ジークムント・フロイトが提唱した「精神分析のリビドー発達論(性的心理的発達論)」の詳細について下に記しておきます。
リビドー発達論(性格の発達段階説)
1.口唇期(oral stage:誕生~1歳半頃まで)
この世界に誕生した赤ちゃん(新生児)が、初めて世界と接触して“心地良い快の刺激と安心感”を感じる部位が口唇であり、母親の乳房や哺乳瓶からミルクを取り入れる事によって生存を維持するという事から、『口唇期』といいます。
口唇期の発達課題は、『基本的信頼感の獲得』であり、心理的離乳による『分離不安(separation anxiety)の克服』にあります。
この段階の早期への病理的な固着が起こると『統合失調症(精神分裂病)』の発症リスクが高まり、この段階の後期への病理的な固着が起こると『うつ病(気分障害)』の発症リスクが高まるとされますが、実証的な観察に基づく根拠ではなく、科学的な精神医学の理論とは異なっています。
2.肛門期(anal stage:1歳半~3,4歳頃まで)
心理的離乳を達成した幼児が次に達成すべき心理的課題は、トイレット・トレーニングであり自分の排泄をコントロールして処理することを覚えなければなりません。
個人差はありますが、トイレで過ごす時間をくつろげる落ち着いた時間と捉えて、トイレで新聞や雑誌を読む人がいるように、排泄行動にはある種の解放感や快の刺激があり、その刺激を感じる部位が肛門であることからトイレット・トレーニングを行うこの時期を『肛門期』と呼んでいます。
長い時間、トイレを我慢していて、トイレに駆け込み排泄した時の安堵や解放感も快の刺激の現れですが、幼児期にトイレを自分一人で出来るようになる事は、自分のことは自分で責任をもってするという『自律性の芽生え』となり、他人に隠すべきプライバシーの領域の自覚を促します。
肛門期の発達課題は、トイレット・トレーニングによる『自律性の獲得』であり、これが上手く出来ないと友達と自分を比較して恥の感覚を覚えたり、自分の有能性に対する疑惑を招いたりすることがあります。
精神分析では、この段階への病理的な固着があると、『強迫性障害(強迫神経症』の発症リスクが高まるとされます。
3.男根期(phallic stage:4歳~6歳頃まで)・エディプス期(Oedipal stage)
子どもが生物学的な性差(sex)に気付く時期で、男の子は自分の身体に男性器があることに気付き、女の子は自分の身体に男性器がないことに気付いてきます。男性と女性という性の違いに対する意識が高まり、素朴な性に関する質問、例えば『何故、僕にはおちんちんがあるのに、お母さんにはないの?』『私と隣のA君とは、何故、体の仕組みが違うの?』というような事柄を両親にしたりします。
無邪気な異性への関心や欲求が胚胎し、その性的な関心が身近な異性である母親や父親に向けられる時期でもあります。
異性の親に対して性的関心や愛情を向け、同性の親に対して敵対心(ライバル意識)や反発を向ける複雑な心理状態を、古代ギリシアのエディプス王の悲劇にちなんでエディプス・コンプレックスと精神分析では呼びます。
男性器(ファルス)は、男性原理に基づく共同体や原始宗教においては『権力や威力の象徴』であり、ファルスを持っている男の子に対して女の子が男根羨望を抱くことがあるとリビドーの発達論では言いますが、これも科学的根拠があるわけではなく歴史的過程や神話伝承からの推論の趣きが強いものです。
しかし、男性器が強靭さや権力性の象徴として認識されている男性原理の文化圏は多く、一般的に、男性性には力強さ・攻撃性・権威主義などが対応し、女性性には優しさ・保護性・平和主義が対応すると考えられます。
フェミニズムやジェンダー・フリーの思想からは、男性性の優越性につながるとして男根期の理論は批判されやすい部分ですが、一方で、現代文明社会の多くが男性原理に基づいた社会構造を持っているという一つの証左になるかもしれません。
男根羨望は言葉を変えれば、ニーチェのいう『権力への意志』であり、アドラーのいう『劣等感の補償』でもあります。
即ち、人間が本性的に有している支配欲求や優越欲求、他者から承認される豊かさや美しさ・力強さへの意志であると解釈することが出来ます。
この時期の発達課題は、自分の生物学的な性差・性別を素直に受け容れられるようになることであり、その発達課題を通して性同一性を確立していくこととなります。
また、エディプス・コンプレックスを克服して、自分の母親(父親)に対する愛情や性的関心を諦めて、同性の親を理想化できることが健全な発達につながる時期でもあります。
異性の親への愛着や同一視を克服できないと俗に言うマザコンになってしまう恐れがありますし、同性の親への憎悪や軽蔑が継続して異性の親の良い面を摂取することが出来ないと、自分が父親(母親)になる時にどのような親になればよいのかの基準がなかなか見つからず混乱してしまうこともあります。
4.潜伏期(latent stage:6~12歳頃まで)
異性に対する性的欲求や快楽原則に従う快楽への意志が潜在的なものとなり、学校生活を通して社会規範や道徳基準を身に付け社会化していく時期であることから、学童期(小学校期)に該当する時期を『潜伏期』と呼びます。
この時期には、小学校における教師の教育指導によって社会生活に必要な基本的ルールや常識的習慣・行動を身に付け、友達との集団生活を通して、他者との人間関係や力関係に気付き、コミュニケーションの取り方を遊びながら学んでいきます。
潜伏期では、自己中心的な欲求の即時的充足が禁止され、授業の時間は静かに先生の説明を聞いて勉強しなければならない、お腹が空いても給食時間まで待たなければならないといった事を学習していきます。
即ち、帰属する文化や集団から要請される規範や規則に従う事を学ぶことが社会化の過程なのですが、情報化社会を迎えた現在は、価値観が多様化する大きな時代の変革期にあることから、この社会化の過程に対しても様々な見解や主張が出てきていて育児や教育を画一的に行うことが難しくなっているとも言えます。
潜伏期の発達課題は、自分の欲求充足を現実原則に従って行えるようになることであり、『社会環境の中でして良い事としてはいけない事の基本的な行為規範や道徳感覚』を身に付ける社会化にあります。
5.性器期(genital stage:12歳以降の青年期)
精神分析では、男性と女性が性的成熟を達成して、異性との相互尊重や相互信頼に基づく建設的な関係を築けるようになる性器期をもって精神の発達が完成されると説きますが、実際的な社会生活においては、中年期や老年期の発達課題や心理的危機も合わせて考えていく必要があるでしょう。
性器期の前半は思春期であり、中学生~高校生くらいの年代に該当しますが、この時期には異性に対する性的関心や性欲は非常に強く高まります。
しかし、実際に親しく付き合う相手は、異性の友人よりも同性の友人が多いという時期でもあり、完全な異性愛期に移行する前の“心理的な同性愛期”と呼ばれることもあります。
思春期の特徴は、本来、異性に向けられるべきリビドーが同性に向けられやすくなる時期で、性愛が友情へと転換されて同性の信頼できる親しい友人を持つ事が多くなります。
何故、異性に対して向けられるはずのリビドーが男性に向けられやすくなるのかについては諸説ありますが、一般的には、異性に告白する事の羞恥心や躊躇い、恋愛関係において拒絶される不安、同性の友人から揶揄されたりからかわれるのではないかという恐れなどが考えられます。
また、同性の友人と親密に付き合い遊ぶことには、『対等な立場の人間関係やコミュニケーションの取り方を学ぶ』という意味合いがあり、それまでの両親との依存的な関係を脱け出して、友人との相互的な対等な関係へと発展していきます。
友人関係の中では、一方的に自分の欲求やわがままを押し通し続ければ、友人は自然に自分の元を離れていきますから、必然的に相手の為に行動して相手の希望や欲求を満たして上げる必要が出てきます。
相手から協力してもらったり援助してもらうためには、自分の方からも相手の欲求を満たしたり、相手に協力してやらなければならないという現実社会における基本的な人間関係のパターンを友人関係を通して学んでいくこととなります。
対等な立場で、お互いの感情や欲求を思いやりながら行動できるようになると、親からの心理的離乳や甘えの感情の克服が促進されていき、自立した個人としての自我が強化されていきます。
性器期の発達課題は、心理的な親からの自立を達成することであり、その結果として、対等な立場にある異性との恋愛関係や性的交渉が行えるようになる事です。
もし、性器期に至るまでの健全な精神発達が達成されていなければ、口唇期の依存性や自己中心性がでたり、肛門期の行き過ぎた倹約や性活動に対する倫理的罪悪感がでたりして、異性との恋愛や結婚、性生活に何らかの問題や障害が起きてくると考えられます。
また、両親との心理的離乳が十分にできていなかったり、エディプス・コンプレックスの克服が不十分だったりすると、恋愛・結婚する際に、自分の母親(父親)に対する罪悪感や執着がでたりします。
自分の配偶者(恋人)に対する愛情以上に、母親に対する愛着や依存心が強くなってしまうと、マザー・コンプレックスの問題が生じてきて、結婚生活や恋愛関係が失敗する恐れが格段に高くなります。
性器期の発達段階における目標をまとめると、性的アイデンティティの確立と良好な異性関係(恋愛・結婚)の満喫と合わせて、経済的自立や職業選択につながる社会的アイデンティティの確立が上げられます。
社会的アイデンティティを確立する為には、現実感覚に根ざした自己概念や行動目標の認識が必要となってきます。
元記事の執筆日:2005/05/05