このウェブページでは、『アヴェロンの野生児と知的発達』の用語解説をしています。
J.M.G.イタールのアヴェロンの野生児の研究と知能発達
インドのアマラとカマラの問題と野生児研究の持つ目的・意義
21世紀となった現在では文明社会や学校制度、児童福祉が世界を覆い尽くす範囲が非常に広くなったため、19世紀以前に発見されたと伝えられるような親・人間社会の養育を受けていない『野生児』を見つけ出すことは極めて困難である。
野生児に関する伝説や獣に育てられた子どもの逸話は古代から多く残されているが、実際に全く『人間の手(社会の保護)』を介さずに、赤ちゃんから育てられた野性児が存在したのか否かには議論もある。乳幼児期に野獣から育てられて自然環境で生き延びてきたとされる野生児であっても、乳幼児期のどこかで人間の手による保護や養育を受けていた可能性は推測されるからである。
1920年代に発見された狼に育てられたとするインドのアマラとカマラの野生児についても『人間による養育の可能性・重度の広汎性発達障害や知的障害で捨てられただけの可能性』を疑う意見があるのは確かである。
学問的に野生児が研究対象になったのは、1758年に博物学者・植物学者のC.v.リンネ(Carl von Linne,1707-1778)が生物分類体系の中に『野生児の存在』を位置づけたことが始まりとされるが、『野生児の存在に関する学問的報告』としてはR.M.ジングの35例(1942年)、L.マルソンの53例(1964年)が知られている。
野生児研究の歴史の中で特に有名なものとして、1801年と1807年にフランスの医師J.M.G.イタール(1774-1838)によって報告された『アヴェロンの野生児(1801, 1807)』がある。“アヴェロンの野生児”と呼ばれた子どもは、1799年に南フランスのアヴェロンの森で発見された推定年齢11~12歳の少年であり、言語を持たず人間らしい感覚・感情も持っていなかった。
人(親)に育てられず人間社会の影響を受けずに、自然界の中で大きくなった“野生児”を研究することで、『養育・教育に影響されていない人間の本性(本能),人間と動物との本質的な差異,各種の性格・能力の生得説と経験説の対立』が明らかになるのではないかという期待も生まれた。
アヴェロンの野生児を診断したフランスの医師J.M.G.イタールは、初め言葉を話すこともできず物事の理解もできない状態を見て、『重度の知的障害=当時の白痴(精神遅滞)』ではないかと考えた。だが、自然界の中で他の人間(親のような存在)と関わらずに大きくなれば言語を模倣して習得することはできず、言語や態度を用いたしつけ・教育の恩恵も受けることができないので、ある意味では『知的発達の障害・停滞』が発生するのは当たり前であり、野生児研究においても『先天的な知的障害』と『獲得的な学習機会の欠如』を厳密に区別することはできないのである。
J.M.Gイタールがアヴェロンの野生児の養育・再教育において目的にしたのは、以下の『5つの目的』であった。
1.現在の生活状況をより快適なものとし、忘れている過去の養育環境に近づけるようにして、この子どもを一般的な社会生活へ近づけること。
2.魂(精神)を激しく揺さぶるような激しい感動などの刺激を与えて、停滞して麻痺している感情を呼び戻し、中枢神経の感受性(感情的反応)を高めること。
3.周囲の他者との関係を増やし、この子どもに新たな欲求・願望を生じさせて、観念が有効となる範囲を拡大すること。
4.『話し言葉の学習』を目的として、どうしてもそうしなければならないという模倣学習のきっかけを作ってあげ、最終的に僅かでも話し言葉を話せるように誘導すること。
5.とても単純な精神作用を生理的欲求の対象に発生させて、そういった精神作用の及ぶ範囲を段階的に教育課題へと広げていくこと。
J.M.Gイタールは上記の目的の達成を目指して、“約6年間の再教育・養育行動”をアヴェロンの野生児に対して行ったが、その結果は日常生活の基本行動や感覚・感情の感受性に対しては改善が見られたが、遂に言語能力や知的能力を習得することは無かったのである。
この実践的な研究を通してイタールは、『発達早期における初期経験(初期学習)の重要性』を指摘しており、乳幼児期に適切な言語刺激や愛情表現を受けて社会的な経験をすることができなければ、事後的に『言語』を習得したり『正常な知的発達』を成し遂げることは極めて困難だという結論に行き着いている。
実際には、自然界の中で育った“野生児”という特殊事例を除いては、人間(親のような存在)と全く関わらずに大きくなっていく子どもはいないため、生まれてすぐから3歳頃までの『初期経験(初期学習)』がどれくらい重要な影響を及ぼすのかは不明な部分も残っている。初期学習の機会が欠如すれば、その後に言語を絶対に習得できないのかについても、研究された野生児に『先天的な知的障害』があった可能性もあることから、別の子どもであれば言語を僅かながらも習得できるのではないかという意見もある。
1920年にインドで発見された2人の孤児の少女であるアマラ(Amala,不明-1921年9月21日)とカマラ(Kamala,不明-1929年11月14日)は、『狼に育てられたという逸話』で有名となり、発達心理学者のA.L.ゲゼル(1880-1961)が『狼に育てられた子(1941)』という論文を書いている。
アマラとカマラは1920年に、現在のインドの西ベンガル州ミドナプール近郊で浮浪児のような状態で発見され、孤児院を運営するキリスト教伝道師ジョセフ・シング(Joseph Amrito Lal Singh)によって保護・養育されることになったが、アマラとカマラの養育の記録と詳細な状況はシング一人だけによって広報されたため、その内容の信憑性については多くの疑問も突きつけられている。
シングはアマラとカマラが幼少期に親から捨てられてオオカミに育てられたと主張して、アマラとカマラは長期間にわたり人間社会の文化文明から切り離されて育てられた『野生児の事例(極度の文化的隔離の事例)』として世界的に一躍有名になった。しかし、生態学的にオオカミが人間の赤ちゃんを育てるのはほぼ不可能であること(オオカミの母乳成分を人間の赤ちゃんは消化できずオオカミの移動速度に対応できないことなど)、シングの説明報告・日記記述にはかなりの『誇張表現・虚偽報告』も含まれており、その信憑性が相当に疑わしいことなどの問題がある。
現在ではアマラとカマラが『オオカミに育てられた純粋な野生児(文化的隔離児)であった』と信じるだけの根拠はかなり薄弱であり、シングがカマラに暴力による原始的行動の強制を行っていたなどの証言もでており、シングが金銭目的で野生児の事例を捏造したという疑惑も出されているのである。
特に、シングがアマラとカマラの身体的特徴として報告した『鋭利で長い歯・固定された関節での四足歩行・夜間に青色の光を放つ夜行性の眼』などは、当時実際に彼女たちを見たことのある医師によれば、実際のアマラとカマラには認められなかったのである。
また幾らオオカミに乳児期に育てられたからといって、人間の遺伝情報(ヒトゲノム)に含まれていない『オオカミに近似した生物学的特徴』が現れるはずがないことから、鋭利に長くとがった歯や夜間に青く光る目などは、完全にシングの虚偽の証言だと考えられる。少女二人が獣のように四つ足で歩いたり、生肉を食べたりしている証拠写真とされるものについても、アマラとカマラの死後の1937年に撮影されたものであり、別の少女に依頼して野生児らしいポーズを取らせたものとされている。
アマラとカマラが本当に野生児であったのかの事実性をリサーチする調査は、社会学者のウィリアム・F・オグバーンと文化人類学者のニルマール・K・ボースが1951~1952年にかけて行っているが、その結果はアマラとカマラがオオカミに育てられた野生児であるとするシングの主張は相当に疑わしいというものであった。
現在では、アマラとカマラは『生得的な身体障害・精神障害(自閉症スペクトラム)・知的障害』などを持って生まれ、親に遺棄された可能性が高いのではないかと推測される向きが強くなっている。世界中の耳目を集めたアマラとカマラの事例は、現在では『野生児の事例』としては信憑性が欠けるものになっていて、金銭目的だったシングの虚偽報告の可能性も取りざたされているが、1920年代のインドの人権感覚や孤児院の環境を考えれば、こういった詐欺的な事件が起きてもおかしくない情勢ではあったのかもしれない。
野生児研究や野生児の心理学的考察が持っている目的・意義は、極端な『社会的隔離・文化的隔離の影響』を調べることができ、人間の正常な知的発達や身体発育、対人関係の形成、社会適応力の獲得において何がもっとも重要なのかを知ることができるということにある。
広義には発達臨床心理学におけるルネ・スピッツの『ホスピタリズム(施設症候群)』や『母性剥奪(マザー・ディプリベーション)』の研究とも関係しており、野生児の性格形成や行動様式、精神状態を調べることによって『両親の養育行動・母親(父親)の愛情表現・家庭的な守られている環境』が子どもの発達・成長にどのようなメリット(恩恵)をもたらしているかを知ることができるのである。
野生児研究は人間の正常な発達に必要な“環境条件”を明らかにすること、発達早期の“初期経験(初期学習)”の効果と限界を確認することなどの意義があり、倫理的に実施することができない社会的隔離(文化的隔離)実験の結果を『人為の関与しない自然実験』として知ることができるのである。
アヴェロンの野生児を教育したJ.E.G.イタールの方法は、E.O.サガンへと伝達されて、精神遅滞児(知的障害児)の生理学的な指導法として応用されることになり、子どもの創造性や自発性、感受性、遊びの感覚を伸ばしてあげることに重点を置いた『モンテッソーリ教育』で知られるM.モンテッソーリ(1870-1952)の感覚教育法にも影響を及ぼしている。
J.E.G.イタールなどの野生児研究が、『知的発達障害児の指導教育』に及ぼした影響は大きく、子どもをありのままの状態で寛容に受け容れてあげること、日常生活に必要な技能の習得を援助しながらその子の興味関心を大切にして伸ばしてあげることなどは、現在の知的障害児の教育においても基本的な事項として遵守されているほどである。知的障害・発達障害を持っている子どもの教育指導では、それぞれの子どもの持っている特徴や問題を『個性』として肯定的に受け容れながら、それぞれの発達水準や能力のレベルに合わせて『現状改善的な指導・援助の方法』を柔軟に適用していく必要がある。
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