『恋愛(結婚)の対象を獲得するまでの問題』と『恋愛(結婚)の関係を維持することの困難』,恋愛(結婚)関係を破綻させない適切な距離感と情的コミュニケーションの必要性

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恋愛(結婚)関係を破綻させない適切な距離感と情的コミュニケーションの必要性


人生の幸福や物事の喜びを奪う『不合理な信念と不適応な仮定』について


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『恋愛(結婚)の対象を獲得するまでの問題』と『恋愛(結婚)の関係を維持することの困難』

異性の愛情や興味を惹きつける対人魅力の詳細については過去の記事で書きましたが、性愛の絡む恋愛関係で生じる問題には、大きく分けて『恋愛の対象を獲得できない問題』『恋愛の関係を維持できない問題』とがあります。

結婚して以降の夫婦関係でも『相手の性的魅力の低減による倦怠感の増進や不倫関係への誘惑』などの問題がありますが、この場合には結婚生活における新鮮味やお互いの関心を惹きつける刺激をどのように維持するのかということが課題になってきます。一般に異性と生活時間を共有する期間が長くなってくると、視覚刺激の鋭敏性が鈍麻して、相手への好奇心の強度が弱まってくる傾向があります。

その結果、個人差はありますが、恋愛関係に特有の『新奇性・独占欲・観念的な理想化』といった特性が顕著には見られなくなり、よく言えば安定した平穏な日々を過ごせるようになり、悪く言えば相手への関心が弱まって習慣化した日々に埋没するようになります。衰退する恋愛の特性の中でも、特に『観念的な理想化』といった非日常性によって醸成される要素は、同棲や結婚という共同生活の中では維持することが困難になってきます。

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日常生活の空間を別にして、週末のデートや稀な宿泊・旅行の時だけに会って親密な時間を過ごすような恋愛期には、お互いに『自分の最も理想的な外観と内面のペルソナ』を相手に示すことが出来ます。ペルソナの原義はラテン語で『人格・個性』といった意味ですが、ここでは、ユングの元型論(アーキタイプ)に従ってペルソナ(仮面)といった意味で使っています。つまり、単一の本質的な人格といった意味ではなく、環境適応的な『仮面』としての多面的な人格特性のことを指してペルソナと言っています。

ペルソナというと『本心を表出した真実の自己』ではない『本心を隠蔽した偽りの自己』といった印象を受ける方もあるかもしれません。しかし、社会生活の中で余ほど演技的なペルソナを使いこなしている人でない限り、無理してペルソナを作り上げているという意識はあまりありません。 多くの人は、ペルソナと真実の自己との区別をあまり意識することなく、適度なペルソナを使って周囲の人間関係や環境にうまく溶け込んでいます。社会生活における最低限の規範やマナーを守ろうとする場合にもペルソナが働きますし、対人関係において無用な対立を避ける為にとる好意的な態度もペルソナによって生み出されると考えることが出来ます。

ペルソナを被って恋愛相手の前に現れることによって、『観念的な理想化』を生み出し相互的な欲求を高い水準で保つことができます。特に、恋愛の初期においては、相手の生活行動や性格特性について未知の部分が多いですから、相手の色々な事柄について「より良くより深く知りたいという意欲的な想像力や好奇心」が掻き立てられやすくなります。自分の長所や利点を強調したペルソナとお互いの豊かな想像力によって形成された『観念的な理想化』は、交際期間の長期化や生活時間の共有によって低下し、それと合わせて『現実的な安心感や長期的な安定感』といった心理へと移行していきます。

『排他的な独占欲求から協力的な親和欲求への移行』『刺激的な非日常性から安定的な日常生活への遷移』『個別的な対人魅力の評価から総合的な人格性(存在そのもの)の相互承認への進展』を円滑に行えるか否かという課題が、長期的な交際や結婚生活においては中心になってきます。ペルソナによる理想化といった話をしてきましたが、ここからは冒頭で述べた『恋愛の対象を獲得できない問題』と『恋愛の関係を維持できない問題』について考えてみたいと思います。

恋愛の対象を獲得できないという問題では、対人魅力を高める事とコミュニケーション・スキルを工夫する事、異性との接触機会と新規な出会いの頻度を増加させる事などが問題解決のポイントとなってきます。 (ここでは、自分と相手の持つ魅力や特性のバーター(交換)によって恋愛・結婚がなりたつという公平理論を前提として考えますので、自分の魅力や特性に一切の関心を寄せてくれない異性との関係については触れません。)

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対人魅力の構成要因

  1. 環境的要因……住居・学校・職場が近いなど、実際に出会う機会の頻度が高かったり、言葉を交わす会話の場面が多かったりすると相手への好意が生まれやすくなり対人魅力が高まる。
  2. 外観的要因……美しくて整った容姿とスタイル、愛嬌のある可愛らしい表情、恰好よくて端整な容姿とスタイルなど優れた外見は、相手の肯定的な注意関心を引き付けやすく対人魅力が高まる。
  3. 生理的要因……強い不安感を感じて落ち着かない時や恐怖を感じて誰かを頼りにしたい時、見知らぬ場所や困難な状況で孤独感を感じている時などには、誰かと一緒にいて不安を緩和したいという心理状態になり、一緒にいてくれる人の対人魅力が高まる。気分の悪い時よりも、気分の良い時のほうが、相手に対する好意が高まる傾向がある。
  4. 性格的要因……趣味や価値観が共通していたり、自分に対する行動や発言が共感的で支持的である場合などには、相手の性格に対する好意が起きやすくなり対人魅力が高まる。

コミュニケーション・スキルには、こういった意思疎通や話題の選択、アプローチの仕方さえ取ればどんな異性にも通用するという黄金則はありませんから、相手の性格・趣味・価値観・感情表現などに合わせて臨機応変にコミュニケーションのとり方を工夫していく必要があります。

いずれにしてもコミュニケーションは、自分の側からの言語や表情、雰囲気の伝達だけで終わる単方向の行為ではなく双方向的な相互作用によって展開する行為なので、相手の反応や表情、言葉に対応した言動をその都度とっていく必要があります。また、コミュニケーションの成否に関わらず、外観的な魅力や全体的な雰囲気といった感覚的あるいは感性的な要素によって、自然な流れで恋愛関係へと進展することも多いので、一概に言語的コミュニケーションに秀でた社交的な性格の人が恋愛関係で有利だと断言できるものでもありません。

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対人魅力を高める典型的なコミュニケーション・スキル

  1. 相手の功利主義的な欲求に応えるコミュニケーション……自分の実力・長所・環境的優位などに関する自己顕示欲求をストレートに表現することによって、自分と付き合うことによって何らかの功利(結果としての利益)を得られることを示すコミュニケーション。自己顕示や自信過剰な言動に対しての評価は、相手の価値観によって好き嫌いが分かれるが、所得・地位など経済条件や家柄・財産など環境要因を重視する異性には効果があるだろう。また、それらを明示しなくても、そういった功利主義的欲求を満たすことの出来る条件的背景を有することが相手に伝わっていれば、何らかの好意や関心を呼び起こす可能性はある。
  2. 相手の倫理的純愛性に誠実に応えるコミュニケーション……ロマンティック・ラブイデオロギーのような唯一の相手と情熱的な恋愛をして結婚に向かいたいという異性に効果の高いコミュニケーションで、「排他的な純愛感情」や「裏切らない誠実さ」を全面に出したコミュニケーションである。失恋による悲哀感情が十分に癒えきらない状態にある人や性的道徳意識の強い人、恋愛の倫理性に対するこだわりの強い相手などには効果的なコミュニケーションである。それと同時に、全ての恋愛において多かれ少なかれ要求される意志表示の形でもあるが、相手に一切の好意がない状態で自分の側の一途な純愛性を強調し過ぎると執念深い印象を与えて逆効果のこともあるかもしれない。
  3. 相手との心理的距離を操作するコミュニケーション……ある程度の親近感が生まれてきた相手に対して意図的に自分から心理的距離を開くことで障壁をつくり、相手の恋愛感情を強めるようなコミュニケーションである。自分の独占欲求を弱くみせることで、付き合って以降の「束縛の弱さ」や「相手の自由の尊重」の念を伝えることができる。その一方で、相手の側に対して強い興味や好意がない場合には、殆ど有効性がなくそのまま二人の距離は開くだけである。また、相手の性格傾向が、相互に束縛し合う濃密な恋愛関係を望むような性格や依存性・没頭性の強い性格である場合には、自分の恋愛相手としては冷淡過ぎてあまりふさわしくないと捉えられることもある。
  4. 相手の性的同一性に関係した自尊心を満たすコミュニケーション……相手の性的魅力を猥褻さや低俗さを強調することなく自然に承認して、相手の異性関係に対する自信を高めるようなコミュニケーション。女性らしくあることや男性らしくあることといった社会的ジェンダーに対してその人がどういった価値観を抱いているかによっても変わってくるので、一概に典型的な女性的魅力や男性的魅力を称賛する言動を取れば好印象を与えられるというわけでもない。しかし、一般に自分のヘアスタイル、ファッション、身体のスタイル、容姿の造形などについて高い評価をして貰うことで、相手への好意や関心は高まる傾向があるとはいえるだろう。余りに見え透いたお世辞やご追従の場合には、軽薄でいい加減な人物という印象を与えて逆効果の場合もあるかもしれない。
  5. 相手の人格的価値を無条件に承認するコミュニケーション……相手の全体的な人間性や価値観を無条件で受け容れて同意してあげることで、そういった人格的な価値の承認を求めている相手に好感や支持の気持ちを伝えることが出来る。一般的に、心理学で『好意の返報性』というように、相手の良い部分を見つけて褒めてあげたり評価してあげるほうが、相手から好意や愛情を返してもらい易い。その意味では、天邪鬼になってわざと相手のコンプレックスや欠点を指摘して揶揄するような子供っぽい好意の表現は、あまり異性に対して良い印象は与えないだろう。特に、髪型が似合わないとか、洋服のセンスが悪いとか、性格がネガティブだから変えたほうがいいとかいった『相手の今ある状態や性格』を否定してから入る『アドバイス型のコミュニケーション』は、基本的に自分に対する評価や信頼を失う方向の結果に傾きやすい。アドバイスするのであれば一定以上の信頼関係を築いてからか、まず相手の現状をしっかりと肯定してから行うというのがいいだろう。
  6. 相手の知的趣味に対応するウィットを効かせたコミュニケーション……多種多様な趣味や娯楽のある現代社会ではどういった知識や教養が相手の求める話題や面白さにつながるかの予測は難しいが、相手と自分の知的好奇心や基本的趣味がオーバーラップする場合には自分の持っている知識をうまく応用した面白い会話を展開することで相手の好意や敬意を獲得することが出来るかもしれない。しかし、理性的な対話や教養趣味の薀蓄を好まない人も多くいるので、一概に自分の知的趣味を無際限に展開すれば相手の関心を引き寄せられるわけではない。自分の趣味を押し付けるのではなく、相手の趣味嗜好に対して自分も興味を持ち、その感性や価値観を尊重することで親近感を高め距離感を縮めることができる。
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また、コミュニケーション・スキルの巧拙以前の問題として、『過度の自己批判的認知・異性に対する羞恥心・過剰な欲求と行動の自制』などがあるが、そういった積極性や能動性の不足の問題を乗り越える為には話しやすい相手(異性)とロールプレイの練習を繰り返してみたり、自信の欠如を補うような認知の転換や長所の発見をするように意識すると良いでしょう。

異性との人間関係を構築する前段階としての『内向性や内気さ、シャイネス(恥ずかしがりや)』の問題は意識せずに自然に克服できることも多くあります。自分の魅力を認めてくれる人との偶然の出会いや出会いの多い環境などから良い影響を受けたり、自然な加齢現象によって他者への敏感さの低下や自意識過剰の抑制が起こり異性とのコミュニケーションを楽しめるようになったりします。

ここまで、『恋愛の対象を獲得できない問題』についての話をしてきましたが、恋愛の関係を維持することや結婚生活を順調に営み続けることは、ある意味で恋愛の対象を獲得することよりも難しい面があります。 恋愛関係の初期には陶酔的な幸福感や独占的な欲求を強く感じやすいので、相手の感情に対する配慮や考えに対する共感が働きやすくなります。

しかし、交際期間がある程度長くなってきたり、結婚して生活時間を共有しだすと、程度の差はあれ相手に対する興味や欲求が弱くなったり、新鮮味が薄れて二人の関係に倦怠感を感じやすくなったりします。 勿論、愛情欲求の強度や関係性の新鮮度の低下には大きな個人差があり、何十年経っても相手との親密で深い愛情でつながり続けられるカップルや夫婦も数多くいます。

『夫婦関係は恋愛関係とは異なり、経済生活の設計と家族関係の維持に本領があるのだから、恋愛感情を相手に伝える必要はない』という価値観を持っている夫婦は少なからずいます。その価値観を夫と妻の双方が共有できていれば問題ないケースが多いのですが、双方の夫婦生活への期待や価値観が食い違っている場合には知らず知らず関係が冷え込み、お互いへの愛情や関心を結婚生活の長さに比例して失っていくケースがあります。

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日本の場合には、特に、結婚する前までは女性関係に積極的でロマンティックな口説き文句を盛んに囁いていた男性でも、結婚してしまうと急に奥さんに対する積極的な関心や対話欲求を失ってしまう人が目立ちます。奥さんへの愛情を伝える行動に異常なシャイネス(恥ずかしさ・気後れ)を感じているだけという場合もありますが、『自分たちは以心伝心のコミュニケーションが成り立っているので、わざわざ言葉にして相手への愛情や感謝の気持ちを伝える必要はない』ということを一方的に盲信している場合もあります。

夫婦間、恋人間のコミュニケーション頻度が下がり、無口な心地良くない沈黙の時間が多くなってきてるように感じられる時には、愛情の確認や感謝の伝達を積極的に行う会話をしてみるといいかもしれません。 年齢や交際期間に関係なく、好きな相手に自分の感情や考えを理解して受け容れて欲しいという欲求は必ず(潜在的にであるにせよ)存在しますし、夫婦や恋人の間では『自分の弱さや欲求や淋しさ』といった社会環境で出し難い感情を積極的に言葉に出来る関係であるほうが望ましいといえます。

時に、激しい気分の落ち込みや強度の不安を感じていても、配偶者や恋人にその気持ちや感情を伝えることが出来ないという人がいます。強い抑うつ感や億劫感をはっきり相手に伝えてしまうと理解してもらえずに嫌われてしまうのではないか、いつまでもうじうじとしていたら初めは優しくしてくれてもいずれ見捨てられてしまうのではないかという心配を抱く人も多いと思いますが、長期的な信頼関係や安定した家庭生活を維持するためには『明るく楽しい話題だけでなく暗く悲しい話題も共有できる関係』を築いていかなければならないと思います。

『自分の価値観に対する共感的な理解・苦しみを共有してくれる慈愛・相手にとって特別であるという存在意義・外部で見せられない自己の開示』などを結婚生活や恋愛関係の中で実践していければ、『恋愛(結婚)の関係を維持することの困難や離婚の危機につながるリスク』を未然に回避していけるのではないかと思いますが、『日常生活の習慣化や倦怠感』をうまく潜り抜けていくのはなかなか難しいものです。

家庭生活に空虚さを感じ、夫婦関係の維持への無気力を感じ出すと、違う異性に惹かれる不倫の問題だけでなく、ギャンブルやアルコール、過剰な買い物など特定の行為にのめり込んで自滅的な状況に落ち込む「嗜癖(依存症)」やそれに付随した「機能不全家族」の問題が生じてくることもあるので、家族のメンバーに対する愛情や関心を持ち続け、その肯定的な感情を言葉で伝えるというのはとても大切なことです。

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恋愛(結婚)関係を破綻させない適切な距離感と情的コミュニケーションの必要性

今回は、前に書いた『恋愛関係の維持の話題』に関係した補足記事を少し書いてみようかと思います。恋愛(夫婦)の関係を維持することが難しくなる場合によく見られる組み合わせには、『愛情表現が過度に苦手な男性』と『愛情表現を強く求める女性』の組み合わせや『お互いに相手の短所や欠点しか話題にならない二人・共通の話題や趣味などの接点がまるでない二人』の組み合わせがあります。

一般的に恋愛関係や夫婦関係において期待されるものとは何でしょうか?色々な観念や感情やモノをそれぞれが思い浮かべると思いますが、恋愛(夫婦)関係の根底にあるのは、実存的孤独の悲哀を和らげる『相互的な存在の価値承認』ではないかと私は考えます。生物学的な遺伝子の保存だとか社会学的な社会の構成単位としての家族形成だとか、心身の成熟の現れとしての恋愛や社会的責任の遂行としての結婚だとか……色々な根拠を挙げて恋愛関係や結婚関係を説明することは出来ますが、自然な人間心理として考えればこの世界をただ一人孤独に生きる淋しさやつらさに耐えられないという弱さに根ざした面があるかと思います。

何故、一人で生きる事に抵抗や孤独を感じるのかという原因を究極的に遡れば、子孫継承を促す“遺伝的な生理学的メカニズム”や集団生活を可能にする“適応的な行動制御”があるのでしょうが、通常、そういった生物学的な回りくどい根拠を憶測して恋愛しようとか結婚しようという決断をする人はまずいません。

人間には仕事や勉強、思索といった一人でないと出来ない行為をする場合などある程度の孤独が必要ですが、『永続的な完全な孤独』となるとなかなかその状況に耐え切れる人はそう多くいるものではありません。「必要とするある程度の孤独」には、先天的な気質や後天的な性格特性によって大きな個人差がありますが、相当に非社交的で孤独耐性の強い人であっても、一週間に一回程度は電話やメールであってもコミュニケーション欲求を覚える事が多いと思います。

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あるいは、積極的に自分から会話や行動に参加しなくても、インターネットでの議論や他者の言葉(文章)を閲覧することにも何らかのコミュニケーション欲求が潜在していると解釈することが出来るでしょう。余りに忙しい日常生活を送っていて、膨大な人間関係のネットワークにいつも組み込まれ続けている人の場合には、人里離れた別邸でのんびり孤独な時間を満喫したいという人もいるとは思いますが。

恋人や配偶者でないとしても、友人や知人などと何らかのコミュニケーションを行ったり、娯楽や遊びで楽しい時間を共有したいというのが一般的な人間の心性ですし、『他者の視線や評価』を無意識的にせよ求めてしまう事によって全ての社会的行為が価値あるものとして成立しているという事も出来ます。恋愛の本質を『相互的な存在の価値承認』といった部分におきましたが、それを実際の交際や結婚で持続していく為には『愛情表現の言語的コミュニケーション』『相互理解のための素直な自己開示』が必要となってきます。

自分の感情や欲求を抑圧しやすい内向的で消極的な人ほど、明示的に相手の存在価値を承認する行動や発言をすることを躊躇する傾向がありますが、こういった内気さや内向性の話題を中心として書かれた本にファウスト・マナーラの『本当はタカなのにヒヨコだと思っているあなたへ』というものがあります。この本は、心理学的な知識の概説書ではなく、著者の臨床経験を踏まえたエッセイといった感じで内容はあまり深くありませんが、「性格特性の内気とペルソナ(隠蔽的な仮面人格)の問題」に焦点を絞った内容になっています。

この本の中で、(ある程度交際期間の長い)カップルの関係性を維持する妨げとなる抑制的で自己開示の苦手な性格として以下のようなものが挙げられています。訳文があまり良くないのですが、とりあえずそのまま引用しておきます。

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1.自分を抑えて相手に合わせる人

彼らは英雄というより聖人である。相手に依存せずにはいられず、その状態に嵌りながら、そこからメリットをひきだそうとする。このタイプの人は、男女を問わず相手にとことん尽くしてしまう。 男なら自分のことはそっちのけにして、家の中でも外でも自分の義務を申し分なく果たそうとする。女なら昔ながらのよき妻よき母親に徹し、要するに家庭の天使になる。それがいいと、歴史も昔から教えているではないか、と考えるのだ。

(中略)

彼らは自由に振る舞いたいという自分の内部からの声には耳を貸さず、そのいっぽうで、相手が言ったりしたりすることにはほとんど口を挟まない。

2.愛を守ることに積極的な人

彼らは頼もしい活動家で、傍から見るよりカップルの絆の強さを信じている。少しは飛躍もしてみたくて、そのためにはまず、頼りになるしっかりした愛情的基盤が必要だと考える。安全を保障してくれる愛情にひびが入るのが怖いから、感情面でかなり自分を抑え、それが心理的な負担になっている。彼らが活動的なのは、負担を軽減するためにつける仮面である。

活動すれば、相手の注意を引き、時には褒められもして、愛もそれだけ深まるだろう。活動によって実際より見かけ上のことのほうが多いけれど、とにかく相手より優位に立つことも不可能ではない。別に優位に立ちたいわけではないが、少なくとも釣り合いはとっておきたい。彼らは自己評価が低いから、敵はどこに隠れているか分からないと思い、カップルの関係についても神経過敏なのである。

3.相手との間に距離を置く人

このタイプの人は丈夫なゴムで壁をつくる。自分を尊重し、そのために相手にそっぽを向くこともある。しかし、時と場合によっては、相手に合わせることもある。けれども、実際はなるべく邪魔されたくないからそうしているだけである。争いはほとんどせず、相手が仕掛けてくれば応じるが、あまり巻き込まれたくはない。 抗議や非難はさらりとかわし、何かが起こると、出来るだけ波風を立てずに逃げようとする。

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4.相手に構わず我が道を行く人

元気が良くあけっぴろげで、二人の関係に真に創造的な刺激を与えることができる。感情的に全く自由で、お互いに好きな行動をするために距離ができても、相手を失う不安などこれっぽっちももたない。内気の度合いは非常に少なく、相手との関係でも自分をしっかり意識している。活動的で欲求や欲望もたやすく口にし、相手に受け容れられない心配もしない。

このタイプの場合、相手がこっちの意向に従うような人なら、決して邪魔はしないでとびきり良いパートナーになる。相手がこっちの行動を制限するような人だと、容易にいいなりにはならない。 男女の別なく態度がどこまでもきっぱりしていて、ボスの役目を果たし、カップルの生活を全て自分好みの方向へ持っていく。

自己の感情表現が自己中心的になりすぎてしまうと心地良いコミュニケーションの形を為さなくなり、相手の行動や愛情を独占的にコントロールしようとすると関係が破綻したり、空間(家庭)が息苦しく圧迫感を感じるようになったりします。かといって、相手に対する欲望を抑圧して、相手からの干渉や影響を最小限にしようとすると、距離感が開きすぎてしまいますね。距離感を広く取ると相手からの束縛や干渉を感じずに済む一方で、次第に愛情も冷え込んで関係が疎遠になっていってしまいます。良好な関係を維持しようと思うなら、ある程度率直な感情と欲求を取り交わすコミュニケーションが必要とされるということでしょう。

異性関係に限らず友人関係でも、余りに距離を広く取りすぎると接触頻度が減って、相手に対する興味関心が薄らいでいく傾向がありますが。自分のことをより良く理解して貰って必要な愛情を得ようと思うなら、相手のことを深く理解しようとする努力を続けることや自分にとっての相手の存在の重要性を積極的に伝えるコミュニケーションを行うことが大切になってくると思います。密着感・束縛感を適切な水準にコントロールしてお互いに自由な時間を尊重しながら、必要に応じて親密な時間を持つように出来ればいいのですが、二人にとっての最適な距離感が食い違っている場合にはなかなか難しい部分があります。

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■過剰な人間関係へのしがみつきの問題とパーソナリティに関する障害

ここでは、恋愛をテーマにしているので、病的な孤独恐怖や他者への依存性といったものについて詳述しませんでしたが、『他人に愛されていないと情緒が不安定になる・他人に愛されず孤独な状況にある自分は不幸で価値がない・この世界で最も惨めなのは他人の愛情や関心が得られないことだ』といった他者依存的な認知が強まると「情動制御の困難や対人関係の混乱」といった問題が生じてきます。

「恋人や配偶者の有無」に自分の人生の価値や存在意義の全てを注ぎ込んでしまった場合には、「人格障害のクラスターB(不適応な衝動性・攻撃性や不安定な対人関係を中軸とする群)」に分類されるパーソナリティの問題を引き起こす恐れがあります。衝動性や他者の操作性が最も強い境界性人格障害の場合には、他者の愛情や関心を得る為に自傷や自殺企図などを行って手段を選ばなくなったり、過度に依存的で衝動的な異性関係を繰り返すなどの行動が顕著に見られるようになったりします。

但し、境界性人格障害や自己愛性人格障害といったパーソナリティの偏向の問題は、他人に与える迷惑や損害の側面だけで判断するのではなく、その人の主観的な苦悩や不適応の側面にも配慮していかなければなりません。表面に現れる強い自己主張や激しい感情表現とは裏腹に「自己に対する絶望的な空虚感」を背景に持っていて、その空虚感を埋め合わせる為に他者の存在や献身を必要としているというのが特徴でもあります。反社会性人格障害の場合には、他者の犠牲や道徳感情の無視によって、人生に対する虚無感の払拭や歪んだ欲望の充足を果たそうとしますが、その本質は他者の愛情や評価が得られない事による反動形成といった面があります。

『他者が自分を愛したり利益を与えてくれないのであれば、傷つけたり奪ったりしても構わないじゃないか。自分を傷つけ無視してきた当然の報いである』という極端な反社会的な防衛機制と歪曲された基本認識が反社会性人格障害にはあり、そういった人格の形成過程には複雑に絡み合った外傷体験があったり、器質的な発達障害(行為障害・情操欠如及び感情鈍麻)の問題が介在していたりします。連続殺人鬼と呼ばれる人や快楽殺人者と言われる人たちは、サイコパスという異常人格構造の概念で括られたりもしますが、DSM-Ⅳの分類では重篤な反社会性人格障害に該当し、他者の権利意識の全てが欠損した人格構造といえるのではないかと思います。

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過去の性格心理学には、フランスのデルマとボルの性格発展論といったものがあり、社会と他者への有害性として『精神活動の異常亢進(興奮過剰)』が問題視されていましたが、これなどは現代の臨床心理的コンテクストからはやや時代錯誤な観があります。現代社会では、暴力的な反社会性(精神活動の異常亢進)も問題ではありますが、知的な犯罪行為(精神活動の表層的正常性を維持した犯罪群)の深刻性のほうが高くなっています。

また、デルマとボルの時代には『社会活動に参加しない非社会性・対人関係に消極的な非社交性』は心理学的・精神医学的な問題とする必要がないという判断が一般的でしたが、現代の日本ではひきこもりやNEETといった非社会的行動の問題も心理学的対処の範疇に含められてきています。しかし、ひきこもりや非社交的な人格など非社会的問題行動を医学的治療と安易に結びつけるような議論には注意が必要だと思います。

デルマとボルは、社会秩序を積極的に破壊する性格傾向を病理的なものと考え、情動性(精神活動性)が過剰である激情型の「情動病」や道徳的善性が欠如した反社会型の「倒錯病(異常性格)」の分類を考えました。長期間部屋から一歩も出ず、反社会的な妄想に耽っていたり、通常の会話の成立する余地がないなど深刻度が高いひきこもりの場合は別問題ですが、本人の劣等コンプレックスに触れない範囲で家族と会話をしていたり、友人とは電話やメールで普通の雑談をしていたりする場合には特別な精神疾患の心配をする必要はありません。

意味不明な言動や妄想幻覚、完全な無為(一切の興味関心の喪失・気を惹くための演技ではない同一姿勢の長時間継続)など精神病圏の病理性が明瞭であるひきこもりの問題も確かにレアケースとして存在しますが……大半の非社会的問題は、挫折や落胆の経験に基づく一時的な心因反応や自尊心の絡んだ環境不適応の問題に帰結されます。ひきこもりのケースで多いタイプは、経済活動や学業活動といった本業(責任・義務・利害・評価が絡む行為)には無気力や不安を感じるが、それ以外の趣味の分野(インターネット・読書・娯楽)には積極的に興味を持って行動することも出来るというタイプです。あらゆる活動領域にわたって完全に抑制状態にあるという人は滅多にいませんし、うつ病のように「性欲消退・睡眠障害・摂食障害の生理的欲求の低下」が顕著であることもそれほど多くありません。

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性嗜好障害の圏内に入るほど歪んだ性欲の嗜好があったり、犯罪的な性欲の発露が見られる場合には、セクシャリティの問題に対応したカウンセリングも必要になるかもしれませんが、一般に、性欲の対象や充足方法に関する問題と非社会的問題との間に明瞭な相関関係はないと考えられます。多くの場合、病理性のある医学的な問題として考える必要はまずなく、職業選択の困難からくるアイデンティティの拡散や対人スキルの不足による集団活動への不適応、理想自我と現実自我の極端な乖離などがひきこもりの原因になっていると考えたほうがいいと思います。

青年期前期に頻発するスチューデント・アパシーが長期化して、モラトリアム(社会的アイデンティティ選択の猶予期間)が遷延したまま20代の時期を終えたり、家庭環境における虐待や過保護の要因、学校でのいじめなど帰属集団からの疎外といった外傷体験から経済活動へ適応できなかったりといった問題が圧倒的に多いといえます。非社会性や対人関係の回避といった事柄については、性格形成や社会環境との関連性を踏まえて、またゆっくりと考えてみたいと思います。

人生の幸福や物事の喜びを奪う『不合理な信念と不適応な仮定』について

前回の記事で、『価値判断のスキーマの複層化』の意義を提示するために以下のような比喩を用いた文章を書きました。

一本足の一輪車より、二つの車輪を持つ自転車やバイクのほうが安定感があり速いスピードがでるように、更に、4つの車輪を持つ自動車のほうが転倒する危険が小さく居住性が良いように、人間の興味や喜びを生み出す認知の価値判断の対象も複数であるほうが人生に余裕や安定感を生み出します。

一本足の一輪車とは、ユングの性格理論であるタイプ論を引いて言えば『過度な内向性の性格・過度に外向性の性格』のことです。『唯一の価値判断基準を信奉していたために、一本の足が折れれば生命が断たれてしまうかのような絶望を長期間抱き続けてしまうこと』が一本足の一輪車の最大の弱点です。一輪車のみで人生を突っ走っている人の心理的特徴とは『大切なものを一つ喪失することで、情動のコントロール不能に陥り、人生全般に対して投げやりになり完全に意気阻喪してしまう』ということです。

具体的に『認知の歪み』が原因で精神的危機を致命的なレベルに悪化させる代表例としては、『社会的成功への過剰な野心による挫折感の永続』『対人関係への過度な依存による悲哀の永続』『異常な自己否定と罪悪感による精神抑制』『爆発的な怒りの制御不能』などがあります。『野心的欲望・社会的成功の希求』はないよりもあったほうが人生を経済的に豊かに楽しめる確率が高いのですが、それだけに『人生を生きる意味』の全てを集中させてしまうと、今獲得している成功や地位が失われた時に一気にガクンと精神的活力が落ち込んでしまいます。

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この固定観念からの気分の落ち込みが極端な人になると、「リストラされてしまった自分は人間として何の価値もない」だとか、「離婚されてしまった私にはこれから先、何も喜びはない」とか「相手から馬鹿にされたら、それ以上の手段で相手を侮辱したり傷つけなければ私は負け犬だ」といった偏った悲観的な認知や自己破壊的な行動に行き着いてしまうことがあります。臨床的な認知理論に依拠すれば、『自己否定的・将来悲観的・他者不信といった特徴を持つ認知の歪み』が、『病理水準に分類される不快・不安・抑うつ・憂鬱・絶望・激怒・悲哀などの激しく長期持続する感情』を生み出すことになります。

自分で自分を破滅させるスキーマ、自分で自分を苦悩させるスキーマは、ある種妄想的な趣きのある『非合理的で不適応な仮定』を生み出すことがあります。健康的で明るく楽しい精神状態を維持しているときには、『非合理的かつ不適応な仮定』を頭の中で自動的に行うことがありませんが、うつ病など気分障害や人格構造の歪曲といった問題が介在している場合には特に『非合理的かつ不適応な仮定』が自動的に起こりやすくなります。

それが認知療法のワークシートで記述する自動思考の具体的内容となるわけですが、自動思考の背景にある『非合理的(非論理的)な自分を幸せにしない仮定』の典型的なものとして以下のような仮定(悲観的な自動思考を導く暗黙の仮定)があります。

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自信を欠如させ、生活への適応を喪失させる『非合理的な物事の仮定』

1.他人の意見が常に客観的に正しいという仮定

誰かから批判や注意をされた場合に、いつも自分のほうが間違っていると考えてしまい、他人の批判や反論の誤謬や矛盾について考えることが出来なくなってしまう。その結果、いつも敗北感や屈辱感に悩まされ、実際以上に自己評価を低くしてしまい抑うつ的な状態を引き起こす。この仮定の一番の問題は、『自分の意見や主張に自信が持てない』ことであり、その歪みの根本は『自分と他者が対等な価値を持つ人間であることを忘れていること』『一度でも反論や批判を受けると、自分が相手よりも価値が劣っていると考えてしまうこと』である。

2.社会的活動(職業・仕事)の成果によって人間の価値は認識されるという仮定

他人は、自分が仕事や学問でどのような業績を上げてきたのか、経済的にどのくらい裕福であるのかのみに注目していて、自分が他人から大切にされるのはそういった社会活動の成果があるからであり、それがない自分は全くの無価値であるという仮定である。

高度な専門知識や優れた経営手腕を持っていて、社会的に有益な活動をして高い評価を得ていることは素晴らしいことであるが、『その社会活動の成果と報酬のみが人の価値の全てだ』と考える仮定は、生活状況の変化(リストラによる失職・経営破綻・資格剥奪・景気悪化など)による精神的危機に対して非常に脆弱であるだけでなく、あなたの人格的な魅力を慕ってくれる周囲の人物を遠ざけてしまうことがある。

この仮定の問題は、『心理的に結ばれた人間関係を信頼できないこと』であり、その歪みの根本は『仕事を失ってしまったら、自分には生きていく価値がない』『名誉が傷つけられ地位を剥奪されたら、自分を大切にしてくれる人などいないだろう』ということである。

3.完全主義を徹底しないと世間や知人から軽蔑され見捨てられるという仮定

他人は、完璧に物事を執り行う人、一切のミスや間違いを犯さない人だけを好意的に取り扱い、愛情を注ぐのだという現実状況と矛盾した仮定である。『あらゆる物事を徹底的に完全にやり遂げること』と『他人から愛情を注がれ価値を認められること』が強固に結びついている為、娯楽や遊びを共有する気楽な人間関係を楽しむことが出来ない。

この種の非合理的な仮定の特徴は、『他人から見捨てられない為には、私は完全であらなければならない』という強い他者の愛情と信頼への欲求であり、それを手に入れるための手段や条件を独断的に勘違いしていることである。例えば、失恋(離婚)をして、大切な相手と別れることになった場合などに、完全主義思考の悪循環に陥る人などがいる。

他の相手から恋人を奪われるといった失恋(離婚)の原因の多くは、あなたが不完全で客観的な能力や成果が劣っていたからという理由ではない。恋人は、完全な人間や素晴らしい能力などを求めていたわけではなく、自然に(身体的魅力や性格の親和性、コミュニケーションの円滑性などの要因で)他の異性に惹かれただけということが多いのである。

そういう場合に、『自分の何処が悪かったんだ?』という懐疑に陥り、『もっと完璧な自分であったならば彼女(彼氏)は自分を見捨てなかったはずだ』という『他者への優越』を目指す結論へ飛躍してしまうのがこの自己批判的な仮定なのである。

こういった完全主義傾向と人間関係を結び付けすぎる仮定を持つと、恋愛や結婚に限らずあらゆる人間関係を純粋に楽しむことができなくなり、全ての人間関係が『必要条件に規定された結びつき』に落とし込まれてしまう恐れがある。

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4.恋人・配偶者・親しい友人の有無が自分の価値を決めるという仮定

人生の価値や幸福の条件とは、自分を愛して尊敬してくれる他者がどれだけ多くいるかという事に依拠しているという仮定である。幸福の最低条件として、恋人(配偶者)の存在がなければならないと考え、周囲の人たちから人格的価値を認められる為には、多くの友人を持たなければいけないと考える。この非合理的な仮定の根本にあるのは、『孤独であることは自分が不幸であることを意味するので、孤独にならないように無我夢中で努力しなければならない』という考えである。

『孤独な生活状況に対する病的な恐怖と嫌悪』は『自分を愛してくれる他者・自分を尊敬してくれる他者・自分の元に集まってくれる他者の存在の有無が人生の価値を決める』という価値判断と密接に分かち難く結びついている。この仮定が非合理である理由は、『対人関係の解消(別離)やトラブルによって、生活領域全般が障害されるから』である。

この仮定に基づいて生きている人は、『自分が懸命に勉強するのは彼女のためである』『自分がお洒落に気を使うのは他者の関心を惹きつけるためである』『自分が必死に出世しようとするのは妻のためである』という信念が覆されたときに、それに代わる価値がないので、一気に人生に絶望し、物事に対する意欲や関心の全てを喪失してしまう。

孤独に対する恐怖が他者への強度の依存性を生み、自分一人では何もできないという状況に陥るリスクを回避するためには、『人間関係はとても大切なものだが、それが全てではないし、失った関係はまた別の相手と取り戻すことが出来る』という自己肯定的な認知を持つと良いでしょう。

5.人間社会の本質は弱肉強食だから、いつも強くあらねばならないという仮定

この仮定は、「実現不可能な完全主義」に基づく「終わりなき強迫的な努力と焦燥」に結びつき易い仮定であると同時に、世界の事象を二分法的に簡略化し過ぎているために、人生の出来事の喜びや充実の多様性を十分に味わうことの出来ない非合理的な仮定である。

人間社会には、競争原理が優位に働くシビアな弱肉強食の領域もあれば、共感性や人情が優位に働くマイルドな相互支援の領域もあるというバランス感覚が大切なのであり、社会の構成員全てを『競争相手(自分を打ち負かそうとする敵)』と見るような人間観は、人生を殺伐とした余裕のないものにしてしまう。『強い自己の精神』を保って、苛烈な競争の場に身を投じる勇気も大切である一方で、『弱い自己の精神』を素直に見せることの出来る相手と過ごす時間も大切である。激しい競争の毎日ばかりでは心身の疲労が限界に達してしまうので、張り詰めた気分を和らげることの出来る場の確保も必要である。

いつも強靭で不動な自己を維持し続けながら、他人と戦い続けることを人生の本質と認知していると、自分が競争場面で劣勢に立たされ負けた時に、一気に精神的なフラストレーションに押しつぶされてしまうだけでなく、苦境を支援してくれる仲間も失ってしまうことになる。

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これらの仮定を複数もっていて、それらの仮定が自分の現実的状況を支持している場合には、自信を増進させ、環境への適応能力を高める可能性もありますが、これらの仮定のただ一つのみを盲信する場合には、その仮定が意味する価値が自分から失われてしまった場合に生きる気力の全てを失ってしまう恐れがあります。もし、あなたが抑うつ感や自罰感、他者への劣等感を感じ易い情緒不安定な状態であるならば、出来うる限り、硬直的に上記の仮定にこだわり続ける生活態度を改めたほうが良いでしょう。

『自尊心の基盤となる価値観を複層化』させることを目標として、単一の不快な出来事や不合理な他人の否定的意見(拒絶的反応)によって、必要以上に感情を動揺させたり、気分を落ち込ませたりしないで済むように『認知の歪み』を変容させていきましょう。

こういった自己批判的な価値観や自己破滅的な信念を測定する評価尺度(心理テスト)として、アーリーン・ワイズマンが開発した『DAS(Dysfunctional Attitude Scale)』というものがあります。 態度の歪曲を測定するDASに拠れば、人間の価値判断基準は7つに分けられることになり、その7つの偏りを自己認識することによって『自分が何を喪失した時に極端に落ち込むのか、何に失敗した時に立ち直れなくなるのか』といったことを客観的に知ることが出来ます。

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DAS(Dysfunctional Attitude Scale)が採用する価値判断基準

1.承認依存度

2.愛情依存度

3.業績依存度

4.完全主義度

5.報酬依存度

6.全能感

7.自律性

元記事の執筆日:2005/11/26

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