西洋文明圏の“愛”と東洋文明圏の“慈悲・仁”の差異と統合

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過去に、『6種類に分類される恋愛の形態と実質』という記事を書きましたが、人間は文化の変遷や文明の発達に合わせて多種多様な愛の形態を作り上げてきました。

心理学的な分類として典型的なものの原型は、既に古代ギリシア世界において形成されていました。

異性を含むあらゆる対象に向けられる一般的な愛着や好意としての愛は“フィリア”と呼ばれ、哲学的な主体の客体に対する愛、主体が客体へと注意・関心を注ぐ愛は“クセニケ”と呼ばれました。

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その他にも、原始共同体的を支えた血縁者や親族家族に捧げられる“血族の愛”としての“フュシケ”、異性(同性)に対する性的な衝動や情愛としてのエロスの起源となった“エロティケ”、全知全能の神が持つような平等無償な愛の“アガペー”、古代ギリシアの貴族の性愛として一般的に認められ純粋な愛情の関係として評価されていた同性愛(少年愛)としての“パイデラスティア”、親密な関係にある友人との間に取り交わされる友愛としての“ヘタイリケ”、親が子に対して抱く擁護的な愛情や友愛とされる“ストロゲー”、旺盛な欲情としての“ポスト”、自己犠牲的な趣きを持つ相手への善意や献身に基づく愛の“エウノイア”、相手に対して親切に善意を持って接し、逆に親切な行為には感謝を返すという“カリス”などがあります。

人類は、太古の昔から長い歴史の過程と文明文化の変遷を潜り抜けて、親子・夫婦・恋人・友人・主従・国と市民などそれぞれの関係性や社会規範に適合した様々な愛の形態と実際を育み、緊密な連帯感や相互的な協力体制を構築してきたと言えるでしょう。

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西洋文明では、エロスとアガペーの二項対立的な対照的な愛を中心として、様々な愛の形態が分化していきましたが、東洋文明では、仏教思想の“慈悲”や儒教思想の“仁”が、西洋の愛に照応するものだと考えることが出来ます。

釈迦牟尼が提唱した人類の苦を克服する為の『慈悲』は、『エロスとしての愛』よりも利他的で普遍性を持つもので、他者を救済する目的を持った愛情の形だと言うことが出来ます。

慈悲の『慈(マイトリー)』とは、苦悩を抱えたあらゆる人々に恩恵と安楽を与える『慈しむ愛』のことであり、『悲(カルナー)』とは、苦痛に煩悶する人々から苦しみや痛みを取り除く『哀れむ愛』を意味しています。

孔子が提唱した社会秩序を維持し徳治政治を成立させる為の『仁』は、人間の持つ至高の人徳として位置付けられています。

親に対する忠孝や兄姉に対する悌順といった親愛と礼節の情が、段階的に発展して仁となり、あらゆる人々に対する節度を忘れない敬愛や礼儀をわきまえた思いやりとして発揮される事になります。

孔子の仁は、愛というよりは礼節と敬意に基づく敬愛であり、社会秩序を志向する目上の者への忠孝をあらゆる人々に敷衍したものとして理解することが出来るでしょう。

現代社会に生きる私たちは、どの愛の形態や実際が最も優れているのかという神学論争よりも、自己と他者の幸福を実現する愛の形や、国家・宗教・民族の対立を調停し平和的問題解決を志向する愛の実践を学んでいかなければならないでしょう。

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その為には、西洋文明の愛と東洋文明の慈悲、個人的な愛と公共的な愛、利己的な愛と利他的な愛の弁証法的な統合や発展が必要となってくるでしょう。

また、多様性のある愛の感情・行為を、問題事象に合わせて適切に用いて、個人のエゴイズムや欲望を適度に抑制することで、自然環境の保護を促進したり、持続可能な開発・発展といった困難な問題に対する有効な手段を講じることが出来るかもしれません。

元記事の執筆日:2005/05/08

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