フロイトの発生―発達論的病理学(幻想から現実へ)

フロイトは、自分の倫理や良心に背く受け容れ難い欲求の抑圧が神経症の原因となる抑圧理論を中心に神経症を説明しました。何故、抑圧という防衛機制を使って神経症になるのかというと、その欲求や願望を意識していると耐え難い苦痛・不安・罪悪感が生じてくるからです。これは、現代の精神医学には勿論そのまま適用は出来ませんが、ここでは、フロイトの生きた19世紀の時代的背景を踏まえた上で、フロイトの精神病理学に忠実に考えていきたいと思います。

抑圧された苦痛な感情・欲動が、姿形を変えて神経症の症状を形成するという抑圧理論を元に考えると、ヒステリー(身体表現障害)は、抑圧された感情・欲動が『転換(conversion)』という機制を通して、運動機能障害(四肢の麻痺、失立、失歩、手足の振戦など)や知覚機能障害(一時的失明や視力障害、耳鳴り等の聴覚障害、嗅覚異常、味覚異常など)、感情障害(興奮、イライラ、抑うつ、躁状態など)などの症状を形成します。

強迫神経症は、不安や嫌悪を感じる感情と観念(記憶と結びついた思考)を切り離して、その切り離した感情を『置き換え(displacement)』という機制を通して全く無関係な観念や表象(記憶や経験によって作られる内面的なイメージ)と結び付けてしまい、元々の不安や葛藤とは関係のない観念や表象について悩み苦しんでしまいます。そして、その不安や苦痛を感じる観念(考え)や表象(イメージ)を思い出さないでおこうとして意識的に努力しても、自然にその不安な観念が浮かび上がってきて、それが強迫観念の症状になるのです。また、強迫観念に伴う苦痛や不安を紛らわして、軽減する為に特定の行動を何回も繰り返したり(反復行為)、間違いや失敗がないか執拗に何度も確認したり(確認行為)といった強迫行為にも悩まされるようになってしまいます。

強迫神経症の形成には、感情と観念を切り離して別のものと考えようとする『隔離(isolation)』の機制や、感情を無関係な観念・表象と結びつける『置き換え(displacement)』の防衛機制(defense mechanism)が強く働いています。

初期(1895年頃)のフロイトの精神病理学理論は、このように無意識と意識の領域を区別して、不安から自我を守る為の防衛機制という概念をたてて、症状形成過程を説明していた所に特徴があります。神経症の症状は、抑圧された感情・欲動が、無意識の領域から意識の領域へ形を変えて現れたものであり、変形された欲動の再現として考えられ、症状には『無意識的な願望充足』という意味があるとされました。症状がなかなか消えずに持続するのは、無意識的な願望の充足があるからなのです。

初期のフロイトの精神病理学理論に続いて、1916-1917年にかけて『精神分析入門』というフロイトの代表的な著作が著され、神経症論がより洗練されていきます。初期の神経症論と精神分析入門の神経症論は、『無意識の存在、防衛機制と抑圧、抑圧された感情の転換』という基底の部分において共通していますが、その最大の違いは、『病型によって抑圧・防衛される欲動・感情の内容が異なる』といった理論的観点を得た事です。

1895-1917年の間に行ったフロイト研究の白眉とでもいうべきものは、(現代から見るとやや性欲に偏りすぎていて思弁的という批判もありますが)『口愛期・肛門期・男根期・性器期のリビドー発達論』の系統的研究でした。何故、神経症論とリビドー(性的欲動:生のエネルギー)に深い関係があるかというと上記のリビドー発達の各段階におけるリビドーの発達停止・固着が神経症の各病型と対応関係にあるからです。

簡単に対応関係だけを示せば、以下の表のようになります。

リビドー固着時期と神経症の病型
口愛期の早期口愛サディズム期肛門サディズム期男根―性器期
精神分裂病
(現在の統合失調症)
うつ病
抑うつ状態
強迫神経症ヒステリー
身体表現化障害

それぞれの病型と発達上の固着との関係を着想する契機となった研究論文として有名なものに、次のようなものがあります。ヒステリー研究では『ヒステリー研究』における「症例ドラ」があり、強迫神経症の研究では「症例ねずみ男」の研究があります。更にうつ病については、1917-1918年にかけて発表された論文『悲哀とメランコリー』があり、精神分裂病については、1911年発表の『シュレーバー症例』の論文があります。

これらの多様な研究の流れが、発達―退行論的な病理学へと結実していくのです。フロイトの精神病理学理論の基盤を支える重要なキーワードがここで二つ増えて、『抑圧・防衛・無意識・固着・退行』になりました。

神経症の人に見られる『固着(fixation)』とは、精神の発達に両親から十分な愛情や保護が受けられなかったり、過剰な愛情を注がれたり、トラウマになるような出来事があったりといった何らかの障害があって、幼児的な段階の愛情欲求や感情欲求に固執する事です。口愛期への固執(固着)というように、その固執している段階の事を『固着点』といいます。

精神の発達段階にこのような固着点があると、大人になってからも幼児的な満足や保護を求める欲求傾向があって、現実的環境の中で欲求充足の失敗や困難といったフラストレーション(欲求不満)が起こると、その固着した段階にまで幼児的な『退行(regression)』が起こります。

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退行は、過去の外傷を伴う激しい情動体験を想起させ、幼児期に重要な人物(父親・母親・同胞など)に向けていた感情を、現在の生活の中で関係する人に向けてその感情を再現します。この過去の感情体験を現在の対人関係場面の中で再現する心的現象を『転移(transference)』といい、転移は治療的に非常に重要な意味を持ちます。つまり、精神分析者は患者の転移を通して、過去のどの段階に固着点があり、どのような心的外傷が影響してその固着点への退行が起こっているのかを解釈し、把握するのです。こういった記憶の想起と転移現象の解釈とその取り扱いの重要性を述べた論文に1914年の『想起・反復・徹底操作』があります。

1923年の『自我とエス』という論文では、『エス・自我・超自我の心的構造論』を提唱して、従来の『意識・前意識・無意識の心的構造論(局所論)』を更に心的機能の力動の観点から発展させました。この力動的な心的構造論の解明によって、精神は静止した固定的な構造を持つものではなく、絶えずエス・自我・超自我が精神内界の主導権を巡って葛藤し、せめぎ合うものとして認識されるようになりました。

人間は、『~が欲しい。~したい。~になりたい。』といった本能的・情動的な欲動をエスとして持ちますが、外部の現実的条件によって欲動を規制されたり、内在化した倫理規範である超自我によって欲動の充足を禁止されたりします。こういった精神内界の諸力が拮抗して、対立し、葛藤している事を指して、『力動的(dynamics)』と表現します。

こうした力動的な心的構造論を踏まえて、1926年に『制止・症状・不安』という論文が発表されました。かつてこの論文は、現在では認知行動療法などの実証的な心理療法に圧倒されて衰退してしまった米国の力動的精神医学界で、精神病理学の基礎理論として重視されたものです。この論文は、上記の観点に加えて、不安と防衛機制の対応に重点が置かれています。多くの精神病理が不安から派生して、その不安を防衛する固有の防衛機制があり、その防衛の方法によって病型が規定されてくるという考え方をしています。

とりあえず、『制止・症状・不安』の論文を発表した段階で、フロイトの神経症論を理解する為に必要なエッセンスは出揃ったと考えていいでしょう。最晩年のフロイトは、自我という人格構造の研究とその人格構造の中で精神病理(神経症)を形成する過程がどのような影響を与え、関係を持つのかといった事に研究の力点を置いてきました。フロイトの死後に神経症論を更に精緻化した精神分析家に『神経症の精神分析理論』を書いたオットー・フェニケル(O.Fenichel)という人もいます。

フロイトと言えば、自由連想法や夢分析といった精神分析的技法を用いる臨床医といったイメージが私達にはありますが、フロイトは元々は、1895年に『科学的心理学草稿』という論文を書いている事からも窺えるように内省を主要な手段とする概念的(観念的)な精神分析学者というよりも、実験による検証を重視する神経心理学者といった風情があり、脳のニューロン理論の原型となる考えを発表したり、心と脳の相関関係に興味を持ったりしていました。

前半では、神経症理論の確立の変遷を見てきましたが、ここからは1911年発表の『精神現象の二原則に関する定式』を元にして、快感原則と現実原則という二つの原則の定式化について考えてみたいと思います。 フロイトは、乳幼児の精神の発達を論理的な推論によって理論化していきます。実際に乳児や幼児を観察して、客観的な統計化できるデータに基づいた研究法というよりも、必然的な論理に基づく哲学的な手法に近いと言えるでしょう。

フロイトは、精神の成長について、『発達論的(developmental)』『生成論的(generative)』を明確に区別して使用しています。『発達』という場合には、まず基盤としての生物学的な成熟があって、年齢の発達段階に応じて発揮されてくる、心的機能の側面に重点があります。それに対して、『生成』という場合には、個別の人間の具体的な成長の観察や心的機能の発達を見るのではなく、一般化された平均的な無個性のヒトがどのような順序で成長していくのかという必然的で論理的な順序を中心として見ています。

精神分析学理論の病理学では、『機械的・生物学的な生成』よりも『有機的・機能的な発達』の観点が重要になってくるのではないかと私は考えていますが、フロイトはどちらかというと乳幼児の発達に関しては生物学的な生成の分析による理解をとったようです。当時の精神分裂病の研究では、高次の機能への分化・統合が障害されて解体し、陰性症状が現れたり、低次の水準への解体や原始化が起きて妄想や幻覚といった陽性症状が生起すると考えられていました。まだ言語を十分に習得していない反省的思考による心の報告ができない乳幼児の場合には、実際に観察される乳幼児の行動や態度、言葉、刺激に対する反応から乳幼児の言葉を論理的に類推し、自分の幼い頃を想起して追体験してみるといった哲学的内省的な手法が取られたのです。

人間の精神の発達の最も初期の新生児~乳児の段階では、自と他の区別が出来ておらず、生理的な反応と心理的な機能の境界も不明瞭で混沌とした心理状態であると推測できます。つまり、『私は、~である』という自我意識、自己アイデンティティーが全くないという未熟な発達段階であると言えるでしょう。しかし、自我意識が無いとはいえ、赤ちゃんは一人の生体として、生存(ホメオスタシス・恒常性)を維持する為に外界と絶えず『欲求充足即ち快感』を目的とした交流をしています。お腹が空けば、泣いてお母さんのおっぱいを求め、食物や痰が喉に詰まって呼吸が苦しくなれば助けを求めて泣きます。

赤ちゃんがある欲動を覚えて、それが長期間満たされない場合には、ホメオスタシス(生体恒常性)の均衡が崩れて、不快感や不安感がある種の緊張感として経験されます。その不快な緊張感は『要求緊張』とでもいうべきものですが、勿論、自覚的・経験的というよりも、多くは生物学的・反射的な次元の反応であると考えられます。この生理的な反応が心の発達につれて、徐々に心的な経験や不安・不快として感じられるようになるのです。フロイトはそのような事を踏まえて、欲動は『生理的なものと心理的なものとの境界概念』であると述べています。

新生児の赤ちゃんには、母親から欲しいものを与えてもらいたいという受身的な本能的欲動があり、それが満たされないとフラストレーションが生じ、生理的な不快な緊張を体験する事になります。その要求緊張を軽減する為には、外部から欲動の対象となるものを手に入れなければなりません。そして、新生児~幼児の子ども達にとって最も強い欲動の対象となるものが何かというと、それは自分の要求をすぐに適切に満たしてくれるという意味での『愛情ある母親』(男女の家事分担が当然となりつつある現代では父親というケースもあるでしょうが、やはり母乳が出る分、母親のほうがより強い欲動の対象となりやすいでしょう)である事は疑いないでしょう。

赤ちゃんは要求が満たされない緊張と不快が高まり、内的な不均衡が大きくなった時には、落ち着かなくなったり、泣いたり、ぐずついたりといった形で、母親に自分の不均衡状態を知らせ、それを回復してくれるような世話(摂食行動の援助・おしめの取替え)や愛情(スキンシップ・遊戯)を求めるのです。しかし、最も早い段階で赤ちゃんの行動を支配しているのは、快感原則というよりも、むしろ『不快原則(unpleasure principle)』であるとフロイトの主治医シュールは考えました。

赤ちゃんは、本当に意識して快感を求めているわけではなく、差し迫った内的不均衡によって感じられる飢餓感や不快感によって、あるいは身体感覚の違和感によって、その苦しさを解消する為に行動するという事です。つまり、不快原則というのは、不快感や不満足を解消する為の行動原則という事が出来ます。新生児が泣いたり、不機嫌そうな態度を取ると、お母さんが何をして欲しいのかを読み取って、その不快感や不足を取り除いて満たしてくれると言う事です。

ここで、少し『欲動(drive)』『欲求(need)』の違いについて考えてみます。欲動というのは、生物学的・生理的な概念として用いられていて、要求が満たされない場合の緊張を意味していて、体内のホメオスタシスのバランスが崩れた時にそのバランスを取り戻そうとして起こる神経的な興奮のことを指します。それに対して欲求とは、私達が日常的に使う欲求と同じで『~したい。~が欲しい』という意識的な願望の事です。

よって、フロイトが発達理論の中で重視した性的な欲動であるリビドー(libido)も、厳密には巷間で言われるような卑猥な性的な欲求とは異なり、意識して異性を性的な対象として求めるといった事とは違うニュアンスが込められていると考えられます。フロイトが示唆するリビドーとは、即ち生物学的な性本能の原動力、自己保存欲求に基づく欲動といった意味合いで捉えるのが正しいと思われます。産まれて暫くの間は、不快原則に縛られていた新生児も、生後数ヶ月が過ぎると『記憶(memory)』の心的機能が発達してきて、母親からお乳を与えてもらったり、あやしてもらったりして心地良く満たされた気分になったという『満足経験(satisfaction)』が出来てきます。

この満足経験が、乳児にとっての快感経験となり、それが記憶と結びついて『快の記憶痕跡』が成り立つのです。それまでは、生理的な不快感に支配されて、窒息や飢餓という死の恐怖に曝されていた乳児が、ここに至って、生きている事を快感だと認識できる発達を成し遂げたといえるかもしれません。

この快の記憶痕跡が成立する頃から乳児は、不快原則ではなく『快感原則(pleasure principle)』に従って行動するようになります。不快原則と快感原則の最も顕著な違いは、不快原則が生理的な不足や不快による緊張によって何かを求めるのに対して、快感原則は生理的な欠乏や不快が起こった時に、まず過去の快の記憶痕跡から『その欠乏や不満が満たされた時の快感』を再生して、快を求めて行動を起こします。

この快感原則が支配する乳幼児期において、精神分析の重要な概念に『幻覚的満足』というものがあります。これは、簡単に説明すると、生理的不均衡や欠乏、フラストレーション(欲求不満)が起こった時に、過去の快の記憶を幻覚的に再生させて、その幻覚的な記憶経験から満足を得るという心的機能のことです。

例えば、お腹が空いて母親のおっぱいを飲みたい時に、過去におっぱいをお腹いっぱい飲んで満足した時の快の記憶が幻覚的に再生されるといった事に代表的です。勿論、こういった幻覚的満足は万能ではありませんから、一時的な代理的満足であり、余りに不足や不快、欠乏が激しくなると幻覚的な満足では対応出来なくなり、泣いたり、ぐずついたり、暴れたりといったフラストレーション反応が起きてしまいます。

幻覚的満足は、言葉を変えれば、『欲求を満たす事を未来へと延長できる』という事でもあります。欲動(本能的欲望)を今すぐ満たすのではなく、一定時間、幻覚的満足を得る事で我慢をして、その充足を未来へ延期できるというのは心理学的に見てとても大きな成長と言う事が出来るでしょう。これは大人にとっても重要な心の働きで、『今、したいと思う事柄』を現実的状況や人間関係を顧みて将来に延ばす事が出来なければ、様々なトラブルや不利益に繋がってしまいます。今、述べてきたような不快原則から快感原則へと発達する時期、そして快感原則に支配する時期というのは、それぞれ口愛期の前期・後期に当たると考えられます。

口愛期の母親の働きの重要性は上記の通りですが、その母親の役割を特に重視して、主要な研究対象とした精神分析学者に、スピッツやウィニコットといった人たちがいます。彼らによると、赤ちゃんが順調に発達していくためには、赤ちゃんが飢えや不満を表現した時に、母親が優しく適切な対象を差し出せるかどうかが大きく影響していると言います。この満足させる対象を差し出す事を、『対象提示(object presenting)』と言ったりします。

この対象提示の際に、重要になってくるのは、赤ちゃんが何をして欲しいのか、母親が恋しくて甘えたいのか、お腹が空いておっぱいが欲しいのかを母親が読み取る行為です。つまり、まだ欲求や願望を十分に認識することが出来ない赤ちゃんに、そうした読み取りの反応をする事によって欲求とはそういうものであるという認識が赤ちゃんに生まれてくるという事です。

赤ちゃんの心理の発達には、いつも、母親と赤ちゃんとの相互作用として見ていく視点が必要になってきます。子どもの側に先天的な情緒的表現機能の障害や問題がある場合や、母親の先天的あるいは後天的な感情や情緒の読み取り機能の問題があったりする場合には、子どもが『生理的な反応(要求緊張)』『心理的な欲求の意味』を持つものとして経験出来ないといった発達上の問題が起こってくる事があります。

心理的な欲求を持つようになった乳幼児は、初め、欲求を満たしてくれるものを『お母さんの顔・乳房といった部分対象』といった形で認識しています。そこで欲求不満のフラストレーションが高まると、幻覚的にそれらの部分対象を再生する事で、一定期間、代理的な満足を得る事が出来るというのが精神分析的な解釈です。

この段階の赤ちゃんは非常に無力で弱々しく見えますが、満たされない欲求があっても泣いて訴えれば、大抵は赤ちゃんをとても大切に思ってる母親や父親、親族などによってただちにその欲求を満たせて貰えるという無力で可愛らしいが故の特権的立場を持ちます。この事を捉えて、フロイト以後の大きな精神分析の流れの1つであるメラニー・クライン学派は、発達早期の無力な赤ちゃんは『全能的支配(omnipotent control)』の段階にあると言いました。

言い換えればこの段階の未熟な乳幼児は、無力である為に手厚い保護を受けて、現実的環境からの束縛を受ける事がなく、その意味で現実感というものが無いという事になります。ある程度成長すれば、現実の状況や自分の能力を考えて行動するという現実原則の縛りを受けるようになりますが、この発達初期の段階では、欲求や願望を満たす為に自分の能力や現実を考える必要がなく、欲求を満たす為には声を出したり、視線を向けたりして、母親にその欲求を満たしてくれるように合図を出せば良いのです。

この段階が余りに長く続くと、母子密着が問題となってきて、自立心の確立が遅れたり、自分の将来を自分の力で切り開いていく能力がなかなか育たなかったりといった発達上の障害が起きてきます。引きこもりなどの困難な事や辛い事から全面的に逃避してしまう心理的な問題もこうした自律や母子分離の失敗などといった事が背景にあることが多いようです。

子どもは発達初期の段階では、現実的な願望を幻覚(illusion)によって満たしていますが、現実感が発達してくるにつれて、そういった幻覚的な願望充足から離れていき、現実世界の中で活動する事によって欲求を満たそうとし始めます。精神分析的な心理の発達を考える場合には、フロイトの『精神現象の二原則に関する定式』というものが大切になってきますが、それに従えば不快原則→快感原則→現実原則といった順序で発達していくと考えられます。

『現実原則(reality principle)』というのは、実際の現実的な世界や他者に働きかけて、自分の行動によって、自分の望む物を手に入れたり、したい事をしたり、人と関係を持ったりする事です。このように、現実的な条件や状況を考慮する形で、自分で行動して満足を得ようとする原則を現実原則といいます。現実原則に従う段階(2~3歳程度)になってくると、外界に対する適応力が少しずつ高まってくるが、原始的な欲望を充足させようとする快楽原則は、現実原則の深層に押し下げられてエスとなり、無意識的なものとなってきます。

快感原則が支配する心的プロセスのことを『一次過程(primary process)』といい、現実原則が支配する心的プロセスのことを『二次過程(secondary process)』と言います。精神分析学では人間の精神の発達は、幻想から現実へ、そして、快感原則から現実原則へと向かっていくのです。


【余談】 小此木啓吾氏の『精神分析の成り立ちと発展』の『精神分析概念・用語――その範囲および起源・定義』によると、『アンビバレンス・エス・超自我・リビドー・死の本能・ナルシシズム・自体愛・転移神経症・内向・取り入れ・思考の全能・大洋感情・無意識・抑圧・エネルギー保存の法則・快感原則・潜伏期・両性素質・男性的抗議・エレクトラ・コンプレックス』といったフロイトと所縁の深いとされている用語の全てはフロイトのオリジナルの発案ではないと言う。

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