暗示的催眠を用いたフロイトが自由連想法に至るまで:19世紀の神経症と神経疾患の歴史

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行動療法と催眠療法の関係性について以前述べたが、精神分析の創始者フロイトも個人開業医を始めた当初は、パリのシャルコー(Jean Martin Charcot 1825~93)に催眠療法を学んで神経症治療に頻繁に利用していました。

シャルコーは、神経症や神経疾患、老人性疾患、慢性疾患などを精力的に研究して、37歳でパリのサルペトリエール病院の医長の座に就任した俊英であり、フロイトの前時代の神経症医療の権威でした。

シャルコーは、研究活動と臨床活動の双方において活躍し、その後もフランス医学会の出世コースをひた進み、1872年にはパリ大学の病理解剖学の教授となり、1882年にはサルペトリエール病院に舞い戻って新設された神経病学教室の教授に就任しました。

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シャルコーのヒステリーの臨床精神医学研究が本格化するのは、サルペトリエール病院の教授就任以降であり、1887年頃にヒステリーの治療法として催眠に焦点を当て始めました。

シャルコーは、“失立・失歩・手足の痙攣や震顫(振戦)・意識消失・四肢麻痺・一時的失明”など様々な機能的障害(知覚・運動・情動の機能障害)を患っている神経症患者を催眠誘導して神経症症状を緩和する暗示を与える治療を行いましたが、この治療法は後のフロイトの臨床研究で明らかになるように対症療法の水準に留まるものでした。

当時、シャルコーの精神医学的研究とは別に、フランツ・アントン・メスメルの系譜に属する催眠療法の本流としてのナンシー学派(ベルネームやリエボーら)がありましたが、シャルコーは神経症症状の医学的観察を通して、神経症の症状学(病態学)の発展に大きな寄与をした人物です。

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フロイトは、シャルコーの言語的暗示を主要技術とする催眠を学んだ後に、更に有効な催眠療法を求めてナンシー学派のリエボーの元へ留学して、リエボーの“催眠通利法”を習得しました。

催眠通利法とは、催眠状態へと誘導して暗示を与えるのではなく、そこで過去の苦痛な記憶である心的外傷を思い出させて語らせるという催眠技法であり、後のフロイトのカタルシス療法としての自由連想法の原形を為すものと解釈することも出来ます。

以降、フロイトはわざわざ漸進的弛緩や言語的誘導によって催眠を施す事に治療的意義は乏しいとして、催眠療法に見切りをつけて訣別し、ナンシー学派のベルネームが用いていた“前額通利法”を治療技法として採用することにします。

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『前額通利法』とは、内面に抑圧した心的外傷(トラウマ)の記憶や感情を発散させて浄化するカタルシス療法の一種なのですが、催眠は一切用いず、クライアントの額に軽く手を当てて『あなたはゆっくりと過去を思い出そうとすれば全て思い出せるはずです』といった至って簡単な教示を与えて自由に話させるものです。

最終的には、フロイトは前額通利法のような教示を用いた誘導さえも用いる事をやめ、クライアントの隠された心的外傷を語らせる為には額に手を当てる必要さえもない事を発見し、1893-1897辺りにフロイト独自の“自由連想法”を確立する事となります。

自由連想法とは、分析家は一切の口を途中で挟まずに、クライアントに心に思い浮かぶ内容やイメージをどのような事でも自由に話させ続けるという技法であり、自由連想法に至って催眠や誘導の技法と精神分析は完全に切り離されていったと考える事ができます。しかし、自由な心の動きのままに内容を語らせる状況そのものが催眠と類似した一種の忘我やトランス状態を引き起こすという説もあります。

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また、シャルコーの最大の業績は、心因性の精神疾患である神経症ではなく、神経の明らかな器質的障害を伴う神経疾患(神経障害)の病理学(神経病学)の領域にあります。シャルコーの主要な病理学研究の対象は、フランスにおいてシャルコー病とも呼ばれた原因不明の神経難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)の症状の記述的研究であり、多発性硬化症の詳細な症状学的記述の研究でした。

神経疾患の病態学の先駆者であったシャルコーは、その生涯を68歳で終えるまでにフロイトやジャネを始め数多くの優秀な弟子を残しました。神経病学の分野では、乳児の神経の反射研究で有名なバビンスキーやピエール・マリーがいます。

フロイトの人生における精神分析の臨床技法の発展の歴史的系譜を振り返ると、『暗示療法→催眠通利法→前額通利法→自由連想法』という順番で発展していったことが分かります。カタルシス療法自体はブロイエルの症例O・アンナ嬢の回復過程を考察した『ヒステリー研究』(1895年)の頃から注目されていましたが、自由連想法の技法としての完成は、『夢判断』(1900)の著作において為されたとされており、正式な精神分析学の誕生は1900年と言う事になります。

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フロイトの精神分析学の展開の歴史的系譜という視点を取れば、無意識を性的欲動であるリビドーと同一視して性的欲動によってあらゆる心理現象の機序が説明することが出来るとする“汎性欲説”的な雰囲気があるのは、前期の精神構造論(意識―前意識―無意識)のフロイトです。しかし、フロイトも後期の自我の構造論(エス―自我―超自我)のモデルを提示してからは、精神内界で支配力を競い合う自我構造の力動性に焦点が合わせられるようになっていきました。

精神分析学の究極的な発展形態は、個人の神経症治療というミクロな技法論や精神理論を超越して、国家・宗教・文化・芸術・歴史といったものにも精神分析学の理論を拡大して適用しようとしたところにあります。晩年のフロイトは、明らかに精神医学者というよりも一人の知的誠実さと勇敢さを併せ持った思想家の風格を漂わせていたように思えるのです。

しかし、思弁的な思想の領域へと自己の精神分析を拡大的に発展させた為に、精神医学や科学的な心理学の領域から逸脱してしまった事もまた事実であり、フロイト自身が目指した科学的客観性を兼ね備えた精神の一般法則を実証的に説き明かす事はできませんでした。現在では、精神現象や精神病理の実証的な科学研究は、認知科学・脳科学・神経科学・神経生理学・コネクショニズム・分子生物学などの分野が担うようになってきていると言えるでしょう。

元記事の執筆日:2005/04/29

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