岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流 アドラーの教え』の書評:2
岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流 アドラーの教え』の書評:3
アドラー心理学の“目的論・共同体感覚”と“ライフタスク(仕事・交友・愛)”
アドラー心理学では『人の悩み・迷い』をどう解釈するか1:不決断(モラトリアム)による迷いの継続
アドラー心理学では『人の悩み・迷い』をどう解釈するか2:ライフタスク(人との関わり)と再決断療法
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岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流 アドラーの教え』の書評:1
実践的で啓発的な認知療法の趣きを持つアルフレッド・アドラー(Alfred Adler,1870-1937)のアドラー心理学を、古代ギリシアの『対話篇』の形式で分かりやすく解説している。自分の能力や特徴、外見、コミュニケーションなどに劣等感を抱えて自己嫌悪・他者不信に陥っている“青年”に対して、“哲人”が『人は変われる・世界と人生はシンプルである・誰もが幸せになれる』というアドラー心理学の基本理念をさまざまな『認知(物事の考え方)の転換の例』を示して教えていく。
人間は過去の記憶やトラウマに束縛されていて変わることができない、人生や世界の現実は厳しくて多くの人は不幸になってしまう、他人の批判的な目をいつも気にしていなくてはならないという青年の挑発的な質問(懐疑・反論)に対して、哲人が認知療法のような発想の転換を用いて次々と論理的に反駁していく。原因があって結果があるという『原因論(決定論)』をアドラー心理学は否定して、結果を導き出すための原因を半ば意図的に自分が作り出しているという『目的論(自由意思)』の立場に立っているが、これは常識的な見方とは正反対のものである。
過去に信じていた人から手ひどく裏切られるというトラウマティックな経験をしたから、他人が怖くなって遠ざかり人間関係が上手くいかないというのは常識的な原因論であるが、この原因論を前提にすればその人の行動(対人不安の症状)は『過去のトラウマ』によって殆ど決定されており、自分の意思では容易に変えることはできない。アドラー心理学では過去に起こった原因を分析・解釈することはせずに、『他人との人間関係から遠ざかることによって達成されている目的(背後の意図)』に注意を向けて、『他人に傷つけられる(裏切られる)リスクをゼロにしたい目的』を達成しているというように推測する。
人間関係が上手くいかないことのつらさもあるが、それよりも他人に傷つけられたり裏切られたりする苦痛のほうが勝っているように感じるから、その人は人間関係を持とうとしないのだと考え、『目的論の修正』によって問題となっている行動を変えていこうとするのである。アドラー心理学は究極的には自分がそうしたいのだからそうしているという目的論によって、『感情と過去(トラウマ)に支配される人間の原因論的モデル』を否定しているが、こういった目的論は精神的苦痛に悩んでいる人にとっては『自己責任原理の重圧(プレッシャー)』のように感じてしまうことはあるかもしれない。
だが、A.アドラーが重視しているのは、『自分が自律的に良い方向に変化することができる人間であるということの自覚と実践』であり、原因があるから自分はどうしてもダメだという原因論は否定されなければならない考え方になるだろう。幸せを実感できず、恵まれているように見える他の人に生まれ変わりたいと愚痴る青年に対して、哲人は『今のあなたが不幸なのは自らの手で不幸であることを選んだから』と自己責任を迫るかのような答えを返す。ここではアドラー心理学の『ライフスタイル(世界観・人生観・思考や行動の傾向)』の概念を用いて、『自分は変わらない(自分は変わりたくない)という選択』を意識的にせよ無意識的にせよ、多くの人間が繰り返しているという事実が示される。
大半の人は、今の自分の性格や考え方、世界観に多くの悩み・不満を抱いてはいるが、『今の自分のあり方・世界や他人との関わり方=ライフスタイル』を根本的に変えるほどのモチベーションを持つことができない(今のままで変わらないほうが安全で気楽だと感じる)ということだが、本書でいう『勇気』とは、このライフスタイルを変えて『自分の課題』から逃げずに率直に向き合う勇気といった意味合いである。自分の短所や悲観、無力、劣等感に悩む青年は、アドラー心理学について『非常に厳しい思想だ』という風に語るが、確かにアドラー心理学は『今・ここから自分が変われる希望』と同時に『現状の問題は自分の目的意識が作り出しているという仕組み(自分の考え方と勇気次第で変えていける部分)』を浮き彫りにしてしまう。
哲人は『自分は変わらないという決意(変わろうとすることによるリスクは取らないという決意)』によって『現在の問題・悩みの保存』が起こってしまうのだという。だがそれでも、実際に変わる勇気や行動を起こさずに現状の安定に留まる、つまり、『可能性・保留の中に生きられることの魅力(本気でやればできるのにというエクスキューズやモラトリアムを保持できる魅力)』はとても強く、人はなかなか変わることができないという話にもなる。現実においても、実際の行動は起こさずに想像の中だけに留めて満足すること、『もし~だったら自分も~ができたのに』という可能性への自己言及で自分を納得させることによって、人は自分が変われる可能性を閉ざすと同時に、変わることで生じるかもしれないリスクや傷つきを避け続けている側面が多分にあるだろう。
岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流 アドラーの教え』の書評:2
『嫌われる勇気』の全体を貫いているアドラー心理学のテーゼは、『人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである(すべての悩みは対人関係の悩みである)』というものであり、アドラーは『個人の内面や意識だけで完結する悩み(他者の実在・想像・心像が関係しない悩み)』などは存在しないとしている。ジークムント・フロイトの想定した人間心理の基本動因である『快楽への意志』に対して、アドラーの個人心理学は『優越への意志(優越性の欲求)』によって人間の心理が動かされると考えるが、アドラーは『客観的な劣等性』と『主観的な劣等感』を区別している。
そして、人間を実際に苦しめて悩ませているのは『客観的な変えられない劣等性』ではなく『主観的な変えられる劣等感』だと考える。自分と他者を比較することで感じる劣等感をこじらせると、『自分は人よりも劣っているから~ができない』という劣等感によって自分が変われないことを説明する倒錯的な感情複合体である『劣等コンプレックス』が形成されてしまうこともある。主観的な劣等感の多くは『他者との優劣の比較(対人関係における想像・競争・見栄など)』によって生じてくるものだが、他者との競争意識を捨てて共同体的意識(仲間意識)を持つことができれば、主観的な劣等感の多くは消すことができるのだという。
すべての悩みの根本にあるとされる『対人関係の悩み』を解消するには、『人生は他者との競争の舞台ではないという世界観』を持つことが必要であり、誰かとどちらが優越しているか(どちらが上位か)という競争をするのではなく、『自分の理想・目標』に向かってただ前に進んでいけば良いのである。哲人は対人関係の軸に『競争』がある限り、人は対人関係の悩みからも不幸・不遇だという思いからも逃れられないのだと宣告する。人生を勝者と敗者を分ける競争の舞台とし、他者を競争の相手(=敵対者)とする限り、人間は『心を休める時間』と『心を許せる仲間(自分の味方とみなせる他者)』を持つことが極めて難しくなる。
一方で、自分と他者の勝ち負け(優劣)を比較する競争や権力争いから下りることができれば、『他者=自分の仲間』とみなせる認知の転換が起こって、『他者の幸福・成功に対する劣等感(妬み・恨み・無力感)の苦悩』をなくすことができるのだという。他者を『仲間』と思えず『敵』のように感じてしまう理由を、哲人は『人生のタスク』からの逃避にあると指摘する。アドラー心理学では、以下の『人生の目標(行動面の目標+心理面の目標)』を実現するために、3つの対人関係(3つの絆)で構成される『人生のタスク』があるとしている。アドラーの語る人生の4つの目標は、一般的な社会適応や自尊心(自己評価)、他者との協働性として解釈することが可能である。
人生の行動面の目標
1.自立すること
2.社会と調和して暮らせること
人生の心理面の目標
1.わたしには能力がある、という意識
2.人々はわたしの仲間である、という意識
人生のタスク
仕事のタスク……仕事上の共通の目標・利益や義務的な職務・通勤(強制力)に支えられた人間関係
交友のタスク……義務・強制で結ばれているわけではない自分と相手で自由に選択する一般的な友人・知人の関係
愛のタスク……他の人間関係よりも濃密で愛情(信頼)が深いとされる異性との恋愛関係や家族・親子の人間関係
これらの人生のタスクは社会的存在である人間が必然的に直面せざるを得ない(逃避することによって何らかの苦悩や不利益、孤独感が生じやすい)対人関係である。人生のタスクからの逃避(回避)によって、あらゆる他者が『敵』になってしまう可能性が生まれ、自分の生きている世界が『ネガティブな場』に成り得る。そして、人生のタスクを回避するために『人生の嘘(不可避な対人関係を避けるためのエクスキューズ)』をつき続けることによって、自分で自分にとって必要な対人関係が分からなくなる(自ら重要な人間関係をダメにしてしまう)悪循環に陥ってしまうのである。
アドラー心理学は『勇気づけの心理学』と呼ばれることもあるが、自分が問題(悩み)と思っている行動であっても間接的に自分の目的を達成しているという『目的論』の前提に立ち、『ライフスタイル(世界観・人生のあり方)』を変えようとする時の不安・恐怖に打ち勝つ“勇気”を奮い立たせることを重視している。
岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流 アドラーの教え』の書評:3
『嫌われる勇気』という本書のタイトルに関係する内容としては、『承認欲求の否定』や『課題の分離』といった考え方が取り上げられている。承認欲求の否定の文脈では、『人間は他者の期待を満たすために生きているわけではない(自分以外には自分のための人生を誰も生きてくれることはない)』という、一見すると“エゴイスティック(他者の心情の無視)”にも見えるアドラーの人生観が示されるが、これは『自分の課題と他者の課題の分離(相手が自分のことをどう思うかは究極的にはコントロールできないし無理にコントロールしようとしてはいけないという現実)』につながっている。
『自分のやるべき課題』に他者から土足で踏み込まれれば、人は怒りや不快感、煩わしさを覚える。『他者のやるべき課題』に自分が土足で踏み込んでいけば、過剰な介入やおせっかいとなり、自分の重荷になったり相手の不信感(圧迫感)になったりもする。自分の課題と他者の課題の分離とは、『自己中心的なエゴイズム』ではなく、他者の課題に過剰に介入することのほうが『他者を自分の思い・期待のままに操作したいというエゴイズム』なのだと哲人は語っている。他者の課題への介入の典型例として、自分が他者に好意を示したり親切にしたりした時に、『これだけして上げたのだから相手も自分を好きになるべきだ・相手が自分を好きにならないことが納得できず許せない』といったストーカー的な心理を上げている。
つまり、承認欲求の否定や課題の分離というのは、『自分にできるだけのことをした後の相手の反応・感情(好き嫌い)』を“自分の課題”ではなく“相手の課題”として割り切って見ることである。あるいは、『他者に対するコントロール欲求(自分がして上げたことへの見返りの期待・お返しの当然視』を捨てることと言っても良いのだろう。対人関係のカード(決め手)を自分で握るということは、『相手が自分のことをどう思っているのかを想像・推測して悩むのをやめること』であり、『自分が変わるという自分の課題』と『変わった自分をどう評価するのかという他者の課題』をきちんと区別して認識することだというのは、対人関係の悩みの解消の本質を突く指摘だと感じる。
相手が自分をどう思うかという『承認欲求』にこだわる限り、人間は“不自由”であるが、自分が相手のために何ができるかという『他者貢献』に前向きに取り組む限り(その見返りを期待したり相手の反応を操作しようとしない限り)、人間は“自由”なのである。承認欲求へのこだわりは他者に対人関係のカードを握らせることになり、他者貢献への取り組み(自分にできることをして相手がどう返してくるかに左右されない課題の分離)は自分自身が常に対人関係のカードを握ることになるいわば必勝法のようなものである。他者に嫌われることが自由であるという、本のタイトルにもつながる逆転の発想、対人関係の本質的啓発も、ここまで述べてきた『承認欲求の否定=自由』につながっている。
人間は『自分には価値がある・共同体(他者)の役に立っている』と自分で自分に対して思えるときに、今までのライフスタイルを肯定的に変化させるだけの『勇気』を持つことができるとアドラー心理学では語る。ここにおける勇気の捉え方は、『他者の評価(他者から自分の行為や外見、存在の良し悪しを評価されること)』よりも『自己評価(自分が他者との関わりの中で実感できる自分の存在価値)』を優先したものであり、承認欲求の呪縛(他者の内面や評価のネガティブな想像)から抜け出した自由の領域においてこそ勇気は高まるとされる。
本書『嫌われる勇気』は、アドラー心理学の全体論や対人関係のゴールである共同体感覚についても哲人と青年の対話を通して分かりやすく学べる構成になっている。アドラー心理学の自己啓発的な世界観や理想的な対人関係の見方を、実際の自分の生活・関係にどのように生かせるかを考えながら読むと、何かしら参考になる『哲人と青年の対話部分』に行き当たるのではないかと思う。
アドラー心理学の“目的論・共同体感覚”と“ライフタスク(仕事・交友・愛)”
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler,1870-1937)が創始してその弟子たちが発展させたアドラー心理学(個人心理学)では、主観的な意味づけが作り上げる『人間の人生や行動の目的性(方向性)』を分析しようとします。アドラー心理学が目的分析学(Teleoanalysis)と呼ばれる所以ですが、人間の人生・行動の目的性を分析するというのは、『客観的な事実』よりも『(その事実に対する)主観的な意味づけ』を重視するということです。
目的の分析を行って、その目的に対してどのように振る舞うべきかを考えるプロセスは、『客観的な出来事に対する認知(受け止め方)』を特定して望ましい方向に変容させようとする認知療法(CT)や認知行動療法(CBT)にも似たところがあります。かつて学師であったS.フロイトの精神分析は、神経症患者の過去のトラウマや欲求の道徳的抑圧を分析して言語化(意識化)させることで心身症状が回復すると考えましたが、A.アドラーは『過去の原因論(病気の原因探し)』を脱却して『未来の目的論(今・ここからできること)』へと心理療法の方法論を転換しました。過去の原因探しよりも未来の目的達成を大切にするアドラー心理学のスタンスは、問題解決志向のカウンセリングにも近接するものです。
A.アドラーは自分自身の身体的な虚弱性(くる病の既往)から生じる劣等コンプレックスの影響を受けて、『器官劣等性・優越への意思(劣等コンプレックスの補償)』という概念を提案しました。後年のアドラーは劣等コンプレックスの悩みそのものが問題なのではなく、そのコンプレックスを理由にして『人生のタスク』と向き合えなくなる(本当にやりたかった目的が達成できなくなる)ことのほうが問題だと考えるようになります。人間は誰でも『劣等コンプレックスの補償』という自我防衛機制的な精神の動きを持っており、自分が他人よりも劣っていると感じる部分を補償して、自分が他人よりも相対的に優れている部分(領域)を作り出そうとします。
この相対的な劣等コンプレックスから相対的な優越コンプレックスへ向かおうとする方向性が、人間の根本的な『優越への欲求(行動様式)』になりますが、この優劣感情が絡むコンプレックスはすべて『対人関係(人間関係)』において複雑に形成されていきます。そのため、アドラー心理学で最も重要視されるのは『対人関係(人間関係)』であり、人間の抱える心理的問題の本質のすべては『対人関係の対立・無理解・恐れ・離別・トラブル』にあるとします。アドラー心理学では、リソース(心理的・社会的な資源)と個人の能力(得意な分野の能力)を適切に活用することで『対人関係にまつわる3つのライフタスク』を達成することができると考えますが、その3つのライフタスクは以下のシンプルなものです。
1.仕事のタスク(Work Task)……その時々の仕事(プロジェクト)をこなすために結びつく永続的ではない人間関係。
2.交友のタスク(Friendship Task)……一緒に楽しんだり悲しんだりする友人関係で、永続する可能性もあるが生活や運命までは共有しない人間関係。
3.愛のタスク(Love Task or Family Task)……家族関係(夫婦・親子関係)に代表されるもので、生活や運命を共有する永続的な人間関係。法律的な家族・婚姻ではなくても、『この相手と人生を共に生きていこうとする意思・協力・覚悟(自己犠牲)』が一致する相手との永続的な関係も含む。
共同体感覚の育成や帰属感覚の強化を重視するアドラー心理学では、『自分と他人と共同体の利益の共通性(自分の行動・発言が他者や共同体にどのような影響を与えるか)』を考えることを勧めたりもします。これは、社会的な動物である人間の本性と生活様式にとって、『社会共同体(他人・集団)と上手く付き合えるような帰属感・利他性・貢献欲求を持つこと』が結局は、自分を孤立や欠乏から守ることにつながり、人間関係の幸せや仕事のやり甲斐の実感にもつながりやすいからです。
アドラー心理学では『人の悩み・迷い』をどう解釈するか1:不決断(モラトリアム)による迷いの継続
アドラー心理学は人間のすべての行動・発言・生き方には何らかの目的があると考える目的論を前提にしていますが、この目的論では『悩み(迷い)・問題・症状』にも何らかの主観的な目的を達成したいという動機づけが潜んでいるというように考えます。アルフレッド・アドラーは人間の人生(生き方)を『自分の主観的な目的を達成しようとするプロセス』と定義して、悩みや迷い、問題も何らかの目的を達成しようとして現れている現象に過ぎないのだとしました。
この『悩み・迷いによる目的達成』というのは、具体的にはどういった心理状態や立場・状況のことを意味しているのでしょうか。人はどうして悩んだり迷ったりするのか?という質問に対しては、『思い通りにいかない現実があるから・どちらを選べばよいかの決め手がないから・人間関係や仕事、家庭などが上手くいかないから・自分の希望や欲求が満たされないから・他人から攻撃されて傷つけられるから』など様々な答えを想定することができます。しかし、アドラー心理学でこの質問を考える時には、『悩んでも仕方がない事柄についてどうして人は悩むのか・迷ってもどうにもならない選択肢についてなぜ迷うのか(実際的なメリットのない悩み・迷いは人生や時間の浪費なのではないか)』というニュアンスも込められています。
実生活や人間関係における心理的な悩みの多くは、『相手に直接メッセージを伝えない状況』や『実際に行動の選択をしていない状態』で発生して、そこから延々と自分はどうすれば良いのか、相手が悪く思っているんじゃないか、自分に対して不快に感じているのではないか(怒っているのではないか)、このままだと大変なことになってしまうのではないかなどと、頭の中であれこれ考えて悩み続けることが多くなります。実際には、相手が自分の行動に対してどういう風に思っているのか(悪く受け取っていないだろうか)などということを、『相手と別れた後(一人で家にいる時)』にあれこれ悪い方向に想像して何時間も悩み続けても、相手には何も伝わらず(相手は自分が悩んでいること自体を知ることができないので)基本的には意味はありません。
しかしそれでも、『実際には意味・効果のない自分の中だけにある悩み(迷い)』で苦しみ続けるのが人間の本性であり、多くの人は『どうにもならない事柄・どうしようもない過去・選びきれない二つ以上の選択肢』で悩んだり迷ったりせざるを得ないのです。悩み・迷いが深刻になってくると『選択・決断(判断)の行動』ができなくなってしまいますが、アドラー心理学では悩み・迷いが達成しようとしている目的を、そのまま『悩み続けること(迷い続けること)による不決断』に求めようとします。悩んでいれば迷っていれば、現時点ではとりあえず決断(選択)をしなくても良いというのが悩む目的となり、迷うメリットにもなり得るわけです。
悩んでいるから迷っているから何もできない(どちらかを選べない)のではなく、『今は何もしたくない(どちらも選びたくない)』から悩み・迷いがより深くなっていくという心理メカニズムがそこにはありますが、こういった悩み・迷いの深さは『自分や他者を納得させるためのアピール』にもなります。例えば、本当は遊び(飲み会)に行きたくないという気持ちが強いのに、相手に悪く思われたくないという事からとりあえず『遊ぶ約束(飲み会に行く約束)』をしてしまった人は、往々にして約束の当日まで行こうか行くまいか延々と悩んだり迷ったりした挙句、やっぱりやめておこうという考えに傾き、ギリギリのタイミングで『外せない用事(仕事)ができたので、今回はキャンセルさせて下さい』というメールを送ったりします。
こういった心理は、本当はそれほどその仕事をしたくないのに(周囲からとにかく何かの仕事をしろとせっつかれてとりあえず)求人に応募した人が、出社予定日の直前になって『やはり今回は採用を辞退させて下さい』と申し出てくるようなケースにも当てはまりますが、仕事にせよ結婚にせよ遊びの約束にせよ、何かしなければならない事の日にちが近づいてくるほどに悶々とああでもないこうでもないと悩み迷うタイプの人は多くいます。その心理の背景には、『悩む(迷う)から行動できない』のではなく『本当は行動したくないという思いがあるから悩む(迷う)』という動機づけがあり、『悩んでいる(迷っている)事柄』についてああでもないこうでもないと悩み苦しんだ結果、断ってしまった後には意外なほどに気持ちがスッキリとしたりもします。
こういった種類の悩み・迷いは、ある意味では『初めから答えが決まっている(やらないことが決まっている)』のに敢えてどうしようかと悩んでいるようなところがあるので、何も悩まず迷わずに初めから『キャンセルする申し出・断りの返事』をすればいいようにも思えます。自分が内面で薄々決めている結果が同じなのであれば、悩んだり迷ったりする心理的な負担や時間的なコストは無駄なものとも言えるからです。しかし、悩んだり迷ったりするような事柄の多くは、『基本的にはしなければならないこと(したほうがメリットが多いこと)・選ばないことによる不利益も想定されること(人生における一般的・社交的な重要度が高いこと)』ですから、こんなにも悩んで迷った結果として決めたことなのだから仕方ないといった『自分や他人を納得させるためのアピール』がやはり必要になってきます。
アドラー心理学では『人の悩み・迷い』をどう解釈するか2:ライフタスク(人との関わり)と再決断療法
他者を納得させるためのアピールには、『こんなにも悩んで迷って苦しんだ自分』について理解して受け容れて欲しい(非難したり否定したりといった悪意を持たないで欲しい)という気持ちが含まれていて、『相手にとって望ましくない選択・判断(断り)』を心理的に切り出しやすくしてくれるのです。人間関係が絡んでいる悩み事や葛藤には、『やむを得ずに断ったのだ(自分も十分に迷って苦しんできたのだ)という理由づけ』を何とか相手に伝えたい、自分の申し訳ないという思いを察して欲しいといった『呪術的な思考(何も言わずとも暗黙の了解で自分の真意や申し訳なさを察して受け容れて欲しいという思考)』も影響しています。
相手からすれば自分が内面でどれだけ悩んで迷っていようが知ったことではない(結果が同じなら意味がないと思っている)可能性も高いのですが、それでも『自分を納得させるための無意識的アピール』のプロセスをすっ飛ばして、悩まず迷わずに『相手にとって好ましくない決断(自分がすべきことを今はしないで済ませようとする選択)』をすることはそう簡単なことではないのです。なぜなら、やるべきことをいつまでもやらないままにしておくことは自分にとっての大きな不利益・不幸を招くことにもなるからであり、他人との人間関係や社会的・職業適な活動から完全に遠ざかって生きていくことは原則的にできないことだからです。
悩み・迷い(葛藤)は『当面の間、他人との人間関係や義務的な事柄を回避しても良い納得できる猶予期間』を与えてくれるわけですが、延々と死ぬまで悩んで迷い続ける不決断(苦悩によるモラトリアム延長)を貫き通すことは現実的に不可能であり、最終的には『自分のできることからの選択・行動』を始めなければならないということになります。アドラー心理学では『やるべきことをやる(義務)』でもなく『どうせダメだから何もしない(責任放棄)』でもなく、『今・ここにいる自分ができることをまずやってみる(努力・意欲・前進)』ということを重視します。また、『自分のライフタスクと向き合う(他人のライフタスクに踏み込みすぎない)』ことが目標の一つであり、そこには『自分は変えられるが他人は変えられない(他人を思い通りに変えたり動かしたりすることはできない)』という基本原則があります。
この基本原則に関する誤解として、『他人(相手)を変えたければまずは自分を変えろ』という解釈がありますが、自分の人生と他人の人生を区別する現実主義のアドラー心理学は『自分のために自分を変える』のであって『他人を変えるために自分を変える』わけではないのです。つまり、他人に変わって欲しいから自分を変えるのだという人は、『他人が思い通りに変わらない現実』に直面すると、元の自分に戻ってしまって再び怒ったり罵倒したり喧嘩したりといった問題状況を生み出す『悪循環』にはまってしまいます。
それぞれの人間は自分自身の人生を真剣に生きる他はなく、他人の人生や考え方を見守ったり支持(応援)したりすることはできますが、『他人の人生・考え方』を支配(コントロール)したり強制したりすることまではできないのです。A.アドラーは特に『愛情・尊敬』を他人に強制することはできないと語りましたが、その一方で、自分自身が誰に愛情を注いで誰に尊敬の念を抱くのかはある程度までコントロールできるという側面があります。
人間がある人を嫌いになっている時には、その人が何を言っても何をしても気に食わないむかつくという状況になることがありますが、それは『この人は嫌いな人だ(自分とは絶対に合わない人だ)』と最初から結論を決めてしまって、それに合うように相手の言動を悪く解釈しやすいからです。自分があからさまに相手を嫌いな態度を示していれば、相手もまた自分を嫌いだという反応を返してきますから、お互いにお互いを嫌うという悪循環が増幅されていきます。
そういう嫌いな相手に対しては、可能であれば関わりを持たないようにするというのも一つの方法ですが、敢えて愛情(好意)や尊敬(丁寧さ)を自分から示してみることによって、つまり自分の愛情や尊敬を意図的にコントロールすることによって『相手の言動の見え方(解釈の仕方)』が変わってくる可能性があります。相手の言動を変えることができなくても、全く同じ言動しか返ってこなくても、自分が相手を見る目線や態度が変われば、『相手の良い側面』が目についてくるという事もあるからです。アドラー心理学のカウンセリングは究極的には、その人にとっての悩み・葛藤(迷い)の結果として生まれている現状を維持するのか変容させるのかの決断を迫るものであり、『再決断療法』とも呼ばれることがあります。
本人が『当面は、決断しなくても良いとか他人と関わらなくても良いとかいう主観的な目的(モラトリアム)』を追求した結果として『悩み・迷い』が生まれているのであれば、悩みや迷いが解決するということは『再決断すること(できることから何か始めること・他人と関わること)』に必然的につながることになります。アドラー心理学の現実主義的な問題解決志向は、過去の原因よりも未来の目的を重視すること、他人の人生と区別された自分の人生を真剣に生きること、他人の役に立つことをすることで存在意義が実感できること、何もしないよりかは今できることをやったほうが良いことに集約されます。現実の問題解決のあり方を突き詰めれば、『仕事・交友・愛』といったライフタスク(不可避な各種の人間関係のレベル・目的)との向き合い方、努力の仕方が問われることになるのです。
元記事の執筆日:2014/12
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