自分と似た人を好きになるか、自分と異なる人を好きになるか1:類似性の原理と自己肯定の強化,自分と異なる性格・特徴を持つ異性に魅力を感じるのはなぜか?:相補性の原理とコンプレックス解消

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自分と似た人を好きになるか、自分と異なる人を好きになるか2:ユングの影(シャドウ)と恋人選び


自分と異なる性格・特徴を持つ異性に魅力を感じるのはなぜか?:相補性の原理とコンプレックス解消


いつも同じような相手と似たような恋愛を繰り返しやすいのはなぜか?:初期体験・親子関係・役割意識


脳内のセロトニンによる“精神の安定(安らぎ)・不安定(攻撃性)”と“男女の嫉妬感情の違い”


“男女の嫉妬感情の違い・男女の性愛のダブルスタンダード(性的な二重基準)”は何から生まれるか?


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自分と似た人を好きになるか、自分と異なる人を好きになるか1:類似性の原理と自己肯定の強化

異性を好きになる時の要因は、『自分と似た特徴を持つ人を好きになりやすい要因』『自分と異なる特徴を持つ人を好きになりやすい要因』とに分かれます。自分と似た特徴や傾向を持っている人を好きになりやすい要因は『類似性の原理・自己愛の強化』で説明されますが、街中を歩いている夫婦やカップルを見ていると雰囲気だけでなく外見(容姿・ファッションなど)も何となく似た感じの組み合わせが多いことに気づいたりします。ファッションなどは相手の趣味に合わせて変えていく事も多いのですが、『自分と似た容姿・雰囲気・行動原理(価値判断)』などがあると、人は一般に安心感や居心地の良さを感じやすく、他人と一緒にいても自己愛が傷つきにくくなり、お互いに対する『共感・肯定・同意』で自己愛が補強されやすくなるのでその人を他の人よりも好みやすくなるのです。自分の容姿や見た目なんて全く好きじゃなくて嫌いという人もいますが、多くの人は自分の容姿・外見を完全に気に入らないまでも『客観的な評価以上の好意・愛着』を持ちやすく、極端なナルシストではなくても本当に嫌いだという人はやはり少ないのです。

自分の容姿・外見に贔屓目の愛着や好感を持ちやすいというのは、毎日自分の顔を鏡などでチェックするという『単純接触効果』の影響もありますが、結局は自分の容姿や外見と長く付き合って生きていかなければならないという現実原則により、自分の顔を嫌いになるより好きになったほうが生きやすいという『自然な生活適応』としての部分もあります。極端に自分の容姿が嫌いで劣等コンプレックスになったり、実際以上に自分の顔を醜くて悪いものだと認識してしまったりする場合には、社会生活や対人関係に実際的な支障がでてくる『身体醜形障害(醜形恐怖障害)』の恐れもでてきます。自分の容姿に対する認知が大きく歪んで『深刻な絶望感・自己嫌悪・対人恐怖』がでてくるのが精神疾患の身体醜形障害ですが、そこまでに至らなくても自分の外見や性格などが極端に嫌いになって自信を失ってしまうと、人は現実の生活や人間関係に上手く適応できなくなってしまうのです。

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そのため、大半の人は自分の外見について他人と比べた上での自信・優越感まではなくても、『それなりに良い所もあるな・この部分は味わいがあるかも・明るい笑顔でいれば魅力が出てくるぞ』といった自己肯定感を自然に身に付けていくことのほうが多く、それによって『生きやすさ・一定の自己愛と自信』を確立していくことになります。好きな異性の選択において、何となく自分と似たような外見や雰囲気の人を選びやすい理由は、『単純接触効果による自己愛の投影』『自然な生活適応による自己愛着の転換』が考えられますが、更に趣味・活動や行動原理、価値観まで似ていると『お互いのことをすんなり理解し合えている・一緒にいてストレスや違和感(負担感)を感じにくい』といった利点も加わってくるからです。

客観的に見て自分と同程度の魅力・長所を持った相手を無意識に選びやすく相手からも選ばれやすいという『社会的バランス理論(社会的交換理論)』も関係しており、美女と野獣やイケメンと不美人のような組み合わせが少なくなりやすいのは、自分の側に相手の美貌と吊り合うだけの何らかの魅力(外見にせよ経済力・地位にせよ知性・名誉にせよ価値観の親和性にせよ)がないと、自分が気後れして緊張してしまったり、相手がその人と付き合うだけの魅力を認知しにくいからです。外見的な美貌を売りにしている芸能人や女子アナウンサーなども、経済力・知名度がなくて容姿・雰囲気も冴えないという男性と結婚する事はまずありませんが(大抵はスポーツ選手や芸能人、経営者、資産家など平均的男性よりもずば抜けた長所を持つ人を選びますが)、『自分の容姿の美貌・優位』に自覚的で視野を広げている人ほど、社会的バランス理論に従った異性選びをする傾向は強いと言えます。

反対に、ある程度の美人やイケメンであっても自分の容姿の魅力にそれほど自覚的ではなく住んでいる世界・視野が狭ければ、身近でそれなりに似通った所のある安らげる相手を恋人や配偶者に選ぶことは少なくなく、社会的バランス理論もその人の自意識(上昇志向の欲)の強さや生きている世界の広さ、周辺環境の影響にかなり左右される所があります。

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自分と似た人を好きになるか、自分と異なる人を好きになるか2:ユングの影(シャドウ)と恋人選び

『自分と似た特徴を持つ人を好きになりやすい人』というのは、上記した類似性・自己愛・生活適応などの要因を踏まえて、ある程度『今の自分自身の特徴や状況が好きで満足している人』である可能性が高いのですが、自分の特徴や現状がそれほど好きでないにしても、自分と類似した特徴や状況にある相手のほうが気兼ねなくリラックスして付き合えるという良さはかなり大きなものなのです。どんなタイプの異性が好きか、どのような外見や性格に魅力を感じやすいかという『異性のタイプ(理想像ではなく実際に選ぶときのタイプ)』は、『自分自身に対する自己評価』を反映していることも多く、大きく自分とかけ離れた正反対のタイプの異性ばかりを好むという場合には、自分で自分を受け容れられない『劣等コンプレックス』が関係していたりもします。

異性の好みやタイプを聞いた場合には、『優しくて穏やかな人が好き・カッコ良くて(美人で)見とれてしまうような人が好き・行動力があって色んな場所に連れて行ってくれるような人が好き・愛嬌があって良く話してくれる人が好き・クールで感情的にならないような人がタイプ・不器用でも誠実で信頼できるような人に引かれる』など様々な意見がありますが、その好みのタイプ(性格・外見)が自分と類似しているか全く異なっているかで、『現在の自分自身に対する自己評価・受け止め方』が推測できることもあるわけです。自分と相手との外見・雰囲気が似通っていることで安心感や居心地の良さを感じ、お互いの類似した特徴を承認しやすいことで自己愛が相互に補強されるという事になります。

『自分と異なる特徴を持つ人(正反対の特徴を持つ人)を好きになりやすい人』の心理は、“相補性の原理・理想の自己像(現在の自分の不全感)・ハロー効果”で説明されます。真面目で今まで羽目を外したことのない勤勉な人が、自由奔放にやりたいように生きている遊び人風の人になぜか引かれたり、反対に自己中心的で他人の言うことなど余り聞かずに生きてきたような人が、他人にいつも配慮して思いやりの深い異性を好きになったりします。控え目でいつも目立たない地味な人が、派手で自己顕示欲が強い目立ちたがり屋に引かれたり、気が弱くて自分の意見をはっきり言えないような人が、押し出しが強くて何でもずばずばと主張して堂々としているように見える人に魅了されたりします。

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分析心理学を創始した精神分析家のカール・グスタフ・ユングは、自分が今まで生きてこなかった人生の反面、今までの自分の性格・価値観とは正反対の部分が、『影(シャドウ)』という元型(アーキタイプ)になると語りました。人間は『影(シャドウ)』の元型に対して、一般的に“嫉妬と羨望・反発・嫌悪・抵抗・批判”といったネガティブな感情を向けがちなのですが、影(シャドウ)は“アンビバレンツ(両価的)な劣等コンプレックス”の源泉として機能しています。

影(シャドウ)に基づく劣等コンプレックスは、愛情(魅力)と憎悪(嫌悪)という正反対の感情が同時に存在するアンビバレンツなものであり、『嫌いだけれど好き・無視して切り捨てたいけどなぜか惹かれてしまう・意地悪をしたり文句を言ってでも関係してしまう』という複雑な感情を引き起こすのです。人間は時間的にも能力的にも選択的にも『有限の存在』であり、あらゆる種類の人生をすべて選んで生きるという事はできないし、今の自分の性格・生き方を180度転換させて生きるという事はできないので、『自分とは全く異なる性格・価値観を持っている他者』に対してある種の嫉妬や羨望、非難、関心が起こりやすい傾向があります。

恋愛や結婚を『メリット(利点・損得・長所)』で語るのは間違っている、相手のために何かをして上げたいという気持ちこそが大切だという道徳的意見もあるわけですが、恋愛や結婚にはやはり『相手から自分の価値・存在を認めてもらうことによる心理的報酬』があり、そのことは自分が今まで生きてくることがなかった『影(シャドウ)』の影響も含めた“劣等コンプレックスの解消効果”にもつながっているのです。孤独でいることがつらいと感じ、誰かと一緒でないと何をしても味気ない(一人で時間を過ごしたり遊んだりするのが苦手)と感じやすい人ほど、『恋愛・結婚による心理的報酬』が大きくなります。

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周囲の人たちはカップルや家族で楽しそうにしているのに、自分だけが特定のパートナー(恋人・配偶者)がいないという『取り残され感・疎外感・不遇感』によっても恋愛・結婚の心理的報酬は大きくなるし、そういった自分も他人と同程度の満足・幸福を得たいという心理は『人が異性・家族を求める社会的理由』の一部を構成しています。孤独耐性がかなり高くて一人で過ごすことが基本的に好きな人でも、『気の合う誰かと一緒に感動や経験を共有する喜び(たまにはそういった喜びも得たいという欲求)』は多少はあるわけで、人が異性やコミュニケーションを求める心理にはある程度の本能・遺伝・社会性の裏づけがあるのでしょう。

自分と異なる性格・特徴を持つ異性に魅力を感じるのはなぜか?:相補性の原理とコンプレックス解消

人間には誰でも『長所と短所』『得意な分野と苦手な分野』『強い要素と弱い要素』があり、『自分に欠けている長所・強み』を持っている影(シャドウ)に近いような異性に魅力を感じやすい部分もあります。論理的な思考を重視して計画的にかっちり人生を生きている人は、感情優位で自分の気分の赴くままに生きているような人が『影(シャドウ)』として機能し、そういった異性に引きつけられることがあります。それは現在の自分自身の生き方に一定の自信・確信を持ちながらも、『不全感・窮屈感』を心のどこかで感じているからであり、『影=自分が今まで切り捨ててきた側面・反対の生き方』が反面教師的に理想の自己像として機能しているからです。自分と異なる特徴や傾向を持つ異性を好きになりやすいという心理の背景には、『反転した理想の自己像』と自分の欠点や足りない部分を相手の特徴で補うという『相補性の原理』が働いていますが、この相補性の原理は『劣等コンプレックス解消効果』とも深く関係しています。

異性から自分の存在や価値を全面的に認められる『恋愛・結婚』によって、いつの間にか自分が抱えていた劣等コンプレックスや気分の落ち込みが解消してしまうという経験は多くの人にあると思われます。つまり、自分に『足りない部分(コンプレックスを跳ね除けるような強み)』を持っている正反対の異性と付き合うことで、理想の自己像を相手の中に見出すと同時に、心理的な一体感も生じてコンプレックスが解消される効果が生まれやすくなるのです。自分の容姿に自信はないが社会経済的な強みのある人が、イケメン・美人と付き合ったり結婚したりすることで、『それだけの美貌を持つ人が自分を気に入って特別な相手として認めてくれている』ということで、気分が高揚して自分の容姿に関するコンプレックスがかなり解消されてしまうことは珍しいことではありません。反対に、自分の社会的な役割や職業的な地位に余り自信がない人が、経営者や医師、弁護士などと結婚することで、相手と心理的な一体化が生じて、自分自身がそういった能力・地位を得たように感じることで、コンプレックスが解消されたりするという事もあるでしょう。

これらは極端な事例ではありますが、『自分に持っていない魅力・長所』を持っている相手が、自分のことを『特別な存在』として認めてくれて好きになってくれるということ(更に自分の持っている魅力・長所が相手の不足している部分を埋め合わせていること)には、お互いの自己肯定感・自信を高めてくれるというポジティブな効果があります。自分と異なる特徴や性格を持っている人を好きになりやすい人でも、『お互いを支える相補性を生かした幸福』を手に入れやすい人と『お互いを否定する対立性が影響する不幸』に嵌まりやすい人とで分かれますが、自分の抱えている劣等コンプレックスや自信の無さを恋愛(結婚)で一方的に解消しようとすると、どうしても『相手を利用し合うような関係(自分だけが利益を受け取ろうとして相手に何もして上げない関係)』に陥り、結果として上手くいかないケースが増えてきやすいように思います。

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『理想の異性像』『影が映し出す理想の自己像』を重ね合わせ過ぎても、自分自身がある程度努力して自分に自信(心の安定)を持てる方向に変わらない限りは、恋人・配偶者の力だけで自分のコンプレックスを解消し切ることはできないということでもあります。『自分と似た人を好きになりやすい人』は今の自分に対する自己評価が高くて、現在の特徴や状況にある程度満足していることが多く、『自分と異なる人を好きになりやすい人』は今の自分に対する自己評価が余り高くなく、現在の特徴や状況を変えたいという欲求を持っていることが多い傾向があります。自分とは異なる特徴や性格を持っている相手と付き合う場合の利点としては、『社会的学習(模倣学習)の効果』が現れやすいという事があり、『自分の持っていない魅力・長所・強み』を持っている恋人(パートナー)の性格行動パターンを無意識的に真似(模倣)することで、いつの間にか自分の苦手意識やコンプレックスが軽減されてしまうこともあります。

例えば、自分の几帳面で神経質(完璧主義)な性格が嫌いで悩んでいたような人が、大雑把で細かい人にこだわらない暢気なタイプの人と付き合ったり生活することで、『相手の認知・行動・価値観』に知らず知らず影響を受けて、以前ほどには神経質なところ(細かなこだわり)がなくなり気持ちも落ち着きやすくなったというような事が考えられます。しかし反対に、『どうしても相手のいい加減さや粗雑さが受け容れられずにイライラする・こんなズボラな性格の相手と一緒に生活するのは無理そう』というような事態に陥ることも多いので、自分と全く異なる性格や特徴を持つ異性と交際したり結婚したりすることが、『自分の性格・考え方を変えるきっかけ』になるかどうかは個人差が大きくなります。

自分と正反対の特徴を持つ相手に『理想の自己像』を投影して、自分のほうが惚れこんでいる場合には、『相手の発言・行動・態度』などを無意識的に模倣することで、自分の性格行動パターンも段階的に変容していく“社会的学習の効果”が起こりやすいのですが、相手のほうの求めを自分が受け容れて付き合っている場合には、『正反対の相手の性格・考え方』を模倣せずに嫌悪・反発することのほうが多くなるのです。自分に欠けている特徴や魅力を『自分とは異なる相手との付き合い』で学び取ろうとする場合には、『理想の自己像として機能している相手の言動』を同じように意識して模倣してみるというロールプレイ(役割演技法)も有効であり、自分に対して掛けている『無意識的な自己束縛(無根拠な自己規制)』を取り払ってコンプレックスを弱められることがあります。

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いつも同じような相手と似たような恋愛を繰り返しやすいのはなぜか?:初期体験・親子関係・役割意識

『異性の好みのタイプ』について自分と似ているか異なっているかという観点から考えてみましたが、どういったタイプの異性を好きになりやすいかには『恋愛行動(相手選び)のパターン化・親子関係のコンプレックス・初期体験のインプリンティング(刷り込み)』なども関係してきます。 いつも同じようなタイプ(性格傾向・考え方)の相手と、似たようなトラブルを起こして恋愛関係がダメになってしまうというパターン化の問題については、過去に『上手くいかないパターン化した恋愛関係と過去の反復強迫1』という一連の記事で詳しく書きましたが、『過去の恋愛関係を強迫的に繰り返すという問題』は恋愛において“自分の役割(存在意義)”を無意識的に固定してしまって、『過去の失敗・挫折』をやり直して今後こそは解決してみせようという衝動とつながっています。

いつも高圧的で威張っている相手とばかり付き合ってしまい、自分の言いたいことや希望することも言えずに『相手の言いなり(従属的な立場)』になってしまうとか、神経質で束縛の強い異性とばかり付き合ってしまい、自分の自由な時間が全く無くなり気持ちの余裕も無くなって疲れきってしまうとかいう問題には、『同じような問題・欠点を抱えた相手を選んでしまう恋愛のパターン化』が関係している事が多いのではないかと思います。経済力・自立心や労働意欲がほとんどなくて、女性にべったり依存してしまうという所謂“ダメンズとの恋愛パターン”でも、女性の側がいつも『自分がいなければ生きていけないような甘えたがりの男性・母親的な役割を請け負って世話をして上げたくなるような頼りなさげな男性・応援したり手助けしてあげないと独り立ちできないタイプの相手』を選びやすいという事も関係しているでしょう。

恋愛関係のパターン化(過去の付き合いの繰り返し)と関係しているのは、『初期体験によるインプリンティング(刷り込み)』『親子関係のエディプス・コンプレックス(女の子のエレクトラ・コンプレックス)』『恋人間の役割関係(自己規定)の固定化』『失敗した過去のやり直しの欲求(今度こそは上手くいかせたいという固執)』ですが、それぞれの要因は相互に作用し合っています。一番初めにきちんと付き合った異性の記憶や幼少期からの理想的な親との関わりあいが『初期体験』としてインプリンティングされることで、その刷り込まれた関係性や自分の役割意識(自己規定)が、その後の異性関係でも無意識的に何度も繰り返しやすくなることがあります。

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“異性の親”に対する愛情と独占欲求(性的関心)、“同性の親”に対する憎悪と敵対心(排除欲求)を同時にアンビバレンツに抱くのが『エディプス・コンプレックス(女子のエレクトラ・コンプレックス)』ですが、精神分析関連の記事で説明してきたエディプス・コンプレックスも『理想の異性像・持続性のある初期体験』として機能することが多くなっています。『女性は父親に似た男性を好みやすい・男性は母親に似た女性を好みやすい』というのは、子ども時代の自分に親が無償の愛情を注いでくれてきちんと守ってくれた家庭で育ってきた人、両親を素直に尊敬できると感じている人には比較的多く見られやすい傾向ではあるのです。精神分析の概念であるエディプス・コンプレックスやエレクトラ・コンプレックスがあるからといって、全ての人が『自分の母親・父親』に似た異性を好みやすいというわけではなく、特に過去に親からの虐待・無視を受けていた子どもや、子どもの養育を放ったらかしにして無責任に生きていた尊敬できない親がいる場合には、『親に似ていない異性』を好むということもあります。しかし、子ども時代に両親から愛情や保護を受けられなかったり、苦痛な虐待・ネグレクトを受けていたり、(DV・アルコール中毒・働かない・犯罪など)尊敬する部分のない親と向き合ってきたりした人でも、『想像上の理想的な親の原型』を付き合う異性に求めてしまうという傾向は見られるので、“広義のエディプス・コンプレックス(親イメージに対する感情複合体)”が持つ初期体験の影響力はなかなか強固であるとも言えます。

現代ではマザーコンプレックス(マザコン)やファザーコンプレックス(ファザコン)というと、精神的に自立できていない依存的な(どちらかというと頼りない)タイプをイメージしやすく、ネガティブな評価と結び付けられることも多いのですが、『実際の親にべったりくっついているような依存性(一人だと何もできないような年齢不相応の自立性の欠如)』はともかく、『現実の親(家族)のイメージ・想像上の理想の親のイメージ』がその人の恋愛関係や異性選びに与える影響は結構無視できないものもあると思われます。女性だと実家の家族関係が上手くいっていてみんなの仲が良く、両親(特に父親)が自分をがっちりと守ってくれているような状況だと、なかなか実家を離れたがらず父親のことを尊敬している事が多いですが、そういったケースでは特に『父親代わりの役割も果たしてくれそうな異性(所謂頼りがいがあって自分をしっかり守ってくれそうな男性)』を無意識的に選びやすくなります。社会学の婚姻・配偶者選択の研究においても、女性は自分よりも少し年上を好み、実家での生活状況と同等以上の生活ができるような条件を求める傾向は見られやすく、これは『ハイパーガミー(上昇婚)』として知られています。現代では男性の雇用・所得の状況が悪化したり、男女のカップリングで求められる条件も変わってきているので、ハイパーガミーは晩婚化・未婚化の原因になりやすく、『女性側の好み・基準』もより現実的なもの(相互にフラットに助け合ったりより柔軟な役割分担を志向するもの)へと変化してきています。

男性が『同世代からやや年下の女性』を好みやすく、女性が『同世代からやや年上の男性』を好みやすいという傾向性は時代を問わずにほぼ一貫していますが、この事には生物学的な繁殖適応度(健康な子どもの産みやすさ)の要因とエディプスコンプレックス(エレクトラコンプレックス)やジェンダーといった社会的・関係的な要因とが関係していると考えられます。もちろん、男性でも自分を寛容に受け容れてくれて優しそうな年上の女性のほうが好きということもあれば、女性でも自分が守って上げて色々と自分の経験・知恵を教えて上げられる年下の男性のほうが良いということもあるので、飽くまで『一般的な傾向』ではあるのですが、年下の女性を好みやすい男性は、やはり『自分の意見・経験・リーダーシップ』を尊重してほしいという優越願望が強いのでしょう。

そのため、男性は自分以上の知性やキャリア、収入、能力、経験がある女性を敬遠しがちな傾向(特に自分にそれほど自信がない場合には)はかなり顕著であり、平均的には『自分を尊敬してくれたり立ててくれたりする女性』を好みやすくなります。恋人や配偶者との間で張り合うような競争心(ライバル意識)を持つ必要はないとはいえ、男性の多くは極端に自分より優れた学歴や職業、収入、知性などを持つ女性と対峙するとしり込みしたり相手にとっての自分の必要性を疑いやすくなり、性的なアクティビティも落ちることがあります。女性が自分より少し年上の男性を好むという傾向は、女性が男性に求める特徴である『頼りがい・リーダーシップ・安心感・人生経験』といったファザーコンプレックス的な願望とも関係しており、平均的には『自分を経済的あるいは精神的に守ってくれて安心させてくれる男性』を好みやすい傾向が示されます。

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“男性が女性を守るというジェンダー”は生得的なものか学習的なものかは確定することができませんが、過去に『“男らしさ・女らしさ”のジェンダーは環境・教育で決まるのか1』という記事で詳述したように、女性が頼りがいのある男性に魅力を感じるという傾向は、例外はあるものの、その女性自身が十分な経済力・地位を持っていても殆ど変わることがない(実際的な保護の仕方がどうであっても男性に守られている実感を好ましいと感じる)ことから、一定以上の先天的な規定性(性差による好み)が推測されます。

とはいえ、こういったジェンダー(社会通念)や被保護欲求(親子関係の初期体験)に基づくだけの恋愛は、現代では個人の意識や経済情勢の変化もあって上手く行きづらくなっており、『自分が相手に与えている愛情・好意・支援』『自分が相手から与えてもらっている愛情・好意・支援』とのバランスが極端に崩れないようにしながら、相手にとってのそれぞれの必要性や大切さを実感できることが重要になっています。実際の異性関係では完全に“フラット(対等)な立場”での付き合いを継続することが難しくなったり、特定の役割意識(自己規定)や固定観念にはまり込んでしまうこともありますが、お互いを『かけがえの無い一人の人間・自分にとって欠かすことができない大切な相手』として尊重して、相手の心情に配慮しながら共同生活に必要なバックアップをしていくことができれば、良い恋愛関係(結婚生活)が続いていきやすくなると思います。

脳内のセロトニンによる“精神の安定(安らぎ)・不安定(攻撃性)”と“男女の嫉妬感情の違い”

快楽を追求して不快を避けようとする精神分析でいう『快楽原則』は、脳の機能的には大脳辺縁系の視床下部や海馬(長期記憶中枢)に由来するとも言えますが、サル・ラットの電極を用いた動物実験では、視床下部近くの快感中枢を刺激しつづけると、電極刺激を得ること以外の行動(生きるために必要な行動でさえも)をまるでしなくなることから、ひたすらに刹那的な興奮・快感を求めてしまい制御できなくなる“快楽性の依存症”の形成原理とも関係していると考えられています。神経科学者のディック・スワーブが、男性の視床下部の大きさは女性の約2.5倍であると報告し、ローラ・アレンやサイモン・ルヴェイが前視床下部間質核のINAH2、INAH3が男性のほうが女性よりも大きいと指摘したこともあり、男女の行動パターンやフィジカルな攻撃性の大小の違いと『視床下部の形態的差異』が相関しているとする研究者もいます。

脳内の神経伝達物質と情動・気分との相関は、うつ病患者の脳内ではセロトニン量が少なくなっているという『脳内モノアミン仮説』などでよく知られるようになりましたが、それ以前から興奮・怒り・攻撃・恐怖(警戒)にアドレナリンやノルアドレナリンといった生体ホルモン(ストレス反応の汎適応症候群に関係するホルモン)が関係していることは分かっていました。自分と敵対的な相手と対峙した時、あるいは他者から自尊心を傷つけられたり大切な人・財物を奪われた時には、緊張感・恐怖感を感じさせるアドレナリンが大量分泌されるだけでなく、怒り・攻撃性を高めて戦闘態勢に移行するノルアドレナリンが分泌されやすくなります。

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脳内の神経細胞の間(シナプス)でやり取りされる神経伝達物質のセロトニン(5-HT)は、うつ病の症状の発症・維持と相関するトリプトファンから合成される化学物質ですが、セロトニンの量が極端に少なくなると『慢性的な抑うつ・希死念慮(自己否定感)』だけではなくて『抑制困難な激しい怒り・暴力的な反応』が増えてきます。シナプス間隙におけるセロトニン量は、『環境要因・対人関係』の影響も受けやすいことが知られており、『配偶者・家族・恋人・友人から愛されて承認される良好な人間関係』においてセロトニンの量は増大しやすくなり、一般的に怒りや攻撃性も抑制されて精神状態が安定しやすくなります。この脳科学的な反応と精神の安定(攻撃性の抑制)は、人間関係が良好で愛されていれば機嫌が良くなり気持ちも上向くという多くの人の経験則とも一致するので、セロトニン分泌はうつ病・不安障害などの病的状態を除いては、『環境要因(自分の置かれている関係性や生活状況、それに対する認知)』に左右されやすい部分(不遇で孤独だとセロトニン量が減ってイライラしやすく気持ちも落ち込む)を持ちます。

“人間の怒り・憤り・不満”は暴力(攻撃)に結びつきやすい原始的感情ですが、怒りの感情が生まれる原因は『自分の自尊心や存在価値が傷つけられたこと』『自分の大切な配偶者(恋人)・家族・財物・権利が奪われたこと』に関係していて、男性では女性以上に異性関係の嫉妬(独占欲)に基づく怒りや男性同士での諍い・争いによる攻撃性が強い傾向があります。男性と女性の嫉妬(ヤキモチ)・独占欲の違いとして、『男は身体(セックス)の裏切りに気持ちの裏切りよりも激しい怒りと不安を感じる・女は気持ちの裏切りに身体の裏切りよりも激しい怒りと不安を感じる』というのは良く言われることですが、デヴィッド・M・バスらの心理学実験によっても、男性は自分の妻・恋人が実際に浮気(他の男とのセックス)をしていなくても浮気をしたかもしれないという話を聞かされるだけで、アドレナリン・ノルアドレナリンの大量分泌による交感神経の興奮と激しい怒り(実際に暴力を振るいかねない攻撃性)が生じることが分かっています。

男性の好きな女性(既に妻や恋人として手に入れている女性)に対する所有欲に近い独占欲は非常に強いものであり、女性以上に『浮気(不倫)・別離(離婚)に対する怒りと攻撃性』が強くなりやすく、別の親しい異性が現れない限りは、別れて以降の相手に対する執着心・未練も長く残りやすい傾向があります。ストーカー問題や別れたくないが為のDV(暴力)、嫉妬(痴情のもつれ)による殺人事件などの男女比も男性が多くなっていますが、こういった男女の異性関係における行動・感情のパターンは、類人猿の雌雄における雄の雌に対する独占欲の名残としての部分もあり、『男と女の嫉妬感情の違い』にも子孫継承(自己遺伝子保存)と関わる生物学的根拠が指摘されます。ヒトは男性が女性のセックスの浮気(不倫)に対して不寛容であるだけでなく、男性原理で運営されてきた近代までの人間社会そのものが、『女性の不倫・不貞』だけを姦通罪のような犯罪として規定してきた不寛容性・攻撃性を持ちます。その一方で、少し前の時代までは『男性の浮気・不倫』は、犯罪的な不貞行為として断罪(非難)されるよりも“男の甲斐性・男の本性”として寛容に見過ごされることが多く、男性の女性に対する誠実さは『性的な品行方正』よりも『経済的な妻子の扶養・保護』のほうに重きが置かれてきたのです。

時代の流れや男女の意識の変化によってこういった考え方は衰退傾向を示しているように見えますが、男性に性的な貞節(真面目さ)よりも、経済的な稼ぎ(生活上の安心)を求めるといった女性の心理は、現在でも完全に無くなったというわけではありません。

“男女の嫉妬感情の違い・男女の性愛のダブルスタンダード(性的な二重基準)”は何から生まれるか?

男性が女性の身体(セックス)に対する強い独占欲と嫉妬心を持つ生物学的理由は、女性が自分以外の相手ともセックスをすると『自分の子であるという確信』が持てなくなるという事が上げられますが、これは飽くまで生物学的な嫉妬感情の起源であって、実際には『相手から見捨てられる・自分が恋人や浮気相手からバカにされている・裏切られて孤独になってしまい不安になる』といった心理的理由によって嫉妬や怒りに苦しむことが多いと思います。しかし、男性のほうがなぜ女性よりもセックスの浮気(他の男性と身体の関係を持つこと)に激しい怒りを覚えやすく、時に攻撃衝動を抑えられずに暴力や殺人にまで発展するのかの根底的な原因は、『男性の生物学的な繁殖戦略(無意識的な自己遺伝子保存や他の男性との競争との兼ね合い)』に由来しているとは言えるでしょう。

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ここで無意識的な自己遺伝子保存(他の男性との競争)と書いているのは、実際に子どもを作るつもりがないカップルにおいてでさえも、女性の身体的(セックス)な裏切りは男性の激しい怒り・嫉妬を引き起こすという事であり、それは男性の主観的な心理としては『精神的な裏切り(自分を裏切って別の男にいったのが許せない・見捨てられたり軽視されて孤独になった状況がつらい)』との区別が極めて困難という事でもあります。人間の異性選択や性行動にかかわる感情は、『生物学的な本能(遺伝子保存)』『心理的・ロマンス的な恋愛』によって二元的に規定されているので、どこからどこまでが“動物的な本能(性的な独占欲・財の占有)”で、ここからあそこまでは“人間的な恋愛(ロマンス・理性と信頼に根ざす忠誠)”というような分かりやすい線引きをすることは容易ではありません。

女性のほうが男性よりも『精神的な浮気(気持ちが他の女性に移り変わること)』に対して強い怒り・抵抗感を持つ生物学的理由は、女性は自分の母体を使って出産するため、相手が誰であっても『自分の子であるという確信』は揺らがないが、男性が所得と力・財を握っていた時代には『男性からの妻子に対する投資・扶養』を失うことを最も強く恐れたからと考えられます。性欲や性的妄想の強度は男性ホルモンの“テストステロン”と深い相関関係があり、女性ホルモンのエストロゲンはテストステロンほど強い性欲を引き起こさないので、女性のほうが一般的に(個人差はあれど)男性よりも不特定多数に対するような強い性欲を持たないということも関係しています。

しかしこういった生物学的に説明されてきた男女の性行動や嫉妬感情の違いは、『男性主義の男権社会』が女性主義的な変化(女性の社会進出や平均所得の上昇)を見せてくるに従って、かつてとは違った様相を見せてきています。女性が男性の所得(財)に依存する割合が下がる『雇用情勢の変化(男女共同参画社会)・母子家庭の制度的保護(社会福祉の向上)』などによって、女性の性行動は男性の性行動の活動性に近づきやすくなり、既婚女性の不貞行為だけを処罰するような理不尽な法律(姦通罪・強姦された女性を責めるような慣習法)も多くの地域で消滅しました。それでも『女性の貞潔・貞節の重視(一人の男だけを愛して関係を持つ女性の賞賛)』という文化的・倫理的な規範は今でも残っており、男性の貞潔・貞節よりはやはりダブルスタンダード的に重視されており、その男女の性行動の評価の違いと固定観念には、一定の生物学的根拠があると推測されます。文化人類学的な調査で100以上の社会を調査した研究でも、男性の不貞を女性の不貞以上に悪いことと考えたり、法的・慣習的にも処罰するといった社会は存在せず、男性の不貞のほうが大目に見られやすいというダブルスタンダードの存在が指摘されています。

そのことは、ヘレン・フィッシャーやシアー・ハイトなどが実施した男子大学生の意識調査にも現れており、『倫理的・論理的に、男女の性行動に関するダブルスタンダード(男の浮気に寛容で女の浮気に厳しいという二重基準)は男女差別的で間違っていると思う』という意見を持つ男子大学生は全体の9割近くを占めましたが、実際の異性選択においては『多くの男とセックスをした女性を配偶者には選ばない』という男性が7割近くに及びました。こういった男性の女性に対する性的な独占欲(他の同性との競争性・寂しさと自尊心)は、女性の男性に対する精神的な独占欲(生活・育児の上での男性の貢献の必要性)と並んで、『男女関係のトラブル』の原因になるものですが、その独占欲に『本能的な怒り・攻撃性』が結びつくことによって暴力(DV)やストーカー、殺傷沙汰などの事件になってしまうこともあります。

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人間特有の純粋な愛情や利他的な優しさ、共感的な思いやり、心情的な安らぎなどを引き出せるような素晴らしい恋愛・結婚というものも当然あるわけですが、そういった理想的な男女関係を作り上げていくためには、『継続的な男女の感情のバランス(相手を必要として裏切らない関係性)』が必要になってきます。どちらかの裏切りや献身と思いやりの不足、対象喪失の悲哀によって、“好きだった相手”に対する不満・攻撃性が高まってくる危険が生まれるわけですが、そういった『暗い本能的欲望(自他の否定という破滅的願望)』を制御するためには、『異性や別離に対する肯定的な認知の転換』が鍵になってくるでしょう。人間は遺伝子やホルモンなど生物学的要因に規定される“決定論的な存在”なのか、それとも自分の意志や計画、判断によって未来を選び取れる“自由意志を持つ存在”なのかは、哲学的・脳科学的な古くて新しい問いですが……人間には本能・情動を司る“大脳辺縁系”を取り巻くような形で思考・理性・道徳(欲望制御)を司る“大脳新皮質”があるわけで、その生物学的な脳の構造から見ても、単純に遺伝子(本能・情動)だけに規定される他律的な存在ではなく、自分でかなり自由度の高い意志決定と認知(物事の捉え方)の変容ができる存在だと思います。

人間の男の脳には進化的な数百万年以上の自然選択の歴史を通して、『異性・縄張り(テリトリー)の独占欲』がインプットされており、それらを奪ったり侵害しようとする相手に対して『怒り・攻撃性・殺意』を抱くような大脳辺縁系由来の本能が備わっているのですが(時としてそういった本能が理性や遵法意識を超えて不適応な暴力・犯罪を犯すこともあるわけですが)、人類は法規範や倫理観、家族によって独特な社会秩序を形成し、争い・戦いだけではなく相互依存的な協力行動(援助行動)も身に付けてきたことで、『本能的な暴力・攻撃の弊害』をある程度まで減らすことに成功している側面もあるのです。

元記事の執筆日:2012/04

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