うつ病の意欲の減退と動機付けの低下を促す“学習性無力感”の関係:1
“心の風邪”とも呼ばれる精神疾患であるうつ病(気分障害)は、確かにその生涯有病率が先進国で概ね10%前後であり、風邪のように比較的ありふれた病気、言い換えれば、誰がいつ罹ってもおかしくない発症頻度の高い精神疾患である。
しかし、精神の風邪の症状の苦痛と疲弊は、身体の風邪の症状の苦痛を遥かに凌駕し、時に、重症化すれば人間の生きる意志そのものを希死念慮の暴威によって根こそぎ奪い取ろうとすることさえある。
うつ病の典型的な気分の変調としての症状は、“憂うつ感・抑うつ感・億劫感”であり、不快な精神症状としての“不安感・焦燥感・イライラ”がそれに加わってくる。
不快感を強める不安感や焦燥感の源泉は、何もやる気が起きず、適切な行動ができない自分に対する自己嫌悪であり、このまま憂鬱感を背負ったままで人生の時間を浪費することへの抑え難い焦りと将来の悲観が苛立ちを募らせていく。
しかし、うつ病の病態が著明な期間に、焦燥感や苛立ちに突き動かされるように焦って何かをやろうとしても往々にして上手くいかず、空虚な気合いと威勢ばかりが空回りすることが多い。
問題解決につながる迅速な行動を生起させる為には、焦燥感や切迫感に駆られている余裕のない状況をまず抜け出さなくてはならないし、その為には、一定期間以上の十分な心身の休養を取るだけでなく、休養期間に行う健康的な生活リズムの獲得と認知療法の手順を応用した“自己肯定的な認知傾向への変容”が必要になってくる。
また、うつ病の状態にある人は、観念的な思弁的活動や知的な哲学的思考によって、事態を短期に打開しようとしたり、不適応な生活状況からの飛躍的な解決策を導き出そうとする事もあるが、孤独な思索と知的格闘による回復は、多くの場合、知的能力面の症状である“精神運動抑制”に遮られ、困難を余儀なくされるだろう。
精神運動抑制とは、心理機能全般の抑制と不活性であり、うつ病では前頭前野の機能が抑制されることによる主要症状として、『学習・記憶・思考・創造・判断といった知的能力』の停滞や低下が出てくることがある。
具体的には、いつもなら特別な努力をしなくても簡単に出来ていた書類作成や学習活動が困難になり、複雑な思考や具体的な問題を解決する為の思考を行う能力が低下してくる。
あるいは、許容できる優柔不断の程度を越えて自分が行うべき決断ができずに日常生活に支障がでてきたり、一定時間以上集中して一つの物事をやり遂げる集中力がなくなり、その結果として記憶能力も著しく低下することがある。
今回は、うつ病の症状の現象的記述の詳細はここまでにして、ここから、うつ病の生理心理学的なメカニズムと学習心理学(行動主義)の観点から見た無力感などについて書いてみたいと思う。
うつ病や統合失調症といった脳の機能的障害を基盤に置く内因性精神病の病理学研究は、生理学的視点を取り入れることによって、より一層、客観性と実証性の高い科学的な研究とすることが出来る。
近年、CTスキャンからMRI,fMRIやPETなど高解像度の画像診断法の登場をはじめ計測分析機器の著しい改善と進歩によって、心理学の研究分野でも、生理学的・生化学的な客観的指標を用いた量的研究が数多く行われるようになってきている。
特に、外部の不快な有害刺激であるストレスが引き起こす抑うつ、憂鬱、不安、恐怖、問題行動を科学的に理解する為には、脳内現象から起こる自律神経系・内分泌系・免疫系の変化という生理学的経路を知る必要がある。
精神的ストレスと深い関係にある精神疾患や心身医学的疾患の病態(発症・経過・予後)を客観的に明らかにし、臨床心理学を基盤に置く心理療法やカウンセリングがどのような過程や理由によって効果を発揮するのかの作用メカニズムを知るにあたって、生理心理学や脳神経科学の知見の包括的な応用が求められる。
具体的には、抑うつ感、恐怖感、不安感などの精神状態を感じている時に、“心拍数・血圧・発汗量・体温・呼吸数・脳波”などの生理学的指標を計測して、生理的変化と精神状態の変化の相関関係を考察することで、心理療法やカウンセリングの介入効果や向精神薬の薬理効果を調査したり、実験的方法を用いてストレスと疾患の因果関係を研究することが出来るということである。
うつ病に特有な認知の歪曲、そして、抑うつ感と直結する精神現象としてセリグマン(Seligman)らが研究した『学習性無力感(learned helplessness)』というものがある。
学習性無力感は、心理学の原因帰属の傾向とも密接な関わりがあり、うつ病の人や自分への自信や自尊心を著しく低下させている人は、失敗・挫折・苦痛・不幸の原因を全て『自分が悪いから・自分が無能だから・自分が怠惰だから』といった個人的要因に還元する傾向がある。
原因帰属の考え方については、過去に、『ケリーの帰属理論』という記事で詳しく説明しているので、興味のある方は簡単に目を通してみて下さい。
帰属理論……行動や物事の原因をどの要素に還元するか。
個人的要因……個人の性格・気質・能力・努力・動機・意図などが原因であると考える。
環境的要因……社会環境・学校環境・家庭環境・経済情勢・他人の行動などが原因であると考える。
宗教的要因……個人の能力・努力といった意図的な働きかけや社会環境の改善では変化させることの出来ない“超越的な存在者である神”や“決定論的な世界観を支配する運命”などが原因であると考える。
学習性無力感という動機付けの低下をもたらす心理現象は、非常に適応範囲の広い現象であり、概念である。具体的に言うと、不安感や悲哀感、絶望感といった感情変化、過度の一般化やマイナス思考といった認知・学習の偏り、抑うつ的なパーソナリティや依存的・回避的な人格、発達や行動の問題、効果的な心理療法(認知行動療法)の適用などと学習性無力感の心理現象は切っても切れない密接かつ重要な相関関係や因果関係があるのである。
学習性無力感という概念の歴史を遡行していくと、セリグマンが行った犬を用いた恐怖の古典的条件付けの実験に辿り着く。この実験は、原理的にパヴロフの犬の条件反射による唾液分泌の実験と同一のものである。
“ライトの明かりを点灯させる条件刺激”と“恐怖反応を生起させる電撃(無条件刺激)”を、時間的に接近させて対呈示すると、ライトの明かりが点灯しただけで犬は恐怖反応を明らかに示すようになるが、この時に学習性の無力感も形成されてしまっている。
自分自身の行動や反応によって、電撃の苦痛な刺激を避けることが出来ない経験(恐怖条件付け)を繰り返し経験すると、犬はその後に、苦痛を回避し、苦痛から逃避する行動を学習することが非常に困難になる。
反対に、恐怖の条件付けを行われていない普通の犬は、何回も電撃の苦痛を受けても、自分自身の回避行動でその電撃を避けることが出来る事が分かると、何とかしてその電撃を避けようとして様々な行動を意欲的に行うことが出来る。
この事から導出される考え方は、行動主義心理学が提唱した『ある刺激Aに対してはある行動Bが起こる』という単純な“S-R理論”は現実で観察される現象と一致していないという事である。
同じ電撃刺激が与えられても、ある犬はそれを積極的に回避しようとする行動を取るが、ある犬はそれを回避しようとせずに受動的にその苦痛な電撃刺激を受け続けてしまうという実験結果は、行動主義心理学の単純なS-R理論が事実を説明できていないことを示している。
犬だけでなく人間も、『過去の経験をどのようなものとして理解しているのか』という認知的学習の影響を受けて現在の行動をとっているのであり、その場限りの刺激(S)に対して反射的に画一的な反応(R)をするわけではない。
この事を、セリグマンの犬の実験結果に戻せば、犬は自分自身の回避・逃避反応の『行動』が、電撃の苦痛の停止という『結果』をもたらさない“反応と結果の非随伴性”ことを学習してしまったということである。
そして、“反応と結果の非随伴性”を人間の次元に当て嵌めれば、私達が長い人生の途上で少なからず抱く恐れのある認知『どうせ頑張っても状況は良くならない・どうせ私なんか何をしたって無駄だ』という学習性無力感という現象となるのである。
学習性無力感の根底にある信念・確信とは、『自分の行動によっては、環境・状況をコントロールすることが出来ない・自分の反応によって、結果を良い方向に変えることは出来ない』というものである。
このような学習性無力感は、以下のような心的過程の異常や障害を引き起こす事になる。
学習性無力感のもたらす悪影響
1.不快・苦痛・嫌悪を感じる刺激を回避・抑止しようとする動機付けの低下
2.自分の行動とその行動がもたらす結果の相関関係や因果関係に関する間違った認知の獲得
3.急性ストレス反応、適応障害、心因反応、うつ病(気分・感情の障害)、各種の不安障害(全般性不安障害・社会性不安障害・強迫性障害)など精神疾患の発症
学習性無力感の認知を、生体の生理学的機能と結びつけて考えると、幾つかの実験からノルアドレナリン(NA)の不足や枯渇が学習性無力感を誘発することが分かっている。
ノルアドレナリン(ノルエピネフリン)は、SNRIなど抗うつ薬の薬理機序から、人間の精神活動においても『意欲・興味関心・行動力・気力』といった精神運動の活発化を促進する作用を持つ神経伝達物質として知られている。
ラットを用いた実験では、薬物投与によってノルアドレナリンを枯渇させるとラットは電撃刺激を回避したり、電撃から逃避したりする行動を学習することが出来なくなる。過去に、抗うつ薬として使用されていたノルアドレナリンの分解を阻害するMAO阻害薬をラットに投与すると、脳内のノルアドレナリン系神経が活性化され、その結果として学習性無力感を抑止することが出来る。
反対に、回避不可能な電撃刺激を繰り返し与えられ続けると、ノルアドレナリン系神経の代謝が高まって、ノルアドレナリンの分量が減少して、代謝産物であるMHPGが増加する。そのノルアドレナリンの分量が少なくなった状態になると、学習性無力感の現象が発生してくるのである。
うつ病の意欲の減退と動機付けの低下を促す“学習性無力感”の関係:2
意欲や気力、興味関心、爽快感、リラックス感といった好ましい気分と密接な関係にある神経伝達物質として知られているものには、セロトニン(5-HT)やγアミノ酪酸(GABA)、ドーパミン、ノルエピネフリン(ノルアドレナリン)などがあるが、これらの物質が精神状態と関係しているとする仮説を“脳内モノアミン仮説”といい、向精神薬の薬理作用機序や症状の変化などの経験的事実から帰納推測された仮説である。
その為、脳内モノアミン仮説が客観的な正当性を間違いなく備えたものであるか否かを断定することは出来ないが、薬剤の効果から帰納的に導かれた仮説として一定以上の正当性を備えた理論ということは出来るだろう。
少なくとも精神医学領域の抗うつ薬や抗不安薬を用いた薬物療法は、神経化学的な理論である脳内モノアミン仮説に基づいて行われているということは出来る。
しかし、薬物療法は根本療法ではなく対症療法に過ぎないという厳しい現実もあり、脳内モノアミン仮説や生化学的な精神病理学によって精神疾患のメカニズムや現象が全て解明されているわけでは勿論ないし、おそらく人間の精神の障害や苦痛の全てを、薬物によって完全に治癒したり回復させることは無理ではないかという思いもある。
それは、人間の人生の不幸を薬物のみによって幸福に導く事が極めて困難であることと等価なことではないだろうか。特に、現実世界の耐え難い不幸による苦痛や悲哀、強烈なストレスを感じる問題事象に対して、薬物による直接的効果はあまり望めない。
飽くまでも、薬物療法は、精神症状の一定の緩和や一時的な改善という対症療法であって、症状の原因やストレス事態が特定されない内因性(自然に発症する)の精神疾患に対して薬物療法が有効な選択肢として提示されるだけである。
薬物で幸福を喚起することが出来ないという命題に対して、塩酸アンフェタミン(覚醒剤)のような強力な向精神薬で強制的に多幸感や爽快感をもたらすことが出来るではないかという反論もあり、一部のラディカルなリバタリアン(自由至上主義者)は、個人が自らの生命と健康に自己責任を負うのであれば他害の恐れのない麻薬の使用を自由化せよと主張する。
しかし、現段階で非合法なアンフェタミン系の多幸感が得られる薬物は、健康に有害な麻薬であるだけでなく、不快や恐怖を伴う幻覚・他人から襲われたり騙されたりするという被害妄想などの認知障害と思考障害をもたらして、他者を傷つける恐れが絶えずある危険な薬剤ということに変わりはない。
また、薬物という人工的な手段で精神の高揚や幸福感を強引に作り出そうとすると余りに副作用が大きくなってしまい、その結果、依存性と耐性の進行によって心身共にボロボロになって人格荒廃に至るリスクを背負うこととなる。
努力的な行動や懸命な反応が、自分にとって良い結果や利益をもたらさない場合に学習性無力感が発生し、その自分の行動でコントロール不可能な状況は、不快なストレッサーとなって生体に様々な変化をもたらすこととなる。
自分の力では環境をコントロールして良い結果を出す事が出来ない状況では、セルフ・エフィカシー(自己効力感)が顕著に低下して、その結果として、抑うつ感や不安感につながる学習性無力感が生じる。その時には、生理学的変化としてストレス性の神経伝達物質であるコルチゾールの血中濃度が有意に高まり、循環器系の心拍数や呼吸数、血圧が高まるという変化が観察される。
コントロール不可能な経験から学習性無力感が生まれ、更に抑うつ感が強まっていくのだが、その過程を説明する理論として以下のようなものがある。
強いストレスを感じるコントロール不可能な出来事の認知
1.全体性(空間的な般化)……そのストレス事態は、何処までの範囲に広がっているか。この全体性が大きくて、そのストレス状況と無関係な状況にまで無力感を結び付けていくと、学習性無力感は強くなる。
2.永続性(時間的な般化)……そのストレス事態は、何時まで継続するのか。この永続性が長くて、そのストレス状況が何時までも終わりなく続くだろうという認知の誤謬があると、学習性無力感は強くなる。
3.内在性(原因帰属)……そのストレス事態を招いた原因が、何処にあるのか。ストレス事態の原因を、自分自身の内部(性格・能力・価値観)にあると認知する人は、原因を自分の外部にあると認知する人よりも学習性無力感が強くなる。
自分自身の能力や努力では、自分の人生を望ましい方向に変化させて導いていくことが出来ないとする学習性無力感が、時間的に般化されると、『自分に不幸をもたらすコントロール不可能な出来事が将来にわたって延々と繰り返されるに違いない』とする『救いのない絶望感』を生み出していく事になる。
この事から必然的に想起されるうつ病の効果的な心理療法は、『自分の人生の幸福や不幸を規定する出来事を、自分の力では一切コントロールすることは出来ないとする過剰な学習性無力感と救いのない絶望感』を適切な自己効力感(セルフ・エフィカシー)へと系統的に変容させることである。
具体的には、知識や理屈によるうつ病の把握と克服を目指すのではなく、感情体験や人間関係によるうつ病の偏った認知の否定を段階的に繰り返し行い、うつ病患者特有の固定的な悲観的信念や自己批判的認知を少しずつ切り崩していくことが望ましい。
その快や喜びを感じる感情体験の一つ一つは小さな取るに足りない体験かもしれないが、意識的にそういった体験を見つけ出して繰り返す事で、学習性無力感を悪化させる空間的・時間的な般化を抑制し、失敗や不幸の原因を自己に帰属させる誤謬を是正することが可能となるのである。
学習性無力感の認知の障害とうつ病の精神病理は完全に同一のものではないが、両者が示す精神症状は極めて類似したものである。
学習性無力感とうつ病に共通する症状群
双方共に、SSRIなどの抗うつ薬の効果が認められ、不合理で非現実的な認知の歪みを現実適応的なものに変容させることを目的とする認知行動療法的なアプローチの有効性が認められる。
うつ病と学習性無力感の、通奏低音は、払った努力に対する適正な報酬が得られないという徒労感であり空虚感であると言えるが、こういった労力と報酬の不均衡が継続すると、うつ病のみならず身体をウイルスなどの異物から防御する免疫機能が低下し、冠動脈疾患や慢性疲労症候群、消化性潰瘍、本態性高血圧などのストレス性疾患(心身症)を引き起こす心理社会的ストレスとなるので注意が必要である。 結果として言えるのは、自己防衛的で現実的な認知とは、不幸や苦痛をもたらす出来事の原因を、偶然性や突発的な事象に求める認知であり、人生には苦悩や悲哀が数多くあるが、それを乗り越えれば必ず幸福や喜びがあるというある種の楽観主義に基づく認知という事になる。
元記事の執筆日:2005/05/22