科学研究における不正行為とその心理:バートのデータ改竄疑惑

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科学研究の不正行為の分類・藤村新一とC.ドーソンの証拠捏造


心理学分野におけるC.L.B.バートのデータ捏造疑惑と不正行為の動機

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科学研究の不正行為の分類・藤村新一とC.ドーソンの証拠捏造

心理学を含む科学研究の方法論の原則は、“仮説の確からしさ”を実験・観察によって検証する『仮説演繹法』と実験・観察のデータを用いて仮説を構築していく『帰納法(帰納推測法)』とにある。自然科学の研究・調査は、誰にとっても成り立つ『普遍性・一般性の高い仮説理論の確からしさ』を検証してその理論仮説をさまざまな用途に応用していくことが目的である。

その科学の目的を達成するためには、研究者が仮説の検証や構築に用いた『資料・データの正確性』が担保されていることが前提になっていなければならない。

科学研究を実践する科学者にとっての『不正行為』というのは、自分の仮説・理論の検証に用いられた『資料・データの内容』を意図的に偽ったりでっち上げたりすることである。科学研究における不正行為には、大きく分ければ以下のようなものがある。

いずれにしても科学研究における不正行為とは、『自分の理論・仮説の正しさ(確からしさ)』を客観的データを用いる科学的方法に拠らずに、虚偽のデータや証拠を作り上げることで証明しようとする行為(自分の理論・仮説の確からしさを研究者や社会に信じ込ませようとする行為)である。

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上記したのは科学者本人が意識的・意図的に行うことのある不正行為であるが、実際には本人がわざと不正行為をしようと思っていなくても、結果として不正行為やそのグレーゾーンに抵触する行為をしてしまうことがあり、これを『科学者の不品行』という概念で指摘することもある。

日本国内で広義の科学者(研究者)が犯してしまった科学研究における不正行為としては、遺跡・石器の発見率の高さから“ゴッドハンド(神の手)”の異名を取っていた藤村新一(1950-)『旧石器遺跡捏造事件(2000年)』があり、これは実際には埋まっていない旧石器時代の石器を自分であらかじめ準備して遺跡と誤認させた地点に埋めていたという『証拠の捏造』である。

藤村新一の証拠(石器)捏造の不正行為によって、日本の前期・中期旧石器時代の遺跡の多くが消滅することになり、過去数十年に及ぶ『日本の前期・中期旧石器時代研究』の大半の根拠が揺らぐという極めて大きな考古学の損失を引き起こした。 登録遺跡(埋蔵文化財包蔵地)になっていた東北地方を中心とする遺跡の多くが抹消され、考古学の研究成果に関わる部分の歴史教科書も書き直しを余儀なくされた。

藤村氏本人は証拠捏造の動機として『功名心の高まり』以上にゴッドハンドとして持てはやされているのに石器が発見できない状態が続くことは情けないという『プレッシャーの強さ(周囲の期待を過剰に受け取りすぎたこと)』があったと知人の考古学研究者に語っている。

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その後に、藤村氏の精神状態は著しく悪化して捏造事件に関わる記憶の全てを失ったとされ、人格・記憶の正常な統合性と意識の明晰さが失われる『解離性同一性障害(多重人格障害)』の診断を受けて、長期の療養生活に入っている。自らの右手の中指・人差し指を切断する自傷行為を行うなどの病歴もあり、かなり深刻な精神障害の妄想や罪悪感に苦しめられたようだが、学会で期待されている重鎮・ホープがそのプレッシャーに耐えかねて不正行為に手を染めてしまうケースは少なからずある。

1909年~1911年に、弁護士でアマチュア考古学者のイギリス人チャールズ・ドーソン(Charles Dawson)が大英博物館に持ち込んだピルトダウンから発見された頭頂骨と側頭骨は、最古の現生人類の祖先である『ピルトダウン人』だと考えられていたが、1950年にフッ素法でピルトダウン人頭骨の年代検査を行うと、その骨が1500年以内の新しい骨であることが発覚した。

1953年のオークリーが率いたオックスフォード大学のグループによる精密な年代測定では、ピルトダウン人の下顎骨はオランウータンの骨で、臼歯の咬面は人類に似せて整形されていたことが明らかになった。骨が実際以上に古く見えるように、薬品を用いて骨と石器を念入りに着色していたが、このチャールズ・ドーソンによる『ピルトダウン人事件』によって古人類学はかなり大きな混乱を強いられたのである。近年の著名なデータ改竄事件としては、韓国の黄禹錫が起こした『ヒトのES細胞(胚性幹細胞)の実験データの改竄と証拠の捏造問題』があります。

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心理学分野におけるC.L.B.バートのデータ捏造疑惑と不正行為の動機

心理学の研究分野における大規模な不正行為としては、エリザベス女王から“ナイト(騎士)”の称号まで授与されていたイギリスの心理学者C.L.Bバート(1883-1971)『知能の遺伝規定性の研究におけるデータ捏造・改竄』がある。C.L.B.バートは双子の知能指数を測定して比較する双生児研究を行って、知能が生得的・遺伝的な要因によって強く規定されることを証明して、A.R.ジェンセンなどの人間の知能・社会的地位の高低は大枠が遺伝子によって決められているという『遺伝子決定論者』にも大きな影響を与えた。

C.L.B.バートは当時のイギリスにおける一線級の心理学者であって、十分な地位と名誉、財産を手に入れて心理学会の重鎮と目されており、性格心理学の因子分析を行って心理学史に名前を残しているH.J.アイゼンク(Hans Jurgen Eysenck, 1916-1997)などの指導教授でもあった。

バートの知能の遺伝子決定論(知能の遺伝規定説)を肯定する3つの主要論文を精査してみたところ、データ収集の具体的方法の記述がなく、データ・研究方法の引用元になっている論文も実在しないことが分かったのである。更に別々のデータを用いて書かれているはずのその3つの主要論文の相関係数が、『小数点以下の第三位』まで全く同じ数値になっており、それは統計学的な蓋然性を考えるとまず有り得ない結果であった。

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複数の論文の結果である『相関係数』が全く同じであったことで、バートのデータ改竄疑惑が持ち上がってきたが、それに加えてバートの共同研究者やデータ収集の協力者として論文で名前を上げられている人物が、実際には存在していないことも明らかになってしまった。C.L.B.バートは心理学者としての豊富な経験と統計的に妥当な数値についての知識を駆使して、自分の仮説理論をスムーズに肯定してくれるようなデータや統計の数値へと改竄していたのである。

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なぜバートのような地位も名誉もある心理学の権威的研究者が、このような客観的データの捏造・改竄といった不正行為に手を染めてしまったのだろうか。その理由は、科学研究における不正行為(データの捏造・改竄)の多くが、『大勢の人が持っている常識・推測と一致する仮説』『科学者コミュニティで既に主流となっている理論』の確からしさを証明しようとして行われることと関係しているとされる。

逆に言えば、『大勢の人が反対しているような理論』『科学者コミュニティで賛同者が殆どいないような突飛な仮説』を証明するために、客観的データの捏造・改竄をする科学者は殆どいないということである。

直観的・推測的に確からしいという確信が持たれている仮説、世間や学会の大多数がその正しさを立証したいと望んでいるような理論が、(その考え方の正しさを改めて確認しようとする)『確証バイアス』によってデータの捏造・改竄などの誘惑に晒されやすいのである。実際、データを改竄したり捏造したりした研究の多くは、『客観的な事実』と違っていたり『研究結果』そのものが間違っていたりするわけではなく、むしろ、その後で正しい方法で取得したデータと一致することさえ少なくないのである。

C.L.B.バートの知能と遺伝の研究も、当時のヨーロッパの心理学会で主流だった『遺伝子決定論(知能の遺伝的規定説)』を検証するための研究であり、初めから『確証バイアス』がかかっていて正しいように感じられる仮説を、『後付けのデータ』で補強しようとする性格が強いものであった。

科学研究における不正行為が問題なのは、研究結果や事実の記述そのものが間違っているか否かと直接的な関係があるのではなく(最終的に改竄されたデータが正しいものであると証明されていても改竄をすればやはり問題なのであり)、研究者としての倫理観の欠落や科学研究の方法上の無視というのが最大の問題なのである。

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自然科学の理論仮説はそのすべてが『客観的根拠・実証的データ』に基づいているのではなく、科学者コミュニティや時代精神が『当該仮説の確からしさを事前に信じ込んでしまっている態度』にも僅かながら影響される余地を持っているのである。人間や社会が科学的研究を実行している以上、そこには『科学に期待する目的・欲求』のバイアス(偏り)がどうしても掛かってしまいやすいという問題が残る。

客観性・中立性に基づく法則発見が目的であるべき科学研究が持つこの困難な問題の解決を示唆したのが、カール・ポパー『反証可能性』のパラダイムであった。自然科学の持つ科学的な客観性・中立性を担保しているのは、『仮説を支持する資料・データがあること』ではなく、『仮説を反証する資料・データが出されるかもしれない可能性があること』であり、科学理論とはスタティック(静的)な真理そのものでは有りえず、絶えず他の理論に反証(否定)されるかもしれない可能性を持つものである。

故に、自然科学における理論は原則として『絶対的・永続的な真理』などではなく、将来においていつか異なる研究者や理論に反証されてしまうかもしれない『相対的・暫時的な仮説』という位置づけに留まるのである。

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