A.R.ホックシールドの感情労働(感情マネジメント)の増加とハラスメントの問題:2
A.R.ホックシールドの感情労働(感情マネジメント)のつらさと産業構造・リーダーシップの転換:3
ブラック企業とハラスメント(使役する人間の道具化)を生み出す現代の競争経済社会の構造要因
人間関係を改善させるためのカウンセリングと『対等で親密な関係』を阻害する要因:1
人間関係を改善させるためのカウンセリングと『対等で親密な関係』を阻害する要因:2
旧ブログの記事一覧
A.R.ホックシールドの感情労働(感情マネジメント)の増加とハラスメントの問題:1
労働環境におけるパワハラやセクハラが増大した背景には、“工業労働(第二次産業の肉体労働)”から“サービス労働・知識労働(第三次産業の精神労働)”への変化といった急速な『産業構造の転換』も関係しているはずである。第三次産業のサービス業の増大は、ポストフォーディズム(脱産業化社会)、知識産業化、認知資本主義など様々な呼ばれ方がされるが、『帝国』の著書で知られるイタリアの思想家アントニオ・ネグリとマイケル・ハートは『非物質的労働』という概念でこの産業構造のシフトを説明した。
非物質的労働とは工場作業・運輸・卸売・小売などに代表される『モノ(商品)の生産・移動・販売のプロセス』に直接的に関わらない労働のことであり、非物質的労働は『知的・言語的な労働』と『感情労働』とに大きく分けることができる。『知的・言語的な労働』とは、企業経営やコンサルティング、教育者(教師)やインストラクター、作家や知識人、学者、芸術家などの職種に代表される労働であり、『知識・概念・言葉・アイデア』を操作したり表現したり戦略を立案したりすることによって価値を創出しようとするものである。
『感情労働』とは自己の感情を適切に制御したり、他者の感情をある望ましい方向に変容させることによって価値を生み出す労働であり、看護師・介護士・営業・接客業など『他人と直接的にコミュニケーションし合う仕事』が広範に含まれる。モノや知識、技術ではなく『生身の人間』と触れ合ってコミュニケーションすることで、『自己と他者の感情』をビジネスや職務・使命の目的に合致する方向へと制御することが感情労働の本質であり、そこには対人サービス業に独特のやり甲斐とストレスが同居している。
感情労働(emotion work)について初めて理論的に言及した研究者は、アメリカのジャーナリストのA.R.ホックシールドであるが、ホックシールドは社会学者のアーヴィング・ゴフマンが提唱したドラマツルギーや役割演技、儀礼的無関心の理論的概念に大きな影響を受けたとされている。他者と向き合うそれぞれの社会的場面には、その場面で感じるべき感情の種類・強度・持続に関する暗黙のルールが成立しているとして、ホックシールドはその感情表現に関する社会共通のルールを『感情規則(feeling rules)』と呼んだ。感情規則は一般的に、その場において最低限守るべき“マナー・礼儀”のようなものとして各人に認識されていることが多い。
人間はそれぞれの場面・相手で感じるべき感情規則に従って、ある意味では自分の表情・感情表現・反応を演技的に遂行しているのである。即ち、楽しむべきパーティーで社交的に明るい笑顔を振る舞い、悲しむべき葬儀で沈痛な面持ちをして慰めの言葉を掛けるのは、社会秩序・他者との関係性を維持するための無意識的な『表層演技(surface acting)』なのだと解釈した。本音と建前が食い違っているのが表層演技の特徴であるが、人間は楽しむべき場面であれば本音で楽しんだほうが良いという前向きな認知をしがちであり、また悲しむべき場面では相手に感情移入して悲しんだほうが良いという適応的な認知をしがちであるから、本当に自己暗示的に『場面・相手にふさわしい感情・気分』を感じることは珍しいことではない。こういった場面にふさわしい感情・気分を本当に感じることができるような役割演技について、ホックシールドは表層演技に対する『深層演技(deep acting)』に当たると定義した。
A.R.ホックシールドの感情労働(感情マネジメント)の増加とハラスメントの問題:2
場面・相手に対応して自分の適切な感情を表現できるように制御することを、『感情マネジメント』と呼んでいるが、感情マネジメントをする最大の目的は『他者に対する好意・尊敬・適切な関心』を表現して伝えることで、安定的で良好な人間関係を維持するためである。好意的な感情の贈り合いの意味と解釈については、過去にマルセル・モースの『贈与論』を参照した『“贈与―応答の原理”によって維持されるコミュニケーション:贈与(パロール)と人間関係の距離感の調整 』という記事でも説明したことがある。
感情の贈与交換(贈与と返報)は通常は相補的にバランスするもの(相手が示しただけの好意を自分も示せば良い)なのだが、ここに『職業的・立場的・社会的な上下関係』が加わると、下位者のほうが上位者よりも多くの『肯定的・迎合的な感情表現』を贈与して敬意や感謝、好意を示さなければならないという暗黙の了解めいた『感情規則』がある。社会的・職業的な地位が高いと見なされる人のほうが、相手から肯定的な感情を向けられる『感情的報酬』を得やすくて、自分よりも下位の相手にあまり配慮しなくても良いという特権的な感情規範がある(地位・権限が強いというのは通常そういった下位者に気を遣わなくても良い、愛想笑いなどしなくても良いの意味合いを含んでいる)のである。
しかし、こういった職業的・社会的な上下関係に依拠した『感情規則の不公平・理不尽・バランスの崩れ』が一定以上にまで大きくなって、上位者が下位者の『人格・尊厳・意思』を完全に無視したり愚弄したりするようになると、それはそのまま感情規則や職務上の上下関係に支えられたパワーハラスメント(パワハラ)の問題を引き起こす原因になってしまう。そして、上位者だけに許されると思われている(下位者に余り気を遣わなく良いの)感情規則がどこまで許されるのか、どこからパワハラになるのかの区別や見極めは非常に難しく、ある程度まで主観や恣意、パーソナリティ、受け取り方に左右されてしまうことになるだろう。人によっては少し傲慢で命令的な姿勢を感じただけでパワハラと感じるし、別の人にとってはかなり横柄で人の感情に配慮しない態度を見ても『あの人は社長・専務(自分よりも偉い人)だから特別』といった感覚で許してしまうこともあるのである。
近年では『偉い・偉くないの区別』もかなり曖昧化しており、職務上の上位者に対して必ずしも人格的・言動的に服従しなければならないような『偉い人・権力者』ではなく、『表層演技・深層演技としての敬意・尊重』を示していれば十分であるという考え方の人も増えており、コミュニケーションや感情マネジメントのレベルには混乱も起こりやすい。その一方、意識的な感情労働を介した快適な心配りやサービスは拡大の一途を辿っており、つかず離れずの距離感を保ちながら、相手に共感しつつも深く相手の感情には巻き込まれないという『洗練されたコミュニケーション能力』の職業的・社交的なニーズとその裏返しにあるストレス・自己抑圧も高まり続けているのである。
感情労働・感情マネジメントはその全てが悪いことなのでは当然なく、これらによって人間はより『他者との相互作用や相互利益・自己イメージの与える影響・ネットワーク的な人間関係への適応』を柔軟かつ効果的に実践できるようになったのである。社会的相互行為とセルフコントロールの飛躍的な促進は、人間の本質を利己的・合理的というよりはコミュニカティブな『ホモ・コミュニカンス(homo communicans)』へと近づけた。だが現代の人間がホモ・コミュニカンスとして振る舞うようになった反作用として、『他者との相互作用の活用やそのための社交性・自己の感情や態度の適切なマネジメント』を行うだけのコミュニケーション能力に欠ける人が、以前よりも『生きづらさ(自己と他者との分かり合えない感覚・相互行為から阻害されてしまう不安)』を深刻に感じるようになってしまったのである。
ただ黙々と自分ひとりで勉強したり練習・訓練したりして自分の知識・技能を高めるだけでは、なかなか他者から自分の価値や必要性を認められにくくなったことがその背景にある。そういった能力・知識・技術の向上に加えて、『社交的なパーソナリティ・自己の感情マネジメント・他者の感情や価値観への共感性』などが強く要請されるようになってきており、『社会的相互作用への何らかのコミットメント』がないと職業活動や人間関係で不安・不満を感じやすくなっているのだ。
A.R.ホックシールドの感情労働(感情マネジメント)のつらさと産業構造・リーダーシップの転換:3
感情労働には他者の感情やあり方を理解しようとすること、他者の不満・要求を傾聴してそれをケアしようとすることが含まれるが、こういった『人間関係・情動・コミュニケーションが関わる仕事』は20世紀までは主に“女性の仕事(例えば老親の介護を妻・女性の親族に任せきりにするなど)”としてジェンダーに割り振られてきたりもした。しかし、産業構造の急速な転換によって望むと望まざるとに関わらず、広義の感情労働である『他者の感情・意思・思惑にかかわらなければならない仕事』に大多数の男性も従事しなければならなくなっており、『顧客の反応・クレーム・責任追及』や『上司(同僚)とのコミュニケーション・感情的な対立・パワハラ(力関係)』などにストレスを感じたり深い悩み・憤りを抱えたりしやすくなっている。
資本主義の労働の中心が『非物質的労働』にシフトしつつあることで、『企業・部署のリーダー』に求められる理想像も『トップダウンの指揮命令系統と上下関係を重んじる強権型』から『ボトムアップのコミュニケーションを重要視するコーチ型』へと移っている。現代社会において仕事の満足度・充実感の高い労働者は、相互的なネットワークを形成するフレキシブルなチームの一員としてコミットし、自発的に自分の能力・興味を活かせる“短期的なプロジェクト”に参加して、顧客のニーズと感情を尊重して他のメンバー(自分にはない専門技能の保有者)と協力しながら、そのプロジェクトを達成するモデルを好むようになっている。
官僚的・軍隊的な上下関係が明確化された指揮命令系統に組み込まれるという『近代的な労働モデル』は現在でも有力であるが、『労働者の仕事や人間関係の満足度』という指標においては、『自分の専門的な知識・技能に応じたプロジェクト単位の労働と協力』が優位になりつつある。こういった能力や人脈のニーズを高いレベルで満たせる人材が本来の意味での“ノマド(場所・時間・命令に強く拘束されない自由度の高い働き方が可能な人)”だとも言える。
感情労働のストレス・抑圧・つらさの要因としては、モノや知識、技術と向き合ったり、試験によってその能力・地位が数値的・序列的に決められたりする労働よりも、『仕事に求められる能力・適性の曖昧さ』があり、『他者の反応や評価の不確定性』に左右されやすいということがまず挙げられるだろう。相手の感情や思惑、意思を推測しながら、自分の感情や表情、態度を適切に調整するというだけでも、結構なストレスや我慢を強いられるのに、『自分が良かれと思ってした行動・発言・援助』などが悪い方向に評価されてクレームや罵倒などを招いてしまうこともあるわけである。
自分のわずかな表情の変化や感情の吐露、意見の述懐、態度・雰囲気などが、『相手のネガティブな解釈』によって『自分自身の落ち度・人格的な問題・コミュニケーション能力の欠如・場や他人に協調できない性格』としてあげつらわれたり、職務上の能力・適性の不足として非難されたりする可能性が絶えずあるというのが、感情労働の慢性的なストレス状況を作り出してしまっているのである。感情労働が一般化するに従って、自己と他者(顧客・同僚)との感情制御が調和せずにぶつかり合ってしまうイレギュラーな事態は常に起こり得るし、各種のハラスメントやいじめ・嫌がらせのリスクは『職務上・人間関係上で不可避となっているすべてのコミュニケーション』の中に、可能性としては織り込まれてしまっているという自覚が必要になっているのかもしれない。
つまり、どんなに注意して自分の感情をセルフコントロールしても、どんなに共感的に相手の感情に配慮したとしても、可能性としてはトラブルやハラスメントの発生リスクはゼロにまではならないということであり、誰もが『対人トラブルの事後的な和解・調停・謝罪・反省・受容のプロセス』について自分なりの納得の仕方を意識しておいたほうが良い時代が到来している。
ブラック企業とハラスメント(使役する人間の道具化)を生み出す現代の競争経済社会の構造要因
過労死・感情労働・権力構造が関与した『ブラック企業問題』の本質は、企業や上司の指示・命令が法律や社会常識に照らし合わせて間違っていても、『閉鎖的な職場環境・人間関係』の中では、同調圧力を伴う逆らえない正義・規範になってしまうということである。もちろん、組織の上下関係や慣習・文化、同調圧力だけではなく、『拒否すれば解雇されて生活費を稼げなくなる(中途採用のハードルが高く転職が上手くいくという自信も持てない)・失業した事を家族や両親などに知られると心配を掛けたり面目が立たない(まともな社会人として機能している自己イメージに執着する)』といった極めて現実的な要因もブラック企業の強制力の強さを支えている。
近年では、同じような仕事をしていても、給料が責任の重さだけでは説明がつかないほどに大きく異なるという『正社員と非正規雇用(派遣・バイト)の待遇格差・身分格差』の問題もクローズアップされており、正社員にならなければ人並みの生活や結婚、家庭運営ができないという恐怖感が若年層(特に就活をする学生)を中心に強まっている。『正社員として働くため』にこれくらいの長時間労働やサービス残業、パワハラ(怒声・罵倒・吊るし上げ)には耐えなくてはいけないという従業員側の『理不尽な指示・慣習に対する自発的な萎縮・従属』という要因も深刻になっていて、労働市場の競争原理が企業の立場を強めているのである。
そこには『社風や指示に従えずやる気がないのであれば、あなたの代わりに働きたいという人材は幾らでもいる』という無言の圧力があり、労働基準法に違反しているかどうか、自分の心身の健康を保てるか否かよりも、『正社員・職業キャリアの維持のために何でもしなければならない』という人生・生活のセーフティネットとしての雇用にしがみつくしかない厳しい競争社会の現実がある。大手と零細、正規と非正規、公務員と民間(中小零細)などの雇用格差(生涯賃金格差・社会保障格差)が、途中からの逆転が難しい『擬似的な身分制度』のように受け取られてしまうマスメディア報道も続いている。そういった擬似的な身分感覚(仮りそめの優越感・劣等感)が、自分の将来不安や不平不満を覆い隠すための理由も含めて、『パワハラ・職場いじめ』を生み出す心理的要因になることも多い。
若くして過労死した社員の事例や勤務シフトを見てみると、毎日深夜から朝方までの残業を強いられ、そういった体力・気力に見合わない仕事漬け(それに加えてノルマ未達成で罵倒・叱責が長時間行われたりのストレスもある)の毎日が1ヶ月以上続くなど殺人的なスケジュールになっている。こういった悪質というか犯罪の域に達したとも言えるブラック企業では、『心を持つ人を人として扱わない労務管理・人間としての尊厳や意欲を顧みない教育制度』などの根本的な過ち(心身が壊れるまでずっと使役するというような人間の道具的・部品的な反人道的な働かせ方)があることが多い。
その背景にあるのは、『他者の痛み・つらさ・苦しみ』に寄り添って対応を考える余裕や心を持ちづらくなる職場の実態であり、相手に同情していては自分の立場も危うくなりかねないという『(グローバル化や高齢化、国内消費減少の要因も含めた)過酷なまでの競争原理』なのかもしれない。経済競争に限らず安全保障分野においても、自分たちが生き残るために他者・外国を敵に見立てて打ち負かそうとするのは当たり前(同情したり油断すれば自分のほうがやられてしまうのだから多少攻撃的になっても仕方ない)といった殺伐とした『弱肉強食の世界観』を持つ人が緩やかに増えているようにも感じられる。
激化するグローバルな競争原理、生き残りを賭けた弱肉強食の世界観の中では、人は他者と連帯したり共感したりしながら協力して働くということが難しくなり、『自分と他者との差異(能力やキャリアの高低・雇用形態の違い)』を強調することで、自分のほうが相手よりも優位な立場で安定した待遇なのだということを確認しようとする。その結果、人を人として尊重せずに道具的に使役するような働かせ方が横行したり、企業・上層部の命令に従って部下に厳しく指導している自分を、客観的に見ることもできなくなっていく。
視点を変えれば、『ハラスメントの加害者』として訴えられたり憎まれたりしている人も、少し職場での地位や役割が他の誰かと交代させられればいつ自分が『ハラスメントの被害者』になるか分からない立場だったのかもしれない。もしかしたら既に経営陣や上司から自分自身がパワハラ・締め付けを受けて、そのストレスに耐え切れずに下位の部下に『抑圧委譲型のパワハラ』をしていた可能性もあるわけで、誰もが安心した気持ちで他者と協力しながら働けなくなっている(同僚でさえも出し抜くべき気の許せない敵のような認識になりやすい)という現状をどこかから変革していかなければならないのだろう。
安倍政権が成長戦略の一貫として打ち出している『国家戦略特区』では、従業員の解雇規制の緩和が目指されたり、ホワイトカラー・管理職の労働時間規制を撤廃しようとしたりといった『さらなる企業優位の競争原理の導入』が目指されているが、企業や上司が人を人として尊重して思いやらない雇用形態が今以上に増加すれば、職場の各種のハラスメントの被害や概念が拡張するのではないかという不安もある。解雇規制を厳格にして既存の正社員だけを守るといった政策は格差固定になるので本末転倒だと思うが、『雇用の流動性』を上げるのであれば、『雇用される能力の条件・能力や知識の査定の客観化・転職市場の透明化と活性化』などを十分に推進してからでないと、職場のハラスメントや人間関係の状態が今よりも悪くなってしまう恐れがある。企業の論理や経済成長の目的といったことも経済全体の拡大のためには有効なのだが、その企業で実際に働いている人たちが、心身の健康を維持して同僚との良好な人間関係を保てることというのは『職場適応・労働意欲の基本』としてもっと尊重されても良いのではないかと思う。
人間関係を改善させるためのカウンセリングと『対等で親密な関係』を阻害する要因:1
人の心理的な悩みの多くは、家族や夫婦、恋人、友人との人間関係が上手くいかないことと関係しています。『愛情(思いやり)・信頼・尊敬・関心』に満ちあふれた理想の人間関係を形成してそれを長く維持するというのは、かなり難しい課題だからであり、少なからぬ人が近しい相手との人間関係に何らかの不満・悩み・ストレスを抱えています。人間関係が親しくなればなるほど『相手への甘え・依存・安心(自分から離れていかない確信)・軽視』が生まれてくることも多く、そのために『相手への要求水準・自分がイライラしないで済む条件』が過大となり、お互いに喧嘩・対立・否定の種を抱えやすくなることもあります。
“夫・妻・恋人”などの近くて親しい相手を、礼儀知らずな態度でぞんざいに扱ったり、乱暴な言動で否定したりする人は、客観的には『DV・モラルハラスメントの加害者』であっても、自分自身の認識としては『妻・夫(家族)から大切にされずに攻撃・疎外されている被害者』という風に思っていることが多いのです。自分は配偶者(家族)から仲間はずれにされたり侮辱・冷遇・挑発されている『被害者』であるからこそ、自分の安全・尊厳・言い分を守る自衛のために『暴力的・挑発的・他害的な言動』をせざるを得ないのだという自己認識があると、その認識によって罪悪感や自制心を伴わずに酷い言葉を言ったり皮肉めいた挑発をしたりしやすくなるのです。
夫婦や恋人、友人との人間関係が最も険悪で対立的になるのは、お互いに『自分のほうが相手に傷つけられている(迷惑を掛けられている)被害者であるという自己認識』を持っている時であり、自分が相手から酷い扱いをされているからこそ自分にも『やり返すだけの正当な権利(自衛のための反撃の権利)』があると思い込んでしまいます。こういった双方に被害者意識の強いケースでは、自分が変わらずに相手を変えよう、相手を謝らせて改心(反省)させようといった動機づけばかりが強まってしまい、『譲歩・妥協のできない対決姿勢(相手との勝ち負けや自分のプライドへのこだわり)』にはまりこんで抜け出せなくなります。夫婦・恋人などを対象にしたカップル・カウンセリングの最終的な結果は、『自分の言動や態度を変える』『相手の言動や態度を変えようとする』『変わりたくないので現状維持を続ける』のいずれかになります。
このうちで、最も確率論的な効果が高いのは『自分の言動や態度を変える』であり、最も確率論的な効果が低いのは『(自分は変わらないままで)相手の言動や態度を変えようとする』だと言われています。しかし、相手のほうに問題や責任があるのだから、自分は変わる必要がない(いくら結果として関係が良くなってもそこまでして自分を曲げようとは思わない)と思っている人は意外に多く、『相手の変化』を起こそうとしない人でも、『現状維持(今のまま)』を消極的に選ぶことが多いのです。
結婚生活や恋愛関係において、自分に対する相手の評価や印象が極限まで悪くなっている時、離婚や別離の寸前にまでいっている時には、確かにそこから幾ら自分が変わっても、思ったように人間関係(男女関係)を改善することはかなり困難です。一方で、『自分自身から相手のために変わるという選択』をしなければ、いずれにしても破局(別離)や喧嘩(不満の応酬)の毎日を免れることはできません。また、二人の相互的な関係が『親密で愛情のある人間関係』と『対立的で敵意のある人間関係』のどちらに傾くのかの責任の一端は、(責任の比率が圧倒的に相手のほうが高くても)自分の側にもある程度はあると考えるのが妥当です。
結婚・恋愛・親友といった『元々は親密で好きだった相手との関係のこじれ』だけでなく、実社会には同僚・上司(先生)・クラスメイトなどとの付き合いの中に『初めからいけ好かないと感じる(嫌いだ・合わないと感じる)相手との関係のトラブル』もあります。カウンセリングや対人関係療法の難しさの一つは、自覚的であるにせよ無意識的であるにせよ、『本音においてはじめから仲良くしようとは思っていない関係(親密さや信頼感のある関係をそもそも期待しておらずむしろ離れたいと思っている相手)』もそこに含まれている可能性があるということです。
本人にもはっきりと分かっていない『無意識的な動機づけ』として、好きではない相手(合わないと感じる相手・嫌いになってしまった相手)ともう親しい付き合いをしたくないと思っている時には、どんなに表面的な技法・助言・練習を駆使してもなかなか関係は改善しないし、『抑圧された相手への敵意・嫌悪・軽蔑・怒り』などがあれば、無理な関係改善の努力で心身の調子を崩す恐れもあります。
人間関係を改善させるためのカウンセリングと『対等で親密な関係』を阻害する要因:2
相手から何度も酷い扱いをされたり人格的な非難や罵倒をされたり、暴力的な言動を浴びせられたりしていれば、明らかな『トラウマ(心的外傷)の後遺症・精神症状』がでることもありますが、そこまでいかない『ある程度の酷い扱い・乱暴な言動・ストレスになる対応』では、嫌いになっている自分の感情のほうを無意識的に抑圧したり否認したりしてしまうこともあります。相手が自分に対して悪いことや嫌なことをしなくても、自分の側の気持ちが離れていったり相手に合わせるのが苦痛になることもありますが、この場合には特に相手に悪いと思う罪悪感や自責感から『自分の真の感情の抑圧』は起こりやすくなるでしょう。
人間関係の一般的な悩みに対するカウンセリングや対人関係療法では、『愛情(思いやり)・信頼・親密さ・居心地の良さのある関係の回復や構築』を目標として、より良いコミュニケーションの方法や問題解決的な技能・対応を学んで実践していくことになります。しかし、『嫌悪・拒絶・敵意・怨恨・優越(劣等)などのネガティブな真の感情』が無意識に抑圧されている時には、以下のような『他者との関係改善を拒否する動機づけ(モチベーション)』が働きやすくなってしまうのです。
つまり、すべての人が可能であれば『他人と対等な親しい関係・愛情や信頼がベースにある関係』を作りたいと思っているわけではないということでもあり、中にはさまざまな心理的・成育歴的・環境的な要因によって、『他人に嫌がらせや威圧をする関係・敵意や否定がベースにある関係』を敢えて望むような言動をしてしまう人もいることがあります。そういった初めからその相手と親しくしたくない、その相手を痛めつけたい(困らせたり悔しがらせたい)というネガティブな動機づけがある場合に、その人の根本的な動機づけや対人認知、過去の負の性格形成を良い方向に変容させることはかなり難しくなります(本人が了承して認知転換の努力をしない限りは原則として不可能でもあります)。
また全ての人(自分と馬が合わない人・会話や世界観が噛み合わない人)と仲良く付き合うというのは現実には難しく、自分の性格・価値観・生き方などと相手の特徴や性格、対応を照らし合わせて『それぞれの相手との適切な距離感・付き合い方』を見極めていくことも、『現実的・生産的な対人関係の適応』にとっては大切なことだと言えます。
○他者との関係改善を拒否する10の動機づけ(モチベーション)
1.支配欲求
相手と対等な立場で親しく仲良く付き合うよりも、相手よりも上位の立場に立って支配したり命令したりしたいという動機づけであり、何らかの過去の経緯や性格形成から『愛情・信頼』よりも『力の支配・上位性』に高い価値を見出している人が持ちやすい。
2.競争心
支配欲求にも似た動機づけとして『競争心』があるが、これはすぐに自分と相手が持っているものやお互いの能力・魅力、過去の経験の質などを比較してしまって、人間関係全般を『勝ち負けのある関係』としか認識できない人が持ちやすい。他人の幸せや成功、喜びを『自分の損失・苦痛』のように感じることも多く、『他人の不幸・敗北(その裏返しの自分の勝利・幸せ)』を確認するために、飽くなき競争心に駆り立てられるが、勝ち負けや幸不幸の区別がない親しい穏やかな人間関係に魅力を感じにくい。
3.自己愛
自分のことがとても好きで、自分のやりたいことや欲しいものにだけしか興味がない人は、『他者との親密な人間関係・双方向的な会話のできる信頼関係』を築くことにそもそも関心が薄く、自分の利益や目的のために他者を道具のように利用しようとする事が多い。自己中心性が強くて自分自身の野心・理想・目的ばかりを追い求める自己愛性パーソナリティの人は、基本的に自分のメリット(得)になる人間関係しか求めておらず、他者が何をどのように感じているか(何を自分に求めているか)ということに対しても共感性や想像力を持つことが少ないのです。
4.プライド
自分に対する相手の適切な批判・反対・助言さえも受け容れることができない『プライドの高さ』は、相手との親密な人間関係を困難にします。自分は誰からも批判されたくないというプライド(根拠のない完全主義志向)が高くなれば高くなるほど、『すべて自分に賛成してくれるイエスマン』としか付き合えなくなり、明確な批判や非難、反対意見でなくても『些細な自分と相手との考え方の違い』に不快感や苛立ちを感じやすくなってしまうからです。
5.復讐と怒り
自分をバカにしたり嫌がらせをしたり、酷い扱い(暴力的な言動)をしたりした相手に復讐をしたいという思いが強くなれば、当然であるが親密な人間関係を形成したいという動機づけは一切成り立たなくなる。復讐願望とそれに伴う激しい怒りは、一般的に親密な人間関係の改善を拒否することにつながるが、それに加えて問題になるのは、実際に自分を傷つけたり侮辱したりした相手だけではなく、『すべての他者に対する人間不信・人間嫌悪』にまで発展しやすいということである。すべての人が信用できない、どんな人に対しても嫌悪感や怒りを覚えるといったレベルになると、人間関係だけではなく社会環境・職業活動への適応も困難になってしまう。
6.過剰な正義感
過剰な正義感の典型は、『目には目を、歯には歯を』の加害と被害のバランス(釣り合い)にこだわる同害復讐法の感覚になるが、良いことも悪いことも『相手から自分がやられた行為』をそのまま相手に返そうとする正義感(公正のこだわり)が親しい人間関係を阻害してしまうことがあります。過剰な正義感は、堅苦しい性格特性や融通の効かない頑固さにつながりやすく、一般的に『付き合いにくい人物という印象』を生み出してしまいやすいのです。更に公平さ・平等さのこだわりが行き過ぎると、『1円単位の割り勘(1円であっても損はしたくない)・完全な責任分担(相手よりもわずかでも重い役割は負いたくない)』などの吝嗇(ケチ)な側面が目立ちやすくなってしまいます。
7.責任転嫁
自分の意見や立場を正当化したり、自分には問題に対する責任がないことを訴えるために、『問題・トラブルの原因』を自分以外の誰かにすべて押し付けてしまうのが責任転嫁です。責任転嫁の動機づけが強くなると、他者から敬遠されたり拒絶されたりすることも多くなり、他者との良好な人間関係を作ることはできません。ネガティブな責任転嫁の動機づけは、集団内部の人間関係においては『悪者探し・ラベリング(レッテル貼り)・いじめ』といった集中攻撃の形で現れることも多く、誰かにすべての責任を無理矢理押し付けることで、それ以外の人が安心感・満足感・連帯感を感じやすくなるのです。
8.自己憐憫
自分のことを相手から傷つけられたり迷惑を掛けられている『被害者』として位置づけることができれば、『人間関係における自分の役割・責任』を回避することができ、自己憐憫に沈むことでつらい時間をやり過ごすこともできます。自己憐憫は悲劇のヒーロー(ヒロイン)としての自己像や自己アイデンティティを支えてくれるので、『表面的なつらさ・苦しさ』の背後に『本音の依存性・心地よさ』があるという両義性を持っているのです。悲劇のヒーローやヒロインの立場で自己憐憫に溺れたいという動機づけは、『相手の言動の客観視(相手の良い部分を探す努力)』を困難にしてしまい、『自分=被害者・相手=悪者の加害者』という図式を固定してしまうため、一般的に良好で親しい人間関係の構築は阻害されてしまうのです。
9.隠蔽された目的
その人の本当の目的が、『良好で親密な人間関係以外の部分』にある時には、その人間関係を良好で親密なものにしようという動機づけは当然に弱くなってしまいます。なぜなら『隠蔽された目的(本当の目的)の達成』が主となり、『表層的な人間関係の内容』が従となるからで、場合によっては人間関係のトラブル(相手の苦痛・不快・悩み)が『歪んだ優越感・支配感・万能感』を得るための道具として利用されてしまうこともあります。
10.真実
自分と相手との言い争いや意見(価値観)の対立が続いている時には、どちらも『自分のほうが真実(正しいこと)を言っている』という自己肯定感を持っていることが多く、『真実を巡る主張のぶつかり合い』が人間関係の改善を難しくしてしまいます。『真実』と『自分の主観・利益』を混同させたいという動機づけによって、お互いに話し合いによる妥協・融通が効かなくなり、原理主義のように一つの価値観(自分の都合)を真実として押し付ける形になりやすいのです。
このようなネガティブな動機づけがある時には、『愛情と親密さ、温かさに満ちた人間関係を求めている(理想的な人間関係を作るためにある程度我慢や努力をする意欲がある)』という前提そのものが成り立たなくなるので、カウンセリングや対人関係療法の効果はでにくくなり、現状維持や相互否定(喧嘩・対立)の応酬が繰り返されやすくなります。こういった悪循環の泥沼を抜け出すには、『自分自身の目的意識・相手に対する基本的認知』を大きく修正するという再決断を意識的にするか、『今のままでも良いという現状維持(相手とつかず離れずの関係を維持すれば良いという考え方)』で割り切っていくかしかないのですが、再決断をしてから人間関係を改善する時には以下のポイントが重要になります。
1.相手に対する興味関心や敬意を持つように努めること。
2.相手の話を途中で遮ったり否定せずに、まずは丁寧に傾聴すること。
3.自己防衛(自己正当化)のための反論や否定をしないようにして、相手の感情・立場に配慮(想像)すること。
4.自分の目的や感情、気持ちを隠さずにオープンに分かりやすく伝えること。
5.相手の話している内容に賛成したり反対したりの評価をせずに、『何が言いたのかの意思・気持ち』に集中して話を聞き取ること。
カウンセリングや対人関係療法を通した『人間関係の改善・変容のポイント』や『コミュニケーションの方法論とコミュニケーションの認知療法的な考え方』については、また色々な視点・状況を元にしながら整理していきたい。
元記事の執筆日:2013/12