臨床心理学の統合的な発展、精神疾患と精神障害の概念の移行と精神保健福祉行政(DSM-Ⅳの功罪)

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臨床心理学の統合的な発展:科学的実証性と臨床的実践性のバランス

欧米の臨床心理学の教育プログラムである『科学者―実践家モデル(scientist-practitioner model)』の流れに影響されて、日本の臨床心理学を『生物―心理―社会(bio-psycho-social)』領域を幅広く網羅する総合的な体系を持つ科学的学問として再構築したいという流れが急速に高まっている。

日本の臨床心理学の発展の歴史を振り返ると、科学的な研究による実証主義の学問というよりは、各学派学閥の理論を臨床活動に応用する心理療法の学問として発展してきたといえる。

日本では、権威ある創始者によって提示されたそれぞれ特徴的な理論と技法を持つ“フロイトの精神分析、ユングの分析心理学、アドラーの個人心理学、ロジャーズの来談者中心療法、アイゼンクやキャッテルを始祖とする学習心理学に基づく行動療法、カーカフのヘルピング、エミール・クレペリンやブロイラー、ヤスパースなどを起点とする近代精神医学理論に基づく向精神薬を用いた薬物療法、アーロン・ベックの認知療法、サルコフスキスの認知行動療法”などがある。

それらを個々に独立した心理療法体系として輸入し、クライアントの症状や問題に適合した心理療法を臨機応変に使い分けてきたという歴史がある。個別の独立した心理療法理論と技法を前提としたカウンセリングや心理療法には、適応疾患や適応する心理問題の範囲が限定される為に、自ずから局限性と独善性という限界が生まれてしまう。

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勿論、特定の心理療法の理論や技法の学習と研鑽に長期間の努力と熱意を傾けることには、ある理論や技法について精通し、高い水準での専門性を維持できるという利点があるし、理論が対応できる特定領域の心理的問題や障害の解決には大きな力を発揮するだろう。

しかし、複雑化し多様化する現代社会で発生する特異的な精神障害や特殊な心理的困難を解決する為には、単一の理論や技法に精通するだけでは余りにも心もとなく、実際の臨床応用に際しても不十分な事態となっている。

臨床心理学に基づく心理的援助活動やカウンセリングが要請される社会領域は、個人相談や医療分野に留まらず、産業、教育、福祉、司法矯正、警察、行政など広がり続けているが、そういった社会領域全般で生起する心理的問題や心理的障害を理解し解決を提示するような統合的な臨床心理学は未だ誕生していない。

個別の各学派の理論や技法に基づく心理療法にも多くのメリットや有用性があるが、社会全体の心理問題を俯瞰する一つの視点として統合的な科学性の高い臨床心理学を求める動きが強まっている事にも現実的な根拠はあると言えるだろう。

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具体的には、日本の臨床心理学や心理療法は、今まで臨床経験に基づく実践的な治療改善効果のみに焦点が当てられ続けてきて、臨床家やカウンセラーが、臨床経験に基づいて実証的な仮説理論を提示するということがほとんどなかったということである。

つまり、日々のカウンセリングや心理療法の経験的事実から一般的理論を帰納法的に導くという“科学的な研究者”としての側面はあまり強調されてこなかった。一般に、科学性を重視する基礎心理学を基盤とした臨床心理学を含む応用心理学の研究方法には、以下の3つがあるとされる。

1.実験法

独立変数と従属変数を設定して、条件・状況を統制した実験環境において、仮説理論の有効性や妥当性を実験的に検証する方法である。

パヴロフが行った『パヴロフの犬』の古典的条件付け理論を証明した条件反射形成の実験などが、心理学における実験法の起源とされ、主に行動科学や学習心理学、生理心理学などの科学的客観性の高い分野で用いられてきた。

現在、実験法によって急速に発展している分野は、認知心理学であり、認知理論を応用した認知療法などがうつ病や全般性不安障害、強迫性障害に効果的な心理療法として期待を集めている。心理療法の効果を実験的に確認する技法介入の効果測定なども実験法を用いて行われる。

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2.調査法

キャッテルの性格理論である『特性因子理論』や精神測定運動の先駆者であるビネーの『知能検査』などで用いられた研究法で、質問紙法やフィールドワークによって多数の客観的データ・サンプルを獲得して、統計学的処理をすることで理論仮説の有意性や妥当性を検証する方法である。

大人数の対象者からデータを得る事で、統計学的な根拠によって理論仮説の有意性を強化するところに特徴があり、元々は、心理テスト(知能検査・人格検査)の開発方法として重視されていたが、最近では認知行動療法や人格障害、精神障害などの心理アセスメント開発に幅広く利用されている。

3.臨床法

カウンセリングや心理療法の臨床的実践活動に基づく個別の事例研究が臨床法であり、フロイトの精神分析やロジャーズのクライアント中心療法の研究法は、基本的に実験による検証や統計学的処理を行わない臨床法であった。

『実験法』や『調査法』が、科学的な客観性や実証性を重視する『量的研究方法』であるとすれば、『臨床法』は、実践的な有効性や主観的経験を重視する『質的研究方法』であるといえる。現在では、質的研究方法も臨床心理学の発展的な統合に欠かせない研究法であるとされ、会話分析、ナラティブ研究、ライフヒストリー研究といった形で新たな展開を見せている。

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精神疾患と精神障害の概念の移行と精神保健福祉行政:DSM-Ⅳの功罪

医学には、身体の疾患と異常を対象とする“身体医学”、精神の疾患と異常を対象とする“精神医学”があり、その両者を架橋する医療分野として“心身医学”があります。

精神医学では、伝統的に“心の病”の事を総称して“精神疾患(mental disease)”と呼んできましたが、精神疾患の標準的な診断基準マニュアルとして認知されてきているDSM-Ⅳで“精神障害(mental disorder)”の呼称が用いられたこともあって、現在では精神疾患という呼称よりも精神障害という言い方が一般的になってきています。

“精神障害(mental disorder)”という呼称を用いる事が増えた背景には、精神の疾患(病気)という側面よりも『精神機能の部分的障害と社会活動や社会参加の困難(障害)』に注目するようになったことと、精神保健福祉の観点から、重篤な精神疾患に罹患している生活困難な人を、身体障害者と同じように社会福祉的に救済・支援しようとする“人権思想に裏打ちされた社会保障の理念”があると推察されます。

経過と予後の悪いタイプの統合失調症や慢性的に経過する双極性障害(躁鬱病)、衝動性・攻撃性が著しく高まる境界性人格障害(ボーダーライン)などの重症度の高い精神疾患は、短期で完治する一過性の疾患ではなく、慢性に経過し再発再燃の可能性も高い為に、職業活動や対人関係、学業・教育などの社会活動への参加が困難になり、生活環境に適応して通常の生活を送ることが出来なくなることが多々あります。

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精神機能の障害が複合化した重篤な精神疾患によって、社会的・職業的・経済的な不利益を受けることを回避できない場合には、重篤な身体疾患や機能喪失によって日常生活に支障のある身体障害者と同様に、その生存権や最低限度の文化的生活が保障されなくてはならないという考え方は、理念的な人権思想に基づくというだけでなく、私たちの自然な共感感情や立場の互換性(相手の立場に置かれた場合の想定)による倫理規範にも合致するものです。

上述した社会福祉的な障害者の生活と権利を保護する人権思想が法制化されたものが“精神保健福祉法”であり、精神保健福祉法の理念に基づいて社会保障的な支援活動を現実化したものが1995年に交付され始めた精神障害者保健福祉手帳の制度です。

それ以前には、身体障害者と知的障害者のみに手帳制度による福祉サービスが提供されていたのですが、精神保健福祉法の改正に伴って重篤な精神障害を持つ人達にも公的な社会福祉サービスが提供される方向へ社会福祉政策が拡張されました。

以下に、日本の精神保健福祉政策の理念と実際の概要を記しておきます。

■精神障害者保健福祉手帳制度の目的

1.精神障害の種類と程度を認識し、病態の水準と社会環境への適応の関係を把握して、精神障害によって日常生活が障害されている人に適切な公的サービスを付与すること。

2.精神障害者の生活状況や病態の種類と程度に応じた“生活支援・経済援助・医療サービス”を適切な質と量で個別対応的に行えるようにすること。

3.日常生活を自立的に行う事が困難な精神障害者の統計学的なデータを得る事によって、精神保健福祉政策の規模と方法の指針を立て、より充実した社会保障制度を構築していくこと。

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■精神障害者保健福祉手帳制度の人権的配慮

残念な事ではあるが、未だ日本社会には、精神の病気や障害に対する間違った理解に基づく偏見や不当な待遇につながる差別が根強く残っていて、精神障害を有している事を公表することによって蒙る社会的・経済的・職業的不利益を無視することはできない。

そういった差別や偏見等の社会的な諸々の不利益を回避する為に、精神障害者手帳の表紙には障害者手帳とのみ表記し、手帳本体にも精神疾患の診断名や診断を下した病院名を記さず、本人の顔写真も貼付する必要がないものとしている。

■精神障害者保健福祉手帳制度の対象者

精神科領域の疾患・障害があり、短期間での治癒が期待できず長期間にわたって病状が推移し、日常生活・職業生活・社会生活に大きな制約があり、それを障害として認定することが望ましいと判断される人です。

外来診療や入院治療の別は問わず、精神疾患の診断名による制約や年齢制限のようなものもありません。但し、精神科、あるいは心療内科などの精神科隣接領域に受診してから、6ヶ月以上の通院履歴がなければ、市区町村の担当窓口に対する手帳の申請手続きを行う事が出来ません。

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申請手続きそのものは、本人以外の家族親族や医師、精神保健福祉士(ソーシャル・ワーカー)などに代行してもらうことが可能です。

■精神障害者保健福祉手帳制度に申請する際の必要書類

1.申請書・医師の手による手帳申請専用の診断書

あるいは2.申請書・障害年金証書の複写・最も新しい障害者年金振込通知書の複写・同意書が必要となります。

■精神障害者保健福祉手帳によって受けられる公的な社会福祉サービス(居住する地方自治体によって様々な違いがあります)

などがありますが、居住している地方自治体やサービス関連企業などによって色々なサービスの質と量の違いがありますので、ここに上げた全ての福祉サービスが無条件で利用できるわけではありません。

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■精神障害者保健福祉手帳制度の等級

1級……精神障害の病態水準が深刻な状態であり、自分一人では通常の日常生活を送ることが不可能であり、生活するにあたって他者の援助を必要とする重度の障害。一般的に、入院治療が必要とされるような極めて深刻な精神障害を有していて、職業活動を行うことが不可能な者が認定される。障害者年金1級に相当するもの。

2級……精神障害の病態水準はやや深刻な状態であるが、日常生活を営むにあたって恒常的に他者の援助を必要とするほどではなく、大きなストレスや不安な事態による病態の悪化がなければ、デイケアによる社会参加や障害者受け入れ態勢の整った作業所において労働活動ができる程度の障害。一般的に、入院治療は必要なく自宅療養しているが、仕事の際のストレスが大きく、高い能力と効率が要求される通常の職業に従事することが不可能な者が認定される。 障害者年金2級に相当するもの。

3級……精神障害の病態は比較的軽度だが、日常生活上の困難や社会生活上の制約があって、ある程度の福祉的支援を行うことが望ましいと考えられる程度の障害で、精神障害に理解のある企業や保護的な配慮をしてくれる企業で働いている人も含まれる。アルバイトやパートなどの心身の負担が比較的軽い仕事、時間的拘束が短くストレスの弱い業務には従事できるが、通常のフルタイムの就業・勤務に耐えることが精神障害のために困難な者が認定される。障害者年金3級よりも、やや広い範囲で障害が認定されている。

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現在以上に、精神保健福祉行政の発展や障害者が暮らしやすい社会基盤の充実を押し進めるには、国債が加速度的に増大している破綻寸前の国家財政を再建して、日本経済の景気を上向きに回復させる必要があります。

普通の職業に携わる能力のある人々の生活や経済状況が、不況による収入減少やリストラによる失業、就職難、課税制度の変更などにより困難に陥っているという厳しい日本社会の現状を鑑みると、短期間での障害者福祉政策の飛躍的充実を望むのは難しいとは思いますが、政治や行政は、長期的に持続可能な社会保障政策のビジョンをもって職務にあたる必要があるでしょう。

日本国憲法の基本的人権の尊重の理念に根ざした政治は、国民それぞれの不断の努力と働きによる相互扶助的な協力と連帯がなければ実現できませんが、経済先進国に相応しい社会保障制度の整備と全ての人が安心して生活できるバリアフリー社会の実現を志向することが、現在の障害者や生活困窮者だけではなく、予期せぬ障害や困難に見舞われた未来の人々(それは自分や自分の子ども、配偶者、恋人といった大切な人かもしれません)の安心や支援にもつながっていきます。

ここでは、多軸診断システムによってあらゆる精神症状と行動異常を網羅的に記述している“DSM-Ⅳという権威ある診断基準”の倫理的是非や実践的価値については述べていません。しかし、『精神障害であるという診断をDSMのマニュアルに従って下す行為』は、医学・医療の専門家である医師の特権的行為であり、『精神障害であるという診断を下される患者』は、その結果に対して、患者側が異議や反論を申し立てても通常その反論が受け容れられることはありません。

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この厳然たる医学領域における事実は、医師と患者の『非対称的な上下関係』を象徴的に示すと同時に、知の考古学を企てたミシェル・フーコーや反精神医学のレインらが指摘した異質性や異常性を排除する近代社会システムとしての精神医学の特徴を浮き彫りにします。

現在では、臨床心理学やカウンセリングの領域にもDSMやICDといった精神医学の診断基準を持ち込むべきだとする見解も出てきていますが、私は心理学的なアプローチである心理療法やカウンセリングに、必然的に非対称的な権威性を感じさせることになる病名診断を持ち込むことには抵抗や懸念を感じます。

既存の社会制度や政治体制に組み込まれている精神医学は、正常と異常の対立項に基づいて、健常な精神と病的な精神を診断して区別する権威的な役割を担う事になります。実際には、『精神の正常性と異常性の明瞭で客観的な基準』というものは存在しませんが、DSM-Ⅳでは、統計学的な標準的特徴から逸脱した精神状態・精神機能・行動傾向・人格特性を科学的根拠のある精神障害であるとして定義し分類し、診断します。

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DSM-Ⅳ(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)に基づく標準化された診断や質問項目が事前に決められた構造化面接には、どの医師が面談しても同じ診断が下されやすいという高い信頼性と一致性があり、多軸診断システムによって全ての精神症状や精神障害が包括的に記載されていることによって精神障害の診断の見落としが減らせるといったメリットがあります。

DSMは、世界で最も多く使用されている精神障害の分類・診断のマニュアルであり、複雑な精神病理の診断項目を簡潔にまとめて精神病理に関する共通理解を深めたことは評価できますし、統計学的根拠に基づく信頼性や妥当性も相当に高いと思います。

しかし、ハーブ・カチンス『精神疾患はつくられる-DSM診断の罠』で指摘されているような過剰な分類とラベリングによる機械的診断や社会情勢に大きく影響される恣意的な病名の取捨選択などの問題にも目を向ける必要もあるかと思います。

精神医学の疾患名は、確かに社会構造の複雑化や生活環境の多様化とストレス事態の増大に伴って増大する傾向にありますが、何を病気として何を健康とするのか、どこまでが奇妙な趣味や性格でどこからが異常な病的な行動や性格になるのかについては相当に慎重で綿密な多面的調査と議論を尽くす必要があるでしょう。

元記事の執筆日:2005/05/18

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