愛する者を獲得する事と愛する者を喪失する事:生理心理学的恋愛論序説

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異性に対するロマンティックで情熱的な“エロス”や他者に対する無償の博愛主義に根ざした“アガペー”は、『生きる意味と等価にも成り得る無上の幸福や歓喜』を人間にもたらすものとして伝説や詩文、小説で讃美されてきました。

特に、キリスト教文化とヨーロッパの封建社会を発祥とする清楚な女性に一途な恋心を捧げる騎士道精神に根ざした純粋な恋愛は、現代社会においても典型的なロマンティック・ラブ・イデオロギーの原型を為しています。

文明化された人類の歴史において、異性に対する愛(エロス)は理想化されて、永続的なロマンスの幻想を人間に与え、人類に対する無差別の愛(アガペー)は、神の属性である完全な愛として崇敬されてきました。

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しかし、現実世界にある人間の愛情や好意は実に不完全なものであり、理想化されたエロスのように特定の異性に生涯変わらぬ愛を注ぎ続けられる人は極めて稀です。

また、最高の心地良い興奮と陶酔をもたらす恋愛は、いつまでもその幸せが長続きするものでないことを幾つかの失恋や別離を経験した人は体感的に知っているでしょう。

全ての恋愛が別離の結末を迎えるわけでないことは勿論ですが、途中で、恋人との仲がふとした言葉や感情の擦れ違いから険悪になったり、倦怠感や無関心の波が二人に襲い掛かることなどは日常の恋愛関係において頻繁に見られます。

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恋愛関係に陥った初めの頃は、彼女の微笑みを見るだけで胸がドキドキと興奮して脈打ち、彼女の声を聞けるだけで至福の一時を過ごせます。女性であれば、彼のふとした優しい態度や言葉に抑え難い愛情が湧きあがり、彼の小さな表情の変化を見て喜び、愛の言葉に耳を傾けて甘美な気持ちに耽溺することでしょう。

恋は盲目であり、愛する二人の間には排他的な恋愛空間が形成され、二人だけで共有する特別な時間は時間感覚を狂わせて、平気で一晩中でも電話で楽しく笑いあいながら会話を交わすことができます。

しかし、そういった燃え盛るような情熱や心酔に裏付けられた“甘美な恋愛”を永続的に楽しみ続ける事は、多くの場合できません。

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恋愛関係や結婚関係が必ず別離という悲しい破綻を迎えるわけではありませんが、その関係の密度は時間と共に変化し、相手に対する激しい情動は穏やかな好意や信頼へと変質していきます。

あらゆる人々に分け隔てなく与えられる愛としてのアガペーは、理想的なエロスよりも更に達成困難であることは論を尽くすまでもないでしょう。

世界の国々や武装組織のリーダー達が、真に無償の愛であるアガペーを実践できるならば、多くの戦争や紛争は終結するでしょうが、アガペーは相手の無条件の善意を前提としているものですから、無償の愛を注いだ相手から逆に裏切られて手痛いダメージを受ける危険性が絶えずあります。

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全ての人間に善意や友好が期待できない以上、国家レベルといった大規模な相互関係でなくとも、個人間の人間関係においても、無償の愛を注ぎ続ける事には、絶えず裏切りや搾取のリスクが伴います。

アガペーは、人間の合理的な判断や功利的な欲求を超越しなければ実現できない非現実的な愛であり、『私の幸福や利益』を全て捨て去った聖人でなければ持ち得ない愛です。

私が、今回、ここで述べようと思っているのは、生理心理学的な恋愛関係のメカニズムです。時間があれば、結婚制度の歴史的変遷と人間社会の倫理規範である『不倫の禁止』を、歴史学と文化人類学、進化生物学などの理論的根拠や調査結果を元に展開したかったのですが、余りに膨大な論考になりそうなので、機会を改めて結婚制度と不倫の倫理規範、更には現代の少子高齢化問題などにも切り込んで考察してみたいと考えています。

サル社会の性関係や婚姻形態の歴史まで遡って、性愛や恋愛の始まりと終わりを考えてみると、自然主義の誤謬の要素も多分に含みますが、人間社会において何故不倫や離婚という苦悩や悲嘆が生まれてくるのかを主観的な感情論を抜きにして考える事が出来ます。

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生理心理学について

生理心理学というのは、その研究手法が自然科学に近い実証的な心理学分野であり、神経系や内分泌(ホルモン分泌)などの中枢神経系(脳・脊髄)やホメオスタシスを維持する自律神経系を中軸とした身体機能によって心的過程・行動変容を説明しようとする学問です。

具体的には、脳内部の神経伝達過程や脳内ホルモン(情報伝達物質)の分泌によって情動の生起・変容を解明したり、どのような脳内のメカニズムによって『学習・記憶・認知・思考・意志・理性・感性などの複雑な精神機能』が実現されているのかを研究します。

簡潔に言えば、生理心理学というのは、心理現象や行動変容の生物学的基盤を実験的手法を用いて研究する自然科学的分野だということが出来ます。

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大切な試験に臨む時に心臓がドキドキとしたり、好きな異性に告白する時に喉がカラカラになって手に冷や汗をかいたりするように、身体と心理を切り離して考えることはできず、科学的に心理現象を解明しようとすれば生理学や解剖学の知識を踏まえた生理心理学的なアプローチが重要となってくるでしょう。

生理心理学や大脳生理学の知見を踏まえて考えると、相手(恋人・配偶者)への強烈な熱狂的陶酔から醒めて、“異性としての魅力に経時的な変化が現れる究極的な根拠”は、性格の相違や価値観の対立にあるのでもなければ、相手の行動やスタイルの変化にあるのでもないという事になります。

好きになった相手を永遠に死す時まで精神的に愛し続ける事は可能ですが、出あったばかりの頃の魔術的な恋愛の恍惚や抑制できない強烈な性的衝動は、交際期間が長くなるにつれて弱くなっていきます。

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特定の異性との付き合いが長くなるにつれて、新鮮な興奮を伴った感動やロマンティックな心情が薄れ、性的な欲求やスキンシップの衝動は弱くなり、刺激的な出来事も少なくなっていきます。

しかし、陶酔や興奮といった刺激的な恋愛の時期が過ぎると、安心や癒しといった安定的な恋愛の段階へと移行していきます。

この情熱的な恋愛から安定的な恋愛への移行は半ば必然的なもので、それは、心理的な変化であると同時に生理学的な変化でもあります。

精神を強烈に揺さぶって官能的な幻想へと引きずり込んでいくような恋愛の力は時間によって摩滅されますが、これは中枢神経系が発達した高等生物全般に共通する逃れ難き恋愛の宿命でもあるのです。

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個人の気質性格や異性関係に対する価値観など様々な原因によって、この穏やかな安心できる恋愛の安定期への移行がうまくいかない場合、配偶者(恋人)との間に倦怠感や閉塞感といった不快な雰囲気が漂います。配偶者(恋人)の魅惑的な力が弱まり、愛着を維持する信頼が揺らいだ時に、浮気や不倫の危機が訪れます。

人間は、真実の揺ぎ無く美しい愛を希求し、永続的で心地良い異性関係を理想的なものとして追い求めますが、一度、理想的な異性と出会って素晴らしい恋愛に陥っても、愛する人を裏切る自己の冷酷や愛する人から裏切られる悲哀から完全に自由になることは出来ません。

究極的な観念世界の美や快楽的な官能世界への耽溺を愛して止まなかったイギリスの天才作家オスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)は、恋愛を求め合う二つの精神が融合する官能美として肯定しながらも、理性を麻痺させる恋愛の魔力が持つ強靭な破壊力を以下のように述べている。

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“人生には大きな二つの悲劇がある。愛する者を失うことと、愛する者を得ることだ”


“人は恋に落ちると、まず自分を偽る。そして、他人を欺くことで終わりを迎える。それが世界でいうロマンスだ。”


ドリアン・グレイの肖像より

私達は、恋愛において至高の愉悦を楽観的に満喫することが出来る一方で、解決できない嫉妬や不安に翻弄され悲観的な感情に沈むことがあります。

恋愛感情に色づけられる異性とのエロス的関係には、永遠不滅の安定や恒常不変の感情はなく、天国のような甘美な幸福の境地に飛翔する時もあれば、この世界に自分ほど不幸な人間はいないというような怒りや孤独の感情に突き落とされたりもします。

絶えず、上昇と下降を不規則的に繰り返すのが、刺激的で陶酔的な恋愛の特徴でもあります。そして、生理学的なメカニズムに従って、安定的で持続的な恋愛へと『関係性の進展』を見せたり、倦怠感や閉塞感といった否定的な感情が生起することで『関係の解消』へと向かったりします。

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しかし、恋愛の生理心理学的なメカニズムを知ったところで、オスカー・ワイルドのように耽美的でシニカルな恋愛観に惑溺する必要があるわけではありません。

何故なら、人間の神秘的な恋愛感情の原理は、基本的には幸福を繁栄を志向する楽観主義にあり、私達は特定の相手に純粋な愛情を抱き続ける事や不特定の相手と自由な恋愛を楽しむ事を自由意志によって選択することが出来るからです。

また、『長期的な安定・安心の関係』と『短期的な興奮・陶酔の関係』の間には、どちらがより良い望ましい関係であるかといった優劣の価値判断はありません。

脳科学や生理学による説明や解釈を知ったところで、現実世界の激烈な恋愛感情や異性への愛着や好意を自由に制御したり抑制できるわけではありません。

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少なくとも私自身は、最終的な恋愛・結婚の帰結は、自然の摂理によって規定されるわけではなく、利己的な遺伝子の巧妙な戦略に誘導されているわけでもないと考えます。

事象や出来事の結果(遺伝子保存)から原因(恋愛関係・結婚制度や性行動)を推測することには、学問的意義や論理的妥当性はあっても、個人の人生における価値には結びつかない事が多くあるからです。

“客観的な知的好奇心を満たす会話としての価値”と“主観的な人生の価値を実現する経験や考えとしての価値”は明らかにその次元を異にしますから、“私の人生”において何が大切で何が幸福につながるのかは自然科学理論の真偽判断に左右されません。

自然科学の命題は、帰納法を用いて個別的事実から一般的法則を導き出すものであり、現象の帰結(客観データ)から因果関係を推測して説明理論を構築するものです。

しかし、恋愛・結婚・友情・家族といった人間固有の感情を伴う他者との関係性は、『現象の帰結ではなく現象の過程を生きる私の心』にこそ価値があります。

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その為、自然科学的な研究成果がどうであろうと、人間の愛情や信頼に根拠づけられる人間関係のあり方そのものを転換・変化させることは出来ませんし、動物行動学によって人間と動物の性活動の類似性が指摘されても、人間は自然的事実を知的対象や参考にはしますが、それに従う必要はありません。

また、『自己と恋人(配偶者)の関係性の発展・解消の意味』について意識的に考えて判断することのできる『人間固有の超越論的な理性と感情のあり方』によって自由に取り結ばれる人間の男女関係は、遺伝的利益に支配される自然世界の雌雄関係とは明らかな質的差異があります。

多くの恋愛関係や結婚制度、性に関係する文化的な慣習や風俗は、遺伝的利益を促進する繁殖戦略によって説明可能ですが、それは私達の知的理解を深化させることに役立っても、人生の幸福や意義という主観的な価値判断に決定的な影響を与える事はないのです。

私は、脳科学や生理心理学によって人間の精神活動を考察分析する時には、そういった前提をおいて考えていきたいと考えています。またの機会に、脳内の神経伝達過程と感情の変化について述べようと思います。

元記事の執筆日:2005/05/03

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