トラウマの形成維持と心的防衛機制の関係:シャルコーのトラウマ認識の視座、個別的な多様性を見せるトラウマの影響:セクシャリティの外傷や家族間の虐待の再現性の問題

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個別的な多様性を見せるトラウマの影響:セクシャリティの外傷や家族間の虐待の再現性の問題


ネットの依存性とテクノストレス症候群:QOLを向上させるITライフの重要性


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トラウマの形成維持と心的防衛機制の関係:シャルコーのトラウマ認識の視座

神経症や神経疾患、原因不明の慢性疾患などを専門に研究していたパリの19世紀の医師シャルコー(Jean Martin Charcot 1825~93)は、フロイトの指導医としても有名ですが、精神疾患の病因としてのトラウマの研究もしていました。老人性疾患を含む神経医学領域の当時の権威であったシャルコーと精神分析学の創始以前にシャルコーから多くの影響を受けたフロイトについては、過去の記事でも扱っているので興味のある方は読んでみてください。

シャルコーはトラウマに関する精神病理学的な研究も意欲的に行っていましたが、フロイトとの関係では神経症に対する催眠療法を積極的に実施していたことで知られています。私が、フロイト関連の伝記で簡潔にまとまっていて読みやすいなと思うのは、先日お亡くなりになった宮城音弥氏の『フロイト その思想と生涯』ですが、精神分析の理論的な詳細を知りたいのであれば小此木啓吾氏のフロイト関連の書籍がいいですね。宮城音弥氏と小此木啓吾氏は、精神分析学をはじめとする臨床的な心理学の啓蒙書や入門書を多く書かれていて、どれも比較的とっつきやすい内容になっているのでお薦めです。

ここからシャルコーのトラウマに関する定義と理解について簡単に説明し、トラウマを形成し維持する非適応的な防衛機制について見ていきたいと思います。トラウマは完全に無かったものとして消去することは出来ませんが、自然な時間経過に従って反復性を持ちながらもその悪影響の程度を弱めていきます。また、日常生活を通常通りに送れないほどに深刻なトラウマがある場合にも、トラウマ関連症状に適合したカウンセリングや心理療法を実施することによって精神症状の苦痛を緩和して、生活環境への適応を高めることが出来ます。

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トラウマに対処するカウンセリングは、原則として、過去のトラウマの存在そのものを消去したり抑圧するのではなく、トラウマに関連する不快な感情や不適応な認知を良い方向へと変容させ、日常生活や職業活動を平静に行えることを目的とします。シャルコーは、トラウマを心に長期間巣食って悪影響を与える異物として認識し、『心の寄生虫(parasite of mind)』といった呼び方をしています。ある衝撃的な出来事が、その人にとってトラウマとなるか否かは、さきほど述べたように『外傷体験の強度』『問題処理能力』によって決まってきます。

外傷体験の強さが、圧倒的に個人の問題処理能力を上回っている場合には、心は自我防衛機制を働かせて、その『体験にまつわる記憶・感情・感覚・思考・認知』を意識の領域から排除します。精神分析的に解釈すれば、トラウマ体験は無意識領域へと抑圧されることにより、自分とは無関係なものとされることになります。このトラウマを自分とは無関係なものだと思い込み、トラウマの存在など初めからなかったものとしようとする自我防衛機制を『否認(denial)』といいます。

この無意識領域への抑圧は、言葉を換えると、体験にまつわる心理状態を瞬間冷凍するという風に表現することが出来ます。しかし、このトラウマの瞬間冷凍という防衛機制は、不完全なものであり、一時的に、苦痛や恐怖から自分を守ってくれるものに過ぎません。瞬間冷凍された記憶は完全に消えてしまうことはなく、『トラウマにまつわる感覚・記憶・感情・情動・思考・認知』は、トラウマを思い起こさせるような刺激や状況によって解凍される危険性が絶えずあるのです。

感じたり考えたり記憶したりする意識の領域から排除されて、瞬間冷凍されたトラウマは、その鮮度を落とすことなく保存されます。そして、ふとしたきっかけで解凍されることがあります。トラウマが解凍された時には、過去の悲惨で苦痛なトラウマ体験の感情や記憶が生々しく甦ってきて、フラッシュバックパニック発作といったつらい症状が起きてきます。フラッシュバックとは、過去の苦痛なトラウマのショックや光景が、生々しく甦ってくる症状で、フラッシュバックが起きた時には、それが正に今現実として起こっている出来事のように感じられることもあります。

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フラッシュバックの多くは、『今、現実として展開されている体験』として起こることが特徴で、強度のトラウマは、自然な時間経過では治癒しないということを示しています。新鮮さを失わずに瞬間冷凍されたトラウマは、自我意識から排除され自分の過去の一部として受け容れることのできない記憶ですから、日常生活では解離の状態(意識に含まれていない状態)に置かれています。トラウマに関連するような情況や感覚がトリガー(引き金)となって反復的に甦り、精神的・身体的・行動的な症状となるメカニズムは、PTSDや解離性障害の病理メカニズムと共通するものです。

トラウマは、私たちの精神と生活に深刻な苦痛や障害をもたらすものなので、私たちの精神は何とかしてトラウマの悪影響から逃れようとします。その結果、発動される自我防衛機制が、前述した『否認(denial)』『抑圧(repression)』です。『抑圧』とは、意識領域にあると苦しみや恐怖を感じるトラウマ体験を無意識領域へと押しやる機制です。『否認』とは、圧倒的な破壊力を持つトラウマを、現実には無かった出来事として否定し、自分とは全く無関係なものであると思い込もうとする機制です。

トラウマを受けた場合に特に問題となってくる機制は、『否認』なのですが、否認は大きく分けて二つの種類の否認があります。一つは、『全否定の否認』で、トラウマ体験となった過去の出来事そのものを全て否定して、はじめからそんな事件や事故は起こっていなかったのだとする否認です。もう一つは、『感情機能の否認』で、過去のトラウマ体験に付属する感情・情緒の記憶だけを否定するものです。強烈なトラウマの恐怖やショックを忘却するために、感情的要素を否認するわけですが、この否認が出来事の記憶にも及ぶようになると『心因性健忘』という解離性障害の症状が発症することがあります。

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トラウマによって生じる不快な刺激や苦痛なフラッシュバックから自分の心を防衛する為の機制として、『切り離し(isolation)』『疎隔化(alienation)』というものもあります。切り離しというのは、トラウマ体験にまつわる感情や記憶を、それ以外の精神機能と切り離して恐怖や不快を和らげる防衛機制で、『疎隔化』というのは、トラウマ体験を自分の存在とはあまり関係のないものと認知することで意識から遠ざけようとする防衛機制です。トラウマ体験は、自然な時間経過に従って完全消滅はしないが、『否認』と『侵入』を反復的に繰り返すことで、少しずつ意識の経験や記憶に統合されて有害性が弱められていくことになります。

個別的な多様性を見せるトラウマの影響:セクシャリティの外傷や家族間の虐待の再現性の問題

過去の記事で、トラウマとは具体的にどのような状況下や体験で起こるのかについて概略を述べたり、自我の統合性を障害する解離性障害とトラウマの関係を考えたりしてきました。また、トラウマが生み出す精神症状の特性として『反復性・強迫性・侵入性』を挙げて、これらの悪影響を低減させることがカウンセリングの果たす役割であり効果であることを述べ、古典的な神経科医シャルコーのトラウマ理論を振り返ったりしました。それらのトラウマに関係する関連URLは、この記事の最後に提示していますので興味のある方は読んでみてください。

今回は、トラウマの反復性と意識的な再現行為に焦点を合わせて、過去の虐待体験がもたらすトラウマの作用がどのような形で過去の苦痛な衝撃的記憶を再現させるのかの機序を簡単に説明する内容で記事を書いてみます。乳児期や幼少期に、両親(養育者)から各種の児童虐待を受けた子どもは、自己否定的な認知や将来に対する悲観的な予測が強くなり、自己破壊的な行動(リストカットやODなどの自傷行為)や自己破滅的な逸脱(反社会性のある行為や性的逸脱、暴力、非行など)を行うリスクが高くなる傾向があります。しかし、幼少期に虐待や愛情不足があって内面的な苦痛やトラウマが残っていても、性格的な歪みが起こらず、良好な信頼関係を他者と結べる人も数多くいます。

幼少期の外傷体験は、確かに各種精神疾患や生活不適応のリスクファクターとなり得ますが、職業活動や家族形成などの人間関係に何の支障も来たさないケースもあり、被虐待者やアダルトチルドレンであるからメンタルヘルスに障害を起こすとは一概には言えません。ですから、トラウマ関連事象の記憶を無理矢理に思い出して、それに原因を帰属させるような対処はかえって逆効果となる恐れがありますし、日常生活や社会活動に特段の支障がない場合には過去のトラウマに関連する記憶よりも現在の生活行動の問題の解決に注力したほうが良いケースが多くあります。

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ここでは、『トラウマの影響の個別性と相対性』を前提として以下の記事を書いていきますので、トラウマの体験があっても必ずしも世代間連鎖や人格上の問題が起こるわけではないという事を理解した上で読み進めてください。トラウマがあるから、自分は将来、子どもを虐待してしまうのではないかとかトラウマのせいで依存的で回避的な性格になってしまうのではないかといった『将来に対する過度に悲観的な予測』を行うべきではありませんし、それは実際に観察される事実と一致しません。また、『自分はトラウマ体験をしていることが原因で、将来~という悪いことが起きるのではないか?』という予期不安への意識集中を行って精神交互作用の悪影響(心身症状)を引き出すべきでもないということです。

トラウマが人間の精神や行動に与える悪影響の本質は、『自己否定的認知と自尊感情の欠落』ですが、トラウマにまつわる記憶や感情の要素を排除しようとする『否認の防衛機制』によって解離現象が精神症状として起こってくることもあります。人生を生きる過程で遭遇した事件・事故・犯罪・虐待などの強烈な外傷体験が何らかの影響を与えて発症する精神疾患として良く知られているものにPTSD、境界性人格障害、自己愛性人格障害、演技性人格障害、解離性障害、摂食障害、うつ病、統合失調症(精神分裂病)』などがあります。

トラウマの最大の特徴は、鮮度を保った恐怖や苦痛を伴う過去の体験が、生々しく何度も甦ってくるというフラッシュバックに代表される『再現性』です。長期間にわたって継続する固定化したトラウマは、精神・身体・行動・対人関係に悪い影響を与えて、DSM-Ⅳに定義されるPTSDの症状や病理を引き起こし、更にはそれを超える苦痛をトラウマ体験者にもたらします。

反社会的な犯罪行為や暴力的な他者を傷つける言動を取る人の中には、アダルト・チルドレンと呼ばれる機能不全家族の成育環境で育った人が見られることがあります。アダルト・チルドレンは、うつ病(気分障害)や不安障害、嗜癖(依存症)といった精神疾患を発症しやすいことが知られていますが、その中でトラウマ体験と密接な関係を持っているのは家庭環境における幼児虐待(child abuse)です。

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実際、心理療法やカウンセリングなどの心理的援助を必要とするトラウマの原因となっているものの多くが、幼少期の外傷体験や児童期の学校におけるいじめや暴力の問題です。特に、身体的虐待や性的虐待、性犯罪の被害を受けること、集団からの排除(仲間外し)による不登校などが、深刻なトラウマを生み出す原因になりやすい体験です。

親から子への世代間連鎖が問題となってくるのは、幼児虐待という家庭の病理であり、親から日常的に身体的・精神的・性的な暴力を受けて深いトラウマを心に持った子どもは、大人になってから自分の子どもに虐待を加えるリスクが高くなります。ウィダム(Widom)などは、この家庭内の虐待や暴力の世代間伝達を、『暴力の循環』と呼んだりしています。

幼少期の虐待や暴力によって強烈なトラウマ体験をした子どもは、思春期になって反社会的な非行行為や暴力的な問題行動を起こしやすくなるという統計調査があります。しかし、虐待を受けた人やアダルト・チルドレンの人全員が、そのような反社会性・暴力性の問題を抱えるわけでは勿論なく、全体的な割合でいえば明確な反社会性を現すのは少数派ではないかと思います。自分の虐待を受けた過去を必死に抑圧して否認しているほど精神的な問題や症状を引き起こしやすくなりますが、一般的には、他者へ危害を加える反社会性よりも抑うつ感や虚無感といった感情障害や他者への不信感といった自分自身が苦しむ症状のほうが出やすくなります。

幼少期に深い心の傷を受けた人は、何故か大人になってからも自分を侮辱したり暴行したりする相手を恋人や配偶者に選んだり、自分から危険な状況に飛び込むリスク・テイキングな行動を取ったりしやすいという調査があります。特別な経済的困窮や他の依存症(買い物や薬物依存等による借金癖)などの理由がないのに性風俗産業で働いている人の中には、子ども時代に性的虐待を受けてそれがトラウマになっている人や過去に受けた理不尽なレイプなどの性犯罪が誘因となって性風俗業界に入ったというような人がいることがあります。

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全ての人に当て嵌まるとは言えませんが、性に関する極端な抑制のなさや逸脱行為、性対象の選択の放棄(セックスの相手を一切主体的に選択しない行為)には、何らかの性に関する外傷体験や性行為に対する潜在的な嫌悪が存在している場合があります。性的虐待や性犯罪の被害に遭うことは、トラウマの再現性を強化する要因になりやすいことが臨床的に知られていますが、これは普通に考えるとなかなか理解し難い行動です。

トラウマ状況やトラウマの原因となった被害を、無意識的に繰り返し再現してしまうという現象は、どのような精神的力動によって説明できるのでしょうか?この疑念に的確に答えることは非常に難しく、当事者であっても『何故、自分がトラウマを受けた状況や人間関係をひどく恐怖し嫌悪しているにも関わらず、同じような状況を自分で再現してしまいやすいのか?』という理由について明確に気付くことができるわけではないのです。とりあえず、一般的に了解可能な『トラウマの意識的な再現性の理由』としては、以下のような理由が考えられます。これ以外にも個別的な性格特性や価値判断などが複雑に関与してきますので、一括りにして論じるのは非常に難しいですが、代表的な理由として幾つか挙げておきます。

  1. トラウマ体験の希釈化(希薄化)……過去に体験した非常に苦痛で恐ろしいトラウマ体験と似た体験を、何度も何度も反復して繰り返すことで『あの体験は特別な出来事ではなかったのだ』という事を確信しようとすること。一般的に、ある出来事や体験は繰り返せば繰り返すほど、新鮮味や刺激感が希釈されて弱まっていくので、その『反復による体験の希釈化(希薄化)』の効果によって恐怖や不安を和らげようとしている。
  2. トラウマ体験の精神的克服の試行……強烈な癒されないトラウマを抱えている人は、いつも心のどこかで『もしも、あの時、私がもっと適切な行動や有効な反応をしていたら、トラウマを負わずに済んでいたのではないか?自分が油断していて迂闊な面があったからこんな目に遭ってしまったのではないか?』という後悔や自責の念を抱えている。そこで、トラウマ体験と類似した体験を再現して、『以前とは違う行動や反応をとってそれを回避できるかどうか』を試し、それを回避することで自己効力感を取り戻し圧倒的な無力感を克服しようとしているのである。
  3. 人間関係の再現と変化への期待……幼少期から両親に残酷な虐待を受けた人でも、『大切な唯一の両親からの愛情や保護を受けたい。本当は両親はもっと善良で優しい人だったはずだから、私が変われば相手も変わってくれる』という願望を無意識的に持っている。そこで、虐待状況と類似した人間関係や家庭環境を再現し、自分が変化することで相手も変わるかどうかを確認したいという誘惑に駆られるのである。
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これらの『トラウマの再現性の理由』を頭で理解することにそれほどの治療効果はないですので、トラウマを原因とする逸脱行動や精神症状を改善するためには、トラウマを『自分の過去の歴史』として認識し受容するためのカウンセリングや治療を実施することが必要となってきます。トラウマの場合に問題となってくる再現性は、再被害を誘発するような『リスク・テイキングな行動』だけではなくて、『支配・服従という力関係に規定される虐待的な人間関係』となっても現れてきますので、トラウマのカウンセリングの目標の一つとして『トラウマの自己否定的な再現性を消去すること』が挙げられます。

トラウマとなった人間関係や家族関係の再現は繰り返せば繰り返すほど、原型のトラウマの悪影響を強めていきます。その結果、行動や関係性の再現から性格構造の歪曲(人格障害)に至る可能性もありますので、早期の実践的な対応や治療を行ったほうが良いでしょう。トラウマが原因であってもなくても『本当は自分が好きでしているわけではない自傷類似行為や衝動的行為』は抑制することが望ましいといえます。

これは、ギャンブル、買い物、薬物、アルコールなどの嗜癖問題や依存症にも共通して言えることで、本人の表層的な意識で納得していても、本当はその自滅的な行為をやめたいという理性的判断が抑圧されているだけのことがあります。何より身体の健康や正常性を損なったり、自らの価値規範(倫理観)に対する尊厳を喪失するような行為は、そのまま放置して悪化させるべきではありませんし、専門家だけでなく周囲の人たちも出来うる限り精神の健康の回復に協力していくことが望まれます。

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ネットの依存性とテクノストレス症候群:QOLを向上させるITライフの重要性

心理臨床や精神医学の分野でも、正式なテクニカル・タームではないもののパソコンやIT機器を長時間利用することによる“テクノストレス(テクノストレス症候群)”の問題が指摘されることがあります。テクノストレスという用語そのものは、アメリカの臨床心理学者クレイグ・ブロード(Craig Brod)が1984年に提唱したものです。ITとインターネットが世界で最も早く発達したアメリカで確認されて以降、パソコンの普及が進みインターネット利用者が増加した国や地域で見られるようになり、特に、『非社会的な行動パターンとの重複による現実生活への不適応』が問題視されています。

テクノ・ストレスはパソコンとインターネットの普及によって増加してきたストレス性疾患で、大きく“テクノ不安症”“テクノ依存症”に分類することができます。ネットやコンピューターに過度に依存して現実社会への適応を失う“ネット中毒・テクノ依存症”が、IT関連の仕事をしている人のストレス反応やひきこもり等の非社会的問題で指摘されることがあります。これは、病理的な状態であると同時に、雑多な情報が氾濫する『IT社会への過剰適応』でもあります。

テクノ依存症の主要症状には、『現実生活への関心の低下・対人関係からの撤退・喜怒哀楽の感情表現の減少などアレキシシミア的状態・社会活動(仕事学業)に対する責任感の欠如・極端なデジタル思考(全か無か思考)』などがあります。一般的にネット依存症(テクノ依存症)には、『情報に関する依存状態』と『人とのコミュニケーションに対する依存状態』の二つがあります。先日、All Aboutの記事に、現代社会の情報に対する強迫的な依存症を説明している興味深い記事がありました。

その記事の中では、主体的な判断能力を維持して、自分の生活を豊かにする為に、以下のポイントに気をつけて情報を活用すると良いと書かれていますが、ネットの依存症に限って言えば『目的意識を持ってネットを計画的に利用すること』や『何の為にその情報を求めているのかのこまめな確認』『現実社会や人間関係、職業活動での積極的な情報の活用』が大切だと思います。

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ひょっとしてあなたも「情報依存症」?

情報を自分のために生かせるよう、最低限以下の4つのポイントを押えておきましょう。

1) 情報は、あくまでも「参考」にするもの たとえ専門家の見解であっても、すべてを鵜呑みにしないこと。情報は参考にとどめ、最終的に物事を判断するのは「自分」だということを忘れない。

2) 情報はさまざまな角度から複数求める ひとつの情報にとらわれず、いろいろな角度から探してみること。複数の情報を参考にすることで、より視野が広がります。

3) 「常識」に惑わされない 長く常識とされてきたことであっても、頭から信じ込まないこと。時代や社会の変遷とともに、常識も変化します。

4) 少数派になっても恐れない 「みんながこういっているから」といわれても、惑わされないこと。多数の意見に迎合せず、自分の判断や直感を大事にする習慣を

盲目的な情報収集や依存的なネットを介在した人間関係に過剰に没頭しきってしまうのではなくて、QOL(生活の質)を向上させるようなITライフを実現する目的を持ってインターネットやマスメディア、ネット内の対人関係と向き合う必要があるのではないかと思います。テクノ不安症のほうはデジタル機器とインターネットに慣れ親しんだ10代~30代の若い人たちには殆ど見られませんが、それまで殆どパソコンやインターネットを利用してこなかった中高年齢層でIT機器を使うことが苦手な人に多く見られます。

今までITを全く利用してこなかった人が、突然、仕事などでパソコンやインターネットを使うことになり、その勉強に付いていけなかったり、ITに対する苦手意識や不安感を感じ続けることによって過剰なストレスが継続しテクノ不安症が発症します。知識や操作方法をなかなか習得できない場合には、適切な指導者の元で一つずつステップを踏んで学習を進めていくことを重視し、パソコンの操作や技術の上達を焦りすぎないようにすることがテクノストレスを和らげます。

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また、ITの技術や知識以外の仕事・能力にも注意を向けて、絶望的な劣等感に囚われ過ぎないようにしたり、仕事帰りに気が置けない同僚と気晴らしの食事やお酒を楽しむなど自分なりのストレス解消法を見つけてストレスに対する対処能力を高めると良いでしょう。勉強がうまくいかないからといって過労状態になるほど根を詰めて一生懸命に頑張りすぎると、返って学習の効率を低下させイライラや不安を高めるので休むべき時には思い切って休むことが大切だと思います。

メンタルヘルスの話に大きく脱線しましたが、『依存性』という視点で、2chやmixiを見てみると、人と人とのネットワークを拡大して強化していくシステムの特性を持つmixiのほうが依存性は高いのではないかと思います。足跡機能(訪問履歴)やログイン時間などのユーザ・インターフェイスによって、mixi内部の人間関係が濃密で自分にとって不可欠だと思えれば思えるほど、mixiに対する依存的な利用形態が習慣化していく可能性があります。

心理学的には、『相手が訪問してコメントを残してくれたから、自分も相手を訪問してコメントを返さなければならない』という相手の信頼や期待に応えて人間関係を良好に保ちたいとする義務意識や拘束感が働いたり、『自分がこれだけ頻繁に日記を書いて、相手の日記にもコメントしているのだから、相手もそれなりの好意や関心を示してくれるだろう』とする“好意の返報性”への期待の意識が働いていることが依存性形成に関与していると考えられます。

ブログの場合にもコメント欄などを利用した好意の返報性はありますし、自己の意見や主張の正当性を確保する為に『コメント欄への批判や悪意』に対する反論を繰り返す形での依存性が形成されることもありますが、特定個人に対する依存的なコミュニケーション形態が常態化することは稀ではないかと思います。親密な相手との携帯メールや掲示板などによるコミュニケーションにも軽度の依存性はありますが、mixiの場合にはログインの時間や訪問履歴をお互いに確認できることにより、相手の反応を強く期待してしまい、期待していた自分への関心を明示化する書き込みが得られないとストレスを溜め込むといったケースが想定されます。

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特に、元々、『対人関係への感情的な依存性』『孤独耐性の脆弱性』『承認欲求や愛情欲求の過剰』『他者への過干渉や独占欲』といった性格傾向を持っている人は、mixiに限らずネット内の人間関係への依存性を高める傾向があるのではないかと思います。しかし、どんなゲームやウェブ上のサービスにしても、のめり込んで熱中して貰うことを前提にして設計し開発していると思うので、ある程度の依存性や習慣性を形成してしまうのは仕方ない面があります。

問題となるのは、仕事や学校、家庭、現実の人間関係などに支障を来たして、社会生活への不適応や精神的・経済的不利益が起こってきたケースだと思いますが、もし、mixiなどで過剰な依存性を形成してしまった場合には、継続的にコミュニケーションを取りたい相手と事前に相談するなどして、一日に利用する時間帯を制限するなどの行動療法的な対処が有効なのではないかと思います。

■ユーザがコンテンツを自発的・積極的に制作し始めるWeb2.0の時代

私は見る機会を逸したのですが、mixiなどのSNSがテレビ番組で言及されたことがあるようで、日増しにSNSの認知度も高まっていると推測されます。テレビや新聞雑誌などマスメディアでの紹介や露出が増えれば、認知度が高まり参加者は増えていくと思いますが、基本的にSNSはブログと同様、自分自身が能動的にコンテンツを作成したり会話をしたりしなければならない参加型メディアです。

その為、閲覧だけで楽しめる2ちゃんねるなどの掲示板より参加コストが高く、実際に積極的に利用し続ける人の増加数はあるレベルで打ち止めになる可能性がありますし、長期間にわたって継続的に良質なコンテンツを生み出し続けるブロガー。ブログに限って言えば、開設数の多さよりも定期的に更新されるアクティブなブログ数の多さのほうが重要なわけで、開設してもすぐに更新を止めてしまう人や書き溜めたブログのコンテンツ全体を削除してしまう人が増えてくると、ブロゴスフィアに産出されるコンテンツの量は低下することになります。

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とはいえ、参加者の数が膨大な数になれば、必然的に良質なコンテンツの出現率が上がり、コンテンツの制作そのものに面白味や価値を感じる人が増えてくると考えられるので、ブログスフィアのコンテンツの質に関してはそれほど悲観する必要もないように思えます。コンテンツの量に関しても、制作者が削除しなければストックは貯まる一方ですから、その中から有益性や娯楽性、速報性などの観点から利用価値のあるものを検索する技術の洗練が期待されてくるのかもしれません。Web2.0の時代におけるCGMなどの概念の実用化を見ていると、今後はアフィリエイト以外のブログの経済的利用なども活発化してくる可能性もあると思います。

今話題のWeb2.0の概念を構成する要素の一つが、ブログやSNSなどのサービス会社が提供するCGM(Consumer Generated Media)であると言われます。 CGMはウェブのサービス提供会社のマーケティング的な側面を上手く表現した概念で、GoogleAdsenseやAmazon Associateなどに典型的なようにユーザが作成したコンテンツに上手く適合した広告やサービスを提示することで、コンテンツの制作管理コストを下げて効率的に収益を上げることなどが典型的なCGMの利用法なのではないかと思います。

ユーザ側の能動的なコンテンツ制作によるメディア機能の発揮をWeb2.0の文脈で語るのであれば、コンテンツ制作の労力や手間を格段に低減させるCMS(Contents Management System)としてのブログやSNSに注目すべきなのかもしれません。Web2.0を包括的に語れるほど技術にもインターネットにも全く精通していないのですが、インターネットのユーザ側にとってのWeb2.0の影響というのは、コンテンツの消費者から生産者の側へ回れること、生産したコンテンツをもとに簡単にインタラクティブなコミュニケーションができること、複数のユーザによる情報の収集整理作業(簡易な集団知やフォークソノミーの実現)に関与できることではないかと思います。

プロバイダやはてな、fc2などウェブサービス会社が提供するCMSとしてのブログがユーザをコンテンツ制作者の側に回らせ、インターネット全体に魅力的なコンテンツを増加させます。勿論、多種多様な知識や経験、意欲、文章力を持った人たちが膨大なコンテンツを作成すれば、あまり必要性や需要のないノイズも増えるのですが、それでも、新たなコンテンツが全く供給されない状態よりもマシなわけです。純粋な精選された情報だけが欲しいのであればネットよりも完成された書籍を読んだほうが効率的だということになります。

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ブログやSNSをビジネスの観点から見ると、ブログユーザは小さな金額を稼ぐアフィリエイトなどの対価しか得られないわけでCGMの部分を担うに過ぎませんが、現段階では自分独自のコンテンツを作成する楽しみやインタラクティブな交流をする満足感みたいなものが強い人でないと長期間ブログやSNSを作成し続けるのは難しいと思います。知り合いとのコミュニケーションの喜びを求めてコンテンツやレスポンスを作成するSNSでは、情報や話題そのものからコミュニケーションを拡げるブログと比較して、内輪ネタ的なやり取りや日常生活に密着した何気ないコミュニケーションが中心的になる傾向があります。日記などのコンテンツも、比較的短文で友人があまり考えずに返答を返しやすい気軽な生活や趣味の内容が多くなるのではないかと思います。

そういった意味では、ブログは『情報発信や情報整理に対する意欲や能力のある人』に向いたメディアで、SNSは『対人関係の拡大や日々の記録に対する意欲や能力のある人』に向いたメディアなのではないかなといった印象がありますが、ブログにしてもSNSにしても、これまで不特定多数に情報を発信することが不可能だった個人が多種多様な情報や意見を簡単に公開できるようになったことの影響は良い意味でも悪い意味でも大きいでしょうね。

個人的な感想としては、ジャーナリストや作家といった文章のプロ以外の個性的な文章や経験に基づくコンテンツを読むことが出来る時代というのはなかなか刺激的で、インターネットを利用した楽しみの幅が広がったなという思いがあります。

元記事の執筆日:2005/12/21

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