ユングの集合無意識(collective unconscious)と元型(アーキタイプ)の種類・意味:ユングのイメージ(表象)の心理学

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ユングの分析心理学を理解し、ユングの広大無辺な宇宙と合一する精神観に接近する為には、人類共通の無意識である“集合無意識・普遍的無意識(collective unconscious)”の概念と内容について知らなければならないだろう。

集合無意識(普遍的無意識)は、個人の後天的な経験や記憶によって形成される個人的無意識の領域よりも更に奥深い領域にあり、人間の知的・情的な精神活動と喜怒哀楽の感情の源泉として人類に普遍的に存在する広大無辺の領域である。

ユング心理学の語る無意識は、意識と相補的な領域であり、お互いに支えあって自我の均衡(バランス)や強度を保とうとする働きを持つ。フロイトの精神分析学では、無意識は性衝動や攻撃衝動、破壊衝動といったエロスとタナトスの本能が混在する無秩序の領域であり、無意識のエスは絶えず表面化しようとして、意識(自我)の安定と健康を脅かしている感覚が濃厚である。

だがユングの提示する無意識(集合無意識)は『意識と相補的な関係性にあって、意識と無意識の機能的な全体性を取り戻そうとする作用』を持つものである。

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つまり、ユングにとって全ての個人の心の深奥に無限に広がっている無意識の領域は、自我にとって脅威的な危険なものでもなく、反社会的な生々しい利己的欲望のみが渦巻いている場所でもない。

ユング派の心理療法は、無意識(集合無意識)の内容に接近できる夢の分析やイメージの能動的な想像(アクティブ・イマジネーション)を重視するが、その治療機序は『意識と無意識の補償作用を働かせ、心の全体性を回復すること』である。

外面的な意識の世界に内面的な無意識の世界を取り込みながら、無意識的な夢に象徴的に現れる元型のイメージや幻想や想像として浮かび上がる神話的な物語などを利用して、自己に固有の生の在り方を模索し、唯一無二の人生を可能性豊かに生きていく“個性化の過程”を促進していくこととなる。

個性化の過程とは、自分自身の感情に意味付けられた記憶の複合体であるコンプレックスと正面から向き合い、不快や苦痛を感じる情動を伴う出来事から逃避することなく対決する過程を通して、自分が生きるべき道を自己実現的に生きていく事である。

普遍的無意識から送り届けられるイメージや感覚の意味を探求して創造的で充足的な人生を生きる過程が個性化の過程であり、意識の領域の欠如や不全を無意識の領域のイメージや意味で補償することでより統合的で創造的な生を享受することができる。

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ユング派の療法家は、カウンセリングや心理療法を“イニシエーション(通過儀礼)の場”と見なす事もあるが、その場合には『死と再生をモチーフとするような象徴的な経験』が重視されることとなる。

つまり、過去のコンプレックスに圧倒されて本来的な自己実現の生き方が出来ない自分を乗り越えて、象徴的な死を迎え、今までとは異なる意識と無意識の統合を達成した新たな自分として再生するイニシエーションの働きをカウンセリングに求めようとするのである。

自然科学的な方法論や客観的な検証に執着しないユングは、統計学的な数値化や客観的な観察が不可能な人間の心理現象と情動や感情の生起過程をあるがままに見つめ、人間精神の起源や根本を内省的に探求した思想家という事ができるだろう。

ユングは『魂の医師』とも呼ばれるが、ユングが魂という言葉を語る時、それは個人の内面にあるだけの限定されたものではなく、この世界全体をすっぽりと覆い尽くしていて、様々なイメージや神話的物語を生み出す未知の広遠な領域であった。

ユングの分析心理学で云う“元型(archetype)”とは、普遍的無意識の内容であり、無意識の圧倒的な強い力を象徴する人格として知覚される精神世界の基本的なパターン(型)である。

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元型そのものを人間が直接的に知覚する事は出来ないが、元型はあらゆる心理現象や精神機能の源泉であり、全人類に普遍的に認められるモチーフである。

元型は、“夢・神話伝説・お伽話・宗教・精神病症状(幻覚,妄想,強迫観念)・想像・ファンタジー・芸術文学作品のモチーフ”などを通して原始心像(primordial image)として人格化された表象(イメージ)の形で知覚されるが、意識に感動や恍惚、恐怖、救済などの強烈な影響を与えるものである。

元型は、通常、イメージとして受け取られ、人間の精神世界の無限の可能性、豊かな想像性、神秘的な幻想性、芸術的な創造性の原資であり起源である。

人間の喜怒哀楽の感情生活の起源としての元型(アーキタイプ):イメージと表象の世界

ユングが人類共通の集合無意識・普遍的無意識の内容であり人間の感情生活の源泉として考えた元型には、以下のようなものがある。

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シャドウ(影)……社会的に認知された自己の意識的人格と正反対の特徴と価値基準を持つ元型で、今まで自分が無意識に抑圧してきた受け容れ難い人格のイメージとして現れる。

現在の自分とは全く折り合わない価値体系や正反対の人格傾向を持っているシャドウのイメージを感じる時には、抵抗感や不快感を感じることが多いが『影』そのものが絶対的な悪の要素を持つわけではなく、今までの自分が無意識的に目を背けてきた生き方や認めたくなかった価値観が『影』として抑圧されたものである。

人間の逃れがたき善と悪の二面性をスリル溢れる筆致で描写したスティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』のように、影は現在の自分が受け容れず認めてこなかった自分の抑圧され隠蔽された半身でもある。

影は、『自分の価値判断での悪』であると同時に『自分が生きてこなかった人生・生きたくても生きる事の出来なかった憧れの人生・自分が生きられない為に嫉妬感情を抱いてしまうような生き方』でもある。

影を無理矢理に無意識に抑圧し過ぎると、意識に表出しようとする力が強くなり自我の制御が及ばない危険な事態になることもあるので、自己実現的な生き方を展開するには自分が見たくない自らの影と対決して『影の統合』を行う必要がある。

影の統合を行う事で、今まで以上に自己理解が深いものとなり、より幅広い多面的な視点で世界を認識することができるようになる。影を認知して適切に受容することは、価値観の多様性を認めることにつながり、排他的でない柔軟な価値判断を行って人生をより実り多き素晴らしいものとすることが出来る。

しかし、個人のレベルを超越した人類共通の普遍的な影は、絶対悪や暗黒、死につながる絶望などの要素と密接に結びついているとされる。

グレートマザー(太母)……温かく包み込むような優しさや弱く幼い者を力強く保護する母性的なものを表す元型で、大地の豊穣や生命の母胎といった大地母神を彷彿とする神話的なイメージでもある。

しかし、グレートマザーには、愛情豊かで慈悲深く成長や豊穣を促していく『光』の側面だけではなく、神秘的な威厳と不気味な暗黒を内在させた全てを呑み込んでしまう『闇』の側面も併せ持っていて、グレートマザーの本質を一義的に優しく温かなものであると断定することは出来ない。

グレートマザーは、優しく穏やかな慈愛を降り注ぐだけではなく、神秘的な深遠さと隠微な誘惑や破壊力も兼ね備えた奥行きの深い元型のイメージであると言えよう。

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アニマ……男性の中の内的な女性像のイメージで、理想の神秘的な異性像としての意味合いも持っている。

アニムス……女性の中の内的な男性像のイメージで、理想の神秘的な異性像としての意味合いも持っている。

ペルソナ(仮面)……語源は古代ギリシアの演劇に使用されていた『仮面』にあり、現実社会の環境や対人関係に適応する為の表層的な人格のイメージであり、社会的な役割を果たしたり、協調的な態度を取ったりする。

ユングは、『社会的元型』や『環境順応的元型』とも呼んでいるように、社会的存在である人間は、本来の自己とは別に環境適応的なペルソナを必然的に持たなければならないが、余りに社会的役割や期待に応えるペルソナの意識が強くなりすぎるとありのままの自然な自分を見失って強い心理的ストレスに晒されることとなる。

ペルソナとは、他者の要求や社会的な期待に応えて高い評価を得たり、環境に上手く適応する為に必要とされるイメージであり、人間は成長の過程において他者の反応をフィードバックする形で幾つかのペルソナを無意識的に作り上げていくこととなる。

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オールド・ワイズマン(老賢者)……深遠な世界にまつわる叡智を有して人々を教え導き、物事に動じない冷静沈着な毅然とした態度を崩さない理想的な老熟した男性像のイメージである。

世俗から離れた隠遁の老賢者のイメージをとったり、絶大な破壊力を持つ自然神や偉大な権威を持った伝説的な王侯のイメージをとったりもするが、オールド・ワイズマンの元型は、人間の自我や能力を超越した絶対的な叡智・勇気・権威・洞察力をもった存在として現れてくる。

オールド・ワイズマンの元型は、人生の困難な状況を打開する契機を与えてくれたり、精神的危機の状態においてどのように行動すればよいかの人生の指針を教えてくれたりすることもある。

オールド・ワイズマンは、この宇宙の全てにまつわる知恵と知識を有する超越的存在者であって、善を行い悪を排する道徳律を実践する有徳者でもあるが、その本質は私達人間に『人生を賢明に善良に生き抜く叡智』を教授してくれるところにある。

ユングが、精神や魂の独立した実在性を固く信じるようになったきっかけも、師父であったフロイトと離別した精神的混乱期に、突如、夢や想像の世界に出現した老賢者フィレモンとの出会いであったという。

想像の世界の登場人物であるフィレモンは、ユング個人の心が生み出した従属的な幻想ではなく、自律的な意志を持った精神的実在であったという。

現実世界の師であるシグムンド・フロイトと、精神分析にまつわる種々の学問的対立から訣別してしまったユングは、新たに精神世界の師であるフィレモンとの邂逅を得たのであり、これをユングはオールド・ワイズマンの元型のイメージと考えたのである。

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トリックスター(道化)……既存の価値観や社会体制に軽妙華麗に反対して、既成の価値観や規範を破壊する元型である。

物事を魔術的なトリックで煙に巻いてしまう道化師、既存の価値観に拘泥する保守主義者を小ばかにしたり揶揄するいたずら者、固定観念に束縛された頑固な人間を巧妙狡猾に罠に掛けるペテン師などのイメージで現れ出てくる元型であるが、トリックスターは一概に悪いイメージを持つものではなく、時代や共同体、人生の新陳代謝を促す元型としての意味合いも兼ね備えている。

既存の価値観や社会規範に束縛され続けれれば、時代や社会、人生の状況を変化せず進展や前進もないが、時代の転換期や人生の節目に神出鬼没に登場するトリックスターのイメージによって『破壊からの再生』が促進されるのである。

性欲・食欲・金銭欲など本能的欲求に支配された低級なトリックスターは、表層的な反抗によって無意味な混乱や無秩序をもたらすだけである。

しかし、トリックスターの本質を有する高等なトリックスターは、倦怠や停滞に陥った現在の体制や規範を巧みに揶揄し風刺して破壊し、その後に新たな秩序や価値を創造するのである。

トリックスターの元型の機能とは、『破壊からの創造』であり、『創造→維持→破壊→創造……』の循環構造を生み出し社会や人間の進歩発展に寄与するものである。

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セルフ(自己)……自我は現実的な思考や判断を行う『意識の中心』だが、自己は『意識と無意識を統合した心全体の中心』である。

意識の領域に創造的な無意識の要素を取り込んで統合する究極的な自己実現の為には、意識と無意識の中心である自己(セルフ)へと接近する必要がある。

自己(セルフ)は、私達が日常的に感じている自分である自我を包括するものであり、心理世界における真の中心である。

究極的な創造性と安定感のある自己実現の人生を生きて行く為には、表層的な自我の満足を達成していくだけではなく、深層的な無意識も含む心全体の中心である自己によって『意識と無意識の調和と統合』を図っていかなければならない。

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永遠の少年(プエル・エテルヌス)……『永遠の少年』は、大人へと成長することがなく、永遠に若々しく美しい身体と純粋無垢な精神を維持し続ける少年のイメージを有する元型である。

『永遠の少年』は、身体的にも精神的にも成熟し世俗化する事がなく、少年のままに生涯を終えて、グレートマザーへと還元されていく。そして、グレートマザーの母胎内から再び永遠の若さと純粋さを維持する少年として再生するのである。

プエル・エテルヌスは、大人の世界の策謀や欲望の波浪に呑み込まれることを嫌って、永遠に高潔で清純な自己の身体と精神を維持し続けようとするが、それは視点を転換すれば、厳しい大人の現実世界からの逃避であり防衛である。

その為に、『永遠の少年』は、グレートマザーの保護や愛情による支配から完全に脱却することが出来ず、永遠のマザーコンプレックスを背負い続けなければならない未熟で無力な存在の象徴でもある。

現代社会の若者の中にも、ひきこもりやNEETといった心理的社会的現象を通して、現実社会の厳しさや社会構成員としての責任の重さから逃避したいという『永遠の少年的願望』が垣間見えることがあるが、その場合には、往々として保護的で優しい母親(家族)が子どもを守っていることがある。

『永遠の少年』には、子どもならではの天真爛漫な自発性があり、純粋無垢な無邪気さやかわいらしさがある。また、大人のように法規範や既成概念に束縛されないので、自由奔放な創造性や活動性といった優れた特徴を持っている。

しかし、『永遠の少年』は、社会に適応できない人格像でもあり、一つの事柄に集中して粘り強く取り組むことが出来ず、社会的に要請される義務や責任を果たす忍耐力や能力にも欠けているといった短所も併せ持っている。

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創造者のデーモン……創造的な哲学者や芸術家、文学者は、時に、人智を超越した驚異的な創作能力を発揮して、独創的で魅力的な作品を次々と生み出すことがあるが、人間の能力の限界を超えた創作欲求、創造への意志を駆り立てるのが『創造者のデーモン』の元型である。

寝食を忘却して絵画や彫刻を黙々と制作し、世俗の雑事を無視して文学や思想を文章に書き起こし、人間の体力の限界を超越して次々と奇跡的な輝きと価値を持つ創作物を生み出す時、その当事者には、普遍的無意識に潜在する創造者のデーモンの影響が働いている可能性がある。

しかし、意欲的な創造は絶望的な破壊と表裏一体であり、天才的な創作者は時に、自我を崩壊させるような圧倒的な狂気や混乱に侵される事もある。

過去の偉大な芸術家や哲学者には、精神病的な幻覚妄想が発現した者、あるいは、錯乱や混迷といった破滅的状態に追いやられた者や抑うつ感の継続から自殺を遂げた者などが数多くいるが、その時には、創造者のデーモンの元型の反動がもたらされたとユング心理学では解釈することが出来る。

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奇跡の子(miracle child)……未来志向の生産性や発展性を象徴的に示す元型であり、未熟で不完全な状態から段階的に成熟し発展していく可能性を内在したイメージとして感じられるものである。

『奇跡の子』は、未来を志向する無限の可能性と潜在力を持っていて、英雄や神へと系統的に成長していく偉大な存在である。

しかし、その一方で、現段階では発展途上の未成熟な存在であり、周囲からの援助や協力を必要とする虚弱な存在であるという矛盾を抱えた逆説的な元型のイメージも持っている。

『奇跡の子』は、『永遠の少年』のように、強固で持続的なマザー・コンプレックスがなく他者への慢性的な依存心もない。

『奇跡の子』と『永遠の少年』の最大の違いは、奇跡の子は、永遠の少年のように永遠に子どものままでい続けるわけではなく、偉大な英雄や神へと成長する可能性を内在しているところである。

元記事の執筆日:2005/04/17

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