仕事中だけ鬱になるという“新型うつ病”についての雑感1:一般的なうつ病とストレス反応の異同、J.バビンスキーの“無意識的な観念”の作用と認知療法の“認知の歪み”の変容:抑圧による病理形成

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仕事中だけ鬱になるという“新型うつ病”についての雑感2:退却神経症とアパシーを巡る労働意欲の問題


J.バビンスキーの“無意識的な観念”の作用と認知療法の“認知の歪み”の変容:抑圧による病理形成


ピエール・ジャネの精神衰弱概念と不安障害・強迫性障害につながるパーソナリティ特性


子どもの気質と母親の養育態度から形成される“愛着の質”:愛着行動と抗ストレスホルモンの分泌


早期母子関係の発達プロセスと“愛着行動・探索行動”のバランス:ハーローの代理母実験


ジョゼフ・バビンスキーの自己暗示による神経症論(ヒステリー麻痺形成)とバビンスキー反射


子どもに対する“遊戯療法”と“自由な遊び”によるカタルシス効果・内的世界の投影


アクスラインの遊戯療法の8つの基本原則とロジェ・カイヨワの『遊びと人間』に見る“遊び”の本質


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仕事中だけ鬱になるという“新型うつ病”についての雑感1:一般的なうつ病とストレス反応の異同

8月初めに仕事中だけに抑うつ感や無気力などうつ病の精神症状が出て、帰宅後や休日には活発に行動できるようになるという“新型うつ病(メディアの通称)”が話題になっていましたが、精神的ストレスの強い状況や活動だけに反応して精神症状が発症するというストレス反応性障害は何十年も前からあります。重症度の高い精神病である“うつ病(気分障害)”という疾病概念を、広範囲の抑うつ状態・無気力感に安易に用いることには賛成できませんが、新型うつ病といった曖昧な認識を持ち込むことで、本来のうつ病患者ではない人(セロトニン系神経の情報伝達に障害のない人)に副作用のある抗うつ薬が処方されやすくなるという問題も出てきます。

仕事をしている時の症状の内容・程度や持続時間によって治療方針や対応の仕方は変わってきますが、仕事の時間が終わればすぐに抑うつ感や気分の落ち込みが回復して元気になるというケースでは、『精神疾患のうつ病』ではなくて『ストレス障害に由来する抑うつ感』であると考えられます。そういった状況選択的な精神症状に診断名を付けるとしても、神経学的原因のあるうつ病ではなくて『抑うつ感を伴う適応障害』と判断するのが妥当だと思います。うつ病の場合には単純に『ストレス因子』を取り除いたとしても短時間で急速に元気になるということはないですが、適応障害のケースでは原因になっている『ストレス因子』を取り除くことで急速に症状の苦痛や程度が改善することがあります。

『会社に行く・仕事をする・職場で過ごす・上司から注意を受ける・取引先に出向く・営業に行く・ノルマをこなす』などのストレス因子を取り除いたときに、抑うつ症状や無気力感が短時間で全快するという状況であれば、精神病としてのうつ病ではない可能性が極めて高いと言えます。ストレス障害や適応障害からより重症度の高いうつ病へと病態が変遷することもありますが、うつ病発症を確認する有効な指標の一つは『眠れない・食べられない・異性に関心が起きない』という基本的欲求の著しい減退です。

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特に、うつ病が発症した初期には、『入眠障害・熟睡障害・中途覚醒(早朝覚醒)』など睡眠に関連する悩みが増えてくることが多く、睡眠不足と身体疲労を抱えたままで毎日の仕事をすることになり、慢性的な抑うつ感と疲労感が入り混じった状況で仕事の生産性と意欲が大幅に低下します。食欲も普段より低下して空腹感を感じにくくなり、物事全般に対する興味関心が抑制されて喜び・楽しみの感情が感じられなくなってきます。うつ病にまで至らないストレス反応でも睡眠障害は起こりやすいですが、日常の業務やコミュニケーションに差し支えるほどに眠れない状態が続く場合には、医師の診察と睡眠薬の処方を受けたほうが良いと思います。

精神的ストレスに対する反応としての『一時的な抑うつ状態』と生物学的素因やセロトニン系神経の伝達障害が関与する『精神疾患のうつ病(気分症状)』とは診断学的に区別して考えるべきですし、『新型うつ病』と呼ばれた抑うつ状態に対しては、一般的なうつ病治療ではなくてストレス反応や職場環境(仕事状況)を改善する適切な対応を取っていく必要があると思います。直接的に言えば、『選択的な意欲減退』を呈する新型うつ病というのは、1960年代からの高度経済成長期にも存在した『出社恐怖症・出勤拒否症・欠勤症(absentism)』といった職場不適応の現代版であると解釈することができます。出勤拒否は登校拒否(不登校)とも共通する『会社(学校)に行かなければならないという義務感』を巡る葛藤から生じる不適応ですが、『不快・苦痛の多い会社に行きたくないというストレス回避行動』が無意識的に心身症状を形成するという“二次的疾病利得”の要素もあります。

病気になることによって得られる利得というと『怠け・甘え・ずる休み』といった批判が起こりやすいですが、『~しなければならないという社会的責任感』があるという意味で単なる怠けとは違い、人並みに会社(学校)に行ってやるべき仕事(勉学)をこなしている内に体調・精神状態を崩すという意味で本人の甘えとも異なる部分があります。本当に、腹痛(ストレス性胃炎・下痢)や頭痛、吐き気、呼吸困難といった身体症状に苦しんだり、抑うつ感や不安感、焦燥感、自己否定感といった精神症状によって職業活動・社会生活に支障を来たすことになるので、ストレス反応の結果として二次的疾病利得(職場拒否の無意識的欲求)があるとしてもいわゆる“仮病(ずる休み)”とは明らかに異なる状態だと言えます。

『会社に行かなければいけないという義務感(生活維持のために働く必要性)』『会社に行きたくないという無意識的願望』の葛藤があり、精神的ストレスを感じながらも表面的には何とか職場(会社)に適応しているという人は数多くいると思います。しかし、ストレス耐性やストレス対処能力、対人スキルには大きな個人差があるので、客観的には同じ職場環境やストレス状況に置かれていても、ストレス障害を発症する人もいれば発症しない人もいます。職場不適応や不登校などの問題は『努力・忍耐・根性・やる気』といった精神論の文脈で論じられやすいですが、どんな人でも自分のストレス耐性や問題対処能力、体力を超えた職場環境・人間関係の中に居続けると、何らかの不適応問題や精神症状(心身症)が発生してくる可能性はあります。ストレス耐性や問題対処能力、コミュニケーションスキルには『遺伝・気質・性格』といった先天的要因によって決まってくる部分もありますが、『認知転換(考え方の変化)・コミュニケーションの訓練・環境調整』といった後天的要因によって向上させられる部分もあります。

うつ病や適応障害、一時的なストレス反応の区別をきっちりとつけて、それぞれの症状やストレス因子、問題意識(自己認識)に合わせた治療的対応を工夫していくことが必要です。心身症状を緩和させるための『ストレス要因の除去』『可能な範囲での環境調整』と合わせて、どうすれば職場環境や仕事内容に再適応していけるのか、あるいは、現在のワークスタイル(職場・仕事のやり方)を根本的に変えていくべきなのかといった具体的方策を個別的に考えていくことになります。次の記事で、高度経済成長期に笠原嘉が提示した退却神経症の類型と新型うつ病(適応障害・ストレス反応)との相関についてもう少し考えてみます。

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仕事中だけ鬱になるという“新型うつ病”についての雑感2:退却神経症とアパシーを巡る労働意欲の問題

前回の記事の続きになりますが、職場・仕事・人間関係の精神的ストレスが抑うつ感や意欲減退の原因になっているのであれば、基本的な対策としては『ストレスを消極的に回避する』『ストレスに積極的に対処する』かのどちらかになってきます。精神的ストレスを低減させる本人の否定的認知の修正やコミュニケーション内容の改善と合わせて、周囲の上司や同僚の協力を得ることで、職場への再適応のハードルは下がってくると思います。精神的ストレスや不適応を強める労働環境の要因として『長時間労働・サービス残業・パワーハラスメント・職場の人間関係の悪化』などにも留意する必要があります。しかし、どうしても自分の体力・精神力に見合った労働時間に短縮できない業種(企業)であったり、どんなに努力して相手に合わせようとしても折り合いの悪い上司だったりするケースでは労働環境の根本的改善は難しくなります。そういったケースでは、最終的に『配置転換・部署変更・辞職&転職・長期休養』といった環境調整的な対処法を取ることも増えてきますが、職場での話し合いや相互理解の努力を上手く進めることができれば、『人間関係の変化』によって症状が段階的に消失していく可能性もあります。

仕事ではやる気や集中力が全く出ないが、趣味や遊びであれば活動的に楽しむことができるという『選択的な意欲減退』は、一義的には『環境不適応(職場不適応)の結果』という風に理解することができますが、そこには厳しい企業生活からの逃避願望や社会的プレッシャーに対する防衛機制といった要素も含まれていると思います。一般的なうつ病では、意欲減退や気分の落ち込みに『場所・相手の選択性』は殆ど見られず、会社でも家庭でも街中でも憂鬱な気分や無気力な感情、希死念慮などが回復することはありません。自分で自分を責める自罰感情や自責感が強いのもうつ病の特徴であり、自分の憂鬱な苦しみや仕事の能率性の低下を『他人・環境』のせいにすることが少なく、周囲に対して迷惑や心配を掛けることを強く恐れます。『仕事・学業といった本業に対するやる気がでないという心理状態』についてはアパシー(意欲減退症候群)退却神経症といった病理概念で理解することもできますが、笠原嘉(かさはら・よみし)が提起した退却神経症ではその本態を『社会適応上の挫折・社会的責務からの逃避』に置いて脳神経学的なうつ病とは区別しています。うつ病の初期では生理的欲求の低下と睡眠障害が目立ちやすいと書きましたが、退却神経症ではどちらかというと無気力的に現実的な事柄を忘れようとする過眠症状が前景に出てくることが多くなります。職場だけでうつ状態になる“新型うつ病”は、現代における退却神経症とでもいうべきものですが、新型うつ病が増加している背景には産業構造や雇用待遇、労働環境の急速な変化や経済格差の拡大というものも関係しているのではないかと推測されます。

現代の退却神経症やアパシーでは、『本人の心理的要因・ストレス因子』と合わせて『社会構造的・労働環境的な要因』にも着目していく必要があり、『労働意欲の低下・出勤拒否の退却的欲求』を自分を取り巻く人間関係や自分にとっての働く意味といった視点で見つめ直していくことも大切です。新型うつ病と呼ばれる退却神経症が増加した原因として、『労働意欲を低下させやすい不安定な雇用環境』『働く意味や喜びを喪失しやすい社会的状況の変化』というものもありますが、それは笠原嘉が1980年代に指摘した高度経済成長時代の産業社会の要因とはかなり異なってきています。1980年代には、『終身雇用制・年功序列賃金』といった日本企業の雇用慣行が青年期以降の自己アイデンティティ(社会的アイデンティティ)を固定化して選択の自由を奪い、モラトリアム(職業選択の猶予期間)を短縮することで退却神経症が起こりやすくなるという考え方でした。20~30代の結婚率が現在より高かったこともあり、学卒後に正社員として就職した自分の『将来の自己像・自分の社会的役割』が余りにも見えやすいために、その限定的な状況から逃避したいという願望が退却神経症の状態を作り出すというわけです。

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一方、現在では『終身雇用制・年功序列賃金』が一部の企業・公務員を除いて崩れつつあり、低賃金の非正規雇用者や30代以上の未婚者が1980年代以前よりも大幅に増加したという明白な社会的状況・雇用形態の変化というものがあります。雇用状態の不安定化や賃金水準の低下は労働意欲を引き下げる効果を持ち、アルバイト・派遣労働などで断片化された反復的な単純労働は『働く意味の喪失』を生み出しやすくします。自分の職業・仕事を選ぶための青年期のモラトリアムも長期化しており、『人生における選択の自由・価値観の多様性』が飛躍的に増えた代わりに、何歳になっても固定的な社会的アイデンティティを確立しない(確立できない)人も増えています。『結婚・出産育児』という青年期のライフイベントもかつてほど一般的なものではなくなっており、社会的責務と連動した『大人と子どもの境界線』が曖昧化したことで、扶養家族(配偶者・子ども)を養うという目的意識を持った“労働の規範性”は弱体化の傾向を見せています。一億総中流と言われた高度成長の時代にも多くの社会格差はありましたが、日本経済が右肩上がりで伸びていたこともあり、『真面目に会社でコツコツ働いていれば、今よりも給与が増えて豊かになれ老後も厚生年金で安心できる』という前提を多くのサラリーマンが信じることが出来ました。この時代の退却神経症は『固定的な社会的アイデンティティや競争環境からの逃避』といった要因が大きかったと推測されますが、家族(子ども)の扶養や大人としての社会的責務など分かりやすい『働く意味』がまだ国民の間に担保されていたと思います。現代の退却神経症では『年功序列賃金の崩壊・将来の不透明性・雇用待遇の格差拡大』といった要因によって労働意欲の低下が『働く意味の喪失』と結びつきやすいところに大きな問題があるように感じます。

向上心や出世昇給・仕事自体の面白さと無縁の職場環境だったり、家族や恋人・友人のいない生活状況だったりする場合には、『働く意味』は必然的に『消費・生存・余暇の充実』ということになってきますが、自分ひとりのために淡々と働く日常に虚しさを感じないためには、何らかの仕事の面白さ(充実感)や生活の中の喜び(幸せ)を発見する必要があります。生きるため(食べるため)に働くというのは仕事の起源ですが、それ以外の仕事の楽しみや社会貢献の実感(分業の有用性の実感)、目的意識(何か・誰かのために働く)が仕事に全く感じられない場合には、強い精神的ストレスがかかると仕事から退却するリスクが高くなってきます。退却神経症には『仕事での挫折感・自尊心の傷つき・対人関係のストレス・労働条件の悪化・労働意欲の低下』など様々な要因が関係していますが、仕事に意味や魅力が感じられず労働意欲が低下すると、それ以外の要因の悪影響を相乗的に受けやすくなり出社拒否症候群的な職場不適応に陥るリスクが高まります。

会社・仕事に行けなくなるという退却神経症のストレス因子としては、『管理社会・競争社会・監視状況』といった産業構造的な要因も働いていますが、毎日規則正しく出勤して決まった仕事をしなければならないという“管理社会”や自分の行動や発言のひとつひとつが会社や上司に見張られているという“監視状況”のストレスに対処するためには、プライベートな時間の充実や管理・監視されていることを普段意識しない自由な自意識の獲得(考え方の転換)がポイントになってきます。退却神経症やスチューデント・アパシーでは『仕事・勉学といった本業(優先的にやるべきこと)からの選択的退却』『趣味・娯楽といった副業(してもしなくても良いこと)への積極的関与』といった対照的な活動性が見られますが、これは“新型うつ病”と呼ばれる症状とも良く似た行動パターンです。本業(仕事・学業)に対する無為・無気力の原因については、競争社会における劣等感の回避や自尊心(自己愛)の防衛といった要因がまず挙げられますが、『何も行動(選択)しないという無為』によって意図的にモラトリアムを遷延させているといった側面もあります。本業(仕事・学業)には『他者から自己の価値を評価される』といった部分もありますので、本業から退却して趣味に没頭することによって他者からの評価や社会的な位置づけを免れることができ、脱俗的(超越論的)な立場で自尊心や自己肯定感を防衛することもあります。こういった退却的な形態の自我防衛は、自己の特別視や誇大自己的な優越感と結びつきやすいですが、実際的な成果や収入を生み出しにくいので、現実逃避的な防衛に限界がくると深い挫折感や空虚な無力感を抱きやすくなるリスクがあります。

労働意欲の形成因子には大きく分けて『インセンティブ(外部的報酬)・モチベーション(内発的動機づけ)・社会的責任感(規範意識・同調圧力)』の3つがあります。退却神経症や適応障害(職場不適応)に陥らずに長い年月にわたって安定的に働き続けるためには、自罰的・拘束的な“社会的責任感”を余り強く意識し過ぎずに、経済的な豊かさや職業的地位につながる“インセンティブ”と仕事の面白さや遣り甲斐につながる“モチベーション”のバランスを適切に取っていくことが大切です。インセンティブとモチベーションを完全に切り離すことはできませんが、報酬の大小や役職の高低を超えた仕事そのものの魅力や面白さ、他者とのつながりを一つでも発見できれば、つらい時に自分を支える“働く意味”が見えやすくなってくるように思います。

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J.バビンスキーの“無意識的な観念”の作用と認知療法の“認知の歪み”の変容:抑圧による病理形成

自己暗示として機能する『無意識的な観念・思考』『身体的な行動(反応・症状)』『感情・気分の変化』を生み出すというバビンスキーのアイデアは、アルバート・エリスのABC理論やアーロン・ベックの認知療法(認知理論)にもつながっていく画期的な基本図式を含むものでした。前回の記事で書いたように、バビンスキーは日々抱いている意識的な観念・思考が次第に習慣化していくことで、意識的だった観念・思考が無意識領域へと移行していき、その思考内容が本人に自覚できない自己暗示として『本人の行動・症状』を変化させると考えました。『物事の考え方(観念の影響力)』が、感情・行動・症状を変化させるというスキーマ(理論的枠組み)は、アルバート・エリスの論理療法やアーロン・ベックの認知療法、それらが行動療法と統合された認知行動療法にも共通するスキーマですが、エビデンス・ベースドな認知行動療法では『無意識領域の存在』が前提されていないという点が異なります。

しかし、認知療法(認知行動療法)において、『認知の適応的変容』が実際の感情障害や問題行動の改善につながるためには、『認知の信念化・習慣化による自然な定着』が必要条件であり、バビンスキーが無意識的な観念(思考)による自己暗示と読んでいる作用は『認知の習慣化』とほぼ同義の事態であると解釈しても良いと思います。『認知・観念の習慣化』『認知・観念の無意識化』とは学術的には意味合いの異なる概念ですが、実際に観察される現象学的な事態としてはほぼ同一の事柄であり、認知・観念が自然に自分の一部となるくらいに習慣化(無意識化)しないと、実際の感情・気分・行動の効果的(病的)な変容は起こらないのです。バビンスキーは病気になって過酷なストレス状況(生活環境)を逃げ出したいとする観念(思考)が無意識化することによって、本人が意識できない暗示作用が働き抵抗不可能(コントロール不能)な神経症(ヒステリー)の身体症状が発生すると考えました。

一方、エリスやベックは合理的(楽観的)で肯定的な認知を意識的に持ち、『肯定的な認知』を『悲観的な認知』と置き換えた不安の少ない状況を習慣化することで、気分障害(うつ病)やストレス性疾患を改善できると考えました。悲観的・絶望的な認知傾向を根強く持つ人の中には、セルフモニタリング(自己観察)して思考記録表(ワークシート)を真面目に書き上げても、自分の抑うつ感や無力感は改善しないという人もいますが、これは認知療法の作用機序を理解していないためであると言えます。認知療法は究極的には『本人の動機づけ・肯定的認知の習慣化』によってその効果の大きさが変わってくる技法であり、『自分はこんな楽観的な考え方は本心では信じていない』という思い込みを持っている状況では、いくら形式的にワークシートを書いても実際の気分や感情が良い方向に変わる可能性はそれほど大きくありません。『新たな思考・観念・認知』は自分の性格構造の一部となるような形で自然に習慣化・無意識化してこないと、なかなか現実の気分・感情・行動を変化させる影響力(暗示力)を持つことが出来ないのです。

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バビンスキーは毎日漠然と考えている思考・観念の内容が習慣化することで、思考・観念が無意識領域に移行して自己暗示が強化され神経症(ヒステリー)が発症すると考えました。それに対して、ピエール・ジャネは心的外傷(感情的損傷)や心的緊張の低下によって『意識野の狭窄化』が起こり、狭窄した意識野から思考・観念が『分離』することで神経症(ヒステリー)の原因になるとしました。ジャネは心的外傷によって観念の分離が起きることで神経症(ヒステリー)が発症するという点を強調しましたが、災害・死別・事件・事故など同じような心的外傷を受けても神経症を発症する人としない人がいるということで、バビンスキーは心的外傷だけでヒステリーの発症は説明できずそこには必ず『無意識的な観念による暗示』が作用していると考えました。

現在ではこういった心的外傷に対する心因反応・ストレス反応の個別差は、生得的な気質・性格の違いやストレス耐性・フラストレーション耐性の強弱の差によって説明されますが、バビンスキーは『心的外傷を悲観的に解釈する観念(イメージ)』を習慣化させる人がヒステリーのような精神障害を発症しやすいと仮定したのでした。トラウマティックな体験をした場合に、どれくらいの心理的ダメージを受けるのかどのような精神障害(ASD・PTSD・うつ病・不安障害)を発生するリスクがあるのかには大きな個人差がありますが、気質・性格・価値観・ストレス耐性以外の部分では『認知・思考の方向性(楽観的か悲観的か・記憶的か忘却的か)』によって心的外傷のダメージの大きさ、精神疾患の発症リスクが変わってくるというのは確かにあるでしょう。

S.フロイトの精神分析では神経症(ヒステリー)の発症メカニズムについて、バビンスキーの自己暗示説やジャネの分離説とは異なる『性的欲求の抑圧説』を提起しており、古典的な神経症概念が使われている時代にはフロイトの抑圧説が採用されることが多くなりました。自我防衛機制の一つである『抑圧(repression)』とは、社会的に容認されない欲求や自分が不快を感じる認めがたい願望を無意識領域へと追い出して意識できないようにする働きのことです。過度に自分の激しい感情や性的欲求を抑圧すると、そのリビドーが身体症状・精神症状へと転換されて神経症(ヒステリー)が発症するとフロイトは考えましたが、禁欲的な道徳規範や性的な禁忌が衰退してきた現代社会では性欲(性的想像)の抑圧によって発症する精神疾患は大幅に減少しており、派手な身体症状を呈する転換性障害(ヒステリー)も殆ど見られなくなっています。

しかし、現代社会でも表面的な豊かさとは別に『精神的・経済的自由を求める欲求』が過度に抑圧されるという高負荷なストレス状況は増大しており、『自分の本当の欲求(願望)』を自己欺瞞的に押し殺し続けた結果として、ストレス反応性の精神障害を発症するというケースはますます増えているとも言えます。自分の認めがたい欲求や感情を無意識領域に排斥するという『抑圧』の防衛機制の本質は、『自分で自分をうまく騙そうとする努力・不快な出来事をできるだけ意識しないようにする方法』にあります。しかし、素因ストレスモデルで説明できる精神障害の多くは、ストレス耐性の閾値や体力の限界を超えた状況が長く続いて、自分で自分を上手く騙しきれなくなった時に発症するという傾向を持っていますので、『自分の自然な欲求・感情』を過度に抑圧し過ぎないこと、周囲の期待や義務意識に押しつぶされないような心の余裕を持つことが大切になります。適切(適応的)な方法や言葉で自分の欲求(感情)を表現したり、間接的・代理的な方法で自分の願望を充足していくといったことも一時的なストレス解消に役立ちますが、問題事象の直接的な解決や柔軟性のある認知・目的への転換がより本質的な対処法になってくると言えます。

ピエール・ジャネの精神衰弱概念と不安障害・強迫性障害につながるパーソナリティ特性

S.フロイト(1867-1939)が創始した精神分析は神経症(neurosis)を主要な研究対象とし、“不安・恐怖・強迫観念・ヒステリー”という感情の病理性を自我防衛機制との相関で考えました。特定の対象に対する明確な恐れを感じる“恐怖”と不特定の対象に対する曖昧な恐れを感じる“不安”の大きな違いの一つは、『将来に対する不安・自分の能力に対する不信』にあります。全般性不安障害(GAD)パニック障害(PD)における不安症状とは、幾ら考えても仕方のない将来の出来事に対する不安であったり、『自分にはできない・自分は失敗するだろう』という未来の問題を先回りして失敗を予言する自己成就的な認知だったりします。パニック障害における予期不安では、外出したり電車に乗ったりする以前から『自分はひとりで外出すると呼吸が苦しくなったり心臓がドキドキしたりする』という不安感があります。その予期不安が精神交互作用(特定器官への意識・感覚の集中)によって、自律神経系を興奮させる生理学的フィードバックを形成することでパニック発作が誘発されます。

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フランスの精神科医ピエール・ジャネ(1859-1947)は心理的要因を重視するフロイトとは異なり、精神自動症という概念で精神障害の内因的・体質的発症を主張しましたが、過剰な不安感や自信喪失の症状を示す一群の精神障害を『精神衰弱』という概念で整理しました。古典的な精神医学概念である精神衰弱という用語は現在ではほとんど使われる機会がありませんが、不安感・自己不確実感の症状に焦点を当てており、素因・ストレスモデルの原型的な発症機序が採用された初めての疾病概念でした。ジャネは精神衰弱的な不安障害の発症について、素因としての性格要因(病前性格)に注目していたようですが、『完全主義傾向のある内向型性格』において精神衰弱のリスクが高くなると推測しました。不安症状や自己不確実感(自信喪失感)が強まりやすい性格類型の特徴として以下のようなものを考えることができます。

1.外界に対する刺激過敏性

2.他者に対する過剰反応性

3.自分の問題解決能力や健康に対する自信の欠如

4.過度に内省的・自罰的な態度

5.完全な成功か無意味な失敗かという完全主義思考(二分法思考)

6.慢性的な劣等感による実際の行動・発言の抑制

外界に対する刺激過敏性によって日常生活や仕事の中で“シグナル(必要なもの)”“ノイズ(取るに足りないもの)”の区別ができなくなり、すべてを自分にとって重要な意味づけを持つ“シグナル”と解釈することで、自分の情報処理能力や遂行能力(対人折衝能力)の限界を超えた仕事や付き合いを抱え込んでしまう恐れがでてきます。他者に対する過剰反応性では、自分の人生の主体性や決定権を喪失して、『他人が自分をどう評価しているか・自分のことをどのように見ているか』ばかりが気になり、他者の反応や評価が少しでも悪いと思い込んでしまうと、強い不安感を感じ現実的な行動力が抑制されてしまいます。

『外界に対する刺激過敏性』『他者に対する過剰反応性』が不安障害の発症リスクを高めますが、この性格類型の問題点は自分にとって本質的にどうでも良い問題や人間関係に振り回されることで、自分の本当の目標を見失ったり本来持っている能力を発揮できなくなってしまったりすることにあります。周囲・他者に対する刺激過敏性は、自分に対する自信の低下や劣等コンプレックスの定着とも相関しており、『自分にとって本当に重要な課題・相手』を見極めながら、些細な状況の変化や他人の一言一句に過敏に反応し過ぎないことが対処法略の一つになります。健康なパーソナリティと不安の強いパーソナリティの間にある違いとして、既に終わった問題についていつまでもこだわり続けるか否か、自分と他人の言動を必要以上に反省して検証しなおし続けるかどうか(相手の内面・感情を主観的に推測し続けるか否か)といったことがあります。『過去の失敗・落胆・いざこざ』を長期間引きずって、何とか『過去の失点』を取り戻せないだろうかなどと延々と悩み続けます。その結果、一度起こした失敗や人間関係の確執はもう回復できないと思い込む完全主義思考によって、『現在の課題・人間関係』も上手くいかなくなることがありますので、『過去の負債・失敗の烙印』といった悲観的な認知傾向から離脱する必要がでてきます。健康状態に対する自信の欠如によって、自分が重篤な病気ではないかと思い込むヒポコンドリー(心気症)が発生しやすくなりますが、ヒポコンドリーはパニック障害にも見られる精神交互作用や自己暗示作用によって症状が悪化する傾向があります。

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健常者が感じることのない漠然とした強い不安感が続く不安障害では、ゲシュタルト心理学でいう“図(意識の前景で認知される事象)”“地(前意識に退いて認知されない事象)”の転倒・交代が見られることが多く、日常生活で意識する必要性の乏しい“地(背景的事象)”に継続的に注意が向いてしまうわけです。『精神の健康性』を維持するには、『知覚・認知される事象』に対して最低限のフィルタリング(取捨選択)が行われなければならず、日常生活で体験する事象やコミュニケーションのすべてに対して真剣な解釈や反省を試みれば、誰でも精神の混乱や神経の疲弊を招いて不安感が強まりやすくなります。強迫性障害(OCD)では、馬鹿馬鹿しい無意味な思考(アイデア)や観念(イメージ)が頭に浮かんできて、その考えやイメージを振り払うことができないという焦燥感や不安感を感じますが、強迫性障害の根底にあるのも自己不確実感に基づく完全主義欲求だと言えます。精神分析理論では強迫性障害の原因を、自分が容認できない罪悪感・自責感の抑圧に求めたり、肛門期へのリビドー固着によるサディズム(嗜虐衝動)の反動形成に求めたりしましたが、現在の科学的な精神病理学では既に理論的有効性を失っており、強迫性障害に対してはSSRIなどを用いた薬物療法やエクスポージャー(曝露)を伴う認知行動療法が主要な選択肢になっています。

強迫性障害で見られる『強迫観念・強迫行為』の症状には、行為の結果や周囲の環境を的確にコントロールしたいという秩序志向性の強い完全主義欲求が反映されていることが多く、何度も何度も同じ内容を確認し直さなければ不安が収まらない『過剰な確認行為』はその典型的な現れであると言えます。内面心理への『侵入性・反復性』が強い強迫観念ですが、強迫性障害には明白な病識(病気としての自覚)があり、強迫観念や強迫行為に対して不快感や違和感を感じています。強迫症状の内容となっている観念や衝動を排除できるのであれば排除したいと考えている点において、精神病の統合失調症に見られる自己帰属性の乏しい『思考・観念の障害』とは異なります。陽性症状の見られる統合失調症では『自己と他者の境界線』が曖昧化していることが多く、『自分の思考・区別』と『他者の思考・観念』を明確に区別できない『思考吹入(他人の思考が自分の精神に組み入れられる)・思考奪取(自分の思考や観念が盗聴されたり抜き取られたりする)・思考化声(自分の観念が他者の声として聞こえる)』などの妄想症状がでてくることがあります。

強迫性障害ではどんなに不快で違和感を感じる強迫観念・強迫衝動であっても、その『思考・観念の内容』が自分のものであることに疑いを抱くことはないのですが、時に自己破壊的な衝動や希死念慮を含むイメージが強迫観念として現れることがあるので、強迫症状の内容には注意が必要です。精神分析理論では『不安性障害・強迫性障害・パニック障害』の原因として、自分で受け容れたくない感情や願望の抑圧(repression)を重視しますが、抑圧された強い感情が身体症状に転換されることでかつてヒステリーと呼ばれた転換性障害の心因性のけいれんや自律神経症状が発症すると考えられます。

子どもの気質と母親の養育態度から形成される“愛着の質”:愛着行動と抗ストレスホルモンの分泌

乳幼児の精神発達では、生後5ヶ月頃から母親と知らない他人を区別して『人見知り不安(stranger anxiety)』を見せるようになり、人見知り不安は生後8ヶ月頃に最も強くなる。人見知り不安は『母親との愛着形成』『シャイネス(回避的な恥ずかしがり)の強さ』と関係する心理反応であり、安定した愛着(attachment)が形成されていてシャイネス(shyness)が極端に強くなければ、1歳以降に人見知り不安は徐々に低下していく。母親のような養育的な他者に接近してくっつきたいとか情緒的に甘えたいとかいう『愛着(attachment)』の欲求は、世話をしてもらいたいから接近するという二次的欲求ではない。

H.F.ハーローの針金マザーの実験結果によると、愛着形成の欲求は温かくやわらかいものに包まれていたいという一次的欲求(生物学的動因)であり、物理的な食欲や保護欲求(安全欲求)が満たされたとしても愛着欲求が消え去るわけではない。母子間の愛着の質を観察して評価する実験法として、M.S.エインズワースが実施したストレンジ・シチュエーション法(strange situation method)がある。エインズワースのストレンジ・シチュエーション法は、以下の手順で実施され『愛着形成の類型』を3つのタイプに分けることができる。

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1.母親と1歳前後の子どもが部屋に入室する。

2.知らない女性が部屋に入室する(ストレンジ状況)。

3.母親だけが部屋から退室する(分離)。

4.一定時間の経過後に、母親が部屋に戻る(再会)。

ストレンジ・シチュエーション法では、『母親が部屋から退室した時』と『母親が部屋に戻ってきた時(見知らぬ相手と二人になった時)』の『子どもの行動・反応』を観察することで、愛着の質や分離不安の強さ、人見知りの激しさを大まかに評価することができる。ストレンジ・シチュエーション法の実験結果から以下の3つのタイプを導き出すことができ、養親が子どもの要求に適切に反応して安定した愛着関係をつくっている場合には『安定型』になりやすいとされる。しかし、愛着の質には母親の養育態度や赤ちゃんの生育環境といった『経験的要因』だけではなく、子どもが生得的に持っている『気質的要因(生物学的要因)』も関係している。そのため、母親が子どもに適切な愛情表現をして共感的な養育態度を取っていても、何らかの遺伝的・気質的要因によって『回避型』『抵抗型(アンビバレント型)』の結果がでることは少なくないし、一時的な感情的興奮によって『抵抗型』の反応を示すこともある。安定型・回避型・アンビバレント型の違いは、愛着形成と関係する情緒発達の指標として用いることができるが、愛着形成の障害の原因までを特定することはできない。

ただし、子どもの要求に対して冷淡で愛情の乏しい『拒否的態度』を取っていたり、自分の気分や機嫌によって子どもへの対応を極端に変えるような『一貫性のない養育』をしていたりすると、有意に回避型や抵抗型の発生頻度が高くなる傾向がある。回避型や抵抗型の特徴が顕著な場合には、『子どもへの接し方』を改めて考えてみるきっかけにはなるだろう。一般的には、『回避型』の母親は子どもとの身体的接触を嫌って拒絶的な態度を取ることが多く、『抵抗型』の母親は子どもの欲求や訴えを無視してマイペースな一貫性のないかかわり方で育児をしていることが多いとされるが、そういった母親側の要因以外にもさまざまな環境要因や気質要因が介在している可能性がある。

1.安定型(stability type)……母親が側にいると安心感を示し、母親を心理的な安全基地として活用しながら探索行動を行う。母親が部屋を出ていくと分離不安を示して泣いたり悲しそうな行動を取るが、母親が戻ってくると母親に抱きついて再び安心感や探索欲求を回復することができる。

2.回避型(avoidant type)……母親に接近したり甘えようとする欲求が見られず、母親とは一定の距離感を置いている。母親が部屋から出ていっても分離不安を示すことがなく、見知らぬ人と一緒にいても特別な不安や悲哀の感情が見られない。愛着があまり形成されていないので、母親が戻ってきても母親に近づくことがなく離れようとする。

3.抵抗型・アンビバレント型(ambivalent type)……母親が側にいると安心して探索行動をするが、母親が少しでも離れようとすると感情的に不安定になり泣き喚くような反応を示す。母親が部屋を出ていこうとすると非常に強い分離不安を示して泣き叫ぶが、母親が戻ってくると抱きつきながらも母親を叩いたりする行動を見せる。母親に接近して安心したいという『愛着・愛情・接近の欲求』と、自分を置いて出て行った母親が許せないという『怒り・抵抗・憎悪の感情』が子どもの心に同時に存在している。その両価的な心情を表現するために『アンビバレント型』とも呼ばれる。

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愛着理論を提起したジョン・ボウルビィは、乳幼児期の愛着の質がそれ以降の性格形成や人間関係のつくり方に影響すると考えたが、『愛着』は生理学的な内分泌活動(副腎皮質系のホルモン分泌)と相関しているという学説もある。抗ストレス・行動促進の作用を持つとされる副腎皮質系のコルチゾールは、ストレスや恐怖感が高まったときに増加する特徴があるが、子どもがストレス状況に耐えて積極的な行動をとるためには一定以上のコルチゾールの血中濃度が必要とされる。子どもの情緒状態を作用するコルチゾール濃度は高すぎても低すぎても問題が生じるが、アカゲザルやラットを用いた動物実験では母子間の愛着によって生理学的システム(内分泌・自律神経)が調整されることが確認されている(Hofer & Shair,1978)。

母親から分離されると人間でもサルでも、母親との接触を追い求めて情緒不安定になり、内分泌系を含む生理学的システムに混乱が生じるが、この生体ホルモンの分泌バランスの乱れが性格・気質的傾向に関係するという考え方もある。母子間で共感的な思いやりやスキンシップによる愛情表現が大幅に欠落すると、『母性剥奪』を原因とする心理的障害が発生するリスクがあるが、この因果関係についてはLiuやMeaneyが実施したラットの動物実験によってある程度確認されている。母親のラットから身体を舐めてもらったり毛づくろいをしてもらったりして大きくなった子どものラットは、ストレスに対する生理学的反応がより適応的なものとなり、ストレスを強化する副腎皮質反応が抑制されるという結果が得られている。

ヒトの乳児に関する実験では、ストレス感受性の特徴を持つ『コルチゾール分泌(副腎皮質反応)』においてラットのような明確な差は見られなかったが、その理由としては『回避型・抵抗型の愛着』であっても一定の環境適応(ストレス緩和のための防衛反応)を実現しているという可能性が考えられている。健全な心身発達を遂げて一定以上のストレス耐性を身に付けた人は、副腎皮質反応としてのコルチゾール分泌が抑制されているが、愛着形成の型(タイプ)とコルチゾール分泌量には有意な相関がないという実験結果が出ている。ボウルビィは母親の養育態度や愛着の質が、その後の性格形成に大きな影響を与えると推測したが、ストレスホルモンに関係する科学的な研究結果を見てみると『特別な児童虐待・ネグレクト・存在の無視』などの要因がなければ、『愛着の質』は『ストレス耐性・性格形成』に直接的な影響を与えるわけではないようだ。

ストレス状況や新規場面にどれくらい敏感に反応するかという『コルチゾール分泌量(副腎皮質反応)』というのは複雑な性格形成因子の一つに過ぎないが、人間のストレス耐性やストレス感受性には『愛着の質』『生得的な気質(変化しにくい性格の中核的要素)』のどちらのほうが大きく影響しているのだろうかという疑問が湧いてくる。『生得的な気質』が『愛着の質』に作用している可能性は高いが、子どもの側に刺激過敏性(気難しさ)があったり、他者に積極的に反応しないシャイネス(消極的)な傾向がある場合には、『愛着のタイプ』が回避型や抵抗型として判定されやすくなるというのは確かだろう。母親の養育態度以上に子どもの生得的な気質が『外部からの愛着の質の判定』に影響を与える可能性は絶えずあるが、『ストレス反応(コルチゾール分泌)』と結びつきが強いのは『愛着形成』なのだろうか『気質』なのだろうか。

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愛着の質は母親の養育態度と子どもの気質性格の相互作用によってつくられていくので、『母親の養育態度』が愛着が形成されない原因なのか、『子どもの気質』が原因なのかの判定は綿密な長期観察を行わないとなかなか分からない。しかし、『愛着・気質・ストレス反応(コルチゾール分泌)』の相関関係については幾つかの実験結果(Nachimas, 1996など)によって明らかになっており、『生得的な気質』はストレス反応(ストレスに関する性格因子)を直接的に規定することはなく、『愛着行動』によってコルチゾール分泌量(ストレス適応の生理学的システム)を調整していることが示唆されている。子どもの気質や愛着のタイプだけでは、コルチゾール分泌量を推測することはできず、子どもはストレス状況(母子分離不安)や新規場面に適応するために、さまざまな愛着行動(身体接触・母親の探索・泣く)をとってコルチゾール分泌量を増やすのである。

コルチゾール反応が極端に強くなると、ストレス耐性が脆弱になって情緒不安定になりやすくなるが、どれくらいのストレスでコルチゾール濃度が上昇するのかという『閾値の個別差』は『子どもの気質』によって規定されている部分がある。ボウルビィが主張した『母子間の愛着行動には不安軽減効果がある』という意見は、『愛着行動によってコルチゾール反応(抗ストレス反応)が一定レベルまで亢進する』といった生理学的事実によっても支持されているが、母子関係の問題がその後のコルチゾール反応(ストレス感受性)にどれくらい影響するのかについては明確な定説はない。しかし、『気難しさ・過敏性・短気・臆病・情緒の混乱』などの非適応的な気質傾向を持つ子どもでは、母親の養育態度や愛着の形成によってコルチゾール反応の強さ(ストレス耐性の強さ)が変わってくるという仮説があり、『母親(養育者・周囲の人)の働きかけの質(愛情・保護・支持・共感など)』『生理学的システム(内分泌系・神経系)』との間には何らかの強い相関があると考えられている。

早期母子関係の発達プロセスと“愛着行動・探索行動”のバランス:ハーローの代理母実験

産まれたばかりの赤ちゃんは『泣き』によって『自分の不快(飢え)・不満(排泄)・淋しさ(孤独)』を母親に訴えて適切な世話や保護をしてもらうが、『泣き』と同様に重要な赤ちゃんのコミュニケーション行動が、新生児微笑や自発的微笑(生理的微笑)と呼ばれる『笑い』である。産まれたばかりの赤ちゃんが見せる『新生児微笑』は外界の刺激とは無関係に発生する生理的微笑であるが、生後2~3週間後には人間の声かけなどに反応して反射的に笑うようになる。生後2~3ヶ月頃には、周囲の大人の顔やあやす声に明確に反応して笑う『社会的微笑(3ヶ月微笑)』が見られるようになり、次第に大人があやしたり話しかけたりしなくても自発的な社会的微笑を見せてくれるようになる。

この時期から、笑っている赤ちゃんと目線がしっかりと合う『アイ・コンタクト』によるコミュニケーションが可能となり、生後6~7ヶ月頃になると『喃語(赤ちゃん言葉)』によるコミュニケーションが始まりどんどん加速度的に話す頻度が多くなってくる。言語機能の発達はヒトに固有のものだが、チンパンジーも生まれたばかりの頃(生後半年くらいまで)は人間の呼びかけに対して盛んに応えようとする。しかし、チンパンジーは解剖学的に言葉を話すのに適した喉頭と舌の構造を持っていないこともあり、2歳頃までには人間の呼びかけに対して応えなくなってしまう。生後10~11ヶ月頃になると、人間の赤ちゃんは遠くのモノを指で指し示す『指差し行動』を盛んにし始めるが、指差し行動には『こんな面白いものや珍しいものがあるよ・あれは何なの?・あれを見て欲しい』といったメッセージが込められている。赤ちゃんの指差し行動の目的は『母親との注意・関心の共有』であり『自己とモノとの関係性の確認』であるが、特に、自分が興味を持っているモノを母親にも見てもらいたいというコミュニケーション欲求が強く込められているのである。母親との興味関心の共有(共感)というコミュニケーション欲求とは別に、指差しているおもちゃやモノを取って欲しい(買って欲しい)という『要求行動』として指差し行動が行われることも多い。

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指をさしたり話しかけたりして他者と一緒に『同じ対象』に注意・関心を向けることを『ジョイント・アテンション(joint attention)』というが、ジョイント・アテンションは小さな乳幼児だけではなく思春期以降の大人にも多く見られるコミュニケーション形態の一つである。『自分が興味関心を持っているもの』を他人にも見て欲しいという欲求は承認欲求や共感欲求(親和欲求)ともつながっており、大人でも買ったばかりの新車や洋服、新築の家を友人に見てもらいたいと思ったり、自分が見た映画や小説を他人に薦めて感想を聞いてみたくなったりするものである。乳児はジョイント・アテンションが成立しないと不快な気持ちになったり気分が落ち込んだりするが、青年期のカップルでも新しいヘアスタイルや洋服に恋人が注意を向けてくれないと不愉快になったり自分に関心がないと感じて暗い気分になったりもする。

これらのことから、親密な他者(好きな他者)と『同一の対象・自分が興味のある事柄』を一緒に楽しみたいという欲求はおよそ普遍的なものであると推測することができる。私たちは『何か面白いものや楽しかった出来事』があるとそれを親しい他者に伝えたくなったり共有したくなったりするが、インターネットでSNS(ソーシャル・ネットワーキングサイト)やYouTubeなどの動画共有サイトが流行っている理由も、『自分が興味を持っているものを他者と共有したいという欲求・自分の趣味や思想に共感して欲しいという欲求』にあるのかもしれない。趣味や価値観の共有までいくと原初的な発達早期のジョイント・アテンションからは外れてくるが、ジョイント・アテンションとは簡単に言えば、親密な他者と同じ対象を見ることでつながりたいという欲求のことである。

愛着(attachment)とは『特定の他者との情緒的な結びつき』のことであるが、S.フロイトの精神分析やB.F.スキナーの行動主義心理学では、乳児の母親(養親)への愛情欲求は本能的なものではなく学習的(後天的)なものであると仮定されていた。フロイトやスキナーは、赤ちゃん(乳児)は『空腹・排泄・苦痛・睡眠』などの生理的不快を感じて泣き叫び、その苦痛や不快を取り除くために世話をしてくれる母親に対して愛情・愛着を抱くと考えていた。このように、母親(養親)が一次的動因としての生理的欲求(物質的欠乏)を充足してくれるから『母親(養親)への愛情』が生じるという仮説を『二次的動因説』と呼ぶが、二次的動因説はハーロー『針金マザーの実験(代理母実験)』ルネ・スピッツ『ホスピタリズム(施設病)の事例』によって反証されている。

ハーローの代理母実験では、産まれて間もない空腹のアカゲザルに、『授乳可能な針金製マザー(肌触りが悪いが食欲を満たせる)』と『授乳不可能な布製マザー(肌触りが良いが食欲は満たせない)』を提示したが、すべての赤ちゃんザルは温かい肌触りを得られる布製マザーのほうを選ぶという実験結果が得られた。ハーローの代理母実験によって、『母親への愛情』の第一の要因が食欲を満たす(飢えの改善)という『生理的欲求の充足』ではなくて、温かく柔らかな『身体接触(スキンシップ)』であることが分かり、古典的な二次的動因説(母親への愛情を二次的欲求とする仮説)は否定されることになった。スピッツが発見したホスピタリズム(施設病)とは、『母性的愛情のある養育環境(マザリング)』が欠如した当時の児童福祉施設(乳児院)で育てられた赤ちゃんは死亡率が高くなり、心身の発育障害や情緒発達の障害を起こしやすくなるという問題である。現在の先進国の児童福祉施設では、担当スタッフが共感的な対応と愛情のある育児を心がけているので、かつてほどホスピタリズムの問題は深刻ではない。スピッツが実施したホスピタリズムの比較実験によって分かったのは、『医学的設備・栄養管理状態・養育施設の快適性』がいくら確保されていても『母性的養育の極端な欠如』があると、免疫力の低下による死亡率上昇や精神疾患・発達障害・情緒障害、身体の発育障害の問題が起こってきやすいということである。ホスピタリズムの観点からも、母親(養親)への愛情や愛着の欲求は『二次的動因(生理的欲求の充足のための二次的欲求)』ではないと言うことができ、母性的養育への欲求は健康な安定した心身の発達のために必要な『生得的欲求』であると考えることができる。

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母親(養親)に対する『愛着行動』とは、外界の不安や見知らぬ他者の恐怖と直面する『探索行動』を円滑に進めるための『情緒的エネルギーの供給源』であり、安定した愛着の形成によって段階的に母親から離れていく『分離―固体化のプロセス』が進んでいくことになる。1歳を過ぎると外界に対する好奇心や興味が強くなり外界の探索行動が多く見られるようになってくるが、再接近期(15~24ヶ月)には、母親と離れている不安や心細さが強くなると再び母親に戻ってきて『情緒的エネルギーの補給(emotional refueling)』を行ってもらう。母親は子どもにとっての精神的な『安全基地(security base)』としての役割を果たすが個体化期(24~36ヶ月)を過ぎると、母親を安全基地として利用する回数が大きく減って子どもが一人で探索行動をする時間が長くなってくる。

愛着行動には『母親の接近を要求する行動(近づく・後を追う・しがみつく)』『シグナル行動(泣く・笑う・声をかける)』の二つがあるが、4~5歳以降になると泣いて母親を呼ぶという行動が減って、声をかけたり母親の後ろをついていくといった行動が多くなる。『特定の他者(恋人・配偶者・親友・子ども)』に適度な愛着を形成するという行動は大人になっても続くが、大人の場合は具体的なしがみつきのような行動で愛着を表現することは少なく、言葉や行動による愛情表現(好意・協力の表現)を行ってお互いの信頼関係を確認するといった形になる。しかし、失恋・離婚・不倫・不意の離別などで愛着が破壊されるケースにおいては、大人であっても幼児退行的な泣きや怒り、しがみつき、依存的な態度(未練)などを見せることは度々ある。母親と子どもの密着感のある愛着は(個人差はあるが)小学生高学年くらいまで続くことが多く、精神的に傷ついた時や不安な時には特に母親にくっついてくることが多くなる。

幼児期~児童期の母子関係の発達過程では、不安感や孤独感を和らげるための『愛着行動(安心・依存)』と新奇な行動や環境に積極的にチャレンジして学習経験を積み重ねる『探索行動(自律・学習)』とのバランスを取ることが課題となる。愛着理論を提唱したジョン・ボウルビィは、愛着形成の発達段階について『1.愛着形成の準備段階(0~2,3ヶ月頃)→2.愛着形成の段階(2,3~6ヶ月頃)→3.他者を識別する愛着形成の段階(6ヶ月頃~2歳頃)』の3つの段階に分けて考えている。他者を識別する愛着とは『馴染みのある相手』に愛着行動を示し、『馴染みのない相手』に回避行動・不安反応を示すということであるが、これはM.マーラーの分離―個体化期における『分離不安』にも対応した愛着のパターンである。

安定した持続的な愛着を形成する意義とは、『基本的信頼感の獲得』であり『安心して探索行動ができる性格基盤(生活基盤)の獲得』であると言えるが、愛着がまったく形成できない母性剥奪が深刻になり過ぎると、心身の発達過程(精神的・情緒的な安定感)や生活環境への適応性、親しい友人関係の構築、学習行動への集中力などに何らかの問題が起こってくることがある。しかし、健康な心身の発達を促進するための『愛着形成』は血縁上の母親や幼児期の養親でなくても良く、人生のどこかの時点で情緒的な絆の強さや確かな信頼感を感じられる『特定の他者』が見つかれば、精神的な安定や人生の充足感を得ることができるというのも事実である。『精神分析的な幼児期決定論』は、性格形成や認知傾向の一部について当てはまる部分もあるが、乳幼児期の愛着の欠如やトラウマ的な体験の記憶によってその後の人生の大部分が決定されるというわけでは全くないのである。

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ジョゼフ・バビンスキーの自己暗示による神経症論(ヒステリー麻痺形成)とバビンスキー反射

自分が致命的な重い病気であることをしきりに訴えるヒポコンドリー(心気症)や手足が振るえたり身体がけいれんしたりするヒステリー反応も、自分の周囲に他人が存在する場面のほうが起こりやすいという傾向があり、他者からの認知・承認を求める心理が大きな要素となっています。前回の記事の続きになりますがS.フロイトやP.ジャネ以前の神経精神医学では、『神経学的異常(脳障害)あるいは身体的原因があって精神症状が発生する』という器質因論(身体因論)が主流でしたが、ジャン=マルタン・シャルコーの催眠療法によってヒステリー反応の麻痺症状が改善したことから、『器質的原因のない心因性のヒステリー(精神障害)』の可能性が考えられるようになりました。シャルコーの催眠療法が臨床的な治療効果を上げるまでは、心理的原因のみによって発症する精神障害の存在を否定的に見る医学者が大半でしたが、シャルコーがヒステリー反応の身体症状(手足の麻痺)を催眠によって意図的に発現させることに成功したこともあり、心因性の身体症状・精神症状の存在を支持する動きが広がりました。

催眠で用いる指示的暗示によってヒステリー反応(身体の麻痺・振るえ)を出現させたり消失させたりすることができるということは、器質的原因・身体的損傷のない心因性の精神疾患(ヒステリー)が存在する根拠となりましたが、ヒステリーの発症には『自己暗示』『潜在的願望(=疾病利得)』が関与しています。受け容れがたい精神的苦痛を身体症状に転換する『一次的疾病利得』と病気になることによって周囲の愛情や関心、具体的利益を得られやすくなる『二次的疾病利得』については過去の記事で説明しましたが、ヒステリー含む精神障害の多くは無意識的な防衛機制の発動の結果として疾病利得を得られることがあります。二次的疾病利得が関係する代表的な精神障害としては、戦争神経症(戦地からの帰還)・年金神経症(年金・補償金の給付)などがありますが、これらは意識的に病気のふりをする仮病(詐病)とは異なるものです。

神経症レベルの精神症状の形成要因として自己暗示や疾病利得を強調し過ぎると、『精神疾患は意志や気合(やる気)の問題に過ぎない・精神疾患は本人の気持ちの転換で治癒することができる』という精神疾患の誤解や偏見に行き着く危険がありますが、無意識的なプロセスとしての自己暗示・疾病利得は本人に自覚されることが通常ありません。疾病利得が発生する状況というのは、言い換えれば『非適応的な防衛機制の発動を促すストレッサー』であり、職場の過労状況や対人関係における自己疎外感(自己否定感)、経済的な困窮状態などが本人のストレス耐性の閾値を越えたときに『無意識的な逃走願望』が発生します。多くの場合において、『二次的疾病利得』とはその人のストレス耐性の閾値を越えた極限状況において発生する『無意識的な逃走願望』であり、本人にやる気(意志)や責任感(義務感)が残っていても、強烈な抑うつ感・無力感に襲われたり身体や頭脳が思い通りに動かせなくなったりして精神疾患を発症することがあります。

不適応な精神疾患の状態とは、本人の『ストレス耐性・フラストレーション耐性・体力の限界』の閾値を越えた過負荷のストレス状況に長期的に暴露された結果として起こる状態であり、そのストレス状況から離れたいという無意識的願望が病気になって休養するという疾病利得と意図せずしてつながっています。うつ病の発病期・回復期でも意識的には『やるべきことをやらなければならない・ここで自分が休むわけにはいかない・自分は心の病気などにはならない・精神疾患というのは心の弱い人間がなるものだ』という強い意志(やる気)を見せるケースが多くありますが、抑うつ感・絶望感・不安感・手足の振戦・吐き気・めまい・頭痛などの苦痛な心身症状が前面に出てくると、本人の意志や気合の強弱に関わらず大半の人は今までの社会生活(仕事状況・人間関係)に適応することが非常に困難になります。戦争神経症・年金神経症のような具体的な利益性が目立つ疾病利得もありますが、多くの精神疾患では『ストレス耐性の限界・心身症状の悪化・社会生活の適応困難』の結果として、本人が意図しない(望まない)形で治療を受けて休養するという無意識的な疾病利得を獲得することになります。

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フランスの医師ジョゼフ・バビンスキー(Joseph Babinski, 1857-1932)は、ヒステリーの身体症状が『観念的な自己暗示』によって形成されると主張し、器質的損傷(神経学的損傷)による麻痺とヒステリー反応の麻痺との鑑別診断を『生理学的な反射(脊髄反射)』の有無によって確立しました。つまり、中枢神経の損傷によって足が麻痺している場合には膝蓋腱反射が見られず、視神経の障害によって失明している場合には瞳孔反射は見られないが、神経症的(ヒステリー的)な足の麻痺や心因性失明の場合にはそれらの反射が見られることで両者(器質的障害とヒステリー)を鑑別できるというわけです。ジョゼフ・バビンスキーは2歳未満の乳児に見られるバビンスキー反射(足底反射)を発見した医学者としても知られますが、バビンスキー反射とは2歳未満の乳児の足の裏をとがったもので踵(かかと)から爪先に向けて刺激していくと、親指が足の甲の側に反りかえり他の4本の指が外側に開くという反射です。バビンスキー反射は随意運動の指令(意志)を伝達する錐体路の発達に伴って消失していきますが、てんかんや頭部損傷など錐体路障害がある場合には成人になってもバビンスキー反射が見られることがあります。

ヒステリー性の麻痺やけいれんでは、バビンスキー反射を含む生理学的な反射が見られないという特徴があり、バビンスキーはヒステリーの発症原因を『観念的・思考的な自己暗示』にあると考えました。バビンスキーは神経症と器質的障害(身体疾患)の鑑別は比較的簡単にできるとしても、神経症類似の症状を仮病でもつくれる以上は神経症(ヒステリー)と仮病の鑑別診断は厳密には困難であると考えました。しかし、精神分析学の発達・普及によって『無意識の概念』が精神病理学に積極的に持ち込まれるようになり、『本人が意識化できない無意識の観念・思考・欲求』がヒステリーの心身症状を暗示的に形成・維持していると考えられるようになりました。即ち、神経症患者が仮病ではなく確かに神経症(ヒステリー)であるという根拠は、自分が特定の観念(思考)の暗示に従っているという意識や自覚を患者自身が持たないことにあるというのがバビンスキーの行き着いた合理的結論でした。バビンスキーは、主観的感覚・自己報告が多く関係するヒステリーと仮病に客観科学的な境界線は引けないという立場を取ったといえますが、無意識概念の援用によってヒステリーという病態の発症は説明できるとしました。

精神疾患の多くが主観的な苦悩や不安、違和感を主訴としていますので、身体症状を呈する心身症やヒステリー反応はやや例外的であるとしても、改善的アプローチでは、患者・クライエントの自己報告(主訴・内省の内容)を肯定的に信じる他はないということになります。特に、医学的診断では器質的障害の有無と合わせて仮病の可能性を確認することがある程度は重要になってきますが、臨床心理学的(心理療法的)には、心理的な問題や苦痛を訴えるクライエントの仮病の鑑別よりも、そういった心理的問題(主訴の内容)が発生してきた経緯や具体的な改善の支援のほうが重要になってきます。仮病や演技の可能性というのは絶えず視野に置いておくべきですが、それを心理臨床家やカウンセラーが直接的にクライエントに伝えるべきか否かというのは異なる問題であり、クライエントの回復や利益に役立つ方向で適切な情報提示・分析の報告を行っていかなければならないというのが原則でしょう。

子どもに対する“遊戯療法”と“自由な遊び”によるカタルシス効果・内的世界の投影

霊長類である人間は『知恵ある人』『言葉(概念)を用いる人』であると同時に、『遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)』でもあります。チンパンジーやボノボ、ニホンザルなどのサル類も遊びますが、人間の『遊び』ほどレパートリーやルールの深さがなく、人間以外の動物は成体(大人)になると生活上の必要性が薄い『遊び』の頻度が大きく減少します。サル類以外の各種の哺乳類も、『生存維持(食料確保)・繁殖行動』に役立つ知識や技術、コミュニケーションを『遊び』の中で学習する傾向はありますが、いったんそれらの適応能力を身に付けると余り遊ばなくなってきます(ヒトの生理的早産についての参照URL)。

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成熟すると遊びをやめてしまう傾向がある自然界の動物と比較すると、人間(ヒト)だけは大人になって成熟した後も、遊ぶことをやめない特殊な性質を持っています。人間の大人と子どもでは『遊びの種類・内容・頻度』がかなり異なってきますが、『生存・生活・子孫の存続』に直接必要がない『遊び』を完全にやめてしまう大人は殆どおらず、物質文化や科学のテクノロジーが発達すればするほど『大人の遊びの種類・時間』は増加傾向を示しているようです。現代では、30代以上の大人でもゲームをしたりインターネットをしたりして遊びますし、運動が好きな人であればテニスやゴルフ、水泳などのスポーツをして余暇を遊んで過ごす人もいるでしょう。高齢者であっても観光旅行や温泉旅行に行って人生を楽しみ、童心に返って孫・ひ孫と玩具を使って遊んだり、自由な筆致で絵を描いたりすることがあります。大人のサラリーマンでも、同僚と居酒屋に行って談笑したり趣味のコレクションをしたり、カラオケで歌ったり映画やスポーツを鑑賞したりと『広義の遊び』を無数に行っています。

『遊びとは何か?』という厳密な定義はともかくとして、人間の心理・行動の一般的特徴として『年代を問わずに遊びを楽しむことができる』ということがあり、自分なりに趣味や娯楽を見つけて『楽しく熱中して遊べること(遊びの時間でリフレッシュできること)』は精神の健康性を示す一つのバロメーターと言えます。うつ病(気分障害)になれば精神運動抑制が起こって『興味・関心の喪失』が起こり、それまで楽しくて面白いと感じていた遊び・娯楽を楽しもうとする意欲が無くなってきますし、社会不安障害や強迫性障害などの問題を抱えている人も『円滑な対人関係・社会生活』が障害されることによって遊びを楽しみにくい状況が生まれます。大きな不安や気分の落ち込みが無くて存分に遊べるということは、一定以上の精神の健康性・正常性の指標であり、『遊びを通したコミュニケーション』には親密な人間関係を形成して維持するような働きもあります。

遊びには『個人の内的満足・自己表現』『他者とのコミュニケーション・社会性(連帯感)の促進』との二つの位相があり、ひとり遊びは前者と結びつきやすく、仲間との集団遊びは後者と結びつきやすい特徴を持ちます。子ども達の『遊びの変化』は『集団形成の発達段階(ギャング→チャム→ピア)』とも密接に結びついており、年齢が高くなれば高くなるほど『遊びの均一性・同質性』が失われていきます。大人の遊びになると『好きな仕事・異性関係や性的嗜好・ITやゲーム・ギャンブル・嗜好品・旅行やスポーツ』なども含めて、複雑化・多様化を極めていき、自分の遊び方と他者の遊び方が一致する確率は低くなります。

カウンセリングや心理療法にも『遊び(プレイ)』の要素は応用されており、『プレイセラピー(遊戯療法)』として実用化されていますが、遊戯療法の適応は基本的には幼児期~児童期にある子どもです。子どもを対象とするカウンセリングで『遊び』を用いる時には、『個人の内的満足=カタルシス(感情浄化)』『個人の自己表現=内的世界の遊びへの投影(象徴化)』が作用機序となっています。子どもが『好きな遊び』に無心で没頭して抑圧されていた感情や葛藤を発散するというカタルシスが遊戯療法の重要な効果となっていますが、大人の場合には『好きな遊び』で抑圧した感情や精神的ストレスを発散するといっても、カウンセリングの面接状況で小さな子どものように無邪気に遊ぶことは難しいので現実的ではありません。また、両親からの保護や愛情を受けている子どもの場合には『遊びによるカタルシス』の効果によって環境適応の改善が見込めますが、自律的な生活能力や現実適応を求められる大人の場合には『遊びと問題解決(悩み解消)の相関』が弱いという特徴もあります。

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S.フロイトが創始した精神分析にも子どもに適用する児童分析理論があり、自我心理学のアンナ・フロイトと対象関係論のメラニー・クラインとの間で『児童分析の有効性・方法論を巡る論争』が起こったことがありましたが、『無意識の言語化』を分析の原理とする精神分析の中に遊戯療法がそのまま導入されることはありませんでした。精神分析の技法は、自由連想と夢分析を基盤に置く『生活履歴と対象関係の言語的解釈』に作用機序の重点がありますから、どうしても『言語活動(ことば)』『遊戯(遊び)』との相性の悪さが出てきやすい面があります。フロイト以後の精神分析理論の進展を見ると、ジャック・ラカンのように『無意識の構造』『言語の構造』の複雑な相関関係が前提されるようになり、象徴界(言語の世界)の理解を抜きにした精神分析の実践というのは想定しにくくなっています。分裂や投影同一視に代表される『原始的防衛機制』を発見したメラニー・クラインは、『幼児期の子ども』にも言語的コミュニケーションと自由連想を用いた児童分析が有効であるとしましたが、子どもの言語能力の発達レベルを考えると、非言語的コミュニケーションを活用する『遊戯療法(play therapy)』のほうが実践性と使いやすさに優れています。

遊戯療法に対する精神分析の直接的な貢献というのは余りないですが、例外的なものとして、人類共通の普遍的無意識(集合無意識)を想定して『神話・伝承・夢のイメージ』を積極的に活用したユングの分析心理学が遊戯療法との親和性を持っています。スイスのユング派の精神分析家ドーラ・カルフ(D.M.Kalff, 1904-1990)は、カール・グスタフ・ユングの分析心理学の世界観や無意識領域のイメージを応用した『箱庭療法』を創始していますが、箱庭療法は臨床心理学の発展に尽力した河合隼雄(1928-2007)によって日本に導入され児童臨床に活用されています。箱庭療法も遊戯療法と同じく『自由な遊び』の側面を強く持っていますが、どちらとも『問題解決志向の言語的表現』よりも『遊びの中にある非言語的表現』を重視した技法であり、箱庭療法の場合には『無意識的内容の箱庭への投影・象徴化』というものに着目しています。箱庭療法では、箱で区切られた砂場にミニチュア玩具を配置して『箱庭の作品』を作成していきますが、無意識的内容の象徴化を見て行くといっても、クライアントに対して『作品に関する直接的な質問・無意識に対する解釈』を投げかけることは少なく、基本的には『箱庭作成の行動とプロセス』に改善的な効果があるとされています。『遊びの本質』と『カウンセリング・心理療法の技法』との関係について、時間がある時に精神分析理論やロジェ・カイヨワの学説などを参照しながらもう少し補記したいと思います。

アクスラインの遊戯療法の8つの基本原則とロジェ・カイヨワの『遊びと人間』に見る“遊び”の本質

箱庭療法は『作品の共感的な鑑賞』『作品の無意識内容を絡めた解釈(物語性)』がセットになって行われますが、作品を見た瞬間に受けるイメージや雰囲気を味わいながら、より深いレベルの無意識的意味や象徴性などの分析を進めていきます。分析家(カウンセラー)が分析した作品の無意識的意味や解釈を、直接的に伝える必要がある場合もあれば無い場合もありますが、子どものクライアントが自由な保護された空間の中で、自己の内的状況を生き生きと表現できることに箱庭療法の意義があります。

前回の記事の続きになりますが、箱庭療法の作品から分析的に読み取られたテーマは、支持的カウンセリングなどに柔軟に応用することが可能であり、箱庭作品に投影されたテーマや情動を的確に洞察することによって、クライアントの問題の中心へと接近していくことができます。ユング派の精神分析療法に精通している分析家であれば、神話や伝説、昔話のイメージを、支持的カウンセリングの中に分かりやすく取り入れて行くこともありますが、ユングの分析心理学というのは『時間軸を超えたイメージの連関性』を読み解いていく知識・技術にその真髄があるとも言えます。

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C.G.ユングが考案したアクティブ・イマジネーションの技法も、元型のイメージを活用して現在と過去をつなぐような普遍的意味を創出するテクニックですが、『イメージが持つ共時性(シンクロニシティ)』をどのようにクライアントの現実的な苦悩に適用できるかが問われます。遊戯療法(プレイセラピー)の基礎理論としては、C.R.ロジャース『クライエント中心療法』があり、遊びの持つカタルシスの効果と遊戯療法の構造を理論化したのはクライエント中心療法を実践していたV.M.アクスラインという女性の臨床家でした。ロジャーズのクライエント中心療法と言えば直接の助言指導を行わない『非指示的技法』の代表ですが、アクスラインの遊戯療法も指示や解釈・介入を最大限に排除して、子どもの自由な遊びに焦点づけしたことから『非指示的遊戯療法』と呼ばれます。V.M.アクスラインは非指示的な遊戯療法によって、ロジャースの仮定した生得的な『実現傾向(成長・健康・解決に向かう人間の本性)』が促進されると考え、以下のような『遊戯療法の8つの基本原則』を提起しています。

1.温かで共感的な対応を心がけ、子どもとラポール(相互信頼関係)を形成しやすくする。

2.子どもをありのままに受容する。

3.子どもが自由に遊べるような許容的雰囲気を作る。

4.子どもの感情表現に対して、適切な気持ちを反射してあげる。

5.子どもに遊びを通して自信と責任を持たせるようにする。

6.子どもを指導・統制しようとせずに、非指示的態度で子どもの行動の後にカウンセラーが従う。

7.遊戯療法の過程を焦らずに、ゆっくりと進む治療プロセスを待つ。

8.子どもの発達に見合った『現実原則』が働くような一定の制限を与える。

子どもと普段接しておらず『子どもの遊びの世界』から遠ざかった生活をしている大人のカウンセラーには、アクスラインの8つの基本原則を実践することはかなり難しく、子どもの遊戯療法は大人の心理療法以上に適性(向き不向き)が問われるものになります。一般的には、男性カウンセラーよりも女性カウンセラーのほうが遊戯療法の適性や動機づけが高い傾向がありますが、最低でも『子どもと同じ目線で接するのが好きで、子どもとのコミュニケーションを楽しめる』という人でないと遊戯療法の効果を十分に引き出すことはできないでしょう。保育士や幼稚園教諭、小学校教諭などの適性ともオーバーラップする部分も多いですが、特別な遊戯療法の面接でなくても保育園・幼稚園の遊びの中で遊戯療法的な状況が生まれることもあります。

カウンセリングの技法はその効果発現の方法論によって『支持療法・洞察療法・表現療法・作業療法』などに分類されますが、遊戯療法は『表現療法』の一種として位置づけられます。広義の表現療法の中には、芸術療法(アートセラピー)や色彩療法(カラーセラピー)、箱庭療法なども含まれるので、一概に子どもだけにしか表現療法が適用されないわけではないのですが、遊戯療法という時には『児童心理臨床分野の技法』という意味合いが濃くなります。思春期以上のクライアントのカウンセリングでは『表現』を用い、児童期以下の子どものカウンセリングでは『遊び』を用いるわけですが、『大人の表現活動』には『遊びの要素』はあっても遊びそのものと完全に同一視することはできません。大人の遊びには『非日常性・非現実性・利害関係・遊び外部のインセンティブ』などが含まれていることがあり、日常生活と遊びがリンクしながら『遊びそのもの』を純粋に楽しむようなタイプの子どもの遊びとは異なるからです。

幼児期の子どもは『多少の勉強・学習』はしなければならないとしても、基本的には『遊ぶのが仕事』と言われるように一日のかなりの部分が『遊び』に費やされます。特別な英才教育や幼稚園・小学校の受験をする子どももいますが、一般的に子どもは『仕事・生活に追われやすい大人』と比べれば『遊びに費やす時間の比率』が大きく、各種の遊び(ひとり遊び・集団遊び)を通して知的にも対人関係的にも成長していくという側面があります。大人にとっての“遊び”は、『社会的責務からの解放・リラックス』『メインである仕事・生活以外の娯楽(余興)』という含意があり、基本的には『日常的な仕事』の対義語として『非日常的な遊び』が配置されているわけです。

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『遊び(プレイ)』は人生を豊かに楽しみ刺激的に味わうための行動ですが……遊びには『労働を中心とする社会活動の残滓(残りかす)』というネガティブな解釈もあれば、『人間世界を発展させる文化文明の原動力・人間精神を活性化させる好奇心の源泉』というポジティブな解釈もあります。人間存在の本質を遊びに見出したオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガ(Johan Huizinga, 1872-1945)『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)』という概念を作りましたが、フランスの哲学者ロジェ・カイヨワ(Roger Caillois, 1913-1978)は著書『人間と遊び(1958年)』の中で、純粋な遊びの本質を以下の6点に求めています。

純粋な遊びが持つ特性

1.自由な活動

2.隔離された活動

3.未確定の活動

4.非生産的活動

5.規則のある活動

6.虚構の活動

遊びの分類

アゴン(競争):スポーツやゲームなど勝ち負け・優劣の結果がある遊び。

アレア(偶然):宝くじやルーレットのような偶然の運に賭ける遊び。

ミミクリ(模擬):演劇(ドラマ)やごっこ遊び、物真似のような模擬的な状況を再現する遊び。

イリンクス(眩暈):遊園地の遊具やブランコのように感覚的な刺激・興奮を楽しむ遊び。

ロジェ・カイヨワが人間の社会・文化を振り返りながら考察したように、遊びには『非日常的な特徴』や『種類の多様性』が認められます。更に、遊びには『今ある現実世界』とは別の『特別な時間・空間』を想像力を駆使して作り出せるという魔術的な力があり、人間の知的好奇心やコミュニケーション欲求、変化への感受性を強く刺激するという作用があります。『遊び』は本質的に、人間の精神を疲弊させる『単調さ(退屈さ)・面白味の無さ・感情の抑圧・日常の閉塞感』を否定する特徴を持っており、この遊びの特徴が良い方向に作用すると人間の精神の健康を促進したり、人間社会を進歩(変化)させる知的欲求を刺激することになります。

『創造力・理想のビジョン』と遊びが結びつけば、産業活動・文化芸術の発展に貢献することになり、『怠惰逸脱・非生産性』と遊びが結びつけば、人心の荒廃や社会活動に対する無気力に行き着くことになりますが……遊びはカウンセリング(遊戯療法)にも応用されているように、『心身の回復・休養とリフレッシュ・認知の肯定的転換』と結びつきやすい性格も強く持っています。古代ギリシア=ローマでは『学問・芸術・戦争』といった貴族階級・職人階級の公的な営為さえも『遊び』としての一面を持っていましたが、科学技術やインターネットが発達した現代社会における『遊び』はより複雑化・多様化すると共に、パーソナル化(個人化)してきています。『遊び』の持つ創造性(新規性)や回復性(休養効果)、刺激性(インスピレーション)を自分や他者(社会)に有用な形で取り込んでいけるかどうかは難しい課題ですが、『本業(義務的な活動)』と『遊び(自由な活動)』のバランスを取ることの重要性はますます高まっています。

元記事の執筆日:2008/09

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