少子化社会の不確定なジェンダーと核家族の子育て:2(別記事)
少子化社会の不確定なジェンダーと核家族の子育て:3(別記事)
子どもを持って親になることによる『心理的な成長と人格上の成熟』について(別記事)
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少子化社会の不確定なジェンダーと核家族の子育て:1
現代社会でよく聞かれる悩みの一つに『育児の困難(育児方法の混乱・育児内容の誤り・育児意欲の低下・教育方針を巡る葛藤)』があります。その原因として考えられるのは、急速な社会的価値観と家族構造の変化であり、ジェンダー(社会的性差)の認識の違いによる家族観と育児方針の多様化です。
近代以降の産業経済の発展によって、職場と住居が同一の農業者や家業従事者が大幅に減少し、職場と住居が分離するサラリーマン家庭が圧倒的多数となりました。子どもが両親の祖父母と一緒に生活する三世代以上同居の家族は大きく減り、両親と子どもだけもしくは夫婦だけという家族構成が多く見られるようになりました。その家族構成の激変により、育児の心理的・時間的負担を祖父母と分担することが難しくなり、妻が一人で育児に従事したり、家庭外の保育機関に預けたりする家庭が増えました。
核家族の割合が大きくなり、父親の家庭内の存在感が希薄化する家族構成変動の社会的要因は以下のようなものとなります。
1.近代的な機械制工業を中核とする自由市場経済の発展によって、従業員となるために農村部から都市部への大規模な人口移動が行われる。その結果、両親と子どもは、居住地を異にすることとなる。
2.賃金を得ることによって生計を立てる企業の従業員(会社員)が大多数になる事によって、職場と住居が必然的に切り離されることとなる。その結果、子どもと父親は、接触機会と頻度が減少することとなる。
3.女性の社会進出が促進されることによって、家事や育児の仕事が夫婦にとって分業の対象となると同時に直接的収入に結びつかない意味での負担となる。その結果、子どもと父親・母親の接触機会と頻度が減少することなる。
4.価値観と家族像の多様化と自由主義の影響によって、家族成員が、それぞれ役割分担をして精神的・経済的・物理的な豊かさを創出するという『相補的機能』が必ずしも中心的な家庭の機能ということが言えなくなり、理想的な家族像の提出はそれに該当しない家族に対する抑圧や強制という同調圧力を強めるという相対的な価値観が強くなってくる。
その結果、政府が、標準モデルに相当する家族世帯を、課税制度・社会保障・公的保険でバックアップする事は、標準モデルの家族に該当しない家族を冷遇する差別的政策であるとして批判される可能性が高くなる。ジェンダー・フリーな個人が機能的につながる家族を構成しようと、家父長的な男性の権威を重視する家族を構成しようと、家母長的な女性の権利を重視する家族を構成しようと、それは各個人の思想信条の自由の範囲内であり、結婚する両性がその基本的家族観に同意していれば問題はないとする考え方が主流となりつつある。その結果、それらの家族形態のどれか一つを政治的経済的に優遇する政策を取る事が難しくなってくることが予測される。
少子高齢化や核家族の増加が進展するにつれて、仕事に忙しい夫婦だけで育児をしなければならない情況が多くなってきていて、その育児に伴う経済的・心理的負担は増大する傾向を示しています。 子どもの心身の発達や心理的充足感の観点からも、両親が不在であることが多い家庭環境や親密なコミュニケーションが取り難い心理的距離の開きすぎた親子関係などは、あまり良くない影響を子どもに与える可能性があるのではないかと考えられます。
現代社会のジェンダー問題の趨勢を受けて、家族観の相対化と家族形態の多様化が進行している印象を多くの人は受けていますが、この流れ自体を言論活動や説得的な啓蒙によって完全に押し留めることは困難であることもまた事実です。
中心となる家族構成のスタンダードが不在である時代は、個人の自由や権利が家族の安定や維持よりも重視されやすい時代風潮を作り上げますが、これを良いと考えるか悪いと考えるかは『自分にとっての家族とはどのようなものか』という家族アイデンティティの強弱と密接に関わっています。
いずれにせよ、どういった家族が理想的な家族なのかを一義的に指し示すことが難しく、大部分の人が『夫婦で協力し合って幸せで明るい家庭を築いていきたい』と考えているとしても、その『協力の方法と幸福の実際』には相当に大きな個人差が存在しています。離婚の理由の上位にある『価値観の相違』とは、そういった家族観の協力体制や経済観念に関する考え方の違いであり、家族生活を通して実感する幸福感の違いであるといえます。
心理的・時間的に余裕のない家庭環境の中で、夫婦間や親子間のコミュニケーションを十分に取れない事や父親・母親・子どもの家庭内での役割や位置づけが流動的で安定しない事も、子育ての苦痛や夫婦関係の擦れ違いを生じやすくさせる原因の一つでしょう。
以下は、次の別記事になります。
少子化社会の不確定なジェンダーと核家族の子育て:2
ここで、育児や心身発達に関する全般的な説明や助言をすることなどは出来ませんが、子どもの心身の成長に関する発達心理学的なポイントと、神経心理学的・生物学的な原因から生じる問題への対処も含めて幾つか実践的な育児方法について私見を述べてみます。
子どもの精神発達に関しては、子どもの認知獲得過程を重視しながら『情動・感情・行動のコントロールによる安定した精神状態を基盤にした人格形成』『基本的な社会のルールの理解と獲得』『知能発達と学習能力の向上による環境適応』などを一応の課題に据えて書きます。
1.基本的安心感に基づく『世界・自己・他者への肯定的認知』を育む
父親と母親が、子どもへの無条件の愛情や関心を向けて、一緒に触れ合い遊んであげることで、子どもが家庭に居る時には安心感と落ち着きを感じられるようにする。無力で未熟な乳幼児の段階では全面的な世話と保護を必要としているが、いつまでも過保護に全ての面倒や保護をする必要はない。
子どもが2~3歳くらいになり一人で行動したい素振りを見せた時には、あまりいろいろな手出しや補助をせずに、とりあえず子どもの自律性を尊重して陰で見守るほうがよい。子どもが何度チャレンジしてもやりたいことがなかなか出来ないときには、手伝ってあげたり、優しくアドバイスしてあげるようにして、『頑張っても出来ないときは助けてくれる他者がいること』を伝えるようにする。一人で色々なことが出来るようにバックアップしてあげると、心理的な母親との分離不安をうまく克服しやすいし、それが将来的な自立の基盤にもなる。
夫婦喧嘩や口汚い罵りあいなどを子どもの前で見せない、他人の悪口や個人的な愚痴を家庭内に多く持ち込まないようにする。社会や世界を根底から否定するような思想や社会・世間を憎悪するような考えを子どもに過度に吹き込むことは、世界への肯定感を損なう恐れがある。
政治経済に関する客観的な情報や知識を与えることは良い学習活動になるが、一方的に、反社会的(現状否定的)な信念を子どもに押し付けるのは、子どもの世界観形成を歪曲するかもしれない。
『世界・自己・他者への否定的認知』を子どもに教育するような言動をとっていないか注意するようにする。
それらを否定的に捉えすぎることは、『この世界は基本的に間違っていて、自分の安心できる居場所はない』という孤立感や抑うつ感を強め、行き過ぎた批判家や皮肉屋になったり、抑うつ気分を感じ易いニヒリスティックなパーソナリティを形成したりする。
性善説などを説く必要はないが、この世界の魅力や面白さを伝えてあげることは大切である。
『世界・自己・他者への肯定的認知』は、絶望や憂鬱と拮抗する考えであり、『健康・幸福・努力を促進する前提となる認識』なので意外に大切なものである。
2.子どもが帰れる場所としての家庭の維持・自分の存在を実感できるアイデンティティの基礎を形成する
小学生の段階までは、子どもにとっての世界は大きく分けて学校と家庭しか存在しないのだから、家庭を安全基地(ホームベース)として整備し、学校環境にもうまく適応できるように両親は物心両面で援助してあげることが重要となる。
学校環境への不適応の問題として、不登校・登校拒否・非行・犯罪・学業不振などが代表的なものとしてあるが、それらの不適応問題に対処する場合にも、親子関係が良好であり家庭が安らぎの空間であれば、親・子・先生・クラスメイトで学校での問題を真摯に話し合う雰囲気ができやすい。更に、子どもの精神的な健康を大きく損なうことが少ない。
その他にも、種々の学習障害(LD)やADHDなどの生物学的素因の関与する問題があるが、その場合には無理に強制して登校を促すのではなく、まず、子どもの心理的問題や人間関係の葛藤をしっかりと聴いて、親や家族はいつでも子どもの味方であり、どんな支援や手助けも惜しまないことを伝えてあげるとよい。
自分の存在を受け容れて、人生を価値あるものと認識するためには、適切なアイデンティティを子どもなりに獲得できることが望ましい。大人のアイデンティティにも社会的な自己認識は必要だが、抽象的な思考能力や論理的な世界把握が十分に発達していない子どもにとっても社会的アイデンティティは必要なものである。
家族の一員としてのアイデンティティから子どものアイデンティティは漸次的に所属集団に応じて変化していく。
成長過程に合わせて、出来るだけ多くの様々な特徴を持つ友達・隣人・集団・組織・趣味・分野に触れ合って体験することで、自分にぴったりとするグループ・集団・趣味への帰属感をアイデンティティとして持つことが出来るようになる。
『排他的な集団や仲間への帰属心』は、自分と価値観や目的の合わない者への攻撃性や排除欲求を高める事もあってあまり望ましいものではないが、『人間存在の孤独感や空虚感を補償する役割を果たす帰属感』は、社会的アイデンティティの本質である。この世界は独我論的に閉じているのではなく、他者の存在へと開かれているという意識を持つことはとても大切なことである。
他者と一緒に、この世界を協力し合って支えあい作り上げているのだという実感は、適正な現実感覚を培うことに非常に貢献する。つまりは、子どもに、自分があらゆるものと様々な関係性や感受性や目的によって相互的にリンクしあっているという感覚を持たせることで、『結びつき・助け合いの世界観』を持たせることができるということである。
(通常の心理的問題としては説明がつかず、常識の範囲内を超えた過度の不適応や残虐性・攻撃性の問題がある場合には、医学的な対応が求められることもある。つまり、一般的な対話による共感的な話し合いや教育では全く効果が見られない場合には、生物学的な原因や異常が存在することがある。医学的検査を受けて、脳神経科学的障害や生理学的異常が比較的重度である場合には、その障害の解決に向けて医療・生活技能訓練などの専門的アプローチを取ることが必要となるかもしれない。)
3.家庭内の基本的ルールを決めて、みんなでそのルールについて話し合い守ろう
家庭内で子どもの躾や親の模範的な態度につながる基本的ルールをみんなで話し合って決めてみよう。そのルールは、その家族だけにしか通用しないようなあまりに特殊で偏ったものであってはならない。社会常識や道徳規範から大きく逸脱しない、過度に厳しすぎたり体罰を伴ったりしない、あまりに無意味な内容でないルールを作って、子どもも納得してそのルールを守る事が正当であると思えるルールが望ましい。
『朝ごはんでも晩御飯でもいいが、家族一緒に食事をとる。』
『食べ終わった食器は、各自で洗うようにする。』
『お菓子やデザートは、決められた時間だけに食べるようにする。』
『自分の部屋は自分で責任をもって一週間に一回は掃除する。』
『眠る前に、一日の出来事や悩みについてそれぞれ話をする。』
『テレビゲームやインターネットは、一日2時間までしかしない。』
『親も子どもも暴れて意思表示せずに、きちんと怒っている理由を言葉で話すようにする。』
『お風呂洗いや朝のゴミだしはみんなで交代で行うようにする。』
『食事時間は、携帯電話で話したりメールしたりしないようにする。』
など適当に上げてみたが、自分の家庭で必要と思うルールで、みんなが話し合いの結果、それを守ることに同意すればそのルールをとりあえず守ってみる努力をしてみよう。公平にみんなに適用されるルールを遵守すること、首尾一貫した継続性のあるルールは個人の都合に優先することなどは集団生活への適応を高め、基本的な社会性を養うことに役立つことが多い。
もちろん、あまりに無意味な内容のルールを強制したり、恐怖や怒りを誘発するような罰則を与えるようなことは子どもの発達に悪い影響を与え逆効果である。
4.学習行動を尊重し、正しい言葉の習得を手助けしよう
自分の知らない事柄を学び覚える『知識を得る楽しみ』、自分の力で問題を解決して正しい答えを導き出す『学習による達成感』、学校の勉強が現実の社会でどのような形で生かされるのか『知識の実践性』などについて親が子どもにわかりやすく教えて、学習行動を軽視せずに尊重する態度を示そう。子どもは良く『何故、勉強しなくちゃいけないの?』という疑問を口に出すが、その質問には子どもの発達年齢や社会理解に応じて適切な答えを返すことで、子どもの学習意欲を高める工夫をしよう。
世界や人間や社会について未知の事柄を知る事の学習の楽しみや学習の成果を利用して他者とコミュニケーションする面白さを子どもに教えてあげることによって、勉強を強制されている感覚から自発的に勉強するような気持ちへと転換する試みをいつもしてみよう。学習行動の基本は、『正しい言葉の習得』にある。特に小さな子どもは、いろいろな言葉や概念や動物について意味や特徴を聞いてくるものなので、その時にいい加減な返事をせずに国語辞典や百科事典を子どもと一緒に開いてみる習慣をつけるとよい。
子どもと一緒に言葉や概念の勉強を楽しくしながら、辞書で調べた言葉の類義語や対義語などもまとめて調べてみると、子どもは言葉の世界の有機的なつながりの不思議について想像力を働かせ易くなる。絵入りの動物図鑑などは見ているだけでも楽しいものだが、難しい動物の生態や特徴に関する説明を子どもにわかりやすく親が伝えてあげると、自然界への興味をもちやすくなる。
学習の基本は、自分自身が抱いた疑問や不思議に答えることにある。子どもが『これは何?これはどういう意味?これは何故こんな風になってるの?』という自発的な質問や疑問を大切にしてあげて、一緒になって子どもの疑問に対する答えを考えてみよう。そして、疑問に対する答えがわかったときには、一緒になってその未知の解明に対する興奮や感動を共有するようにするとよい。
5.運動や体験を思いっきり楽しませてあげる
教科書や参考書を用いた学習活動も大切だが、室内にいるだけでは身体や精神の健康な発達が十分に行われない。勉強のストレスや学校での拘束のストレス、友達関係の悩みなどで疲労した脳にとっても、適度な運動をすることによる心地良い神経刺激は、気分のリフレッシュと再活性化による能力向上に役立つ。特に短気で怒りっぽく、すぐに暴力や攻撃行動で問題を解決しようとする子どもや集中力が持続せず注意散漫で気分の波の激しい子どもなどは、自分の好きなスポーツや体を使った遊びを思いっきり楽しませるとよい。
破壊的な攻撃欲求や多動的な運動欲求を、他人に迷惑をかけずに昇華する方法としても、スポーツや運動はとても効果的である。精神的ストレスの発散という意味以外にも、子ども同士で体を動かして遊ぶことには、集団生活の基本的な仕組みや友達関係の大切さを体験を通して学ぶという非常に大切な役割があるのである。
一人で気持ちを集中してコツコツと頑張る勉強も大切なことだが、自然な共感や友情を感じられる友達関係を作り上げることも大切なことである。お互いの感情や考えを取り交わすコミュニケーションは多種多様な人間関係の基本である。幅広い人間関係の経験をすることによって、授業や読書といった勉強では得られない『他者と経験・知識・情報を共有する感動』を得ることができる。
人間は、基本的に社会環境で他者と様々な形態の関係を持ちながら生活していかなければならない存在だから、子ども自身が将来の社会生活をうまく営んでいく為にも対人関係の経験と技術は必要なものである。
6.学習に関して相対的な比較や評価を控えるようにする
小学生~中学生の年代の子どもたちは、友達との相対的な比較・競争に対して非常に敏感で、本人が勉強の成績を気にしていないような素振りを取っていても、親から他の友達よりも勉強能力を低く評価されたり、成績が悪いことを非難されたりすると自尊心や自己肯定感が傷つけられる。こういった心理的な罰としての効果を持つ『負の強化』は通常、学習意欲や知的好奇心を高めずに、逆に低める働きをする。
他の子と比べて優秀であるかどうかという相対的な競争にこだわって学習をさせるのではなく、自分の子どもの努力や頑張りの成果を積極的に認めて上げることで無用な劣等感や自己嫌悪を抱かせないようにすることが大切である。また、どんなに優秀で頭脳の回転が速い子どもでも、成績には必ず波があるということ、人間の知的能力は機械的にいつも同じ機能を発揮できるわけではないことを理解することが必要である。
いつも良い成績をとっている子どもが、偶然本人も納得できない悪い点数をとったとしても、その事についてくどくどとお説教をしたり、精神論で気合を入れる必要はない。元々、勉強を頑張っていた子がたまたま少し悪い成績を取った場合に、その事で一番悔しさや無念さを感じているのは子ども自身なのだから、それ以上追い込むような言葉をかけるのは逆効果である。
その時に、特別な生活習慣の乱れや友人関係の変化が見られない場合には、終わったことは終わったこととして、次のテストに対する意欲を高める方向でさりげなく応援してあげるようにするとよいだろう。
また、子どもの知性や能力は、実に幅広い多様性を備えたものであり、単純に学校のテスト結果のみを指標として『頭がよい・頭が悪い』と二分法で語れるものではない。そのことを親自身が認識して、自分の子どもの短所ばかりに目を向けずに、人格・性格・人間関係・運動能力・趣味への集中などにも注目して長所を探そうとする姿勢をもつようにしよう。
中学生までの性格形成に歪みを起こす要因の多くは、『環境への不適応感・友達に対する劣等感や嫉妬・将来への希望の喪失・仲間からの疎外感(仲間外れ)・自己否定や自己卑下といった自尊心の損傷』であると考えられるので、勉強に限らずあらゆる面で子ども達がそういった感情を抱き難いようなコミュニケーションや教育をしていくことが望ましい。
職業選択などの段階で、現実を直視する場合には、往々にして他者との相対的な比較から劣等感を抱き易いが、そういった劣等感をその相手とは違う分野や領域で補償できるような自我の強さや視野の広さを身に付けることによって対応できる。
また、世の中の仕組みが、経済的な成功や社会的な地位によって人間を評価するようになっているという『他者からの社会的評価によって自己の意味づけ』をする基本的態度を改め、恋愛・結婚・家庭・趣味・学問・教養・娯楽など『自分の人生の経験や認識を豊かにして幸福を実感することによって自己の意味づけ』を図っていく基本的態度へと変容することも場合によっては必要であろう。
以下は、次の別記事になります。
少子化社会の不確定なジェンダーと核家族の子育て:3
7.子どもに対して嫌味や皮肉を用いた遠まわしの批判をしない
『子どもに話す言葉』と『あなたの本当の気持ち』を矛盾させた言い回しをしないようにしよう。
夫婦の間でも、あてこすりのような嫌味な言い回しや婉曲な嫌味を用いた悪口などを言わないようにしないと、子どもがいつも相手の嫌がることを遠まわしにいう皮肉屋や全てのことに悪意を読み取ってしまう批判屋になってしまい人間関係の問題が生まれてくる恐れがある。
つまり、『子どもの何に対して怒っているのかをはっきり言わずに、ツンケンとした冷たい態度をとって、わからないならそれでいいわよ』みたいな態度をとってはいけないということ、『知識や経験が十分でない子どもの意見を、わざとその意見を皮肉って馬鹿にしたり、子どもが恥ずかしくなるような嫌味をいったりする』のは良くないということ、『あなたは何も悪くないのよといいながら、故意に自分の不機嫌さや気分の落ち込みを相手にわからせるような振る舞いをとること』などは控えるようにするといったことである。
小学生くらいまでの子どもは、『親の話している言葉』と『親の示している感情表現や行動』が異なっていると、親の本当の気持ちや考えがわからずに混乱してとても不安で落ち着かない心理状態になってしまう。
子どものした悪い行為を叱るときには、『自分が、子どもの○○という行動に対して怒っていて不機嫌になっている』ときちんと言葉で伝えるようにしよう。子どものした心ない行動に悲しんでいるときにも、『自分が、子どもの○○という行動や言葉に対して落ち込み悲しんでいる』ときちんと言葉で話して伝えよう。
こういった感情表現と言語表現の基本的一致は、円滑なコミュニケーションと相互理解のために非常に重要である。子どもの心身発達の問題に限らず、夫婦間の喧嘩や擦れ違いでも『相手が何に対して怒ったり、泣いたりしているのかわからない』という夫や妻がたくさんいる。
その根本原因は、『自分がこんなに怒っているのに何が原因かわからないなんて、何て鈍感で無神経な男(女)なんだ』という『相手が自分の行動や振る舞いから自分の気持ちを推測して汲み取ってくれるのが当たり前じゃないか』という相手に依存した認知があるのである。
しかし、人間は、時に親しい間柄の相手であっても(特に男性と女性という性差がある場合には)、『本当に相手が何に対して怒っているのか洞察出来ないこと』がある。そして、そういった相手の心理の推測や洞察は、自分が仕事に追われて精神的余裕がないときや育児が忙しくて時間に忙殺されているときには、うまく働かないことが多くなってくる。
『はじめから、きちんと説明して話してくれていたら私もそんなに怒らなかったのに』という問題が社会の人間関係には意外と多い。だから、子どもの頃から、親子関係を通して『遠まわしの嫌味や皮肉、当てこすりをやめて、自分の感情の原因をはっきりと相手に伝えるコミュニケーション』の練習をしておくことは、将来の恋愛・結婚・友人関係に役立つことが多いのである。
いつも『相手に自分の気持ちを深読みさせよう。相手が悪いんだから、少しばかり不機嫌な態度をとって懲らしめてやろう。自分の気持ちがわからないならわからないでこっちにも考えがあるぞ』といった『感情と言葉の不一致を特徴するコミュニケーション』をする相手と一緒にいると、多くの人は非常に強い心理的ストレスや自己に対する罪悪感などを感じるため、その人から離れていきやすい。その為、相手をうまくコントロールしてやろうとするゲーム的なあてこすりのコミュニケーションを多用していると、結果として、大切な友人や恋人を失うという悲しい結果を引き起こしかねない。
8.失敗や間違いを恐れる必要はないという事を子どもに伝える
勉強でもスポーツでも何度失敗してもそこで終わりではなく、長い人生の中では何度でもやり直しが効くのだから、勇気をもって思い切って色々な物事にチャレンジすることが大切であることを教えてあげよう。子どもが新しい知識や技能を身に付けたり、今までやったことのない経験をする時には、大きな期待や好奇心と共に、もしも失敗したらどうしようという不安や恐れがある。
しかし、新しい出来事に取り組むときには、大人でさえも子どもと同じように期待だけでなく不安や恐怖があるのは当たり前のことであり、それ自体は何も特別なことではない。そこで、やる前から失敗や挫折を恐れて『どうせ頑張っても自分にはできない』『失敗したら笑いものにされて馬鹿にされる』などと考える癖をつけると生涯にわたって、新しい事柄に果敢に挑戦する気概をもてない臆病な性格になることがある。
また、何かに向かってチャレンジしたり、一生懸命取り組むことは、より良い成果を求めるためだけに行うわけではないのだから、初めに期待していた結果が得られなくても全てが無意味であるわけではないということを伝えると良い。その行為や取り組みを通して自分が喜びや充実感を感じたり、その作業や運動にやり甲斐を感じたり、他人と一緒に連帯して協力することの面白さを発見できるだけでも意味のあることなのである。
9.親の性格と子どもの性格の違いを知ろう
親の性格が外向的で、家の外に積極的に出て旅行やアウトドアなどの活動を楽しみ、他人と頻繁に関わって様々なイベントを楽しむことが好きな場合、人間関係があまり好きではなく、他人とのふれあいや活発な行動を好まない内向的な子どもの性格や趣味を批判的にとらえることがある。反対に、親の性格が内向的で、読書をしたり映画をみたりしながら自分の内面世界を豊かにすることに充実感を感じるような性格である場合、大声で友達とおしゃべりをしたり、頻繁に室内を動き回って遊ぶ行動力の旺盛な外向的な子どもの性格や趣味を批判的にとらえることがある。
親と子どもの関係であっても基本的な性格傾向や趣味の内容が一致するわけではない。子どもを自分とは異なる一人の人間として認識し、無理矢理に自分の性格や趣味を子どもに押し付けてしかりつけたりすることのないようにして、子どもの性格や趣味が他人に大きな迷惑をかけない限り受け容れてあげよう。
10.子どもに劣等感や屈辱感を感じさせる教育を教師は行ってはならない
親子の育児問題から離れるが、学校環境における教育や指導は子どもの心身発達や基本的世界観の獲得に無視できない大きな影響を与える。教師は、子どもを一人の独立した尊厳をもつ人間として取り扱い、小学生くらいの子どもであっても恐怖・恥・侮辱・揶揄・悪ふざけを利用した自信・自尊心・意欲・自己効力感を喪失させる教育を行うべきではない。
そういった教育を行っている教師には、自己の職業活動における正確な認知が欠如している場合があるが、よくある間違った教育法の論理として『子どもにやる気をださせ、間違った行為の反省を促す為に、私としては不本意であるが、必要に応じて恐怖や侮辱、見せしめ、軽蔑などの心理的効果のある罰則や指導を行っている』というものである。
オペラント条件付けの心理実験や産業心理学の労働意欲に関する実験調査でも明らかになっているように、人間の継続的で前向きな意欲や努力は、恐怖や強制、屈辱によっては喚起することができない。
人間が自発的かつ積極的に継続的な意欲を持ち続けるためには、『好奇心や関心の強化と自尊心の充足と結びついた自己効力感の上昇』が必要である。
教育の基本姿勢は、子どもの自信と安心を強化する方向になければならず、行き過ぎた強制や侮辱を用いた教育は、将来にまでわたる継続的な学習意欲や道徳心の維持には全く有効ではない。また、悪い行動をやめさせるための体罰は、教師に対する畏敬や尊敬が前提としてある場合にのみ有効なことがあるが、体罰という負の強化子を用いた行動や心理の矯正指導には、非常に高度な行動療法的なテクニックと自分自身の言動に矛盾や過誤のない高潔な人格性が要求されることとなる。
11.子どもの心の問題と脳の問題の区別を意識しよう
ここでは、詳細を説明できないが、子どものやる気や能力、努力とは無関係に、学習活動がうまくいかない場合もあるし、大人しく座って授業を聞けないこと、友達や親に対する暴力的な行為や小動物に対する残酷な行為をやめられないこともある。
親子関係や友達関係のストレスや環境への不適応といった心理的原因以外にも生物学的な脳や神経の障害の原因によって、子どもが思い通りの行動の抑制や制御、知能に相当する学習成果を出せない場合もあるということを心の何処かで意識しておくことも必要である。
特に、神経機構が未完成な乳幼児期~児童期には、小児精神科医や脳神経科医、発達心理学の専門家などでないとその詳細を理解することが難しい脳の発達上の障害や神経伝達の異常の問題がある。
常識的な説明や教育によっては、全く情況が改善する見込みがないときには、専門的な医学的治療やグループ体制での支援が必要なこともある。
以下から、別記事になります。
子どもを持って親になることによる『心理的な成長と人格上の成熟』について
子どもを持ち親になることによって、人間は心理的に成熟するとか人間的に成長するとよく世間一般では言われます。あるいは、結婚と出産を組み合わせてみるような保守的な価値観の持ち主である場合には、結婚して子どもを育ててこそ一人前の大人であるといった発言が為されることがあります。
自由主義や個人主義といった思想が社会生活全般に浸透することにより、親になることと親にならないことの主体的な選択が最近では尊重されるようになってきました。しかし、それでもなお、子どもを産む事や子どもを育てる事が人生における重大イベントであることには変わりありません。自分の子どもを産み、育てることは、夫婦や個人の人生や価値観に大きな影響を与え、多くの人々の生き甲斐を創造して、人格にも好ましい変容をもたらすことがよくあります。
しかし、『親になってみて、親でなかった時の自分と比べて何が変わったか?何処が成長したか?』という質問に対して、即座に答えることは難しいのではないでしょうか。親になることによる人格的成長について考える場合に注意すべきことは、『親になる前の自分と親になった後の自分』の人格・認知・行動・社会性の成長については本人の認知の変化の実感をもとに語れるが、『親である人と親でない人』の人格的成熟や心理的発達を一般論で語ることは出来ないという事です。
ですから、『親になって子どもを持たない人は人生の豊かさや厳しさを知らないとか人間的な成熟や社会常識が足りない』という意見は客観的な根拠があるものではありません。『親である人と親でない人との人間性の相対的比較』は、それぞれに求められる社会的責任や対人関係・個人的能力が異なりますので、科学的にも実際的にも意味をなさない比較結果しかでません。
子どもを持つ持たないは、結婚をするしないという問題と同様に、個人の自尊心や人生観などと深く関わる問題ですので、自分の経験や主観のみを根拠として、自分とは異なる立場や意見を持つ相手を一方的に“数の論理”や“世間の常識”で非難することなどは避けるべきでしょう。
『親になる前の自分と親になった後の自分で何が変化したと思いますか?』という個人の認知の変化に対する質問を用いて、統計学的な調査をしたところ、以下のような結果が得られています。(親自身への質問に対する解答を元にしたものですから、実際に他人が見て客観的にそのように変化したという意味ではなく、本人の内面的な自己認識がそのように変化したという事になります。)
子どもの親になることによる成長・発達の要素
1.柔軟さ
人間的に丸くなって、温厚になった。
ストレスに対して強くなり、精神的な安定感がでた。
物事を断定的に考えずに、柔軟に考えられるようになった。
物事を決断できるような思い切りがついた。
他人のミスに対して寛大になった。
小さな悩みに振り回され難くなった。
物事を様々な角度や視点から眺めて、公正な判断ができるようになった。
2.セルフ・コントロール
自分の欲しいモノを我慢できるようになった。
他人の立場や気持ち、迷惑を考えて行動できるようになった。
他人との調和や協調を大切にするようになった。
自分中心の考えや行動をすることが減り、子ども中心に変わってきた。
自分の役割や立場をわきまえて謙虚な態度をとれるようになった。
無駄遣いが減って、節約できるようになった。
思い通りにならないことがあっても、怒りを抑制できるようになった。
3.視野・興味の拡大
環境問題(大気汚染・食品問題・土壌汚染・水質汚濁など)に関心が増した。
日本の政治や世界情勢の変化に対して興味がもてるようになった。
教育問題や児童福祉行政、少年犯罪、児童心理に対する関心が増した。
社会的弱者に対する思いやりや優しさがもてるようになった。
他人の短所ばかりでなく長所に目がいきやすくなった。
地域社会や親戚との人間関係や協力・連帯の大切さが分かるようになった。
自分は社会の色々な人から支えられ助けられていると感じるようになった。
誰にでもその人固有の魅力や長所があると思えるようになった。
4.運命・慣習・伝統の受容
生活の変化を運命だと受け容れることが多くなった。
常識や慣習も大切だと思えるようになった。
目上の人を敬うことが自然にできるようになった。
伝統や文化の魅力が分かるようになってきた。
運や巡りあわせというものを受け容れられるようになった。
人間の能力や努力ではどうにもならない超越的なものがあると思うようになった。
信仰や宗教を信じる人の気持ちが分かるようになった。
他人の苦境や悲しみに対して感情移入しやすくなった。
5.生きる意味・存在の価値
長生きしたいと思えるようになった。
自分がいなくてはならない大切な存在だと思えるようになった。
生きている張り合いがでてきた。
より将来に対して計画的になった。
他の人の子どもにも思いやりがもてるようになった。
子ども好きになり子どもへの関心が増した。
短期的な欲求を抑えて、子どもの為に長期的な将来計画を立てるようになった。
大人として一人前になったなと感じた。
精神的に安定して、感情的になることが少なくなった。
軽率な振る舞いをせずに慎重に行動できるようになった。
自分の健康管理に気をつけるようになった。
6.自我の強化
自分の立場や意見を相手に対して堂々と主張できるようになった。
他人との確執や摩擦があっても、恐れずに自分の意見や考えを説明できるようになった。
妥協することが減り、積極的に問題を解決できるようになった。
目的に向かって前向きに努力できるようになった。
私たちが親になることには、上記のような『心理的・人格的・社会的な成長・変化』を促す影響要因があります。しかし、当然のことながら、子どもを持たない人が子どもを持っている人よりも人間的魅力や人格的陶冶において優れている場合も多くあり、社会的経済的により大きな役割を果たしている場合もあるわけです。
産業構造が複雑化して労働と育児の分極化が進み、出産と育児に対する女性の意識や世間の価値観が多様化している現代社会では、『何が正しく何が間違っているのかを一義的に明証すること』は不可能であるか若しくは非常に困難な状況にあります。かつて、成人の男女が結婚し子どもを持つことは社会人として当然の役割行動であり、社会的責任であるという見方が為されていましたが、現在は主体的な人生の選択において『結婚しない・子どもを持たない・育児をしない』という選択肢を取ることも可能となっています。
(ここでは、社会保障の財源問題や国家の経済成長や人口規模の維持の問題には深く踏み込みません。社会保障費の財源を十分に維持するために、国民は一定以上の子どもを産み育てることが義務であるという考え方を取るならば、当然、『非婚・晩婚・少子化』は倫理的に悪いことになるのでしょうが、それも数多くある倫理規範の基準の中の一つに過ぎないと考えられるからです。共同体の存続維持と発展成長を倫理の根幹に置く『伝統的な共同体倫理』は、今なお強い説得力を持つものであり、戦争や紛争、差別がこの世からなくなることはないという確信も、多くの人が無意識的にせよ持っている共同体倫理を前提としています。)
親となり子どもを持つことの究極的な意義は、生物学的な目的である遺伝子保存にあるのかもしれませんが、現在に至るまで、子どもを持つ事の幸福や喜びが様々な文化的装置や家族的愛情によって社会の中で讃美されてきました。その一方で、『子どもを持つことのメリットとデメリット』を功利的に比較検討するという考え方をする人たちも増えてきています。
人間社会には、本音と建前がつきものですので、日常の家庭生活やマスメディアの中では『子どもを持つことによって生まれる負担や制限』は『子どもを持つことによって得られる幸福や満足』よりも軽視されて語られます。しかし、実際に『若年者が家庭や子どもを持たない理由』の大半が、『結婚生活を維持する経済的基盤』や『子どもへの経済的・時間的投資の負担』にあるという実情を踏まえると、社会システム維持のために子どもを増やしたいと政策的に考えるならば、意識や心理面での啓蒙活動だけでは不十分で、子育てを安心して行うための経済環境や社会制度の改善が急務だといえるでしょう。
多くの人たちには、子どもを持って親になることによって『心理的な成長と人格上の成熟』が起こりますが、それは『可愛い子どもから慕われるような親になりたいという前向きな意識・自分の生の意味を子どもに投影して、実存的な苦悩から逃れること・社会的に一定の責務を果たせたという達成感』などと密接に関わっていると考えられます。
元記事の執筆日:2005/08/01