なぜ現代社会でうつ病が増えているのか?1:心理療法と薬物療法のバランス、“新しいタイプのうつ病”の性格傾向・適応水準・典型症状と古典的うつ病の病前性格

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なぜ現代社会でうつ病が増えているのか?2:うつ病の治癒(寛解)をどう判断すべきか


『感情障害』の視点から見るうつ病:クルト・シュナイダーの状態感情・価値感情の分類


うつ病の典型症状としての『睡眠障害・摂食障害(食欲消失)』はなぜ理解されにくいのか?


生物学的原因によるうつ病とライフイベントの影響による“抑うつ体験反応(ストレス反応)”


“新しいタイプのうつ病”の性格傾向・適応水準・典型症状と古典的うつ病の病前性格


森田療法の生の欲望に基づく“囚われ”とエニアグラムの性格の本質に基づく“囚われ”


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なぜ現代社会でうつ病が増えているのか?1:心理療法と薬物療法のバランス

うつ病(気分障害)を誰もが罹り得る『心の風邪』と呼ぶことによって、社会的な啓蒙と治療機会の拡大が進められてきたが、『症状・原因・重症度・薬剤への反応』が多種多様なうつ病患者数の増大(国内で約100万人以上)によって治療方針の混乱(対処法の困難)が深まってきた。精神運動・活動性が強く抑制されるうつ病は、かつて統合失調症と並ぶ『二大精神病』に分類されていたのだが、現在のうつ病患者の多くは『啓発キャンペーンによる精神医療の敷居の低下・DSMに依拠する操作的診断』の影響もあり、重症度の高い精神病というよりは『軽症うつ病・ストレス反応の抑うつ状態(新型うつ病)』と呼ぶべき症状を呈している。

なぜ現代社会においてうつ病(気分障害)が急速に増えているのかの理由の一端は、確かに“多忙・疲労・不安・競争・孤立・虚無”に晒されやすい現代のストレス社会にあるが、それと合わせて『DSMを参照するうつ病の診断方法の変化・抗うつ薬治療の普及』の影響もあると考えられる。Ⅰ軸からⅤ軸までの網羅的な精神障害の診断基準であるDSM-Ⅳは、外形的かつ典型的な精神症状・身体症状がいくつ当てはまるのかによって病名を判断するマニュアル診断(操作的診断)であるため、どうしてもクライエント(患者)自身が感じている心理的苦悩やその重症度、異常度の微妙なニュアンスまで汲み取った診断には至りにくい。大うつ病性障害には『除外診断』の項目も準備されているが、質問紙法にせよ問診(簡易な面接法)にせよ、ストレス性の抑うつ反応や適応障害を伴う抑うつ、双極性障害のⅠ型・Ⅱ型(躁うつ病)などを十分に除外して診断することは困難である。

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DSM-Ⅳでは二週間以上にわたって深刻な抑うつ状態にあり、更に睡眠障害や悲哀感、無気力感、不安感もあると判断されれば、『うつ病』という診断が下されやすくなり、精神科(心療内科)であれば各種の抗うつ薬・睡眠導入剤・抗不安薬を用いた治療が開始されることになる。DSMは統計的根拠に基づく網羅的・操作的な精神障害全般の診断基準であり、誰が診断しても概ね同じような診断結果が得られるという『信頼性』に優れているのだが、本当のうつ病とうつ病にも見えるストレス性の抑うつ状態(心因反応)とを確実に区別して診断する『妥当性』が十分に発揮できないケースがある。近年は、薬物療法の副作用や抗うつ薬の効果がでにくい症例、DSMの過剰診断・多剤大量投与の医療倫理問題がメディアにクローズアップされることもあるが、『うつ病・抑うつ状態』のすべてが薬を飲めば改善するわけではなく、体質・症状・原因によって薬が合うか合わないかの差は大きい。

アメリカから始まったうつ病の啓発キャンペーンは製薬会社や医師会が主導したもので、『各種の抗うつ薬の売上増加の効果』という商業的動機も織り込まれていたことを指摘するD.ヒーリーの著作などもある。そういった薬のキャンペーンやマニュアル診断とは別に、真に患者の利益・希望となる薬物療法(他の治療法との併用・代替)のあり方を、医療者・精神医学者は経験的かつ倫理的に模索し続けなければならない。特に心因性やストレス反応性の抑うつ状態の場合には、抗うつ薬の薬物治療の副作用がでやすくなり精神医療への不信感も強まりやすくなるので、精神科医には『抗うつ薬の効果がでている症例なのか否か・患者が最優先しているニーズはどこにあるのか』を見極める経過観察(詳しい心理面接含む)と治療方針策定・変更の能力がより強く問われるようになっている。

抗うつ薬はその効果が出始めるまでに一般的に10日~2週間以上はかかるので、ある程度不快な副作用が出てもそのまま医師の指示に従って飲み続けることが正しいとされるが、長期間飲み続けたり薬の種類を変更しても全く改善効果が実感できない(副作用だけが感じられる)というケースでは、そもそも薬物療法の適用ではない疾患か、心理的原因が中心になっている問題かという可能性も出てくる。このまま薬を飲み続けても良いのかというクライエントの不安を、医師がフォローアップして納得のできる合理的な説明ができているかも重要になってくる。理論的な枠組みや副作用の問題を考慮すべき医療者・病院の側もまた、薬物療法偏重を緩和しながら、『薬物療法(生物学的治療)』『心理療法(心理的原因の軽減・全人的な関わり)』のバランスを取っていくことが望まれているように思う。

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なぜ現代社会でうつ病が増えているのか?2:うつ病の治癒(寛解)をどう判断すべきか

うつ病の概念で大雑把に整理・理解されてしまうことが多い軽症うつ病や抑うつ状態、アパシー症候群、退却神経症、適応障害などは、『うつ病の概念的枠組みの拡大と患者数増加』を示している。これらのうつ病の部分的症状を伴いやすい心理的諸問題に対応するに当たっては、クライエント(患者)の抱えている心理社会的要因への関心を高めると同時に、その問題・悩みの解決に対してカウンセリング的な理論や技法を適用していくことが期待される。『自己理解を前提とする認知・行動の変化』というのは、大半の心理的問題(生物学的原因の割合が小さい問題)の処方箋の原理原則となるものであり、その問題の解決は決まったプロトコルを展開してゆくマニュアル的対応では難しく、オーダーメイド的かつ個人的な対応(個人の内面・認知への興味関心)が要請されてくる。

現代社会でうつ病患者が増加している単純な要因としては、『精神疾患の病名・症状の認知度の上昇,精神科・心療内科のクリニックの増加』が上げられることもあるが、『自由な選択肢の増加・自己責任領域の拡大』による自由に何でもできるが自分で自分の人生を決めていかなければならないという競争社会のプレッシャーの増加も関係しているだろう。就職活動に失敗して精神的に追い込まれた20代前半の若者が自殺する事例が増えているという悲しい自殺報道もあるが、こういった失敗・挫折と関連するライフイベントによって、うつ病に近い精神状態に陥っている可能性もある。総中流社会の崩壊や格差社会の意識化によって、『一度でも就職や仕事に失敗したり失業期間が空いてしまったら、正社員のキャリアに再チャレンジできなくなる』という悲観的な将来予測、完全主義的な欲求・優越的な自尊心を持っている人が、挫折・失敗のストレス(自信喪失)によるうつ病を発症しやすくなっている時代背景もあるだろう。

生活水準の向上や知識増大の高学歴化、個人主義・自由主義の浸透によって、『挫折・貧困・強制・不自由・理不尽』などがもたらす精神的ストレスに耐えるストレス耐性が低下した影響が指摘されたり、『自己愛の肥大・回避性の強化』によって他者との競争(負け・劣位の自覚)で傷つきやすくなり、つらいこと(苦しいこと・孤独であること)によって受ける精神的ダメージが過去より大きくなったというような仮説もある。個人の抱えている悩みや問題、困難を心理学的に解釈して解決法を探索するという傾向(社会の心理学化の傾向)も、気分の落ち込みや意欲(やる気)の減退、睡眠障害・食欲低下などを、うつ病と結びつけて意識しやすい心理学化(精神医学化)の風潮につながっているだろう。

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うつ病をはじめとする精神病の治療目標は通常『治癒(完治)』ではなく『寛解(心身症状が無くなっている状態)』に置かれるが、それは精神病の多くが再発再燃しやすいからであり、『急性期(発病期)→安定期(維持期)→回復期→寛解期』の周期性のモデルで捉えられているからである。実際の症例では、寛解したクライエント(患者)の心身症状がそのままずっと消えたままであることもあるが、『可能性としての再発再燃』は残り続けるので、『完全に治癒したのでもう症状が出ることはありません』というほどの確証を伝えることはできないという意味も込められている。その意味では、精神医療や心理療法(精神療法)を用いたうつ病治療の課題は、第一に自殺企図の恐れを減らして希死念慮の強度を落とすことであるが、一般的な治療目標(カウンセリング目標)としては、『抑うつ感・不安感・無気力感・睡眠障害・食欲低下』などのうつ病に見られる各種の典型症状の重症度をできるだけ低く抑えることになるだろう。

DSM-Ⅳのうつ病の診断基準では『重症度の測定』はあまり重視されていないが、WHO(世界保健機関)のICD-10の診断基準では『抑うつ気分・興味の喪失・活力の低下』の典型的な3症状と『自信喪失・自殺念慮・集中力低下・罪悪感・自責感』などの付加的症状において、軽症・中等症・重症を区別して診断するように配慮されている。クライエントの心情としては、うつ病の完全な治癒・回復を求めることが自然とも言えるが、前述したようにうつ病をはじめとする精神疾患には『再発再燃の可能性』を排除しきれない現状もある。また、うつ病と健常者の中間領域にある精神状態は非常に幅広いものであり、健常者であるからといって『一切の抑うつ感・無気力感・虚無感・自己否定がない心理状態』であることは珍しいとも言える。そのため、『すべての精神症状・身体症状』が完全になくなった爽快で活力のある状態が続くことを治癒(完治)とするのであれば、健常者であってもその治癒(完治)の状態になったり、その快活な状態を維持することは難しいのである。

うつ病の“治癒”の現実的な基準を考えるならば、うつ病の“エピソード性(挿話性)”を前提として『現時点で症状が十分に軽減している状態』『現時点で薬物治療やカウンセリングの必要がなくなっている状態』を想定することになる。それは精神医学に『絶対に再発再燃しない精神疾患の回復状態』を診断する力がない限りは(それは健常者でもいつ精神疾患を発症するか分からないということと同義でもあるが)、実質的に『寛解(暫時的な症状消失の状態)』を意味するものになるだろう。

『感情障害』の視点から見るうつ病:クルト・シュナイダーの状態感情・価値感情の分類

うつ病(depression)は“気分障害(mood disorder)”と呼ばれたり“感情障害(affective disorder)”と呼ばれたりするが、感情の根源的な性質は『快と不快の感じ方の区別』にある。前回、『なぜ現代社会でうつ病は増えているのか?』という記事を書いたが、現在のうつ病の生涯有病率は10%前後(時点有病率は約4~7%)とされ、10人に1人以上くらいの割合で重症度の差はあっても、人生のどこかでうつ病を発症するという時代状況にある。うつ病は軽症事例では『何となく気分が落ち込んでしまう・どんよりとした感じがしてやる気や興味が起こらない・気分が憂鬱で誰とも会いたくなくなりふさぎこむ』といった気分の異常として自覚されやすいが、重症事例に近づくにつれて『死にたいほどの自己否定や虚無感に襲われる・涙が溢れてくるような悲しい感情に圧倒される・生きているのが申し訳ないという罪悪感や自責感で胸が締め付けられる・身体は思うように動かないが内面でネガティブな感情が激しく渦巻く』といった感情の異常の苦しみが大きくなる傾向がある。

ここでは『感情の異常・病理』としてのうつ病について整理し考察したいと思うが、『感情』とは快感や不快感と結びつけることができる心的状態である。統合失調症の一級症状の研究で知られるクルト・シュナイダー(Kurt Schneider, 1887-1967)は、何らかの特定の対象と関係している『価値感情』と外的な対象・価値観と関係しておらず漠然としている『状態感情』を分類して考えた。一般的に心理学では『感覚・欲求・感情』を区別して定義しているが、感覚器官の五感に由来する『感覚』、本能・生理に従って生起する『欲求』、対象・状況・生理と相関して生起する『感情(快と不快を伴う情緒)』は、実際の生活場面・人間関係では厳密に区別することが困難である。『感覚・欲求(本能)・感情』の相互的な関係性とその生活場面での現れについて、便宜的にその感情を区別すると以下のようになる。

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生命感情……本能的・生理的な欲求から生まれる感情

身体感情……五感の身体感覚・知覚から生まれる感情

心的感情……身体・本能との相関が弱い内面的な感情

上記したK.シュナイダーはこの内面に発生する心的感情を、更に特定の対象・相手と結びつかない『状態感情(快と不快の区別の感情)』と特定の対象・相手と結びつく『価値感情(価値観や判断と相関した感情)』とに分類したのである。

○状態感情

1.快と関係する状態感情……歓喜、幸福感、喜び、満足、楽しみ、安寧、自信など。

2.不快と関係する状態感情……不安、憂鬱、不愉快、絶望、恐怖、落胆、激怒、嫉妬、退屈など。

○価値感情

1.自己価値感情(自分の価値について判断する感情)

肯定的な価値判断……自尊心、対抗心、優越感、有能感、抵抗力、好かれているという実感など。

否定的な価値判断……自信喪失、弱さ、劣等感、無能感、無力感、嫌われているという実感など。

2.他者価値感情(他者の価値について判断する感情)

肯定的な価値判断……愛情、信頼、同意、興味、好感、尊敬、賞賛、居心地の良さなど。

否定的な価値判断……嫌悪、不信、反対、無関心、憎悪、軽蔑、嘲笑、怒り、居心地の悪さなど。

感情障害としてのうつ病は、憂鬱感、喜びの喪失、無気力、億劫感、集中力低下などの“精神症状”だけではなく、体のだるさ(きつさ)、頭痛、めまい、吐き気、胃痛、喉の詰まり(ヒステリー球)などの“身体症状”がでてくるという意味で、『心身両面の障害・全人的な精神疾患』として理解すべきものである。実際のうつ病患者の多くも、自分の精神状態の異常に気付くきっかけは、抑うつ感や無気力、希死念慮といった『典型的な精神症状』ではなくて、体が重くてだるい、寝付けずに疲れ切っている、だるくて人に会いたくない、食欲がなくて力がでないなど『身体面の不調・違和感としての身体症状』になっている。

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意欲の減退や興味・喜びの喪失が前景症状として出てくるうつ病もあるが、近年では抑うつ感や気分の落ち込み、虚無感があっても『自分の好きな活動・本業ではない副業や趣味の活動』に対してだけはほとんど意欲・興味が衰えないという、『アパシーシンドローム(意欲減退症候群)』や『新型うつ病』の問題の比率も増している。アパシーシンドロームはうつ病とは異なり、本業である仕事や勉学に対する億劫感・無気力感はあっても、『自分が不快・苦痛・焦燥を感じる自覚症状』は乏しいという特徴があるが、うつ病の場合には『意欲減退・無気力』という症状が、やるべきことをできていない(誰でもできて当たり前と思っていた簡単なことができない)自分を責めるという『罪悪感・自己否定感情』の原因になってしまう問題が深刻である。

うつ病の典型症状としての『睡眠障害・摂食障害(食欲消失)』はなぜ理解されにくいのか?

うつ病における中核的な感情障害は、身体感覚の不調・不快としての身体症状を伴う『身体感情』や具体的な対象は定まらないが長時間にわたって続く『不快な状態感情』に集約される。また、うつ病患者のもっとも典型的な主訴は『全身がだるくて重たい・身体が思うように動かせず気分がずっと悪い・身体のどこかに痛みや不快感がいつもある』という“全身的かつ全般的な身体症状”であり、その身体症状が基盤にある形で抑うつ感や無気力、不安感、悲哀感、自責感、希死念慮といった様々な精神症状のバリエーションが出現してくるのである。身体症状は『本能的・生理的な欲求の低下(減少)』としても現れることが多く、『眠れない(熟睡できない)・食べられない(食事の楽しみがなくなった)・性欲が起きない(配偶者や恋人など異性への興味そのものが失われる)』といった本能的欲求の障害が、日常生活の苦しみと身体的な疲労感の蓄積(癒し・楽しみの失われた毎日)を生み出してしまうのである。

うつ病は時に『生命力(生きるエネルギー)』が枯渇していく病気と呼ばれることもあるが、これは本能・生理と結びついた『生命感情(~したい,~が欲しい,~できると嬉しい)』の生き生きとした躍動感や楽しみが失われていくことを意味しており、人間の本能と理性のバランスを崩してしまうのである。睡眠障害と摂食障害、性欲低下(勃起不全・性交困難)は、多くの人が自然に満たしている本能的・生理的欲求の充足が障害される苦痛に直結しており、特に毎日思うように熟睡することができず(眠たくて疲れているのに眠れず)物も食べられない(生きるために食べなければいけない義務感で口に詰め込むような食べ方になる)という状態は、段階的に『生きていることの耐え難い苦痛・不快』の原因になってしまうほどに深刻な問題である。

うつ病患者の回復過程では、周囲にいる家族や恋人、友人の『うつ病についての正しい理解と精神的なケア・支持』が重要になってくるが、この『本能的・生理的欲求の障害』に関する共感的な理解や適切なフォローというのは思われているよりも難しい側面がある。というのは、本能的欲求に基づく生活習慣が完全に崩れてしまううつ病というのは、どうしても『体験した人でないと理解しづらい苦悩・絶望』があるからであり、『誰もができて当たり前のことが長期間にわたって出来なくなる苦しみ』に健康な人が長く共感的に寄り添うことは逆に健康な人にとってのストレス・苛立ちにつながりやすいからである。

食べ物を美味しく食べたいのに食べられないという苦しみは、健康な人にとっては共感しづらいだけでなくずっと摂食の悩みを言われ続けると、『本当に飢えるほどにお腹が空けば嫌でも食べられるはず』という攻撃的な批判の思いに駆られやすくなる。睡眠障害にしても普通に眠れる人にとっては、『我慢できないほどに眠たくなればいずれは眠れるはず』といった感想を持ちやすい本能的・生理的欲求の障害であるが、摂食にしても睡眠にしてもそれが病的に障害されるというのは『摂食・睡眠の質の極端な低下』によって、毎日の生活の快適さや楽しさ、安らぎがまったく実感できなくなることを意味している。

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食事が全く食べられずに栄養を静脈注射の点滴で流し込むしかないような重症の摂食障害(拒食症のアノレクシア・ネルヴォーザ)もあるが、大半のうつ病を原因とする摂食障害は何とか吐き気や違和感と戦いながら食べられるが、『無理やりに食べる苦しみ・何を食べても美味しさが感じられない虚しさ』が主要な心理的苦悩・日常生活の楽しみの無さを彩っているのである。うつ病を原因とする睡眠障害においても、何とか短時間であれば眠れる場合もあるが、悶々と布団の中で思い悩んで寝付くのが朝方になったり途中で何度も目覚めたり、睡眠が浅くて悪夢にうなされたりといった形で『睡眠による安らぎ・疲労回復・癒しとリフレッシュ』が得られなくなることが最大の問題になっているように思う。

生物学的原因によるうつ病とライフイベントの影響による“抑うつ体験反応(ストレス反応)”

前回の記事ではうつ病の本能的・生理的欲求の障害としての『睡眠障害・食欲消失(摂食障害)』について説明したが、統合失調症の患者に“プレコックス感”と呼ばれる独特のかみ合わない感じ、現実的な認識を共有しづらい感じがあるように、うつ病患者にもうつ病に特有の『生命力の減衰・弱まり』を感じさせる兆候・雰囲気・外観がある。声が小さくて抑揚が乏しく聞き取りにくい、表情に精彩がなくて顔色が悪い、疲れ切った雰囲気があり元気がない、話題・会話に集中しづらそうで曖昧な返事やうなずきが多い、涙もろくなっており気弱である、自己評価が低くなっていて申し訳なさそうにして小さくなっているなどの典型的な兆候・雰囲気を示すことがうつ病では多くなってくる。

こういったうつ病に特有の外見的・対人的な特徴は、『うつ病と非うつ病の鑑別』だけではなくて『うつ病と双極性障害(Ⅰ型・Ⅱ型)の鑑別』にも用いられることがある。気分が高揚して一時的に多動・饒舌になる“軽躁状態”を伴う『双極性Ⅱ型障害』の精神疾患は現代において増加の傾向を示している。双極性Ⅱ型障害は、『躁病相』『うつ病相』を交互に繰り返す躁うつ病(双極性障害)の軽症例とされるが、過活動や多弁饒舌、リスクテイク、興奮(ハイテンション)といった“軽躁状態”の現れ方や程度の個人差が大きいので、一般的なうつ病と誤認されやすかったり、更には元気な時期が多いだけの『軽症うつ病(笠原嘉の退却神経症なども含め)』として実際よりも軽いものとして扱われやすい問題が指摘される。

うつ病はかつて生物学的原因があると推測される『内因性うつ病』と特定できる心理的原因があると思われる『心因性うつ病』、頭部損傷・血管障害などによって発症する『外因性うつ病』を区別していたが、病因論を考慮しない操作的診断のDSM‐Ⅳでは『うつ病の症状の数の該当+症状の重症度・自殺念慮(自殺企図)の有無』だけが診断上の問題にされるようになった。多くの人にとって耐え難いほどの強烈な悲しみや苦しみ、つらさ、別離(喪失感)を経験するライフイベント(人生上の出来事)があると、その後にうつ病と同等の心身症状を発症するというケースは多く見られる。S.フロイトが精神分析理論において『対象喪失』と呼んだ精神現象であり、対象喪失の後には必然的に塞ぎ込んで落ち込む『悲哀反応』が起こるのである。

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精神医学では一般的にストレス事態に対する心理的反応である『ストレス反応』と呼ばれることも多いが、長期的に経過するうつ病と区別して、一時的な反応としての『抑うつ反応(抑うつ体験反応)』として定義されることもある。特定可能な不快で苦痛なライフイベント(対象喪失の要素のある出来事)によって引き起こされるうつ病は、一過性あるいは短期的なものであれば『抑うつ反応(抑うつ体験反応)』と見なされて、精神病のカテゴリーとしてのうつ病ではないと判断されることが多い。それは『悲しむべき出来事・苦しむべき状況』に遭遇した時には、誰でも塞ぎ込んで悲しんだり涙を流したりすることは、ある意味では『自然な心理反応』だからである。その自然な情緒の範囲を超えて、長期的に悲しみや落ち込み、抑うつ感が続いていくのが精神病カテゴリーの『うつ病』なのであり、『一時的・短期的なストレス反応(抑うつ体験反応)』とは治療方略・心情理解の上でも区別されるべきではある。

“新しいタイプのうつ病”の性格傾向・適応水準・典型症状と古典的うつ病の病前性格

ストレス反応としての『抑うつ体験反応』は、抑うつ感や精神運動抑制の持続時間が短く原因が比較的はっきりしているが、症状そのものはうつ病と類似している。一方で、各部の身体症状だけが目立って自覚されるというタイプのうつ病もあり、そういった慢性的な原因不明の身体症状に悩んでいる人は、精神科・心療内科ではなく(身体のどこかに見つかりにくい異常があるはずという思いから)内科をドクターショッピングする傾向が見られやすい。“憂鬱感・落ち込み・不安感・無気力・希死念慮”などの自覚的な精神症状がほとんど見られず、“不眠・頭痛・胃潰瘍(十二指腸潰瘍)・めまい・食欲不振・疼痛(うずくような痛み)”などの身体症状が不定愁訴として前面に出てくるうつ病が『仮面うつ病』であるが、仮面うつ病は精神疾患に関する偏見や自分の精神力に対する過信(過剰評価)などが関係していることも多い。

仮面うつ病はこれまで『心身症・身体表現性障害・転換障害』と診断されることも多かったが、綿密に心理面接を行っていくと、身体症状(身体の不調・愁訴)の背景にある『生命力の弱まり・自己評価(自信)の低下・毎日の仕事や生活の張合いのなさ』などのうつ病の兆候を示すものが浮かび上がってくることがある。ネガティブなライフイベント(人生上の出来事)によって誘発されるストレス反応(抑うつ体験反応)では『抑うつ感・悲哀感・元気の無さ』が前面に出てくるが、居ても立っても居られなくなりソワソワと落ち着きがなくなる『焦燥感・多動性・イライラ(怒りやすさ)』が前面に出てくる焦燥性うつ病も増えている。

『焦燥感・イライラ』は気分が高揚して活動性が増しているのに何をして良いのか分からないという感覚を伴うことが多く、『双極性Ⅱ型障害』との相関が疑われるケースも多いが、炭酸リチウム(リーマス)など気分安定薬の薬物療法で抑制される場合には、内面的な心理状態の分析・理解には注力しないことも多い。うつ病の罹患者の増加は、ストレスフルな社会的状況(対人関係)の増加や個人のストレス耐性の低下の問題を前提として、『うつ病の病態の多様化・軽症化・個別化』を意味していると考えることができる。

古典的なうつ病(気分障害)の典型的な病前性格は、『几帳面・生真面目・融通が効かない・責任感が強い・義務感が強い・秩序志向・他者に配慮し過ぎる・熱中しやすい』などで、これらの特徴は20世紀半ばのテレンバッハの“メランコリー親和型性格”や下田光造の“執着性格”として良く知られている。テレンバッハのメランコリー親和型性格では特に『几帳面(生真面目)・秩序志向性・他者配慮性』が重視されたが、近年ではこういった古典的な病前性格の特徴に当てはまらないうつ病のタイプも増えており、『うつ病の病態の多様化・個別化』が見られるようになっている。

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自分の好きなことや楽しいことをしている時にはうつ病の症状が弱まり、強いストレスがかかるようなこと(苦手なこと・嫌いなこと)をしている時にはうつ病の症状が強まるという『新型うつ病(非定型うつ病の一種)』が批判的に取り沙汰されることもあったが、こういった気分反応性・ストレス反応性・対人不安が強いうつ病の場合には、『抑うつ感を伴う適応障害・ストレス反応性障害』の事例も少なからず含まれていると見ることもできる。古典的うつ病や従来の病前性格の特徴(几帳面・秩序志向性・他者配慮性)、精神分析的な罪悪感(自罰感情)に当てはまりにくい『新しいタイプのうつ病』としては、新型うつ病(非定型うつ病)、逃避型うつ病、ディスチミア親和型うつ病、未熟型うつ病、現代型うつ病などの様々な命名・分類・特徴の指摘が為されてきた。

それぞれの新しいタイプのうつ病の性格特徴(病前性格的な特徴)は以下のようなものであり、従来よく見られていた古典的な『超自我の権威主義(~しなければならないという社会的・義務的な価値観)』への過剰適応に悩んで挫折したというタイプのうつ病とは明らかに異なる様相を示している。

○新型うつ病(非定型うつ病の一類型)

他者からの拒絶や批判に敏感に反応し、ストレスフルな環境に対する苦手意識と身体的な反応が強い。社会適応はそれほど悪くなく、自分の調子が良くて好きな活動に取り組む時には元気な様子も見られやすいが、元々、社交的社会的な関係性への意欲は乏しい傾向がある。一般のうつ病とは対照的に『過眠・過食』が見られやすく、社会不安障害のような対人不安が起こりやすい。罪悪感・自責感や攻撃性・他罰感は弱くてマイペースである。

○逃避型うつ病

ストレス耐性が低くて自己愛が強く、『つらい環境・苦しい活動・面倒くさい事柄』からはできるだけ遠ざかって関わりを持たないでおきたいという欲求が強い。過保護・過干渉な成育歴によって自己愛が強化されているケースも多いが、反対にネグレクトや虐待によって自尊心が傷つけられ、成功体験が持てなかったために、『新しい事柄・難しい課題』に挑戦する覚悟が持てないということもある。大きな挫折や否定を経験しなければ、それなりに良好な社会適応・職業活動ができている人が多い。罪悪感・自責感や攻撃性・他罰感は弱くてマイペースである。

○ディスチミア親和型うつ病

社会的な役割・責任を引き受けることの抵抗感が強く、ありのままの自分に対するこだわりやそれを貫き通したいという頑固さがあるため、『自分と合わないと感じる役割・相手』に対してはトラブルを起こしやすくなる。反対に、自分に合っていると感じる職場や相手であれば、それほど社会適応の悪さは目立たず、自分の長所を生かした活動をしていることも多い。症状が慢性化しやすく、自己不全感・居場所のなさ(孤立感)に苦しめられやすく、精神医療を望む割にはその効果は実感しづらい。罪悪感・自責感は殆どないが、自分は他者から追い込まれたという攻撃性(被害感)・他罰感が見られることがある。

○未熟型うつ病

精神的自立が乏しく他者に頼って何とかしてもらおうという『依存性・無力感』が強いという特徴がある。未熟型うつ病では幼児的なわがまま・依存性が目立つということから、『精神発達の未熟性(発達プロセスにおける停滞)』にその原因が求められているが、意外な社交性やコミュニケーション能力もあり『人との関わり』はそれほど苦にならないという人も多い。E.クレッチマーが定義した肥満型の循環気質(躁うつ病気質)に似た部分もあるが、症状としては依存性(非自立性)・不安感・焦燥感などに特徴がある。罪悪感・自責感はないが、自分を助けたり支えてくれたりしない他者に不満を持つ他罰性が見られることがある。

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『几帳面・秩序志向・他者配慮』などの典型的な特徴を持つ古典的うつ病と比較した場合に浮かび上がってくる新しいタイプのうつ病の特徴は以下のようにまとめることができる。

1.自殺企図や精神運動制止(無為)までには至らない軽症化の傾向が顕著である。

2.かつての秩序的・自責的で生真面目さが目立つ『メランコリー親和型性格・執着性格』と比較すると、病前性格が『個人主義的・自由主義的な価値観』に根差すようになっている。『自分の理想やありのままの自分』と『社会(他者)の現実や主観的な価値を感じにくい日常』とのギャップに適応できずに発症するケースが多い。

3.『罪悪感・自責感・自罰感情』は目立ちにくくなり、『不全感・逃避性・他罰感情』が前景に出やすくなっている。

4.『不眠・食欲不振』よりも『過眠・過食』に苦しみやすく、『自己不全感・挫折体験・目的が定まらない焦燥感・現実的ではない完全主義思考(理想追求)』のエピソードを慢性的に繰り返しやすい。自分なりの目的意識・再チャレンジを定めることが、治療方略上の優先度の高い課題になっている。

5.発症年齢は若年化して、『中年期での発症』よりも『20~30代前半での発症』が多数を占めるようになっている。

森田療法の生の欲望に基づく“囚われ”とエニアグラムの性格の本質に基づく“囚われ”

エニアグラム(enneagram)は古代のアフガニスタン一帯で考案され8世紀頃のイスラーム圏で再発見された性格心理学で、神秘思想家のゲオルギィ・イワノヴィッチ・グルジェフによってキリスト教圏にも伝えられることになった。エニアグラムでは便宜的に性格類型を9つのタイプに分類しているが、エニアグラムの性格テストで自分自身のタイプを知る目的は、『客観的な自己理解・自己洞察の深化』『より良い自分や環境適応への変化の動機づけ』である。臨床心理学やカウンセリングへの応用可能性として各種の性格心理学の仮説理論を考える場合には、『現在における自分の特徴や傾向の理解』『過去における自分の問題や悩みの原因』『未来における自分の成長や問題解決』といった各時間軸ごとの課題が浮かび上がってくる。

性格テストを受けてみて自分がどのタイプに当てはまるのかを確認することも、自分に対する興味・好奇心を満たす効果があるのだが、心理臨床やカウンセリングでは『自分のタイプの長所・短所』『自分の現在・未来・過去の目的意識(解決したい悩み・問題)』に対応させながら、これからどのように変わっていくかを考えることがとても大切である。森田療法を神経症・神経衰弱の治療法として開発した森田正馬(もりたまさたけ,1874-1938)は、身体の不調や精神の違和感に注意力を向け過ぎることで、より心身の異常な違和感が強調されて悪化するという『精神交互作用』を発見した。

この精神交互作用は注意と感覚(気づき)が悪循環を起こすという作用で、特に自分が心臓疾患・がんなどの何か深刻な病気に罹っているのではないかという不安につきまとわれるヒポコンドリー(心気症)の症状形成機序を説明したが、森田正馬が治療方略として強調したのは『囚われ(執着)からの解放』『あるがままの自分を実感・動作として受け容れよ』ということであった。エニアグラムの性格理論を用いたカウンセリングの一つの目標も、『囚われ(執着)からの解放』であり、それぞれの性格タイプに特徴的に見られる『自分の問題状況や人間関係を悪化させる囚われ』からどのようにして自由になるか、悪循環に陥ると分かっている認知・行動の囚われを変えていけるかがポイントになってくる。

森田療法を用いた心理臨床のケーススタディ(事例研究)では、自分の心臓のドキドキという音が気になって仕方がなくなり自分が重症の心臓病だと思い込む『心気症(ヒポコンドリー)』、自分の鼻の高さや形が気になって囚われてしまい自分が人前に出られないくらい醜い外見をしていると思い込む『自己醜形恐怖(身体醜形障害)』などがある。自分の体臭・おならの臭いが非常に気になってしまい、どんなに風呂に入っても臭いが取れないと悩み外出困難になっていく『自己臭恐怖症』という特異な自己認知障害の事例も取り上げられている。固定観念や強い信念(思い込み)によって生み出される『囚われ(執着)』は、客観的な自己認知や状況認識を歪ませてしまい、思いがけない精神疾患の発症や対人関係のトラブル、生きにくさの感覚につながりやすい。人前で話したり行動したりする社会的場面において、非常に強い苦痛・緊張・不安を感じて日常生活に支障が生じる『社会不安障害・社交不安障害(social anxiety disorder)』もまた、自分自身が他人に悪いように否定的に見られているはずという囚われ(執着)によって悪循環のループにはまり込んでしまっているのである。

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森田正馬は『あなたはあるがままで良い、あるがままであるより他に仕方がない(治そうとしても治らないものは仕方がなくそれが普通であると思うより他ない)』という囚われない自然体であることの理(心身のバランスの取れた健康に近づく王道)を提唱したが、それと同時に『あるがままでなければならないという義務的・拘束的な囚われ』に陥りやすい問題に警鐘も鳴らした。解脱(悟り)を目指す仏教の修行者が、『煩悩・執着・俗欲に囚われてはいけないという意識』を強めれば強めるほど、『執着してはいけないという執着・囚われてはいけないという囚われ』に自己撞着的に絡め取られてしまう問題は兼ねてより指摘されるが、客観的に見れば取るに足りない些末なことに囚われてしまう神経症的な精神疾患のケースでも、『あるがままであることへの逆説的な囚われ』に苦しめられる可能性は少なからずあるだろう。

森田正馬は注意と感覚が病理的な悪循環を繰り返す『精神交互作用』だけではなく、このようにありたいという理想の自分とそうではないという現実の自分のギャップに苦しめられる『思想の矛盾』、今よりももっと価値のある素晴らしい自分になることに拘る『生の欲望』によって、神経症的な囚われの病理は悪化していくと考えた。エニアグラムを用いた性格心理学のカウンセリングでも、森田療法の『囚われからの解放=あるがままの自分の実践』、認知療法の『非適応的な認知(考え方)の変容=認知の歪みの修正』を積極的に導入することで、自分の性格タイプを前提にした問題解決や自己変容を進めやすくなっていく。

元記事の執筆日:2013/05

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