精神の正常と異常を区別する心理学的な相対的基準(適応・価値観・平均・病理の視点)

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多彩な症状を呈する神経症(neurosis)とは何なのか?(別記事)

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精神医学の精神病理学は『健康な人間・病気の人間』の二項対立図式を前提としていますが、臨床心理学の異常心理学(abnormal psychology)はその名前からも推察されるように『正常な心理・異常な心理』の二項対立図式を前提としています。

“過去の記事”にも書きましたが、精神の健康と疾患の境界線、あるいは、正常と異常の境界線というものが何処にあるのかは非常に微妙で難解な問題ですが、基本的に、精神医学では自傷他害の危険性がない個人に対して精神疾患の診断や正常と異常の判断を行う事はありません。

また、客観的で中立的な見地から精神の正常と異常を区別する事は不可能であり、一般的に、精神の正常と異常の境界線は個人が所属する共同体の常識感覚(社会規範・伝統文化・習俗慣習)からの逸脱度(ズレ)に大きく依存する相対的なものです。

あるいは、統計学的処理に基づく平均的な人格像や心理状態から大きく離れている状態や社会構成員の大多数が支持する基本的価値観や主観的選好から逸脱している状態を、相対的に比較して精神障害や精神異常というカテゴリーに分類しているとも言えます。

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しかし、正常と異常を二元論的に区別する事には差別や偏見を助長するというデメリットがある一方で、本人が苦痛や困難を感じ、社会的経済的不利益を受けているような心理的問題を特定して適切な治療や援助をすることが出来るというメリットもあります。

現実的な場面において問題となる異常性や病理性の判定を考えてみると、『本人が自分自身で正常であると自己認識し、他者に危害を与えず耐えがたい迷惑を掛けていない場合』に、政治体制の意図や利害関係のある他者、悪意のある医療関係者によって異常性があると判断される特殊な場合などに限られるでしょうから、現在の節度ある『正常性・異常性の判定場面の限定』が守られている限りは、必要以上の心配は杞憂に終るものと思われます。

ここで、心理学領域における“正常性と異常性の境界を引く基準”を上げてみると、以下の4種類の基準に集約されることになるでしょう。

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1.適応的基準(適応・不適応)……所属する社会・共同体・集団に適応している状態を正常とし、適応できずに社会的活動を行えない不適応状態を異常とする基準。

社会環境に適応できない事に主観的苦悩を感じたり、経済的破綻や社会的孤立の問題が発生することで、適応的基準における異常性に焦点があてられるが、本人と周囲の人間が苦痛や迷惑を感じていない状態であるならば格別外部から異常性を判定する必要はないとも考えられる。

ただ、一般的に、ひきこもり状態に陥るなどして、社会参加や社会活動を一切行えない状態に置かれると、自尊心の低下や無能力感、情緒不安定、対人関係場面の回避、将来への悲観的な認知などの精神的苦痛を生じることが多くなるので、本人の心理的煩悶を適切に受け容れながら“将来のビジョンを持った対応”を行っていくことが望ましい。

社会適応能力としての対人関係スキルやコミュニケーション・スキルが低下していたり、意欲ややる気といった精神運動能力が障害されている場合には、目的志向性のあるカウンセリングや職業訓練などが行われる。

2.価値的基準(社会規範の遵守・社会規範の逸脱)……所属する社会の構成員が“合理的な理念体系”(法・倫理・慣習・伝統・常識)に基づき、遵守すべき規範であると承認しているルールを遵守する意識を持っている者を正常とし、規範を逸脱して違背することを悪いと思わない者を異常とする基準。

正常・異常を判断する人が依拠する理念体系と社会規範とは、所属する文化圏・共同体において大多数のものが承認しているものでなければならず、『人を殺してはいけない・人のモノを盗んではならない・暴力的な行動で相手を傷害したり支配してはならない』などの社会規範は、およそどの文化圏にも共通する普遍的妥当性の高い社会規範ということが出来るだろう。

社会規範は、慣習や道徳、社会通念、世論・常識といった非論理的なものに依拠する『生活的判断軸』と法律や合理的な理論体系に基づく善悪判断など論理的な根拠に基づく『理論的判断軸』に大きく分類される。

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3.平均的基準(平均・偏倚)……該当する集団の中で、平均的な行動・思考・価値観を持つ標準的な人格を正常とし、平均的な人格像から遠ざかるに従って異常であるとする基準。

調査法を用いて多数のデータ・サンプルを集積し、統計学的処理を行い測定するデータを数量化することで、平均的な標準範囲を確定し、それからのズレを測定することで異常性を判断するものであるが、平均的基準には絶えず『サンプル抽出の恣意性や偏り』『標準範囲確定の相対性や曖昧性』といった不確実性と曖昧さがつきまとうことに留意する必要がある。

よく自分の主張や仮説の正当性を補強するために、統計学的根拠を持ち出す人がいて、一般社会では統計学=客観的な根拠という意識が強いが、統計学的処理にはサンプル・データ抽出の偏りや調査範囲の規模の大小、有意性の判定に一定の主観性が介在するので、統計学的な異常性は飽くまで相対的なものという認識を持つほうが良いだろう。

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4.病理的基準(健康・疾患)……病理学的知見や医学的診断基準を前提として行う医学的検査や問診によって、健康と診断されれば正常、病気と診断されれば異常とする基準。

病理的基準は、医学的な診断基準を参考とし、適切な症状と状態の検査によって下されるが、厳密な意味での公的な病理診断は専門家である医師にしか出来ないと定められている。

これら4つの正常性と異常性の境界線を見る時には、飽くまで心理的問題の解決や苦悩の軽快、症状の改善を目的とした相対的な現象学的判断に過ぎず、人間性そのものを否定的に解釈するものではないことを絶えず意識する必要があるでしょう。

また、自分自身でどんなに常識的で道徳感の強い真人間であると自認していても、実際には誰もが何らかの『平均的基準からの逸脱としての異常性』を程度の差はあれ持っているものです。

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ですから、自己の内面世界を内観する事によって“自分の苦悩や問題行動の原因となっている異常性”に気付いても自己嫌悪や自己批判に陥る必要はありません。

私は、個人的に異常性という概念そのものに正常性と対比される否定的な意味合いを読み取ってしまいやすいので、特別に注視する必要のある異常性でなければ、『差異・特性』といった概念を積極的に使用するほうが誤解や偏見を避けるという意味でも良いように思えます。

また、異常性を発見し認知することは、異常性を改善し変容させる良い機会として肯定的に考えることもできます。つまり、自分が不快に思う心理的な異常性と真摯に向き合い、意識的に自己の行動や考えを変容させようと試みるだけでも簡易な“気付き・洞察(awareness)”に基づくカウンセリング効果を得ることが出来るでしょうし、自分が日常的に触れる事の少ない感情・気質や価値観を抑圧せずに表出してみることは深い自己理解や抗ストレス効果のある“感情の浄化(カタルシス)”にもつながります。

精神異常(統計的な平均的精神機能からの偏り)と判断される典型的な精神現象(精神症状)には、次のようなものがあります。

どの精神機能の異常や精神症状もその程度が軽微なものであれば特別な心配はいりませんが、耐え難いほどの主観的苦悩や不快感が生じたり、日常生活や職業活動に支障をきたすレベルへと重症化してきた場合には適切な治療やカウンセリングなどを受ける必要が生じてきます。

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1.意識の障害

意識昏迷……強度の意識水準の低下、深刻な意識の清明度の低下である。昏迷・昏睡・死亡の段階を経て重症化する。

意識混濁……物事を認知し思考する主体としての自我意識のレベルが低下すること。意識の清明度によって、軽度・中等度・重度の程度がある。

意識狭窄……意識が及ぶ範囲(意識の広がり))が狭くなった状態であり、知覚・思考・感情・意欲の幅も狭くなる。意識狭窄が亢進すると意識朦朧状態や白昼夢状態に陥ることもある。

意識変容(変性意識状態・トランス状態)……意識の覚醒水準の変化が起きるのと合わせて、意識の内容や質的な変化が見られるものである。支離滅裂な意識と思考に陥る錯乱(アメンチア)状態、妄想体系に思考が侵される譫妄、パラノイアなどがある。

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2.思考の障害

思考経路の異常……論理的で他者とのコミュニケーションが可能であるという意味での正常な思考経路には、『トマトは赤い、太陽と昼間、お金と買い物』というような『観念連合』に基づいているものが多いが、思考経路に異常をきたすと『トマトは動物、太陽はおいしい、お金は食べる』といったような『観念連合の障害』が起きることがある。

観念連合の障害は、精神分裂病(schizophrenia)の疾病分類を命名したブロイアーの研究で着目された精神分裂病(現・統合失調症)の典型的な症状でもある。躁鬱病の、躁病相で頻繁に見られる思考の障害としては、『観念奔逸』がある。

観念奔逸とは、気分が高まり過ぎて、心地良い興奮状態になり、次から次へと独創的(と自分が思える)なアイデアや意見が湧き出して、その思考の奔流を止める事が出来ない状態である。観念奔逸には、誇大妄想が付随しやすく、自分には何一つ不可能なことはなく、全てが自分の思い通りになるはずだという無根拠で壮大な自信と野心が芽生えることがある。

一つの事柄ばかりを思考して、他のことに意識を向け変えることの出来ない強迫的な『思考の保持』、自分が伝えたい内容を相手に伝えることが出来ずに延々と本題と無関係な事柄を思索的になぞりつづける『思考の迂遠』、考えようとする事柄を考えようとしても全く思考が展開しないし深まることもないという『思考制止・思考途絶』などがある。

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思考体験の異常……何かをするように命令してくる幻聴が聞こえて、誰かに自分の体や行動が操られているという感覚を抱く『作為体験』があるが、これは統合失調症の代表的な陽性症状である幻覚症状の一つとされる。

自分の体が自分ではないように感じ、現実世界に生きているという実感が喪失される『離人症体験』、無意味でバカバカしい思考内容が絶えず頭に侵入してきてそれを考えることを止められない『強迫思考』などがある。

その他にも、客観的根拠のない誰がみても間違っている事柄を正しいと信じ込んで、その思考・信念をどんなに説明しても修正することのできない『妄想(delusion)』なども思考の障害の一つである。

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3.感情の障害

気分の異常

躁状態・爽快気分(気分が高揚し活動性が高まり過ぎて、やや注意力と判断力に欠け、軽率さが出ている精神状態)……躁鬱病・気分循環性障害・気分高揚・児戯性爽快・多幸感・興奮陶酔を伴う激しい気分の高まりである。

うつ状態・憂鬱気分(気分が低下し積極性・行動力が低くなりすぎて、何もする気力がなくなっている精神状態)……うつ病・気分変調性障害・気分沈滞などによって強度のうつ状態が起きることがある。

情動の異常

感情鈍麻・感情の平板化……外部世界への関心や人間関係への意欲が喪失され、外界の変化や他者とのコミュニケーションに対して感情表現や感情の言語化を行うことがなくなった状態で、顔の表情も変化に乏しくなり“仮面様顔貌”などといわれることもある。

両価性(ambivarence)……同一の対象に対して、愛情と憎悪などの対立する正反対の感情を同時に抱くこと。愛憎のアンビバレンスは多かれ少なかれ誰にでもあるが、その両価性が極端なものになると、同じ相手に対する態度や発言に矛盾が多くなり混乱の様相を深めて病的なものとなってくる。

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4.知覚の障害

錯覚……生理学的な特性や心理的な動揺などによって、現実に知覚できる対象を間違って知覚することである。

幻覚……実際には存在しない者の声を聴く幻聴、実際は存在しない対象を見る幻視、現実には匂わないのに匂いを感じる幻嗅など、客観的(他者の主観との間に共通認識できる間主観性)に存在しないものを知覚することが幻覚である。

5.意欲の障害

精神運動興奮……精神活動が活発になり過ぎて、意志や欲求が強くなり異常に興奮し過ぎている状態である。

精神運動抑制……精神活動が抑制され過ぎて、抑うつ的な状態となり意欲や関心も低下している元気のない状態である。

発動性減退……自発的な行動や積極的な活動が見られなくなり、更に状態が亢進すると何もする意欲がなくなり全ての活動を停止する『無為』の状態となる。極度の無為状態は、統合失調症の陰性症状である場合もある。

緊張性亢進……周囲の物事に対する意志や欲求が低下すると同時に、精神が緊張して外部の変化に対して何の反応もなくなる自閉的な状態である。

欲求の異常……摂食障害、性嗜好障害・自傷行為・自殺行為・衝動性抑制の欠如・嗜癖(依存症)・反社会的な暴力的破滅的欲求

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6.知能の障害

発達障害・広汎性発達障害・精神遅滞・知的障害・学習障害(LD)・認知症(痴呆・アルツハイマー症)など。

7.記憶の障害

記銘・保持・再生・再認の記憶機能の障害である。記憶量が過剰になったり減退したりという量的記憶障害と記憶内容の錯誤や逸脱といった質的記憶障害に大きく分けられる。外傷性健忘・心因性健忘・解離性健忘など。未来の出来事を記銘できなくなる『前向性健忘』、過去の出来事を追想・再生できなくなる『逆向性健忘』がある。

以下は、次の別記事になります。

多彩な症状を呈する神経症(neurosis)とは何なのか?

フロイトを始祖とする精神分析の主要な適応症とされた古典的な精神疾患として神経症(neurosis)があるが、神経症とは単一の病態や特定可能な症候群を指示する病名ではなく、多種多様な複数の心因性疾患が寄せ集められた“総合的な病的状態”を意味する用語である。

同じ神経症患者であっても、ある人は立ち上がれなくなり、ある人は声を発する事ができなくなる。また、ある神経症患者は、異常な興奮を示して神経過敏になり攻撃的な性格を示し、ある人は自己顕示的で虚言癖や操作的な振る舞いを特徴とする演技的な人格を示す、そして、ある人は意識水準が低下して離人症や解離性障害のようなリアリティを喪失した心理状態に陥るのである。

神経症の症例を見ていくとこのような感じで、神経症であるという診断だけではその人がどのような症状や悩みを持っているのかを明確に特定することは出来ない。 その為、最近の精神医学界や臨床心理領域では、症状を特定できない神経症という曖昧な診断名を用いる事が殆どなくなり、DSM-Ⅳで定義され分類された客観的な症状記述に基づいた病名を用いることが増えている。

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古典的な神経症を定義すれば、『精神的原因による器質的障害を伴わない心身の機能障害』であり、『ヒステリーと呼ばれた人格特徴の異常や不安・抑うつ・衝動性・依存性などを示す情動障害』として定義される。

そして、かつて、精神病と対比された神経症の特徴として『現実認識能力(現実吟味能力)が障害されておらず、現実と空想の混乱を起こすことがない』というものがある。

精神疾患の病態水準の判断で、現実認識能力が障害された比較的重篤な精神疾患である統合失調症や躁鬱病を“精神病”と呼び、それ以外の不安・恐怖・抑うつ・強迫性・ヒステリー・心気症などの比較的軽度な精神疾患を“神経症”と呼ぶ伝統がある。

一般的に、精神病に分類される精神障害は、内因性二大精神病と呼ばれる統合失調症(精神分裂病)と躁鬱病(双極性障害)である。過去には、内因性三大精神病として前述した二つにてんかんを加えていたが現在ではてんかんは脳の機能障害という見方がなされ精神病に分類されないことのほうが多い。

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神経症の発症機序(メカニズム)は、ストレス事態の増大など心理的原因によって末梢神経系の自律神経が障害されたり、知覚・運動・情動の精神機能に障害が起きたりすることで発病するというメカニズムだが、環境要因としての心因以外にも、個人の人格要因や性格・気質・素因なども関与している。

“ストレス・生活状況・家庭環境などの環境要因”“性格・気質・遺伝などの個人要因”が相互的に作用し、複雑に干渉し合って、神経症の病態が形成されるというのは、他の精神疾患の症状形成機序とほぼ同一のものである。

複数の精神疾患の症状が寄せ集められた神経症を、現代の精神病理学の分類基準の文脈に置き換えると、“不安障害・身体表現性障害・解離性障害・気分障害・適応障害・自己愛性人格障害・演技性人格障害・境界性人格障害”といった精神障害・人格障害などに相当することになる。

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不安障害(anxiety disorder)は、更に、その下位分類である“全般性不安障害(GAD)・パニック障害・広場恐怖症(空間恐怖)・単一恐怖症・社会性不安障害(対人恐怖症)・強迫性障害・心的外傷後ストレス障害(PTSD)・急性ストレス障害”などに分類することが出来る。

以下に、神経症概念に基づく疾患名とDSM-Ⅳの精神障害概念に基づく疾患名の対応関係を掲げておく。

神経症の疾病概念とDSMの疾病概念の対応表

神経症概念に基づく病名DSM-Ⅳに基づく病名
不安神経症全般性不安障害(GAD)
パニック障害
強迫神経症強迫性障害(OCD)
トラウマ関連の精神疾患心的外傷後ストレス障害(PTSD)
急性ストレス障害
恐怖症空間恐怖(広場恐怖)
単一恐怖
社会性不安障害(SAD)
心気症身体表現性障害の下位分類としての心気症
ヒステリー・転換症状
転換ヒステリー
身体表現性障害の下位分類としての転換性障害
ヒステリー・解離症状
解離性ヒステリー
解離性障害(解離性健忘・解離性同一性障害(DID)・解離性遁走)
離人症
離人神経症
解離性障害の下位分類としての離人症性障害
抑うつ神経症うつ病・大うつ病性障害
気分障害

このように神経症概念は、実に多種多様で複雑な精神障害を内部に包摂していますが、その精神症状の典型的な特徴を抽出してみると『不安・恐怖・抑圧・強迫・抑うつ・現実感の低下・麻痺など身体症状』に集約されることになります。

かつて、神経症の標準治療法であった力動的心理学に基づく精神分析は、現在では神経症の症状の緩和に際して、実証的根拠に基づいて行われる認知行動療法よりも改善率が低くなっており、人格特性の歪曲や性格の偏りの修正などを目的とする自己理解の深化や過去の心的外傷の克服に役立てるといった意味合いが強くなっているように思います。

元記事の執筆日:2005/06/11

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