境界性人格障害(BPD)という自他の関係性の障害:トラウマによる自己否定的な認知と自傷行為の嗜癖性、『人格障害の分類と定義』が持つ臨床的意義と倫理的問題:多角的で相対的な人格評価の重要性

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『自己否定的な衝動性の行動化である自傷行為』とそれが持つ心理学的意味


『人格障害の分類と定義』が持つ臨床的意義と倫理的問題:多角的で相対的な人格評価の重要性


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境界性人格障害(BPD)という自他の関係性の障害:トラウマによる自己否定的な認知と自傷行為の嗜癖性

境界性人格障害の全ての事例が、過去の幼少期における外傷体験や喪失体験に原因を持っているわけではありませんが、『対人関係にまつわる情緒不安定性(感情易変性)』と『衝動性の制御困難』という症状が神経症水準を明らかに超えている場合には、心的外傷(トラウマ)や生物学的な内因が考えられます。人格障害全般に薬物療法はあまり奏効しませんので、境界性人格障害も基本的には心理療法やカウンセリングの適応の範疇に入ることが多くなります。

しかし、境界性人格障害(Borderline Personality Disorder)の症状は正に多種多様であり、簡単に思い浮かぶものだけでも『他者への基本的信頼感の不全』『保護的な対象恒常性の不在』『自我アイデンティティの拡散』『生きる意味や現実感覚の喪失』『癒し難い孤独感と虚無感』『制御困難な自滅的な行動・自傷行為』など無数の問題点を抱えています。その中でBPDの中心軸となる問題は、『不安定な依存性と攻撃性を併せ持つ対人関係・対人関係にまつわる情緒不安定』『強烈な自己否定感による反復的な自傷行為と逸脱行為・自傷行為の閾値を越えた自殺企図』『自我アイデンティティの拡散による生きる意味の喪失』に集約されると考えることが出来ます。

以下に、過去の受け容れがたい対人関係(家族関係)の経験としてのトラウマ体験と境界性人格障害(BPD)の関連を説明し、BPDに特異的な『自己に対する破壊衝動や攻撃欲求の現れとしての自傷行為』の症状と意義について詳述します。その後で、両価性(アンビバレンス)を持つ極端な対人評価や見捨てられる不安などについても大まかに見ていきます。虐待によるトラウマの影響は、『他者への攻撃性・暴力性』といった外向型の行動化として現れる一方で、境界例(境界性人格障害)に見られるような『自分自身に対する衝動的な破壊性・否定性』としても現れることがあります。

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究極的な自己否定の行動化としては、実際に自殺計画を実行に移そうとする『自殺企図』があり、自殺企図の前段階として、日常生活の中で漠然と「早く死んでしまいたい、跡形もなくこの世から消えてしまいたい」と考えてしまう『自殺念慮・希死念慮』があります。苛酷な家庭内の虐待状況において子どもの心に深く刻み込まれるトラウマ(心的外傷)は、『自分は父親からも母親からも愛されることのない生きている価値のない人間なのだ』『自分にはこの世界に安心してくつろいでいられる場所などないのだ』といった自己否定的な認知を生み出しやすくします。

但し、そういった家族性の病理や明確な心的外傷を抱えていないBPDの事例も多くありますので、BPDの人全てに病理的な家族関係や虐待の成育歴があるわけではないことには注意と配慮が必要です。BPDの原因となるような過去の履歴が見られないケースにおいて、その原因を無理矢理に探し出して、現在の苦痛や困難をその原因に責任転嫁していくようなやり方はBPDの人だけでなく周囲の家族や知人をも同時に傷つけてしまうことになります。

『盲目的な過去の掘り返しによる原因探し』『精神分析的な過去の時間軸における家族間の葛藤の洞察』をする前段階において、『現在の時間軸において講じることの出来る認知的対処や行動的技法の全て』をまずは尽くすべきだと考えます。『自分自身に対する衝動的な破壊行動や自傷行為』として最も顕著に見られるのは、思春期の虐待経験者に多いリストカットやOD(オーバードーズ:薬物の過剰摂取)です。リストカットは、特に10代の(精神疾患や心理的苦悩を抱えた)女性に多く見られる自傷行為で、精神医学領域では、『手首自傷症候群』『リストカッティング症候群』という名前で呼ばれることもあります。また、その他にも、様々な方法や種類の自傷行為があります。

例えば、『自分の腕や足を強く血がでるほどに噛んで負傷する行為、頭を強く前後左右に振るヘッド・バンギングを意識朦朧となるまで続ける行為、ヘッド・バンギングが悪化して壁や床に頭を打ち付ける行為、固いコンクリートの壁やガラスなどを拳で殴ったり足で蹴ったりして負傷する行為、尖ったものや鋭い刃物で自分の身体を突いたり切ったりして傷つける行為、暴力的な性行為を誘発するような性的逸脱によって自分の心身を傷つける行為などがあります。

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トラウマの悪影響の最大の特徴は、その『反復性と再現性』にあります。自己破壊的な行動や自傷行為の根本原因も、他者から与えられた苦痛や悲しみの抵抗しがたい再現性にあると言えます。自傷行為をしている本人に、『何故、痛い思いをしてまで、そんなに自分を傷つける行為をするの?』と聞いても、明確にその理由を答えることが出来ない場合が殆どですが、その根本に虐待に限らず何らかの心的外傷体験が潜んでいる場合があります。

リストカットなどの自分を傷つける行為は『明日からは絶対にやめよう』と思ってもなかなか止められないことが多いのですが、自傷行為にはある種の依存性や強迫性のようなものがあります。なかなかやめられない習癖という意味で、習慣的に行われる自傷行為のことを『自傷癖』と呼んで嗜癖問題の一つと考える立場もあります。自傷癖と呼ばれる一連の習慣的・継続的に行われる自傷行為を何故、行うのかという事について単一の理由を挙げることはできません。自傷癖は、過去に受けた深刻なトラウマ体験と関係していたり、他人との人間関係で感じる強烈な孤独感や見捨てられ感によって誘発されたりします。自分で自分の身体や精神を傷つける自傷行為が実行されることは、どのような時に多いのでしょうか?

リストカットやOD(オーバードーズ:薬剤の過量服用)を慢性的に繰り返している人の話を聞くと、大体、自分で自分を傷つける時には、『自分の弱さに向けられる怒りや嫌悪・他者に向けられる憤りと不満・世界に対する絶望と諦め』が強まっている心理状態にあるようです。つまり、『自己否定的な観念で頭がいっぱいになった時』『自己批判的な感情によってパニックになった時』『家族・恋人・友人との人間関係がうまくいかず強い孤独感を感じた時』『強烈な虚無感に襲われ生きている意味が分からなくなった時』に、自傷癖を持っている人は自分で自分を傷つけてしまうのです。

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ナイフや剃刀で自分の手首や腕を切りつけたり、爪で皮膚をかきやぶったり、頭を固い壁に打ち付けたりと自傷行動の方法は様々ですが、多くの自傷癖者は、自傷を行った後にある種の自己陶酔感や鬱屈した感情の浄化作用(カタルシス効果)を感じると語ります。自分で自分を傷つける事によって、もやもやとした不安定な気持ちが安定したり、塞ぎこんでいた精神が爽快感を感じたり、混乱したパニック状態が鎮静したりすることがあります。また、こういった精神的効果を無意識的に欲求することで、自傷行為をやめることが出来ないという人が数多くいる事実にも注意する必要があります。

自傷癖や自傷行為は、一般に共感不能な抵抗のあるものとして認識されがちですが、自傷癖は悪い部分だけでなく(最終的には自傷をやめる事をカウンセリングの目標とすべきではありますが)、本人の精神的苦痛の緩和や混乱や抑うつの改善といった効果をもっています。これらの事から推測できるのは、自傷行為を繰り返す人の性格構造には、『不安定な対人関係を作りだすコミュニケーション類型や衝動性を制御できないストレス耐性の弱さ、特定の習慣にこだわって苦痛を忘れる傾向性、自傷によって感情の混乱を解決する嗜癖』があるということです。

『対人関係に対する過敏性と不信感』の根源には、『見捨てられ不安』があり自傷癖を持つ人の中には、対人関係の維持や発展に関して強迫的なこだわりや執着を見せる人もいます。精神発達論の観点からは、自己愛の発達ラインが病的な方向に傾いていて、自己表象と他者表象の区別が曖昧であり、愛する相手と離れている間に安心や満足をもたらす対象恒常性が確立されていないなどの問題を指摘することが出来ます。それ以外にも、いろいろな力動的心理学の発達理論によって、境界性人格障害の自己愛と対象愛の発達の問題点を考えることが出来るでしょう。

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どんなに安定した精神構造や強いストレス耐性を持つ人であっても、大切な恋人や親密な友人と別れる状況では、つらくて悲しい気持ちになるものですが、自傷癖を持つ人の中にはこの『親密な人間関係の変化』が絶対に許せない、認められないという人がいます。人間はある人への感情を永続的に維持することが難しい不完全な精神構造をもちますから、永遠不滅の親密な人間関係を意識して維持することはなかなか出来ることではありません。親しかった友人とも知らず知らず疎遠になることはありますし、愛してやまなかった恋人から裏切られたり、自然に別れへと向かう可能性もあります。

こういった人間の気持ちの変化や人間関係の終わりを柔軟に受け容れて諦めることは、確かに、健全な心理状態の人でも難しいものです。多くの人が、大切な相手との人間関係を失った場合に、強い抑うつ感や悲哀感を感じて、軽い人間不信や無気力に陥ります。一定以上の時間が経たないと、対象喪失の悲哀からは、なかなか立ち直ることが出来ないというのは普通のことなのです。しかし、境界性人格障害の人や見捨てられ不安の強い人の場合には、何年間経ってもその裏切られた怒りや孤独感が癒えず、その見捨てられたように感じるショックによって、過去のトラウマが更に強固なものへと変質することがあります。そして、『終わりのない完全な愛情と強固なつながり』を求めて、過剰な人間関係への執着心を見せ続けることになります。

『自己否定的な衝動性の行動化である自傷行為』とそれが持つ心理学的意味

前回の記事の続きで、境界性人格障害(BPD)などで起きやすい自傷行為についてもう少し深く掘り下げ、自傷行為が暗黙裡に突きつけてくる『心理学的な意味』について分析してみたいと思います。しつこく相手を追い掛け回すと反対に相手が距離を取って離れていくという現象は、日常的によく見られるものです。皮肉なことに、人間というものは『何があっても絶対に裏切らない、永遠に離れないことを過度に強制される』と、相手から自分の意志や行動を拘束されて支配されているという圧迫感や息苦しさを感じるようになり、相手との間に距離を置きたいと思い始めます。

ですから、相手との人間関係を長期的に長続きさせるためには、『相手に完璧な愛情や永遠の関係性』を求めすぎず、相手の自由な選択や主体的な決断を尊重することが大切になってきます。過剰な見捨てられ不安を前面に出して、関係の維持に対する異常な執着を見せるのも、多くの場合、相手に恐怖感や束縛感を与えます。どちらかというと相手の行動や時間を束縛せずに、心の余裕を持って相手の感情や態度に対する適切な配慮をしながら緩やかなつながりを維持しようとするほうが結果としてうまくいくでしょう。

少し、境界性人格障害に特徴的な『見捨てられ不安の強さ』『極端な対人評価の変化(賞讃とこきおろし)』の問題に脱線しましたが、自傷行為の持つ心理学的意味には、以下のようなものがあります。

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  1. 感情調節機能……自分を傷つけることで、混乱したパニックの感情を収束させ、喪失体験の悲哀を緩和し、鬱屈した無気力感を改善するというように、自傷行為にカタルシスなどの感情調節機能を期待する意味がある。この場合、自傷をして『混乱した気持ちがすっきりして落ち着いた』『ある種の快楽や陶酔を感じた』というような感想を漏らすことがある
  2. 危機・苦痛の伝達(クライシス・コール)……『自分は極限の苦しみや悲しさ、孤独感を感じていて、もうこれ以上耐えることが出来ない限界状況にあるんだ』という事を周囲の人々に自傷行為を通して伝えるという意味。そこには『何とかしてこの状況から私を救い出して欲しい』という悲痛な願望と思いが込められている。
  3. 復讐・攻撃の代理行為……自分を裏切った人たち、自分を傷つけた人たち、自分を侮辱した人たちに対して『自分の苦悩や絶望の大きさ』を思い知らせたいという欲求が内包されているという意味。自分を絶望させ酷い目にあわせた人たちに、自分が死ぬほど苦しんでいることを明示的に示し、何とかして相手に罪悪感や後悔、謝罪の念を起こさせたいという復讐の代理行為として為される自傷行為である
  4. 理想自我と現実自我の乖離……『こうありたいと思う理想自我』と『こうであるという現実自我』の間に余りにも大きな格差や違いがあるために、自己嫌悪や絶望感が高まり『こんな無意味な自分なんて消してしまいたい』という欲求が生起して行う自傷行為である。象徴的に『自己を否定して消し去る』という意味をもつ。
  5. 現実逃避の手段……自分の手首を切ったり、頭を壁にぶつけたりすることで得られる感覚的な痛みを強化することで、現実の問題や苦悩を忘れたり、過去のトラウマや絶望から離れようとする現実逃避の意味がある。
  6. 精神的な弱さの否定……他者との人間関係で感じる見捨てられ不安や生きていく気力の乏しさといった自分の精神的弱さを否定するために、肉体的な苦痛や流血に耐えようとする。誰も耐えられないであろう痛みを耐えている自分は、何者にも負けない強さがあるのだと自己暗示に掛けているような効果がある。
  7. 自己の存在感の認識の強化……過去の幼少期のトラウマなどによって解離症状が発症している場合、『自分が現実にこの世界に生きているという生き生きとした実感(リアリティ)』を喪失することが多い。そういった場合に、自分で自分を傷つける感覚的な痛みによって、自己の存在を確認し、現実感覚を取り戻そうとする意味がある。

時折、『リストカット・シンドローム(リストカット症候群)や自傷癖は、本当の希死念慮に基づく自殺未遂ではないのだから、死ぬ心配はしなくてよい』という自己流の自傷行為の解釈をする人もいますが、これは正確な情報ではありません。大多数の自傷癖を持っている人は、本気で死にたいのではなく、苦痛な孤独感や虚無的な無意味感から助けて欲しいというメッセージを出しているクライシス・コールとして自傷をしているのは確かですが、中には重篤な解離性障害を併発していて現実感覚を喪失しかかっている人もいますので余りに楽観し過ぎるのは危険です。

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特に、『どうせ死ぬ勇気もない癖に、周囲に迷惑を掛けるのはやめなさい』というような叱責や批判をすることには、漠然とした『死にたいという願望』を強化する恐れや『見捨てられ不安』を強めて人間不信に陥る危険があるので怒ったり叱ったりする対応は控えましょう。出来るだけ自傷行為をしたこと自体を責めずに、手首を切ったり、自分を傷つけずにはいられなかった本人の耐え難い孤独感や苦しみに寄り添って共感的に粘り強く話を聞いてあげることが大切です。

しかし、専門的に話を聞く訓練が出来ていない人の場合には、自傷癖のある人の憂鬱でつらい話を聞くこと自体が、非常な重荷やストレスになることがあります。そういった場合には、心理カウンセラーや精神科医などの助力や支援を得たり、トラウマに対応したカウンセリングを受けることを本人に勧めるほうが、結果として自傷からの立ち直りを早めることになると思います。自傷癖は、多くの場合、過去のトラウマ体験を根本的な原因として持っているものですが、そのトラウマから派生する精神的問題として『解離現象(解離症状)』が見られることがあります。解離とは、本来、統合されているべき自我機能がバラバラに断片化している状態を意味します。つまり、一貫しているはずの自我意識のアイデンティティが障害されて幾つかの自我意識が生まれたり、連続しているはずの過去から現在の記憶が細分化されてバラバラになったりするというのが解離現象(解離症状)です。

自傷癖を持っている人に解離現象が見られる場合、『外界や自分の身体に対するリアリティ(現実)が失われて、何だか薄い靄に覆われているような幻想的な感覚』を感じます。更に自傷を行った時に解離症状を呈している場合には、『自分の手首を切っても痛くも何ともないという感覚機能の麻痺・喪失(analgesia)』『自分の身体が自分のものではないような感じがあり、流血したり怪我をしたりしても何の恐怖も不安も感じないという感情鈍麻・感情麻痺』の状態が見られることがあります。

■境界性人格障害のDSM-Ⅲ-Rによる診断基準

DSM-Ⅲ-Rによる境界性人格障害の診断基準

全般的な気分、対人関係、自己愛の不安定さのパターンで、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、少なくとも、5項目により示される。

1.過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く特徴を持つ不安定で、激しい対人関係の様式。

2.衝動性で自己を傷つける可能性のある領域の少なくとも二つにわたるもの。例えば、浪費、セックス、物質常用、万引き、無謀な運転、過食(“5”に示される自殺行為や自傷行為を含まない)

3.感情易変性:正常の気分から抑うつ、イライラ、または不安への著しい変動で通常2~3時間続くが、2~3日以上続くことはめったにない。

4.不適切で激しい怒り、または怒りの制御ができないこと。例えば、しばしば癇癪を起こす。いつも怒っている、喧嘩を繰り返す。

5.自殺の脅し、そぶり、行動、または自傷行為などの繰り返し。

6.著明で持続的な同一性障害、それは以下の少なくとも2つ以上に関する不誠実さとして現れる:自己像、性的志向、長期的目標または職業選択、もつべき友人のタイプ、もつべき価値観。

7.慢性的な空虚感、退屈の感情。

8.現実に、または想像上で見捨てられることを避けようとする常軌を逸した錯乱的な努力。“5”に示される自殺行為や自傷行為を含まない。

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『人格障害の分類と定義』が持つ臨床的意義と倫理的問題:多角的で相対的な人格評価の重要性

前回の記事では、クラスターB(強い衝動性や自己愛を持ち、対人関係の困難や反社会的行為を伴いやすい群)に分類される境界性人格障害の症状と自傷癖の問題を概述しました。クラスターBの人格障害以外にも、共通了解が困難な奇異な振る舞いや妄想的な言動を繰り返して対人関係から撤退するクラスターAの人格障害、強い社会不安や強迫行為を示し、環境への不適応を示しやすいクラスターCの人格障害などがあります。

個別の人格障害は、DSM-Ⅳの多軸診断システムにおいて第2軸に分類されています。 クラスターAからクラスターCに至る人格障害の特徴と詳細はいずれまとめてみたいと考えていますが、膨大な分量になりそうなので、一先ず、どういった人格障害があるのかだけ簡単に示しておきます。

□クラスターA(統合失調症やパラノイア等との移行が問題となる群・理解し難い奇妙な言動をとったり、対人関係から完全撤退したりする特徴を示す)

妄想性人格障害 Paranoid Personality Disorder

分裂病質人格障害 Schizoid Personality Disorder

分裂病型人格障害 Schizotypal Personality Disorder

□クラスターB(社会的問題行動が見られやすい群・衝動性の制御困難や不安定な対人関係、操作的な情緒行動の特徴を示す)

反社会性人格障害 Anti-social Personality Disorder

境界性人格障害 Borderline Personality Disorder

演技性人格障害 Histrionic Personality Disorder

自己愛性人格障害 Narcissistic Personality Disorder

□クラスターC(神経質で不安が強く、適応障害や抑鬱に陥りやすい群・対人関係場面の回避や特定の他者への依存、不合理な強迫行動へのこだわりを示す)

回避性人格障害 Avoidant Personality Disorder

依存性人格障害 Dependent Personality Disorder

強迫性人格障害 Obsessive Personality Disorder

受動攻撃性人格障害 Passive-Agressive Personality Disorder

特定不能の人格障害 Not Otherwise Specified Personality Disorder 例えば、混合性人格障害、衝動性人格障害、未熟性人格障害、自己敗北型人格障害、サディズム型人格障害など
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人格障害には上記のように多種多様な分類がありますが、各人格障害と類似した精神障害が数多くあって、それらとの境界線が不明瞭であるとの指摘もあり、一般的には精神医学領域でも診断される頻度の少ない診断名であると言えます。以下で詳細に述べますが、人格障害という概念には『病理性の異常』という意味よりも、『社会環境への適応性の異常』『平均的人格特性からの偏倚の異常』という意味が強く含意されています。

統合失調症との境界領域の症候群を示すこともあるクラスターAに限っては、病理的基準による病理性がやや強い傾向がありますが、それ以外のクラスターに属する人格障害は飽くまで統計学的な平均集団が示す性格特性からのズレを持つに過ぎません。逆説的に考えると、実際の現実社会で問題なく生活する人であっても、多かれ少なかれ人格障害の診断基準に該当するような性格行動パターンの特徴を持っているといえます。ただ、該当する診断項目が少なかったり、平均的人格像からの偏りが小さかったりすることで、日常生活や職業能力への支障が殆どないので、人格障害などを意識することはまずありません。その観点から考えると、社会生活に支障がない程度の適応性を備えているかどうかが極めて重要なポイントになってきます。

基本的に、個人の尊厳と人権保護の観点から、重篤な人格障害で自傷他害の危険性が明瞭でない限りは、精神科医が患者に対して人格障害の診断を下す可能性はまずないでしょう。その為、クラスターBに属する反社会性や他者の権利侵害が明瞭なケースを除いて、人格障害とは、『主観的な環境不適応の苦悩や実生活上の社会経済的不利益の申告とその人の性格特性との関連』を元に診断される障害分類であるといえるのではないかと思います。

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臨床心理学の下位領域である『異常心理学(abnormal psychology)』は、確かに『正常な心理・異常な心理』の二項対立図式を前提としていますが、その対立は飽くまで相対的なものであり多角的なものであることにカウンセラー(治療者)は十分に配慮をしなければなりません。特に、心理学的概念としての人格(personality)が、道徳的価値と無関係で多面的な評価軸があることを、心理学研究に関心の乏しい患者(一般社会の人たち)は通常知りません。一般的に、人格の障害と聞くと、自分の人間性にまつわる尊厳が侵害されたと感じたり、道徳的に不当な非難を受けたと認知してしまったりする恐れがあります。

その為、DSM-Ⅳでは一応、正式な障害名として認定されているとはいえ、人格障害という診断名そのものを患者(クライアント)やその家族・知人に向けて使用することには十分に慎重であるべきです。出来うるならば『性格上の問題による環境適応の困難』という説明的な文脈を面接場面で作り上げるように精神科医は工夫すべきでしょう。そういった倫理的問題を改めて照射するまでもなく、実際の臨床場面では、そういった『性格と適応の関連の問題』として人格障害を置き換える専門家が多いと思います。

現在の日本の社会保障制度の存続や国家財政基盤の将来に関わる労働力問題として、若年層の無業者をNEET(Not in Employed Education or Training)と呼称することが一般化してきていて、私自身もクライアントとのやり取りの中で相手がその呼称を用いる事に不快感や抵抗感を感じていない場合には用いることがあります。このNEETという呼び名は、その個人の現在の生活状況を客観的に知る為には、(職業や学業など複数の項目について質問せずに生活状況を知ることが出来るので)非常に効率的なターム(用語)だと思いますが、そこに善悪の道徳的価値判断が内在していないということを確認しておくことは重要でしょう。

但し、カウンセリング場面などで道徳的価値や労働規範をNEETの用語に内在させないことは当然としても、政府の遂行する労働行政上の施策においてNEETに道徳的(経済的)な価値判断が下されないことまでは私は確言することが出来ません。年金未納者へのペナルティとして国民健康保険の使用を制限するなどの試案が出されていたように、財政再建や景気回復などの国策上の判断から様々な特性や履歴を持つ個人に対して個別的な対応や価値判断がなされる可能性は絶えずあるといえるでしょう。

昨年、可決された障害者自立支援法に対しても、福祉サービスを受けている心身障害者の方たちから強い批判や反論、差し止めの要請・懇願が為されましたが、障害者福祉財源の見直しや福祉領域への支出抑制などの国策上の判断から障害者自立支援法が両院の審議を通過しました。政治行為と社会福祉との相互的関係の観点で重要になってくるポイントは、『共同体の存続・維持・発展に大きく寄与しないマイノリティ(社会的弱者)に対する政策的対応と倫理的判断』になってきますね。

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社会福祉政策の財政規模と支援の範囲は、その時代の人権意識や国民の民度の高さと相関すると同時に、国家の生産力の規模や財政状況の良否とも関係してきます。現在の日本では、公的年金や国民健康保険、障害者福祉、介護保険、生活保護など社会保障制度全体が財政危機に陥っている状況なので、自然と個別の社会保障費の分配が小さくなる傾向が見られます。日本の縦割り行政における省益の絡んだ予算制度と財政歳出にも様々な問題がありますが、その問題に深く触れると、心理学から大きく逸れて政治の煩瑣な議論になってくるのでまた機会があればそういった事柄も考えて見たいと思います。

心理学の概念としての『人格(personality)』は、『個人を特徴づける持続的な思考・感情・行動・認知・対人関係のパターン』であると定義されます。原則的に、心理学の人格概念には、善悪の道徳的価値は含意されておらず、個人の人格を社会的価値観と照合して審判的にその善悪や正誤を判断することはありません。また、カウンセリングや臨床心理学的なアプローチにおいては、個人の人格や価値観を最大限に尊重するという前提があり、人格の特徴・特性に対して道具主義的な優劣や良否を付けることはあまり望ましくありません。

カウンセラーとクライアントの間で形成すべきラポール(相互的信頼関係)は、真摯な徹底的傾聴の姿勢とクライアントの人格に対する積極的尊重の元で築かれていくものですが、クライアントの人格特性(性格傾向)に対する選好判断が強いカウンセラー(精神科医)の場合には、クライアントによってラポール形成が上手くいかないケースが増えていきます。ラポールの構築が失敗に終わる端的な事例としては、カウンセラー側が『このクライアントは、自分を信頼してくれず、率直な話し合いを行うことは難しい。カウンセリングが上手くいかないのは、クライアントの人格特性の過剰な偏りに問題があるのだ』と感じるケースがあります。

そういったケースでは、クライアントの側も大抵、『このカウンセラーとは性格が合わず、自分のことを理解してくれそうにないので自分の抱えている悩みや本心を話し難い。カウンセリングの日時がくるのが憂鬱で面倒だ』と感じたりしています。現実的な場面において問題となってくる異常性(病理性)の判定を考えてみると、『本人が自分自身で正常であると自己認識し、他者に危害や迷惑を掛けていない場合』に、政治体制の意図や利害関係のある他者、悪意のある医療関係者によって異常性があると判断される特殊な場合などに限られてきます。

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しかし、治療的な面接場面(カウンセリング場面)におけるラポールの構築が失敗に終わり、医師(カウンセラー)が患者(クライアント)に対して恣意的な選好に基づく嫌悪感を抱いてしまった場合には、クライアントの性格的な問題や欠点が目に付きやすくなる恐れがあります。権威的な患者との上下関係を意識する精神科医は現代ではそう多くないと思いますが、性格上の問題に関して患者の同意や確認を経ずに「人格障害の診断」を下してしまう偏見の関与する独断には十分な注意が必要です。

特に、臨床的な面接状況において自分と性格や価値観が合わず、『いちいち自分の全ての発言や判断に対して異論や否定をしてきて面倒くさい患者だな。こちらが譲歩して信頼関係構築に努めているのにそれを意図的に拒絶して絡んでくる嫌な相手だな』と専門家が感じてしまった場合には、ひとまず性格上の欠点に関係する人格障害の診断や特徴の認識からは距離を置いたほうが良いでしょう。自己の性格が自分自身の主観的な苦悩の原因となっていたり、他者に直接的な迷惑や危害を加えるものであるならば、人格障害の概念や分類は、その『性格上の問題点や欠点』が何処にあるのかを特定する役割を果たします。人格障害の概念や特徴は、その人の不適応に基づく苦悩や不利益を解決する為の一つの指標として用いるべきだと考えます。

先天的素因が大きく影響する気質を変容させるのは至難ですが、性格は後天的な環境(対人関係)からの経験や学習によって変えられる部分も多くあるので、『自分の不適応や不利益の原因となっている性格特徴』を特定して変容させていくことは原理的に可能です。『クライエントが持っている思考、感情、認知、行動、対人関係のパターンや特殊性の強い癖や習慣』が、生活上で対人関係の困難を生み出したり、社会環境に適応できない原因になっている場合には、経済的不利益や社会的評価の低下、犯罪行為生起のリスクにつながる可能性もあります。

人格障害の知見が持つ臨床的な価値とは、人格障害の分類や内容を応用して性格の問題点を特定することであり、その問題を改善する事で、クライエントがより生きやすくより対人関係や社会生活を楽しめる性格に変容していくことが人格障害治療の目標となります。色々な人との人間関係を楽しみたいという意志があるのに人間関係が楽しめない性格であれば、可能な範囲で社交的な対人コミュニケーションを取れるような自己開示やロールプレイなどの心理学的対処を行っていきます。

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色々な形で社会活動に参加して働こうという意欲があるのに、社会環境に適応できずに経済的に困っているのであれば、通常の生活を維持する為の職業活動を行えるようにする為の心理的技術的な支援が必要でしょう。反社会性人格障害に代表されるように、社会規範の意義を理解出来ずに、法を破り犯罪行為を繰り返していると、逮捕されるリスクが高くなり、結果として社会的評価の低下や経済的な困窮といった不利益を負ってしまいますから、社会的行動にまつわる性格特徴を、他者に危害を加えずに建設的な行動が取れる方向へ変容させるのは望ましいことです。

人格障害という概念を採用してカウンセリングや精神科医療を行う場合には、社会的価値観や平均的人格像を基準にして人格の問題を考えるのではなく、クライエント(患者)のQOLの向上や社会的利益につながる問題解決を前提として人格特性の変容を考えるべきなのです。

■書籍紹介

人格障害論の虚像―ラベルを貼ること剥がすこと

反精神医学的見地から、人格障害の概念誕生の歴史と否定的なラベリングとしての効果を批判的に論じている書籍であるが、精神医学的診断学への賛否に関わらず一読しておく価値のある本だと思う。猟奇的な殺人事件や異常な振る舞いをする子供など社会不安を喚起するような事件が起こる度に、科学や文明の理性で定義できない精神的な暗部や謎が取りざたされる。

そして、その暗部を白日(理性)のもとに強引に晒し「正常な精神の持ち主を自認する大衆」を安堵させる為に精神医学の権威が流用される恐れがあることには注意が必要ではないかと思う。人格障害が、慢性の長期化する精神疾患で原因不明のものに下されるラベリングであったり、精神科医が取り扱いにくい反抗的で衝動的な性格傾向の持ち主に付されるラベリングであったりしてはならない。

恣意的な治療者の価値判断や道徳感情を精神医学的診断に持ち込んでしまうと、人格障害の概念が持つ臨床的な意義を完全に損なうだけではなく、反対に社会的差別や職業的不利益などの副作用が大きくなってしまうことになるだろう。この書籍は、人格障害を『クライエントの利益や回復とは別の目的』で定義したり診断したりすることの問題点について、アメリカの精神医学の歴史を振り返りながら論述していく。 そして、アメリカから精神障害概念を輸入した日本社会においても、『精神病理や犯罪行為の原因を、個人へ過剰に還元することの問題』が起こってきていることを示唆している。

精神病理・犯罪行為の原因の構成要素である個人要因を強調する道具として人格障害の概念を拡大解釈することは厳に慎まねばならないし、『環境要因としての学校制度・社会環境・政治経済情勢などの問題点』も十分に考慮しなければならないと考える。

目次

第1部 人格の危機はどう形成されるか―育つことと育てることの境界(「偽りの家族」と「偽りの自分」の生成 「偽りの家族」と「偽りの自分」―日本の場合人格障害概念の輸入 「診断」と「治療」への復讐観念の上での両親殺害 ほか)

第2部 人格障害とは何か―ラベリングからコミュニケーションへ(人格障害論の再構成へ―二つの前提 演技性人格障害のなかのコミュニケーション、反社会性人格障害と行為障害とAD/HDと妄想性人格障害と閉じられた集団境界性人格障害論の再構成へほか)

元記事の執筆日:2006/01/21

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