科学的実証主義を前提とするEvidence-Basedな臨床心理学と統計学的な根拠に関する話、『心の世界の魅力的な物語性』と『心の世界の客観的な解明』:心理学の科学性の社会的認知

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『心の世界の魅力的な物語性』と『心の世界の客観的な解明』:心理学の科学性の社会的認知


『言語的アプローチによる心への影響』と『物理的アプローチによる脳への作用』:情動の表現・特定・制御


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科学的実証主義を前提とするEvidence-Basedな臨床心理学と統計学的な根拠に関する話

認知行動療法は、認知的介入と行動的介入を折衷したプラグマティック(実利的)な技法であり、evidence-based(客観的根拠に基づく)な心理療法であると言われます。エビデンスに基づく心理療法(カウンセリング)というのは、EBM(Evidence Based Medicine:根拠に基づく医療)という科学的医学モデルを心理学的アプローチに導入しようとしたものです。認知療法や行動療法の前提にある認知理論や学習心理学については、過去に何度か触れてきましたので、今回は、エビデンスを前提とする臨床心理学(Evidence-Baced Clinical Psychology)や医学(EBM)について色々と書いていきたいと思います。

特に、統計学的データを集積しやすいアーロン・ベックらを嚆矢とする認知療法の隆盛と共に、心理臨床分野でもエビデンスが重視されることが多くなりました。各種の応用心理学は、科学と非科学の中間領域にあって、アカデミズム内部では数理学的素養や操作をあまり重視しない文系領域と見なされやすい傾向がありました。臨床的アプローチが科学領域に含まれ難かった背景には、技法の効果測定や統計学的検証といった科学的根拠よりも哲学的説明や言語的説得性を重視してきた精神分析の伝統も大きく関係していますし、心理臨床が対象とする心理的問題の範疇があまりに広大であることも影響しているでしょう。

また、問題点が明確な主訴や特定が可能な症状を持っている事例でなければ、通常、心理学的アプローチの効果を科学的に測定することが困難であるという障害もあります。パニック障害や強迫性障害、社会不安障害、摂食障害、嗜癖、心因性の身体症状など病態の変化を継時的に負いやすい精神疾患でなければ、信頼性と妥当性の高い心理療法のエビデンスを得ることは難しいのではないかと思います。エビデンス・ベースドな臨床心理学の研究実践に高い価値と将来の可能性を見出している心理学者や臨床家の多くは、『科学者―実践家モデル(scientist-practitioner model)』を前提として臨床活動や研究調査を行っていると考えられます。

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そして、アメリカの心理臨床の発展を見てみると、『科学者―実践家モデル(scientist-practitioner model)』は、臨床心理学的アプローチを医学的アプローチに近似した専門性と社会的評価の高い学問にしたいとする願望と無関係ではありません。科学であるか擬似科学であるか非科学であるかという差異には、絶対的な優劣の価値判断はありませんが、一般的に科学的な理論・技術はそうでないものよりも、価値(信頼性・有効性・効率性)が高いと評価されやすい傾向があります。

この『自然科学の権威性』は、健康食品やサプリメント、ダイエットビジネスなどを中心に色々なビジネスに応用されていますが、いい加減な科学的根拠や医学博士など学位所有者の名義貸しが問題になることもあります。例えば、ダイエットや健康・美容の増進を目的とするサプリメントの効果についても、その根拠に科学的根拠がないというよりも、科学的根拠があるとしたほうが売り上げが上がる可能性が有意に高くなるでしょう。科学性とは何かについては多義的な解答が考えられますし、一般社会では、自然科学的研究法の定義や条件などにあまり関心がないのが普通ですから、科学的根拠があるように広告宣伝を工夫するといった手法が採用されやすくなります。

多くの業者は、厳密な科学的研究や統計学的処理を行うことはなく、その分野の専門家の推薦文(解説)や利用者の成功例の体験談を載せることになります。医学や栄養学の権威者の解説とおおまかな作用メカニズムを示す図説を付けたり、少数のサンプリングの肯定的な結果を掲載することによって、科学的根拠の外観を保つことが出来るからです。それらの商品の購入者は、『多分、厳密な科学的研究に基づく根拠ではないだろうな』と薄々気づいてはいるでしょうが、それでもやはり、科学的な裏づけがあるといった認知は、プラセボ(偽薬)効果をもたらしたり心理的な説得力につながったりしやすいものです。

『この結果には、統計データによる根拠がある』というのは様々な分野の商品やビジネスで言われることですが、統計学的な根拠というのは、データやサンプル(標本)の恣意的操作が比較的簡単に行えますので、科学的根拠としては余り決定的なものではありません。高校時代に学習する基礎的な統計学でも分かるように、統計データは、確率論的に偶然変数の生起を推測したり、分布のばらつきを確認したりするものですが、『薬品・食品・商品を利用したことによる効果』を統計学的に検証するのは、意外に面倒で時間と手間がかかります。

当然ながら、10人に試供品を利用させて何人に効果が現れたかのデータを取るといったようなやり方では科学的な根拠を十分に検証することは出来ません。科学的根拠としてのエビデンスにも、その重要度や信頼性には階層的なレベルがあり、例えばアメリカの健康政策指標では以下のようなレベル(Ⅰ~Ⅳに下るにつれて信頼性や確実性が下がる)があります。

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Ⅰa……サンプルの無作為抽出と比較対照試験を実施して、更に複数の比較対照試験の結果を統合的に分析するメタアナリシスを行ったエビデンス。形式化された定量的な研究法で、対照群を用いた複数の実験結果を分析したもの。

Ⅰb……最低でも1つの無作為抽出されたサンプルによる比較対照試験を行ったエビデンス。

Ⅱa……最低でも1つの比較対照研究の結果を踏まえたエビデンス。無作為抽出の有無は問わない。

Ⅱb……最低でも1つの効果測定が計画された準実験的研究の結果を踏まえたエビデンス。実験群と対照群との比較試験の有無を問わない。

Ⅲ……複数の事例を質的に検討する比較研究・相関研究といった効果測定が計画された非実験的な質的研究を踏まえたエビデンス。定量的なデータの取り扱いを問わない。

Ⅳ……その研究分野の権威者や代表機関による見解や主張によるエビデンス。

特に、薬理作用の効果に関する統計学的な信頼性や確実性を高める為には、プラセボ二重盲検比較臨床検査の手法を採用して、メタアナリシスを行うことが望ましいとされています。大抵の市場経済の商品に関する科学性は、ⅣやⅢのレベルのエビデンスが多いということになるでしょう。比較対照試験では、実験群対象群の2群を用いて統計学的な有意性を検証しますが、その統計学的なエビデンスの信頼性を高める為には、サンプリングの段階で無作為化や盲検化を行います。

ただ、比較試験において、2つの群の差が有意なのか偶然なのかを判断する為に用いられる有意水準の値が、何故、p=0.05,p=0.01であるのかという根拠は直感的で曖昧であるという指摘もあります。有意水準とは、帰無仮説が正しいと仮定した場合に、偶然起こるかもしれない確率のことです。帰無仮説とは、正当性を証明しようと思っている対立仮説を棄却する内容の仮説のことであり、その帰無仮説が起こる確率が「有意水準(危険率)」よりも低ければ「偶然の出来事」として処理されます。

反対に、帰無仮説が5%以上の確率で生起するのであれば、支持しようとしている対立仮説が間違っている可能性が考えられます。帰無仮説が正しいのに誤って帰無仮説を否定する可能性は絶えずあり、このことを『第一種の過誤(タイプIエラー)』と呼びます。反対に、サンプリングの異常な偏りや統計処理のミスなどによって、帰無仮説が間違っているのに統計学的有意性が確認できずに対立仮設を棄却してしまうこともあります。これを『第二種の過誤(タイプⅡエラー)』と呼びます。

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このように、統計学的根拠には、偶然事象の有意性を判定する一定の機能はありますが、基本的に確率論的な確からしさを示すに留まります。また、偶然発生する過誤を示す有意水準に関しては、研究者の直感や経験といった主観的要素が介在する可能性があります。とはいえ、大抵の人は慣習的に使われている5%を有意水準(危険率)として採用することになるとは思いますが。「ある出来事が偶然に起きただけではない」とする有意性を示す統計の話が長くなりましたが、医学と心理学領域におけるエビデンス重視の流れと影響の話に戻ります。

EBMの理念や技術の応用は、医学領域に類する精神障害に対する心理療法には行いやすいのですが、『私が話したいと思う内容を、専門知識や相性の良い人間性を持った人に適切な態度で聴いて欲しい』といった対人援助のカウンセリングにはなかなか応用し難いという問題があります。臨床活動を行う専門家の視点から考えるとEBMのような標準的治療法の確立は、時間と労力の合理的効率化につながりますので、一日に数十人以上の単位でクライエント(患者)を受け持つ人であればエビデンスのある標準的治療法を実施したいと考えるでしょう。精神科医療の標準療法であるEBMの薬物療法は、一人一人の訴えを長時間聴き続ける時間と労力を効率化することで、数多くの患者と向き合うことを可能とします。

心理臨床でもエビデンスを重要視していくと、治療効果の低い技法が淘汰されていき構造化面接としての標準療法が確立される流れが出てきますが、個別的ニーズへの対応といった側面は弱くなっていくでしょう。 エビデンスを重視することによって得られるメリットというのは、臨床家が改善効果の高い標準的療法を適用できること、クライエントの有益性や安全性を高められることですが、それ以外にも社会資源の節約といった恩恵があります。

心理臨床の場合の社会資源の節約は、主に人的資源(時間・労力)の節約だけですが、医療分野の社会資源(医療資源)の節約には、医療関係者の人件費の節減だけではなく製薬会社の薬剤開発・検査の効率化も関係してくるので、大きな経済効果につながることもあります。当然、有効性や信頼性のエビデンスが乏しい治療や投薬、必要性の薄い医学検査を行う頻度も低下してきますから、その点においても、EBMの浸透によって医療資源の節約が図られ、公的な医療保険制度の支出が抑制されることが期待できます。

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『心の世界の魅力的な物語性』と『心の世界の客観的な解明』:心理学の科学性の社会的認知

前回の記事に書いた心理学的アプローチの効果測定に関する技術的な問題とは別に、臨床心理学のEBM化と逆行する『心(魂)の領域を特別視する人間心理』も、実証科学を目指す心理学の流れに対する防波堤となっている面があります。心の領域を特別視する場合に人は、科学的な精神現象の解明に対して一般的に無関心になりやすくなり、化学物質で精神状態をコントロールする薬物療法や構造化された認知行動療法よりも、物語化されたフロイトの精神分析やユングの分析心理学を好む傾向が出てきます。

『心の世界の魅力的な物語性』『人間心理の文学的な描写や理解』『主体的な善悪の価値判断の信頼・自律的な言動のコントロールの自明性』『良好な人間関係の価値』といった内観的な心理学を志向しやすい人間の選好判断は社会では非常に強い影響力を持っています。脳の解剖学的構造や生理学的機能に心理現象を還元する『唯物論的な心の理解』に説得力を感じやすい人は、医師の指導に基づく精神医学的な薬物療法に適性が強く、科学的根拠に基づく医療(EBM)に信頼感を抱きやすいでしょう。

抗うつ薬や抗不安薬を用いた薬物療法には、統計学的な有意性のエビデンスが積み重ねられていますが、その効果は、過去の心因を含めた心理的問題の除去といった根本治療の意味ではないことに注意が必要です。薬物療法の効果は、観察可能な心身症状を軽減させる対症療法であり、身体や脳の生理学的異常を化学的に改善する作用を及ぼします。あるいは、生体のホメオスタシスによる自然治癒力を促進する作用を及ぼしたり、日常生活を障害する不快な症状を緩和してQOL(生活の質)を向上させます。生理学的状態を変化させる薬理機序には、患者の健康や利益につながる効果がある一方で、同時に副作用の危険もあります。ある患者に対してお薬を処方するかどうかは、病態の深刻度の診断やお薬の作用がもたらす有益性と不利益の比較に依拠しています。

精神病理の診断項目に当てはまらない人間関係などの心理的な悩みや対象喪失の反応としての悲哀に対しては薬物療法は余り奏効しませんので、心因性の不安や苦痛が強く疑われる場合には心理学的アプローチのほうが効果的であることが多いでしょう。

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■心理学の科学性の認知や関心の低さ

『心理学分野の科学性』が、あまり一般社会で取り沙汰されないのは、『心の世界の魅力的な物語性』『対人スキルの向上や人間関係の改善』『文学的要素や哲学的思惟の多い精神分析』を前提とした臨床系の心理学の意識が強くなり過ぎていることも影響していると思います。実験法や調査法のデータ解析を行うようなアカデミズムとしての心理学は、一般社会では余り認知されておらず、マスコミや雑誌などから植えつけられる心理学のイメージといえば、恋愛などの人間関係で実際的な利益を得られるようなコミュニケーション指南だったり、相手の心をすぐに知ることが出来る読心術のようなものだったりします。

そういった心理学に対する認識のズレの典型的な例としては、大学で心理学を専攻していた人に対して『じゃあ、今、私が何を考えているか分かる?何故、心理学の専門家で人の気持ちが分かるはずなのに、相手を楽しませるコミュニケーションを取れないの?異性を確実に落とすような話し方やテクニックを教えて欲しいんだけど。やっぱり、心理学者だったら、自分の感情や気分をうまくコントロール出来るから悩みも少ないんでしょう?』というような発言をする例などがあります。心理学の研究者、特に臨床系以外の心理学研究者にとっては悪い冗談のように思えても、意外に、一般社会ではそういった実利的で技術的な心理学理解が多く見られるものだと思います。

動物実験を行って外部刺激に対する知覚・感覚・行動の反応の研究をしたりするのも基礎心理学の研究法の一つですが、こういった動物を用いた心理実験も心理学的ではないイメージが強いでしょう。一般的に、人間関係やコミュニケーション、精神病理学(異常心理学)、犯罪心理、自己啓発、能力開発、対人操作、対人援助などの分野や技術を心理学だとする認知が強く持たれている為に、臨床心理学は応用心理学の一分野であるにも関わらず最も心理学らしい雰囲気を持った学問だという認識をされることが多くなっています。

その為、生物学・生理学・認知科学・情報工学・コンピューター科学・人工知能・統計学などと学際的につながるような心理学の分野に対しては、一般の人たちに、あまり認知されていないか興味を持たれていないかというケースが多いように感じます。心理療法や対人関係の心理学に人気が集まる理由としては、言語的説明や内観的洞察といった方法や感情機能・人間関係を中心とした心理学のほうが、専門知識を必要とせずに感覚的に理解できる部分が多いこと、そして、自分の実生活やメンタルヘルスとの関連性が高いということが挙げられるでしょう。

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EBMの前提としてある思想は、実証主義プラグマティズムだと思いますが、エビデンス・ベースドである事を意識した臨床心理学も、科学的な実証性と信頼性を高める為に数量的な研究のデータの蓄積を重視するようになっています。私が興味深く考えるのは、Evidence-Based Clinical Psychologyが目指す理想的な心理療法というのが、デヴィッド・D・バーンズの著作やS.J.ラックマンの論文にあるように限りなく自己治療に近い標準的技法になるのではないかということです。基本的な理論や方法を学習すれば、自分自身で実行してその治療効果を得られるような標準的技法の確立の大切さを指摘しているアメリカの精神科医や臨床心理学者は意外に多いようです。

これには、アメリカの医療費の高騰や心理療法の費用の高さという問題背景もあるのですが、日本でも医療制度改革で医療費の抑制が強く要請されていることなどもあり無関係な問題ではありません。自分自身のメンタルヘルスをある程度自分の力でコントロールできるような心理療法の開発、その習得が簡単で実用性の高い標準的技法の確立は、心理療法(カウンセリング)の経済性の観点だけでなく心身の健康のセルフコントロールの観点からも重要だと言えます。

『言語的アプローチによる心への影響』と『物理的アプローチによる脳への作用』:情動の表現・特定・制御

標準化された心理アセスメントや神経心理学的な精神活動の機序など科学的根拠を持つカウンセリング(心理療法)の研究は、最終的には、効果測定による有意性が確認された認知行動療法的な技法に帰結する可能性が高いように思われる。そして、認知的技法と行動的技法を結びつけた心理的問題の解決や精神症状の緩和は、それほど画期的な目新しい技法というわけではなく、常識的に理解可能な認知と行動(情動)の因果関係のモデルに基づいたものになるだろう。

また、神経心理学や脳生理学のように複雑な説明理論や難解な専門用語を用いた知見は、通常、カウンセリングの言語的アプローチには応用することが難しい。確かに、薬物療法との兼ね合いから、脳科学の説明を用いて不快な心理状態を説明する事を歓迎するクライエントもいるが、一般的に、精神症状や心理的苦悩を生理学的な機能の失調として説明することそのものに改善効果はあまりない。

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脳の器質と精神機能の対応や抑うつ状態を説明するモノアミン仮説などを分かりやすく話すことで、『自分自身の意志や考え方が、病気(苦悩)の直接の原因ではないと考えて、自罰感情や自責感を和らげる作用』が働くこともあるので、そういった話を望む人にはしても良いとは思う。しかし、対人関係の悩みや環境不適応の問題など人生相談分野も包含するようなカウンセリングを利用するのは、健常者パーソナリティを持ったクライエントが多数を占める。その為、科学的な脳の構造と機能の相関や神経学的な形成機序の説明より、現在の生活環境や精神状態、人間関係の問題といったテーマを中心に話す事が多くなるのは必然である。脳科学や生理学の知見による心の理解は、科学的な心理学を志向する心理臨床家の前提知識としての意味合いを帯びてくることになるだろう。

客観的根拠を持つ科学の一領域としての医学(厳密な科学ではないが心理学よりも一般に科学性は高いと評価される)は、精神活動と高次脳機能の結びつきを絶えず意識していなければならないし、高次の神経伝達活動と精神状態が無関係であるとするような前提を立てることは科学的ではないという批判を受ける恐れがある。精神科医には、心理的原因を余り重視せずに脳内の神経伝達機能の異常を問題にする人が多い印象がある。それは、医師が心に訴えかける主観的言語ではなく、神経活動に作用する物質としての薬剤を持って精神状態を治療する事を主要なアプローチにしている事からも当然といえば当然である。

また、精神病理や異常心理を持つ患者を主要な対象とする精神医学の現場では、病態が深刻な患者と向き合う機会が多くなり、言語的アプローチや情的コミュニケーションが通用し難い相手が多くなることも心脳一元論を支持する根拠になっているのではないかと思う。医師と患者の間でも信頼関係や人としての相性は大切な治療的面接の要素だが、カウンセラー(心理臨床家)とクライエントの間ほど信頼関係や人としての好悪は重要な要素ではないように思える。言語はそれを発する人が誰であるのかという事によって、それを聞く相手に与える作用が全く異なってくるからである。

少なくともカウンセラー(心理臨床家)に対して、必要な薬だけをとりあえず貰いに行くといったアプローチを取ることは通常ないと考えられる。病院の場合には、慢性疾患でいつも同じ薬を貰っている人や定期的な通院をしている人の場合、(経過観察できないのであまり推奨されることではないのだろうが)診察を受ける時間や手間を惜しんで薬だけを貰うという選択をする人は意外に多い。

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言語的アプローチが言葉を交わす相手に左右されるという極端な事例を出せば、嫌いな人や不快感を感じる相手から『あなたの事を好きです。ずっといつまでもあなたの側にいたいのです』などと言われても喜びや感謝の感情が湧くどころか、拒絶感や恐怖感といった気分を落ち込ませる感情が生起してくるだろう。こういった発話者と受話者の間にある相手に対する好感度や魅力の認知の落差が、セクシャル・ハラスメントのコミュニケーションを生んだり、勘違いや誤解の積み重ねによる関係破綻を生んだりするのだが、『感情的側面を持つ言葉のコミュニケーションは、発言者に対する信頼や好悪』が大きく関係してくる。

その為、『全く同じ発言内容や全く同じ面接構造』を持っているカウンセラーが2人いるという臨床面接場面を仮定してみたとしても、そのカウンセラーが異なる人間である限り、同一(近似)の効果や作用が得られるという事は保障されないことになる。生理的に嫌悪感を感じるカウンセラーの場合、幾らカウンセリングを重ねても治療効果や気分の改善、問題解決を実感することが難しいことは、常識的な経験則からは明らかに思えるが、そういった統計的研究を実施することは実際には困難である。

こういった臨床効果を期待する相談面接(治療面接)の行き詰まりは、精神分析ではクライエントの抵抗や陰性感情転移の問題として片付けられることが多かったが、実際のケースでは単純にカウンセラー(分析家)の性格や雰囲気が自分に合わないという事も多分に関係しているように思える。カウンセリング(心理療法)は、カウンセリング後の言語報告や質問紙による効果測定によって、その心理学的アプローチがどれくらい有効であったのかの指標を得ることは可能であるが、薬物療法以上に効果(有意義感)実感の個人差は大きい傾向がある。

心理療法が進歩しても、医学的臨床活動のEBMと同じ水準で科学的客観性や実証的根拠を持つことが難しいとする考え方は、内観法と身体感覚によってしか知りえない『自分固有の内面心理』を前提とした考え方である。これも『心の世界を特別視しやすい人間の認知傾向』の一側面であるように思えるが、この認知傾向そのものは、物理的要素や一般理論に還元しきれない精神の特殊性を意味している。それは、他者と区別された『私』という自我意識の固有性を意味するもので、『私が生きる意味・世界に対する自己効力感』とも密接に関係している認知なのだが、科学的な一般理論による精神理解との相性が余り良くない認知である。

化学物質(向精神薬)や物理的刺激(電気ショック療法:ECT,ElectroConvulsive Treatment)を用いて、中枢神経系の情報伝達活動をコントロールしようとする医学的療法は、その作用機序が薬理学や神経生理学といった客観的な科学を前提としていて、『「私」という自我意識の認知や人間関係の質』とは無関係に効果を発揮するという意味で、良好な人間関係を前提とした言語や作業を用いる心理学的アプローチとは異なる。『心(こころ)』という正式な心理学用語は存在しないが、古典的な心のモデルでは『知・情・意』の3つの機能的側面から人間の心を理解してきた。

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この『知・情・意』の精神機能の発達を脳の進化論的見地から大まかに説明した仮説理論として、『ポール・マクリーンの脳の三層構造仮説』があり、『知』に大脳新皮質や海馬、『情』に大脳辺縁系(扁桃体・視床下部)、『意』に辺縁系の帯状回などを対応させることが出来る。カウンセリングにおいて最も効果が期待される事の一つが、現実的な問題解決や不快症状の緩和に直結する情動のアセスメントと情動障害の改善である。つまり、不適応な行動にもつながる『情』の部分の制御困難や抑圧傾向が心理的問題の中心にあることが多いということである。

不安感、抑うつ感、恐怖感、意欲減退、過剰な怒りと悲哀など情動障害の改善を促進する技法には、大きく分けて、率直な情動表現の経験を強調する『来談者中心療法的なアプローチ』と合理的認知に基づく適切な情動コントロールを強調する『認知行動療法的なアプローチ』がある。前者は、情動の過剰な抑圧による転換症状や自己主張や自己開示の低さによる不適応に焦点を当てていて、後者は、情動の制御困難による症状悪化や感情的な言動による不適応に焦点を当てているといえる。

従来の共感的理解と肯定的受容に基づくカウンセリングでは、ありのままの情動や日常で抑圧している欲求を率直に言葉で表現してカタルシスを得ることを重視していたが、意識的な情動や行動のコントロールを目的とする認知療法では、不適応な情動や不快な気分を引き起こす『非機能的な認知・思考』を特定してそれを自己肯定的な方向へ変容させることを重視するようになっている。どちらがより高い有効性や改善効果を示すのかは一概に断定できないが、認知行動療法は『合理的思考による情動の制御』という理性優位の世界観を前提としていて、構造化された臨床面接を通して仮説検証の手続きを採用しやすいという研究調査面での長所があると考えることが出来る。

メンタルヘルスの健康度を左右しQOL(Quality Of Life)の高低にも大きく影響してくる心理機能の情動や意欲の生起メカニズムと制御可能性については、また色々な観点から考えてみたいと思う。

■書籍紹介

目次

第1章 ダイナミックなシステム

第2章 意識の王国―右脳と左脳

第3章 脳の発電所―大脳辺縁系

第4章 感情は化学物質である

第5章 脳の生み出すもの―知覚の不思議

第6章 他人の脳に入り込む能力

第7章 記憶はどのように保存されるか

第8章 意識はどこにあるか

元記事の執筆日:2006/02/01

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