深層心理学の誕生

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私たちが、普段の日常生活の中で思い抱いている感情、感覚器官で知覚している事物、思考の対象としている内容は、意識領域に存在していて、一般的に『心』とは、意識領域にある心理内容の総体を指示する。今、貴方が感じている事、考えている事、思っている事、悩んでいる事、それらは特別な方法によって無意識領域の内容に接近しない限りにおいて、意識的な心の領域に存在し、機能していると考えることが出来る。

一生懸命に過去の記憶を辿って、意識的に何とか思い起こす事の出来る心理内容は、意識領域よりも少し深い前意識領域に存在している。現在、頭の中にある思考や感情などを『意識』、努力して想起すれば思い出す事の出来る心理内容を『前意識』、意識的に想起する事が非常に難しい心の奥深い領域を『無意識』と呼ぶ。

無意識領域の存在を認め、『意識―前意識―無意識』の三層構造を人間の心理構造のモデルと考えるのが、深層心理学である。心理学の代名詞ともいえるほどに有名なフロイトが創始した精神分析学も、深層心理学の一つであるが、神経症の原因と無意識の関係の考察から始まった精神分析学という体系的な学問が精神医学や心理学を始めとした諸学に与えた衝撃は測り知れないほどに大きい。

精神分析学は、人間の心的な現実性に根ざした広大無辺な内面世界を対象とした学問であり、社会的文化的文脈においても柔軟な適用可能性を持つ懐の深い学問である。 深層心理学について学べば学ぶほど新たな好奇心の対象が生起してきて、人間の精神の神妙な奥深い魅力に触れることが出来、今までにない感動や驚きの発見につながっていく。

先ほど、意識して必死に思い出そうとしても思い出せない、触れたくても触れられないのが無意識だと書いたが、勿論、心の奥深い部分である無意識領域にアプローチする方法はある。その方法を発見して、無意識という概念を中心に理論化したからこそ、フロイトは精神分析学の偉大な創始者となる事が出来たのである。

意識から隔絶された無意識に接近して、その欲動(行動に繋がる動機)を中心とした心理内容や変化の過程を理解する為の方法として、『失錯行為』『夢判断』『自由連想』『症状の意味』『積極的想像』『瞑想』などを挙げる事が出来るだろう。この中で、ユング心理学に依拠する『積極的想像(active imagination)』と禅宗系の仏教思想に依拠する『瞑想』については、フロイト理論とは別のカテゴリーに属する事となるので機会を改めて紹介したい。

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失錯(失策)行為という言葉は聞き慣れないかもしれないが、簡単に言うと誰もが日常的に犯しているケアレスミスの事である。私たちが何気なくしてしまう言い間違え、聞き間違え、書き間違え、物忘れ、度忘れ、勘違い、紛失といった一見、何の意味もないように見える些細な事柄が失錯行為と呼ばれるものである。

人は色々な場面で、名前の言い間違えや約束した日時の度忘れなどのミスを何の他意もなく偶然してしまうように見えるが、フロイトはそれら失錯行為の全てに無意識的意図が反映している事を発見して、その実例を数多く集め『精神分析学入門』や『日常生活の精神病理学』といった書物で紹介している。本当は参加したくなかった飲み会の集合時間を間違って覚えて遅刻したり、内心で嫌っている人の電話番号のメモを紛失したり、早く帰りたいつまらない会議で、まだ議題があるのに『これで終わりですね』と言い間違えたりといった現象が意外に多く私たちの生活の中で起きていることにフロイトは注目して、そこに一定の法則性を見出したのである。

フロイトは、沢山の失錯行為の例示を通して、失錯行為が起きる時には、無意識的な心の働きが言葉や行動を決定しているという事を明らかにしようとした。失錯行為が起きる時には、意識している『何かを言おう、何かをしよう』とする意図とその意識的な意図に対立する『何かを言いたくない、何かをしたくない、それをしたいのではなくあれがしたい』という無意識的な意図が同時に存在している。

そして、無意識的意図は、通常、本人にとって意識領域に上らせたくない事柄であり、他者と円滑なコミュニケーションを取り、社会適応的な行動を取る為に出来れば知らないままで済ましてしまいたい欲求内容である。気付きたくないからこそ、意識領域から無意識領域に追いやられている。あるいは薄々、無意識的な意図に勘付いていても素知らぬ振りをして、注意を向けようとしないのである。

本人が気付いていなくても、心の中では、意識的意図とそれを妨害しようとする対立的な無意識的意図が葛藤していて、無意識へと押さえ込む力が弱まった瞬間をついて、種々の『失錯行為』が正直な気持ちの吐露という含意をもって出現するのである。フロイトは、精神領域を物質領域と同じように科学的手法によって取り扱い、心理学を身体医学のような因果関係を適用する事の出来る科学にしようという意図があった。

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科学として心を取り扱うという表現をすると、何だか温かみがなく、冷淡で機械的な感じを受けるかもしれないが、宗教や俗信と同様の学問としてあやふやな地位にあった心理学に、科学的根拠を付与して学問的議論に値する知的領域に発展させたフロイトの功績は幾ら強調してもし過ぎる事はないであろう。

心理学は、検証・反証可能性や再現可能性を持たない部分があり、観察や実験が出来ない概念のみの部分も多いので、厳密には科学ではないが、ある原因があって、結果として症状や感情の変化が起きるという因果関係に基づく科学『的』思考に支えられた側面を持つ学問とは言う事が出来るであろう。勿論、フロイトの生きた19世紀~20世紀前半が自然科学全盛の時代で合理主義の重視があったことも忖度する必要があるし、科学であるか非科学であるかによって学としての優越があるわけではない。

私はむしろ、心理学は非科学であればこそ、数値検証や統計のみに束縛される事なく幅広く豊かな研究ができ、深い人間理解へ繋がる可能性を持っているとさえ感じている。少し話が逸れたが、失錯行為から学べる事とは、『私たちの行動が、自分自身の意識していない無意識の願望や意向によって、どれほど決定されているか』という事ではないだろうか。

今まで、単なる偶然や無意味な出来事、ちょっとした不注意の結果として片付けていた失錯行為をフロイト理論を踏まえて見つめなおして見ると、自分の興味深い無意識的願望の一端が垣間見えるかもしれません。私は、この小論のタイトルを何故『精神分析学の誕生』でなく『深層心理学の誕生』としたのだろうかと考えてみると、無意識という心の領域を扱う心理療法の歴史性を包括したいという無意識的な願望が私の心の奥深くにあったからだと思います。

古代エジプト時代のパピルス文献に残る魔術的な催眠療法も深層心理学で論理的に説明する事が出来ますし、夢占いで未来の吉凶を予測することも無意識的願望を自己実現するという理解をする事が出来ます。私たちの祖先が、遥か古代の数千年の昔から、あるいは数万年の昔から、夢や暗示や幻想や縁起(ジンクス)として姿を現す『無意識の存在』を正に無意識的に知覚していて、生活の知恵、心の病の癒しや自己実現のための手がかりとして有効に利用していたという事は驚愕すべき事です。

ただ、古代の人々は無意識を経験的伝承的な知恵として利用していただけで、その存在を明確に知識として認識していたわけでも、心の構造を三層構造のモデルとして把握していたわけでもありませんから、学問の対象としての深層心理学の誕生は、やはり無意識概念と心の三層構造を理論の中核に置き、科学的世界観の光を心理学に投げかけた『フロイトの精神分析学の確立』と時を同じくすると考えられます。

心理学は、勿論、精神分析学だけによって成り立っているわけではありませんし、フロイト存命中から精神分析学は多数の学派や主義に分裂し、理論も細分化され、正統的な精神分析と袂を分かって独自の心理学理論を構築するフロイトの弟子達も多数生まれました。現代では、フロイト理論そのものは古典として扱われますし、彼が生物主義に根ざした科学的理論を標榜していたとはいえ、当時の時代的価値観や社会的倫理観、特に男性原理などに大きく影響されていた事もあって、今では純粋に科学的な心理学としての実験心理学や認知心理学などと比較すると、科学理論として認められる内容を持つものではありません。

しかし、前述したように心理学は科学であるか、非科学であるかによって優劣のつけられる分野ではなく、心そのものは科学によってその全容を解明できる対象ではありません。むしろ、心理療法においては、非科学的なフロイトやユングやロジャースといった心理学者の理論に基づいたカウンセリングや分析が、科学的な認知行動療法や薬物療法以上に大きな効果を発揮することが多いのです。

深層心理学を学問として誕生させたジークムント・フロイトの著作が、思想、社会、文化、芸術に与えた影響は衝撃的なもので、それまでの世界観や人間観のパラダイム(理論的枠組み)を転換させたといっても過言ではないでしょう。一人の臨床医として出発したフロイトは、その苦難と栄光が交錯する波瀾万丈な人生の過程を経て、20世紀を代表する知の巨人の一人として歴史にその名を刻みました。

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