1751-1836)の3人によって書かれた憲法学・政治思想史の古典的名著である。近代立憲主義に基づく政治制度・国制について、全85篇の政治的論評が掲載されている。西インド諸島で生まれたハミルトンは、アメリカ独立戦争でワシントンの副官を務めた人物だが、職業はニューヨーク州の弁護士であり、後にアメリカの初代財務長官に就任している。

ジョン・ジェイもニューヨーク州の弁護士であり、外交官としても活動してベンジャミン・フランクリンと共にパリ講和条約を締結している。ジェイムズ・マディソンはバージニア州の裕福な農場主(奴隷制のプランター経営者)の生まれであり、連邦の下院議員になってその後に第四代合衆国大統領として就任している。

アメリカ合衆国(USA:United States of America)はイギリスの北米植民地が1776年7月4日に『アメリカ独立宣言』を宣言することによって成立した国家である。イギリスとの『アメリカ独立戦争・独立革命(1775-1783)』を戦うために、13の独立的な主権を持つ『ステイト(邦)』が諸邦連合(Confederation)であるU.S.A.を結成した。

しかし、U.S.A.の政府機関である『連合会議(Congress)』は、邦(ステイト)の国家主権に優越するほどの強い権限を持っておらず、独自の常備軍・政治機構(官僚機構)も所有していなかったので、諸邦のバラバラの主張や利害、判断を統率してまとめるような意思決定を行うことが困難であった。

強い国家主権を持つ『ステイト(邦)』がバラバラのままでは、アメリカ合衆国は独立革命に勝利してもその後の対外的な危機や国家的な課題に適切に対応することができないと憂慮した連合会議は、1787年に『フィラデルフィア会議』を召集して新たな国家体制(連邦制)と憲法体制を創設しようとした。すべてのステイトが遵守・従属すべき憲法草案は各ステイト(邦)ごとに批准されることになったが、憲法批准に賛成してアメリカが一つにまとまるべきだと主張する人は『フェデラリスト(連邦主義者)』と自称し、それに反対する人は『アンチ・フェデラリスト(反連邦主義者)』と呼ばれた。

1787~1788年にかけて、ハミルトン、ジェイ、マディソンは“Publius(パブリウス)”というペンネームを用いて、アメリカ合衆国の意思決定を一つにまとめる連邦主義を肯定するフェデラリストの立場から、ニューヨーク市の新聞に論評を数多く投稿していた。アレキサンダー・ハミルトンが過半数の論評を執筆して投稿したとされるが、この三人による新聞投稿の論文をまとめたものが『ザ・フェデラリスト(1788)』なのである。

ハミルトン、ジェイ、マディソンの三人は、各ステイトを統制する中央政府を建設して、強力な国家権力を生成しようとしたが、更に個人の自由・権利が侵害されないための立憲主義の構想も同時に行っていた。『ザ・フェデラリスト』にその萌芽が見られる近代立憲主義は、以下のような特徴を持っている。

1.自然法ではない人工的な憲法典(成文憲法・慣習憲法)であること。

2.個人の人権の保障とその普遍性の承認

3.『憲法の番人』として機能する司法権(司法による違憲立法審査権の所有)

連邦国家の建設:個人の自由と多様性の保障

ハミルトン、ジェイ、マディソンのような連邦主義者(フェデラリスト)は、U.S.A(アメリカ合衆国)をバラバラな邦の寄せ集めである『国家連合(Confederacy of the States)』から、強力で効率的なまとまった『連邦国家(United States)』に作り変えることを目標にしていた。連邦主義者は『連邦国家の優位性・メリット・低コスト』を、国家安全保障や政治の安定性、外交・治安・通商・財政などのジャンルにおいて、プラグマティックかつ現実的な視点から論証していった。

アメリカは国家権力のレジテマシー(正統性)を、『国民主権(人民主権)の民主主義体制』に求めて、国家権力の使途と限界を規定する『憲法制定権力』を国民・人民が保有しているという前提を打ち立てた。一方で、アメリカは『多数者による少数者(マイノリティ)の抑圧・感情的な大衆と派閥の勢いによる政治判断の誤り』を回避するために、国民主権ではあっても『直接民主主義』よりも『間接民主主義(代議制)』のほうを重視した。アメリカは共和主義政体であるが、実際の政治と法案可決は、国民主権の選挙によって選出された『上院・下院の議員(代議士)』の議論と議決によって行われるのである。

『ザ・フェデラリスト』では、国家権力が効果的に機能することを望ましいとしつつも、同時に『個人の自由・権利』が国家権力の専制・強制によって侵害されないような『権力分割(権力の相互牽制)』の仕組みを作らなければならないとする。権力分割の仕組みというのが、連邦政府と州政府との権限を分割する『連邦制』であり、連邦政府内の立法権・行政権・司法権を三分割させる『三権分立』である。

『連邦制』に対して、アンチ・フェデラリスト(反連邦主義者)は『大規模な関節民主主義(代議制)の連邦政府・連邦国家』は、各ステイト(各州)で生活する人々の実感・感情に共感しづらいから、各ステイトの権限(独立的な主権)を奪って人々を抑圧する専制的な政治体制(旧宗主国イギリスのような存在)になりやすいのではないかという批判を展開した。

この批判に対しては、ジェイムス・マディソンが『分割された主権論』を持って反論しており、憲法が創設する連邦国家の権限は憲法に列挙された項目に限定されており、それ以外の『各州の権限』はそのまま留保されるので、専制的な支配体制が作られることは有り得ないとした。

マディソンは、憲法が創設しようとしている立法権を持つ連邦政府は、『分権的な連合的政府(federal government)』『集権的な国家的政府(national government)』の融合した形態の政府であるとしている。また、三権分立や司法の独立性、違憲立法審査権によって、『立法権の暴走による独裁・専制政治』を十分に抑制していて、憲法に反する一切の立法行為を無効とする『立憲主義(constitutionalism)』が個人の自由や権利を保護する働きをするのだという。

マディソンは専制政治による人民の自由・権利の抑圧(多数者の少数者に対する支配)を回避するためには、『制度的な権力の分割・分立』に加えて、『市民の階層・利害・価値観の多様性(民意が一つにまとまり過ぎないこと)』を守ることが有効だとしている。一部の特権階層や社会的組織による専制支配を防ぐためには、市民全体の利害や価値観がある程度まで対立的に分裂しているほうが望ましいと考えた。

マディソンは『民族・文化・宗教・階層・利害・価値観』の異なる多種多様な人々が存在する大共和国(国土・人口の大きな代議制の共和主義国家)のほうが、『人々の様々な利害・思惑の対立と均衡』によって個人の自由と権利が専制支配から守られやすくなると主張した。これを『大共和国論』と呼ぶが、人々の多様性が増すほどに個人の自由が守られやすくなるという考え方は、『人種のるつぼアメリカ』の社会状況を肯定的に評価する理論になった。

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