集団知能検査の開発を促進した第一次世界大戦:投影法の性格検査と無意識概念
心理検査(心理テスト)の前提にある人間観1:統計的な信頼性と妥当性を重視する心理測定論
心理検査(心理テスト)の前提にある人間観2:個人に固有のパーソナリティの総合的・歴史的理解
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心理アセスメントで用いる心理検査とインフォームド・コンセント:ビネー式知能検査による一般知能の評価
臨床心理学の研究分野を構成する主要分野には、『心理療法の理論と技法・心理アセスメント・異常心理学(精神病理学)』があり、心理検査(心理テスト)を中心とする心理アセスメントでは、クライエントの問題解決や利益増進を目的とした各種テストを行ってその後のカウンセリング計画や治療方針を立てていきます。過去の『カウンセリング理論(心理療法理論)の実践と異常心理学(精神病理学)の発展の相補性』の記事で、クライエントの客観的理解を進める異常心理学と心理アセスメントの関係について触れ、心理療法(カウンセリング技法)の各学派が、それぞれの技法の有効性を説明する独自の精神病理解釈を持っている事を示しました。
各心理療法の効果を根拠づける精神病理学には主観的な推測や説明的な解釈が入り込むことがありますが、最も客観的科学性が高い精神病理学は、実証された生物学的理論を前提とする精神医学の精神病理学(記述精神病理学)だと言えると思います。ただ、心理療法やカウンセリングの適切な選択や効果の発現に役立つ精神病理学という観点からは、客観的で実証的な精神病理学が必ずしも有用性が高いとは言えない部分があります。 精神分析や行動主義、認知理論に基づく精神病理の解釈も、常識的心理観との親近性やカウンセリング場面への導入効果があり、技法の選択や経過の説明に際して役立つことが多くあります。
心理アセスメントを行う最終的な目標は『クライエントの問題解決・症状改善・利益増進・苦痛緩和』といった臨床活動(カウンセリング実践)への応用にあり、『カウンセリングに必要なクライエントに関する情報収集』を効率的に行えるテスト・バッテリー(心理テストの組み合わせ)を組んでいきます。心理アセスメント(心理査定)の実施方法には、『調査的面接・診断的面接・受理面接(インテーク)』のような面接技法によるアセスメントと『知能検査・性格検査』に代表される心理検査(心理テスト)を用いたアセスメントがあります。心理アセスメントは、プライベートな領域の個人情報(心理・病理・生活履歴・人間関係のデータ)を収集して分析するという特徴がありますから、カウンセラーはクライエントのインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)を得た上で実施しなければなりません。
カウンセリングにあまり必要でない不適切な心理アセスメントを実施したり、クライエントに理解できる形で心理検査に関する説明を行わない場合には、心理臨床分野における職業倫理的な問題が生じてきます。科学的客観性のある心理検査の学問的な歴史は、臨床心理学に応用する性格検査として始まったのではなく、初頭教育の分野で普通教育についていけない生徒を選別する知能検査として始まりました。心理検査(心理テスト)において職業倫理や倫理規程などが問題になってくる背景には、心理検査の実施が『正常性・異常性の価値判断』や『健常性・病理性の識別指標』から完全に自由になることが難しいという理由があります。
心理検査の目的論の次元では『知的障害児や発達障害児の専門教育(特殊学級教育)を充実させる為に行う知能検査であり、本人の到達できる知的水準や学習課題に専門特化した教育カリキュラムを組むことで社会的自立(環境適応)を促進する』といった肯定的な解釈を為すことが当然できますが、個人の人格特性・知能水準・精神病理を測定しようとする心理検査の基盤には『正常性・異常性の二元論的評価軸』があることもまた事実なのです。『生産性・効率性・学校教育・技術水準』によって支えられる近代産業社会は、平均的な人格構造や標準的な価値観を持った社会適応性の高い人間を学校教育で育成しようとするオートポイエティック(自己生成的)なシステムを必然的に内在させます。
他者と対等に意思疎通できる精神の正常性や知的能力を持っているか否かによって人格の責任能力や社会適応性(集団帰属性)を判断することも少なくありませんが、私たち一人一人が、『正常性と異常性の境界線の問題』に対して無自覚になることは、精神疾患や各種の心身障害への差別や偏見を助長することにつながる恐れがあります。中心的価値観からの異質性の排除について関心のある方は『フーコーの系譜学的研究『狂気の誕生』:精神の正常と異常の価値序列の相対性』の記事を参照してみて下さい。特に、精神病理や各種発達障害を査定する心理検査では『平均値からの逸脱・標準特性からのズレ・異常な数値・特殊な生活履歴・特異な性格特性』などにまず検査者は注意を向けなければならず、異常性・特殊性・病理性といった問題群を解決するという観点からカウンセリング計画や治療面接の指針を立てていくことが多くなります。
クライエントのパーソナリティや精神生活の履歴を総合的に把握するという究極的な目的があるのは確かですが、まずは、クライエントの苦悩や葛藤、病理といった心理的問題を改善することがプライオリティ(優先事項)となります。そして、『結果として得られる幸福・利益』を考える功利的な帰結主義の立場からは、心理検査の結果を積極的に利用する事は望ましい事と判断され、問題の早期発見によって改善効果が得られるケースが多くなります。その為、病気を発見する為の医学検査や異常を発見する為の心理検査を実施すること自体に倫理的な問題があるわけではなく、『検査実施の趣旨・検査の方法と測定する内容・検査結果の利用目的・個人情報の保護』を十分に説明して被検者の同意を得てから実施する必要があるということです。
19世紀の科学的心理学の発展に呼応する形で心理検査の歴史も幕を開けますが、初めに心理検査の作成が行われたのはパーソナリティの性質や構造を分析する性格検査(personality test)ではなくて、知能という精神機能を相対評価する知能検査(intelligence test)でした。1905年に、フランスのアルフレッド・ビネー(Alfred Binet, 1857-1911)は、文部省所属の専門機関『異常児問題研究委員会』の嘱託を受けて、初等教育で児童の知能の発達水準を測定する知能検査を開発しました。このA.ビネーとビネーの友人の医師T.シモンによって作成された知能検査は、規定の学習カリキュラムをこなせる正常児とそうでない精神薄弱(精神遅滞・情緒不安定=現在のADHDに該当)の問題を抱える児童を識別する目的で開発されたのですが、それ以前の恣意的な心理テストと比較すると科学性や客観性が高いものとなっています。
ビネーは、児童の発達年齢に対応した問題を作成して、『解答できた問題の難易度』によって知能面の精神年齢(MA, Mental Age)を測定できると考え、1908年版と1911年版の改訂版を開発しました。ドイツのウィリアム・シュテルン(Stern,W. 1871-1938)が提唱した知能指数(IQ,Intelligence Quotient)の概念を取り入れて、一般知能水準の客観的な測定尺度としてビネー式知能検査は完成度を高めていきます。アメリカのスタンフォード大学に所属していたL.M.ターマンは、1916年にビネー式知能検査を標準化して知能指数を測定できる『スタンフォード・ビネー知能検査』を開発しました。
日本では、鈴木治太郎による『鈴木ビネー(実際的個別的知能測定法, 1925)』や田中寛一による『田中ビネー(知能検査法, 1947)』という知能検査へと改訂されて学校教育で実施されるようになりました。また機会があれば、知能検査や性格検査についてもう少し掘り下げて倫理学的な問題意識や哲学的な思索と絡めながら色々と考えてみたいと思います。 一般的な理論や知識としての心理アセスメントについても、投影法(projective method)や質問紙法(Questionnaire)など各種心理検査ごとに整理してまとめようかと考えています。
■書籍紹介
心理テストの種類・特徴・目的・問題解決に合わせた利用法などがバランスよく網羅された書籍で、心理テストの基礎知識を整理するには便利です。心理テスト全般に関する知識を、とりあえず一通り得ておきたいという人や辞書的なリファレンスとして使いたい人に向いていますが、各心理テストの実際の事例や理論背景の詳細について知るには、もう少し専門的な参考文献に当たる必要があるかと思います。
心理テスト法入門―基礎知識と技法習得のために
集団知能検査の開発を促進した第一次世界大戦:投影法の性格検査と無意識概念
『心理アセスメントで用いる心理検査とインフォームド・コンセント』の記事で、クライエントの利益増進や問題解決につながる心理アセスメントの種類(面接技法・心理検査)と目的について書きました。極めてプライベートな領域に属する個人情報を収集分析することになる心理検査(心理テスト)には、必然的に倫理的義務が付随することとなります。心理検査を実施する際に心理臨床家(カウンセラー)が負うべき倫理的義務を簡単にまとめると、心理検査実施に関する説明を行いクライエントの同意を得る『インフォームド・コンセント』と検査結果や個人情報に対する『守秘義務』の2つになります。
また、カウンセリングや心理療法の適用に際して必要でありクライエントにとって有益な心理検査を精選して実施することも大切なことです。心理検査(心理テスト)の歴史は、フランスの初等学校教育において精神遅滞(高次脳機能の発達障害)児童を選別するアルフレッド・ビネーの知能検査開発によって幕を開けましたが、もう一つの知能検査の歴史過程として軍隊における選別に応用された適性検査の歴史もあります。ビネー式知能検査は開発当初は、検査者と被験者が一対一で向き合って実施される個人検査でしたが、軍隊の任務遂行に耐える能力を持つ兵士を選抜する為の適性検査(知能検査)としては効率の悪いものでした。
知能検査の効率性と経済性を考えると、一人の検査者で多数の被験者を検査できる集団知能検査のほうが優れていることは明らかなので、1912年にA.S.オーティスが『はい・いいえ』で回答する二件法の集団知能検査を作成しました。1914年にセルビアのナショナリストがオーストリアの皇太子夫妻を暗殺する事によって人類初の総力戦である第一次世界大戦(1914-1918)が勃発します。 アメリカも無差別攻撃を仕掛けてくるドイツ(三国同盟)に対立してイギリス・フランス・ロシアの三国協商側に味方して参戦することになるが、この第一次世界大戦時のアメリカにおいて初めて集団知能検査が兵士選抜用途で本格的に実施されました。
何故、第一次世界大戦において集団知能検査の需要・要請が高まったかというと、この世界戦争から物資と人員の損失が激しい総力戦へと突入して、優秀な人材を適正に配置する戦略的な重要性が高まったからです。それと同時に、操作操縦に高度な技能・知識を要する科学技術(戦闘兵器)が戦争に使用され始めたことも関係しています。現在のカウンセリングや学校教育に用いる心理テストのイメージからするとかなり殺伐としたものになりますが、上記のような歴史的背景があって、心理テスト開発の初期には戦時の兵員選抜に知能検査が応用されていました。
毒ガス・戦車・装甲車・戦闘機という科学兵器(工業機械・強力な銃火器)を過誤なく使用して効率的に敵軍を殲滅する為には、兵士をその知能や技術に応じて適材適所に配置する必要性があります。 特に、大量破壊兵器として驚異的な殺傷能力を持つ毒ガスなど化学兵器の取り扱いや高度な動態視力と運転技術を必要とする戦闘機・戦車・潜水艦の運転には、一定以上の知能水準と訓練機関が必要です。その為、高い学習能力のある早い段階で優秀な学生を選抜して、適切な部署に配置したいという軍部の意図が生まれ、それがスクリーニングの役割を果たす集団知能検査へとつながっていきました。優秀な士官候補や有能な技官候補、適性の高いパイロットなどを多くの学生達の中から効率的に選抜する為の知能検査が20世紀前半の時代には求められることが多かったという事ですが、現代の学力試験(アチーブメント・テスト)や資格試験・採用試験なども人材を能力によって選別し適性に応じて配置するという目的を持っています。
有名なアメリカ軍部の集団知能検査としては、R・M・ヤーキーズらが1918年に開発した『USアーミー・テスト(米国陸軍式知能検査)』があります。ヤーキーズは、英語を母国語とする兵士たちの知能水準を言語機能(語彙・文法・論理・記憶など)で測定する『α式検査』と英語の読解能力が十分でない移民・外国人の知能水準を図形・記号・数字・絵画などの問題で計測する『β式検査』を作成しました。しかし、α式とβ式が測定する知能はそれぞれ異なる能力なので、両者の検査結果を同次元で比較することには余り意味がないと考えられます。
α式が言語・論理・語彙・文法などの能力を測定するのに対して、β式は計算・空間把握・記号操作・図形認識・絵画の解釈などの能力を測定するので、バランス良く知能水準を計測するのであればα式とβ式の両方を併用することが望ましいです。現在の知能検査の多くは、言語性知能と非言語性知能、あるいは結晶性知能(知識・記憶・形式の固定的な知能)と流動性知能(応用・実践・適応の可変的な知能)の双方を適正に評価できるようなテスト内容が工夫されています。知能検査で測定される知能も、多彩で複雑な精神機能の一つであり生活環境や人間関係からの影響を受けますが、『気分・感情の状態や家族関係、対人関係、生活史(成育歴)、価値観、興味関心、動機づけ、病理性』といった精神機能(人格特性・生活環境)と比較すると他者との関係性や社会的な環境から受ける影響が小さいという特徴を持ちます。
学業成績と区別される狭義の知能水準(IQ)は、個人の遺伝要因や発達早期の環境要因によって規定される部分が大きく、対人関係パターンを含む広義の性格特性と比較すると外部要因や人間関係の影響が小さくなります。心理検査の内容も特徴的であり、知能検査には『問題に対する正解』があり相対的な結果の高低があります。一方、知能検査以外の心理検査には正解と間違いといった区別はなく、個体差を記述する為の『イデオグラフィック(個性記述的)な差異』があるだけです。 その為、心理検査は、知能検査と知能検査以外の性格検査(パーソナリティ・テスト)という風に分類されることが多くなっているのです。
性格検査の起源は、運命鑑定や占いといった要素を持つ簡易な性格判定を含めると相当に昔の時代から存在していたと考えられますが、精神医学領域で精神障害の鑑別診断などに利用された性格検査としての歴史は、エミール・クレペリン(E.Kraepelin, 1856-1926)の自由連想検査(1892)が嚆矢だと言われています。体系的な精神医学の教科書を記述したエミール・クレペリンは、近代精神医学の父とも呼ばれる人物であり、臨床経験と学術研究をもとに客観的な精神症状の記述・分類を行いました。精神病理学領域の研究活動では、科学的な世界観と方法論を採用したクレペリンですが、心理検査領域の自由連想検査では、科学的な信頼性や妥当性が余り高くない投影法を用いて鑑別診断の参考にしました。
自由連想検査は、カール・グスタフ・ユングが統合失調症患者との診療面接などでよく利用していたという言語連想検査と類似したもので、事前に選択しておいた「測定したい内容と関係のある刺激語」に対するクライエントの反応・回答を見るものです。フロイトに師事した時期のあるユングは精神分析学の影響を色濃く受けていて、彼の言語連想検査は、「無意識領域の心理内容」を回答に反映させることを意図しています。それと対照的に、精神分析学に対して冷淡だったクレペリンの自由連想検査は、無意識領域の存在や反映を意図していないという特徴があります。
投影法(projective method)というと、一般的に、質問紙法では測定し難い無意識領域の内容や抑圧された気分・感情・性格傾向を言語や絵画に反映させる心理テストだと考えられていますが、最も知名度の高い投影法のロールシャッハ・テストの開発者ヘルマン.ロールシャッハ(H.Rorschach, 1884-1922)も精神分析的な無意識解釈について実験報告の論文では触れていません。ロールシャッハは、精神分析理論(力動的精神医学)の無意識概念を意識するよりも、人間の知覚反応や判断能力が行動発現に与える影響を非常に高く評価していました。左右対称のインクのしみで書かれたロールシャッハ・テストの図版に対する反応は、被験者の無意識の欲望や感情ではなく、被験者固有の知覚反応のパターンであるとロールシャッハは考え、その特徴的な知覚反応が特定の行動や性格に結びつくと仮説したのです。
しかし、アメリカでロールシャッハ・テストの研究と改良が進行するにつれて、知覚反応を計量化(点数化)するロールシャッハ・テストが洗練されていき、無意識を前提とする精神力動的な解釈を施すことが多くなりました。ユングの言語連想テストやクレペリンの自由連想検査は、医学的(学術的)な性格検査(パーソナリティ・テスト)として実施する投影法の始まりであると考えることができ、信頼性と妥当性を検証しながら作成する統計学的根拠のある質問紙法よりもやや長い歴史を持っています。質問紙法と投影法の種類や特徴、その効能と限界についても考えてみようと思いますが、科学的な信頼性・妥当性という意味では投影法には必然的に解釈の曖昧さや恣意性がつきまといます。
その代わりに、質問紙法の限界である『社会的望ましさによる作為的な選択変更』の影響を受けにくいという長所があり、クライエントの側が心理検査の結果を事前に予測し難いという特徴を持っています。一般法則で予測することが困難な人間の心理特性や生活状況を測定する心理検査というのは、統計学的根拠や経験論的(実践的)な有効性に支えられています。心理検査の技法は、物理学や化学、生理学といった自然科学分野の一般理論と比べると、実証的な科学性や客観的な明証性では劣りますが、心理検査の優劣の判断基準は、飽くまでも実践的な効果につながる統計的根拠(信頼性や妥当性)にあると考えられます。
投影法は仮説演繹的であり、カール・ポパーが科学理論の条件として挙げた反証可能性に乏しいですが、長い歴史的検証を積み重ねてきたTATやロールシャッハなどの投影法は臨床診断やカウンセリング・教育活動における有効性が経験的に確認されています。質問紙法は演繹や帰納といった科学的方法論に依拠せずに常識的な質問項目の内的整合性や質問の妥当性をまず検討します。その上で、繰り返し同じ質問紙によるテストを実施して、被験者から安定した結果を得られるか否かの信頼性を統計データをもとに検証します。
■書籍紹介
心理統計学の基礎―統合的理解のために
心理検査(心理テスト)の前提にある人間観1:統計的な信頼性と妥当性を重視する心理測定論
心理検査(心理テスト)作成の根底にある基礎理論には、『精神分析(力動的心理学)・行動科学モデル・認知理論モデル・(統合的)生態システム論』など様々なものがあります。無意識的な力動(葛藤)を前提とした特殊性を有する投影法には幾つか例外がありますが、知能検査を含む質問紙法のほぼ全てが量的研究法による『心理測定論』を前提としています。人間の心的過程(行動・認知・知覚・感覚・記憶)を心理統計学などを用いて数量的に理解しようとする心理測定論の立場は、知覚・感覚の実験心理学の実験研究の歴史から始まったと考えられます。
心理学史の上では、科学的な実験法を採用した近代心理学の確立者としてヴィルヘルム・ヴント(Wilhelm Wundt, 1832-1920)の名がよく知られています。1879年にライプチヒ大学に初めての心理実験室を開設した事績によってヴントは、科学的研究に基づく実験心理学の父と呼ばれます。しかし、ヴントの同時代人の心理学者を見渡すと、精神物理学を構想して『ヴェーバー・フェヒナーの法則(1860)』を提唱したフェヒナーやヴェーバーなどがいます。特に、『精神物理学要論』を書いたグスタフ・フェヒナー(G.Fechner, 1801-1887)の意図した精神物理学は、客観的な心理学実験によって人間の精神機能(感覚・知覚)を測定して関数表記(数式化)しようとするものであり心理測定論の立場の典型でもあります。
心理検査の基本的立場として心理測定論を考えているテスト作成者は、無意識領域の力動や記憶が心理テストに反映されるとする投影法には批判的であり、統計学的に分析された検査結果の有意性を重視します。また、心理統計学による数量化を前提とする心理測定論は、『心理検査の標準化』への高い適性を持ち、多数の母集団からのサンプリングによって心理査定の為の基準値を定めようとします。
心理測定論の立場にたった心理検査が理想とするのは、検査者の主観的判断や恣意的操作が介在する余地のない『標準化された心理検査』であり、数多くのサンプルから導かれた基準点数と比較することによって被験者の心理特性を査定しようとする。例えば、心理測定論に準拠して知能指数(IQ)を測定する知能検査では、膨大なサンプリングから導出された統計データの正規分布(normal distribution)によって被験者の知能水準を判定する。十分なサンプルを準備した学力試験や知能検査では、その検査結果の統計のグラフはほぼ間違いなく正規分布曲線を描く。統計データの基礎的な分散を示す正規分布曲線とは、何かのテストをした場合に、平均点付近の点数を取る人数が最も多く、満点に近づくほど人数が少なくなり、同時に、零点に近づくほど人数が少なくなるという経験論的現象をグラフにしたものです。左右対称の釣鐘型のグラフになることから、英語ではベル・カーブ(Bell Curve)と呼ばれることもあります。
IQの正規分布は以下のようになりますが、知能検査の結果の判定はこういった標準化された基準に基づいて行い検査者の恣意的解釈や主観的判定は行えないようになっています。こういった数量化された明確な基準があることが、心理測定論の最大の特徴と言うことができます。臨床心理学的査定や精神医学的診断と関係の深いLD(学習障害, Learning Disability)や知的障害などの判定にも数量化された知能指数を機械的に当てはめることがありますが、知的な精神発達過程を心理測定論のみに依拠して区別し診断することには自ずから限界があることもまた確かです。
IQのおおまかな正規分布の目安
IQ130以上:2.0%
IQ120-129:7.0%
IQ110-119:17.2%
IQ90-109:49.5%
IQ80-89:15.3%
IQ70-79:6.5%
IQ69以下:2.5%
心理測定論の心理アセスメントではIQ70以下を知的障害と判定するように標準化されています。知的障害の精神保健福祉行政では、都道府県によって異なりますが、最重度・重度・中度・軽度などの段階的なスペクトラムで判定することが多くなっています。
しかし、基本的な生活技能や社会適応、対人スキル、職業能力に関しては知能指数だけで査定することが難しい部分も多くあります。
特に、軽度知的障害の場合には障害を意識することなく社会生活に適応できるケースも少なくありませんし、IQは生活年齢(実年齢)と精神年齢(知的能力)との比較による相対的な指標ですから生涯にわたって完全に不変なものではありません。
ここでは心理テストの基礎理論としての心理測定論を中心に書いていますので、知能面の発達の問題や特殊教育論については詳細に触れませんが、現代の心理アセスメントには、機械的な能力選別に留まらない児童個々人の幸福追求や能力開発を見据えた取り組みが求められています。知能検査に限らず、心理状態や性格傾向を査定する質問紙法には大抵、何点以上であれば外向的な性格で社会適応が良いだとか、何点以下であれば正常な精神状態であるとかいう標準化された基準が設けられています。
精神分析(力動的精神医学)を基礎理論とする心理検査というのは、知覚分析から発展した無意識領域の内容を分析するロールシャッハ・テストやC.D.モーガンとH.A.マレーのTAT(Thematic Apperception Test, 主題統覚検査)に代表される投影法(投映法)の性格検査になります。ロールシャッハ・テストの開発者であるヘルマン・ロールシャッハ自身は、曖昧で多義的なインクのしみに対する知覚反応のパターンを解釈することを重視していて、精神分析的な深層心理の解釈を意識していなかったと言います。
しかし、アメリカでロールシャッハ・テストが流行するようになると精神分析の無意識概念を前提とした採点法・解釈の方式が多数開発されたので、投影法としてのロールシャッハは無意識的な力動(情動・葛藤)の解釈がなされることが多くなっています。多くの投影法は、さまざまな回答・解釈が成り立つ曖昧な図形や想像を掻き立てる絵画を用いて行われる心理テストであり、心理測定論に基づく質問紙法と比較すると客観的な信頼性が劣ります。
しかし、精神医学的面接で治療方針を立てたり、心理臨床的面接でカウンセリング計画を立てたりする場合には、『諸要素の有機的連関を持つクライエント(患者)』を包括的に理解できる投影法の心理検査が有効なことが多いです。標準化された心理測定(質問紙)は、クライエントの知能水準や性格特性、生活履歴の一部を特定して測定するには便利ですが、投影法のように観察困難な無意識領域の葛藤や情動に気づく事が困難で統合的なパーソナリティの理解をするのには向いていません。
心理測定論に依拠する心理アセスメントの特長は、数量化された多数のデータを元にして『他者と比較した相対的な心理評価』を下せるところにあります。母集団から多数のサンプルを取って標準化した判断基準を導き出しますから、検査者の主観や恣意が検査結果の解釈に介在する余地が少なくなり、心理検査の客観性や信頼性を高めることが出来ます。
■書籍紹介
臨床心理アセスメントハンドブック
心理検査(心理テスト)の前提にある人間観2:個人に固有のパーソナリティの総合的・歴史的理解
行動科学モデルや認知理論モデルといった基礎理論に基づく心理テストの最大の特徴は、『客観的に観察可能な臨床的有効性やカウンセリング効果』を引き出す為の簡略化された質問紙法を採用するということです。行動主義心理学とも呼ばれる行動科学については、このブログの記事で数多く取り上げてきましたが、その基本は実験的研究に基づく『学習理論』と『S-R理論(刺激に対する反応として行動を理解する理論)』にあります。
行動療法のフラッディング(急激な不安刺激への曝露)やエクスポージャー法(曝露療法)、系統的脱感作などに典型的に見られるように、行動主義心理学は各種精神疾患の原因を『不適応な誤った学習経験』に求め、『器質性・遺伝性(先天的決定性)』をあまり重視しません。つまり、行動科学モデルの心理アセスメントは『生活環境に不適応な行動パターンを特定する』という明確な目的を持っていて、精神分析(力動的心理学)のような内面心理の苦悩や無意識の葛藤などをアセスメントの対象とすることはありません。
苦痛な精神症状の原因となる病理的な行動パターン、あるいは、生活環境や対人関係への不適応を形成する行動パターンの原因を、行動科学では『不適切な学習体験や有効でない生活習慣』に求めてそれ(行動・習慣・認知)を適応的な方向へ修正・変容させようとします。環境適応と世界理解を進める学習行動とは、『問題解決に有効な行動パターンと状況改善に効果的な生活習慣を獲得すること』であり、『問題解決を不能にする行動パターンと不適応を悪化させる生活習慣を消去すること』です。
新たな適応性の高い行動を獲得し、今まで習慣づけられていた不適応な行動を消去することで、問題解決や症状改善を実現することが出来るとする考え方が行動科学モデルやそれを前提とするアセスメントにはあります。生態システム論を基盤とする心理アセスメントは、多面的・総合的・歴史的なバランスの取れたパーソナリティの記述を目的とするもので、個別の心理療法理論や精神病理学の枠組みに囚われずに被験者のパーソナリティの多様性と複層性をそのまま理解しようとするものです。個人が置かれた生態系の条件(生態学的地位)を前提としながら、個人の性格要因や環境要因を個別的に査定するだけでなく、『他者との関係性や環境との相互作用』を考慮した『生活史のコンテクスト(文脈・脈絡)』を分析していきます。
生態システム論の究極的な価値は『生態系における生存保持と快状況の確保』にあり、カール・ロジャースの自己理論やヒューマニスティック心理学の肯定的人間観にある『実現傾向(成長・健康・適応・解決へと向かう潜在力)』のようなポジティブな志向性を持っています。
人間の複雑多様なパーソナリティを総合的に多面的に把握しようとする生態システム論では、被験者の歩んできた人生のエピソードの集積である生活履歴(生活史)の情報を取得し、現在の生活状況における人間関係や社会環境のコンテキストを共感的に理解しようとします。包括的なバランスの取れたパーソナリティの検査と記述を行っていくには、調査的面接技法・質問紙法・文章完成法などを適切に用いて、複数の水準から総合的に人間性のアセスメントを行っていく必要があります。
生態システム論に依拠する心理アセスメントでは、『生活コンテキスト(水準A)・エピソード陳述の生活史(水準B)・意識的な自己概念(水準C)・無意識の象徴的コミュニケーション(水準D)』などの多水準の検査・多角的な観点からパーソナリティ理解を推し進めていきます。『心理検査(心理テスト)の前提にある人間観1:統計的な信頼性と妥当性を重視する心理測定論』で説明した心理アセスメントの基礎理論と同様に生態システム論の目的も、『被験者の利益増進や問題解決の為に役立てる総合的・多面的な人格理解』にあり、心理検査の結果を、クライエントに実施する効果的な面接技法の選択に用いたり、危険な逸脱行動の予測に応用したりします。
精神分析で行う成育歴のエピソード(思い出)に関する自由連想は、幼少期の心的外傷(トラウマ)や無意識の不快な記憶を取り扱うことが多いですが、生態システム論で過去の生活史のエピソードを聴取する場合には、病因としてのトラウマやネガティブな情動体験を強調しません。これからどのように充実した人生を送ることが出来るのかという未来志向の前向きな人間観を持って、過去のエピソードの解釈を肯定的に行っていきます。 過去の感情体験や今までの人間関係を、現在抱えている問題の解決にどのように役立てることが出来るのかを念頭において被験者の過去のエピソードや対人関係にまつわる話を聴いていくことになります。
■書籍紹介
臨床心理アセスメント演習
元記事の執筆日:2006/04/30