ヘンリー・タジュフェルの『社会的アイデンティティ理論』:集団間に働くインセンティブの行動原理,『泣くから悲しい』のジェームズ=ランゲ説:生理的反応と情動体験の認知の関係

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『泣くから悲しい』のジェームズ=ランゲ説:生理的反応と情動体験の認知の関係


『子どもの教育環境の調整による能力開発』が直面するモチベーションと社会的学習の問題


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ヘンリー・タジュフェルの『社会的アイデンティティ理論』:集団間に働くインセンティブの行動原理

『心でっかちの日本人』の書評の補足記事として、『タジュフェルの社会的アイデンティティ理論の反証実験』の概略について記事を上げておきます。この実験結果は、経済人(ホモ・エコノミクス)の行動原理としての『合理性・功利性・結果予測性』が、集団行動の中でどのような形で発現してくるかについて興味深いモデルを提示しています。

個別的な人間の行動の全てを、ゲーム理論に基づく帰結主義から一元的に理解することは出来ないし、それは端的に論理偏重の誤謬を孕んでいますが、全体的な人間集団の行動は、ゲーム理論によって予見される利得最大化の行動パターンで説明できることが多いように思えます。私は、自己やコフートの文脈での自己対象(自己の一部と思えるような重要な他者・家族・恋人)の利益を最大化しようとする行動原理が、単純に人間の意識的な利己性を表しているとは思いませんが、無意識的な自動化された自己保存行動のパターンとしてそういう利己性が現れる場面は多くあるだろうと思います。

瞬間的な判断において、直感的な認識において、私たちは外部から内部を切り分け、自己対象を外部対象よりも優遇して保護しようとします。個体レベルの自己保存欲求と集団レベルの自己保存欲求のアナロジーから生まれる排他的攻撃性や集団自衛権の問題が、現在の国際情勢では乗り越えがたい一つの障壁となっています。しかし、このタジュフェルの社会的アイデンティティ理論に対する反駁から楽観的予見を得ることもできます。

集団と個人が一体化するアイデンティティが必然的なものではないとする実験結果から導かれる楽観的予見は、内部と外部を差別することで得られる利益が縮小していくならば、私たちは固定的な内部集団の利益にこだわる行動をとる頻度が減っていくということです。私たちは、自己の利益や安全、幸福を増進させると思われる全体(集団)に対しては貢献し奉仕することがありますが、それは所与として所属している集団・民族・宗教に依拠するものではないということがタジュフェル理論の反駁から得られています。

外部世界に開かれた経済活動が格差拡大の方向ではなく、格差縮小の方向へと発展し続けるならば、私たちは外部にある他者の敵対心や憎悪を煽る内部優先の行動を取る頻度が減り、外部の他者も自分達の内部で排他的な団結や攻撃性を高めるインセンティブが小さくなるということを意味しています。格差縮小のベクトルというのは共産主義のような結果平等のベクトルではなく、最低限の文化的生活ラインを確保した上で自由競争を是認するベクトルであるべきだと思いますが、現在の世界状況では最低限の文化的生活ラインは先進国といえども全ての人に保証されているわけではなく、途上国になると武器を持って何らかの政治集団・武装集団に帰属することでしか自らの生存・安全・誇りを維持できない地域が無数にあります。

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ヘンリー・タジュフェルは、『最小条件集団』を使って、集団間で何故、差別的行動が起こるのかを明らかにする行動実験を行い、人間は集団に振り分けられるだけで外部集団に対して差別的行動を示し、内集団をひいきするという結論を引き出しました。最小条件集団というのは、ただ一つの無意味な特徴を共有する集団のことで、集団の成員に特別な関係がなく、共有する一つの特徴にもひいきする理由のない集団のことです。例えば、赤が好きな集団と黒が好きな集団とか、水が好きな集団と氷が好きな集団とかどうでもいい無意味な条件を共有する集団のことです。

本来ならば、こんな無意味な利害関係のない条件を共有していても、自分と同じ集団の人をひいきして、外部の集団を差別する必然的な理由はないはずですが、タジフェルの実験では最小条件集団でも内集団をひいきする行動が観察されたのです。タジュフェルは、この集団間の差別現象を『社会的アイデンティティ理論』で説明し、『人はある集団に分類されるだけで、自己アイデンティティを集団カテゴリーの一部として委譲する』という形で、個人のアイデンティティと帰属集団との心理的一体化の文脈で説明していました。

しかし、第四章『内集団ひいきはどのようにして生まれるのか』では、タジュフェルの社会的アイデンティティ理論確立の根拠となった最小条件集団が、実は最小条件を満たしていないことを指摘し、人は集団へ心理的一体化を起こすために内集団をひいきするわけではないことを証明しました。タジュフェルは、2つの集団の成員に、手持ちのお金から、内集団(自分の所属する集団)と外集団へ報酬を分配するように教示しましたが、この「双方向の条件」では「自分の報酬が他人の分配行動によって決定されてしまう為、完全な最小条件集団になっていなかった」のです。

そこで、山岸俊男氏のグループは、あらかじめ報酬額を決定してから、他人の分配行動によって自分の報酬額は変わらないという条件をつけくわえた「一方向の条件」を行ったところ、内集団に対するひいきの分配行動が起こらなくなりました。このことから、「双方向条件」のもとでは、他人が自分の報酬を決めるので『自分が内集団に有利な分配をすれば、他人も自分の集団に有利な分配をしてくれるに違いない』という好意の応報性の期待が強く働いたといえます。

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反対に、「一方向条件」では、あらかじめ決まった報酬額を受け取ることが分かっているので、他人の分配を気にする必要がなく『特別な人間関係や共通点があるわけでもない内集団をひいきする理由はない。内集団を優遇しても、自分に優遇の利益は返ってこない』と考える人が増えたのです。これを、本書では『相互に優遇し合えるというコントロール幻想』という表現で言い表していて、最小条件集団(無意味な共通点で振り分けた集団)に帰属する人の差別行動は、このコントロール幻想によって生まれると解釈されています。

実際に、実験が終わった後に『自分の集団の人間にたくさんの金額を分配すると、あなたも自分の集団の人からたくさんお金を渡してもらえると思いましたか?』という質問をぶつけると、内集団にひいきしていた人はイエスという回答を返す割合が高く、内集団と外集団に平等に分配した人はノーと返す割合が高かったという結果が得られたようです。後半では、『内集団ひいき行動』は相互依存的な関係がある場合のみに起きて、『内集団の好意的評価』と直接的な因果関係がないことが明らかにされています。

これは、自分の所属する集団をそれ以外の集団よりも素晴らしい集団だと好意的に評価する傾向はあっても、相互的利害関係がなければその好意的評価のみを根拠にして差別行動を取る人は少ないということを意味しています。しかし、こういった集団への協力行動や他者への優遇措置は半ば自動的に生起するものだとも考えられ、最終章で重要なキータームとなる『社会的交換ヒューリスティック』という認知機能の生得的モジュールによって引き起こされる行動だともいえます。

社会的交換ヒューリスティックは、集団内で他者との相互協力行動を自動的に引き出す認知モジュールであり、他者との好意や協力の交換が成り立つ社会的場面で働いて協力行動を取るものです。 これは、後天的な学習活動によって獲得するものではなく、進化心理学的な観点から生得的に備わった集団適応の認知モジュールだと考えられています。ただ、社会や集団には相互協力が期待できない人、恩を仇で返したり、一方的に好意や利益を搾取して交換関係が成り立たない人もいますので、社会的交換ヒューリスティックだけでは集団内での適応戦略として有効でない場合があります。

相互協力関係が成立しない相手を見抜けなければ、一方的に搾取されたり裏切られて損害を受けたりします。 そういった裏切りや搾取を働く人への対処モジュールとして『裏切り検知モジュール』というものも生得的にあり、人は何度相手に好意や協力をしてもそれに見合う返報をして来ない相手に対しては協力や好意を向ける頻度が低下する特性を持ちます。ここまで説明してきた『頻度依存行動・社会的交換ヒューリスティック・裏切り検知モジュール』の概念を組み合わせると、共同体間の対立や争い、集団間の差別やひいきの問題を『他者との相互作用によって自動的に生み出される現象』として理解することが出来ます。

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つまり、自分の所属する集団に対して利益を増大させる行為を取る人が多い場合には、内集団内部での社会的交換ヒューリスティックが強く働きますが、外部集団を敵視する裏切り検知モジュールも同様に強く働きます。 これは、かつての日本の村社会で生きた人々が持っていた認知特性であり、同じ村の構成員には好意や協力を示しやすいが、村の外部の他人には好意や協力を示しにくいという特徴となって現れます。この村社会の状況は、一人一人の心が外部の人間に対して冷たくて思いやりがないという事を意味するのではなく、各村落がそれぞれ内集団をひいきする行動を取っているので、自分の村以外の村に所属できる可能性が乏しいからです。

自分の村を離れて生存することが難しい、裏切り検知モジュールで集団から排除される村八分が生死に関わるという時には、人は、村社会の論理である内集団ひいきの社会的交換ヒューリスティックを最大限働かせ、内部と外部で差別的対応を取ることで身内意識を高めやすくなります。『内集団ひいきの頻度依存行動が起こり、そこで相補均衡を起きる』のは、集団内部のみで利益分配や協力行動を取っている時代・社会においてであり、『内集団と外集団で差別的なひいきをしない頻度依存行動が起こり、そこで相補均衡が起きる』のは、集団外部との人口流動が活発で、その内集団をひいきするインセンティブが乏しい時代・社会においてであるといえます。

『内集団を優遇して内集団から排除されないことで得られる利益』『内集団から飛び出して外集団と関係することで得られる利益』に圧倒されると、自分の所属する集団を味方として、自分の所属しない集団を敵とするような二項対立図式の認知モジュールが崩れてきます。もしかすると、こういった人間の生物学的な適応性に、世界紛争の解決や集団関係の改善のヒントが眠っているのかもしれません。

■書籍紹介

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方

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『泣くから悲しい』のジェームズ=ランゲ説:生理的反応と情動体験の認知の関係

人間の情動の形成機序と情動の適応機能について、過去の幾つかの記事で説明してきましたが、その多くは『認知→情動・感情・気分→行動』という時間的順序を前提としたものでした。心理臨床技法の事例検討及び効果研究の統計などから見ると、認知療法には有効性と信頼性に関する一定のエビデンスがありますが、認知療法の作用機序の根幹は『情動の主観的経験は、意識的な認知の変容の影響を受ける』という部分にあります。

外部の事象から得る刺激をどのように解釈するのかが認知であり、この認知傾向をセルフモニタリングして機能的に変容させることで、うつ病や強迫性障害、不安障害、嗜癖問題に改善効果が見られるとするのが認知療法の基本です。つまり、苦痛な情動や不快な気分を肯定的に変化させられる確信は『認知→情動→行動』の時間的な生起順序にあり、認知療法の有効性の基盤として重要な認識となっています。認知療法では『意識的・意図的・顕在的な認知過程』の重要性が強調される一方で、社会心理学や神経心理学の実験結果からは『無意識的・自動的・潜在的な認知過程』が情動の主観的経験に与える影響の大きさが示唆されています。

カウンセリングや心理療法の目的は、クライエントの機能的な精神状態の回復と心理的な不適応の問題解決にありますから、実際に効果が実感できるのであれば、この時間的生起順序の厳密な先後についてこだわる必要性はあまりないと思いますが、情動の評価と経験には『生理学的興奮をどう認知するか?』が大きく関係しています。自然科学としての精神医学を構想したドイツの医学者グリージンガー(Wilhelm Griesinger, 1817-1868)は、『精神病は脳疾患(身体疾患)である』という発言をして、更に『精神病は単一の疾患類型の多様な表現形態である』とする単一精神病説を主張しました。

古典的な単一精神病説の是非はともかく、シャクターなど社会心理学者らの実験結果によると、『情動は単一の生理学的興奮の多様な認知形態である』という解釈はある程度妥当性を持つようです。心理学的な精神機能としての情動、あるいは、精神医学上の症状としての情動は、心拍・呼吸・発汗・緊張といった生理学的変化と切り離して考えることが難しい心理状態です。喜怒哀楽や恐怖、不安などが短時間に生起してその程度が激しければ、必ず、心臓がドキドキしたり、血圧が上がって興奮状態になったり、背筋に冷や汗をかいたり、胸が締め付けられるような感覚が起きたりします。

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グリージンガーは、脊髄を介在する反射弓の情報伝達障害として精神疾患を説明しようと試みて失敗しましたが、“生理学的興奮”と“情動の主観的経験”とはある種の条件反射として結びついているといってもいいでしょう。ウィリアム・ジェームズカール・ランゲは、『悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ』という心理学史上の名言を残しましたが、このジェームズ=ランゲ説の意味するところも『生理学的反応のほうが心理的な情動体験よりも先に起こる』という事を示しています。

このジェームズ・ランゲ説の傍証実験としては、ダットンとアロンの『吊り橋実験』が上げられますが、これは吊り橋を渡る際の恐怖や緊張で生まれる生理学的興奮を、異性の性的魅力に対する生理学的興奮と錯誤したというものでした。強弱の程度と少ない種類しかない等質的な生理学的興奮(自律神経系の興奮や脳内ホルモン分泌)がまず起きて、それがどういった情動に分類されるのかを後で認知しているというと、常識的な感情理解と矛盾するように感じますが、そういった情動の分類の認知はほんの一瞬で為されるために、通常、意識下で自動的に行われています。

生理学的変化が情動の体験に先行するというジェームズ=ランゲ説に対して、キャノン=バード説では脳の視床を情動の座として情動の主観的体験を分析しています。キャノン=バード説では、生理学的変化は確かに情動体験よりも先に起こるが、末梢器官の生理学的変化が大脳に伝達されるまでに時間がかかるので、実際に意識されるのは情動の体験のほうが早いという説明がなされています。

日常生活で私たちが体験する喜怒哀楽の感情・情動の多くは、外部環境からの刺激を受けて反射的な生理学的変化が起き、それをどのような原因に帰属するかによって自然に分類されています。反射として起きた身体の内的変化を、無意識的な認知過程で情動評価(情動のラベリング)して、情動体験は知覚されているということになります。その例外として、内省的なイメージの想起や想像的な感情体験の体験などがありますが、そういった意図的に感じている情動に限っては、意識的に感情を生起させて生理学的変化を付随させているといえるでしょう。

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心理臨床技法としての認知療法は、認知傾向(物事の解釈の特徴・現象の受け止め方の方向性)にラベリングして改善すべきポイントを明確化しますが、日常的な人間の情動機能は、生理学的変化(自律神経系の興奮や内臓器官の感覚)に情動の種類をラベリングします。その最大の違いは、前者の認知療法のラベリングは『意識的・顕在的なラベリング』である為に自分で認知傾向をコントロールしやすく、後者の情動体験のラベリングは『無意識的・潜在的なラベリング』である為にラベリングしている事実にさえ気づくことが殆ど不可能であるという事です。

日常生活の様々な刺激によって起こる情動の体験がどのような感情の種類(喜び・怒り・悲しみ・不安)と結び付けられるかは、潜在的認知過程によって決まってくるので事前に予測する事が困難です。その為、情動の内容を変化させる為には、事後的に内省や想起を行って、解釈のし直しや認知の変容をしていくことが多くなります。潜在的な認知過程で『情動のラベリングの判断材料』になるものとして、本能的な生存欲求以外にも、幼少期から積み重ねてきた感情体験や人間関係、社会的場面での成功経験や優越感・劣等感などがあります。

自分自身で幾ら思い出して意識化しようとしてもなかなか出来ないという意味では、潜在的な情動のラベリングの基準は、フロイトの精神分析でいう無意識概念に近い側面を持っています。フロイトもリビドーの定義として生理学的な衝動エネルギーといった概念を適用していましたので、人間の生理的反応の機序に無意識的な情動や感情の源泉があると直観していたのかもしれませんね。情動の種類を規定する『潜在的な認知過程』を、ある程度コントロールしようとする方法としては、『目的とする原因帰属を起こしやすくする情報の提供』があります。

蔗糖などの偽薬に効果があると教示して投与すると、本当に薬としての効果が見られるようになるプラセボ効果も、原因帰属の錯誤を生み出す情報提供によって成り立つ興味深い現象ですが、自分の身体の変化を薬剤の影響として事前に説明すれば、多くの場合、個人的な感情反応を抑制します。自分の意志ではどうにもならない自然現象や化学作用に原因帰属させるような情報を十分に説得力をもって与えれば、人は悪い結果や不快な生理反応が起きても怒りや不満を露わにすることが少なくなり、主観的な情動体験ではなく客観的な環境要因(生理作用)に原因を求めるようになるからです。

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逆に考えると、自らの意志で結果を変えられる人為的要因に原因帰属させる認知は、怒りや悲しみ、不満といった情動のラベリングを引き起こしやすくなり、自らの努力で結果を変えられない自然的要因に原因帰属させる認知は、マイナスの情動のラベリングを起こしにくくすると考えられます。気分障害などで強烈な抑うつ感や耐え難い自罰感情を生じている人は、多くの場合、『原因帰属の誤謬』として全ての悪い結果や状況の原因を『自己の行動・性格・能力・意欲』といった部分に帰属させて苦しんでいます。

この苦痛な精神状態を緩和させる為には、自己の支配や制御、責任の及ばない不可避な事象への想像力を高めていき、『偶然的な要因・自然生起した不運・変更可能な要因』へと原因帰属させて過剰な責任感や自己コントロール欲求を弱めていくことが必要です。 今回は、『生理的反応と情動体験の無意識的分類』について書きましたが、また、『行動の生起と意識的な認知(自覚的な判断)の時間的順序』について分割脳や脳損傷の認知特性の知見などから考えてみたいと思います。

■書籍紹介

ウィリアム・ジェイムズ入門―賢く生きる哲学

『子どもの教育環境の調整による能力開発』が直面するモチベーションと社会的学習の問題

うつ病や全般性不安障害、強迫性障害、適応障害など人間の精神障害を構成する基本要素として、『情緒障害=情緒の制御困難・情緒の過剰亢進と異常抑制』を想定することが出来ます。精神医学タームでは『心因反応』という言葉が頻繁に使われてきたように、強い不安感や抑うつ感、強迫観念、感情鈍磨などの精神症状を『外的・内的刺激に対する一時的な精神反応』で理解する行動科学的な病理観があります。心因反応は、応用範囲の広い疾病概念であり、幻覚妄想のような病態水準の深刻なものから、その場だけで生起する驚愕・恐慌反応、短絡的行動のようなものまでを含みます。

心因反応を起こす刺激としては、『外部環境からの刺激』と『内部要因(遺伝・気質・人格)からの刺激』を想定することが出来ますが、どちらの場合にも、心に与える強い刺激やストレスが精神の反応を引き起こすという基本理解は共通しています。人間の行動メカニズムを『刺激に対する反応』と定義するS-R理論については、『こころと行動を対象とする心理学』の記事で説明しました。

報酬の効果を持つ快の刺激と罰の効果を持つ不快の刺激を強化子として用いて、人間を含む動物一般の行動パターンをコントロールできるとするオペラント条件付けの理論については、『人間の行動を統御するメカニズムとしての快楽原則と学習理論』の記事に書きました。行動傾向とその頻度を変容させる強化子(正と負の作用を持つ刺激)を用いるのは、オペラント条件付けを応用した行動療法の原則ですが、心理療法と無関係な人間の社会的行動の多くもオペラント条件付けで説明できるとするB.F.スキナーらの急進的行動主義(radical behaviorism)の立場もあります。

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ただ、現段階で、内面心理の認知判断を無視する急進的行動主義の説得力はあまり強いものではなくなっていて、脳科学や神経心理学などの知見を合わせて考えると、人間の行動には、生理反応やオペラント条件付けだけでは説明できない認知過程が介在していると考えられます。同一刺激による強化を十分に与えても、ある個体がその行動を取るか取らないかには差異が生まれますが、その差異は内的な認知判断(物事をどう解釈するか)によって生まれてくると推測されています。もちろん、強烈な快の効果を持つ『正の強化子』を現実原則を無視して与えれば、ある程度、人間の行動を思惑通りにコントロールできる可能性はありますし、死や重傷につながる危険な『負の強化子』を与えれば、多くの人間はその行動を取ることを諦めるという意味で、行動主義心理学の理論は高い説明能力を保持しています。

観察可能な行動を対象とする科学的な心理学の究極目標は『人間の行動メカニズムを一般法則として解明すること』にあります。その意味で、『条件付けの原理で将来の行動の予測を行う行動主義心理学』は、高い関心を集めた時期があったということでしょう。ワトソンが、産まれたばかりの新生児の人生過程や職業決定を、環境決定論的な条件付けで自由にコントロールできると豪語した背景には、科学的心理学によって人間の行動パターンを調整することが可能だという素朴な『行動制御(強化・消去)の信念』があったからです。

この信念のどこが間違っているのかというのは、通常、自分自身の行動形成パターンを考えてみると分かると思いますが、人間は環境条件を万全に整えられて、適切な強化子を与えられたとしても、目的の行動を取らない可能性に絶えず開かれているからです。例えば、自分の子どもに多額の教育投資を施して、0歳時から最高の教育者を専従させ考えられる限りの英才教育をしたとして、世界有数の天才的な学術能力やずば抜けた職業能力がその子どもに備わるかといえば、おそらくそれほど有意な相関はないでしょう。

最も端的な要因として、遺伝特性と生得的要因の差異があり、極めて高度な知的能力や芸術的創造性の開発については、単純な勉強量だけでは超えられない壁があると言われています。社会的資源の要素が関わってくる職業や地位については、単純に心理学的な観点からの分析だけではなんとも言えない面がありますが、環境調整だけで望みどおりの成績や職業を実現するのはほぼ不可能でしょう。天才的な知能の発達にまで至らなくても、それなりに学業優秀で芸術面の才能が豊かな子どもへと教育することは可能ではないかという疑問については、万全に整えられた教育環境は、それがないよりもあったほうが効果的なことが多いというくらいには言えるでしょう。

しかし、素晴らしい教育環境を十分に活用する為には、子どもがその環境から自分の能力開発や成績向上に役立つ意味をアフォードしなければなりませんし、そのためには、アフォードするきっかけとなる『内発的な動機付け(モチベーション)』の高まりがなければなりません。モチベーションを高める為の方法の一つとして、オペラント条件付けの強化子の活用があります。例えば、良い成績を取ればお小遣いを増やしたり、自尊心を高めるような褒め方をしたりすれば、ある程度の年齢・レベルまでは一定のモチベーションを高めることが出来るという考え方です。

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しかし、一定レベル以上の学習内容や社会活動になってくると、外的なインセンティブ(報酬効果のある誘因)だけでは限界が出てくることが多く、やはり、その学習や行動そのものに面白さや有意義さを見つけ出して積極的にその行動を取る内発的モチベーションのエネルギーがなければ継続的な成長や発展は望めません。モチベーションとインセンティブに関しては、行動主義心理学や教育心理学などで興味深い実験が多く為されていますが、最も強力に学習行動や社会活動を促進するのは外的なインセンティブよりも、自己生産的なインセンティブとモチベーションの循環であると考えられています。

特に、非常に難解な学術研究や極めて高度な技術開発、社会的責任の重い職業活動などの社会行動のモチベーションは、知的好奇心(内発的動機付け)と社会的承認(承認欲求の充足)、外的インセンティブ(経済的・対人的な報酬)のバランスが取れた時に、最高の水準へと上昇する特徴を持ちます。子どもの英才教育の話に戻ると、『与えられた有利な環境』を親の思惑通りに使いこなすアフォード(意味の発見)が、その子どもに出来るかどうかは未知数な部分が大きいでしょう。また、子どもの価値観や適性を無視して環境を押し付ければ、性格形成に演技性や攻撃性などの歪みが出たり、非行や不登校などの問題行動が起こってくる恐れもあります。

急進的行動主義の『強化・消去による行動制御』の原理が実際の人に通用するという考え方の前提には、『結果としての利益を追求するという合理主義』『所与の環境を効率的に利用するという理性主義』があります。しかし、自分自身を振り返ってみると分かるように現実の人は、特に幼少期の子どもは、それほど『合理的な結果を予測する行動』を取りませんから、行動主義による人生のコントロールは大方挫折する宿命にあるといえるのではないかと思います。

何故、現実の人間は、環境決定論的に振る舞わないのかという事について、メタ次元からの解釈をするならば、自由主義社会では人は『多元的な社会環境を必然的に生きるから』と言えます。子どもの健康な精神機能の発達には、必ず他者とのコミュニケーションが必要で、外部世界の知覚と認知による情緒の変化の体験が必要ですから、子どもの活動範囲が広がるにつれて『所与の環境の外部』と接触する機会が増えてきます。

幼稚園への入園や小学校への入学などを通して、子どもは子どもだけから構成される『子ども社会』という大人の介入が難しい生活環境を持つようになるので、先生・友人の行動の模倣(モデリング)や集団行動への適応など『社会的学習』の効果が大きくなってきます。乳児期(感覚運動期)の生得的なミラーリングの模倣などは反射的なものですが、幼児期(2-7歳頃)になって『物事の表象(イメージ・意味・記憶)』を内面に思い浮かべられるようになると、『単純な刺激に対する反応としての行動やモデリング』は起こりにくくなってきます。

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幼児期から成人に至るまで行動形成の原理を主に支配しているのは、単純な『刺激に対する反応としての行動(S-R結合)』よりも、『刺激の解釈(認知過程)によって導かれる予期』であり『他者との関係性や選択的注意によるモデリングの作用』といった社会的学習の原理です。社会的学習のうちで、環境刺激がどのような事象を引き起こすかの予期や自分や他者の行動がどのような結末に至るかの予期を含む学習を『予期学習』といい、予期学習は人間がどのような行動を選択するかについて絶えず機能しています。

予期学習に限らず社会的学習の最も重要な特徴は、『自分の直接的経験に依拠しない観察学習が可能である点』に集約されますが、この直接経験に依拠しない特徴を応用すると、恐怖や喜びの情動生起や性的対象に対する生理学的興奮を、間接的な言語や情報、絵画などの提示によって引き起こすことが可能となります。喜怒哀楽の情動学習では、『代理的予期学習』というものが高等類人猿でも確認されており、他者の恐怖や苦痛を観察すると、その同じ状況に対して自分も恐怖や不安の情動を感じるような学習が成立します。

しかし、情動学習を含む代理的予期学習の成立のキーは、選択的注意をどれだけその観察対象に向けているか、どれくらい自分自身の立場と置き換えて認知しているかに大きく左右されます。モデリングによる学習全般の効果は、モデルの行動や反応に対する『注意過程(どれだけ注意や関心を向け集中して見るか)』に大きくかかっているので、初めから興味のない他者や注意のいかない事象に対してはモデリングは起こらず、観察学習全般は失敗に終わることが多いとされます。子どもの教育との関連でいえば、直接経験とその経験に対する報酬と同等以上の効果を、周囲の友人(同世代の子ども達)の行動を観察してモデリングする行為は持っていて、それが良い方向に働ければ学校環境や友人関係への適応を高めたり、学業成績を向上させたりすることになります。

また、モデリング(観察学習)は、反社会的な集団行動や逸脱的な非行行動においても大きな働きをしており、反社会的な行動とその肯定的評価(周囲からの承認や尊敬)を繰り返し観察する環境におかれる時間が長くなると、その行動の模倣が見られやすくなることがあります。マスメディアの情報発信による流行の普及も広義のモデリングに含まれますが、流行の場合には頻度依存行動によって受け取る『正の強化の作用(皆と同一の行動を取ることによって得る承認や評価)』も大きく働いてきます。

現在では、インターネットの登場によって情報・映像・画像への注意過程が拡散してきていますが、インターネットが普及する以前のマスメディアは圧倒的なモデリング効果を持つ媒体として機能していたといえるでしょう。とはいえ、テレビや新聞などが発する情報が世論の注意を喚起する比率は、インターネットの単独サイトが注意を集める比率よりも圧倒的に高いので、現在でも、常識観念や中心的価値観の形成を促す強力な情報媒体(モデルの提示媒体)としての機能を失ってしまったとは言えません。社会的学習理論でいう『行動の学習』『行動の遂行』を切り離す自我機能の高まりと合わせて、観察学習をしてもそれを実行するまでには至らないという批判精神の高まりがネット社会では見られます。

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これを現代の価値相対主義と結びつけると、現実社会とネット社会に流通するモデリングの対象が余りに膨大になった為に、『行動の遂行』と結びつくモデルの取捨選択が難しくなった状況だといえるかもしれません。A.バンデューラ社会的学習理論では、観察学習は以下のような過程で進められると定義されています。

【注意過程→保持過程→運動再生過程→動機付け過程→一致反応の遂行】

■書籍紹介

状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加

元記事の執筆日:2006/04/10

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