境界性パーソナリティ障害と自他の境界線の曖昧さ1:自分と異なる他者の人格・感情に対する想像力、オットー・カーンバーグの境界性パーソナリティ構造(BPO)とメラニー・クラインの早期発達論の視点

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境界性パーソナリティ障害と自他の境界線の曖昧さ2:ストレス耐性の低さが生む判断基準の硬直化


境界性パーソナリティ障害と他者に対する両極端な評価3:メラニー・クラインの妄想‐分裂態勢


オットー・カーンバーグの境界性パーソナリティ構造(BPO)とメラニー・クラインの早期発達論の視点


境界性パーソナリティ障害(BPD)の“気分・感情の不安定性”とアダルトチルドレンの要素


境界性パーソナリティ障害(BPD)の形成と承認不全を生む“家庭環境・親子関係の要因”:1


境界性パーソナリティ障害(BPD)の形成と“母子間の愛着障害・嗜癖の依存性の要因”:2


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境界性パーソナリティ障害と自他の境界線の曖昧さ1:自分と異なる他者の人格・感情に対する想像力

自己愛の調整能力や感情の自己制御、自己アイデンティティの確立が障害される事によって、境界性パーソナリティ障害(BPD)や自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の人格構造の不適応な偏りが生まれやすくなる。境界性パーソナリティ障害(BPD)では、“対象恒常性(安定した他者の内的イメージ)の欠如”によって、大切な他者から永続的かつ絶対的に愛されたい、その証拠となる態度をいつも見せて欲しいという非現実的な承認欲求・自己愛が高まる。しかし、現実にはその承認欲求を満たしてくれるような理想的な他者は存在しないので、人間関係が両極端の対人評価で揺れて不安定になりやすい。気分の波(人への期待と落胆の差)も激しくなって、人に愛されない自分は価値がない人間なのだという悲観的な認知が起こり、『自己評価・自尊心』も落ち込んでしまう。

自己愛性パーソナリティ障害(NPD)では、“誇大自己(実際の能力・魅力以上の仮想的な自己イメージ)の肥大”によって、周囲の人から自分を特別に優れた人間として扱われたい、そういう風に尊敬されて特別扱いされるのが当たり前だという承認欲求・自己愛が高まる。他者を自分と同じ一人の人間(人格)として尊重することができなくなり、他者への共感性・配慮性が見られなくなるので、相互的なコミュニケーションや人間関係が成り立ちにくくなり社会生活にも支障が出てくる。BPDと比べるとNPDは『表層的な自己評価・自尊心』は確かに高くて自信家なのだが、“想像上の誇大な自己像”と“現実的な等身大の自己像”とが遊離していて上手くいかない状況にも直面するので、人間関係や社会適応の悩みを内面に抱えている事も少なくない。

自己愛や自己確立の調整障害でもある境界性パーソナリティ障害(BPD)や自己愛性パーソナリティ障害(NPD)には、クライエント中心療法に代表される『支持的カウンセリング』や内面心理(過去の記憶)を分析・解釈して言語化させていく『精神分析的カウンセリング』だけでは、ほとんど改善効果が見られないという問題が指摘される。これらクラスターB(B群)のパーソナリティ障害は、心理臨床家(カウンセラー)によるカウンセリングの方向づけや応答の仕方の難しさだけではなく、周囲にいる家族・恋人・友人がどのように接すれば良いのか、話の内容にどう対応すれば良いのかに非常に悩んで迷う問題でもある。

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自己愛の調整や自己アイデンティティの確立、衝動性の制御に大きな問題が起こってくるのが“クラスターBのパーソナリティ障害”であるが、特に発達早期の母子関係における愛情剥奪(ネグレクト)やその後の友達関係における不承認(孤立感)などの要因によって、『自己と他者との境界線・距離感』が曖昧になってしまう事が多い。精神分析や発達心理学の『早期発達理論』では、生まれたばかりの赤ちゃん(乳児)は母親と心身共に“自閉的な一体感”を感じており、3歳くらいまでは“母親(他者)”を自分とは異なる人格や感情を持った存在としてはっきり認識することができず、『自他未分離』の状態にあると考えられている。自分と母親(一般的な他者)とが自分とは異なる人格であることを認識するには、『分離・個体化期(separation-individuation phase:5-36ヶ月)』を経由して、一人の不安に耐える探索行動を繰り返していく必要があるが、自分と他者との境界線(区別)を認識することは基本的に『自由・有能の感覚‐不安・無力の感覚』といった対立的な感覚を同時にもたらすものである。精神分析理論では“男根期(エディプス期)”に当たる4歳以降になると、自己と他者との境界線がある程度はっきりしてきて、『他者』にも自分と同じような人格主体や感情の変化があることが分かってくる。

そして自分以外の他者の心理に配慮することもできるようになってくるのだが、人は大人になっても精神的に完全に自立することまではできず(他者との相互的な依存性・助け合いが不要になるほどの自立は難しく)、親しい他者には甘えてしまうような所も併せ持っているので、心理状態の変化や人間関係の距離感によっては再び『自己と他者の境界線』が揺らいでしまうこともある。かけがえがないと感じる相手を対象とした恋愛や性愛、友情、家族愛などはその典型であり、自分にとって大切な相手のためであれば自己犠牲や損失も厭わないという『自己と他者の境界線の曖昧化』は、人間的な美点として受け取られる事も多い。一時的なその状況・場面だけに限られた“適度な甘えや依存(お互い様の互恵的な依存)”であれば問題はないし、他者に過度の迷惑や負担を掛けるわけではない自他未分離の状態であれば恋愛や家族関係において見られる事も多い。

だが、パーソナリティ障害では『甘え・依存・支配・強制・傲慢・自尊』などの他者との関わり合いにおける感情的欲求(要求水準の高さ)が極端になり過ぎて、その相手との持続的な人間関係を維持していくことが著しい苦痛・負担となる。その結果、お互いを傷つけ合ったり、社会生活・人間関係への適応が難しくなったり、経済的な損失を被ってしまったりといった実際的なトラブルが頻繁に起こるようになってしまうのである。

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境界性パーソナリティ障害と自他の境界線の曖昧さ2:ストレス耐性の低さが生む判断基準の硬直化

クラスターBのパーソナリティ障害では、幼少期に母親(父親)からの保護や愛情を十分に受けられなかったという思い残しがあったり、幼少期~思春期にかけていじめ・集団からの疎外などを経験して友人関係に関するトラウマ(基本的信頼感の欠如)を受けたりした事で、『自己と他者の境界線・区別』が曖昧になってしまうことがある。自分の視点と他人の視点を同一化してしまったり、自分の感情と他人の感情を混同してしまう事で、自分とは異なる『他人の意見・感情・考え方・好き嫌い』を許容しづらくなり、自分の期待や要求に応えてくれない他人に怒りや暴言、不満をぶつけやすくなる。家族・恋人など親しい関係にある他者が、『自分の意見・要求・感情』に合わせてくれない事に対して、“怒り・不満・いじけ・悲しみ(寂しさ)”を感じる事自体は珍しくはないし、多少は誰にでも起こる感情だろう。

しかし、境界性パーソナリティ障害(BPD)では『他人が自分と同じように考えて行動・反応するのが当たり前』という自他の境界線の混同が生まれるので、自分が好きなもの(嫌いなもの)は相手も好き(嫌い)なはず、自分の主張や考えに対して絶対に賛成・応援してくれるはずという思い込みが強くなり、他者との人間関係に対する怒り・不満・悲しみが爆発しやすくなるのである。BPDの人でも、自分と他者が異なる別々の人間であり、自分と同じではない独立した人格であることは“意識領域”では分かっているのだが、“無意識領域”では相手が自分の期待・要望に応えてくれるのが当然(自分を愛してくれているのであればそれくらいはしてくれるのが当然)という認知を捨てきれず、『他者に対する怒り・不安・見捨てられ感』に捕われて苦しみやすくなってしまう。

境界性パーソナリティ構造(BPO:Borderline Personality Organization)やそれに近似する性格傾向を持つ人は、以下のような場合に自己と他者の境界線が曖昧になりやすくなる。

1.本人の『ストレス耐性』を越えるような強いストレスやフラストレーションに晒されている時。

2.甘え・依存が許されやすい『親密な人間関係(恋人・家族・親友との関係)』の中にいる時。

3.その場で何をすれば良いのかがあらかじめ決まっていない『構造化されていない関係・状況』の中にいる時。

BPOの人格構造を持つ境界性パーソナリティ障害(BPD)は、自己アイデンティティが拡散しやすく対人関係も不安定なので、一般的にストレス耐性(フラストレーション耐性)が低くなりやすいが、そのストレス耐性の低さが自他の境界線の混乱に加えて、『BPDの持つ本質的な問題・原因からの逃避と転嫁』を誘発するのである。BPDの持つ本質的な問題・原因には、『対象恒常性の欠如による対人不信(その裏返しのしがみつき・依存性)・自己アイデンティティの拡散による目的喪失(自分ひとりでは何を頼りにして生きていけば良いか分からない)』などだが、ストレス耐性の低さによって目先の小さなトラブルや相手の些細な反応、今の時点での不快感・寂しさばかりに意識が向かいやすくなってしまう(=逃避・転嫁を促進してしまう)のである。

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自分と相手の視点を同一化してしまう事で、『物事・言動に対する判断基準』が自己中心的に一面化してしまい、『相手がどのように感じているか・なぜその反応を返してくるのか』ということに対する想像力がなくなってしまう問題もある。自分の好き嫌いや善悪の分別、快と不快の感覚が『物事・言動に対する判断基準』のほぼ全てになってしまい、その独善的・自己中心的な基準に見合わない反応を返してくる他人に対して、強い不信や激しい怒りを感じてしまいやすい。その結果、『自分のためを思ってくれた上でのアドバイス・苦言』などが殆ど耳に届かなくなり、自分の感情や主張を無条件に受け入れてくれるだけの“イエスマンのような存在(絶対に反対しない裏切らないように見える存在)”でないと、安定した安心感のある心理状態を維持しづらくなってしまうのである。

境界性パーソナリティ障害と他者に対する両極端な評価3:メラニー・クラインの妄想‐分裂態勢

自己と他者の境界線が弱いという事は、他者の言動から暗示的な影響を受けやすく、相手の気分や感情に巻き込まれやすいという事を意味しているが、実際、BPDの人は自分が気分が悪くて機嫌が悪い場合には、その感情を相手に投影して『相手のほうが気分が悪い・不機嫌で怒っている』という風な事実ではない他者認知をしてしまいやすい。自他が未分離でストレス耐性が低く、独立した自我を確立できない状態が、原始的防衛機制の一つである“投影(projection)”を発動しやすくするのである。『自分の持っている感情・気分』『相手が持っている感情・気分』を混同してしまうと、自分の感じている孤独感や疎外感、劣等コンプレックスの原因を、『相手の悪意・攻撃・仲間外し』に投影してしまいやすくなる。

本当は誰も自分を馬鹿になどしていないのに、他人から迫害されて馬鹿にされているというような被害妄想めいた他者認知が形成されやすくなり、『他者に対する信頼感・安心感』が毀損してしまうのである。境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害では、『他者・外界』が自己アイデンティティを脅かす脅威・威圧として受け取られやすいので、『他者と対等・親密な関係性』を築くことが難しかったり、『外界への無理のない適応』ができなかったりする。発達早期の母子関係での分離不安が強かったり、自我構造が脆弱なまま成長したりすることで、『他者・外界』が自分の安全や自己アイデンティティの確立を脅かしているように感じやすくなり、“他者・外界に対する基本的信頼感”が獲得できなくなるのである。乳幼児期から青年期・成人期に至るまでの、さまざまな人間関係やコミュニケーション、社会生活(学校生活)、ストレス状況(トラウマ的な状況)の経験の蓄積が、“他者・外界に対する基本的信頼感”を獲得できるか否かに関わっているが、これは“対象恒常性の獲得(感情的経験に基づく安定した信頼できる他者の内的イメージの獲得)”を基盤に置いた発達プロセスとして解釈可能である。

対象恒常性(object consistency)というのは、発達早期の母子関係(親子関係)や幼児期・児童期の友人関係などの経験を通して形成される『自我を持続的に支えてくれる安定した他者表象(他者イメージ)』のことであり、この対象恒常性が欠如していると“その場その場の人間関係のやり取り”しか信用できなくなり、今は好きだと言っていても次の瞬間には嫌いになるかもしれないといった『他者に対する基本的不信感』に支配されやすくなってしまう。特に、見捨てられ不安が異常に強い境界性パーソナリティ障害(BPD)では、『他者の言動・態度・感情』が常に自分を承認して支持してくれないと安心感が得られず、他者(人間)を信用できない不安感や焦燥感、空虚感を弱めるために、『薬物・アルコール・セックスなどの依存症(刹那的な快楽への嗜癖)』に陥ってしまう人も出てくるのである。親しい他者(家族・恋人・親友)に対する評価が、褒め殺し(賞賛)とこき下ろし(罵倒)で極端に変わるという『二分法思考』もBPDの特徴とされているが、これも自他の境界線の曖昧さやストレス耐性の低さからくるものである。

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二分法思考の極端な対人評価が作られる心理機序については、理論的には女性分析家メラニー・クラインの『部分対象を生み出す妄想‐分裂ポジションの発達段階』などの概念が参考になる。 メラニー・クラインの対象関係論は、対象(object)の概念を現実世界の物理的な事物だけでなく、幻想世界の内的な表象(物語的イメージ)にまで拡張したが、乳幼児は分裂(splitting)や取り入れ(introjection)、投影同一化(projective identification)などの『原始的防衛機制』を用いて、現実と幻想(自己と他者)を区別できない未熟な自我を防衛している。生後3~4ヶ月までの乳児は『妄想‐分裂ポジション(妄想‐分裂態勢)』という発達段階にあり、母親を全体的な一人の人間(良い部分も悪い部分もどちらもある全体対象)として認識することができず、自分に直接的に接触してくれる『乳房(部分)』を母親と同一化して、『良い乳房』『悪い乳房』という部分対象に分裂(split)させてしまう。

『良い乳房』というのは、自分が空腹の時にすぐに母乳(ミルク)を与えてくれて、自分が寂しい時にすぐに温かみのあるスキンシップを与えてくれる乳房であり、『悪い乳房』というのは、自分がお腹が空いてもなかなかミルクをくれず、自分が寂しくても安心できるスキンシップをしてくれない乳房の事である。しかし、実際には当たり前のことだが、良い乳房も悪い乳房も『同一の乳房』であることに変わりはなく、ただその時々の事情や情況、タイミングによって、すぐに母乳(ミルク)を上げられることもあれば上げられないこともあるだけである。乳児は『悪い乳房(欲求充足を妨げる部分対象)』に対して怒りや敵意を向けて、悪い乳房を傷つけて破壊したいという衝動を持つが、その後に良い乳房も悪い乳房も本当は同一のものであり、全体的な母親の愛情や行為の現れであることに気づいて、母親(全体対象)に怒りや憎しみを感じた事に対して申し訳なさ(自責感による気分の落ち込み)を感じる。この発達段階を、メラニー・クラインは『妄想‐分裂ポジション(0~3、4ヶ月)』に対して『抑うつポジション(3、4ヶ月~12ヶ月)』と呼んでいるが、抑うつポジションは全体対象(他者)が自分とは異なる人格・感情を持った存在であることに気づき、相手の内面への想像力を働かせる基礎を獲得する時期でもある。

オットー・カーンバーグの境界性パーソナリティ構造(BPO)とメラニー・クラインの早期発達論の視点

自他の境界線が深刻に混乱して、思い通りにならない他者に激怒したり罵倒したり攻撃したりするような境界性パーソナリティ障害(BPD)では、『良い相手の部分(良い部分対象)』と『悪い相手の部分(悪い部分対象)』を分裂させて別人のように認識してしまう事がある。その混乱した心理状態には、メラニー・クラインの早期発達理論でいう『妄想‐分裂ポジションへの固着・退行』が関係していると推測することができるが、BPDでは分裂(splitting)の防衛機制が発動して、ある人を手放しで賞賛していたと思ったら、次の瞬間には激しく罵倒しているような急激な態度の変化が起こりやすくなる。両極端な対人評価や自他未分離の状態と関係している『妄想‐分裂ポジション』では、自分の欲求を満たしてくれない部分対象としての他者が、自分を迫害(攻撃)しているという妄想が生じて、いったんその他者を『悪者(不快な相手)』だと感じ始めると、その人物の好きだった側面(少し前まで賞賛していた部分)に認知が及ばなくなる。そのため、自分の思い通りにならない他者に対して、一方的に怒りを爆発させたり罵倒したりしやすくなってしまうのだが、そういった理不尽な振る舞いに対して、『自分のほうにも落ち度や問題がある(相手のほうにも理由や言い分がある)』という常識的な自省(客観的な自己分析)を働かせることが難しい。

BPDでは自分の期待に応えてくれなかった相手を、激しく非難したり強い怒りをぶつけたりしても、その相手に対するしがみつきにも似た『愛着・執着』が完全に消えることは稀であり、トラブルを起こしてこじれた人間関係を回復させるために必死の努力をしたりもする。それでも、相手との関係を回復できず自分に対する好意・関心を得られない時には、自分が何者であるかを根拠づけてくれていた対人的な足場を失って、自己アイデンティティが解体するような感覚(自分が何者でもないというような無価値感)に陥る。自分はもう誰からも愛されない、大切な人を失ってしまったという見捨てられ不安の急激な高ぶりによって、空虚感・自己否定に基づく自傷行為(自殺企図)が起こるリスクが出てくるが、BPDの症状の安定には『対人関係における見守られ感・対人トラブルからの回復可能性』が関係している。精神分析的な性格心理学において境界性パーソナリティ構造(BPO)を研究したアメリカのオットー・カーンバーグ(O.F.Kernberg, 1928-)は、BPOを精神病と神経症の中間領域にある人格構造と仮定して、その周辺にある人格構造の水準を以下の3つに分類している。

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1.精神病性パーソナリティ構造……自己と他者との区別が完全に混乱しており、現実と想像との区別もはっきりせず、自我の強度が著しく弱いか、現実適応的な自我が解体しているような構造である。

2.境界性パーソナリティ構造……自己と他者との区別は曖昧になっているが、現実と想像との区別はできており、自我の強度は弱いが、現実の生活や人間関係にも何とか適応することも可能な構造である。

3.神経症性パーソナリティ構造……自己と他者との区別はしっかりしていて、現実と想像との区別にも問題はないが、無意識領域に抑圧された『欲求・感情』があるために、他者に対して不安・緊張・恐れ(苦手意識)を感じやすい構造である。

これは古典的な精神分析における『精神病(統合失調症)・神経症・正常な精神状態(健常者の精神状態)』の病態水準の深刻さのレベルに倣った分類だが、BPDの環境適応度や心理状態は『現実と想像の区別』がついて一定以上の適応ができるレベルであり、O.カーンバーグのいうBPO(境界性パーソナリティ構造)と重なっている。境界性パーソナリティ障害(BPD)に対する精神分析的なカウンセリングの課題は、メラニー・クラインのいう『部分対象との不適切な関わり方』『全体対象との適切な関わり方』に置き換えていくことであり、この課題はBPDを精神発達プロセスの障害として解釈していることを示している。部分対象との不適切な関わり方というのは、一人の人間の全体的な人間性を見ることなく、その人間の瞬間的な一部分だけを切り取って、『良い人・好きな人』か『悪い人・嫌いな人』かの極端な決めつけをしてしまい、“賞賛(全肯定)”か“こき下ろし(全否定)”かのどちらかの反応しかできなくなる事である。

全体対象との適切な関わり方とは、M.クラインのいう『良い乳房』と『悪い乳房』の部分対象を統合して『一人の母親の全体性』を認知するような関わり方であり、全体性を持つ一人の人間には『良い部分』もあれば『悪い部分』もあるという現実を知った上で、他者と付き合うことができるようになることである。中には根っからの悪人(善人)に見える人がいるにせよ、大多数の人間は『完全に良い人間・いつも優しい人間』でもなければ『完全に悪い人間・いつも冷たい人間』でもないのであり、情況や場面、気分、目的によって自分にとって良い部分を見せてくれることもあれば、悪い部分が垣間見えてしまうこともあるのである。完全に思い通りにはならない他者という現実を知るという事が、全体対象との適切な関わり合い(コミュニケーション)の第一歩であり、それは他者には自分とは異なる感情や欲求、目的、事情があるという『自己と他者との境界線』を踏まえた付き合いを進めるきっかけにもなってくる。“部分対象との関係”から“全体対象との関係”への転換は、M.クラインの早期発達論における『妄想‐分裂ポジション』から『抑うつポジション』の精神発達プロセスの促進でもあり、それは自分が相手にした行動や発言を自省して改善できる心的能力の獲得(=相手に対して自分が悪いことをしたのであれば、それに気づいて反省したり次からは改めることができる)という状態を同時に意味している。

1回や2回、自分の意に沿わない反応をしたり少し冷たく感じる返事をしたからといって、その人が自分を苦しめようとしている『悪人』とは言えないし、ましてや少しつれない返事や思い通りにならない行動を返したからといって、あなたを見捨てて切り捨てようとしているとまでは言えないのであり、『相手の内面・感情・人間性』に対する想像力の回復(相手がどうしてそういう反応をするのかについての現実的な認知とそのための認知行動的技法の適用)というのも、BPDにおける対人関係の問題には効果的である。

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境界性パーソナリティ障害(BPD)の“気分・感情の不安定性”とアダルトチルドレンの要素

境界性パーソナリティ障害(BPD)では『感情・気分の不安定性』が症状の中心となって、それ以外の分野の不安定性を相互に強め合っている図式があり、『感情・気分の適度なセルフコントロール』が認知行動療法(CBT)における目標として設定されることが多い。感情・気分が不安定になってしまう代表的な精神疾患は、言うまでもなく気分障害(感情障害)とも呼ばれる『うつ病(depression)・双極性障害(躁鬱病,bipolar disorder)』であるが、BPDにおける気分・感情の不安定さは、うつ病(双極性障害)と比べると“情況即応的・ストレス反応的”である。

情況即応的あるいはストレス反応的に『気分・感情』が乱れるという特徴は、特に対人関係においてつらくて苦しい事があった時(自分の主観にとって見捨てられたと感じたり攻撃されたと見なした時)、あるいは嬉しくて安心できる事があった時に、分かりやすい抑うつやハイテンションの形で見られることになる。気分が激しくアップダウンしてそれを自分で全く制御できない時には、双極性障害(躁鬱病)の発症とオーバーラップしていることもある。自分の心理的な落ち込みや悲観的な認知を抑え込むために、メラニー・クラインが定義した意図的に気分を高揚させて興奮した言動をするようになる『躁的防衛』が見られる事もある。だが、場面(状況)にふさわしくない強がり(虚勢)とも言える躁的防衛は長続きせず、その防衛が更なるストレスによって破綻した時には、うつ病的な重たい抑うつ感が起こってしまうのである。

気分がハイになって興奮し過ぎてしまい冷静な判断ができないという躁病エピソードに近い症状に対しては、炭酸リチウム(リーマス)やバルプロ酸(デパケン)、カルバマゼピン(テグレトール)などの気分安定剤(ムードスタビライザー)の薬が処方されることもある。一方、BPDでは自傷行為の一種であるOD(オーバードーズ,過量服薬)の問題があるので、『服薬管理・服薬遵守(コンプライアンス)』の上でこまめな血液検査、服薬遵守(コンプライアンス)の心理教育などの注意をしなければならない。境界性パーソナリティ障害(BPD)は、『機能不全家族(Dysfunctional Family)』で養育された影響で自己肯定感や基本的信頼感が損なわれているという自覚を持つ“アダルトチルドレン”の問題とも深い相関があると考えられている。機能不全家族とは子どもが子どもらしく守られて生活することが許されない家族の関係であり、典型的な各種の児童虐待(ネグレクト)をはじめとして『両親からの愛情・保護・肯定・安心』を実感できずに孤立感や無力感、自己否定感(無価値感)、疎外感を感じながら成長していった環境の事である。

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アダルトチルドレンは、子供時代にはこの世界で最も頼ることができて甘えられるはずの両親から、十分な愛情や保護を受けられなかったという感情的記憶に基づく問題であり、両親の支配的(威圧的)あるいは拒絶的(放置的)な養育態度が関係している事が多い。いわゆる児童虐待だけではなくて『過保護・過干渉な育児』をすることによって、子どもの自発性や主体性をスポイルしてしまうような親の態度も、アダルトチルドレンの問題を生み出してしまう事がある。母親による過保護・過干渉の問題は、分析心理学のC.G.ユングが唱えた“グレート・マザーの元型(アーキタイプ)”が備えている特徴でもあり、『子どもを呑み込んでしまう母親のイメージ(守っているように見えて真綿でくるむように支配する母親のイメージ)』を想起させるものである。

過去に、自分にとって重要な人物だった相手(両親・恋人・親友)の影響が非常に強いというのもBPDの特徴であり、母親や父親の代わりとなって無条件に自分を強く愛してくれる他者を求めて、それが叶わないために人間不信となり情緒が不安定になって希死念慮が強まってしまうという構造がある。欠点がない『理想の母親像(父親像)』を想像的に相手に投影しておいて、その理想像を満たさない行動や発言をすると失望して攻撃的になったり否定的になったりするのだが、これが『両極端な対人評価の変化(賞賛とこき下ろし)』というBPD特有の対人関係の不安定さを生む要因になっている。

境界性パーソナリティ障害(BPD)の形成と承認不全を生む“家庭環境・親子関係の要因”:1

境界性パーソナリティ障害(BPD)の人は他者の愛情や優しさ、注目に対する飢餓感が強くて、慢性的な見捨てられ不安に苦しんでいることが多い。その根本的な理由として本人の口から『親に全く大切にされず愛してもらえなかった・親とほとんど何の情緒的な関係がないままに大きくなった・親に甘えたくても甘えることが許されなかった』といった事が語られることもあり、この理由はアダルトチルドレン(機能不全家族における成育歴)の精神的な脆弱性・不安定性とも関係している。過去の親との人間関係を振り返っていく中で、具体的な虐待や無視、否定、ダブルバインドなどの問題が明らかになることもあるが、そういった原因が明らかにならないケースでは、『親が子どもに語りかけてきた何気ないからかい・批判・冗談・低評価(褒めないこと)』などが自己評価(自尊心)を低下させる原因になっている事も少なくない。

境界性パーソナリティ障害(BPD)では、『自分には存在価値がない・自分は誰にも愛されず孤独である・自分は何を生き甲斐にすれば良いかわからない・人生が虚しくてやる気がでない・生まれてこなければ良かった・死んでしまいたい(消えてしまいたい)』といった自己否定的な認知や希死念慮の感情が見られやすい。その根底にあるのは、親や親友などの重要な他者から、自分を大切に扱われたことがない、自分の行動や能力を褒めて貰ったことがないという『根深い自己否定感(低い自己評価)』であり、『過去の望ましくない自己イメージ(自他のネガティブな関係性の図式)』に現在の自己評価が大きく引きずられているのである。

誰からも自分をかけがえのない大切な人間として扱われた事がないという実感・記憶は、必ずしも周囲の人の記憶とは一致しないこともあり、親や友人からすれば『私たちは十分に愛情を注いできたし、その子(人)のことを大切な存在として扱ってきたのに』という不満を感じることもあるが、そこには『親・友人の視点からの愛情や好意の与え方』と『本人の視点からの愛情や好意の受け取り方』のズレが見られる。過保護に何もかも支配するような親の愛情が、本人にとっては『主体性・積極性の剥奪(親の思い通りの人生を押し付けられようとしているという被害感)』にしか過ぎないことがあるように、“愛情を与えているつもりの人”と“愛情を受け取っているはずの人”との状況認知には、かなり大きな違い・矛盾が生まれることは少なくないからである。

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特に子どものためを思ってしている事でも、親の自分自身の希望や価値観、世間体が強く反映されている愛情では、『条件つきの愛情(親に気に入られようとして必死に努力する事によって得られる愛情)』として受け取られやすくなる。子どもが悪い事をしたら痛めつけないと分からないという独自の教育観によって、子どもを激しく恫喝(打擲)して萎縮させるような暴力的なしつけ・体罰を過剰に行えば、児童虐待のトラウマになってしまう恐れがある。幼少期に愛情を与えられなかったり安全な環境が守られなかったりすると、その体験がトラウマティックな記憶として長期的に残存することになり、ネガティブな苦しい体験や情動を記憶する情動の中枢である『扁桃体(大脳辺縁系)』を過敏にしてしまう(過去のトラウマと似たような状況に遭遇すると強い恐怖や不安、怒りを感じやすくなる)と考えられている。

境界性パーソナリティ障害(BPD)は、このように過去のトラウマティックな親子関係(対人関係)やつらい出来事との深い相関を持っている事が多く、BPDの異常なまでの傷つきやすさや対人関係の過敏性(見捨てられ不安の強化)は、『PTSD(心的外傷後トラウマ障害)』の自律神経症状を伴う恐怖反応(フラッシュバック)・逃避反応に似たような部分がある。BPDの人は、自己アイデンティティの拡散によって自分が何者か分からなくなり、何をすれば良いのかも分からなくなるという問題を抱えており、その自己アイデンティティの揺らぎが生きていても意味がない、自分には存在価値がないという『空虚感・虚無感(その先にある自殺念慮)』を生み出す原因にもなっている。その視点からすると、BPDとは自己愛の障害であると同時に『自己確立の障害』でもあり、“本来の自分になることが上手くいかない状態”であるという風に解釈することができる。

境界性パーソナリティ障害(BPD)の形成と“母子間の愛着障害・嗜癖の依存性の要因”:2

幼少期からの親子関係の問題や愛情剥奪、守られている感覚の欠如などによって、『親や過去の記憶から与えられた自己像(その視点からの世界観・人間観)』に強く束縛されてしまい、自由な物事の認知や行動の選択ができなくなっているのがBPDの人格構造なのである。そのため、他人からの愛情や関心を失う事を恐れて異常なほどの執着心やしがみつき、つきまといをしてしまう事があったり、反対にわざと相手に迷惑や負担を掛けるような『拗ね・いじけ・攻撃性』を見せて自分への関わりを求めようとする事もある。親の価値観や期待を受け入れて内面化しただけの『偽りの自己』から、自分独自の価値観や方向性、存在意義に支えられている『本当の自己』へと成長する過程を支援するような接し方が、カウンセリング(心理療法)における基本的な態度とも重なってくる事になる。偽りの自己を反省してその長所と短所を明らかにし、自分の将来にとって役立つ長所を残しながら、『現在の自分の生活・仕事・人間関係』にスムーズに適応できるような本当の自己を作り上げていくことが、BPDの人格構造の段階的な改善では重要なのである。

BPDの人は表面的に怒ったりいじけたり、挑発的な行動を取ったりしていても、心の底から本当に相手を嫌って切り捨てようとしている事は滅多にない。その『表面的な言動・迷惑な態度』と『深層的な愛情欲求・寂しさ』との違いを理解した上で、相手の本音に寄り添った配慮的なコミュニケーションできるかどうかが、境界性パーソナリティ障害の基本的な治療戦略と関係している。それはBPDの人の周囲にいて少しでも問題が改善して欲しいと願っている家族や恋人、友達に、非常に強い忍耐力と共感性、感情の割り切り(嫌な事や迷惑行為をされても引きずらないという感情制御)を要求するものになる。家族や恋人がBPDに対して治療的な関わり合いをしようとするならば、『相手の激しい感情や要求、攻撃に巻き込まれない事』『相手の表面的な言動と本音の傷ついている感情との違いを理解した上で接する事』との二点が重要になってくる。

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境界性パーソナリティ障害(BPD)は、オットー・カーンバーグやカール・メニンガーといった精神分析家が臨床的に関わっていた時代には、精神病(統合失調症)と神経症(異常性格)の中間領域にある精神状態の『境界例(borderline case)』として理解されていた。だが、その後の研究では、BPDは現実認識能力が障害されて幻覚・妄想が現れる『統合失調症(精神病)』よりも、気分の波が激しくなって情動を制御できなくなり、人間関係にトラブルが起こりやすい『気分障害・感情障害(うつ病・双極性障害)』との相関が指摘されるようになった。

境界性パーソナリティ障害の発症要因(性格形成過程の原因)も、一般的な精神疾患の発症過程と同じく『素因‐ストレスモデル』で捉えられており、BPDになりやすい遺伝的・気質的な素因があってそこにトラウマティックなストレス状況が重なる事で、思春期までに段階的にBPDの性格構造が形成されていくと考えられている。基本的な図式としては『遺伝的要因+環境的要因』であり、その環境的要因の代表的なものとして、『母子関係の愛着障害』『乳幼児期から思春期に至るまでの長期間の分離・ネグレクト』がある。乳幼児期に母親との安定した信頼できる『愛着(アタッチメント)』が形成されないと、乳児期の発達課題である『基本的信頼感』が獲得できずに、自分は誰からも愛されず大切にもされないという『孤独感・疎外感(被害妄想的な他者との懸隔感)』が生じやすくなる。安定した精神構造を作り上げた人は、内面に安定した自分を守ってくれる他者のイメージ(表象)である『対象恒常性(object constancy)』を形成しているのだが、境界性パーソナリティ障害(BPD)や自己愛性パーソナリティ障害(NPD)、社交不安障害の人は幼少期からの成長プロセスの中で、この対象恒常性を確立できなかった事が発症(性格形成)の要因になっているのである。

境界例を研究した精神分析家のO.カーンバーグやマスターソンらは、マーガレット・マーラーの考案した『分離・個体化理論(早期発達理論)』に着目して、境界例の発症原因を『母子分離段階での子どもの寂しさ・孤独感(母親に愛され保護されていないという主観的実感)』に求めたが、これも1~3歳頃に現れる『再接近期』における愛着障害として理解できる。愛着障害というのは、乳幼児期の愛情喪失(母性剥奪)体験や見捨てられ体験によって起こる問題であるが、その発症の初期には、周囲に対して無感情・無関心になりやすく誰にも愛着を形成できなくなるという問題が出てきやすい。3~5歳の幼児期になると愛着障害の子どもは、それまでの無感情・無関心とは打って変わって、自分に優しい言葉を掛けてくれたり楽しく遊んでくれるような相手であれば、誰にでも懐きやすいという反応を見せやすくなる。そして、自分に優しくしてくれる相手がいなくなっても、また別の自分に関心や愛情を注いでくれる相手がいればその相手に依存するようになり、絶えず『依存・愛情の対象』を求めて寂しさ(孤独感)を訴えるようになっていく。

このように愛着障害の対人欲求としがみつき(依存性)の強さは、思春期以降の年代のBPDの人の対人関係のパターンと非常に似ている要素があり、『自分に興味関心・愛情を見せてくれる人』であれば誰でもいいというような“刹那的・享楽的な人間関係”に依存症的にはまってしまう問題も出てくる。そして、セックスだけの魅力で異性を誘ったり引きとめようとしたり、金銭(利害)だけのつながりで相手が自分から離れないようにコントロールしたりといった、『本質的に自己破壊的(自虐的)な人間関係』に落ち込んでしまうリスクがBPDでは有意に高まってしまうのである。それはBPDの人が自分で自分を大切にすることがなかなかできない、自分に対して大切にしたいと思うような自己評価を培う事ができないという問題とも重なっている。どのような形や手段であれ、『他者から認められる事・愛情や保護を与えられる事』をとにかく最優先してしまい、その結果、自分で自分を傷つけて貶めてしまうような自滅的で不毛な関係を続けやすくなるのである。

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元記事の執筆日:2012/07

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