アクセス・アップ論とIT革命(情報革命)の功罪

アクセス・アップとアクセス維持に必要なSEOとコンテンツの充実

農業革命・工業革命・情報革命による恩恵と弊害

ユーザビリティとアクセシビリティ



アクセス・アップとアクセス維持に必要なSEOとコンテンツの充実

現在の日本では、情報端末であるパソコンやモバイル機能のある携帯電話などが、家庭と個人に普及し、小学生や中学生でも携帯電話を所有する時代となっています。パソコンや携帯を使ってWWWに接続できるインターネット環境が整備され、光ファイバーやDSL技術(ADSL)などを用いた高速通信の常時接続も当たり前の時代になってきました。

携帯電話のパケット通信を用いたインターネットへの接続も、従量制ではなく定額制へと移行してきていることから、今後もますますインターネットを用いた情報収集・情報利用・ビジネス(e-business)は加速していくことが予測されます。

5年以上も前に、“IT(Information Technology:情報技術)”という言葉が頻繁に用いられ、時代は情報革命時代に突入したといったニュース報道が多くなされました。その頃に話題になったのは、行政の効率化と人件費削減に役立つ電子政府の確立やITのベンチャー・ビジネス支援によって景気回復を目指すといったことでした。

ITを用いたビジネスがうまくいくかどうかは、利用者のアクセス回数とアクセス目的に大きく依存しています。ITビジネスが成功するか否かの岐路は、『企業や事業者が提供する商品やサービスに関心をもっている潜在的顧客(潜在的需要)』をいかにより多く集められるかにかかっているといえるでしょう。

現在では、利用者の多くが、自分の求める情報を探し出す為に、検索キーワードを打ち込む検索エンジンを利用しています。そして、検索エンジンの最大手としてGoogleとYahoo!が現れ、ほとんどの人たちは、インターネットの情報検索にGoogleとYahoo!あるいはMSNを使用しています。

広大なインターネット空間には、無数の情報と主張、知識が散りばめられていますが、それらの情報にアクセスする為には必ず『情報のトラフィック(通路)』が必要です。トラフィックには、検索エンジンの検索結果、他のウェブサイトからのリンク、メール・マガジンへの広告(リンク)、掲示板からのリンク、口コミ、新聞雑誌などの紙媒体への広告、手書きの広告など色々なものが存在します。

その主要なトラフィックの一つが検索エンジンですから、その検索エンジンの検索結果の上位に自分のウェブページを表示してもらえば、必然的にアクセス数(PV:ページ・ビュー)や訪問者数(ユニーク・アクセス)が増えることになります。検索エンジン経由のアクセス数を増やすための技術と手段(キーワード選定,他サイトからの被リンク数増加,HTMLの適切なマークアップ,コンテンツの充実など)が、『SEO(Search Engine Optimization,検索エンジン最適化)』と呼ばれるものです。

しかし、ウェブサイト運営において、大きなアクセス数を維持するために最も必要なのは、『常連を維持するために面白い記事や有意義なコンテンツを更新すること』であることは言うまでもありません。

あるいは、『掲示板やコメント欄、トラックバックなどを用いた楽しいコミュニケーションを維持すること』『積極的に他のウェブサイトやブログを訪問して、感想や意見を書き込むなどのサイト間交流を深めること』『最新の時事問題を素早く考察すること・マスメディアの見解を論評すること・他のサイト運営者の見解に対する意見を述べ議論すること』などによっても常連の訪問者を維持することが出来るでしょう。

それらのことから言えるのは、検索エンジン最適化であるSEOばかりに固執して、キーワード選定やHTMLのマークアップばかりに熱心になり過ぎるのは、あまり効率的で有効なサイト構築法とはいえないということです。検索エンジンは、非常に重要なインターネットのトラフィックではありますが、所詮は、自分のウェブサイトへの入り口にしか過ぎず、あなたのウェブサイトに読むべき価値のある情報やひきつけられる面白い記事がなければ利用者はすぐに別のウェブサイトへと移動してしまいます。

余ほど知名度の高い大企業や官庁、著名人などでない限り、大勢の人たちを検索キーワードや知名度だけで魅了することはできません。ですから、一般のそれほど有名ではない企業や個人の作成するウェブサイトで、多くの閲覧者や顧客を集めるための王道とは、単純なSEO戦略やトラフィック増大ではなく、『読んで面白く、読んでためになるコンテンツ』『商用サイトであれば対象層を魅了する内容のコンテンツ』を継続的に増やし続けていくことではないかと考えています。

ここまでSEOとアクセスアップの関係を基軸として色々なことを考えてきましたが、より多くの常連の閲覧者をどれだけ自分のウェブサイトに惹きつけられるかという問題についての最適解は、『SEO対策』『コンテンツ対策』『コミュニケーション対策』の三本柱の組み合わせにあることがわかります。

その三つのアクセスに関与する要因に対して、ウェブサイト制作の労力と時間を適切に配分してみましょう。この記事を読んで下さっている方には、ウェブサイトを運営してみたいと思う方や実際に運営してアクセスを増やしてみたいと思っている方が多いと思いますが、それぞれが様々な試行錯誤を繰り返していくことで、実効性のある自分独自のウェブサイト運営法を見つけられるのではないかと思います。

以下に、『SEO対策』『コンテンツ対策』『コミュニケーション対策』について簡単に概要を示しておきます。

SEO対策……自分のウェブサイトで取り扱っているコンテンツ(情報・話題・知識・製品・サービス)の内容を端的に指し示すキーワードを用いた検索結果で、出来るだけ上位に表示されることを目指す技術や方法。
ページランクの高いサイトからのリンク・キーワード選定・キーワード出現率・情報の公開期間・HTMLによる適切なマークアップなど実に多様な要素が絡んでくるが、そのアルゴリズムを推測することによって行う検索エンジン最適化である。トラフィックの間口を広くして、自分のウェブサイトを知らなかった人たちにその存在を告知する効果、内容が面白ければ継続的な閲覧の効果が期待できる。

コンテンツ対策……自分のウェブサイトで公開されているコンテンツ(記事・情報・内容・作品・紹介)の質を高めて、より多くの人に面白く閲覧して貰える様な魅力的なものとする。あなたのウェブサイトのメイン・コンテンツは何であるのかを明確にして、そのメイン・コンテンツを補強するようなサブ・コンテンツを増やしていく。
コンテンツの価値は、『正確性・需要度・必要性・有用性・実利性・即時性・新鮮味・希少性・好ましい人間性の表出・娯楽性・面白さ・インタラクティブ(双方向性)・更新頻度・話題提供・芸術性・美的魅力・野次馬根性の充足……』など実に多様な観点から捉えることができ、万人にとって魅力的なコンテンツを制作することは基本的に無理である。あなたが伝えたい情報やメッセージとは何か、書いていて面白いコンテンツとは何かという視点からコンテンツ制作を見直し、その分野や領域における情報提供のクオリティを高めていくことが最も簡単なコンテンツ対策である。
自分の伝えたいメッセージや主張をこめたコンテンツに対して共感的な反応やコメントが寄せられるだけでも、ウェブサイト運営の意義があるとする人が多いように、ウェブサイト運営の魅力はアクセス数の多さや実際の利益だけではないのだから、自分が楽しめる内容を楽しんでくれるような他者を探すような気持ちでコンテンツ制作を続けてみれば良いのではないかと思う。

コミュニケーション対策……自分の書いたコンテンツに対する意見やコメントを簡単に書き込めるような場所(掲示板やゲストブック)を自分のウェブサイトに用意したり、ブログのコメントやトラックバックをうまく利用してみよう。
コミュニケーションの場が活性化してくると、その言葉のやり取りを楽しむ人たちのトラフィックが出来上がりアクセス数が増加するし、コミュニケーションを好む閲覧者の定着率を上げることができる。
自分のコンテンツに対して、誰からも何の反応もないという事を淋しく思い、更新意欲が低下しているようなウェブ制作者がいるのであれば、積極的に他のウェブサイトの掲示板やブログに感想や意見を書き込んで、自分のサイトへのトラフィックを物理的・心理的に作り上げてみるのも一つの方法である。
心理的なトラフィックというのは、『書き込みをされた管理人は、書き込み者に対して必然的に情緒的な関心や好意』を抱きやすく、書き込んだ人のウェブサイトには、ほぼ確実に一回は脚を運ぶということである。
多くの人の多様な個性や見識に触れながら話し合う楽しみを味わえる人であれば、コミュニケーションの活性化とサイト間交流の促進によって、ウェブサイトの運営は一層魅力的で面白いものとなるだろう。

農業革命・工業革命・情報革命による恩恵と弊害

農業革命や産業革命といった人類史上の大変革に匹敵する出来事(第三次革命)として情報革命が起こり、私たちはかつて想像すらできなかった有象無象の膨大な情報に取り囲まれています。
IT(Information Technology:情報技術)革命と呼ばれる急速な情報化社会の到来は、社会構造や経済システム、そして、私たちのライフスタイルに大きな変化をもたらしました。1990年代ごろから、情報技術分野におけるイノベーション(技術革新)が加速して、パソコン(personal computer)や携帯電話、PDAといった情報関連機器があっという間に私たちの日常に普及していきました。

人類の歴史における第三革命とも言われるITの進歩と普及は、一体、どういった恩恵と弊害を人類にもたらしたのでしょうか。農業革命によって、人類は食料の生産性を格段に向上させ、かつての狩猟採集時代に頻繁に起こっていた飢餓と欠乏の恐怖から(完全ではないにせよ)脱け出すことに成功しました。農業革命の最大の功績は、かつては偶然の幸運と自然の恵みに頼っていた食料の確保を人工的に行い、その収穫量を激増させたことにあります。

しかし、人類を飢餓から救った農業革命には、階級社会の形成を早めて封建的な身分差別を促進したという負の側面もあります。収穫量を飛躍的に上昇させたことによって、生産物に余剰ができるようになり、人々の間には生産物(食糧)をよりたくさん蓄積したいという欲求が生まれました。

工業革命(産業革命)以前の封建主義の政体で、最も価値ある財(資産)は何かといえば、それは農業の生産力を規定する『肥沃な土地』です。かつて、江戸時代の日本でも、国の力は石高という米の生産高で表されていました。
農業が機械化されて少ない労働で多くの収穫を得られるようになる近代以前には、人々の多くは農業に従事して命を支える穀物や野菜、果物を生産していましたから、より広大で肥沃な土地を所有することはそのまま絶大な権力を所有することと同じ意味をもっていました。

人類の第二次革命とも呼ばれる重化学工業を起点とする産業革命(工業革命)は、人類史上最大の革命といっても良く、産業と技術の相補的な発達は、あらゆる物質的な豊かさや人工的な快適さ、高速移動の便利さ、意匠的な華やかさの源泉となっています。

ここでは、ユーザビリティを語る前置きとしてIT革命を語っているので、産業革命が人類の歴史と生活に与えた広範で強力な影響について詳細に述べる余裕がありませんが、大雑把に産業革命の正と負の影響を考えてみます。産業革命によって人類が物理的に得た利益や快適さは、それ以前の農耕牧畜社会で得られた収穫物(農産物・家屋・移動手段など)とは量的にも質的にも隔絶したものでした。

人類は、蒸気機関や内燃機関の発明と進歩によって、海を隔てるような遠い距離を何の疲労や苦しみもなく簡単に移動できるようになり、航空輸送の発達によって誰もが『安全で快適で高速な大陸間移動』を行うことが可能になりました。

化学物質の解析・合成や材料工学の進歩によって耐久性に優れた素材や保温能力や通気性の良い繊維が開発され、私たちのファッションは機能性が高いだけではなく、デザイン的にもより洗練された魅力的なものになりました。
雨風に長く耐える塗料や色合いの良い塗料、簡単には割れない強化ガラス、堅固で長持ちする材料などを家屋や建造物の建設に用い、室内には、温度・湿度を適切に調整するエアコンを効かせることによって、私たちは寒暖の差や不快な刺激のある外部環境から遮断された快適な居住空間や労働環境を手に入れることにも成功しました。

しかし、大きな効果や影響を生み出す生活上の変化は、その反作用としての弊害を生み出しやすいので、人類のライフスタイルと経済生活の根本を変革した産業革命は、農業革命以上の反動的な負の作用を引き起こしました。それでも、私は、産業革命のもたらしたメリットはデメリットと比較して大きいのではないかと思いますが、だからといって、産業革命によるマイナスの影響や破滅的な現象をこのまま放置してよいわけではありません。

物質的な豊かさや移動の高速化、快適な人工の生活環境といった産業革命がもたらした好ましい要素は、そのまま、マイナスの負の効果や破壊的な影響を生み出すことにもつながりました。産業革命が生み出した最大の脅威は何と言っても、人類全体を絶滅させる潜在的可能性を持つ『核兵器(nuclear weapon)』でしょう。

その他にも、自然科学の理論や技術を応用して、一発のミサイルや爆弾で無数の人々を瞬時に殺戮できる大量破壊兵器が、20世紀半ばごろに続々と登場しました。それらの脅威的な殺傷力を持つ近代兵器は、通称、『ABC兵器(Atomic wearon,Biological weapon,Chemical weapon)(核兵器、生物兵器、化学兵器)』とも呼ばれ、国際社会でもその所持や使用が厳しく監視され制限されています。

しかし、比較的、国力の劣った開発途上国や独裁国家に対して、ABC兵器の所持使用を厳しく禁止する一方で、アメリカやイギリス、フランス、中国、ロシアをはじめとした世界情勢の中で重要な位置を占める大国は、膨大な数の大量破壊兵器を所有しています。現在、国際社会で指導的地位にある大国は、(憲法9条によって軍事力増強を大幅に制限されている日本国を除いて)核兵器を中核とする抑止力と軍事力によって、自国の安全保障能力を高め、国益を守っているという矛盾した構造が見られます。

この事から、人権思想や平和の大切さを知る国民から構成される先進国においても、軍事力は重要な国益保護のために必要不可欠なものと見做されているといえるでしょう。国際社会における指導力や統制力は、他国の暴走や侵略を抑止し鎮圧する軍事力によって支えられているというのが現状なのです。産業革命のもたらした負の遺産の一つが、人間の生命の尊厳を一瞬にして灰燼に帰す破壊力を持った核兵器、そして大量破壊兵器といえるでしょう。

人間は、基本的にいったん手に入れた技術やパワーを手放さないという本性がありますし、ゲーム理論による囚人のジレンマによって『出し抜かれる(核兵器を隠し持たれる)リスクを低減させるため』に全ての大量破壊兵器を国家が廃棄することは、今後もあまり期待できません。科学技術の発達によって生まれた弊害や脅威は、基本的に科学技術を捨てて取り除くことは出来ないということが歴史的に証明されています。

ですから、この弊害や脅威は、科学の発達を捨てるのではなく、進展させることによって解消していく事になるのではないかと推測されます。争いや対立の根本原因を、科学技術の進歩と地球規模での経済成長によって消滅させることが最も理想的な解なのでしょうが、これが実際に実現可能かどうかを考えると、経済成長による環境破壊の問題や人口過剰による資源枯渇の問題など様々な難問が山積しています。

戦争を地球上から無くす平和主義の理想は、遥か太古の昔からありましたが、その平和実現の理想を阻んできたのは、絶望的な貧困や飢餓、歴史的な怨恨、集団間の屈辱体験でした。また、少なくない人たちが、激しく殴りあう格闘技や圧倒的な破壊力を示す軍事演習に興奮や爽快感を覚えるように、人間には先天的な攻撃本能が備わっていると考えられます。

現存している生物全般は、長い自然淘汰(自然選択)の歴史を環境への適応や他の生物個体との競争を通して生き残ってきたという背景を持っていますから、種の保存や生命維持につながる攻撃本能や衝動的な行動傾向を持っているのは当然といえば当然なことなのですが、この生物学的基盤によっても平和な世界の実現はなかなか困難であることが分かると思います。

脳の解剖学的構造(脳幹や大脳辺縁系)からも人間の自己保存欲求と結びついた破壊的な攻撃欲求の存在が推測されるのですが、平板な変化の少ない平和状態が長期間継続した場合に生まれやすい倦怠感や退屈をどのように解消していくかが大きなポイントとなる気がします。

現在の日本の若年層に、比較的、軍事力増強や同盟国との集団自衛権に肯定的な意見が多いことやプライドやK1といったリアルさを追求した格闘技に人気が集まることも、(実際の戦争の悲惨さを知らないということ以上に)長期間の平和状態による攻撃本能の抑圧や同じような日常が続く倦怠感が無意識的に作用していると推察することが出来るのではないでしょうか。

平凡な安定した日常生活の繰り返しこそが、人間にとっての幸福なのだと語る人も多くいますが、これは勿論、全ての人々に当て嵌まる普遍的な幸福感ではないというところに戦争や対立を生起させる競争的な攻撃欲求の萌芽があります。変化の少ない安定した生活の継続を望む保守的な幸福感を持つ人の集団がいる一方で、出来るだけ変化の多い刺激に満ちた不安定な状況の展開を望む革新的な幸福感を持つ人の集団がいます。

そして、現在までの人類の歴史を振り返ってみると、時代の変革期に社会の中でより大きな権力や指導力を発揮するのは、『現状を維持しようとする保守派ではなく現状を変化させようとする革新派』でした。

経済メカニズムやビジネスが変化し、社会構造や生活形態が変化する時には、必ずその流れを推し進めようとする革新派と、その流れを押し留めて今の状態を維持しようとする保守派が現れますが、はじめ優勢であった保守派も、多くの場合、時間経過と共にその勢力を弱くして、最終的には時代の変化に敏感であった革新派が主導的な立場にたつといったことが歴史には頻繁に見られます。

特に、戦争行為と平和主義の葛藤の問題においては、諸外国が平和主義を前提とした外交を意識していない以上、『外国による一方的侵略や攻撃の脅威』『軍事力がないための国益損失』といった問題が折に触れて立ち上がってきます。そういった国家安全保障や国際政治上の危難が起こったときには、必ず自衛戦争と報復攻撃を前提とした軍事力増強と安全保障体制の強化を主張する人たちが現れてきて、不安や屈辱を感じている国民感情を高揚させ、軍事力強化に対する国民の同意を取り付けようとします。そこで私たち国民一人一人が、どう判断すべきなのかということでしょうね。

とはいえ、この問題は、そういった軍事力増強による国防を主張する人が、戦争肯定者で間違っているとか間違っていないとかいう単純な問題ではないでしょう。結果として、軍事戦略が功を奏すという可能性を捨てきれない以上、そういった平和主義に逆行する政策に賛同する人たちの判断は、ある意味で合理的であり現実的な功利主義に適ったものだからです。

私個人は、軍事力の脅威や恫喝に対して軍事力強化と同盟国との集団自衛活動で強硬に対抗するという政策には、あまり有効性を感じないし、延々と同じ歴史の惨禍を繰り返す恐れもあると思うのですが、国防の問題には数多くの国民の生命がかかっていますから、理想論だけで平和主義を貫徹するリスクも十分に考慮する必要はあるでしょうね。

大きく話題が逸れましたが、物質的な豊かさをハイスピードで増進させた産業革命の基盤にあるのは、科学技術の進歩と画期的なアイデアに基づく技術革新です。そして、その技術の革新と進歩を推進させる原動力は、人間の果てしなき『快楽への欲望』『権力への意志』です。

快楽への欲望は、フロイトの精神分析学でいえば『エス(イド)』と呼ばれるリビドーが充満した本能的欲望に相当するでしょうし、権力への意志は、アドラーの個人心理学でいう『優越への意志』に当てはめることができるでしょう。

これらの人間の本能的ともいえる欲望や意志を日常的な言葉で表現すれば、『より豊かになりたい、より快適な世界を作りたい、より便利で高性能な商品を利用したい、より速く時間を節約して移動したい、より効率的で収益性の高いシステムを利用したい、他人よりも優位な立場にたちたい、他人との競争で勝ってより強力に裕福になりたい、国家間・民族間の戦争で勝って国益を増加させたい』ということでもあります。

こういった快楽を求める欲求や他人を傷つける感情は、よくエゴイズムだとか利己主義だとかいう形で非難されたり批判されることがありますが、物質文明社会で生きる私たちがこれらの欲望を完全に抑圧して無かったものとすることはまず出来ません。

しかし、これらの荒れ狂う本能的欲求や自然的本能は、完全に抑圧できなくても、学習や思考、運動などを用いて破壊的ではない方向に転換することが出来ます。精神分析では、反社会的なエスの本能的欲望を、社会的に承認された行動に転換する『昇華』の機制を、最も生産的な防衛機制であるとしています。

パソコンや携帯電話の普及によって本格化した情報革命(IT革命)の時代に私たちは正に生きているわけですが、情報化社会の中で起きた生活上の最も大きな変化は『いつでもどこでも情報を自由に受発信できるというユビキタス環境』の獲得です。

しかし、インターネットが至るところに張り巡らされたユビキタスな社会に生きるということは、無数の有益な情報を入手したり、自分の知識や情報を簡単に世界に向けて発信できるといった良い面ばかりではありません。

個人では到底処理しきれない『インターネットの広大無辺な情報の海』に呑み込まれてしまうと、自分にとって本当に必要な情報や知識以外にも、無意味な情報や膨大なノイズに曝され続けることになります。『価値あるものと無価値なものが混在した圧倒的な情報量』に絶えず意識を占領されていると、私たちは自分が何を必要としていて、何を学習しようとしているのかという本来の目的を忘れやすくなってしまいます。

低コストで幾らでも新たな情報を受信できる便利な情報革命時代に生きているからこそ、私たちは、自分自身の情報の真偽を見極める目を養い、自分にとっての情報の価値基準を定めるメディア・リテラシーを培わなければならないのです。

休日などに、漫然と雑多な情報に曝露されるだけの受動的な時間を空費するのも楽しいものですが、いざ、目的意識をもって生産的な情報収集や情報利用をしなければならないという時に、情報の氾濫するインターネットで漂流し続けるというのでは困ります。

情報革命によるIT時代を自分に有利なものとするためには、自分の目的に合ったITを使いこなす知識と技能を得るだけではなく、量より質の観点を大切にしながら、必要な情報だけを的確に取捨選択するネット・リテラシーを磨いていく必要があるのです。

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