専門家と一般人のリスクの捉え方はなぜ違うのか?:行動経済学における直感と推理

トヴェルスキーとカーネマンのプロスペクト理論によれば、人は一般に利益の喜びよりも損失の苦痛を約2.25倍強く感じることが分かっているが、この『損失回避の傾向』によって人間の主観的なリスク評価が関係する意思決定は歪まされやすい。株式・債券などのリスク投資では、長期投資になるほど『損失を被る確率』は低くなるが、『損失を被ってしまった場合の損失の金額』は大きくなる傾向がある。

例えばリスクのある長期投資を嫌う人は、いくら『損失を被る確率』が0.01などで十分に低いとしても、『もしかしたら損するかもしれないリスク(危険性)』が頭を過ぎって投資の意思決定をすることができない。約90%の確率で投資した元本が大幅に増える可能性があるとしても、約10%の確率で投資した元本が大きく減少してしまうリスクがあるとしたら、その長期投資には手を出さないという堅実な損失回避を示す人は多くいる。

『確率』『損失金額』のどちらを重視するかの違いは、一般人の『主観的なリスク評価(risk evaluation)』と専門家の『客観的なリスク査定(risk assessment)』の違いとして認識されることも多い。一般人のリスク評価は厳密に統計学的・数学的(金融工学的)なリスクの確率よりも、『潜在的な破局(カタストロフィー)の恐怖』『将来世代(未来)への脅威』を重視して行われる。そのため、損失を被る確率が十分に低くても『もしかしたらの不安・恐怖』によってそのリスク投資を選択することはないと言うことになる。

行動経済学に関係した仮説提唱もある心理学者ポール・スロヴィックは、一般人は主観的なリスク評価(risk evaluation)において、統計的な確率や科学的根拠よりも『恐怖因子(もしもその危険が実現したら破滅するという感情的な恐怖)』『未知性因子(知らないことは危ないのでやめたほうがいいという先入観)』『災害規模因子(確率の大小に関わらずもしその損害が現実になったらどれくらいの被害が出るかの予測)』のほうを重視して意思決定しやすいことを指摘している。

特に、『東日本大震災(2011年)』に象徴される天変地異のような巨大な自然災害、その大震災時に発生した『福島第一原発事故』のような放射能汚染を伴う事故の場合には、『客観的・科学的な確率論(具体的な事故による死亡者・傷病者の数)』よりも、『恐怖因子・災害規模因子』による過剰なまでの恐怖感と絶対に同じような災害・事故が起こらないようにしたいという予防意識(発生確率の低い事象に対して膨大な予算を費やしても予防する)が前面にでやすいと言えるだろう。

一般人の主観的なリスク評価(risk evaluation)の特徴は、生命至上主義や健康最優先といった価値判断が含まれていて、自分や家族、地域への損害・危険をできるだけゼロに近づけようとする感情的なリスク回避(投資対効果のバランスを軽視する)の傾向が強くなるということである。専門家の客観的なリスク査定(risk assessment)の特徴は、人間の生命・健康・財産などに対する被害のレベルとその確率を具体的根拠や統計学的操作によって明らかにしようとするものであり、各種リスクは感情移入の対象ではなく観察・分析の対象に過ぎない扱いとなっている。

また、専門家の客観的なリスク査定の欠点として上げられるのは、『何回でもやり直しが可能な緊張感のない確率論』になりやすいことである。例えば致命的な事件・事故・病気といったものは、確かに統計的・科学的には『無視して良いほどの小さな確率』であることが多いのだが、実際には『1回でも自分・家族・友人に起こってしまえばそれで終わりで取り返しがつかない』という現実がある。だから、一般人の主観的なリスク評価が、『客観的な確率論』から見れば過剰なまでに慎重なリスク回避の姿勢を見せるのは、当たり前といえば当たり前なのである。

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リスクを観察・分析の対象として扱う専門家は『損失・危害を被る確率』のほうを重視して、『破局時(失敗時)の損失金額(損害の程度)の大きさ』を軽視する傾向があるが、これは科学的態度では『自分自身が死傷したり損害を受けたりするという想定やその時の感情』を織り込んでいないからでもある。

リスクを自分や家族の恐怖(感情移入)の対象として扱う一般人は反対に、『破局時(失敗時)の損失金額(損害の程度)の大きさ』のほうを重視して、『損失・危害を被る確率』を軽視する傾向がある。これは、『自分自身(家族)が死傷したり損害を受けたりするという想定やその時の感情』が意識されているからで、リスクが現実になる確率がわずかな確率であってもそれがゼロではない以上、どうしても気になってしまいやすいからである。

一般人の主観的なリスク評価は、『確率論に基づく合理的な期待値』だけに従って意思決定をするわけではないという、人間の感情的・損得勘定的な複雑さを示してもいる。例えば、『確率』と『金額』のどちらを重視するのかは自分が『買う立場』になるか『売る立場』になるかによって大きく変わってくることも知られている。

あなたはどちらのくじを買いますか?また、あなたがそのくじを売る時には、どちらのくじを高く売りますか?

1.確率90%で50万円が当たるくじ。

2.確率30%で150万円が当たるくじ。

多くの人は自分が『買う立場』になった時には、できるだけ確実に利益を得たいと思って『1の確率を重視したくじ』を選んで買いやすいのだが、『売る立場』になると逆に、『2の金額を重視したくじ』のほうを1の3倍以上の価格で売りたがるのである。

この現象を『選好の逆転』と呼んでいるが、選好の逆転が起こる理由については、意思決定のプロセスで初めに『金額の本能的な評価』が行われて、それに続いて『確率の理性的な評価』が行われるからと考えられている。『売る立場』になると金額の本能的評価だけがアンカリング(潜在意識への残存が)されて、実際以上に当たるかもしれない確率が高く評価されてしまうからであり、『もしも売ったくじ(手放したくじ)が当たった場合』に安い価格で売っていると後悔が大きくなるからでもある。

脳科学・神経科学の視点から解釈すれば、『金額』に注目した反応には情動・本能・欲求を司る『大脳辺縁系』が関係しており、『確率』に注目した反応には理性・計画・判断を司る『大脳新皮質』が関係しているとされる。このことは進化論的に考えて、『金額(結果としての利益・損失)』に注意する能力が、より古い時代に発生した動物にも備わっている本能的・直感的な能力であることを示している。『確率(結果を得るまでのプロセスや偏差)』について考える能力は、大脳新皮質が司る高次脳機能に依拠した能力であり、進化論的にはかなり最近の時代になってから発達してきたものと推測されている。

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古典的経済学と比較した場合の行動経済学の最大の特徴の一つは、従来の経済学が無視して切り捨ててきた『人間の感情・情動(大脳辺縁系が関与する本能的で感情的な反応)』を重視していることであり、行動経済学は『感情経済学』と呼ばれることがあるくらいである。人間の複雑な意思決定のプロセスを解明するための仮説モデルを作るに当たっては、人間の感情をノイズとして切り捨てるのではなく、『意思決定のプロセスの構成要素』として分析していくことが必要である。

利益(報酬)と損失(罰)について判断する時には、理性的な大脳新皮質だけではなくて感情的な大脳辺縁系(大脳基底核)も活発に活動していることが分かっている。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者のダニエル・カーネマンは、人間の意思決定のプロセスを説明する仮説理論として『二重プロセス理論(二重過程理論)』を考案している。

ダニエル・カーネマンの二重プロセス理論は、人の意思決定に『直感』『推理』という二つの認知プロセスが関わっていることを説明したものである。D.カーネマンの二重プロセス理論を受けて、心理学者のスタノヴィッチとウェストは直感のプロセスを『システム1(タイプ1)』、推理のプロセスを『システム2(タイプ2)』と呼んで、それぞれの認知システムの特徴を以下のように整理している。

『システム1』の直感のプロセスは、人間だけではなく動物にも備わっている認知プロセスで、『本能・反射・感覚(知覚)・欲求』と深い関わりを持っていて、あまり深く考えずに選択する意思決定を司っている。『システム2』の推理のプロセスは、大脳皮質(理性的思考・計画的判断・創造性)を発達させた知的な人間に固有の認知プロセスで、『思考・理性・計画・判断・創造』と深い関わりを持っているものである。

カーネマンの二重プロセス理論におけるシステム1とシステム2の特徴
システム1(直感)の特徴システム2(推理)の特徴
判断が早い
自動的・反射的
並行的・マルチタスク
労力が不要
連想的
先天的な反応に近く応用性がない
判断が遅い
統制的・思考的
順次的・シングルタスク
労力が必要
規則的
柔軟性と応用性がある
感覚的で今・ここの利益を優先
現在だけの感覚と刺激に対する反応
概念的で長期的な計画性がある
過去・現在・未来の時間感覚と言語的な思考能力
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